Re:名前のない遊び

一部引用を考えたが、やめた。そのままがよい。
名前のない遊び
ハイデッガー的な「遊びと余裕の幅」をこの方らしく詩的に優しく綴られている。
一口に「実存」を前提に、遊びがある。
機械の様々なジョイントにも遊びがある。遊びがないと壊れてしまう。
精神医学(臨床心理学)上においても遊びは病いの予防と治癒におおきな役割を果たしていることが伝えられている。
遊びの古語の意味に、心のままに動きまわる、水中で自由にふるまう、、、澱まず流れる、、、などがある。
水そしてその流れ~イメージがどうやら、遊びの本来の意味に関与していることは分かる。
水~液体は象徴的だ。
水の変幻自在なちから。
全てに染みわたり、、、形骸化を打ち砕く。浄化する。
それは、遊・聖・狂をも行き来する、、、。
いまや宇宙探索において生命(他者)発見の希望そのものでもある。
水に対する畏敬と憧れそして何とも言えない安らぎ、、、。
わたしがはじめて友人と作った同人誌名が”Aqua”であった。
懐かしい。
懐かしい遊びの場であった。
どのような形式の遊びが可能か、、、これを投企と呼んでよいのでは、、、。
才能と狂気(苛烈な感受性)によって作品を制作する遊びは、兎も角スリリングな至高体験となるはずだ。
それが時代の無意識に触れ、言語化(象徴・イメージ化)できたなら、普遍性も帯びよう。
発明と言っても良いものだが、同時に環境との調和も得られる。
既成の宗教に関わらずに、法悦を味わえるのは、やはり芸術という遊びか、、、。
特にだいそれた傑作でなくとも、制作者は癒される。病は解放される。これは、おおきい。
制作によって深みに嵌ってゆくように見られたヒトも、制作に関わらないでいたなら、単に病院に収容されて死んでいただけかもしれない。
確実に豊かで充足した内容の生を生きていたに違いない。
そして
最終的には、、、
あしひきの岩間をつたふ苔水の
かすかにわれはすみわたるかも
、、、この境地にいたい、、、。