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時間についてほんの一言

sands of time

モーガン・フリーマンの顔を見て思い出した。
昨日観た映画もある意味、時間との闘いとも言えるスリリングなものだ。
しかし、時間を考え出したら、これは結構、厄介である。

そもそもこの時間体験はどこから生じるか、、、
われわれの身体の大きさレベルにおいては、熱から生じている。
物質と熱の相互作用が目に見える変化を生むため、時間を体験する。
熱力学の法則により、物体は低エントロピーから高エントロピーへと一方向に向かってゆく。
それが時間の矢と見える。
時計の針と相関する。
(変化~動きの相関関係としての時間)
勿論、われわれ生命は大きなエントロピーの矢のなかでの非平衡開放系~ネゲントロピーに属している。

しかし、その熱はあくまでも統計学的な見地におけるこの世界の大きさにおけるものであり、素粒子レベルでは通用しない。
つまり、ニュートン的な日常のスケールのなかでのみ馴染むものである。
量子力学に”t”がそぐわないことは当初から問題になっていることで、時間概念を外した量子論を作り直している人も少なくない。
素粒子の相互作用の世界には”t”が当てはまらないのだ。少なくとも”t”だけ単独では取り扱えなくなっている。
光に対して時間と空間というものが個別に扱えないことは、アインシュタイン以降、もう前提となっている。
時間だけをとりだした考察はもうできない。
素粒子間の相互作用を正確に把握できないためわれわれは、エネルギーを統計学的な(平均値で)温度としてとらえている。
素粒子の運動そのものには、時間的方向性はない。

そんな時間がわれわれという段階の生に必要な尺度に過ぎない幻想であると述べる物理学者もいる。
モーガン・フリーマンのナビゲートする情報番組をたまたま観ていたらこの話が特に気になった。
時間の矢(エントロピーの矢)は絶対であるということを前提に話している科学者の噺は退屈だった。


時空連続体を「粒」として面白い見解を(学説を)述べていたのが、その次に登場した女性科学者であった。
その粒が連続的に生み出されてゆくというもの。
流れるのではなく、時空が非常に短いスパンで連続的に生成されていくのだ、というものである。
もともとこういった理論はイメージは不可能である。
(科学理論を比喩などに変換すると大概間違ってしまう。12次元理論など、イメージのつくものであるはずない)。


そもそも時間があるとかないとかどちらかに決める必要はあるのか、、、
取り敢えず、日常時間は時計で測って過ごせばよろしい。うちでも目覚ましで子供は起きている。
そもそも時間というものは、こういうものですと解明されたとしても、われわれの身体的実感として馴染むものかどうか、疑問である。

わたしにとって、とりわけ魅力を感じる時間は、「永遠」と「瞬間」だ。
いやそれ以上に吉本隆明氏の「固有時との対話」の「固有時」だ。
アインシュタイン以前に、このような時間の観念は出てこなかったと思われる。

日常の「時計時間」も(古典)物理学の「時間の矢」もある意味で正しいとはいえ、無粋な気がする。
やはりキリスト教の作った時間神話の定着なのか、、、世界の創成から終末をリニアな線で表わしてしまったことの。
ニュートンはそれを科学的に保証し時間の矢を絶対化し強固なパラダイムと化した。
日常生活において、常識以前の前提となってきた。
日本は、、、と言っても、仏教であるが(仏教が身体化したひとはそれほど多いとは思わないが)、「現在有体過未無体」(人間存在~現象界は、現在現れているかぎりにおいては実有であるが,過去,未来においては無である)は、ある意味西洋の最新の時間論~物理理論に通じるものはある。

西洋でもニーチェの永劫回帰などの思想も唱えられたが、むしろ異質な思想であろう。
(ギリシャ哲学においては、循環的な時間概念も唱えられていたが)。
社会通念に影響を及ぼすには至るものではない。やはり大きいものはキリスト教の教理というより世界観だ。
すでに絶対時間(線状的時間)と絶対空間(均質空間)が確立されていた。デカルト~カントに及び。
そして成長、発展、進化、、、などの社会通念が時間観念を地固めしてきた。


だが、今世紀に入ってからいよいよ、時間はない(われわれの意識が要請する物語)というひとから、時空連続体を前提とした、観測者のいる系の速度により伸び縮みする時空(これはアインシュタインが初めから言っていたこと)や、生成され続ける時空の粒まで出てきている。


何にしても、「時間」というかたちで何かが語れることは、なくなって行くとは思われる。


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