君の名は。

Your Name
2016年
新海誠監督・脚本・原作
声:
神木隆之介、、、立花 瀧(高校生)
上白石萌音、、、宮水 三葉(女子校生)
長澤まさみ、、、奥寺 ミキ(瀧のバイト先の先輩)
市原悦子、、、宮水 一葉(三葉の祖母)
ここでも声優ではなく皆、俳優である。
(声優はやってゆけるのか、、、心配になる)。
しかし、この4人は上手い。
特に、上白石萌音とは何者か?歌もべらぼうに素敵だし。
(神木くんは前から良いし、長澤まさみに関してはピッタリである。市原悦子はもう溶け込んでいた)。
「君の名は。」と、丸がつく。佐田啓二と岸惠子主演映画とは、ここで差別化する。(この映画も見てみたい。母親世代のものである)。
誰そ彼と われを名問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれを
万葉集
黄昏時は、時間が結晶化する。
こんなとき、ほんとうに逢うべきヒト同士が地続きにいる。
夢と現の間である。
口噛み酒を祀った祠のあるクレーターが1度目、「片割れどき」という方言の元となった落下で2度目、そして今回が3度目。
その落下の時に糸守町の宮水神社の少女~巫女が同年齢の他の土地の男の子との入れ替えが起きる。
彼女のおかあさんもおばあさんも彼女の入れ替わりに気づいている。
自分もかつての経験者であるからだ。
しかし夢から覚めるように今はもう何も思い出せないという。
喪失感なのか郷愁か、、、。
われわれは常に忘却してしまった大切なことを、それが何であるか分からぬまま気にし続けて生きている。
(現存在は死を気にしているだけではない)。
その琴線に見事に触れたアニメーション~物語だ。
ここでとても沁みる点は、入れ替わり、という謎の現象により、相手を知るという事態である。
その相手が生きる環境とその取り巻く人びとに戸惑いながらも好奇心と冒険心をもって関わり、彼らを通してその相手を知ることで、愛おしむように深くその相手を知るようになるという事。
ここではしかし、男の子と女の子は厳密に対象性にない。女の子は家族とその系譜にまで遡る歴史性まで顕になるが、男の子は現時性とその個体性のみ。双方ともに母親が不在であることが精神的な親近感を持ちやすい要素になり得るか。男の子の方はある意味触媒に過ぎない。あくまでも女の子の方が事体を変える主体として働くためだ。
3年前のティアマト彗星の核分割した破片の墜落による飛騨の山奥、糸守町のほとんどの消失。
そこに住んでいた三葉の、、、何が入れ替わったのか、、、こころ、としておこう、が瀧と入れ替わる。
三葉の異能の作用によるものだが。
しかし、ヒトの記憶のほとんどは身体にもっている。このへんのちぐはぐさは大丈夫か?
肝心要の「入れ替わり」の身体事情が身体論的にいまひとつしっくりこない、、、が、ここでは追求しない。
最初は2人とも、夢であると思いつつ生活してゆく。(しかしこれが現なのだと、はたと認識するに及ぶ)。
ただ、幸いなことに2人の周囲の人々は「良い人」ばかりであった。
違和やズレ、はみ出しを追求せず、暖かく適度な距離感で受け入れてゆく。(実際、村でそれが可能かとは思うが。うちの地区ではダメである)。
驚き戸惑い呆れながらも新たな自分を楽しんでみようという余裕と好奇心が自ずと生じてくる。
それでなければ、精神に異常をきたす可能性の方がはるかに高いはず。
まずそうはいないと思われるが、奥寺先輩という存在は2人にとって、かなり素敵だ。
こんな先輩がいたら、人生に勢いがつく。もう一頑張りが効く。
決して小さくないことだ。
相手に何とか逢いたいと思う気持ちは、こんな関係であれば更に強まるものだ。
距離~空間ではなく、時間が隔てているのだ。スマフォの電波は届くはずもない。
時間が身体を文字通り隔てている。全く逢えないのと相手に成ってしまうことは同義である。
(ここではスマフォのスケジュール帳にメッセージを残せることが互が存在している~入れ替わりを間接的に知ることに役立つが)。
それと、瀧の知る前(入れ替わり事件前)に三葉が電車で渡した「組紐」。
「君の名は?」で、、、ある。
瀧がすることが、場所の絵を描くこと。風景というより場所である。
記憶術にもあるが、記憶こそその場所に宿るものだ。
彼は場所に拘る。恐らく手がかりに詰まれば、それしかない。
どうにか思い出したいとすれば、その手段以外に何かあろうか、、、。
就活でも場所に関係する建築業(建築デザインであろうか)を選んでいたと見える。
一度は三葉も含め、糸守町の500人を越す犠牲が出てしまうが、再び瀧はかつて入れ替わった時に観た場所の絵を頼りに祠まで辿り着き、そこで、三葉の口噛み酒を呑む。それは彼女の半分の存在を取り込む行為~儀式であった。
再び入れ替わりが起こり、三葉である瀧は友人と手分けして村人の救出に奔走する。
その結果、村のほとんどの人が奇跡的に助かることとなり、史実がここで書き換えられた。
2人はクレーターの外縁部~さかいめをお互いの名前を呼び合い走るうちに黄昏時を迎える。
ここで、お互いを知った上で、はじめて2人が向き合うことが実現する。
(この「出会い直し」、民俗学的な出逢いでもある。小さな国生みにも繋がった)。
しかしこんな時こそ、たわいのない冗談くらいしか出てはこないものなのだ、、、。
お互いを忘れないようにと、ペンで掌に名前を書き合おうとした時に、、、
クライマックスに掌に書いた文字にスクリーン上の2人だけでなく館内の全員の視線が息を潜めて集中するのに気づいた。
実に上手い運びだ。
黄昏時は、しかしほんの一時であける。
三葉は、はじめからいなかったように影も形もなかった。
この空虚、残酷な孤絶感、喪失感は如何程のものか、、、。
(思えば、自分の幼少期の記憶にも接触する空気でもあった)。
最早、何があったのか2人とも思い出せない、、、そのことにもがくが、、、それも忘れてしまう。
夢から覚めたかの如くに、、、一度は書き換えられた日常が続く。
これに似た時間劇に「リターナー」があったが。
このアニメーションの方が、設定とプロットに破綻がないうえ、ずっと物語が壮大で複雑に構成されている。
それから5年後(彗星事件から8年後)、得も言われぬ喪失感を引きずりながら生きる2人は、偶然すれ違う電車でお互いをはっきり認め合う。
すぐにそれぞれの電車を降り、相手を探し求めて走りだす。
そしてついに階段の上と下とで同時に相手を見つけた。
徐に下り、登り、階段の途中ですれ違い、そのまま黙って分かれる、、、だが、、、2人の目からは、夢から覚めた時の涙が溢れ出していた、、、。
娘に見たいと言われなければ、一生見なかったかも知れない。
世間受けがよく、何か青春ラブストーリーじみたCMを見て、全く行く気など起きなかった。
観て正解であった。わたしがこれまでに観たアニメ史上No.1であった。
惜しむらくは、長女がコーラを飲みすぎて(ポップコーンも食べ過ぎていたが)終わり間際にトイレにたったことだ。
今後、うちでは絶対に映画館での飲食は禁止にしたい(惜。
この映画の曲も歌っているが、これは別だが歌唱の特徴がよく出ていると思われる。
上白石萌音「「366日」short ver.」
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