アノマリサ

Anomalisa
チャーリー・カウフマン監督・脚本
デューク・ジョンソン監督
「エターナル・サンシャイン」の脚本のチャーリー・カウフマンが監督・脚本である。
これはとても印象に残る綺麗な映画であった。
声
デビッド・シューリス、、、マイケル・ストーン(カスタマーサービス界の有名人)
ジェニファー・ジェイソン・リー、、、リサ(テレフォン・オペレーター)
トム・ヌーナン、、、、それ以外全て
ストップモーションアニメで作られた人形アニメ映画。
人形を一コマずつ撮って繋げてゆくもの。
気の遠くなるような制作法である。
更にこの映画の長回しが凄い。
特にここまで撮らなくても良いだろうという何気ない行為や仕草まで丁寧に拾ってゆく。
(シャワーシーンなど特に)。
CG編集では、ここまでやらないだろうというところまでやる。
鬼気迫るものを感じる。
しかも異様に生々しい。
人間そっくりのことをやらせるのだが、造形や表情が恐ろしく繊細なのにわざと人形と分かる顔のパーツの分かれ目などを入れている。(構造上消せる線である)。
何というか、挑戦的な人形アニメ映画という感じで観始めると、すぐに気づくがマイケル以外の登場人物で、顔と声が違うのはリサだけか?後の人々は皆同じ。これはかなり食わせ物の映画であることが分かり、こちらも斜に構えて観始める。
話は、カスタマーサービス界で名声を博しているマイケルが日常いろいろなことに飽き飽きし、現状から逃れたいと思っていた時に講演会のため泊まったホテルで、これまで聞いたことのない”アノマリー”な女性の声を耳にする。(彼にとっては涙するほどの初めての女性の声か?)特別な声であった。
どこにいるんだ、彼女は、、、ということでホテルの同じ階を片っ端ノックして探す。
するとある部屋にその声の主が見つかる。おまけに顔もその他大勢の顔とは違う。
彼はそのリサという女性の声を聞くに付けこの女性と離れられないという思いが込み上げ、恋に落ちる。
彼女にシンディ・ローパーの歌を唱ってもらいうっとり。
彼は彼女を”アノマリサ”と呼び、彼女もその呼び名をとても気に入る。
翌朝今の妻とも別れ、そのアノマリサとの再婚を望むが、彼女のことばがや言い回しが紋切り型であったり、これまでウンザリしてきた習慣、仕草にも引っかかること、、、結局彼女もみんなと一緒ということから、彼女を置いてさっさと家に戻ってゆく。
その少し前に10年以上前に分かれた恋人をホテルまで呼び出して逢うが、突然出て行った訳を聞かれ返答には詰まり、おまけに自分の部屋に呼ぶに至って、とことん愛想つかれてしまう。
自己中の傲慢さ丸出しである。
要するにこのマイケルとしては、似たり寄ったりのもの~日常から逃れたいのだ。
しかし、本当に他人が皆同じ顔と声に認識されるのなら、、、これは病気(精神疾患)である。
どうなのか、、、ただ皆似たようなつまらぬものばかりであることを表現するために、マイケル・ストーンとリサ以外の登場人物はみな基本造形が同じ顔で、同じ声にしているのか。
ただ、これは人形アニメ劇には取り込みやすいその特質をうまく利用した表現効果だと思う。
結局マイケルは、リサに特別な新鮮味を感じたのだが、内面~身体性(癖・仕草)にもそれを要求して幻滅する。
途中に出てくるマイケルの夢でまさにその同じ顔たちに追われて逃げる彼の姿が描かれてゆく。
更にSFタッチに、、彼のペルソナが剥がれ落ちて、それを拾うところも見られる。
自らそれを外しかけるシーンもあり、意味深であった。(これは夢でなく、、、境界である)。
わたしは、現実でもその展開を望んだのだが、そちらに野放図に広げてゆく気はなかったらしい。
実は彼は故障したロボットであり、メンテナンスを必要としていた、、、で階層の異なる組織が現れ急展開とか、、、
それではSF人形アニメになってしまう。
あくまでも現実のドラマの枠で精緻に描ききりたかったのだ。
この何とも癖のある、生々しい人形アニメ劇として。

ホテル名は「フレゴリ」であった。
フレゴリ症候群か、、、やはり細かいし、二度見ればまた何かの発見がありそう、、、。
だが、あまり生理的に好きな映画とは言えない。
物凄い作業量によって作りあげられた労作であり、その内容も興味深いものではあるが、何というかわたしの美意識を刺激しないのだ。
それは、あくまでも個人的な好き好きのレベルのものである。
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