パンダコパンダ~パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻

1974年
高畑勲監督
宮崎駿原案・画面設定
佐藤允彦音楽
主題歌「ミミちゃんとパンダ・コパンダ」(水森亜土)
主人公ミミコは、メイの原型、パンダはトトロの原型だということが直ぐ納得してしまう映画だ。
パンダが中国から輸入されブームとなった頃の、謂わば宣伝映画か?
物語の作風、流れは赤塚不二夫的なものも感じる。
(話の筋だけではなく特に身のこなし、逆立ちなど、、、汽車が水中を爆走したりも)。
バカボンのパパがミミコの家にお客で訪ねていっても、充分彼女なら対応可能だ。
ここでは、動物園から抜け出し、竹薮に誘われて来たパパパンダと縫いぐるみのようなコパンダがお客となる。
ちょうど、一緒に暮らしていた祖母は法事で実家に帰っていて、家にはミミコだけであった。
暫くの間、ミミコ独りの生活のはずであったが、パンダ父子が転がり込んだ為、一緒に楽しく暮らす事になる。
どの辺を想定しているのか、家屋はほとんど西洋風であり、その庭の先にコンモリした竹藪がありパパパンダはそこを痛く気に入っている。
大分以前に、わたしはこの映画のコンテ集を買ったことがある。
何かの勉強のつもりで買ったはずだが、今日までほとんど中を覗いていない。
参考にしたいと思って買ったはずだ。後で開いて思い出そう。
出逢ってすぐ、彼らは家に一緒に住むことに決め、パンダパパはミミコのパパにもなり、コパンダはミミコの子供となる。
つまり、ミミコはコパンダのお母さんとなる。
ということは、パパというのは、ミミコにとって親ではなく夫なのか?
ずっと見ていたが、どうやら夫のようだ。
コパンダがぼくのパパだぞーと言って抱きついても、わたしのパパよーとは抱きつかない。
それに甲斐甲斐しく家事全般を新妻のごとくしっかりやり、コパンダの世話も愛情たっぷりにしている。
最初から彼らは信頼感と愛情で結ばれそれは不動の前提としてエピソードを物語る。
ここに関係が次第に深化したり、変化する余地はない。
何でもすぐに始まり、突飛な形で(ギャグマンガ的に)展開し、みんなで仲良くハッピーエンドになる。
ここには、ミミコの超人的な楽天性と受容性があるが、パパパンダの驚異的な腕力と超然とした包容力が物語を支えている。
そのなかでは、なにをやっても、飛んでもない悪戯をしようと、危ない遊びをしようと、最後にはパパパンダが助けてくれることが暗黙のうちに前提となっている。
それにしても筋運びや演出が、思い切りナンセンスで大味ではあるが、観てゆくうちにそれが味わい深いものに変わってゆく。
長女と一緒に観たが、彼女は途中からニンテンドーDSをやり始めてしまった。(うちはスマホゲームは与えていない)。
やはりその全体の雰囲気から時代性は顕だ。今のものとは質的に生理的に異なる。
しかしそこがまたよい、とまでは彼女らにはならないみたいだ。
わたし独りで二部まで観た。
また少し経ったら次女と一緒に観てみたい。
どんな顔で観るか?
恐らく、彼女も途中からiPadで何かお気に入りの怖い映画でも見始めてしまいそうな気がする。
この魅力はなかなか伝えにくいものかも、、、。
しかし、パパパンダの大増水が起ころうと汽車が暴走しても、何でも受け入れて楽しみ落ち着いてさばくところは、魅力に感じた。
こんな父親いるはずないが、頼りがいのあること、半端ではない。
何が来ようとどんと構えていられる。
最初の一部の話で、パパが帽子を被ってパイプをくゆらし会社にゆくところが、動物園というのには唸った。
上手い。ミミコにとってはパパはそうであって欲しい。
動物園としては、パンダに戻ってきて欲しい。
両方を叶えるには、パパが動物園にミミコの家から出勤すればよい。
これは妙案だ。
増水した綺麗な湖にベッドを浮かべ、そこに食料をタップリ詰め込んだバスケットとともに3人で乗り込み、動物の救出に向かうところなど、楽しい夢を見ているような光景であった。
面白いところは、いくつもある。
後のジブリ作品のような細やかに洗練されていない分、味わい深い原石のような作品である。