やさしい本泥棒

The Book Thief
2013年
アメリカ
ブライアン・パーシヴァル監督
マークース・ズーサック『本泥棒』原作
ジョン・ウィリアムズ音楽
ソフィー・ネリッセ、、、リーゼル・メミンガー
ジェフリー・ラッシュ、、、ハンス・フーバーマン(リーゼルの養父)
エミリー・ワトソン、、、ローザ・フーバーマン(リーゼルの養母)
ベン・シュネッツァー、、、マックス・ファンデンベルク(ユダヤの青年)
ニコ・リアシュ、、、ルディ・シュタイナー(リーゼルの親友)
ロジャー・アラム、、、死神(語り部)
何と「鑑定士と顔のない依頼人」での名演技が忘れられないジェフリー・ラッシュのそれを更に上回る演技を観てしまっては、もう言う言葉も見つからないのだが、、、。
リーゼルという少女(孤児に等しい)が、厳しい戦火のなか本当のことば(愛)を得る過程で成長し自らの生を生きぬいてゆく物語。
そこに絡む名優もまた実に充実している。
First Wave:1938年。リーゼルは共産主義者の母親に連れられ、弟とともにドイツ・フーバーマン夫妻に預けられるところ、彼は旅の途上で死んでしまう。その葬儀の際、彼女は墓掘り人の落とした『墓堀り人の手引書』を手に入れる。
それを持っていることを新しい父にハンスに知られるが、それを頑なに自分の本だと言い張るところで彼はリーゼルがまだ字の読み書きが出来ないことも察知した。(学校でも自分の名前が書けないことから馬鹿にされる)。
わたしと一緒にその本を読もうということで、養父に教わりながら彼女は読みを覚えてゆく。
その夜から、ふたりの読書~ことばの獲得のための稠密な時間が始まる。
ハンスは地下室に文字を覚えるための黒板も作ってくれる。
着いた当初は頑なに話すことも拒んでいたリーゼルであったが、彼女が養父にこころを開くのに時間はいらなかった。

Second Wave:焚書はドイツヒトラー政権下でも頻繁にあった。
ちなみに退廃芸術として絵画も多くの名作が焼き捨てられている。
リーゼルは、山のように積まれて焼き払われた本の下からH・G・ウェルズの『透明人間』を抜き取って家に走り帰る。
それを見ていた市長の妻イルザは、彼女が使いで洗濯物を届けに来た時に、自宅の図書室に招き入れる。
「本が好きなのね。あなたは勇敢だわ」と言って、リーゼルの好きに本を読ませてくれたのだ。
彼女は亡くなった息子が無類の本好きであったことを打ち明ける。
ぎっしりと壁を覆い尽くす本の背を指で嬉しそうに撫でるリーゼルの気持ちにこちらも自然に共鳴している。
帰る時間にイルザは「また今度、続きを読みにきなさい」と、リーゼルに告げる。
自宅でも、養父が彼女の持ってきた『透明人間』を一緒に読んでくれる。
彼女は事あるごとに、市長宅の図書室で貪るように読書をする。(と言っても使いに来る傍らであるため時間は限られている)。
ここから本格的な読書が始まる。かなり豊かな言語世界がリーゼルに形成されてゆく。
Third Wave:ある夜フーバーマン夫妻にとって恩人の息子が命からがら逃げ込んでくる。
(その恩人に当たる親友に、もしもの時の家族のことを彼は頼まれていた)。
「人の価値は約束を守れるか、どうかだ」普段優しいマックスも肝心なときは毅然とした「ことば」を発するのだ。
その青年マックスはユダヤ人であり、匿っている事が知れたらおしまいであるが、危険を顧みず夫妻は彼を迎え入れる。
弱りきっている彼を家族みんなで極秘裡に世話してゆく。
知的なマックスはすぐにリーゼルと打ち解け、彼女に自己表出~言語表現の契機を与える。
自分の言葉で話すことを促してゆくのだ。
「今日の天気はどうだった?」外に姿を悟られないため地下潜伏を続ける彼は、リーゼルに天気をありありと伝えてくれることを要求する。「君の眼が語れたとしたら?」
彼女は必死によりリアルで物事の本質に迫る表現を模索する意識に目覚める。
彼は素晴らしい教育者でもあった。
Fourth Wave:マックスはクリスマスの日にリーゼルが地下室に持ち込んだ雪で家族みんなで雪合戦をし、雪だるまを作ったりして遊んだことで、風邪を拗らせ瀕死の状態にまでなってしまう。彼女は自分を責める。
そこで、リーゼルは、毎日彼に本を読み聞かせる。それしか彼女が彼にしてあげられることはなかったのだ。
読む本がないために、何度も何度も出入り禁止となった(何故なら市長に彼女が本を読みに来ていることが知れてしまったからだ)屋敷の図書室に忍び込んでは、本を「借り」てきてマックスに読み聞かせを続けた。
もう彼女に読めない本はなかった。
ここでの読書量はどれほどのものであっただろう。
(黙読と音読は、また違う。更に、常に死と隣り合う読書でもある。ことばの世界はより研ぎ澄まされ深まりを見せ、自分と彼の共有世界が濃密に形作られるはず)。
彼は家族の必死の看病の介あり、回復する。
この過程で、養母とリーゼルはこころを熱く通わせる仲になる。彼女は自分の内奥を悟られないために罵っていただけだった。
ローザは、深い愛情を上手く表現できないだけの不器用な人であることを彼女は認識する。
そんな頃、幼い者(12歳)同士、リーゼルとおせっかいな親友ルディは一緒に森の湖畔まで行ってヒトラーの悪口を叫ぶ。
とてもこどもらしいことばで。そんなことする人は、嫌いだ、、、という次元を保っている。
ルディの父は徴兵され、彼もなまじ足が速い為、年少の身でありながらエリートコースに取り立てられてしまった。
そこにイデオローグの侵食はなく、自らの身体性から滲みでたことばしかない。
(実際リーゼルは鉤十字の入った制服を着て行進をし、歌も高らかに合唱している)。
彼ルディは、マックスから「君を憎んでいる者よりも質の悪いのは、君を愛している者だね」と看過された当の少年である。
(幼い恋も同時進行しており、彼女にとってルディは大切ではあるが、とても鬱陶しい存在にも感じられていた)。
Fifth Wave:彼はクリスマスプレゼントに彼女にへブライ語で「書け」と書かれた白く塗りつぶされた本(ヒトラーの「我が闘争」、、、わたしの愛読書でもあるが、、、であろうか)を渡している。
君の物語を自分の言葉で書けばいいんだと、、、。
マックスは、いよいよナチスの迫害が強まり、この家族に害が及ぶことを危惧して独り出てゆく。
ハンスもローザも断腸の思いで見送る。
「僕はいつも君が紡ぐことばの中に生きている、、、」
、、、ここからもう、涙腺が緩みっぱなしとなり、涙が止まらない、、、
彼女はこの物語をマックスにもらった真白い本に書き綴ることにする。
連合軍の誤爆により、彼女らの住む街~民家が破壊尽くされる。
たまたま、地下で本を書いていたリーゼルは奇跡的に助かるが、養父母は亡くなり、ルディも彼女の目の前で絶命する。
彼女はルディが生前せがんでいたキスを骸となった彼にはじめてする。
そこに車で現れた市長の妻に本を持ってすがりつく。
彼女はそこで保護される。
二年後、戦場から帰還したルディの父親が経営する店で働いていると、満面の笑顔でマックスが入ってくる。
この時のリーゼルのレディ振りには驚く。
恐ろしい演技力の子役だ、、、。
最後に死神のことば、、、
「わたしは人間にとりつかれている、、、」
ことばに救われてゆく人、、、ことばに呑まれてゆく人、、、ことばで世界中を巻き込んだ人、、、
本当に、ことば=ヒト=世界だ、ということが何より染み渡ってくる映画であった。

キャストの素晴らしさは言うまでもないが、ジェフリー・ラッシュには参った。
エミリー・ワトソンの厚みのある演技にも感動した。
そしてソフィー・ネリッセ、大丈夫か?この歳でこんな演技ができて!そっちを心配してしまう。どうかこのまま崩れることなく育っていってもらいたいものだ。

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