ボッチョーニ!

マルクス主義のアナキスト!
未来派メンバーには他に、カルロ・カッラ、ルイージ・ルッソロ、ジャコモ・バッラ(師匠)がいる。親しい友達はジーノ・セベリーニ。一緒にマルクスとニーチェを読む。
ボッチョーニも理論家であるが何よりも詩人のマリネッティ(未来派宣言)の影響が大きい。
「戦争は美しい!」
「戦争は世界で唯一の衛生学である」
「唸りを上げるレーシングカーはサモトラケのニケよりも美しい」
「攻撃的でなければ傑作とは言えない」
ボッチョーニの絵は造形的には後期印象派を継承し、スーラの色点に渦巻く運動の概念を加えたものだ。すべてを塗り込めたセザンヌのような絵もある。彫像は壊れたガンダムのように完璧だ。彼は速度と急速な変化そのダイナミズムを追い求めた!(しかしなかなかスタイルは定まらずにいた)
技術は素晴らしく高い。(学生時代は凡庸だったと言われる)
性格は「蘇生したナポレオン」と親友のセベリーニに評され、自己中心的で野心的で激しやすく複雑で気難しかった、そうだ。
「、、、この世は新しい美、つまりスピードの美によって輝きを増した。、、、われわれは戦争を賛美する。、、、」と言うマリナッティのもとボッチョーニ、カルロ・カッラ、ルイージ・ルッソロは未来派画家宣言の草案づくりに没頭する。ボッチョーニは華々しく劇場の舞台で完成したそれを読み上げる。
他に詩人や音楽家を巻き込み、彼はようやく自分のやるべきことと制作上のビジョンが確立する。
「古代ローマの栄光を飽きもせず追いかけている芸術家たちのひどい怠惰にはうんざりする。」
未来派はミラノで大展来会が催され大成功を納める、がパリでキュービズムが起こっていることはまだ知らない。
大慌てでキュービズムも吸収し、パリでも果敢に展覧会を開いてしまう。そこでもまずまずの成功を得る。
クリムトのウイーン分離派やアール・ヌーボーもすでに大きな影響を与え始めており、ボッチョーニもその影響は無視できなかったはず。彼の作品には分離派の影響は見て取れる。また物理的な運動に集中してばかりではなく、精神的な詩情も巧みに造形している。(精神状態1~3など)さらに物体の時空間の移動というより物体そのもののフォルムの運動も表現しようとしている。
彼が彫刻を手がける頃はすでに美術館では未来派が常設されるようになっている。それ以降一人での作品展示会を開き、過激な政治的活動をし投獄されたりもする。そして、従軍を志願しロンバルディア義勇軍自転車人隊に配属される。この時期がボッチョーニにとって最も充実した幸福で実りある時であった。常に危険がつきまとうことに高揚して活き活きとしていた。「戦争は美しく、素敵で、恐ろしいものだ。山の中では、それは無限との戦いに思える。」しかし皮肉にも彼は実際の戦闘中ではなく、軍事教練の場で大好きな乗馬中に馬から落ちて死んだ。
享年33歳。
バルチュス、モロー、ボッチョーニには惹かれる。
(恐ろしい)発見、、、?
遠藤彰子氏の街シリーズの最新作とボッチョーニの傑作「道路は家に入り込む」の近似性。
色彩の点では全く異なるが、運動という点において、フォルムそのものの分子的な振動は遠藤氏にはないが、構図から来る運動・溢れる時空の展開はかなり近いものがある。少なくともエッシャーよりもこちらに近いか。