ティーン・ガール〜ヴァレリーとホリデイ〜

Teenage Girl: Valerie's Holiday
2019
アメリカ
アーロン・リー・ロペス 監督・脚本
ヴァレリア・ハウレギ、、、ヴァレリー/ホリデー(整備工クラスの女子)
パウリーナ・チャベス、、、フリーダ(親友)
ダリン・マッケイ、、、トミー(モテ男)
モンタナ・リアン、、、スカーレット(女子カーストトップの虐めっ子)
サンドラ・ノリ、、、校長
ポール・マシュー・ロペス、、、用務員
ジェス・ボレッゴ、、、父
何なんじゃ、これ。今日は暇がなくギリギリ見終わったところだが。
軽そうなのは、ほとんどどれも単に奇想天外、なのよ。まったくもう。
ヴァレリーはいつもカースト上位の子たちからグズと呼ばれ馬鹿にされている。
しかしグズというのは、性格的、行動面に対して呼ばれる蔑称だと思うが、、、

そこで一念発起し、親友フリーダの力を借りオシャレに決めてみることに。外見をがらりと変えてみせようと言うのだ。
すると皆から一目置かれ、誰だあの可愛い子という事になり、、、それは無いでしょ、単にヴァレリーがオシャレしただけじゃん、、、ホリデーという双子の姉妹がロスからやって来たということにしてしまいモテモテになる。何でまた他人になるの?
暫く姉妹で入れ替わり学園生活を送ると発表し、、、それを皆が信じる、、、嘘でしょ。
何でオシャレに気を遣うことにしたの。イメチェンよ。だけではダメなのか?
そもそもそれが何故グズというレッテルの解消になるのか?

学校としても(書類上及び保護者からの確認なく)こんなバカバカしい噺を取り敢えず受けてそのままはあり得ない。
必要最低限の情報すら先方から送られて来ていないのだ。普通受け容れないでしょ。
そして成績も良い。頭は変わらないしもともと成績は良かったのでは、、、では何でグズだったの?
それはそれとして、何でヴァレリーのホリデーが直ぐに男女から受け容れられ持て囃されカーストトップになってしまうのか。
ギャグコメディとは分かっていても、それはない。確かにスイッチした途端、堂々と行動し出した。雰囲気~イメージ~プロジュースの問題なのか。

それにヒトは見た目だけなのか。見た目でも分かるし、双子だってもしそうなら学校がはじめから知っていなければおかしい。
そして何となく嘘と分かる(爆。スカーレットの好きな男子トミーに告白された結果、彼女の逆鱗に触れたのが契機となった。
要するにいい気になって傍若無人に振舞い始めたことが、以前の親友にも疎まれる結果を招いていた。
何だお前はヴァレリーだったのか、とまた皆が馬鹿にし始める。
見た目だけでなく、名前=アイデンティティの問題か?
見た目だけで気に入り、ちやほやしまくっていたのに、名前がヴァレリー~当人となったことで幻滅って、どこをどう見てひとを認識しているのか、格付けしているのか。まあ記号のそうした機能なのであろうが。

狂気の沙汰だ。グロテスクな認識。不気味な意識。
これでヴァレリーはグズ時代の親友とカーストトップの時点で出来たクールな友達両方失う。
パパに泣きつく。
用務員にアドバイスされる「将来を他者に委ねるな。問題から逃げたら自分に向き合えなくなる」。
幸いパパと用務員が出来た人で救われる。
校長も咎めずに彼女を励ます。「自分の将来と守るべき友情を賢明に選びなさい」と。
両方を経験してどちらも自分らしくなかったことに気付く。
「誰に嫌われようとわたしは自分が好き。わたしは変わらない」。
良いと思います(爆。

何だか感動させようというプロムのパーティーに絡めての終盤の盛り上げであった。
高校生で誰もがここまで幼稚で下品とは、凄い世界である。
学園ものとしての流れは鉄板であり、カースト天辺の男女もそれぞれ自分を見出す。
トミーは改めてヴァレリーに告白し、スカーレットは虐めで自分を大きく見せて来たことを反省しグズグループに謝罪。ヴァレリーたちと友人になる。
良いと思います(爆。
どの辺の層をターゲットにした映画なのか。
二度テーマ曲をとうとうと唄い皆を唸らせるが、本人は唄ってないな。
AmazonPrimeにて