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ファンタスティック・プラネット

La Planète sauvage

La Planète sauvage
Fantastic Planet
1973年
フランス・チェコスロヴァキア合作

ステファン・ウル『オム族がいっぱい』(Oms en Série)原作
ルネ・ラルー監督・脚本
ローラン・トポール脚本


イラストレーター、ローラン・トポールのイラストを切り絵アニメ映画にした。
セル画とは、全く違う文法である。動きと流れが独特のリズムである。
異なる表現形式を見た思いがする。
斬新で既視感は、ほとんどないのに郷愁を感じる、、、そして紙芝居にも通じる癖のある表現だ。
オム族hommes(人間)やドラーグ族の顔のアップになる度、ほぼ静止画状態となるところがまた印象深い。
オム族は形の上でそのまま人間であり、ドラーグ族はその10倍位以上の身長を持ち、彼らの1週間はオム族の1年に匹敵する。
やはり大きいものの方が長生きなのだ。その間、オム族は頻繁に子供を作って増えてゆく。
ドラーグ族によるオム族の駆除も彼らの社会問題として度々会議の議題に載せられているところも面白い。
物語は、飼い主のドラーグ族の少女にTerreテールと名付けられたオム族の赤ん坊が壮年を迎えるまでの、両族間に繰り広げられた奇妙な葛藤と攻防の世界を彼の目から描いていく。
それ程細やかな動きではないため、逆に想像力を働かせる必要があり、かえって意識的な鑑賞が出来た。

舞台であるイガム星に棲む様々な動物も奇想天外と言ってしまえばそれまでだが、独特の癖があり、米英や日本からはなかなか出てきそうもない形体ばかりであった。特に大きな鳥状の化物の形体は飛んでおり、オム族(人間)に殺されたあとの絶命の仕方もユーモラスで、他の生物やドラーグ族の放ったオム族殺戮兵器の形状や動きなども、なる程と思いつつ吸い込まれるように見入ってしまう。
オム族を玉がコロコロ転がって貼り付けていったり、殺虫ガスを振りまくタブレットみたなものを次々に撃ちだしたり、掃除機で吸い取っていったり、スプレーを撒いて回るロケットとか、、、戦いというものではなくこれは駆除だ。
やはり虫相手である(笑。兵器という感じのものは出てこない。

シーンとして一番面白かったのは、ドラーグ族が4人並んで座って瞑想に耽っている場面である。
彼らの身体の形や模様、色までが、その瞑想のリズムに同調して、、、というより瞑想そのものの変化として、生成されている画像~イメージには、ちょっと驚き恐れ入った。
奇妙さにおいては、やはりヒエロニムス・ボッシュの系譜である。独特の感触(まるで異星の文化)を感じる。
ディズニーやジブリアニメにばかりに親しんでいては、まずいぞと思わせるに充分である。
特に3Dの力技でド迫力で攻めてくる近頃のディズニーのある意味、対極に見える。
大変平面的で、シンプルなのに味わい深い。

確かにアニメーションは、その形式を問わず、作風は幾つもある。
ロシア作家のユーリ・ノルシュテインも切り絵による動画であった。
これは、極めて詩的な作品ばかりであったが、、、タルコフスキーを生んだ国である。まさにそういう作品であった。
また是非、近いうちに見直したい。
山村浩二作のアニメーション映画『カフカ 田舎医者』も鮮烈なアニメーションであった。
あの細かく動勢そのもの、生きた線が作ったような作品、、、思い出した、、、。

ルネ・ラルー監督~ローラン・トポールイラストの本作品はそれらとも、全く異なるセンスのものである。
ありそうで、滅多に見ない映像作品と言える。
形式的な面ばかりに目が行くが、、、その内容・要素をとっても、どことなくユーモアや違和感、そしてリアリティがあって面白い。

ドラーグ族の生態などとても奇妙で惹かれるものだが、瞑想時の目の変容にとても説得力を覚えた。
昆虫的な魅力である。
巨大な彼らにとって、オム族(人間)は下等な虫けらに過ぎず、ペットに飼われていたり駆逐されたりする対象であったが、彼らに飼われていた人間が彼らの学習用レシーバーから知識を吸収し、それを元にオム族用の身体に最適化したテクノロジーをもって組織的に機械を開発し、ついにロケットまで作るに至る。
彼らは他の星~ファンタスティック・プラネットに着陸し、そこで支配者ドラーグ人の生殖の秘密を握り、その場を破壊し彼らを存亡の危機にまで陥れる。
それまではオム族(人間)を粛清対象としか見なかったドラーグ族をオム族との和平交渉に引っ張り出す。

階級闘争そのものである。
か弱いオム族(人間)が、権力側の知と技術を利用して階級転覆を見事成功させた。


知識体系をもって文化を築いているドラーグ族が瞑想に多くの時間を費やしているのが興味深い。
高い科学力や殺傷機器の開発力をもつ彼らのもっとも力を入れているのが瞑想時間~儀式なのだ。
どうやら、他の星~ファンタスティック・プラネットにも精神だけ瞑想状態のうちにやってきて生殖活動を行っていたようであった。
(体だけの巨大人体がギリシャ彫刻のように沢山たっていて、そこに球体状に乗り移ってダンスするという、奇想天外というかシュルレアリスティカルな!)
そこをオム族に突かれたのだった。逆転勝利である。

オム族は新しい人工衛星Terreテール(地球)に移り住むことになったようだ。

La Planète sauvage002

見て損のない体験が出来た。

ドラーグ族は昆虫似ではなく、爬虫類に似ている。
ちょっと誤解を招く書き方をしたか、、、。
爬虫類が知能を高めたらどうなるか、これは時折真面目に考えられるテーマであるが、こんな感じになるように思われる。
そして、飛び飛びに3箇所で瞑想のことを書いたが、爬虫類はよく瞑想していそうな顔をしている。
知的に高度になれば瞑想を主体にしそうな人々である。

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