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ザ・ビーチ

The Beach001

The Beach
2000年
アメリカ・イギリス製作
ダニー・ボイル監督

オール・セインツの”Pure Shores”
ニュー・オーダーの”Brutal”
などこの映画のサウンドトラックの曲はヒットして、当時よく耳にした。オール・セインツ懐かしい。

レオナルド・ディカプリオ、、、リチャード(アメリカの青年)
ティルダ・スウィントン、、、サル(楽園の中心人物)
ロバート・カーライル、、、ダフィ(リチャードに地図を渡し自殺した、楽園の住人)
ヴィルジニー・ルドワイヤン、、、フランソワーズ(エティエンヌの彼女)
ギョーム・カネ、、、エティエンヌ(フランソワーズの彼)

レオナルド・ディカプリオの映画を昨日に続いて、、、。


だいぶ以前、宮古島から橋を渡って行ける来間島のビーチの美しさに魅了されたことがある。
遠くまでずっと続く真っ白な砂浜に透明なピーコックブルーの海水が静かに打ち寄せる。
たまに見かける生き物は小さなカニくらい、、、。
いつまでいても誰の気配もない。
まさに、プライベートビーチではないか、、、といたく感動したものだ。
(半日くらいを過ごすには、最高のシチュエーションであった事をいまでも覚えている)。


この映画の舞台は、タイのある島の内側に隠された秘密のビーチの楽園である。
偶然、手に入れたその位置を示す「地図」を頼りに、半信半疑で友(フランス人カップル)を道連れにやって来たリチャード。

浜辺に開けた村で、西洋文明から逃れてやって来た様々な人々が少人数で暮らしていた。
観光ではなく、故郷を捨てそこに住み着いた人々ではある。

確かに外界から遮蔽された綺麗なビーチのようであるが、もう少しそこの圧倒的な景観をディテールに迫ってじっくり魅せてもらいたかった。
楽園の象徴がどれほどのものか、いまひとつ伝わる描写がないのだ。
寧ろ、サメが出るかなり危険なビーチに思えたが。

例え場所がどれほどのものでも、所詮感応する側の問題である。
村の作り(仕組み)と人間の繋がり具合も、もう少し詳細に知りたい。
ずっと見ていても浜で球技をやりにそこに来たのかと聞きたくなる。これでは湘南あたりの普通のビーチと変わりないではないか。
ここに、何らかの「解放」や「発見」があるのか。
ある強力な思想をもとにした共同体ではなく、何となく逃避してやって来た人たちの集まりであることはよく分かる。
目的的な意識のない、無為に時を過ごすだけの緩い共同体であるにしても、これでは直ぐに飽きるであろう。
染み付いた文化的な生活感覚からくる不便さ、、、こちらの方が意識に昇っては来ないか。
リチャードがサルと街に米を買いに出かけるとき、皆しこたま文化的な品々を彼についでに注文してきた。
(それが必死の形相であることが笑える)。
特に「電池」などは文化―習慣・内面を引きずり続けている証拠だ。
果たして彼らにとり、そこが居心地が良いのかどうか、、、。
来てはみたものの、、、でも戻るのももう億劫だし、、、ではなかろうか。
(わたしは絶対ゴメンだ。一晩泊まったら日本にすぐ帰国する。パソコンが恋しい)。

自己中心的な安寧を保とうとするだけの寄り集まりであると、ヒトの生の生理や欲望が激しくぶつかり合う。
浮気や嘘、裏切り(不貞)が自ずと起こり、そしてそれが忽ち噂で漏れてゆく。
病気や怪我は場所の秘密保持のため医者・医療に任せられない為、患者は生殺しとなる。
ここが最も問題となるこの共同体の脆弱性と言えよう。
すると本人だけでなく、状況的に周囲の生理が耐えられない。
ただ呻き声が煩いのだ!
ここで、集団の掟がしっかり定まっていない場合、倫理的葛藤が起きる。
(怪我・病気が治る見込みのない場合、どうするかという取り決めが前もって必要になる)。

この生理は抑えられない。
わたしもかつて電車で移動中、長女の号泣が止まない為、同じ車両の女の乗客から激しい叱責を受け降りることとなった。
おかげで目的地に到着が一時間遅れたが、これが普通のことである。
そう、病院でもそうだった。わたしが医者にかかっている最中、子供が泣き出し病院中が騒ぎになっていた。わたしが抱き抱えるとピタッと泣き止んだため、それ程問題にはならずに済んだが、、、必ず何処からか生理的苦情は出る。
(育児上、自分の通院時に子どもを同伴せざる負えない状況は必ずある!)
ある意味、この映画で最もリアルで重みを覚えたところが、サメに食われ重傷を負った男を巡る場面である。
これを抜きにあのような楽園の場を考えることは絶対に出来ない。
苦から逃げてきた集まりを維持する事において、多少なりとも生理に不快に触れるものに対しては、それを速やかに抹殺する必要がある。


元々その楽園は、武装して守られた大麻の秘密の栽培場であり、サメのウヨウヨ泳ぐヤバイところであった。
ヒトを増やさないという約束でかろうじて彼ら逃避者たちの生活の場が保証されているだけだった。
しかし、リチャードはここに来るとき、仲間に地図の写を渡していた。
果たして彼らは4人で楽園に入ってきたのだった。
だが、大麻畑で農民たちに見つかり全員射殺される。

農民たちは、また外部からヒトを呼んだことに激昂して、楽園に押し入ってくる。
約束を破り勝手なことをしたことで、楽園の住人たちは皆、自分の故郷に追い返されることに、、、。
サルだけは、そこに残る。
彼女にとってはそこが自分の全てであったのだ。
これらの事態を引き起こしたのは、全て無分別で無軌道な(また無責任な)リチャードによるところは大きい。

しかしある意味、地図を渡し自殺したダフィに始まった亀裂であった。
彼がこれを仕組んだとも言える。
地図を、禁じられている他者、しかもリチャードのような若者にわざと渡したのだ。
彼の意図によるものに違いない、、、。

サメや人に殺された者たちは、単に行方不明で片つけられるのだろう。


前の晩、悪夢を見ただけ、、、という観の清々しい表情で日常に戻っているリチャードが面白い。
ゲーム感覚で農民を攪乱したり、新たに入ってきた友達を彼らに殺させたり、自ら重傷を負った男を殺したりも、青虫を食べたのと同じ一連の経験の中の一つであったか、、、。


レオナルド・ディカプリオやはり大した役者である。(青虫も食べるし(笑)。
ヴィルジニー・ルドワイヤンは「8人の女たち」から大人になったものだ、、、。

ビーチがどれだけ綺麗なのか、もう少しそれを納得させる描写が欲しい。
村―ユートピアの繋がりや生活の詳細ももっと具体的な絵が見たい。
それで、もっと説得力も増してくるはず。

デカプリオがあそこでもGAMEBOYをしているのは、よく分かる。
楽園という場所があるわけではない、何処に行っても自分が変わらなければ同じだという単純な原理である。


最後の日常に戻ったリチャードがネットカフェ?にいる場面で、初代のIMacがカラフルに並んでいるのを見るとちょっと嬉しくなった。最後の印象が良かったのはそのためか、、、。
Appleの快進撃が始まった時代だ。
完全にポシャってしまった今のAppleが痛々しい。
やはりスティーブ・ジョブス独りの企業であった。


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