レリック

Relic
オーストラリア、アメリカ
2020
ナタリー・エリカ・ジェームズ 監督・脚本
クリスチャン・ホワイト 脚本
エミリー・モーティマー、、、ケイ(母)
ロビン・ネビン、、、エドナ(祖母)
ベラ・ヒースコート、、、サム(娘)
クリス・バンドン、、、ジェイミー(隣人)
久しぶりのAmazonPrimeの映画。
初っ端から老婆の失踪から始まるのだが、知らせを受けた娘と孫が母の家に駆けつける。
警察にも頼み懸命に探すが見つからない。しかし翌朝、突然何食わぬ顔で老婆は台所に立っているのだった。
この時点からもうほとんど意思の疎通は無理なことが察せられる(当初はコミュニケーションは不安定という様相であったが直ぐに断絶する)。
老いと認知症を通して人間という存在の不可解さ不気味さ不条理を描いたものか。
わたしも物忘れはかなりのもので危険信号が灯る(爆。他人ごとではない。
象徴的に現れるのが黒カビである。うんざりするほど黒カビが出る。老婆の胸にも。

ここまで老いと認知症の底なしの恐怖を描いたものがあったか。
娘が入り込んだ壁の間の空間?クローゼットから続く迷路である。
そこがとても面白い。もう老婆の無意識~幻想を彷徨うような、、、。
古い屋敷だとあのように持ち主と同期するものか。
娘はいくら外に脱出を試みても出られずにパニックになる。
以前、隣人であるジェイミーが閉じ籠められたというのもこの空間であろう。
この老婆に関わるということは、これだけ理解不能の訳の分からぬ闇に捕りこまれるということか。

あのような構造があれば、家が忍者屋敷みたいなからくり屋敷にも出来る(笑。
(以前観た映画でもその構造を活かして家に侵入した悪者を退治するシーンがあった)。
勿論、持ち主がいたって健康ならば、の噺だが。
確かに家は持ち主の内面を反映してしまうだろう。
ここでは更に家に寝泊まりする娘と孫の夢にも侵食する。
つまり彼女らの内にもそれが覚醒するとも謂えるか(確かに認知症には遺伝的要素もあるはず)。

しかしこれ程の底なしの老い~認知症が進んでいるなら、祖母はメルボルンの施設に是が非でも入所させるべきだ。
折角母が見学に行ったのに有耶無耶になっていた。
踏ん切りがつかなかったのね。
それは分かるが、程度による。ここまで進めばもう選択の余地もなかろうに、、、。
お前たちは偽物だとか言って襲ってくるところまで来てしまって、後どうするの。
奇行はエスカレートするばかり。家族の記念写真のアルバムから写真を取り出して喰い始めたり、奇想天外である。
徘徊を始めて、あのように泥だらけで還って来たあたりで車に乗せて預けるのがタイミング的によかったはず。
(それでは、映画にはならないが。少なくともホラーは成立しない)。

要は人にはそれぞれの生活がある。
此処まで囚われたら親子三代に渡り壊滅であろう。
あのように河の字になって添い寝していたが、娘がふと気づくと母にすでに祖母の病の兆候が現れているではないか。
(その背に黒い染み~カビが窺えた)。
あの添い寝は癒しでも許しでも和解でもなく、呪われた血の連鎖を示す図である。
人間とは難儀な生き物であり救われない存在である。
最後の場面で、母が祖母の皮を引き剥がして真っ黒な人型にして慈しむところ、何とも言えない。
ホントの愛情とは、かなり気味の悪いものでもある。
この人間性~色相を失った存在になおも愛情を向けることが出来るのも人ならでは。
あの黒カビは表面の付着物ではなく、中の本体、本質の一部~兆候であった。

娘は何とかその連鎖から救い出せないか。
まずは医学の問題である。老いはある意味、大きなテーマだ。ホントは人間はもっと長く健康に生きれるとも謂われているが。
何よりも、一番肝心なのは頭だ。
考える主体~基盤が朽ち果ててしまい肉体的に残るという眩暈と恐怖を突き付けられる映像であった。
クローゼットの中があんなだったら、とてもやってゆけない、、、。

「ダーク・シャドウ」、「ネオン・デーモン」にも出演しているサム役のベラ・ヒースコートが女子大生くらいに見えていたが、この時点で30歳を越えていたというから驚き。いつまでも若くて頭のハッキリした人はいるものだ。
老いがホラーに直結しないような人生を生きたい(笑。
AmazonPrimeにて