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暗黒街の弾痕

You Only Live Once

You Only Live Once
1937年
アメリカ

フリッツ・ラング監督

シルヴィア・シドニー、、、ジョーン(公選弁護士事務所の助手、エディの妻)
ヘンリー・フォンダ、、、エディ・テイラー(出所したジョーンの夫)
バートン・マクレーン、、、スティーヴン・ホイットニー(公選弁護士)
ジーン・ディクソン、、、ボニー(ジョーンの姉)
ウィリアム・ガーガン、、、ドーラン神父


フリッツ・ラング、アメリカ亡命2作目の作品。
『俺たちに明日はない』のモデルとなった”ボニーとクライド”がここでもモチーフとなっているという。
しかし、実際の”ボニーとクライド”とはかなり違う、必死に真っ当に生きようとしながらも、社会の理不尽な差別と迫害により奈落に落とされてしまったカップルの生き様(死に様)である。圧倒的に被害者と言える彼らであるが極限的に追い詰められた末、彼らに対し数少ない理解者であり協力者でもあった神父を殺害してしまう。
迫害を受けた時にもっとも怖いことは、真の味方をも疑ってしまうことだ。
そうしたしなやかな感受性を失った精神構造が必然的に作られてしまうところが説得力を持って描かれてゆく。
ここではっきり彼らの命運が尽きる。
そこからの転落は加速度を増すが、エディへのジョーンの愛情は全ての規範を超え純化する。
ふたりして国境を超えんとし、この世からも解放されて逝くのだ。

エディが帽子を盗まれ強盗殺人の濡れ衣を着せられたとき、ジョーンは彼への愛はあっても、法の側に立っていた。
その法によって、彼は死刑宣告される。そのまま逃げていれば、その間に真犯人が見つかり恩赦が与えられ、これほどまで追い込まれずに済んだ可能性は高い。
また、赤ん坊を姉に預けに行ったとき、ジョーンは寄り道をしタバコを買って隣人に見つかり、それが国境で警察に銃殺される直接原因となる。監督はかつて、このような経験した、または例を見てきたのであろうか。
非常にリアリティを感じる部分であった。
自分を間違いなく大切に思ってくれ、信じ合っている相手が、尽く破滅へと向かわせてゆく。

光と闇の効果が非常に計算されて使われている。
基調はあくまでも暗い。
この光と闇が作る緊迫感は、オーソン・ウェルズの絵が思わず浮かんできた。
最期の安息のシーンに行き着くまで、一瞬も穏やかで安らかな時間はない。
エディの心境を要に張り巡らされた綱渡りの緊張が続く。


「カエルはいつも二匹一緒なんだ。
片方が死ぬと、もう片方も生きていられずに死んでしまう。」(エディ)
最愛の女性とともにいる穏やかで愛に包まれている場面に見えて、エディの目は、深い闇を湛えている。
この底知れない暗い目が非常に不吉であり、われわれは最初からふたりの宿命を予感してしまう。
いつも一緒なんだ、、、しかし、一緒に生きるより、一緒に死ぬことに思いを寄せてしまう。

やがて来る悲劇を前に、、、。
物語の全ては、ただひたすら生きたい、人生を新たにやり直したい。
そしてそんな彼を思いやり、愛する彼女がずっと寄り添い続ける。
しかし観客から見ると極めて痛々しく切ない。
フリッツ・ラング当人の本国にいた状況にオーバーラップしているのかどうか、、、
この過酷な、どことも知れぬ野山を車で逃げ惑いつつ送る生活が、不安や緊張は強いられるものの、ふたりにとって何やらもっとも幸せな時期にも想えてくる。実際、そういうものなのかも知れない。そのようにフリッツは描いている。
ここでアメリカ映画特有の宗教的場面が見られる。
そのさなか馬小屋でのジョーンの出産である。それは聖母マリアと幼子イエスを象徴していることは明白である。
そこから見ると、物語冒頭の、リンゴを盗む警官からしてそうであろう。
異邦人であるラングだが、アメリカ映画の暗黙の?掟にきっちり従っている。

もう運命を見据えてエディはジョーンに伝える。
「ずっと言いたかったことがあるんだ。こんな僕を愛してくれてありがとう。」
何やら清々しさをも感じる。
最初の抱き抱え未来を夢見たが、これがそのままふたりの幸せに繋がるとは想像できない物語であったが。
最期も国境線で同じように彼女を抱き抱えるが、この時は死~真の解放に向けての安らかな旅立ちであった。


ヘンリー・フォンダの目の強度が後のPeter O'Tooleに引き継がれてゆくことを知った。
ジョーンが異様に美しくなっている。

「エディ。エディ。君は自由だ。」
ドーラン神父の声がする。エディと観客に対して。
「君は自由だ、扉は開かれた。」



「人生は一度だけ」と言う題なのに、ドーラン神父の語る、「死んで生まれ変わる」のだ、といった次への期待によせられるエンディングなのか、、、。
記憶が定かではないのだが、フリッツ・ラングをご贔屓していた淀川長治氏が確か「この命ある限り」という邦題を付けていたと思う。
これなら分かる。
観終わってみると、とてもよく分かる。

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絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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