ザ・コア

The Core
2003年
アメリカ
ジョン・アミエル監督
アーロン・エッカート 、、、ジョシュ・キーズ博士
ヒラリー・スワンク 、、、レベッカ“ベック”チャイルズ少佐
デルロイ・リンドー 、、、エドワード“ブラズ”ブラズルトン博士
スタンリー・トゥッチ 、、、コンラッド・ジムスキー博士
チェッキー・カリョ 、、、サージ・レベック博士
リチャード・ジェンキンス 、、、トーマス・パーセル将軍
アルフレ・ウッダード 、、、スティックリー
ブルース・グリーンウッド 、、、ロバート・アイバーソン船長
DJクオールズ 、、、“ラット”/セオドア・D・フィンチ(天才クラッカー)
ヴァージル号なかなか良い!
ジュールベルヌのファンタジーからすると、重いのだが面白い。
地底探検である!
これは、宇宙探検より難しいところがある。
いまのところ、地底について分かっていることは少ない。
データーの乏しい中で、かなりのチャレンジである。
まず、地球の核の回転の停止により磁場が消失し、太陽風に曝されることで人類が滅亡する。あってもおかしくない。
(太陽風による影響やトラブルは日常茶飯事だし、酷いときには実際に変圧器が焼き切れ送電が止まり大停電が起きたりしている)。
宇宙線も直接降り注ぐようになれば生命はすぐに死に絶える。
焼かれる前に、最悪の場合(大規模に起きれば)太陽風(太陽嵐~プラズマ)で大気が吹き飛ばされるだろう。
小規模に徐々に来るとすれば、
飛行機、人工衛星が被害を被る。(人工衛星や宇宙ステーションは基本的に地球内に位置している。厳密に宇宙とは言えない)。
勿論、深刻な健康被害を含め。
今回は、人工地震発生装置ディスティニーの実験?によりコアを止めるほどの影響を与えたというが、例えば地磁気の逆転が起きる際にもかなりの変動が想定される。
今現在、地磁気が著しく弱まっていて、逆転が起きる予兆ではないかと言われている。この変動期に核のダイナモ構造が壊れ、停止することもあり得るとすれば、、、。(暫くそういう話題があったがその後どうなっているか)。何が原因でそれが起きるか分からない。この映画のように。実際に外核がどのような様相を呈しているか分からないのだ。核自体も冷えてきて内外の回転差も逆転する可能性もあり、全てが内核化してしまう恐れもある。そうなれば第二の火星だ、、、。地球も真っ赤な星になってしまうかも。
これはあくまでも(最悪の)極論であるが。
地球は地殻、マントル、核からなっており、内核は鉄とニッケルによる固体、外核は流体でそれが地磁気を発生させている。
地表から2900kmのところから外核となる。
ちなみに内核(月くらいの大きさ)はほぼ太陽と同じくらいの温度である。
今回はその流体で構成される外核にアクセスする大冒険である?
そこにはかなりの疎密が存在し、空洞もあり巨大な水晶宮がそこにあったり、巨大なダイヤモンドが行く手を阻んだりするという。
こういう光景はただ楽しい。ちょっと嬉しくなるところ。ここで金に目の眩むクルーも出てもよいかと思ったが、、、。
ジュールベルヌならその先に、地底人や地底都市も出してくるだろうが、地底の怪物などもいてよい。
しかしこの映画はわりと大人しい。
その分、何故かひとりまたひとりと選抜された優秀なクルーが死んでゆく。
ある意味、それが見どころなのかと思えてくる。
そうだとすると、もはやベルヌではない。
折角地底にまで来て、面白い想像界が垣間見られるかと思いきや、重苦しい人間ドラマ見せられてもなあ~という気はする。
それはほかの映画でもうんざりするほどやってるし、、、。
それぞれ人間はよく描かれていたと思うが、ちょっとあっさり死に過ぎていたというか、あのパタンだとみんな死んでもよかった気はする。
ただ、全員無事に帰って来ても充分に物語は成り立つと思うのだが、どうしてもそっちの方で重々しく悲劇的に見せたかったのだろうか、、、。
そうすることで、物語が凡庸になった気はする。
全員帰還するか全滅するかの方がすっきりしてよい。
主人公の男女ふたりが助かるという物語の結末の既視感にはわれわれ地球人は聊か食傷気味なのだ(爆。
でも、地底に出て行った事~ストーリーは、頑張ったと思う。
しかしもう少し内核の光景を見せて欲しかった。
創作としてのディテールを追及してもらいたかったのだ。
このような地底物はなかったと思う。
着眼点、特に地中にアクセスしなければならないと、決断に至るまでの説得力はあった。
その後の天才博士~エンジニアであるブラズ独り?によって建造された地底船?や岩石を一瞬にして溶かしてしまうレイザー砲。
更によく分からなかったが、気圧が高まることで強まる船体の剛性というその新素材の開発が知らぬところで完成されていたというのも凄い。これは軍の最高機密で進行していたプロジェクトなのか?確かに地震発生機ディスティニーもそうであったが。
少なくとも地底船開発における新(革命的)技術は、一般生活にも充分に応用・活用できる素晴らしいものではないか。勿体ない。
あの2500℃までしか耐えられない防護服でブラズが5000℃の環境に入って作業する姿はちょっとどうかと思った。
(普通一瞬にして死ぬしかないであろう。眼鏡にヒビ入れている場合ではない)。
せめて4900℃まで耐える服にしてもらわないと現実感に乏しすぎる。
何れにせよ宇宙に飛んで好き勝手な冒険したり、侵略者に襲われてみたりするばかりでは、もうもたない。
実際、宇宙に飛んでゆけば何でも許される。何でも使える。どうにでもなる。
ブラックホールやワームホールやホワイトホールやダークマター、ダークエネルギー、反物質、時空の歪み、、、ワープ等々。
ダークマター、ダークエネルギーはまだ扱われていないか?
地底でひとつやってみようとというプロジェクトはよいと思った。
しかしそれが窮地に追いやられた人間の葛藤や苦悩、強さそして使命感、自己犠牲、勇気を表現するというだけでは片側の面白さに留まる。わざわざ地底探検でやらなくともよかろう。うんとビジネスライクにやっても問題ないはず。
自然界に対する驚愕や畏敬の念や究極の美への陶酔や超然とした認識や至高体験、アルタードステイツ、、、限界を超えた内面を探求した冒険でもあったはずである。それ相応の光景~心象風景が欲しい。
これが神学的になればタルコフスキーである。(スタニスワフ・レムはそれを嫌ったが)。
コンラッド・ジムスキー博士が登場人物の中でもっとも、馴染める普通のリアリティあるキャラに感じた。
揺れ動きや気持ちの流れが理解できる憎めない人である。
天才クラッカーの少年は、いそうで実際いそうもない(笑キャラであったが、ちょっと魅力的であった。
オタクを極めた人間は、やはり味わいがあって面白い。(個性的で良い演技だと思う)。
最後はクジラが超音波でエネルギー切れで水底に沈むふたりの船の所在を教えてくれるというのも、かなりのものである。
“ラット”がいなければ、そのまま見殺しとなってはいたが。ここが彼の最大の出番であった。
クジラは地球の生物代表として地球そのものを救ってくれた彼らに対する感謝の念を示したのだろうか、、、
確かにクジラなら分かるはずだ、、、。
結構、奥の深い映画であった気がする。
わたしは、この映画好きか嫌いかと問われれば、好きである(笑。