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怒りの葡萄

The Grapes of Wrath

The Grapes of Wrath
1940年
アメリカ
ジョン・スタインベック『怒りの葡萄』原作

ジョン・フォード監督

ヘンリー・フォンダ、、、トム・ジョード
ジェーン・ダーウェル、、、トムの母
ジョン・キャラダイン、、、ケーシー


『怒りの葡萄』である。そのまま。

トム・ジョードは、どのような認識をもって帰ってくるのだろう、、、。
また、家族の元に戻って来るのだろうか?

夜、家族を残して立ち去る前に、彼の母親に語る最後の言葉が、胸に迫った。
こんな言葉の放てる人だったのか、、、彼は。
最後に見直した。
「出てゆくのは分かった。でもお前の消息をわたしはどうしたら知ることが出来るの?」
「ケーシーは人の魂はひとつの大きな魂の一部に過ぎないと言っていた。」
「ぼくは、母さんの見えるところ何処にでもいるよ。」
「飢えで闘う人がいればその中にいる。」
「警官が人を殴っていればその中にいる。」
「怒り叫ぶ人々の中にも。」
「食事にありついて喜ぶ子供たちの中にもいる。」
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
「ぼくは、暗闇の何処にでもいるよ。」
トムは完全にケーシーの後継者であり、彼の意思を継いでいる。
彼の友ケーシーは、民衆を搾取する権力に殺害された。
所謂、赤狩りである。
トムも初めはケーシーの語ることに深く耳を傾けず目先の利益にばかり拘っていた。
(ケーシーは牧師を捨てた今や何でもない抽象的な存在であったことから世界を俯瞰的に観る視座を持ち得た)。
トムについては無理もないことである。
飢えて死ぬかどうかの瀬戸際の毎日をただの労働者として送っているのだ。
日常の労苦に浸り込んでいる為、構造に関する洞察をする余裕がないのは仕方ない。
その構造を分析している人間の言葉がスっと入ってくるとは考えにくい。
しかし、現実はケーシーが考えていた通りとなった。
トムは「彼がぼくを導くランプの輝きだった」ことを悟る。
資本家が労働者を搾取する構造である。
上(その元)を探ってゆくと、結局だれもその大元の存在など知らないのだ。
だからその人間をやっつければ何とかなるものではないことにトムは気づく。
そして「あちこちを渡り歩いて答えを探したい」と。
ずっと不条理に思ってきたことが、はっきり対象化され彼の言葉に結実しはじめた。
このまま政治思想の闘争(階級闘争)に入ってゆくのかどうか、、、。


経済恐慌(農業の大規模資本化)と砂嵐(ダストボール)のお陰で故郷を捨てなければならなかったことは、その家族にとっては過酷で悲惨な運命である。
故郷のオクラホマを断腸の思いで捨て、カリフォルニアに新天地を求めポンコツトラックに家財と家族全てを乗せ、大変な苦労の末、たどり着く。それまでに祖父と祖母がその地を見ることもなく他界する。
壮大なロードムーヴィーである。
主人公の認識と内面が様々な試練のもとで変化してゆくありさまが描かれている。
彼の母にしても「土地があったから家族の結束があった。でももうばらばら、、、」と嘆いていたものだが、「男は不器用でいちいち立ち止まる。人の生死に動揺し土地を失って落ち込み、女は川の流れのように常に流れている。途中に渦や滝があっても決して留まらない。それが女というもんさ」という強靭な精神を獲得している。
父親が気弱に「それにしてもいつもひどい目に合うもんだな」と吐けば、「だから強いのさ。庶民は雑草のように強い。だからわたしたちは決して絶えることなく永遠に続くのさ」である。もう無敵だ。
これでアカデミー賞もらえないはずがない。

トム・ジョードは、どうなったのか?
どんな風に帰って来たのか?


オクラホマだって映画のなかでも言っているが、たかだか70年前に住み着いた土地だ。
先住民を追いやって、アイルランドまたはイングランドから侵入して好き勝手に土地を略奪して繁栄してきたのがアメリカの歴史である。ある意味個々の家族にフォーカスすれば、彼らは国家政策の犠牲者であり、まるで難民であるが。
もはやその次元にいるわけではあるまい。

今度は、メキシコとの国境に高い壁を設ける等という事を平気で最高指導者が言っている(単なる選挙戦での扇動だとしても)。
アメリカである。


マシュー・フィッシャーのソロアルバム"I’ll Be There"の同名のラストの曲で、"I’ll Be There"がエンドレスにリフレインされてフェイドアウトしてゆくが、トム・ジョードの最後の語りもまさに、そのリフレインであった。
急にその2つが重なりあってきた、、、。

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