多肉を整える

多肉植物を暫く放って置いたら、かなりの乱れが生じていた。
デタラメさが増大していた。
しかし、これは死に向かう無秩序ではなく、生への無意識の造形である。
かなり無慈悲に暴れまくっていた(笑。
廃墟に通じる感覚もある。
棚に収まりきらない拡張も見られ、枝ぶりを整理した。
盆栽みたいである。
基本は同じだと思う。
「整いました。」
TVで以前よく聞いたな、、、最近見ないが。
花殻や枯葉を全てどけていたら、虫喰われや病気も見つかった。
(乾燥しすぎていてもこのような事が起きる。風通しもビニルで保温していたためよくなかった)。
やはり株分けして増やしてしまったため、棚奥の余り目立たない鉢に異常があった。
昨年、大きな鉢で寄せ植えしてかなりの見栄えとなっていたものが、突然全滅したときは驚き唖然としたものだ。
常に何かが潜在的に進行している。
微分的に変化している。
そして忽然と相転換。
こちらも怠惰が過ぎた。
暴れていても、植物である。
われわれとは時間性が異なる。
声ももたないため、動勢を感じにくい。
ほとんどいつも、彼らは「静物」として確認される。
植物は「静物画」としていつも制作される。(食虫植物のように瞬時の動きを見せるものはあっても)。
また静物画として描かれた生きた動物の絵は見たことない(剥製は物である)。
やはり、植物とは生きられる時空が異なるのだ。
そんなことをふと想うが、実はこれは大変なことかも知れない。
彼らと意思疎通が出来たら、恐るべきことに迫れるのかも知れない。
分厚い「サボテンが喋った」と言う本を持っていたが、今はもう内容は思い出せない。
水をやる時期であるからたっぷりあげた。
肥料も少し。
周りのビニルの覆いを外した。
2階の窓辺でいつも確認しながら育てているものより、環境的には良くない。
外は冬の間は過酷であった。
寒気と強風である。
それに加えて密封。これは気にして風は入れるようにしていたが。
ほとんど、何かを共感し合うような間柄ではなかった事は確かだ。
亀にかまけていたし。
これからは、多肉にもっと濃密な共振時間を割こう。
彼らを眺めてボウっとしているだけで、確かに清められる感覚があるのだから。
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