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Dreams
1990年
黒澤明監督

伊崎充則、、、少年
寺尾聰
マーティン・スコセッシ、、、ゴッホ
笠智衆、、、老人

第1話「日照り雨」
そばえ
幼い少年が、こういう時は狐の嫁入りがあるから、外に出てはいけないと、母親に諭されるが行ってしまう。
特に強い制止でもないのだ。ちょっとやんちゃな子なら行ってしまうだろう。
彼は、森の大きな木に身を隠しながら「狐の嫁入り」に眺め入る。
その奇怪な行進には、魅入ってしまう魔力があった。
雅楽に乗った独特の動きでもあり、怪しい様式美に満ちている。

リズムの節目の首の振りなどから、狐たちが少年の存在を察知してゆくことが分かる。
少年が走って戻ると、母が今度は毅然とした態度で門には入れないと立ちはだかる。
別人の如くに。
狐が先ほど怒ってこれを持ってきたと言って、短刀を彼に差し出す。
きっちり謝って落し前をつけてこいと、母によって門の扉は固く閉ざされる。

「鬼ヶ島に行って鬼退治して来い」と言われるのと同じくらい荒唐無稽で不条理な旅を要求される。
恐らく少年は狐に出会えないか、逢っても全く話が埒があかず、彷徨い続ける気もする。
最後に短刀であえない最期を、、、というのも充分ありだ。

エキゾチックな古き時代の日本のカフカ的寓話とも言えるか。

第2話「桃畑」
雛祭り
団子を座敷に運んできた少年が、団子の数と少女の数が合わないことに気づく。
雛祭りに来た姉の友達の数がどう見てもひとり多いのだ。
(座敷童子の話かと思いきや、、、)。
姉は、そんなことはないと否定する。
だが、、、勝手口に不思議な女の子がホントにおり、彼がその後をついてゆくと、、、。

その家の畑を雛壇のようにして、綺麗な装束を着た怪しげな人々がズラッと並んでいるではないか。
(まるで雛人形である)。
彼らは桃の精霊であり、桃の木を切ってしまったことを怒り、お前の家にはもう来ない、と彼を責める。
しかし、少年は桃の花がもう見れなくなって寂しいと泣く。
それを見た精霊が舞を踊り、桃の花を幻想のように散らす。
舞と華やかに舞い散る花弁を少年が堪能した後、彼らは消え去り、後には切られた桃の木の跡だけが残っている。
だが、一本だけ小さな桃の木が、綺麗な花を付けていたことを知る。

これも日本的な映像とは思うが、音楽は雅楽で最後まで通してもらいたかった。
われわれにとっても、エキゾチックな小品である。

第3話「雪あらし」
雪女
全体に、退屈で汚いだけ。
異様に時間が長く感じた。
と言うより、見るに耐えない。

第4話「トンネル」
威嚇する犬
将校が戦死した遺族を訪ねてトンネルに差し掛かる。
死んだ一等兵が彼の前に現れ、自分が死んだのかどうか問いただす対話。
更に全滅した第三小隊が隊列を組んで出現し、将校は彼らを前に慚愧に堪えない心の内を述べる。
彼らは皆、頭部は骸骨さながらであったが、「回れ右の言葉」に従い去って逝く。
不気味さでは、その後ひたすら吠えかかる犬である。
激しく吠える犬に、一切「言い訳」は通じない。

分かるが、イデオロギー的に面白くもなんともない。
形式が取り敢えず面白いが。

第5話「鴉」
ゴッホ
ある男がゴッホの展示会場で、、、彼の絵の中に入ってしまい、、、。
「アルルの跳ね橋」の下にいる洗濯女たちにゴッホの居場所を尋ねる。
すると「カラスのいる麦畑」にいるゴッホに出逢う。
見晴かす風景は、全て「ゴッホの絵」である。
彼の色彩で、彼のタッチで構成されていた。
誰の視座という訳でもなく、ただそのような絵画世界に入り込んだというものか。
ゴッホもその構成要素のひとつであるため、彼の視座ではない。
その彼も中にいる。

その男の夢の中としか謂いようのない光景である。
ゴッホの「何故描かん!」というシーンのみ覚えていた。
絵はまず描くことで始まり、夢もまたそれ以外にない。

この話だけで映画一本作ってもよいと思える。
はっきり言って、他は大したものではない。
捨てても全く惜しくはない。

第6話「赤冨士」
放射能
色分けされた放射性物質(放射線ではありえない)というのが、何とも謂えないが。
空気に乗ってくるというか風や雨が一番怖いだろう。
現にわれわれはそれを味わった。

富士山の爆発も近頃、危惧されているが、その麓の原子力発電所の爆発という設定だ。
原子力を抱えている分、災害時のリスクは大きい。
ただこの噺は、リスクマネジメント(原発の事故管理等)などへの不安ではなく、無意識的にわれわれが抱く生理的悪夢と言える。
原子力―放射能幻想である。
所謂、漠然とした不安を象徴的なもの―イコンをもって素朴に表出したというものか。
しかしここまで長い。発想もとても、いただけない。

(ちなみにわたしは脱原発派である。コストがどれだけかかろうが)。

第7話「鬼哭」

この辺に来ると、かなり飽きてくる。
浅薄なイデオロギーの意味づけが、やたらと鼻につき耐え難い。
役者がそれに輪を掛ける演技をしてくる。
どうも、いかりや長助という役者は、好きではない。

早送りして終わらせようと思ったら次の夢ときた。

第8話「水車のある村」
予想外の長台詞
どこの村なのか、国籍不明である。
そこの謎の老人が笠智衆だ。
何よりも驚いたのは、彼がこんなに饒舌に長すぎる台詞を淀みなく喋ることである。
まるで、堺雅人ばりではないか、、、。
呆気にとられた。
だが、何を喋っていたのかほとんど記憶に残らぬ程度の詰まらぬ内容のものであったことは確かである!
笠智衆に喋らせるのだ。
もう少しマシな事を喋らせろ!と言いたい。
彼をわざわざ使ってかなりくだらないエンディングに終わったことに怒りと疲労を覚える。


結局、見ることが苦痛な駄作であった。
小津や溝口を見て口直しをしたい。


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GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
基本的に、日々思うことを綴ってゆきます。悪しからず。
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