悪夢探偵

2007
塚本晋也 監督
塚本晋也 、黒木久勝 脚本
塚本晋也 『悪夢探偵』原作
石川忠 音楽
松田龍平、、、影沼京一
hitomi、、、霧島慶子
安藤政信、、、若宮刑事
猪俣ユキ、、、パンク少女
村木仁、、、肥枝田
ふせえり、、、肥枝田の妻
大杉漣、、、関谷刑事
塚本晋也、、、0(ゼロ)
原田芳雄、、、大石恵三
監督がここまで大怪演する映画は、そうは無いと思う。
噺の流れ的には続編もと思ったが、内容的にはやり切っている。
だが、『悪夢探偵2 怖がる女』という続編があった。
機会があれば観てみたい。まだ何かやれるのか。
それにしても「悪夢探偵」ではないぞ。「他人の夢の中に嫌々入る毒親のトラウマに苦しむ青年」に過ぎない。
颯爽と探偵で商売している訳でもないし。
トラウマが強大で根深い程それが何であるのか分からない。ひりつきながら突き動かされるのみ。
大概の場合、幼少期の記憶がない。
生存欲求の自己防衛の規制からくる。
しかしその正体が像を伴い、凄まじい衝撃と共に蘇ってしまうと、、、何かの機会に、、、
根底から揺らぐ。
別に確かなアイデンティティを持って生きていた訳ではなく非現実的な日常を苦し紛れに生きながらえて来たに過ぎなくともだ。
だが、やはり知るべき~対峙するべき真実である。
迷う(選択の)余地など全く無いのは自明。
無意識に隠蔽していようがそれはこころを支配しており絶えず意識を病み歪め続けて来たのは確か。
世界を叩き潰さなければならない。
神を殺さねばならない。
法ではなく物理法則~全自然学にしたがう。
生きているのなら目覚めるしかないのだから。

夢~水を介してと言うのはよく分かる。
重力と時間から解かれた場で明白になるもの~知り得るもの。
この”0”という存在は、腹を包丁で刺して昏睡状態のなかでその場に行き着いた。
まさに覚醒した。そして死の縁にいる者に次々に交信するようになる。
0と影沼京一は、夢の場ではっきりと出逢う。
他の人間は向き合えない。自分に対峙出来ないように。
だから姿なき0に恐怖し惨殺されるだけ。
ふたりはある意味、共感関係にある。
どちらも比類なき壮絶な幼少時代を潜って来たからだ。
その意味でわたしも共感できる権利を持つ(爆。
環界の害意と悪意を増幅して反射する憎悪の磁場。
自然の摂理として発生する無限のアリ地獄。
彼らの慣れ親しんできた場。
悪夢。しかし夢がやはり再生の場でしかない。

霧島慶子には恐ろしいクリーチャーとして垣間見える存在でしかなかった0。
しかし同じ位相にいる影沼京一が何故霧島慶子に見えるのか。
何かが違うのだ。
それはそうだ。
同様の経験をした者が同じような存在と成る訳ではない。
それこそ多様性である。複雑系のなせること。
共感は出来ても同意できない間はある。
あって当然。
目覚める過程で皆異なる路に逸れる。それぞれが異なる重さを纏う。それが意識を生む。
ここでは霧島慶子の立ち位置も幼少時のイメージもほとんど掴めない。
ただ彼女が影沼京一の何かに魅かれたことは分かる。彼女はそういう存在だったのだ。そこから分ることはある。
それが目覚め後の生の意欲に繋がれば先ずは良いのでは。
だが続編には霧島慶子は出てこない。
もしかしたらhitomiの続投に困難を監督が感じたからか。多分ね。

わたしの体質にとても合う心地よい映画であった。
AmazonPrimeにて
