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隠された記憶

Caché

Caché
2005年
フランス

ミヒャエル・ハネケ監督・脚本

ダニエル・オートゥイユ、、、ジョルジュ・ローラン(テレビキャスター)
ジュリエット・ビノシュ、、、アンヌ・ローラン(出版社勤務、ジョルジュの妻)
モーリス・ベニシュ、、、マジッド (アルジェリア人、ジョルジュの幼馴染)
ワリッド・アフキ、、、マジッドの息子
レスター・マクドンスキ、、、ピエロ(ジョルジュとアンヌの息子)


首を切られ血しぶきを上げる鶏の絵から、ジョルジュは思い出す。
こんなふうに、何かの表象から、閉じ込められていた記憶が鮮明に蘇るなんてことがあるかも知れない。
特に5,6歳頃の記憶は、その人間にとって非常に重要だ。
知らずにそのヒトの精神の基調を形造っている。

そして極めて残酷な事件が勃発したにも関わらずそれは透明化してしまっている。
それが、あるとき唐突に現実に不穏な形で重なってくる。

ここでは、自分の家を長撮りされたビデオと、血を噴き出した人~鶏などの絵である。

明らかに強い悪意あるメッセージを発しているが、それが何を謂わんとしているのか、、、
何かの糾弾なのか、要求なのか、ただの精神的苦痛を与えるだけの嫌がらせなのか?

それが誰から発せられたのかは、車窓ビデオから撮された映像からジョルジュには見当がつく。
「やましさ」とともに深くこころの底に潜めた記憶。
自己正当化しつつ認めるしかない苦い記憶に浮かび上がる相手の姿である。

6歳のジョルジュは、使用人のアルジェリア人夫妻の、彼と同年齢の子が好きになれない。
アルジェリア独立運動のデモでその使用人夫婦は亡くなってしまう。
孤児となったその少年は、ジョルジュの家庭の養子に引き取られ育てられることになった。
しかし、ジョルジュは何度もその子マジッド を不利な立場に追いやる嘘を両親に告げ口する。
彼に鶏の首を撥ねさせ、血みどろになったマジッド を、自分を脅かそうとしてしたと告げ口をしたことで、彼は強制的に施設に送られてしまう。

それ以来、彼の件は誰の記憶からも消えてゆく。

しかし、途切れたにみえて潜在する記憶~想いが唐突に現実の文脈を食い破ってくる。
それはあたかもテロのように。(すでにフランスで二度もあったが、、、原因はフランスにこそある)。
マジッドは、人気TV番組のキャスターの顔に見覚えがあった。
彼はそれを見て不意に不快な気分に襲われ、吐き気を催し彼が誰であるかを悟る。

優雅で豊かな暮らしをする彼とは正反対の貧しい集合住宅に息子と身を寄せて暮らすマジッド。
よく、ここが分かったな。懐かしい。
彼の住居を突き止めたジョルジュは、彼に詰め寄る。
わたしに何の恨みがある?君らの苦しみなど、わたしには関係ない。
何故、わたしの家族を脅かすのか!
だがマジッドは、ビデオも血飛沫を上げる絵も全く知らないと断言する。
何が目当てだ、、、何が欲しい、金か?
そんなもの何もいらない。

しかし、その後もまた、備え付けたビデオで録画されただけの(編集無しの)ビデオが、彼の家だけでなく、彼の仕事場など周囲にも配送される。
(妻がそれを見てマジッドは嘘などついていないと判断するが、ジョルジュは、マジッドの異常性ばかりを声高に主張する)。

妻アンヌの浮気に抗議して友人宅に無断外泊した息子ピエロの誘拐嫌疑もジョルジュによって彼らにかけられる。
彼ら父子は一晩、警察に拘留されるが、次の日にピエロは友人の親に車で送られてくる。


後日、ジョルジュはマジッドに家に呼び出され、目前でナイフで首を切りマジッドは自殺を果たす。
この血の海のシーンは、もう記憶の彼方に追いやることは出来まい。
と、言わんばかりである。

マジッドの息子がジョルジュのテレビ局にやって来て、彼に問いただす。
わたしの父はあなたに教育を受ける機会を奪われた。でもわたしを独りで育て上げた。
あなたに「やましさ」はないのか、、、。
ジョルジュは如何にもフランス人的な身勝手な言い逃れでその場を逃れ去る。
(ヒエラルキーは個人レベルで、民族、国家レベルで存在するが、それは一種の「やましさ」の上に辛うじて成り立つ)。


エンディングで、そのマジッドの息子とピエロが仲良く語り合っているハイスクールの門?のシーンが暫く流れて消える。
長回しの多い映画である。


誰がビデオを撮り、絵を描いて送りつけたのかは全く明かされない。
話の方も犯人探しには関係なく進んでゆく。(警察も関心を持たない)。

何というか、極めて「内面化」を誘う内容であった。
告白を迫られる、まさに西洋的(キリスト教的)な制度性を強く感じる映画である。
確かにジョルジュは原罪的な罪は犯した。
だが、それが改めてかれを酷く(二重に)苛む禍と化してゆくのが見えている、、、。
彼自身の無意識と息子の関係から。


すでに取り返しがつかないが、、、。
マジッドに教育を受けさせてやるべきであった。
少なくともその場で得たものが、彼の催した吐き気を異なる次元に昇華させていた可能性は高い。
自殺(他殺)の形をとらない復讐~創造である。




カメラ視線なのか、ビデオの長回しなのか、判別付きづらい部分もあった。
この視界は示唆的であった。誰の視界なのか、ではなく、誰の視界でもなく、誰の視界にもなりうる点において。
視界の揺らぎにおいて。

警察がこんな視界のひとつやふたつに取り合わないのも分かる。

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GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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