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21グラム

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21 Grams

アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督・製作

「バベル 」「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) 」、「レヴェナント: 蘇えりし者 」と非常にヘビーな作品を撮っている人だ。思想的にもヘビーだが、役者の力技でグイグイ持っていくところでもあり、この映画でもベニチオ・デル・トロやナオミ・ワッツがかなり牽引している。

21グラムとは、死んだ時に軽くなる重さらしい。そんな話は以前聞いたことはあるが、何グラムだか忘れた。
「それは魂の重さだ」(ポール)

ショーン・ペン、、、ポール・リヴァース(大学教授、心臓病で余命1年)
ナオミ・ワッツ、、、クリスティーナ・ペック(夫と2人の娘を交通事故で失う)
ベニチオ・デル・トロ、、、ジャック・ジョーダン(クリスティーナの夫と娘を轢き逃げする)
シャルロット・ゲンズブール、、、メアリー・リヴァース(体外受精で夫ポールの子供を産もうとしている)


ひとつの事故で3組の出逢うこともなかった(絡むこともなかった)夫婦の運命が絡み合う。
まさに「交通事故」である。新たな交通を拓くが、人を身体的に死にも追いやる。
これは確かに悲惨な出来事であるが、可視的な事態である。
アリス・ミラーたちの訴える「魂の殺人」は更に魂そのものを無意識に殺害する極めて絶望的で無残極まりなくアッケラカンとした(滑稽な)事態である。この映画では前科者のジャックなどは、この被害をかなりの度合いで受けていることが見てとれる。
ことばについて一度もそれを対象化し吟味したこともない下劣な正義の名のもとに、宗教の名のもとに、教育の名のもとに、、、それらシステムにより、日々魂は白日のもとに殺されている、、、。殺されないまでも致命的な深手を負う。
はっきり言って「魂の重さ」をいうなら、ここに引っかからないで素通りはできまい。


死と生を語るなら、ことばと体制化されたことば(権力装置)との相克が見られなければ(語られてなければ)ならない。
何故ならそれなくして人の死んだ生きた価値など、吹いて消えるだけの、なんぼのものでもないからだ。
わたしが知りたいのは、ものの重量ではない!質量である!
ことばを相対化して解体し尽くしたその後に残る真実である!
その地平に立たずに死だ生だなんて、ましてや魂などと、、、おこがましい。
勿論、愛もへったくれもない。

ここで、ジャックは現実と、キリスト教権力による解釈、更に法(刑法)~社会との齟齬に悶え苦しむ。
ポールとメアリーは、婚姻(夫婦)と医療という法に対して依存と懐疑の間で揺れ動き、諦観をみせる。心臓病で余命幾許も無いところに、ドナーとなったクリスティーナの夫の心臓が送り込まれる。この交通は優れて暴力的な部分である。
そして、メアリー独断による人工授精。こどもとは、一体何者なのか?
そもそも、こどもとは一体何者なのか、、、その考察がもっとも疎かにされる。
ここでは、ジャックの外傷経験の裏返しのようなキリスト教のこどもの躾にそれが反映され、こどもは彼に対しこころを開かない。
クリスティーナがもっとも交通事故(唐突な横断的交流)の悲痛な現実的別れ~切断を経験するが、同時に医療という法の暴力と身体レベルの不安(愛情も含め)にポールやクリスティーナとはまた別な形で追い込まれる。
夫の臓器で生き返った男との邂逅であり、その彼は臓器という物体を極めて人格化している。そうでなければ、何故あそこまで提供者に拘るのか、ここには情報産業の暴力も前提に敷かれている。
そして何より、彼女の直接的なことばを予め奪ってしまう法(刑法)による、彼女の生活を断絶させた対象との隔絶である。
ジャックは自首したのに証拠不十分の上、弁護士の力で出所してしまう。
彼女の法に対する諦観が身体的退廃を染み渡らせてゆく。

彼女は、憤懣からポールに暴力(復讐)を強いて、解決ではなく解消にすり替えようとする。
これは明らかに浮き足立っており、非合理である。
ポールはそれを食い止めるため、自分に移植され今や拒絶反応も出て、虫の息の心臓目掛けて銃を撃つことで、食い止めようとする。病院で一命を取り留めたポールもまもなく死ぬことは、確実である。
クリスティーナこそここで、もっとも大きな言語による不協和の交通事故の犠牲者である。
家族全てと新たに得た恋人をも失う。この事故で彼女に新たに見いだせる何事かがあるか、、、どうか。
よくある信仰に落ちるパタンか、、、まさかジャックと、、、何故最後に彼と対峙していたのか。あの微妙な表情は何か?
終始ジャックは、キリスト教の教義~暴力言語体系の下で罪悪感に苛まれ現実を歪め続ける。
しかし元はといえば、彼がクリスティーナの愛娘と夫をひき逃げしたことに始まる。
以前から罪悪感に蝕まれてきたところへ、この自らの犯罪によって罪悪感の化物となってゆく。
とはいえこの物語は、そのことによって、ポールが暫し生きながらえ、クリスティーナに新たなこどもが授かる流れを作る。

ポールのこどもを彼女が身もごったことが一条の希望の光となり得るか、、、これは大変な疑問である。
いずれにせよ、ポールの叫ぶ通り、、、
「お前は何であんなことをしたのか!」「お前があんなことをしなければ、、、」絶句である。
あのままでよかったはずだ。
何もポールとクリスティーナが出逢って、こどもが生まれる必然などなかったことは確かだ。

しかし、何がどう起こるか、まさに予測不能の不確実性の世にひとは投げ出されている。
それこそがリアルであり、実相である。
どうであろうと、どこであろうと、どのようにも、われわれには生きるしかないのだ。
ことばによって、ことばをめぐって、、、
ただ生きぬくことが真実である。




最後に入院しているポールの「自分の心臓が元凶だった」には、今回の大きな事件に繋がった件だけではなく、臓器移植という医学の発展とそれによる救命(延命)というシステムそのものも照らし出す。
(あのドナーの催促を、脳死の夫を前にする医療も含め)

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