キャットウーマン

Catwoman
2004年
アメリカ
ピトフ監督
ハル・ベリー、、、ペイシェンス・フィリップス(キャットウーマン、デザイナー)
ベンジャミン・ブラット、、、トム・ローン刑事
シャロン・ストーン、、、ローレル・ヘデア(ヘデア・ビューティー社社長夫人)
ランベール・ウィルソン、、、ジョージ・ヘデア(ヘデア・ビューティー社社長)
フランセス・コンロイ、、、オフィーリア・パワーズ(猫神話の研究家、教授)
アレックス・ボースタイン、、、サリー(ペイシェンスの同僚、親友)
ハル・ベリー繋がりで見るつもりもなかったのだが、昨日の「チョコレート」では、アカデミー主演女優賞を獲得した彼女が、その後のこの映画ではあのラズベリー賞を受賞している。しかも主演女優賞だけではなく、作品賞・監督賞・脚本賞まで総なめである。ある意味衝撃の注目作ではないか、、、?(彼女の受賞スピーチは、やんやの喝采だったらしい。転んでもタダでは起きない女優魂か?)
原作は所謂アメコミヒーローもののバットマンで、ザ・キャットという形でデビューしたそうだ。
(わたしはアクションものもアメコミも興味はない。が、ジャッキー・チェンなどのアクションはただ見ていて楽しいためそれを少し期待してしまった、、、)。
共にもうひとりの自分がいるヒーロー(ヒロイン)。
40年代から雑誌で活躍を始めるが、外見はコロコロ変わってきたという。
今回の衣装はファンからの賛否両論で、すんなり行かなかったらしい。
ただ、ここではバットマンとの接点など全くない独立・完結したキャット・ウーマンの話である。

主人公ペイシェンス・フィリップスは、ポスター依頼を受けた会社の秘密を立ち聞きしてしまい一度殺されるが、エジプトの猫神”マオ・キャット”の力でキャット・ウーマンとして蘇る。
囚われの人生を送っていたが、新しい自分をまるごと受け入れることで自由を得た、、、
これからは、自分らしく逞しく生きるわ。
というもの。
知らぬ間に違う(攻撃的な)人格や猫になっていて、ふとそれに気づくあたりは面白い。
鞭を使い、とても敏捷に動く。猫の仕草の真似はするが特に動きの真似はしない。
確かにジャンプ力とか飛び降り(着地)の体勢作りなどはそれらしい。

「ビューリン」という若返るが、恐ろしい副作用を持つクリームでボロ儲けを図ろうとするヘデア・ビューティー社の陰謀を潰すそうというキャット・ウーマンの活躍を描く。
賢そうな猫の活躍もなかなかのもの。
気紛れ猫をこれだけ動かすのは撮影も大変だっただろう、と思う。
だが全体として脚本が絞り込めていない。
この話はどう見てもシリアス路線で行くには無理がある。
元がとっても薄く単純な話であるし。
どっちつかずで進むより、ただひたすら派手で奇抜なアクションとスリルで押すべきだろう。
折角、猫をメインイメージに押し出しているのだし、その使い道をもっと豊かに工夫したらどうだろうか?
それほど強い主人公というわけでもないし物語上、展開に山が幾つもあるわけでもない。
もう少しコメディタッチで面白く筋を作ってみてもよかろうに。
(しかし間違っても最初のバスケのシーンのような気色悪いものは止めた方がよい。やはり製作陣にセンスがないことは充分に分かる)。
ローレル・ヘデア新社長との最後の戦いも、よく分からない。
相手は化粧クリームで面の皮が厚く(いや大理石のように固く)なっただけの中年女性である。
何であんなに尺を取って互角に争うことになるのか、、、普通の人ではないか、、、?
それともシャロン・ストーン(やはり石か)に威圧されたのか?
確かに怖いのだが。
こういうアクションものは、ガジェット類の充実も大切な要素であろう。
バイクがアン・ハサウェイのキャット・ウーマンのときの果たして曲がれるのかという凄まじいバイクではなく、普通の(高性能な)バイクであったのが、ちょっと残念。やはりその辺はオフィーリア・パワーズ女史から特別に託された飛んでもない(なんだこれは、という)バイクとかが欲しいところ。そればかりに拘る気はないが普通のバイクでなく、遊び心がもう少し欲しかった。

ちなみにアン・ハサウェイのバイク


実用性より目を楽しませる物が次々に飛び出てきては、何でこんな場面でそんなものをわざわざ使うの?と疑問を持たれながらも使って楽しませてくれるのもひとつ。
そんなサービス精神ももっと欲しい。
何れにせよ、基本コンセプトもアイデアも薄い。
粗雑。センスも感じない。
ラズベリー賞総なめにしただけのことはある作品であった。
納得である。
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