美女と野獣 ジャン・コクトー

La Belle et la Bête
1946年
フランス
ジャンコクトー監督・脚本
J・L・ド・ボーモン 「美女と野獣」原作
ジョルジュ・オーリック音楽
ジャン・マレー、、、野獣 / 王子 / アヴナン(兄の友達)
ジョゼット・デイ —、、、ベル(末娘の美女)
ミラ・パレリ —、、、フェリシエ(エルの姉)
ナーヌ・ジェルモン —、、、アデレード(エルの姉)
ミシェル・オークレール 、、、ルドビック(ベルの兄)
マルセル・アンドレ 、、、ベルの父親
リメイクも良かったが、こちらを見ると圧倒される。
無邪気な世界の物語のはじまりはじまりといった感であるが、、、
ある意味、ベルは無邪気であり、話もシンプルではある。
しかしジャン・コクトーならではの驚くべきシュールで美しく格調高い映像も極まる。
まず、夜道に失意の父親が野獣の城に迷い込む。(難破を逃れた貿易船を確認しに行ったがすでに債権者に押さえられていた)。
そこで、娘のベルが欲しがっていた薔薇の花を一輪盗む。
城の主である野獣は、大事に育てている薔薇を盗むならば死をもって償えと迫る。
(花盗人の命をもらおう、とは粋な野獣である)。
父の替りに野獣の差し向けた白馬に乗って、ベルは時間(時空)を横断し野獣の待つ城にゆく。
娘のベルは薔薇の身代わりで野獣の城に囚われの身となったのだ。
その城ではレリーフ・調度品が全て生きているかのように目を開けて見ている。
(これは呪いで物に変えられてしまった召使であったか、、、)。
見えない手もあるようだ。城全体が、、、城主の野獣もまた、やはり何かの力に囚われている。
これに限らずジャンコクトーの空間はいつも捻れている。それは時間性にも現れる。
その眼差しを私に向けるな。
(わたしにはその眼差しが耐えられない)。
野獣はそれから毎晩7時には「わたしの妻になっておくれ」とベルに願う。
ベルははっきり拒否する。
その醜さからだと、、、。
(ただし野獣は普通、人より美しいのではないか、、、稲垣足穂はそう言っていたが、実際見るとそうであろう)。
しかし、彼女はその野獣の真摯な人間性には惹かれてゆく。
暫く野獣と暮らす(彼は7時の食事にしか現れず暇を持て余す)ベルであるが、魔法の鏡で見た家に残してきた父のことが心配で堪らず一時帰宅させてもらう。
野獣の城が夜でも、父の待つ街は朝だという。
鏡、金の鍵、馬、右手にする手袋、薔薇、、、を彼女は野獣から譲り受け取る。
一週間後にまた戻ってくる信頼の証として野獣はそれらのアイテムを渡したのだ。
約束を守らないとわたしは絶望して死ぬと。
彼女は右手に手袋を嵌めると一瞬にして父親のベッドの部屋の壁から現れる。
(渡された品々はみなドラえもんグッズの先駆的代物であった)。
このVFXは今現在のものに比べても質的に素晴らしい。
芸術的な抽象性が高い。
(オルフェの鏡と同様、艶かしくもあり、本物らしさとはまた次元の異なる物理を感じる)。
それを言うなら、野獣のメイクもかなりのレベルだ。もう少しライオンみたいに綺麗にしてやっても良いかとは思うが。
音楽、効果音も絶妙に合っていた。
ベルは彼女を心配する父に言う。
彼は、もうひとりの自分と闘っている。
その目を見るととてももの悲しい。
彼は不思議な力に従っている、、、と彼女は見抜いている。
ベルの家は裕福であったが、父の貿易船が遭難し、ルドビックの放蕩のせいもあり、破産していた。
意地の悪い姉ふたりに兄とアヴナンたちは、ベルを上手く利用し、野獣の財宝を横取りしようと企てる。
白馬に勝手に乗り、まんまと城までやってきて財宝を盗み、野獣を退治しようとしていた。
ベルもまた、魔法の鏡で野獣が苦しみ死にそうな姿を見て、直ぐに手袋をはめ城に戻り野獣を介抱する。
アヴナンはルドビック同様自堕落な生活を送る男であったが、ベルに求婚した間柄ではあった。
だが、ここでは狡猾な男でしかなくなっていた。
その狡猾さが仇となり、財宝を守る彫像(女神ディアーナ)に矢で射抜かれ野獣の姿で絶命する。(ベルから盗んだ黄金の鍵を敢えて使わなかった)。
それと同時に、ベルの愛の眼差しによってアヴナンそっくりの王子として彼は蘇る。
まるで入れ替わったかのように。
森の精の呪いから解けたのだった。(森の精は結構恐ろしいのだ)。
全てが済んだウルトラマンのように、夜空に彼女は王子に抱かれ飛んでいった、、、。
その王国で、父はともに暮らせるが、ふたりの意地の悪い姉は、彼女のドレスの裾持ちとして仕えることになるそうだ。
めでたしめでたし、、、。

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