ふくろう

2004
新藤兼人 監督・脚本
林光 音楽
大竹しのぶ、、、ユミエ(母)
伊藤歩、、、エミコ(娘)
木場勝己、、、ダム作業員A
柄本明、、、ダム作業員B
原田大二郎、、、ダム監督
六平直政、、、電気屋
魁三太郎、、、電気屋上司
田口トモロヲ、、、水道屋
池内万作、、、巡査
蟹江一平、、、引揚援護課の男
大地泰仁、、、浩二(エミコの幼なじみ)
塩野谷正幸、、、警視
江角英明、、、村長
加地健太郎、、、ダム所長
上田耕一、、、電力支所長
松重豊、、、水道課長
松波寛、、、福祉課長
大竹しのぶと伊藤歩の主演ということで、失敗はないはずと、観てみた。
大当たり(笑。

希望ヶ丘開拓村の最後の一軒屋を舞台に描く室内劇。
舞台にそのままで移行できそうな映画。
とても強かなユミエとエミコ母娘のどん底の苦境からの脱出計略が面白可笑しく展開して行く。
(大竹しのぶに負けぬ伊藤歩の身体をはった迫力の演技は際立った)。
舞台を思わせるような演技とも謂える。
非常に悲惨で重い現実であるが軽妙にコミカルに描かれてゆく。
背景としては、ヒロインの親たちは国策で夢に溢れ乗り込んだ満州であったが、戦争勃発の為引き上げとなる。
帰国後、入植することになった開拓村の土地は全く農地に向かず、彼らは疲弊し尽くし失意と極貧を背負って逃げるように出て行き、残ったのはユミエとエミコの母娘だけとなっていた。彼女らは出て行かないのではなく、何処にも行く当てがなくそこに居続けるしかなかったのだ(更なる弱者)。

まずは飢え死に寸前のユミエとエミコの母娘の現状から始まる。
木の根なんかもう喰ってられない。全然味もしない。ドブネズミのような姿でふたりは暮らしている。
そこで一念発起。風呂に入り綺麗にして開拓村の旗・横断幕みたいなものからミシンでそれぞれふたりのワンピースを作る。
そして母がなけなしの金で電話をかけにゆくと、、、
男たちがやって来る。ひとり、またひとりと、、、。
ダム工事現場の作業員。酒が回ると公共事業の矛盾を愚痴る。国は税金をばら撒いているだけ、、、とか。
電気屋と水道屋。七曲りを登ってここまで、水道、電気を引くことの不合理を説く。税金の無駄遣いだ、いつまで居座るのかと。
それから作業員の同僚や上司、電気屋の上司。部下が失踪しているとこぼすが、財布には中間でピンハネしているらしくかなりの大金を持っている(来る客たちは皆思いの他金を持っているのだ)。

ひとりひとり売春で金を巻き上げてゆく。
一回一回の調子に乗った晩酌噺と毒を呑まされてのオーバーアクションの死に際が面白いので飽きることがない。
(この展開が全てシステマチックなのだ。遺言を一言残すのも笑える)。
次第に彼女らの食事は豪勢メニューになってゆく。
鰻重、カレー、寿司、すき焼き、最初の頃とは段違い。喰い方も迫力ある。
止められていた電気、水道が繋がり生活に余裕も生まれて来た。
何と、ふたりで楽しそうに見ているのは世界地図である(でかい希望が芽生えて来たぞ)。

そしてやって来るのが警官。引揚援護課の男。
この辺から少し錯綜した複雑な絡みとなる。
しかしやることは皆、同じ。
最初の頃は、母ユミエが男たちの相手をしていたが、ピントはズレているがくそ真面目で使命感を持った引揚援護課の男からは娘のエミコが相手をするようになる。こんなものチョロいわよのノリである。母37歳。娘17歳である。肝が据わっている。
そして開拓村から出て行ったエミコの幼馴染の青年。
この青年だけはふたりにとり特別な存在であった。共に国に振り回され極貧のなかをのたうち生き抜いてきた者である。
しかし着いた時は彼はもう瀕死の状態。不毛の地とは謂え故郷で死のうと独り戻って来たのだ。
噺では両親は共に生活苦の中で病死、自殺を遂げてきたという(初めてこの母娘が泪する)。

ここで、品性下劣な男どもは母娘が皆毒殺して行くが、引揚援護課の男とエミコの幼馴染の青年は所謂、まっすぐな理想を胸に抱く者である。その2人を射殺するのが警官なのだ。国家権力によって彼女らの仲間は悉く殺されてきた構図となる。
この警官も母娘の連携で仕留め、合計9人を葬り、金も充分溜まり、ふたりはすっきりサッパリとここを出て行ったようだ。
もうこの時点で娘のエミコの方が母よりハードボイルドであっけらかんと勇ましくなっている(笑。
(きっと国外のリゾート地にでもトンずらしているのだろう)。
大竹しのぶの艶のある巧妙な演技と伊藤歩の飄々として大胆な演技を堪能する作品でもあった。
こうしたひとつの室内劇では、演者の技量が決めるところは大きい。
男性陣の演技も含め、充分面白い映画であった。
AmazonPrimeにて
