風と共に去りぬ


Gone with the Wind
1939年
アメリカ
マーガレット・ミッチェル原作
ヴィクター・フレミング監督
シドニー・ハワード脚本
マックス・スタイナー、、、音楽
ヴィヴィアン・リー、、、スカーレット・オハラ
クラーク・ゲーブル、、、レット・バトラー
レスリー・ハワード、、、アシュレー・ウィルクス
オリヴィア・デ・ハヴィランド、、、メラニー・ハミルトン
ハティ・マクダニエル、、、マミー
そういえば、「オズの魔法使い」も「ジキル博士とハイド氏」もヴィクター・フレミング監督であった。
しかしこの作品は超ド級である。
先日観た「アラビアのロレンス」に並ぶ大作である。
オリヴィア・デ・ハヴィランドは、かの「ジェーン・エア」のジョーン・フォンテインの姉である。姉妹でアカデミー主演女優賞を獲得している。ちなみに主演女優賞は『遥かなる我が子』(1946年)と『女相続人』(1949年)の2回にわたり獲得している。妹は、『断崖』(1941年)において受賞。凄まじい姉妹だ。
わたしはこの姉妹、カトリーヌ・ドヌーヴ、フランソワーズ・ドルレアック姉妹を超えていると思う。
戦後の日本人がこんな映画を作る国と戦って勝てるはずがない、と感想を漏らしたそうだが、こういうところに力というものが垣間見えるものだろう。戦前にアメリカ製のグランドピアノを観た婦人が同様の感慨をもったという話もどこかで読んだ記憶がある。
『タラのテーマ』が流れれば、夕日に向かって立つスカーレット・オハラが自ずと思い浮かぶ、、、。
わたしがひたすら彼女に感じるものは、善悪の彼岸にある奔放な生命力だ。
「一つの文化が戦争という烈風と共に消え去った」のである。
その後で必要なものは何か?
終始彼女のその燦きに惹きつけられる。
この力、確かに戦争を契機に発現したにしても、元々持っている資質であり、何処かで爆発するものであろう。
「タラ」の大地を守りぬき、どんな目に遭っても「明日考える、、、」という彼女。
確かに明日には明日の風が吹く、ものだ。
今日問題であっても、明日は知らず解消している事もある。
今、どうにもならないことに、拘っていても仕方がない。
ともかく今を生きるために生きることだ。
ヒトは今この瞬間にのみ生きている。
立ち止まって考えていたら生きる事に遅れてしまう。
だから全て即決する。
結婚など経済的な手段に過ぎない。
人だろうか、という選択もなに食わぬ顔でする。かなりドライだ。
果ては、自分の仇討に出かけて頭を打ち抜かれて死んだ亭主に対しても動じることがない。
(妹から略奪した男で、愛情も元々持っていないが)。
大物経済人又は政治家タイプでもあろうか、、、。
原始的とも言える彼女の生きる力の奔流に、周囲の者たちは次々呑み込まれ翻弄される。
これに何とかついて行けるのは、マミーくらいのものか。崇高なメラニーも途中で亡くなってしまうし。
レット・バトラーも最善を尽くすが、最終的に尻尾をまいてしまう。
スカーレットの存在そのものが、ハリケーンを想わせる破壊力をもつのだ。
アシュレー・ウィルクスの存在が更に彼女の目を眩まし迷走させる。
破壊は甚大となる。
南北戦争で、多くの男が死に、大地・屋敷はもう荒廃しきっているのに、それに輪を掛ける。
アシュレー自身は問題のない賢い紳士ではあるが、スカーレットの思い込みと押しの強さの前にタジタジになる。
こういう関係はよく見られる。彼はしっかり”No”と言っているつもりなのに、優柔不断でどっちつかずの存在にされてしまっている。
性格のひどく異なる者の間に発生してしまう特有の齟齬であろう。
ある意味、激しくぶつかり合いながらもコミュニケーションの基盤があるのは、スカーレットとレット間である。
愛娘が事故死しなければ、やがて意思の疎通は深まったと思われる。
2人も認めているが、似た者同士である。(結婚に対する価値観も含め)。
しかし規格外同士であるため、相克も凄い。安定した関係は所詮望めないのかも知れない。
レットは、このまま出て行ったままであるのか、、、。
でも、今は考えていても仕方ない。
最後も彼女は、オレンジ色の夕陽に向かって逞しく生きることを誓う。
この時期に限らず、ヒトはメラニーのようにこころが清く美しい(容貌も大変美しいが)だけでは生き抜けない。
今現在も、共通感覚などどこにもない、ディスコミュニケーションの時代が続いている。
外界がどのようであろうが、どう変化しようが、混沌としながらも、自分をとことん信じる強烈なパワーがやはりなくてはやってゆけない。
スカーレット・オハラは、正しい。

オリヴィア・デ・ハヴィランド

助演女優賞のハティ・マクダニエルとヴィヴィアン・リー
絵も音楽も充分に印象に残り、美しい。
キャストも文句なしであった。
押しに弱いレスリー・ハワードの苦悩も説得力があった(笑。
ハティ・マクダニエルとオリヴィア・デ・ハヴィランドが脇を見事に締めていた。
そしてCGのない時代で、このスケールである。
これだけのレベルの大作、今後作れるとは思えないものだ。