マシュー・フィッシャーに捧ぐ Ⅱ

11/20の「マシュー・フィッシャーに捧ぐ」
に対して頂いた「返歌」の最後の一部をここに転載したい。
エストリルのクリスマスローズ様から
少し疲れたこころに
そっと寄り添ってくれる
そんな
不思議な包容力があるみたい
小さな痛みは
いつのまにか
彼のサウンドに溶けて
優しく照らす
月光の下に
消えていくよう…。
これはことばでまさに彼の音楽を表している。
こんなことばがライナーノーツに書いてあれば、わたしも読む。
より曲がピュアになる。
より心が聴こえてくる。
わたしは、レコードについてくるライナーノーツは、9割がた読んだことがない。
勿論、マシュー・フィッシャーのものは、100パーセント読んでいない。
余計なものが被さって、音を聴くための障害になるのが嫌なのだ。
蘊蓄や楽理的な分析や果てはどうでもよいエピソードなど、、、邪魔である。
(というわたしもついついその手のものを書きそうになるのだが、、、すでに少し書いてるか?)
この方のブログにいつも驚く事は、膨大な造詣よりも、文体~ことばの美しさである。
その散文詩的な律動がまず、琴線に触れてくるのだ。
心地よいそよ風の如くに、、、。
では、そのことばは何処から来るかというと、恐らく稠密に畳み込まれた智の地層からおいしい水のように溢れてくるのだ。
それが無味乾燥な論文調にならず、詩情溢れるものとして結晶するのは、ご本人の芸術的資質によるところがおおきいはず。
特に音楽性が深く響いていると感じられる。
わたしは、単なる論文を読みたい気分でなく、かと言って認識のキラメキのないものに関わりたくない時、この方の記事が実に心地よい。まさに真善美を満たす清らかな楽曲である。
やはり芸術性に裏打ちされた智~哲学こそが、身体的なレベルからの覚醒を呼ぶものであると想う。
この方と音楽を語りたいものだ。
いや語るべきものでもないか。絵も語るものではないことを、先だっての某ギャラリートークで嫌というほど悟った。
しかし、それを知った上で、何かが語れるはずである。
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