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娘の写真の整理

CIMG0872.jpg今回、使えない写真

実は、これに2日タップリかけている。
学校の生活の授業で、これまで撮った写真から5枚くらいをチョイスして休み明けに持っていくそうだ。
やり始めたはよいが正直、これはわたしにとって、大変な作業となっている。
(ブログを書いている暇もない(笑)。
娘たちの写真は、3歳頃は特に、ほぼ毎日ペースで撮っていたことが分かった(疲。
娘たちの写真専用サーバーから一枚一枚見ていくと、面白いことこの上ないが、終わりの全く見えない作業に巻き込まれたことに気づく。

その彼女らの動きがどういう情景~要因でなされたかも収めたいため、少し引き気味の写真が多めである。
動きの顛末がしっかり捉えられたものは、それなりに楽しいものになる。
それは良いのだが時折、親戚がわたしのカメラで彼女らを撮った顔のアップを見たとき、衝撃的な印象を受けたのも事実であった。
顔だけで微細に強度に訴えかけてくる精神的な動きが、確かに見えた。
外面的~運動原理における関係性を超えた微分的表情である。
別に全体を追うことなどないのだ。(これはこれでよいのだが)。
表情一つに雄弁に語られている事柄~事情がある。

この時期は、ひとにとって何もかもが発見である。
目の輝きが違う、、、われわれ大人とは、、、。
目の輝くのは、周りの様々なものがやはりキラキラ輝いているからだ。
(輝けるものがあって、輝ける。輝けるから、輝くものがある。これは同時の関係性にある)。

本当に活き活きしている。
瑞々しい歓びが暖かい波となって伝わってくる。
スタジオアリスで撮った、着物、ドレス、縫いぐるみと一緒に撮った幼い頃のものから、最近のピアノ発表会でのもの、、ホームセンターで鯛焼を頬張るもの公園で豪快に転げ回るもの、何故か川に入ってビチョビチョのもの、顔中ソフトクリームのもの、、、まで様々だ。
普段、直ぐに喧嘩になるが、ふたりで仲良く遊んでいる場面も少なくなかった。
それだけみると、小さなふたりで果敢に旅に出ているような光景に実際、見えてくる。
物語が生成される。
写真とはそういうものだ。
尽く、あらゆる意味を取り込んで物語を生産し続ける表面である。

赤ん坊の時の写真は、また殊の他、感慨深い、、、。
今でもよく覚えているが、次女は生まれたばかりの時は老賢者の顔をしていた。
まさにそういう風格であった。
その後、三日後くらいの間に、全てを最初からやり始めるといった赤ん坊の顔に魔法のようになっていた。
今でも忘れない、とても神秘的な体験である。
ちなみに長女は低出生体重児であったためNICUに入っており、わたしだけが白衣帽子マスクを付けて面会できた。
それは実に特権的立場に思えた。
長女はとても元気に暴れてなき声を精一杯あげていた。
看護師との日記で毎日のやり取りができた。
昨日のことのように覚えている。
今では、長女の方が次女より大きい。

ひとつひとつ丁寧に観てゆくと、こちらもその時の情景が浮かんでくるものが多い。
圧倒的に楽しいことが思い浮かび、吹き出すことも少なくなかったが、妙な事態についても思い出した。
お祭りで、うち(わたしは関与してない)が役員をしているとき、子供神輿をはじめて担ぐ娘たちの勇姿をここぞとばかりに写真に収めようとしていた際、背後で何やら声がする。動いている大事な被写体を追って集中しているさなかの事である。
それどころではない。わたしはやるべきことに集中した。子供神輿の移動距離などほんの僅かなものだ。
今回写真を確認してみると結構良く撮れている。これについては、満足だ。
後で思い返すと、わたしに何者かがしきりに呼びかけているみたいであった。
普通、まさに今真剣にピアノを弾いているひとに向かって話しかけたりするか、、、?
何か用があるなら、こちらの仕事がキッチリ終わってからにしてもらおう。
異常な経験であったが、撮り終えた時には何も見当たらなかった。
下手をすると振り向いているうちに大事なシャッターチャンスを逸するところであるが、わたしはそんなヘマはしない。
(きっとタヌキか何か物怪の間の抜けた仕業であろう)。

写真は音楽と同じように、時間の芸術である。
まさにそう思う。
同じ光景と思っていても、一秒のズレでどれだけ変化したか分からない。
まだ「場」について本質的には解明されていないことが多すぎる。


写真というものは、きっと場とのせめぎあいに、身を置くことなのだ、、、。



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