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写生を巡って 円山応挙

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少し前(かなり前だったか?)、「日曜美術館」で、「円山応挙」を見た。
そのことが、頭に残っていて、忘れないうちに肝心なことだけ書いておこうと思う。
「写生」に関して、である。

私のことであるから、番組からかなり離れた話題も結構入ってくるはず。
(というより、ほとんど番組はとっかかりとしているだけで、関係ない話になると思うが)。


彼は最初は、狩野派の様式美に学んだ人であり、番組では独学で絵を学んだと言っていたが、何故そういうことにしたのか、、、。
応挙は狩野派を批判的に乗り越えたリアリズム画家であると思う。
そのために、型に嵌めずに自由に素質を伸ばせということを敢えて強調していたのだろう。

応挙のまず言うには、「対象を観察し形を写すことを極めれば、自然とその生き生きした生命感を表現できる」(番組より)という大変真っ当なことが述べられているが、、、
彼の徹底した写生の実践は、ただ見たままを描きなさいと言っている訳ではない。
見ること自体、言語作用である。
誰もがことばによって外界の光の渦を有機化~分節化した結果の表象として環界を捉えている。

彼の重要な教えは、「現実の世界に意識を向け、物事の道理を把握してゆけば、万物を描くことができる」(同番組)にこそあろう。
ここで謂う「道理」である。意識的に世界を見つめ直すために「道理」で観てゆく姿勢である。
物理的に事象を捉えれば、どのようなものも、自然に在るがごとくに描ける、と。
まさにレオナルド・ダ・ヴィンチと同様の視線である。
「写生の極意は野の人や山の人をつかまえては聞くことにしていた。」(本朝画人傳 村松梢風著)というところにも窺える。
つまり実際に、そのもの~現象や生き物など身近によく知っている人に確認すれば、様式的に描いているオカシナところを指摘してもらい自分の目で冷静に再度よく観察しなおすことができる、ということを意味する。
「馬は草を食べるときは目を庇って閉じるのだと諭された」(本朝画人傳)ことなど、その動物の習性を正しく捉えることで、より真に迫った自然な絵を描くことができるはずだ。
彼の謂う「対象を観察し形を写すことを極める」というのは、「道理」~客観的な自然観察(物理的な)によって可能となることである。
それによりはじめて、それまで受動的、習慣的に身につけてしまっていた先入観から抜け出せることを意味する。
(様式的な絵を脱することが可能となる)。
言語の対消滅の結果である。
真に対象に迫るには、先入観や常識を解体し、それに代わる新たな知(物理的な見方)の獲得が不可避なのだ。
そのへんのことは、全く番組では触れられていないが。
応挙は、相当な教養人であったはずだ。

そのひとつに子供時代奉公に出されたという高級玩具店で受け持った「眼鏡絵」作りの遠近法的捉え方、3次元的描写(後の松の枝の描写などに見る)に大きく寄与していると考えられる。レンズも墨で巧みに描き分けられた光と影の表現に役立ったのではないか。
これら若い頃の経験は、応挙の科学的(光学的)な絵画の研究~アプローチに役立っているはずである。
デルフトの画家フェルメールもまさにレンズ~カメラオブスキュラから多くのヒラメキと知識を得ていた。
また、絵画という2次元性の表現を(積極的に)徹底させるため、鏡で対象を映して平面化し、それを写し取るという大変合理的で理にかなった方法を編み出したのも、この時期身につけた思考法が効いているのではないか、、、。そこでブレのない像を発見し、命毛1本で描いたかのような細密でダイナミックな猫線も獲得する。


更に応挙の凄いところ、、、。
n-1の描き方である。
素人っぽい画家ほど只管重厚に描き重ねてゆくものだ。
(日本画家にもよくいる、金箔を隙間にベタベタ鬱陶しく貼るものとか、、、)

彼は、描かないことで、描き込むより饒舌にそれを示す~描くことをあらゆるところで試して成功させている。
「自分であらたに形を捉え直さなければ絵画とはならない」のである。
ここである。ここではじめて応挙の絵画となってゆく。創造となる。
「龍門図」の鯉が滝を登ってゆく中央の図など、シュールレアリズムの絵画と変わらない。
鯉が勢いよく抜け登る水の部分を紙の地とすることで、まさに生き生きとした自然の流水となっている。
如何に描き残すかで、「向こう側からの造形化」が発動する。
(これが現代の美術にもなかなか見いだしにくいものである)。
国宝「雪松図屏風」などは、その極みであり、描かれないことで、感じさせるものの極地を見せられる。
描き残されて反転し実体の重みすらひしひしと感じる松の枝にかかった積雪。
それは周りの空気とその気温をも生んでいるではないか!
ここまで、その生成を意識的に徹底させたのは、少なくとも日本では応挙がはじめてであると思われる。


書き始めたらきりがなくなりそうなので、この辺に、、、。

日本の画家について書いたのは、久しぶりであった。
その辺もこれから、改めて見てゆきたい。とても面白い鑑賞にもなるし。



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