ブラザーズ・クエイ短編集1

Brothers Quay
1984
アメリカ
スティーブン・クエイ、ティモシー・クエイ 監督・製作
物凄く似ている一卵性双生児のクエイ兄弟によるストップモーション・アニメーションによる短編映画集。
短編集1~3の中の”1”。
収録作品:
「人工の夜景―欲望果てしなき者ども」
「ヤン・シュヴァンクマイエルの部屋」
「ギルガメッシュ叙事詩を大幅に偽装して縮小した、フナー・ラウスの局長のちょっとした歌、またはこの名付け難い小さなほうき」
今は懐かしいピーター・ガブリエルの「スレッジハンマー」が彼らの手によるもので当時話題を呼んだものだ。
忘れっぽい私でも覚えている(爆。それ程のインパクトがあったのは事実。MVも頻りに流れていた。
最初に作品に接したのは大学在学中であったか。「ストリート・オブ・クロコダイル」のVHS版である。
もう暫く癖になって、一日に一度はそおっと覗くような感覚で観ていた(笑。
あれは明るくポップコーン食べながらワイワイ観るものではないのは言うに及ばないが、密かに暗いところで観るのが相応しい気が自然にしたものだ。
今でもそう思うが(笑。

しかしその頃も感じたが、よくこんな映像世界が、アメリカから生まれたもんだと、感慨深いものがあった。
まあ、ロックでもこれがアメリカのグループ?と驚くようなものは少なからずあるが。
(ステレオタイプなイメージから謂う訳でないが、チェコのアーティストだと言われれば直ぐ納得してしまうような(笑)。
BGMにしても、クラシックも現代音楽も全くアメリカ臭無し(題の付け方もそう)。
音楽がまたとても良い。
少し前にとり上げた「ヤン・シュヴァンクマイエル ファウスト」の監督ヤン・シュヴァンクマイエルは彼らのルーツに当たる人である。
尊敬する人物~作家にも彼を挙げている。
それは作品を観れば、よく分かるし納得できると言うもの。
ここにも彼に対するオマージュが思い切り創造されている。
アンチンボルトやエッシャーの要素もタップリと(無くてはならないものとして)あり、それが物語の構造にしっくりと組み込まれている。
デヴィッド・リンチの世界観にも通じるものを感じる(感性的にかなりの重なりはあると思える)。
(特に頭の脳ミソの入ってる部分が外れた人形は、リンチの映画にも劇的に出て来る。わたしはそれにえらく感動した覚えがある)。
やはりリンチも選曲のセンスが抜群である。あのBGMと共に人形の割れた頭から宇宙の銀河みたいな光が帯状に流れ出てゆくところはホントに恍惚感を味わったものだ。
イジー・トルンカのパペットアニメにも近いものを感じるところがある(トルンカも表現形式の幅が大きい)。
ユーリー・ノルシュテインは、ちょっと重なりは感じないか、、、。幻想的で不条理な世界は通底するところはあるようには思えるが。

更に彼らの遊びの精神である。
観て行けばそれに気づくところは多い。
とても楽しく遊んでいる。
わたしとしては、部屋がとても興味深いものであった。
引き出しの連動などとてもリズムが良い。惹き込まれるところ。
そして特にテーマの一つとして拘っているのが、触覚であろう。
この人形たちで触覚的なものを刺激させようという意図は面白いし挑戦的なものだ。
さすると謂うよりともかく触覚を確認するみたいな(笑、叩いてボコボコにしたり切り落としたりもあったが。
そういえば、お師匠として仰ぐヤン・シュヴァンクマイエルはやたらと食べるシーンが多い。
口をアップにして殊更モノを食べさせるところなどにハッキリと何らかの意図を感じる。
(ちょっとその辺を手掛かりに見直してみたくなったが)。
こうした人形が何かに触れたり食べたりの行為がわれわれに喚起する事って何だろうか。
わたしは何やら電車の手摺で背骨のあたりをゴリゴリしたり瘡蓋の上から撫でられているような感覚であったが(笑。
今のところ何とも言えない。
そしてどんな形のどんな動きも変態も実に巧みに自然な流れとして創造して行き、厳然とした不条理が描かれてゆく。
われわれの宇宙とは異なる節理に基づき構築された世界の断片、、、という感じの映画であった。
音楽がピタリとフィットしてこれがまた美味しい。
また観たい。と謂うより、まだ2と3がある。嬉しい(笑。
AmazonPrimeにて