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サムペキンパー 情熱と美学

Sam Peckinpah001

”Passion & Poetry: The Ballad of Sam Peckinpah”
2005年
ドイツ製作

マイク・シーゲル監督

サム・ペキンパー
アーネスト・ボーグナイン
ジェームズ・コバーン
クリス・クリストファーソン
アリ・マッグロー

「ゲッタウェイ」の他に持っているのは、「ガルシアの首」と「ワイルド・バンチ」だけで、後の2つはまだ観ていない。
「わらの犬」と「戦争のはらわた」は何とか手に入れて観たいと思っている。
それから「ボディ・スナッチャー」の一番最初の作品がペキンパー脚本・演出なのだ。ストーリー自体も素晴らしいものだし、これも取り寄せ、ぜひ観たい。
サム・ペキンパー監督の作品は、これからなのだが、、、先にこれを観てしまった。

考えてみると、わたしは映画作品以外にそれを撮った監督に特に興味を持ったことがない。
こんな作品作る人はどんな人なのか、、、。
「ブレードランナー」にいたく感動したものだが、リドリー・スコット自身について知りたいと思ったことはない。
そういう方向で興味を持ったことはない。
たしかにタルコフスキーは大変だっただろうな、、、などと境遇を想うこともあったが、、、。
基本的に作品さえよければそれでよい。
作る作品がどれもよければ、贔屓の監督にはもちろんなるが、彼(彼女)がどんなヒトかは、別だ。
また、余計な事も知りたくない。

サムペキンパー監督については、作品自体1本しか観ていない。
彼のドキュメンタリーフィルムから入るのもひとつか、、、という意識で観てみた。
逆に「エド・ウッド」みたいな監督を題材とした創作物―表現は、あまり観たくない。


まず、改めて強く感じたのは、映画を製作すること自体が、時間と金を途轍もなく必要とする、ことだ。
ということは、必然的にクリエーター側と配給元や製作者(会社)との闘いの過程ともなる。
監督は、純粋に自らの才能―創造性を遺憾無く発揮していればよい、というような呑気な立場にないということだ。
政治的やり取りに不可避的に巻き込まれ、苦渋の判断を強いられ続ける立場に立たざる負得ない。
希に自分の創造欲を充たしつつプロデューサーも手懐けられる強者(要領の良い)監督もいるかも知れないが、、、ある意味、それには常に大ヒットを飛ばすことが条件となるだろうし、商業ベースに自分の描きたいだけ描き尽くした作品が上手く乗るかどうか、、、これは至って難しい事かも知れない。
先ほど例に出した「ブレード・ランナー」も暫く経って、ディレクターズ・カットが出される。
リドリー・スコットが押しも押されぬ巨匠扱いになってからだ。
当初出された作品で、わたしが気になっていたところ(2箇所)がしっかり削れていて、ほっとした。
製作側はあれを付けた方が受けが良いと思ったのだろうが、作品的には、完全にディレクターズ・カットで純度が上がり引き締まる。
(肝心要のシーンでのデッカードの「内面の声」―ナレーションと最後の手つかずの自然の森に逃げてゆくシーンのカットである)。
サム・ペキンパーの作品はその程度ではなく、製作側にかなりズタズタにフィルムを切り刻まれてしまったという。
これは、芸術家にとって、断じて許せないことである。
「わたしは、フィルムに自分のありったけをぶつけてきた!」
ペキンパーが怒り狂うのは、当たり前である。
「わたしは、ハリウッドスタイルは理解できないし、許容できない」
当然であろう。
何故、どこか国外などに飛び出さなかったか、、、。
この映画自体、ドイツでの製作である。
タルコフスキーなどは、国から迫害を受け作品上映自体出来ず、亡命するしかなかった。

そして、小さなアニメ作品(パソコン一台で仕上がるもの)とかでなければ、不可避的にスタッフ・キャストとの人間関係で作品はつくられるしかない。

監督の個性・性格(人格)はかなりの影響をもつ。
彼自身一面では、粗野で粗暴なところが目立ったようだが、詩的で繊細な極めて創造的な面も彼をよく知る人々は強調している。
でなければ、単なる乱暴者に映画史に名を残す作品を幾つも撮ることなど出来ようはずもない。
とは言え、極めて仲のよかった友人たちの語る彼の特性の一つは、たしかに彼の才能を慕って寄ってくるヒトを一気に遠ざけるものであっただろう。人に対する激しすぎる叱責や仕事を進める上での苛烈な姿勢である。
中には80人以上をクビにした仕事もあったという。怒鳴るだけではなく実際暴力的であったそうだ。
しかし、終生の親友の中には、俺も何度もクビになったぜ、と言って彼への想いをしみじみと語っている人もいた。
要するに彼をどのレヴェルまで理解し得ているかであろう。
ここは、ひとつ超えれば絶対的な信頼関係に到達する閾があるのだ。
そこを超える事がきっと要求されるのだと思う。

結構、メンドくさいヒトでもあるが、、、。
スティーブ・ジョブスも遠目に見れば、飛びぬけた才能だけが際立つが、近くに寄ったらとてもシンドイひとでもあった。
この手の部類のパーソナリティであっただろう。
よく映像を追ってゆくと、彼には深い愛情とひとつ筋を通そうとする強い気骨を感じるのだが、、、。
それに、俳優のようにカッコ良いのだ。その魅力も間違いない。
しかし彼は次第に酒に溺れ始め、日に4本のウォッカなどの強いボトルを開けるようになり、それにコカインなどの薬物も入り体が傍目に見ても蝕まれてゆくのが分かる事態にまで及んでゆく。
周囲もハラハラし注意や心配はするが、結局どうにもならなかったという。

本人の性向や性格もあるし、価値観・美意識の拘りもいったって強いひとであった。
長年に渡る製作側との軋轢の及ぼすストレスもそれとの関係で無視できないものであっただろう。
しかし59歳というのは、いくらなんでも早すぎる。
彼を支える親友で、彼より早く逝ってしまうひとが何人もいた事も小さくはない。
(例えば50歳で亡くなったスティーブ・マックイーン)。
彼を慕う人は勿論他にもたくさんいたが、彼らでもどうにもできなかった。
酒と薬はある意味、どうにも出来ない、、、。


取り敢えず、サム・ペキンパーの作品を意識して観てゆきたい。


ダスティン・ホフマンの「わらの犬」は、たいぶ昔に観た覚えがある。
もう一度観て、しっかり確認したい。

書いた後であるが、スティーブ・ジョブスとは彼は、また違うタイプだと思った。
サム・ペキンパーの方がずっと生理的で感覚的な感触である。
ジョブスの方が解り易いと思う。
何を実際求めているかは、想像しえぬにせよ、現在何がどう不満なのかは少なくとも分かる。
彼の言うことをプログラム上作り上げれば、なる程これが欲しかったんだ、と知ることが出来る。
サム・ペキンパーの方は、感情の核に触れるまでが、大変だと感じる。
真摯な姿勢で映画にありったけのものをぶつけていることはよく分かる。
金のことしか頭にない連中と対立するのもよく分かる。
だが、その際の生理・感情表現と酒・薬物への依存の深さが半端なものではなかったため関係性の維持においては、遥かにこちらの方が難しかっただろう。彼の「情熱と美学」に共感・信奉するひとにとっては、憎めない魅力が大きかったに違いないが。

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