山猫

Il gattopardo
1963
イタリア、フランス
ルキーノ・ヴィスコンティ 監督・脚本
スーゾ・チェッキ・ダミーコ、エンリコ・メディオーリ、パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ、マッシモ・フランチオーザ脚本
ニーノ・ロータ、ジュゼッペ・ヴェルディ音楽
バート・ランカスター、、、ドン・ファブリツィオ(サリーナ公爵)
クラウディア・カルディナーレ、、、アンジェリカ
アラン・ドロン、、、タンクレディ
パオロ・ストッパ、、、ドン・カロージェロ・セダーラ
マリオ・ジロッティ、、、カヴリアーギ伯爵
リナ・モレリ、、、マリア・ステラ(サリーナ公爵夫人)
ロモロ・ヴァリ、、、ピローネ神父
セルジュ・レジアニ、、、チッチョ
ローラ・ブラッチーニ、、、ドンナ・マルゲリータ
イヴォ・ガラーニ、、、パラヴィチーノ大佐
ジュリアーノ・ジェンマ、、、ガルバルディ軍将軍
ルッチラ・モルラッキ、、、コンチェッタ
オッタヴィア・ピッコロ、、、カテリーナ
アイダ・ガリ、、、カロリーナ
ハワード・ネルソン・ルビエン、、、ドン・ディエゴ
観終わったばかりで直ぐ書けるものではないが、、、元々備忘録である。
お気楽に書きたい。

3時間越えの豪華絢爛な大作であったが、長いという感じは受けなかった。
自然光が美しい。屋内は夥しいキャンドルがこれまた豪勢に並び。
所謂、人の住むお城の中身がこれだけ長時間見られるのもありがたい気がする(笑。
華やかに着飾った貴族が長回しでこれでもかと映されてゆく広大な広間は壮観であった。
ヴィスコンティ自身、イタリア名門貴族であり、このような貴族階級の斜陽を内側から描くには最も適任であろう。
舞台は、シチリアを300年の長きに渡って統治してきた“山猫”の紋章を持つ名門貴族サリーナ公爵家。
1860年春、統一戦争最中のイタリアである。
サリーナ公爵は新たな勢力にも人格と科学の業績が評価されており政府の貴族院議員のポストを用意されるが固辞する。
自らの属する貴族の時代の終焉は充分認識しているが、新たな波に迎合する気もなく、「シチリアは眠りたがっている」と述べ、そのままの状態を後100年は維持しようとする。ここに何とも言えぬダンディズムを覚えてしまう(バート・ランカスターだからか)。

彼が期待する若者で甥のタンクレディは、ガリバルディの革命軍に参加し、華々しく活躍するが、新たに国王の政権が始まると素早く政府軍に入り地位を得る。
この辺の身のこなしが機敏だ。彼女も気品と知性あるコンチェッタから誰をも惹き付ける小悪魔的魅力の資産家の娘、アンジェリカにすんなりと鞍替えする。二人は誰もが羨む美男美女カップルとなる。
タンクレディを高くかっているサリーナ公爵はふたりの仲を認め仲人にもなる。
これは、先代が蕩尽し財産を失っているタンクレディの救済にもなる縁であった。
だが、アンジェリカは小賢しく資産を増やし貴族の仲間入りをした俗物の市長セダーラの娘である。
サリーナ公爵自身も彼を良くは思っていない。タンクレディがアンジェリカを見初めてしまった手前、付き合っている人物だ。

舞踏会が延々と続くが、エキストラはホントの貴族の末裔~素人であるという。
道理でパーティーも踊りもしっくりいっていた。
ヘタな役者がやるより、身に着いた習慣である。
バート・ランカスターとアラン・ドロンのイタリア語の流暢さにも驚いたが、調べてみると吹替だったそうだ。
いくら何でも自然過ぎる話し方だった(笑。
しかしバート・ランカスターの老いた貴族の威厳と品格はまさに絵に描いたよう。
アラン・ドロンの若い貴族も申し分ない。目を怪我したと言って眼帯をしていたがほとんどコスプレイヤーのノリであった(笑。
更にジュリアーノ・ジェンマの若いこと。まるでジャニーズの新人みたいではないか(爆。
歌はホントに唱っていたのか?とても声量があって上手かったが。
クラウディア・カルディナーレも若いこと。圧倒的な美のオーラを発していたのは確か。しかしちょっとワイルドで悪女っぽい。

凋落する貴族の終焉の美というものが香しく漂っていた。
(ルキーノ・ヴィスコンティが描く説得力である。)
舞踏の名手として名を馳せたサリーナ公爵とアンジェリカのワルツもそのシーンの重さから見どころであった。
だが外の騒音、女の下品な笑い声、腹立たしい突風、楽隊のタイミングの悪い演奏、等々の不協和音も不吉なノイズのように挟まれている。これがまた妙に心地よいバランスを生んでいる。
豪華絢爛なタペストリーをも想わせる味わい深い傑作であった。
長いけどまた観たい。
テーマが重くても何度でも観られる清々しさがある。
WOWOWにて