ギフト

The Gift
2000年
アメリカ
サム・ライミ監督
ケイト・ブランシェット、、、アニー(カード占い師)
ジョバンニ・リビシ、、、バディー(精神を病む自動車整備工)
キアヌ・リーヴス、、、ドニー(DV男)
ケイティ・ホームズ、、、ジェシカ(街の名士の娘)
「天賦の才」である。
このように何かが見えてしまう人は確かにいるようだ。
吉本隆明が説くところでは、受胎5ヶ月目から獲得する胎児の内的コミュニケーション(言語以前のコミュニケーション)能力をそのまま鋭敏化した人がそのような能力を形成しうる、という。
カードはその能力を発動するためのガジェットか。
何にでも、スウィッチが必要である。
つまり、オフのための。
日常生活の中で常に見えてしまってきては、生活者~人として破綻してしまう。
主人公のアニーは夫を事故で亡くし3人の男の子を女手一つで育てていた。
生活費の足しに、商売(占いの商売は禁じられている)としてではなく、お礼という形で金品をもらいカード占いをしている。
しかし、見た限りでは寧ろ精神カウンセラーに近いことをしている。
だが、ジェシカの失踪を巡り、「天賦の才」が炸裂する。
(しかし、この能力、自分を寧ろ生き難くする厄介なものでもある。危険ですらある。実際殺されかけている)。
来るはずのない祖母がりんごを持って唐突に現れ、すぐに嵐が来ることを告げ「あなたの能力を活かすのよ」と言って消える。
最後には、自殺したバディーがハンカチを返し「いつまでもこの街の人々の救いになってあげてください」と言って消える。
まさに「天賦の才」を大切に活かしなさいと言いに来たのだが、、、。(片田舎の保守的環境でカード占いをやっていたら、当然風当たりは強い)。
この辺の現象は夢の中では誰にでもありうるにしても、ここではリンゴやハンカチの物体は現実に残されている。
透視能力や予知能力に留まらない、一種の霊能力だろうか。
白い百合が花を手に取った瞬間黒く枯れてしまったり、蛇口から垂れる水滴が血に変わるところなどは、何とも言えないボーダーの現象であるが。
この辺の撮り方~演出は、細かい場面で効いており、流れ全体の緊張感を次第に高めてゆく。
風景の撮り方、幻視など、この監督特有のダークで深みのある光景である。
しかし、場面の絵が滑らかに繋がっていないと見える部分が幾つかあった。絵が繋がらないのだ。
これは、映画が様々な場面を前後して撮るところからくるものであろう。が、編集時にチェックはするべきだ。
わたしがこの映画で感じたことは、人との関係をこのような特殊能力を介して行うことの、難しさ大変さ、である。
小さな街ほど、違う者を認めない。
しかもその能力、自分自身に対しては使えないとのこと。
自分の欲得に使えれば、わたしなら株でボロ儲けし、ビバリーヒルズに引っ越すが。
占いの顧客もきっと気前がよい(笑。
この映画のもうひとりの主役バディーの行動~言動は、大変説得力があった。
彼がいなかったら、随分フラットな映画となっていたはず。
しかし彼のような人の相談に乗るとなれば、中途半端は許されない。
そしてかなりの長期戦を覚悟してかからなければならない。
ここでのアニーのバディーに対する接し方は、彼に幼少期のことを思い出させ考えさせるやり方も含め、適切だったと思うが、多忙さから彼の退っ引きならない事態に関われなかったことは悲劇であった。
こういったケースは通常、精神科医でもなかなか手に負えない。
息子が亡き父親の写真を観て寝ていたことを彼のベッドで確認する。
彼は学校でよく喧嘩しており、家でも何も喋らない、こころにえも言われぬ衝動を抱えていた理由を彼女は知る。
翌日、4人で父親の墓参りをする。
その彼が母親に抱きつく。
ずっと続いていた暗い光景が一気に晴れ渡り、これから先に希望を感じさせるところで終わる。
ケイト・ブランシェットとジョバンニ・リビシの演技がこの映画を支えていた。
この2人が別の役者であったら、、、かなり厳しかったかも知れない。
音楽も的確な演出効果を控えめに醸していた。
興行収入はかなり良かったようだ。
成功作である。
工芸は現代アートになる Ⅱ の記事において「工藤直先生」の名を「小川待子先生」と表記し間違えていました。
お詫びして訂正させて頂きます。