アクトレス 女たちの舞台

Sils Maria
2014年
フランス・スイス・ドイツ
オリヴィエ・アサヤス監督・脚本
ジュリエット・ビノシュ 、、、 マリア・エンダース(ベテラン女優)
クリステン・スチュワート 、、、ヴァレンティン(マリアの秘書)
クロエ・グレース・モレッツ 、、、ジョアン・エリス(若手新進女優)
ベテラン女優マリアとその秘書ヴァレンティンは、何処へ行くにも何をするにも一緒であり、マリアに対するヴァレンティンは、さしずめマネージャとしてスケジュール調整から、セリフの相手をするアシスタントとして、離婚調停関係における秘書としても、密接に関わっている。マリアはそれにかなり依存しつつ仕事以上の何かをいつも求めている。
ふたりは全幅の信頼を寄せ合うも、劇の解釈や映画評などを対等にぶつけ合う過剰なやり取りや要求で齟齬をきたすことも少なくないパートナーである。
何といっても、この映画の醍醐味は、マリアとヴァレンティンがセリフ稽古をやる過程で、その舞台の登場人物ヘレナ役(マリア)とシグレット役(ヴァレンティン)が部屋で真に迫ったセリフのやり取りを進めているように見える過程で、マリア自身とヴァレンティン自身のやり取りにもなってゆくところである。
または、マリアがヘレナになっていたり、ヴァレンティンがシグレットと化していたり、、、このへんの絡まりがもっとも見所だ。
ヴィルヘルム・メルヒオールという劇作家に見出され、彼の書いた戯曲「マローヤのヘビ」にシグレット役でデビューしたマリア・アンダース。
彼女は、彼が受賞した賞を代理で受け取るためスイスに出向く旅から始まる。
ヴィルヘルムとは、シルス・マリアで落ち合うことになっていた。
彼女は列車のなかで、夫との離婚調停のやり取り、授賞式のスピーチ原稿作成、舞台の次回作の打ち合わせなども忙しくしていた。そう、20年振りに「マローヤのヘビ」の若いシグレットではなくその相手役のヘレナ役での出演を依頼され、その受諾についても悩んでいた。
そんな中、ヴィルヘルムが亡くなったことを知らせられる。
彼女は彼の妻ローザと会い、劇を引き受ける気持ちになる。
チューリッヒから列車で彼の作品「マローヤのヘビ」の題名の由来ともなっているシルス・マリアに向かう。
アルプスの大自然が圧巻である。
シルス・マリアの自然現象であるうねるように河に沿って流れる蛇(雲)がそのままマリアの心象にも繋がる雄大な構図も見られる。
それにしても、雄大な絶景だ。まさしく河と雲が一体となって、うねって進むではないか!
ヘンデルやパッフェルベルの楽曲が荘厳に流れる。
風景とこれらの音楽がこれ程合う「映像」もあるまい。
マリア(女優)とヴァレンティン(秘書)との年齢差のある女性同士の関係とそのなかでこれから演じられる劇でのヘレナと若いシグリットとの関係が、セリフ練習(本読み)の過程を通して重ね合わされてゆく。
劇の内容としては、お互いに惹かれ合いながらも、若いシグリットによって追い込まれ消えてゆくヘレナの人生の物語ということだ、、、。
ただマリアにはどうしても吹っ切れない拘りが胸中にあり、セリフ練習に集中できない。演じることが苦痛になる。
(劇を辞退しようとさえ思い、それを訴えたりするほど揺れ動く)。
20年前にシグリットを演じていたために、今壮年のヘレナを演じる事への自らの老いに対峙する葛藤もある。
失ったものを、時間を、若さを、そしてヘレナのもつ人間味にも耐えられない。
シグレットの冷酷なことば~セリフによってそれらが次々に生々しく捲り立ち胸中をよぎってゆく、、、。
そのため、たびたびふたり(アリスとヴァレンティン)の本読みは破綻して、素の本人同士の言い争いになったりもする。
(本を読んでいる最中からそれが滲み出てゆく)。
「ヘビ」をふたりで観に行った時に、その「ヘビ」を見つけヴァレンティンを呼んだとき、すでに彼女は姿を消していなくなっていた。
このシーンは大変印象的であった。
マリアが何度も彼女の名を呼び、それが木霊する、鮮明な喪失の絵であった。
ここで、ひとつマリアは吹っ切れる。
劇を演じる戸惑いはひとつ払拭された。謂わば、自立した感がある。
だがまだ自分の若さと時間~過去に対する執着が残っていた。
それを劇の中で何らかの形で表現したいと願った時に、相手役のジョアンに幻想ごと一瞬で吹き飛ばされる。
この映画、実はジョアン・エリスがかなり雄弁に、ハリウッドの若く才能ある女優の典型を多少の誇張(強いタッチ)で演じている。
特に最後に、マリア自身の拘り~悪あがきを鋭く一刀両断する。これにはマリアもタジタジになり目が覚める。
(表面的には我儘で攻撃的で変わり者に見えてもしっかりした知性と洞察力と実力を兼ねている若手女優の例でもあろう)。
マリアもすっきり吹っ切れ新たにヘレナを演じる情熱が湧き、少し見下していたその新進女優ジョアンを心から見直す。
充分この複雑な劇を自分に身体化させたクリステン・スチュワートの感情表現の繊細絶妙な演技はクールであった。
まさに、この役になりきっていた。
ジュリエット・ビノシュについては言わずもがなであるが、彼女の成熟した無垢な大胆さと繊細さにはやはり魅了される。
特に彼女の笑い、である、、、。もうある境地に達している感じだ。
ジュリエット・ビノシュ 、クリステン・スチュワート 、クロエ・グレース・モレッツ三者三様の優れた演技力が遺憾無く発揮されていた。
なかなか観ることの出来ない女性の複雑な心象の交錯する雰囲気のある映画であった。



大変な貫禄を身に付けてしまったジュリエット・ビノシュを見てまたかつての彼女の映画も観たくなった。
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