ピアニスト

La Pianiste
2001年
フランス
ミヒャエル・ハネケ監督・脚本
エルフリーデ・イェリネク原作
イザベル・ユペール、、、エリカ (音楽大学ピアノ科教授)
ブノワ・マジメル、、、ワルター(工学部そ学生、ピアノの才能にも恵まれる)
ーーーわたしには感情がないの。覚えておいて。ーーー
無感覚な表情。極度の内面化を感じさせる。
ある日、エリカの防御壁を壊すように強引に飛び込んでくる若い才能と自信に満ちた男子学生ワルターが現れる。
徐々に彼女の動揺が彼女を外に向かわせようとする。お化粧も服にも気遣うようになり、、、。
しかしワルターとの関わりが深まるに及び、親和的な親密性に自然に流れ込んでゆくわけではない。
彼女の母親との長年にわたり培ってきた特殊性が彼女に自分の感性・感情との生で直接的なアクセスを許さない。
固着した関係性から身悶えして抜け出ようとした決意の時。
まずは、彼女は不器用に自分の特異性を高らかに宣言しておく必要があった。
それからというもの、、、とてもシンドい自我の防衛と解体の幾重もの儀式が繰り広げられる。
それは、無様にえげつなく、消耗して擦り切れ果てて、、、深く傷ついてゆく過程を辿る。
ワルターが彼女に言い放つ、、、「狂っている」とは何か?
「病気だ」、、、も同じだが。
それは当人にとって自分でもよく分からないそんな「次元」の身体性における問題なのだ。
生理的・身体的な自分の制御不能で麻痺した反応に操られ、その及ぼす結果に生々しく半ば後ろめたく驚く。
特異な性癖。まさに癖である以上、意識コントロールの対象にない。
後で気が付くレベルの無意識的な行為だ。しかもそれは治したりするものではなく、当人もそう思ってはいない。
客観的にその現象から遡行すれば、主因は特定できる。
(その悍ましくも歪んだ関係性の中に神の目を持って入り込んでくる勇者でもいれば、俯瞰可能であろうが)。
しかし、いまさらそれが分かったところで、どうするつもりもなく、一体どうなるものであろうか、、、。
漆黒の依存関係ももはやそれが本質であるかのように関係化~身体化してしまっている。
(マゾヒスティックであり支配的でもある捻れた性的発露が見られる)。
言い換えれば「制度」と「初期」の問題であり、「人間」であり「女」であることから来る「宿命」でもある。
勿論、そこに人によって度合いの差がはっきり存在する。
エリカは、実に不自由ながら、制度と初期の問題を棚上げしたまま、死ぬまでやっていくつもりであったかも知れない。
男に何の気兼ねなく無表情でポルノショップに行くなどして、生身の関係とは隔絶した世界で生きながらえてゆく。
感性と感情を「縛り付けられた」まま過干渉の母親による性的な抑圧(オシャレ、交際の禁止)のうえでの「身を捧げた」音楽教育を受けて育った彼女。実際は、エリカこそが母親の欲望に身を捧げて人生を空費してしまった生贄にほかならない。
音楽大学のピアノ科教授としてその道での尊敬は受けており、彼女目当てで入学して来る学生もいる。
優秀な学生の個人レッスンも行っている。
ワルターもそのひとりだった。
しかし、生~性の充足感など微塵も期待できない母娘の生活が永遠に続く。
(無駄な買い物も許されず寄り道せずにタクシーでの帰宅を強要されて来た)。
ある意味空恐ろしい程に引き裂かれた自己だ。
しかし理性しかないという彼女が音楽を教える時の楽譜解釈は極めてエモーショナルでもある。
また音楽がどのようにエリカに作用して来たのか。
少なくとも音楽~芸術がなかったら、彼女は完全にとっくの昔に精神崩壊していたはず。
最後にエリカは全ての要求を引き下げ、無防備なかたちでワルターと交わる。
彼女は、恐らくはじめて「愛してる」とは言う。
だがどうにも快楽を享受できない。
彼は一方的な行為に呆れて帰ってゆく。
「先生、このことは、内緒にしておこう。ぼくは男だが、きみは女だ。」
彼にとってエリカとのここまでのシンドい恋愛沙汰は何であったのか、、、そしてエリカにとっても、、、。
これは結局、拷問の一種であったか?
この絶望は、彼女に最大級の痛手を負わせ、母親に覆いかぶさり「愛してる」という言葉に転嫁され、ベッドの上で激しく嗚咽する。
次の日の演奏会にワルターは「先生演奏楽しみにしてます。」と屈託のない笑みを浮かべて友達と会場に駆け込んできた。
何も引きずってはいない。
エリカはバッグに忍ばせてきたナイフで自分の胸を突き刺す。
その時の表情は、、、フランシス・ベーコンの顔のない苦悶の表情~掴みどころのないフィギュアであった。
(バスタブでの自傷行為からして暗示的ではあったが、、、母親はそれを生理と勘違いしている。そういう母親なのだ)。
血が溢れ出る。
彼女は平然と演奏会場を後に、街に出てゆく、、、。
例によって、コンサートホール前の長回し。
ミヒャエル・ハネケ監督、面白い監督だ。
だが、余り観たくはない。
毒には毒をという感じの挑発的映画だ。
(中途半端な薬より、出来の良い毒のほうが効用はある)。
イザベル・ユペール恐るべし。
フランスの女優の凄さを思い知る映画でもあった。
(フランスには、この手の凄い女優が何人もいる。)

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