コッポラの胡蝶の夢

Youth Without Youth
2007年
アメリカ
フランシス・フォード・コッポラ監督・脚本
ミルチャ・エリアーデ『若さなき若さ』原作
”Youth Without Youth”なら原作の題がそのままだが、、、。
映画の題はこうきた。やはりコッポラが久々に作ったぞ、ということを強調したかったのだ。
しかし見終わってみると言い得ている邦題で、とても良いと思う。
ミルチャ・エリアーデは小説も書いていたのか。主に民俗学・宗教学の研究者としてしか知らなかった。
ティム・ロス、、、ドミニク・マテイ(言語学者)
アレクサンドラ・マリア・ララ、、、ラウラ、ヴェロニカ、ルピニ(マテイの運命的に別れるしかない恋人)
ブルーノ・ガンツ、、、スタンチェレスク教授(マテイの協力者)
もはや全ての夢と生の希望を失った老体が復活祭の夜に雷に打たれる。
普通なら即死するところであった。
しかし奇跡的に~夢の如くに彼は大火傷から生還するばかりでなく若返り知力も増していた。
(これを保留付きでわたしは受け入れ物語に吸い込まれてゆく)。
しかも彼には自分の影のような存在~もうひとつの(対象化された)自己が強烈な力を帯びて付き纏う。
(勿論、誰にもある対自的自己ではあるが、些か対象化・実体化が過剰である)。
彼(彼ら)は、夢のうちに数々の言語(中国語など)を習得し、何ヶ国語を流暢に話せるようになっていた。
しかも研究記録に自分で発明した言語を用いている。
読む必要のある書物は読む前に内容が全て解ってしまう(こういう宗教家が確かにいた。それにしても羨ましい)。
その突出した能力がナチス(ヒトラー)に嗅ぎ出され、拉致されそうになるが巧妙に逃げ切る。
彼は言語学だけでなく、パスポートの偽造やギャンブルで目立たずに勝ち続ける能力も発揮して逃げ延びる。
彼は、言語の起源つまりは意識と時間の起源の研究のため愛しながらも分かれた恋人ラウラがいた。
彼女は彼に理解はもっていたが、「あなたはわたしとは別の時間を生きている」と言い残し去ってゆく。
その忘れえぬ想いと年老い生涯最後の一書(決定打)の残せない自らを深く悔いていた。
しかし、若返った彼は偶然ラウラ生き写しの車で旅行中の女性ヴェロニカに出逢う。
だが、その彼女も奇遇にも落雷事故に遭ってしまう。
彼は直感で事故現場に駆けつけ彼女を救い出すが、そのとき彼女は現世の彼女ではなかった。
彼女は異なる時間を生きている他者であったのだ。
サンスクリット語を操る彼女に密着し1400年前の北インドでまさに彼女の修行していた洞窟を探し出す。
彼女はその後、現世の意識を取り戻し、彼と恋に落ちる。
英語とフランス語とドイツ語を話す教師の彼女が、インドについて何の知識も経験もないのに、忽然とサンスクリット語を喋りだしその当時の環境や生活についても場所と物証が確認されたことから、インド哲学おける輪廻転生の実例として広く世間にも紹介されてしまう。
だが、ふたりの仲は深まってゆく。
そして、ともに時間を縦横に行き来する。
つまり想念がアクティブに錯綜する。
お互いに個を超えて。
「時間をどう扱うべきなのか、という問いはこの人間の存在する空間が如何に曖昧かを示すものである」と影の相棒の言葉である。
深く信頼し合い、彼としては、ラウラとは果たせなかった思いをようやく果たせると思ったのであるが、、、。
ヴェロニカ(ラウラの生まれ変わりか)は、運命的に彼の霊媒的存在として時間=言語を極限にまで遡行することとなる。
更に或る夜、エジプト語を喋りだし、ついにはバビロニア語を、そしてシュメール語まで口にする、、、。
後ひと息で誰も知らない最初の言葉~最初の意識~時間の始めに辿り着くところまでやって来た。
彼の野心は、声がはじめて意味をもった瞬間にまで遡り、その場を掴むことだ。
しかし、不覚にも大変な代償を払っていたことを知る。
ヴェロニカがみるみる年老いてゆき、もう秋まで生き延びられないかも知れなかったのだ。
かつての恋人ラウラとは研究に専念するために別れたが、今度は研究より彼女の身を案じて身を切るように別れる。
めくるめく、、、闇、月、漣、夜気、雪、雷、、、。
そして夢。
マテイは、失意のうちにかつて毎日のように通っていた「カフェ・セレクト」にまい戻る。
周りには、いるはずもない旧友たちが何と勢ぞろいして、彼を出迎えるではないか、、、。
「ようやく元気になってここに来れるようになったのか、、、」と。
これは夢に違いない、と彼は独り訝る。
夢を見ているとき、、、
自分は胡蝶として飛んでいたが、果たして蝶となって飛んでいた夢を見ていたのか、蝶が見た夢のなかにいたのか、、、と
眩暈に襲われる。
旧友に抱かれるうちに、いつしか彼は歳相応の姿に戻っている。
よろよろと独り喀血しながら店を出て、翌朝冷たく明け染めた街に凍死している彼が見出される。
極めて耽美的な絵であった。
ティム・ロス、アレクサンドラ・マリア・ララふたりの演技は圧倒的なものであった。
映画は、もう謂うことのない、希に見る傑作であった。
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