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華麗なるギャツビー

The Great Gatsby001

The Great Gatsby
2013年
アメリカ
バズ・ラーマン 監督・脚本
F・スコット・フィッツジェラルド 原作

レオナルド・ディカプリオ 、、、ジェイ・ギャツビー
トビー・マグワイア、、、ニック・キャラウェイ (証券マン~作家)
キャリー・マリガン 、、、デイジー・ブキャナン (ギャツビーの元恋人、トムの婦人)
ジョエル・エドガートン 、、、トム・ブキャナン(デイジーの富豪の夫)
エリザベス・デビッキ 、、、ジョーダン・ベイカー (プロゴルファー)

(スパイダーマンが出ていた。ニックの顔どこかで見たと思ったら、、、)。


ニックのナレーションで進む。
現在のニックはニューヨークから舞い戻り憔悴しきっている。
パーキンス療養所に静養中だ。
ここで語られるこの話が同時に彼のタイプライターから小説となってゆく、、、。
1922年、狂乱のニューヨークから始まる。
当時まだウォール街は野心に満ちた若者の熱気に渦巻いていた。
ニックもその中の一人であった。


「過去は取り戻せないか」
(過去は更新できないのか!だとわたしは思う)。
これがテーマである。
ニックの言う、ギャツビーが挑んだ途方もない夢であろう。
これこそがニックにとって他の誰にもないギャツビーの魅力であったに違いない。
時間(現状)に無為に流されてゆくだけの人々の中にあって、敢然と彼はそれに立ち向かった。
ギャツビーにとってのデイジーの存在は、彼の出自から全てを輝かしく上書きする象徴でもあったのだ。
自分を最初から生き直す華々しい象徴。
きっとそうだ。
デイジーとの最初の出逢いは、麗しい上流階級の華を見る思いであっただろう。
そこで彼は一目惚れをする。
自分の中の創造的可能性を信じる契機となった。
彼女は彼のその後の生きる力を支え続ける対象になったはずだ。

彼女は何故、待ちきれなかったのか、、、。
そこなのだ。
ギャツビーの幻想を彼女がほんの僅かでも伺い知る由などあろうはずもない。
軍隊に行って長いこと帰ってこなければ、見通しも持てず何処かの身分のある富豪に嫁いでしまうものだろう。
ギャツビーに惹かれていたのが事実であろうと、これも致し方ないことだ。

この物語は、彼の時間―存在を賭した戦いの記録でもある。
著者は親友―恐らくただひとりの―ニックである。
唯一ギャツビーを語る資格のある人間でもある。
それを見越していたのか?
ギャツビーが主催する彼の城のパーティーに招待状を送ったのは、ニックただ一人であった。
これもニックの言う、ギャツビーの恐ろしく研ぎ澄まされた感性によるところか、、、。


厳然と存在する階級。
しかし一代で築く巨大な富。
富の力による成り上がり。
すさまじいバイタリティ。

ただギャツビーの城に夜毎集まってくる羽虫みたいな連中は何者か、、、ニックに言わせればクズである。
分かりやすい。全くその通り。
成り上りといえば、歴史のないアメリカにおいて、金持ちは皆、成り上りでもある。
「市民ケーン」というのもあった。
あちらも豪奢な虚しさがとてつもなかった。

ギャツビーは、手段はどうであれ、富を手にして彼女の元に戻った。
失われた時間を取り戻そうと。
しかし、それを人は「求めすぎ」だと彼に返す。
普通に考えれば、デイジーはすでに既婚者である。
それだけ金があれば、いくらでも他に女性は見つけられるではないか。
ジョーダンだって、大変魅力的ではないか、、、とか思ってしまう。

このギャツビーの生に対する純粋さ一途さは、代替は効かない。
2人で遠くに逃げる事もできなかった。
城は全て彼女のためのものであったのだから。それは彼の彼女への思いの実体でもあった。
だが彼のその思い―行為が彼を急速に追い詰める。
城の夥しいゲストの乱痴気パーティとは対称的な彼とニックとジョーダンにデイジーという核心を突くべく4者会談の修羅場となる。
最終的に彼は全てをぶちまける羽目になる。
そして彼はトムの挑発についに耐え切れず激昂してしまう。
まさにトムの思うツボであったが、同席したジョーダンもデイジーさえもこれに引いてしまうのだった。
ギャツビーを受け容れられたのは、ニックのみであった。

その後の流れは坂を転がり落ちるかのようであった。
全てが破滅へと一気に進む。
これは全くこの物語の示す通りであり、実生活においてもほとんどこのパタンに落ち着くものだ。
誰もがギャツビーから身を引き、罪を押し付け逃げてゆく。
たくさんの羽虫が散り散りに、、、。
権威やシステムから逃れられない自己保身の賜物とも受け取れるが、自らの時間的存在としての諦めからくるものであるところが大きいと云える。



大変美しくまた退廃的な画面であった。
特に光の使い方が素敵だ。
音楽の絡みも絶妙である。
キャストも見事に役割をこなしていた。
車が何ともよい。これには痺れた。



エリザベス デビッキにタマラ・ド・レンピッカの役をやってもらいたいと思った。
誰かタマラ・ド・レンピッカの映画を作ろうというヒトはいないか?!
凄く良い題材だと思うが、、、。
作風は、「去年マリエンバートで」みたいな、、、。
どうだろうか、、、

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