シックス・センス

The Sixth Sense
1999年
アメリカ
M・ナイト・シャマラン監督・脚本
ブルース・ウィリス、、、マルコム・クロウ(小児精神科医)
ハーレイ・ジョエル・オスメント、、、コール・シアー(第六感~霊感を持つ少年)
オリヴィア・ウィリアムズ、、、アンナ・クロウ(マルコムの妻)
トニ・コレット、、、リン・シアー(コールの母)
ドニー・ウォルバーグ、、、ヴィンセント・グレイ(10年前のマルコムの患者)
霊は自分が見たいものだけ見る、、、。
別に霊でなくともそうだろう。
科学は数学的方法を使って、人が都合よく見ないことにしている領域に認識を導く。
生きてる間は、数学的直観~幾何学性は常に持ち続けたいものだ(笑。
いずれにせよ日常、人は自分の知っているもの~言語的に有機化して分節出来ることのみ見ている。
知らないことが分かるはずない。
また思い込みも大きい。だから目撃証言などが常にいい加減なのは致し方ないことだ。
霊は文字通り身体性を失っている分、その志向性は純化されるはず。
霊同士は見ることが出来ない。
基本的に霊に対応できるコール君みたいな人は稀にしかいないのだから、霊同士のコミュニケーションがなければ寂しくなってしまわないか?だから彼らはコール君のところに次々に陳情にやってくるのか?
お金払ってくれるなら、商売にしてもよいのでは、、、彼はこの先もその体質で暮らすのだろうし。
(どうやら広告は出さなくとも遠方からワープしてくるようだし、客には困るまい)。
成程、霊は霊同士見えない。そして見たいもののみ見る。分かる。
それから、死んだときの恰好~服装をしていると、、、。
それは死んだ際の想念がこびり付いているということか。
霊とはほぼ念によって形成されるものだろうから、大方死んだときの恰好をデフォルトにしているだろう。
しかし、物体に対し働きかけるだけの物質性は帯びているようだから、着替えようという気になれば出来そうである。
実際、マルコムは違う格好もしていた。
だが、それは着替えという人間的な行為によるものではない。
建物への出入りも扉を介している様子はないし、自分の部屋のキーを想起した際には、扉のノブは動かなかったが、普通にデスクに座って書斎の本も調べていた(ラテン語を)。ただ、妻が亡くなった夫の想いを封じ込めるために部屋の扉を家具で閉鎖した事情は、最後まで彼の目には入らない~気づかなかった。そんな事実は彼にとって、あり得ないからだ。
生きた身体であれば、絶えず異物感~非視覚的感覚によって異なる新たな事象に対し開かれているが、霊はその点、クローズドであろう。想念がはっきり更新されなければ(死んだ事実を認知しなければ)それに見合った光景は立ち現れないはず。
霊は、自分が死んだことに気づかない。
かのライアル・ワトソン博士が、死んだことに気づかない霊がたくさん普通にいることを「ロメオズ・エラー」で騙っていたが、やはり死んでも、ほんとに自分が死んだことをしっかり自覚しなければ、成仏(何と言うべきか、、、)出来ないとなると厄介なものである。
マルコム氏もコール君のお陰で、自分が死んだことに気づく。
恐らく彼の場合、市長から小児精神科医としての功績を称えられ「市民栄誉賞」を貰った晩に、かつての患者に撃たれたことが余程残念(こころ残り)であったのだろう。まさに大人しく死んでいる訳にはいかなかった。
その失敗を何としてでも取り返したいという想念が強烈であったのだ。
撃たれて一年後、マルコムは周りの誰にもこころを閉ざし不安に駆られている少年に出会い、彼を救うことで、自分も罪の意識が解消され癒されることと信じる。
実はその少年は日々死者に取り巻かれて追い詰められているのであった。
その実情は母にも打ち明けられない孤独なものであった。
少年は直ぐにマルコムを霊であると見破っているが、遠回しにそれを語るだけである。
孤立している少年が本当に霊との関係で苦しんでいることを知り、マルコムは霊から逃げずに、彼らのことばをしっかり聞き取る~願いを受け取ることを勧める。
そして二人してある少女の霊を救ったことからコールは自分の能力、というより両界における特異点としての自らの立場を受け容れ、力強く自立に向かう。
母に本当のことを打ち明けることで強い絆を確認し合い母を息子に対する苦悩から開放する。
更に担任の教師とも和解する。そしてマルコムも妻のこころを知り愛情を確かめ、彼の魂も救われて逝く。
自分が結婚指輪をしていないことに気づき、自分の部屋の前のバリケードの存在も初めて知る。
眠っている妻に「愛している」と語り消えてゆく。
われわれ生者の時空にパラレルに、死人の世界~全く異質な(亜)時空が存在しているのか?
自覚した魂は、その先何処へゆくのか、、、。
「われわれは何処からきて、何処へゆくのか、われわれとは何か。」(ゴーギャン)
ハーレイ・ジョエル・オスメント9歳の演技力は尋常ではなかった。
天才子役の墜落はよくあるケース。大人になっても頑張ってほしい。
ブルース・ウィリスの演技は、ちょうど「海洋天堂」でのジェット・リーの如くであった。いうことなし、である。
アン・ハサウェイの「パッセンジャーズ」とはまた異なる味わいの霊を巡る実に人間的な(愛情)物語であった。
マルコムは死んだと思っていない~生きていると信じている。
コールのケアをする為に、他の人間や妻の前に姿を現すが、われわれの世界のリニアな時間性とは異なる連続性を彼のこころは持っていて、恐らく念じた時にその場所に霊として出現する形式なのだと思われる。
(われわれの感じる日常的な連続性も、その飛躍の部分に注視している人もいる)。
彼は、われわれと同様の連続性をもって存在しているのではない。
だから妻とも過剰な関りを持たない為、最後のあのシーンまで妻の真意も自分がその場にいるべき存在でないことも分からなかった。もしべったり一緒にいたなら、すぐに齟齬が生じ(一方的なそれだが)、自分の置かれた立場の異常さに気づくはずだ。
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