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軽蔑

ゴダールやフリッツ・ラングなら見れる、、、と思い。
しかし分析めいたことは、しない。疲れるためだ。
Le Mépris001

Le Mépris
1963年
フランス、イタリア、アメリカ

ジャン=リュック・ゴダール監督・脚本
アルベルト・モラヴィア原作
ジョルジュ・ドルリュー音楽

ブリジット・バルドー、、、カミーユ・ジャヴァル(女優)
ミシェル・ピコリ、、、ポール・ジャヴァル(脚本家)
ジャック・パランス、、、ジェレミー・プロコシュ(アメリカ人映画プロデューサー)
ジョルジア・モル、、、フランチェスカ・ヴァニーニ(ジェレミーの部下、アシスタント)
フリッツ・ラング、、、、本人 映画監督
ラウール・クタール、、、撮影監督
ジャン=リュック・ゴダール、、、ラングの助監督


ゴダール自身の声で「映画」が始まる。
スタッフとキャストの名前が次々と告げられてゆく。
映画の中で映画製作が始まる。
これからどのようなモンタージュ空間がつくられてゆくのか、、、。
「その日のパンを買うためにウソを売る」と映画監督役のフリッツ・ラングは、ほくそ笑んで騙る。
基本的にカメラの目で「映画」に入ってゆく。

ゴダールの敬愛する映画監督フリッツ・ラングが本人役で出演していることが目玉のひとつである。
わたしが一番、観たい監督のひとりであり、特にアメリカ亡命後の孤高の名作群を観てみたいものなのだが。まだわたしは、ドイツ時代のMメトロポリスしか見ていない。(究極の傑作と誉れ高い「条理ある疑いの彼方に」はいつか観たい、、、今はまだまだ高いので、、、)。


イタリアのチネチッタ撮影所での試写会を通しての、プロデューサーと監督とのやりとりがカリカチュアライズされていて可笑しい。
如何にプロデューサーの無理解で横暴な注文が多いか。(ここでは、ほぼ全否定してきた!)
フリッツも大人対応だが呆れてくる。
海で泳ぐペネロペの役でカミーユが裸で泳いでいるシーンに子供みたいに燥いでみたり、、、。
この芸術が一般人に分かるか!ともくる。
最終的にフィルム缶をジェレミーはこともあろうに円盤投げ(ギリシャらしい)で投げ飛ばし、映画にケチをつける。
しかしそれ以上に、この映画界のセックスシンボルでもあるブリジット・バルドーの裸身の配し方、またはそのカット量の指定などもあったと聞けば、ここはそのままフリッツとジェレミーの関係がゴダールと彼のプロデューサーにも重なっていることが分かる。
このジェレミーの描き方には、かなりあからさまにゴダールの悪意とまさに「軽蔑」が込められていると言えよう。

フリッツ・ラングが役者としてフルに出ていて、ヘルダーリンの神の非在こそがわれわれの力となることをうたった詩や勿論、ホメーロスについて、、、ひたすら喋り続ける。
「オデッセイヤ」を撮っていることから、ギリシャ神話の噺~解釈など片っ端出てくる。
それだけでも面白いと言えばとても面白い。
フリッツ・ラングその人の語りと演技が見られるだけでも有難いものだ。

ヨーロッパの映画産業の斜陽である現状もあり、アメリカ人(アメリカ資本)プロデューサーが脚本家に書き直しさせようとしてきたり、脚本家の美しい妻にちょっかい出してきたり、権力を振りかざす横暴が見て取れるものの、、、。
最初は、そのジェレミーを馬鹿扱いしていた妻カミーユであったが、女心は分からないものである、、、。
いや、その「豹変」ということが、ここで謎なのだ。

ジェレミーの出現をもって、ポールとカミーユの間が、唐突にギクシャクしてくる。
今朝とはうって変わり、彼女の彼に対する、ことばと視線が急変したのだ。
彼にはその訳が皆目検討つかない。
そしてわれわれにも明かされない。(そのようなカメラの目もない)。
ポールは何とかこれまでのような愛情ある関係に修復したいのだが、どうにもならない齟齬が生じ、裂け目は大きくなるばかりなのだ。
妻の心を乱すジェレミーの依頼を受け、金のために脚本を新たに書くか、カミーユを引き戻すために仕事を断るか。
カプリ島に行って映画を撮りつづけるか、、、。
「行きたくないのなら強制はしない。」
「あなたが強制するのではなく、人生がそうさせるの。」
全てこんな調子だ。
そして話は単純ではなく、答えは愚か糸口すら見つからず、何の選択も意味をなさない。
われわれにその経緯を悟らせる超越的な視座はひとつも提供されない。

ただ基本的に、、、
プロデューサーVS監督で映画の困難(苦悩)
プロデューサー・脚本家・脚本家の妻との三角関係から愛の困難(苦悩)
「映画」と「愛」の不可能性と不毛をテーマに、それぞれ錯綜させ描かれてゆく。
更に英語とイタリア語、フランス語三ヶ国語が彼らのコミュニケーションを錯綜させる。
カミーユはフランス語しか喋らず、ジェレミーは英語しか喋れない。フランチェスカの翻訳を通し意思の疎通を図る。
このコミュニケーション空間におけるズレに、余剰な意味が呼び込まれ、潜む。
恐らく、通常より了解の飛躍、短縮、遅延が大きくなるはず。
それによって、カミーユがジェレミーのオープンカーに乗ってしまったり、船に乗らせてしまったり、、、することが起こる。
これは、思う以上に大きな作用を引き起こしていることは間違いない。
カミーユとポールそれぞれの乗る時間性のズレになっている。
フリッツは、ポールに微妙な夫婦間の亀裂を、英雄オデュッセウスがトロイア戦争の勝利の後に漂泊し(10年間という)妻のもとになかなか帰ってこなかったことに重ねて騙る。(何故、漂泊することになったかは、諸説ありはっきりしない)。

「軽蔑」するわ、というカミーユの言葉にポールは拘る。
「何で軽蔑するんだ?」
「理由は絶対言わない。」
潜み蓄積し始めた意味は、、、分からない。

全編を通し、長回しと目まぐるしくシーンが切り貼りされている(しかも既出のシーンが)場面の両方が交互に見られる。
それから見つめ合うふたりの、喋る度に横顔が映し出され、両者の間にあるランプが点灯しては消える。
「アルファヴァル」のときは正面の顔であり、上のランプがやはり同様に光っては消えていた、、、。
音楽もギリシャ叙事詩に見合う荘厳で悲劇性を湛えていた。
それから、色~原色である。
青い海に映える真っ白いギリシャの彫像たち。ミネルヴァ、ネプチューン、、、何故か目がコバルトブルーであったり、真っ赤であったりする。
そして明らかに意味~象徴をもつ変換に感じられるが(ランボーのように)、カミーユがアパートで髪を金髪から黒髪に、しかしすぐ後にまた金髪に戻す。その間に何度か部屋を横断する。そう、バスローブも真っ赤でありソファも真っ赤だ。
その後、ジェレミーと合いキスをした後、黄色を纏っている。通訳のフランチェスカは基本的に黄色い服であった。

そしてポールに別れの手紙を残し、ジェレミーとローマにゆくというフランチェスカ。
ジェレミーのアルファ・ロメオのオープンカーは真っ赤であり、ふたりして事故に遭ったときに彼も真っ赤なセーターであった。
恐らく彼らの血液も赤い。


Le Mépris002
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