砂漠の鬼将軍

The Desert Fox: The Story of Rommel
1951
アメリカ
ヘンリー・ハサウェイ 監督
ナナリー・ジョンソン 脚本
デズモンド・ヤング『砂漠の狐ロンメル』原作
ジェームズ・メイソン、、、エルヴィン・ロンメル
セドリック・ハードウィック、、、カール・シュトローリン(ストゥットガルト市長、博士)
ジェシカ・タンディ、、、ロンメル夫人
ウィリアム・レイノルズ、、、マンフレート・ロンメル(エルヴィンの息子)
ルーサー・アドラー、、、アドルフ・ヒトラー
エヴェレット・スローン、、、ヴィルヘルム・ブルクドルフ
レオ・G・キャロル、、、ゲルト・フォン・ルントシュテット元帥
ジョージ・マクレディ、、、フリッツ・バイエルライン
リチャード・ブーン 、、、ハーマン・アルディンガー
エドュアルド・フランツ、、、クラウス・フォン・シュタウフェンベルク
ダン・オハーリー、、、特殊部隊隊長
ジョン・ホイト、、、ヴィルヘルム・カイテル
デズモンド・ヤング 本人
マイケル・レニー、、、ナレーター
何で「砂漠の鬼将軍」なの?「暴れん坊将軍」の親戚みたいじゃない?やめてよ。
素直に「砂漠の狐」ではダメなの?
それからここでもヒトラーがそっくりさんで似ていた(ヒトラーの絡む映画ではそこがひとつの見所でもある)。
ロンメルは、いかにもそれらしい役者が演じていた。
全員が流暢に英語を話している(当たり前か。別にドイツ語でなくとも物語がしっかり描けていれば問題ない)。
原作者が本人役で出演している。
実際に彼は北アフリカ戦線で捕虜となりエルヴィン・ロンメルに逢っているという。
憧れ(敬意を)感じる、説得力のあるものとなっている。
(ロンメル夫人が制作顧問として加わり夫の遺品も使われているそうだ)。

その戦術から“砂漠の狐”とも呼ばれ連合国に恐れられた強敵であるが、軍人として尊敬され偶像化された存在であることが分かる。終始、ヒトラー総督との確執に苦しみつつ妻と息子を気遣う姿が描かれていた。
エルヴィン・ロンメルその人を描こうとする作品で、実際の戦闘場面や具体的な活躍を単に描写する戦争物語ではない。
(とは言え当時の思いもよらないカメラアングル~記録用の臨場感半端でないドキュメントフィルムもかなり挿入されていて、その意味での迫力は凄い。何と言うか編集~演出が巧みで本編に溶け込む流れになっている)。
飽くまで軍人に徹しようとしながらも国を思えば、この総督ではとても駄目だということは明白であり、徐々に反逆分子の意向に傾いて行く葛藤と苦悶の姿が描かれていた。
最後に読まれるチャーチルの賞賛のことばは印象的である。
ロンメル他、上層部がヒトラー暗殺に加担したのはこれを観れば無理もないことだと納得できる。
当然、アメリカ映画であるからには、そうならなければ。
しかし、ただ単にロンメルをそうしたプロパガンダに利用したというレベルのモノではない。
実際にロンメルその人に迫ろうと戦後、各方面にあたり細やかに資料を収集して作られた物語であるのは事実だ。
追い詰められたところで、総統は占星術に頼り、名匠ロンメルの言葉に耳も貸さなくなった。
(以前は彼を激賞していた時期もあったが、次第に批判的になる)。
お陰で劣勢は著しくなるが、ロンメルの前線における分析など頑なに無視し「撤退はあり得ない。勝利か死かだ。」などという中世の闘いかと呆れさせる電報を送り続けるばかり。総督には何を訴えても無駄であった。
そして実際に暗殺計画に及ぶがあれだけの仕掛けを実際に爆発したのに、肝心のヒトラーは死なない。
その後、容疑者と疑われた者が5000人処刑される。
ロンメルはジープで移動中に敵機に襲われ重傷を負いフランスの病院に入院中であった。
その責から逃れられたかと思ったが、、、。
自宅療養中に総督の意を伝えにやって来た者から反逆罪により自決を言い渡される。
ロンメルは飽くまでも裁判~軍法会議を訴えたが了承されなかった。
ヒトラーからのことばは決定事項であったのだ。
ロンメル自身はそれを受け容れなかったが、妻と息子を盾に取られては選択の余地は無かった。

彼は使者の車の中で毒を煽り死ぬが、国民的英雄は、戦地で名誉の戦死という形でドイツ国民には周知される。
戦時中は情報操作が常態であるから、これもそのうちの一つに過ぎないと謂えるが、その事実を戦後詳細に調べて明かしたデズモンド・ヤングの情熱は何であったのか。これを観れば分かる気もする。
WOWOWにて