マシュー・フィッシャーに捧ぐ

ナイーブでセンチメンタルで夢見がち、、、彼は少年時代あの「ネモ船長」に憧れていたらしい。
やはりマシューも海賊の一員であることは確かだ。
トワイライトゾーンに浸りメランコリックな気分に酔ってみたくなったら、、、
マシュー・フィッシャーをターンテーブルに乗せたい。
(CDではない、、、と謂いたいところだが、パソコンに取り込んだ音でもなんでも、、、)。
確かにヒットする曲はない。
そういう曲ではない。
太陽と青空ではない。ギラギラしたアーティフィシャルな照明も似合わない。
月明りの下にチェアを出して聴きたい。(特に5枚目)。
マシュー・フィッシャーのアルバムは、調べた範囲では現在、「旅の終わり」(ジャニーズエンド)も品切れ絶版状態のよう。
2枚目~4枚目も全く店舗にもWeb上にも見ない。流通網からは姿を消した。
1枚目の”ジャニーズエンド”と2枚目の”アイルビーぜア”を一種に詰め込んだCDアルバムは見かけたことはある。ディスクユニオンで。しかし、もう在庫があるかどうか。事実上絶版状態ではないかと思われる。
同じく、3枚目”マシュー・フィッシャー”と4枚目”ストレンジ・デイズ”をひとつにしたCDは、まだ買えるところはあるようだ。新品は期待出来ないが。
また、5枚目の異色アルバムはわたしもCDだけで持っている。
このアルバムは輸入盤を扱っているところなら在庫はあるのでは、、、。本来の?マシューとは異質感があるのだが。
彼のLP版は、今や我が家の宝である。
(こういう燻し銀系アーティストは買えるときに買っておかないと一生手に入らない危険性はある)。
やはりファーストが良い。ジャケットも趣深い。
ここでの極めつけは、Separationである。
マシューの音楽の魅力がこの1曲に凝縮されていると言っても過言ではない。
そしてHard to be Sureのフラジャイルなガラスのような余りに純粋な曲。
ここが、彼のヒットとかセールス度外視の部分がよく表れている。
気取りやケレン味が全くないのだが、プロのミュージシャンとして余りにそれがなさすぎ心配になる彼らしい曲。
最後のJourney's Endはもうプロコルハルムのマシューだ。彼のロマンが溢れ昂まり充満してゆく。
(ソロになってつくづく思ったのだが、彼はやはりビートルズのホワイトアルバム以降のジョージ・ハリソンみたいに、グループ内でアルバムの2,3曲際立つ傑作を作るポジションがとても合っているのではないだろうか)。
セカンドは、ナイーブで繊細な歌を切々と聴かせるアルバムである。
Not Her Faultは、そのなかでも一際切なくリリカルな名曲である。
恐らくこの曲は彼でないと作れないHard to be Sureの線を行く無防備過ぎる曲だ。
しかし、こころにひりつく類まれな名曲に違いない。
Do You Still Think about Meは取り分け淡々とした内省的な彼のボーカルが染み込む。
I'll Be Thereでドラマチックに幕を落とす。
サードは、よく出来た曲で埋められている。
だが、ここで彼のアルバム(曲)がセールスに結びつかないことも何となく理解する。
これまでもNot Her FaultやHard to be Sureなどはプロデュースやプレイヤーによっては、スマッシュヒットに持っていけるポテンシャルは充分に感じた曲なのだが、どうもこのアルバムも同様の原因で残念なものを感じ、インパクトが弱い。
Only a Gameなどヒットしてもおかしく無いポップチューンだ。
Why'd I Have to Fall in Love with Youはマシュー全曲中最もポップ性が高いかも。
そう、聴いてみるとどれも相当レベルの高い曲ばかりである。
ただ、演奏の質が、、、特にドラムに問題がある。
マシューのハモンドオルガンと彼のボーカル以外に、後は取るところがない。
問題が露呈したアルバムというか、漸くわたしも気づいた課題というところ、、、。
4作目は2曲を除いてC.T.White(元ゾンビーズのベーシスト)との共作。
共作によって新しい血による化学変化は得られたのでは、と期待する。
Something I Should Have Knownでいきなりそれを感じたが、美しくマシュー独自のリリカルさの極まったSomething I Should Have Knownで、これはと想う。
その後にはハイテンポのポップなナンバーが続く。アルバムの流れがこれまでより自覚的に工夫されていることが分かる。
マシュー節は健在なまま、少しばかりコンテンポラリーな位置に近づきブラッシュアップした気はする。
だが、何というか危なっかしいまでの瑞々しさは、いまひとつ影を潜める。
Desperate Measuresは、共作ではないが、これまでの殻を破ろうとかなりハードに無理をしている印象を受けた。
Can't Stop Loving You Nowも彼だけの曲だが、リリカルで素人臭い彼のバラッドではなく、やけに拵えたムーディーさなのだ。
高音の伸びる艶やかな綺麗なボーカルでオルガン(ここでは然程弾いていない)も良いのに、やはり微妙だ、、、。
コンポーズも決して悪いわけではない。
演奏の面からいっても、この人はプロコルハルムにいた方が曲の質自体が二段階は高まると凄く思う。
(プロコルハルムの演奏レベルは高い。特にこれまでのドラムは格別)。
ソロになると、その辺、不自由するんだろうか、、、。
Strange Days、、、新しいマシューの素敵な曲ではある。
5作目は、何と自宅で打ち込みレコーディング。最初聞いたときは、こんな曲想で~と示す為のデモテープ版かと思った。
それは、アルバムジャケットが余りの情けなさで(正直、何だこりゃのレベルで)、そこからくる先入観にもよるものであった。
しかも、のっけからこれまでのマシューから考えられないサウンドであったから、、、。
とは言え、聴いてみると実によくできたものなのだ。(頭からあのジャケットを振り祓って、、、)。
こういうマシューのサウンドもあるんだと、、、ちょっと唖然とした。きっとかなり思い切ったのだ。
暫く放置した後で改めて聴いて気づいた。(兎も角、ジャケットデザインが凄まじく悪かったせいだ)。
かつて、フォーカスとムーディーブルースがデモ作りの途中といった感じの曲を未発表曲集アルバムとかで出されてしまい、彼らの輝かしいキャリアに泥を塗ることになってしまったが、一瞬そんな類のものかと想像してしまったのだが、、、。
しかも、ハモンドオルガンかピアノ以外弾いてこなかった(公には)はずの彼が、ギターを弾きまくっているではないか。
勿論、専門外の楽器でも自宅で趣味で演奏するような事はいくらでもあろうが、アコースティックについては、かなり様になっている。エレキギターについても危なげはない。少なくともブライアン・イーノやピーター・ハミルより上手い。その点では安心して聴ける。
できれば、盟友ロビン・トロワーにエレキだけは任せるとかした方が、サウンドの奥行はずっと出たかも知れないが。
彼はブルースギターの天才であるが、どんな曲想にも合わせてくれるはずである。
まあそれを言ったら、マシューのソロアルバム全てに言えることだが、ドラムが酷い。5作目の打ち込みドラムの方がスッキリしていた。
プロコル・ハルムが何故あれほどの奇跡とも言える大傑作アルバムを出し続けて来れたかといえば、その大きな要因のひとつが、バリー・J・ウィルソンの卓越したドラミングによることは間違いない。
ドラムがダメだと曲が成り立たないことは、色々なアーティストのアルバムを通じてずっと感じてきた。
低予算で制作したためか、、、しかしマシューには重厚なリソースがある。それを使わない手があるか?
何故、ロック界一の天才ドラマー、バリー・J・ウィルソンに頼まないのか、と思ったことは確か。
惜しくも彼は1990年に交通事故で亡くなってしまったのだが、4枚目のアルバムまでは付き合って貰えたのでは、、、。
現に、ゲーリー・ブルッカーのソロアルバムでは、いつものテクニックを披露している。(彼の最期の仕事となった)。
(バリー・J・ウィルソン死後、またブルッカーとマシューはよく一緒に仕事をしている。ブルッカーのソロでも、作曲がブルッカー=フィッシャー=リードなのだ。おまけにプロデュースも担当している。彼らは1991年にグループ再結成もしている。”The Prodigal Stranger”はゲーリー・ブルッカー=マシュー・フィッシャー=ロビン・トロワーに詩人のキース・リードの最強メンバーである。バリー・J・ウィルソンがいないのが凄く寂しいが)。
Separation
Why'd I Have to Fall in Love with You
Do You Still Think about Me
Hard to be Sure
Only a Game
Not Her Fault
I'll Be There
Journey's End
Without You
Something I Should Have Known
Strange Days
更にこれに加え異質に聴こえた5枚目、、、。よく聴いてみると彼の最高傑作かも知れなかった。
打ち込みのプライベート風作品で、もう閉まった後の月の光で煌く遊園地みたいな曲集である。
Nutrocker、、、吹っ切れたマシューの存在を感じる。
Dance Band On The Titanicは、はっきり言って前4作のどの1曲目より惹きつけ、これからに期待を抱かせる名曲である。
それに続く2曲目タイトルのSalty Dog Returnsも素晴らしい。(何故最初に気付かなかったのか、、、それはこの頃流行っていたヒーリングミュージックにサウンド的に妙にダブってしまった為もある、が明らかに異なる)。Strange Conversation Continuesが異質に感じたアルバムの代表的な曲であるが、その電子音(テクノ)サウンドはジュール・ヴェルヌのSF小説に近い疑似(魔術的)科学のイメージに充ちている。あのノーチラス号のときめくメカニック。であれば、やはり原点回帰なのだ。まさにSalty Dog Returnsである。Linda's Tuneでその確信を得た。
最終曲Downliners Sect Manifestoはコミカルで硬質で、もの寂しい郷愁のうちに終わる。
これまでのロマンチックで厳かなフィナーレとは明らかに違う。
スケールを絞って、逆に遊星的な孤独と郷愁を描いている、、、。
おっと忘れるところだったが、ボーカルは一切ない。やはり新境地だ。
、、、いつ聴いてもとても孤独で寂しく、心地良い。とても心地よい。
コンテンポラリーな要素というよりメランコリックなロマンがしっとり息づいている。
車に乗って爽快に飛ばしながら聴くヒットチューンはないが、月夜の静かなひとときに植物と一緒に聴きたくなる、、、。
やはり、わたしはマシュー・フィッシャーが大好きだ。
改めて聴いてその意を深くした。
わたしは、マシュー・フィッシャーが大好きだ。

オルガンを弾くネモ船長
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