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エルサレム

Jeruzalem.jpg

Jeruzalem
2015年

イスラエル

ドロン・パズ、ヨアブ・パズ監督・脚本・製作


ヤエル・グロブグラス
ヨン・トゥマルキン
ダニエル・ヤドリン
トム・グラジアニ

スマートグラスによる究極のPOVであった。
しかもエルサレムの贖罪日の禍々しい出来事。
エキゾチックな街並みやホテルに如何にも終末的クリーチャー。


かなり重厚な切り口の出だしである、、、。
「人は無意識の内に憎悪を説いて周り、神々が戦火を交える音に耳をかさない。全てはこの地(エルサレム)に集約されることになる。この地では果てしない憎悪が根を深く降ろし、死者を目覚めさせる」と、、、。(地獄の入口のひとつがエルサレムなのだ)。
いきなり墓地から目覚めた女(母親)の死者?が、3つの宗教(キリスト教、ユダヤ教、イスラム教となろうか)の指導者によって諭されるがどうにも効かず、頭を撃たれて処分される。
その女には蝙蝠のような羽が倒される前にバサっと開いたのには驚いた。所謂、悪魔である。
エルサレムの2人の祭司による記録(録画)であった。

このビデオに始まる導入部にはかなり期待を抱かせるものがあった。

後の展開は、直ぐに「スマートグラス」をパパからプレゼントされた娘が、テルアビブへと女友達と連れ立ってバカンスにゆく。
アッケラカンとした忙しないテンポで進む。
この切り替えは目の覚めるくらい鮮明なものであった。
以降、このスマートグラスによるPOV映画となる。
主人公の掴む知識をリアルタイムでこちらも共有できることは、話には乗り易いし主人公の現状や心理にも密接度は高い。


最近はこういう形式の映画が増えたが、長回しのカットなしゲーム感覚映像が特徴的である。
これもまさしくそれで、登場人物たちの軽佻浮薄さとピッタリ合った形式とも感じられる。
大概は、こういう駒をどう動かしてどういった構造の映画にするのか、、、というところだが、如何せん主人公の女性のしているスマートグラスの視点から離れられない。とはいえ一体感が得られるなどというレベルではない。
(おかげで、この女優はほとんど画面に現れないため自分の演技や顔すらもほとんどアピールできないではないか。声の出演か?)

このような臨場感にそもそも拘る必要があるのか。
ひとりの視座に絞ることは、臨場感のスケールを狭め限定する。
時空間が極限されるが、自分の身体性にほぼ同一するかといえば、全くそんなことはない。
人は視覚だけで知覚している分けではないため、居心地悪さと単に忙しなく窮屈で、ともするとチープ感も漂う。
(つまり視覚以外の情報のないことを逆照射され身体性を損ねる~気に障るのだ)。
言うまでもなく、臨場感は視座を登場人物の誰かに重ねることなくいくらでも出せる。
(これまでの映画がそうであった)。
機動性はよいがともすると、この方式は制限の方が大きくなりすぎるきらいがある。
少なくとも大きなスケールの重層的な視点とその展開を要する映像には向かない。
(小さな洞窟探検の長回しショットなどで部分的に採用するのが最適ではないか?)
結局、、、ひとつの駒として全体の中で動かす構図にはできないため、その本人の人格レベルで世界を窺うことになる。
つまりこの女性の意識~ことばで映像世界を手繰ってゆくため、大変軽佻浮薄な関係に寄り添ってゆくことになる。
(海外バカンスに来たふたり連れ女の子の典型パタンというところであろうが、、、些かステレオタイプにも思えるところだ)。

現地で知り合った、男性含め4人での行き当たりばったり(テルアビブに行くところを飛行機で知り合った男性の話に乗ってエルサレムにしてしまう)バカンスの動きに並行して地中深くひたひたと根を下ろした憎悪を具現した悪魔の出現に及ぶ過程を描くような超越的視座は、封印したい監督の考えであろうが、如何せん突然現れる巨人ネフィリムやクリーチャーに「うっそー、なにあれ、なんなの~、しんじられなーい」のノリで終始押し通されても、ただ気持ち悪いものが続々出てきてパニックになって逃げる他、何かに繋がったり発見したり認識したりの広がりや深化が起きない。
ものものしい前口上は、単にこれから怖いものが沢山出て来るからね~というお化け屋敷的な呼び込みだったのか、、、。
キリスト教の不死者、イスラム教の堕天使、ユダヤ教の巨人ネフィリムが蘇って眼前を過る。
おまけに主人公の亡くなった兄も、彼女の願い通りに現れる。不死者として。
地獄の門が全開状態か、、、。


しかし事態の本質に少しでも触れる存在が出ないまま、誰もが被害者・傍観者として逃げ犠牲になるだけで終わる。
彼らに内省はない。(アメリカ兵士のひとりが宗教的内容の話をし始め絶望を語っていたが、新鮮味はない)。
「エルサレム・シンドローム」で仄めかすに留める。
しかし、これこそがありのままの現実描写だと言うことか。
(超越性を切り捨てるということは、そういう方法となろう)。

クリーチャーの出し方が瞬間的、部分的な個人的な視野で、絶妙なものであった。
軍用ヘリや戦闘機が夜景に不気味な音をたてて飛び交い、軍による街の隔離、洞窟からの逃亡と、、、非常事態の不安な雰囲気が色濃く滲み、、、。
突然、不条理で理不尽な事態に投げ込まれる寄る辺なき個人的な存在描写においては、POVの効果は要所では利いている。


クリーチャーに襲われながらも逃げおおせて、今まさに長い地下迷路の出口を破って外に脱出した主人公たちであった。
何とか2人だけでも助かったかと思ったら、自分も傷から感染して薄れる意識にのうちに空に登ってゆくではないか、、、違うものとなって、、、。
僅かな間の宙吊の状態における不確かな喪失の過程が、切実に実感される。
この上空への浮遊を、呆気にとられて彼女を見上げる彼氏の姿が小さく遠ざかってゆくことで描くシーンは秀逸であった。
彼女はスマートグラスをつけたクリーチャーとしてしばしの間~撃ち落とされるまで目立つ存在でいよう。


この監督は、スマートグラスでこの虚しさと無力感を撮りたかったのか、、、
何でも瞬時にリアルタイムに情報を表示するガジェットは、あくまでも水平的な広がりにおける情報しか拾えない。
地の底、或いは天上の意思や智には触れることすら叶わない、、、。

確かに日常の浮ついた意識とこの地の果に深く染み込んだ意思との対話など出来るはずもないくらい隔絶がある。
しかし無意識が突き上げるように、こんな嵌入がいつ意識に起きないとも限らない。
いや、すでに現実に多発している。
恐らくこういうことでもある。
まさにヴィデオドローム!


ところで、大分以前から話題になっていた”GoogleGlassはどうなった?”のか、、、。
日本で売っているのか?
流行っているようには見えない。まだ販売していないのか?
(流行っていたら皆そのメガネを掛けて歩いているはず、、、外に出たくない)。

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