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GOMA28

Author:GOMA28
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ユーリー・ノルシュテイン傑作選

Yuri Norstein002

Masterpieces of Yuri Norstein

1968
ロシア

ユーリー・ノルシュテイン 監督・脚本・製作・撮影・編集


驚いたが、これに対し何をか言える言葉をわたしは持たない。
AmazonPrimeは、こういう途轍もない作品が観られる点でとてもありがたいと思ったりして。
一言だけ謂わせてもらえば、キャラクターがどれもとても可愛い(笑。動きも実に繊細で愛らしい。

Yuri Norstein001

セルロイドに緻密に描き込まれた切り絵によってこれほど自在な表現を生むことに驚愕するのみ。
作家独特のモンタージュ技法が多用される。
(恐らく彼独自の秘技が幾つもあるはず。細かいエフェクトだけでなく、この奥行きの深さ、画面深度にも、光にも)。
CGアニメーションは嫌いだそうだが、この作風を観れば分かる気がする。
何と言うか生々しく克明な夢を見ているようで、作り物感がほとんどしない。
凄まじい熟練した手作業を介した結果であろうが、、、。
リアルなCGよりもその本質的なイメージの表出によって、とても自然に感じる。
(ハリネズミは、ホントのハリネズミよりそれっぽい)。

Yuri Norstein006

「25日・最初の日」
「ケルジェネツの戦い」
「キツネとウサギ」
「アオサギとツル」
「霧の中のハリネズミ」
「話の話」
以上6篇が観られる。
どれもが切り絵モンタージュによるものであっても作風が大きく異なり同じ作家が作ったと思えぬような出来栄え。
どれも驚くべき豊かで多様な表現を実現している。
しかしこの作家からしか生まれないものであることもはっきり分かるものだ。
なかでもルドンの絵のようなプリミティブな怖さを漂わせるアニメに特に惹かれた。
それから霧の空間表現はもう夢か現かトワイライトゾーンかという感じで見事としか言えない。
(幼年期の夢に邂逅するような感覚か)。

Yuri Norstein004

これまでCG以外の特殊技術を用いた優れた高名な映像作家の作品は幾つか観てはきたが、これほど直截的な表現には出逢ったことがない。
影絵なら影絵の表現として、粘土なら粘土の表現としてその巧みさに驚きつつ鑑賞してきたが、これは切り絵として鑑賞する余地すらなかった(観た後でAmazonの解説で初めて切り絵であることを知ったものだ)。
イメージが免疫の拒絶反応なしにスッと受け入れられる、そんな感じ(iPS細胞か(笑)。
説得力が確かで不自然さが微塵もないのだ。どんな動きにも、些細な表情にも。
革新的と謂えるが、方法論~手法というよりこの作家の生理なのかも知れない。
対象化~分析しきれないような。
だとすると後継者は無理か。天才職人みたいな人かも。

Yuri Norstein005

これまで、シュルレアリスム調に、根っこのない偽イメージの氾濫した無責任な映像がよくあった。
自己主張と謂うより自己顕示欲だけで作っているような、、、
これは作家自身がもう投げやりになっている場合もあるから、どうでも良いのだが。
不思議にカルト作品みたいに珍重されていたりする場合もある。

勿論、この作家には全く関係ない世界である。
本当の本物というのは、こういう作品に対してはじめて謂えるものだ。
しかし凄い作家がいたものだ。キャラクタ造形だけでなく、脚本・演出も実に巧み。
男の子が烏と一緒に木の上でリンゴを齧るシーンの反復と置き方など感覚的に絶妙なのだ。
まだまだ、色々と映画は観て行く価値はあるなと思った(いつ切り上げようかと思いながら毎日観ているのだが(笑)。

Yuri Norstein003


一回観ただけでは、どうこう言えない。
ことばが追い付かないので、また暫く後に観直したい。
(ここのところ、観直したい作品が幾つか出て来た。沢山観るより良いものを何度も観る方が豊かな経験かも)。

この作品に関して正面から書く機会はそのうちに持ちたい。
ユーリー・ノルシュテインというロシアの作家の名前は憶えておかないと。
なお、この傑作の完全修復は日本で日本人スタッフにより成し遂げられたそうだ。良い仕事だ。





AmazonPrimeにて








5月の花嫁学校

HOW TO BE A GOOD WIFE003

LA BONNE EPOUSE/HOW TO BE A GOOD WIFE
2021
フランス

マルタン・プロヴォ 監督・脚本
セヴリーヌ・ウェルバ 脚本
グレゴワール・エッツェル 音楽

ジュリエット・ビノシュ、、、ポーレット(家政学校校長)
ノエミ・リヴォウスキー、、、マリー=テレーズ(修道女)
ヨランド・モロー、、、ジルベルト(義理の妹、料理長)
フランソワ・ベルレアン、、、ロベール(経営者、夫)
エドゥアール・ベール、、、アンドレ(元恋人、銀行家)


五月革命と同期する形で、家政学校の生徒と教師が共に新たな生き方に目覚めて行く過程を描く。
ベテラン女優3人が引っ張る活力あるコメディである。
何と最後はミュージカルで結ばれるのだ。
結構音楽も良いし充実感が残るかも。

HOW TO BE A GOOD WIFE002

1967年。
アルザス地方の小さな村にあるヴァン・デル・ベック家政学校が舞台。
良妻賢母の女性を育成する田舎の学園である。
しかし生徒たちは端から教育方針に懐疑的。既に自由や自己主張の文化に気づいていない訳ではない。
元々親に無理やり押し込まれて来たこともあり、いつも何をか企んでいる(笑。
だいたい、1967年と言えば、ムーディーブルースもプロコルハルムもデビューした年である。
その時期にこの学校は流石にないわ(笑、、、。

HOW TO BE A GOOD WIFE001

校長も(封建的で男尊女卑の理念による)7箇条の教えを元に、あるべき女性教育を施してゆくが、急死した夫が多額の借金を残していたことが分かり、学校が倒産の危機に瀕するに及び、男任せではならないことに気づく。
夫はウサギの骨を喉に詰まらせて亡くなったのだ。生徒は皆唖然とするばかり。
更にポーレットにとり青天の霹靂であったのは、取り引き銀行の担当者がかつての恋人であったのだ。
彼は戦後収容所に入れられ、彼女も戦火を逃れ他の場所に移住した為、長らく連絡がつかず、別々の人生を送って来た。
しかしこの30年越しの再開で、お互いの気持ちが再燃し、誰にも従属しない主体的な生き方を欲するようになる。
お陰で学校の奇跡的な救済計画も提案されるが。
このアンドレの存在が彼女にとり決定的なものとなる。

HOW TO BE A GOOD WIFE004

そして彼女らにとり変革の引き金となった事件が、生徒の一人が親くらい歳の離れた農場主との結婚が決められたことを儚み自殺を図ったことである。幸いすぐに友人が首を吊ったロープから降ろして一命をとりとめるが、これに際し校長は自分の教育方針が根本的に間違っていたことを悟る(暫くショックで寝込むが)。
これまで教えて来た教育7箇条を全て上書きする方針を打ち出し、服装もパンツルックで、闘う女性闘士みたいに生まれ変わる。
このアクティブなポーレットを周囲の皆が歓迎する。
つまり皆が同様の意識に目覚め突き進もうとしていた。

HOW TO BE A GOOD WIFE005

校長を中心に、皆がファッショナブルに活き活きしてくる(修道女は衣装はそのままだが)。
皆の表情が違う。
そして最後は、修道女テレーズの運転で生徒教師共々パリを目指す。
途中で五月革命の余波から道路の通行が出来なくなったところで、バスを乗り捨て、皆でパリに向かい行進を始める。
それがとてもカラフルなミュージカルとなる(笑。彼女らの女性解放宣言である。
パリまで到底徒歩では行けまいが、ともかく元気が出て来るのだ。
そんなパワーが迸る場と謂うのがまさにここであった。自然にミュージカルとなった(違和感なく)。

HOW TO BE A GOOD WIFE006

ジュリエット・ビノシュが幾つになってもジュリエット・ビノシュであることが分かる。
コメディやっても、とてもステキであり、踊っても可愛らしい人であった。
もう少し女子生徒の個々の演技も見たかった気はするのだが。
ただし、一言、パリに一緒に行こうねと約束した女子が相手に対し、「わたし海を見たことが無いの」と言う。
これで彼女らの置かれた状況は推測できる。花嫁学校さえ出ておけば、何とか都会の男性と結婚できるか金持ちの家の家政婦になれるという希望が持てる貧しい農村部の家の子たちなのだろう。僅かなシーンで情報はしっかり伝えてくれている。
これから先の彼女らはきっと自分の生きたいように生きて選択してゆくはず。
また、このような学校は消えてなくなるだろう。ポーレットもこの学校は終わりにすると言っていた(違う学校として存続を図るか?)
脇を固めた大ベテラン女優2人は存在自体に迫力があった。
存在感って大事である。

存在感の薄いわたしはつくづくそう思う(爆。




Wowowにて









ブラッディ・スワン

Fantasma004.jpg

Fantasma
2018
アメリカ

ブレット・マレン 監督

ケンドラ・カレッリ
キャロライン・ウィリアムズ
デビー・ロション


「幽霊」なのか、、、「ブラッディ・スワン」という邦題、「ブラック・スワン」と勘違いして(とても似たものとして)便乗して観て貰おうという根性か?わたしもそんな感じでポチっと押してみてしまったではないか(苦。
狂気の芸術的欲望の代わりに単に凶暴な狂気が描かれる。

Fantasma001.jpg

バレエ学校を舞台にした、解離性同一性障害者による連続殺人事件の噺。
吹き替えで観たのだが、声優が不自然で終始気になった。特に精神科医の声。
何と言うへたくそなのか。
声優が如何に大切な仕事かよく認識できた。

それにしても必ず犠牲になる子がそれらしく犠牲になるので、観ていれば今度はこの子の番か、と察しがつくようにご丁寧に作られている。
とても安定感のある演出だ。アメリカ映画にはとても思えなかった。
イタリアのカメラマン出の初めての監督作品とかいうタイプに思えた(笑。
またしてもパスタが黒い蛆虫になったりして、白か黒かは兎も角、蛆虫はホラーの必需品のようだ(トホホ。
新鮮味は全くないが、スプラッター度はかなり高い。
そこを評価する人はいそうだ。
しかし噺は単純そのもの。ミスリードを誘う傍流も無く一直線に最後まで流れて終わる。

Fantasma002.jpg

解離性同一性障害のヒロインが幼いころに両親を惨殺し、その後バレリーナとして実力をつけ、ついにプリマとして舞台に上がるまでになる。だが突然、彼女の周辺の生徒や教師、医師までもが次々に猟奇的で惨い殺され方をしてゆく。
ジャーナリスト?がその事件を追うが、別に何を暴くでもなく、事件を阻止するでもない、何しに出て来ているのか分らぬ。
訳の分らぬ微妙な立場の男を置いても話が豊かになることはない。
結局、幼いころ両親を殺害した自分が華々しいヒロインとなって幸せを掴むことに異を唱える人格が頭をもたげたということか。
(事件が起こるに際し、必ずそれを予見するような悪夢に悩まされるようになる)。

そもそもヒロインにとり、かつてどのような耐えがたい状況にあったのか不明であるが、そこの部分を全省略してでもスプラッター趣味に尺をじっくり使う監督の方針であったことは分かる。
幼少時に受けた酷く重いダメージを回避している間に、切断した記憶と感情が独自に成長し続け、突然人格を支配して凶行に及ぶというにせよ、(全部こっち任せでは)どうもその重みが感じられない(笑。

Fantasma003.jpg

ただ、ヒロインがどんどん追い詰められ懊悩する流れはよく分かるところであった。
終盤、自分の深く抱え込んで来た人格が自分を乗っ取ってしまうことに気づく。
気づいてから3人くらいを血祭りにあげることで、連続猟奇的殺人犯は自分なのだ、と悟る。
(それまでは何故、仲の良い友人が次々に惨殺されてゆくのかと慄いていたのだからショックであろう)。
自分ではどうにもならない醜い怪物に変身するイメージが描写されそのまま凶行に及ぶところは、説得力のあるシーンとなっている。
仮面ライダーの怪人みたいだ。

他のドラマでも解離した支配的人格を対象化して観る他人格の存在を描いていたが、そういうものなのか。
(そのような亀裂をもちつつ苦悶するもののようだ)。
自覚していて、やってしまうというのは酷く辛いものである。
最後、地下でミイラみたいになって果てていたがそこがよく分からない。
オカルトになっている。
役立たずのジャーナリスト風の男がその傍らで頭を抱えていた。何なんだこの役柄は、と言いたい(笑。



AmazonPrimeにて



ルシー・イン・ザ・スカイ

Lucy in the Sky003

Lucy in the Sky

2019
アメリカ

ノア・ホーリー監督・脚本
エリオット・ディジュゼッピ、ブライアン・C・ブラウン脚本・原作

ナタリー・ポートマン、、、ルーシー・コーラ(宇宙飛行士)
ジョン・ハム、、、マーク・グッドウィン(宇宙飛行士、浮気相手)
ザジー・ビーツ、、、エリン・エックルズ(NASAの訓練生)
ダン・スティーヴンス、、、ドリュー・コーラ(夫。NASAの広報)
エレン・バースティン、、、ナナ・ホルブルック(祖母、育ての親)
パール・アマンダ・ディクソン 、、、ブルーアイリス(姪)


こんな変な映画久しぶりだわ。
ナタリー・ポートマンと言えば、わたしはジョディ・フォスターと並び優れた推し女優なのだが。
宇宙もので「コンタクト」と「この無残な映画」との差は余りに大きい。

ナタリー・ポートマンが狂気を演じたものでも「ブラック・スワン」は大変インパクトのある説得力を持った傑作であった。
これとは比べ物にならない出来である。

Lucy in the Sky001

何でも実在の宇宙飛行士を元に描いたと言うが、別に実際にあった狂気を描けばよいと言うものではない。
実際にあろうが、なかろうが、そんなことは、全くどうでもよい。
単に映画作品としてどうか、というそれだけのことだ。
それに作品化する時点で、何が元となろうが、全てが完全に虚構でしかない。その点は言うまでもないこと。
そんなことへの拘りや価値など全く意味ない。
では、何でこんなものを敢えて作ったのか。訴えたいメッセージとかがあってのことか?

宇宙飛行士は帰って来ると、(プリミティブな)宗教者になる人もいたりするが、少なからず宇宙の中の人間の位置について考え魂~精神界について思慮を巡らせる傾向が見られる。
だが、この女性は全く逆だ。
それも勿論(人それぞれ)あって良いのだが、このような発狂の仕方自体、取り上げて映画作品に定着する意味~価値がそもそもあるのか?
その意図が分からない。

Lucy in the Sky002

ただの変な人ではないか。
ナタリー・ポートマンのような優秀な人が、そこに何を見出し、何に共感しその生を描こうとしたのか?
ホントに単に変な人になっていただけ。その意味ではなりきっていたのだが、何で、と聞きたい。
「ブラック・スワン」は、ひたすら自分の追い求める美を追求する過程で狂気へと至ってゆくドラマが素晴らしい演技と演出で描かれており、吸い込まれるように魅入ってしまったものだが。
これは、観て行くうちにどんどん観る気が失せて来る何なんだこの女は、というともかく傍迷惑な存在について行けなくなる。
夫をはじめ周囲の大変優秀で品格もある人々に対し、無礼極まりない態度で接し(浮気も堂々として)、独善的な行動で掻き回し、最後はあれである。
少しはいつも一緒にいる姪が何とかしろ、と思っていたら車に準備しておいたピストルを自分のバッグに隠したことだけは、評価したい。というか、あの姪にしては、よくやったと褒めたい気持ちだ。
そのまま銃をぶっ放していたら、シャレになるまい。

Lucy in the Sky004

まあ、確かに自分をともかく目立たせたい、一番でいたいみたいな人がヒステリックに振舞うパタンはあるが、宇宙飛行士の場合、一緒に搭乗するクルーとの関係もある。自己中の独善家が何をかやらかしたら当然他の飛行士の命の保証もない。
クールダウンしろと少し休養を取るように謂われ、次の飛行は見合わせることは、管理側からすれば当然の配慮であり措置であろう。それに対して逆恨みをして支離滅裂な噺を研修生に吹き込もうとするなど、もう危険人物としか言いようがないではないか。

監督としては(脚本家も含め)、こういう人がいましたという物語をどうしても作りたかったのか?
その意図がどうにも分からない。
ともかくジョディ・フォスターの「コンタクト」とは、天と地の差だ。
「コンタクト」は正直、感動して涙なしに観られぬ映画であったが、、、
(「コンタクト」は優れたSF映画であったが、これは精神障害の一つのパタンを描写した映画と言えようか)。
観る価値とは何か、と考えさせられる作品ではあったが、わざわざ観るまでも無かろう(2時間超えである)。

何の為の映画なのかが、さっぱり分からん。




Wowowにて



小泉今日子 宇宙人説

kyonn001.jpg


1992

滝田洋二郎 監督
一色伸幸 脚本 
劇中曲 スターダストメモリー、学園天国、なんてったってアイドル、あたしのロリポップ

小泉今日子 1号~5号


片付け仕事をしていたらセルVHSテープが沢山出て来た。そのなかの一つ。目を惹いたものだ。
所謂、録画VHSテープを含め450本ほどあるのだが、どうしたものか。
それらの整理も考えなくてはならない。
取り敢えずまだデッキが二台残っているので幾つかまた観てみようとは思う。
(貴重なものがどっさりありそうなのだ)。
画質はきっと驚くべきものだろうが(笑。

地球制服の為に派遣された小泉今日子は惑星K2から来たそうだ(キョンキョンだからか。ちょっと安易(笑)。
人類を力で征服するのではなく、崇拝へと導き支配する方法をとったという。
成程。
「なんてったってアイドル」で成功を収めた。

kyonn003.jpg

知らぬ間に洗脳されて思うように操られる可能性は充分にあり。
全人類が気づかないということもあり得る。
しかし誰もが気づかなければ、それまでの噺。
悲惨なのは誰かが真実を知った場合である。そうでなければ不幸か幸せなのかも分からず仕舞い(笑。
分からないまま、全体として何となく終わる。
(全体~世界が二分の一になったら、それを知る人は誰もいない。余計な噺だが)。

何でも彼女の自宅のロッカーみたいなところに小泉今日子は5体ほど格納されていて、ライブ用とか映画用など仕事によって分業しているとか。
時々、故障してメンテナンスしていたり、、、
宇宙人ではなく、彼等が地球に送り込んだロボットでしょ。それ。
ロボットの1号~5号。

何にしたって生命体がいきなりその現場に訪れることはない。
今後、人類が火星をテラフォームして移住を始めるにせよ、その環境作りの過程は全てロボット任せとなる。
完全に環境が整ったところで、はじめて本体がやって来ると言うもの。
征服の場合もそうであろう。

5体のロボットの活躍を垣間見るフィルムであった。
唄ったり、映画で演じたり、マスコミ対応したり、インタビューに応えたり、、、。
そして地球人受けする可愛らしく煌びやかなパフォーマンス。
外宇宙からきているから自己プロデュースも想定外の見事さであった。
やはり地球産とは違うわ?

kyonn002.jpg

と謂うところで、一番、勢いのある時期か。
わたしの地元のアイドルなので、他のひとより鮮明に覚えている(爆。
(身も蓋も無いが、当時地元の星だと喜んでる連中がいたっけ)。
榮倉奈々もそうで、わたしが娘とよく一緒に遊びに行く公園の橋の上での写真を見てびっくりしたことがある。
恐らく気づいていないが、他にも何人かいると思う(NHKの朝ドラヒロインやってた人もいたな)。
そうそうバナナマンの日村さんもそうだった。
結構、地球産宇宙人はいるもの(バシャールによれば地球人は皆異星人とのハイブリットらしいが。となれば、どんな宇宙人になるかの問題となろう)。

ということで、今日は若い頃のキョンキョンを観た(笑。
変幻自在の変身~プロデュースによりキラキラしたアイドル像を更新し続けた人は他に類をみない。
乃木坂を卒業したひとたちも思い切った自己プロジュースを断行し新たな異星人と化してゆかないと生き残りは難しいだろうね。
勿論、イクちゃん頑張れである(確かに彼女は地球人ぽくない)。


小泉今日子に学ぶところは、まだまだ大きいと思われる。
(但し、このビデオはほとんど内容らしい内容もなく、名場面とかが入っているわけではない。その意味では地味)。






VHSビデオより








LDがあった(笑。




続きを読む

サスペリア

Suspiria006.jpg

Suspiria
1977
イタリア

ダリオ・アルジェント 監督・脚本・ナレーター・音楽
ダリア・ニコロディ 脚本
ゴブリン 音楽

ジェシカ・ハーパー、、、スージー・バニヨン(アメリカ人バレリーナ志望)
アリダ・ヴァリ、、、ミス・タナー(主任教師)
ジョーン・ベネット、、、ブランク夫人(女性理事長代理)
ウド・キア、、、フランク・マンデル(精神科医)
ステファニア・カッシーニ、、、サラ(学園のスージーの友人)
ルドルフ・シュンドラー、、、ミリウス教授(魔女に詳しい)


「サスペリア」が何故かガ~ンと目に入ってしまったので、ポチっと押して観てしまった。

Suspiria001.png

ドイツのバレエ名門校に入ってみたら、何なのよ、という映画。
当時やたらとゴブリンのテーマ音楽があちこちで鳴っていた。懐かしい。
これ聴くだけで映画も観た気になり、実際に観る気にはならず仕舞いであった(笑。
音で脅かすのは嫌いだと前に述べたが、蛆虫を降らすのも嫌いだ。やめて欲しい。
怖がらせるのではなく、嫌がらせである。カッパ海老せんとか食べながら観ていたらどうするの(怒。

学園の内装が結構シュールなアートで素敵。
魔女が支配していなければウキウキするところだ。していても嫌がらせをしなければ構わないのだが。
ただ端からゴブリンの音楽が鳴り響いていて、その後も何かと直ぐに鳴る。
もうそろそろ何かあるぞ~というのを先走って伝えて来るので、驚きはない。そして怖くもない。
こちらとしては、蛆虫に気を付けておやつを食べることに集中すればよい。

Suspiria005.jpg

最初に大雨が降り、学園から出て来た女学生が血相を変えて何やら口走り逃げてゆく。
この学園が大変ヤバいところだというのをわれわれに知らせるのだ。
そしてパニックの女子がお友達の家に逃げ込むと、その家に急に異変が起こりその子とお友達両方が惨殺されてしまう。
イントロでこれである。

さぞ禍々しい事件が続出するのでは、と思うとその後はゴブリンミュージックと蛆虫とかで煽りながらじらしてゆく。
学園の教職員に対し不信感や疑念を持った者は排除されてゆくのだが、その刃はヒロインにも向けられる。
スージーに魔術で呪いをかけ不調にして特別な食事を与え、薬を混ぜて弱らせるという周りくどい方法でじわじわと来るのだ。
ただ夜に眠くなるだけの薬にも想えたが、、、。

Suspiria002.jpg

そしてあからさまに飼い犬がマダムの甥の少年に咬みついた角で盲目のピアニストが解雇される。
彼は夜に如何にもという感じの公園を横切る際に(呪いに)操られた飼い犬によって噛み殺される。
これが見せしめとなったかどうかは微妙。学生たちも彼に同情する子はいなかったし、効果は無かったみたい。
その後、教師たちが家に帰宅するのではなく学園の中の何処かの部屋に集合して行く気配を感じ、それをスージーの友達のサラが突き止めたがる。スージーが初日に見た女子もそれを探るうちに姿を消してしまったのだ。その子の友人でもあったサラは殊の外、この件に拘っていた。
そしてそれを探りに行った彼女も殺されてしまう。

Suspiria003.jpg

スージーもいよいよサラが姿を消してしまったことで、この学園の危うさ~恐ろしさを実感する。
サラの行方を捜し彼女の知り合いの精神科医や魔術に詳しい学者とも会い、魔女の存在を知り、それに迫って行く。
そして毎日特別メニューで出される食事を拒否して流しに捨てると夜眠くならないのだ。
そこで彼女も学園の消灯後の足音の数と方向を探り、その部屋を見つけ出すとそこには学園の教職員と犬が咬みついた子供まで全てが揃い、会議を開いているのだ。そこで議題に上がっていたのは、あのアメリカ娘を殺そうと言うものだった。

Suspiria004.jpg

さて、ここからが凄まじい修羅場になるぞ、と期待が膨らむところ、、、なのだが、、、
余りの恐ろしさにスージーは逃げるように他の部屋に入ると、とっくの昔に焼け死んだと伝えられる魔女がまだ生きながらえており、スージーに呪いをかけて殺そうとするのだ。殺されたサラを操りスージーに襲い掛かって来る。これまでの殺人も教職員を操りやらせていたようだ。
だが姿を消していたその魔女の輪郭が微かに光り、いる場所を悟った彼女はそれに向けナイフを突き立てる。
ぎゃ~と断末魔の叫び声を発しその魔女は息絶える。
何とも呆気ない。余りに不甲斐ない。こんな素人の小娘に、何たる失態。

Suspiria007.jpg

すると先ほどまで威勢よくスージー殺害計画をまくしたてていた教職員の面々も血を吹き出し倒れてゆく。
そして学園の建物自体が崩れてゆくのだ。
彼女が外に出るとすでに全てが火に包まれてゆく。彼女の他の学生寮の学生たちはどうなったのか、スージーだけ助かって彼らは丸焼けなの?画面からはその消息は窺い知れない。

ヒロインのスージーが実際に華麗なバレエを踊るシーンなどちょっと挟んで欲しかった。
学園の中をもっとサイケデリックにしても面白かったと思う。如何にも魔女の作り物という感じになって、、、。
ともかく、ちっとも怖くないホラーであり、ゴブリンの自己主張がやや強めに思えた。
蛆虫は一回だけであったが、このような嫌がらせが怖さに繋がることは無いという認識は持って欲しい。
ホラー史上最も呆気ない終わり方ではないの?




AmazonPrimeにて










ジュディ 虹の彼方に

Judy001.jpg

Judy
2019
イギリス、アメリカ

ルパート・グールド 監督
トム・エッジ 脚本
ガブリエル・ヤレド 音楽

レネー・ゼルウィガー、、、ジュディ・ガーランド(晩年)
ダーシー・ショウ、、、ジュディ・ガーランド(10代)
ジェシー・バックリー 、、、ロザリン・ワイルダー(ロンドン公演でのジュディのアシスタント)
ルーファス・シーウェル、、、シドニー・ラフト(3人目の夫)
マイケル・ガンボン、、、バーナード・デルフォント(興行師)
フィン・ウィットロック、、、ミッキー・ディーンズ(5人目の夫)
リチャード・コーデリー、、、ルイス・B・メイヤー(映画スタジオの責任者)
ベラ・ラムジー、、、ローナ・ラフト(ジュディとシドニーの娘)
ロイス・ピアソン、、、バート(バンドリーダー、ピアニスト)
アンディ・ナイマン 、、、ダン(ジュディの長年のファン、スタンのパトナー)
ダニエル・セルケイラ、、、スタン(ジュディの長年のファン、ダンのパトナー)
ジェマ・リア=デヴェロー、、、ライザ・ミネリ(ジュディと2番目の夫の娘)
ガス・バリー、、、ミッキー・ルーニー(ジュディとコンビを組んだ俳優)


名声を手にし、才能溢れるエンターテナーが必ずしも恵まれた私生活を送っていた訳ではなかったという噺は珍しくはない。
(寧ろ何もかも恵まれていたという方が少ないかも知れない)。
このヒロイン、ジュディ・ガーランドはその極致の人か。
だが、それを物語化するとなると、何とも言えない既視感というか、パタンが重なって来てしまう。
これが大変難しいところだ。幼い頃の抑圧と不遇、名声と引き換えの孤独、愛に引き裂かれる試練等々、、、。
こういったステレオタイプ~フォーマットに嵌り込んでしまうのをどのような角度で見せてゆくのか、となろう。

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2歳からステージに立ち47歳で亡くなった女優ジュディ・ガーランドの晩年を描く映画。
大変な脚光を浴びた女優でありジャズシンガーであったが、晩年の彼女は借金塗れで3人目の夫に二人の子供の親権を奪われ、最後の夫とも喧嘩別れとなる。
子どもとの生活を夢見ながら、いつしか子供のこころが自分から離れてしまったことに気付き、その苦悶の中で薬物中毒と神経症に苛まれる。その悲痛な生活の中でも幼い頃からの習性とも謂えるか、ショーの舞台は皮肉にもしっかり熟していた。
ハリウッドデビューであったが途中からイギリスなどに渡ってジャズシンガーとしても実力を遺憾なく発揮した彼女ではある。
しかし私生活では苦難と波乱続きで、何度も自殺未遂を繰り返し、生涯5人の夫と離婚もしていた。

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最後に彼女の言葉として、こころにとって人を愛するより愛されることが肝心だという趣旨のものがあるが、確かにその通り。
彼女は幼い頃から母親、ハリウッド、ショービジネス界の食い物にされ、虐待以外の何物でもない食事と睡眠を薬物によって制限、コントロールされ心身に取り返しのつかない深い外傷を受けている。幼い子供に薬をあんなに過剰に飲ませるなんて犯罪以外のなんであろうか。少なくとも、そこに愛など微塵も無かった。
長じてハリウッドの出演映画では世界的な評価は得るが遅刻癖などから受けて然るべき賞の受賞を逃がしてもいた。
彼女を好きなだけ食い物にしておきながら、ハリウッド自ら彼女の受賞を妨害していたのだ。彼女に対する仕打ちは酷いものだった。
彼女が自殺とも取れる睡眠薬の過剰摂取でバスタブで死んでいたのを受け、二人目の夫との間の大女優でもある娘ライザ・ミネリは、「母はハリウッドが大嫌いだった」と謂い、ニューヨークの墓に葬っている。

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ジュディ・ガーランドはその当時、著名人では最も早くLGBTに対する理解と共感をはっきり示していた。
映画の中でもその経緯が感動的に描かれる。
彼女にはマイノリティの心情に同情する気持ちの余裕があったのではなく、彼等の抱えた辛さにストレートに共振する酷く壊れやすいこころがあったというだけだと思う。
彼女の長年のファンである同性愛カップルのスタンとダンは彼女の歌にずっと支えられて来たが最後のステージで彼女に恩返しをする。「虹の彼方に」が感極まって唄えなくなった時に、彼ら二人が客席から唄い始める。恐らく初めて彼女が愛を実感するところか。ここは物語のピークである。

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これを観ると彼女の人生も、決して孤独で辛いだけのものではなかったことがよく分かる。
彼女は特にLGBTの人々には愛され慕われていた(彼女の死後の彼らの行動・活動にそれがよく現れている)。
「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」はエルトン・ジョンにより、彼女への追悼として書かれたことは有名だ。
彼女の彼らに及ぼした影響は大きい。
とても生きづらい苦痛ばかりの人生であったが大変濃いものでもあったことは確かだ。

何と言うか、ご苦労様と言いたくなる映画であった。

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知的で抑制の利いたアシスタントを演じたジェシー・バックリーの存在が一際光る作品でもあった。
彼女が唄いまくる「ワイルド・ローズ」も観てみたい。




BSにて










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思い、思われ、ふり、ふられ

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OMOI OMOWARE FURI FURARE
2020

三木孝浩 監督・脚本
米内山陽子 脚本
咲坂伊緒『思い、思われ、ふり、ふられ』原作
小瀬村晶 音楽

浜辺美波、、、山本 朱里(両親の結婚により理央と血の繋がりのない姉弟)
北村匠海、、、山本 理央(両親の結婚により朱里と血の繋がりのない姉弟)
福本莉子、、、市原 由奈(朱里の親友、理央に恋する)
赤楚衛二、、、乾 和臣(由奈の幼馴染、朱里に恋する、映画監督志望)
上村海成、、、我妻暖人(由奈に恋する)
三船海斗、、、亮介(朱里の元カレ)
古川雄輝、、、乾聡太(和臣の兄、俳優志望)
戸田菜穂、、、朱里の母


浜辺美波が出ているから観たな、と思われると、しゃくなのだが、実はその通りなのだ(爆。
そもそもわたしが青春真っただ中の甘酸っぱい恋愛ものをどうして観るのよ?他に理由ある?
ホラーとラブストーリー(ラブコメ含む)ほど、苦手な分野は無い。
(これは今も変わらない。若干、ホラーには慣れてはきたが、あの音で脅かすタイプのものは未だにダメ。やめて欲しい)。
『別冊マーガレット』に収録された略称「ふりふら」として有名な漫画が原作だそうだ。
未読である(こっちには浜辺美波、出てないし)。

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「ここではないどこか」を探す男女の恋愛物語みたい。
確かに。
恋愛自体が、自分をここにいて、ここでないどこかに誘ってくれるような「クラインの壺」みたいなものではないか?
表も裏も区別のつかないような、現実か虚構か分からないような、、、。
ふとそんなことを思いついた。

要するに今置かれた自分の現実がとても苦しく居た堪れない。しかしどういう形でも逃避では何も変わらない。
だが恋愛という変換作用によってそのままでいながら異なる場に出ている。
そんな感じ(笑。

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ともかく、主演演者4人はお見事。
なかなかハラハラさせて上手い。演技も演出も。
最初から見ると同じなんだけど違う人になっている。

勿論、他の経験からも人が大きく変容する契機はあると思うが、恋愛の変換力はかなり強いものだと思う。
特にそれを体験するのが多感な(不安定な)思春期である。
そこが大きいと感じた。
(通常、人は何をやっても何を経験しても変わらないことの方が圧倒的に多い。やはり思春期における恋愛力にはただならぬものは感じるところ)。
でもどうだろうな。
何とも言えない(笑。

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物語は丁寧に練られたもので、伏線の回収も申し分ないものであった。
その時々の心理描写も的確で、共感出来るものである。
浜辺美波は流石に細やかな説得力ある演技であった。
他の3人も言うことなし。北村匠海とは「きみスイ」以来のタッグだねえ。感慨深い。
それから徒に沢山の人を出し過ぎないところに好感が持てた。特に乾の両親の見せ方。必要以上にキャストを膨らめずにストーリーに集中させる演出は成功している。
福本莉子の直向きな瑞々しさ(の演技)は際立っていた。
ただ、戸田菜穂演じる母親がもうちょっとしっかりせい、と言いたいところだが、そういう人物設定なのだろうし仕方ないが。
唯一イラつく部分ではある。

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ともかく、最後はしっかり着地するのだが、朱里は家庭を守ることをやはり第一にしているのか?
恋愛感情に嘘がなければそれでよいのだが。どうもそちらを優先して感情を抑圧するタイプだ。
わたしは、なんやかんやあっても、朱里と理央が素直に結ばれるものと思っていた。
(両親が離婚すれば問題なかろう)。
あれだけ朱里のことが好きな理央が由奈に靡いて、朱里が乾にシフトする。
(この変換がちょっと強引に思えるところはある)。
その過程が描かれてはいたが、好きという感情がちょっと意識~システムに従属するきらいはあった。
もし朱里と理央がホントは好きなのなら、二人で駆け落ちという手だってあるはず。
経済的に何とかなれば、大学に入った後にでも。

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まあ、皆納得して嬉しそうにしていたので、そういうものなのか、と思った(笑。
同じに見えて違う人だ。

浜辺女史には、そのうちガチガチのハードSFに出て貰いたいものだ。
まずは、シン仮面ライダーに期待したい。




AmazonPrimeにて








ツイスター

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Twister
1996
アメリカ

ヤン・デ・ボン 監督
マイケル・クライトン、アン・マリー・マーティン 脚本
マーク・マンシーナ 音楽
ヴァン・ヘイレン - 『Humans Being』主題歌

ヘレン・ハント、、、ジョー・ハーディング博士(ストーム・チェイサー)
ビル・パクストン、、、ビル・ハーディング(気象予報官、ストーム・チェイサー)
ジェイミー・ガーツ、、、メリッサ・リーブス博士(精神医学者)
ケイリー・エルウィス、、、ジョーナス・ミラー博士(ライバルストーム・チェイサー)
ロイス・スミス、、、メグ・グリーン(ジョーの叔母)
アラン・ラック、、、ロバート'ラビット'ノリック(ストーム・チェイサー)
フィリップ・シーモア・ホフマン、、、ダスティ・デイビス(ストーム・チェイサー)


シンプルに「竜巻」
まさに!
disasterムビーの極み。
BSで観た。

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危険極まりない竜巻観測に、命知らずと言うか無謀なアタックを続けるジョーを中心としたストーム・チェイサーの一団の物語。
直ぐ目の前を凄まじい速度で黒々と天までうねる竜巻のド迫力。牛が飛び、家が飛び、車やトラクターが飛び、、、野外映画(上映中の『シャイニング』)のスクリーンが暗闇に溶け込むように徐々に破られてゆく様など鬼気迫る演出が続く。
この時代に見事なVFXだ。寧ろ今のものより臨場感を覚える。
実に上手い。驚きである。

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幼少時、F5クラスの巨大な竜巻に父の命を目の前で奪われたジョーのトラウマが彼女を突き動かしていた。
ビルの開発した「ドロシー」という観測装置を竜巻に呑みこませ(仕掛け)、竜巻予報を可能にしようとするが、「ドロシー4号」で初めて成功を果たす。それまでは命がけのトライが悉くあと一歩のところで全て失敗。
まあ、普通は竜巻が迫ったら必死に逃げるものだが、彼らは追って行き、並走して観測するのだ。
だが、ソレが不意に進路を変更すれば、悲惨にも逃げきれず呑みこまれておしまい、となる。
ビルの開発した装置を盗み流用したライバルのジョーナスのように。
(こうした小憎らしい敵役も終盤まで活躍させることで、エンタメとしての面白さと緊張感を維持してゆく)。

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これは、もしかしたら戦争の激戦地最前線で闘い続けるようなものか。
精神的にはうんと近いものを感じるのだが。
ジョーのチームの物腰は柔らかいが命がけの賭けに憑りつかれたダスティのようなメンバーもいる。
最前線での闘いでしか生き甲斐の見いだせなくなった兵士みたいな感覚だ。

最後の二つの巨大竜巻が合体してそれまでのF2~F3クラスのものを大きく上回るF5レベルの圧倒的な竜巻となるところは圧巻である。これはジョーが幼いころ、父の命を奪った時と同じクラスのものであった(他のメンバーは初めて見る~知る)。
そしてその竜巻は、メンバーがしばしば集まり御馳走になるジョーの叔母のメグの家を破壊していた。
ジョーは竜巻警報が出ないことの不備を心底思い知る。
幸いメグは、ジョーとビルが家が崩れて解体する寸前に犬と共に助け出す。

これら一連のジョーとビル一行の熾烈な闘いを傍で見て来たビルの婚約者のメリッサは事態を正確に把握し、ビルにジョーと共に生きることを諭して身を引く。ビルはジョーと離婚し精神科医のメリッサと再婚する予定であった。
そりゃこんな過酷な旅団と共に行動していたら普通の神経では参ってしまう。
更に彼女の専門領域からみても、ビルはジョーと共にしか生きられないことも分かる。
安定した生活が幸せとは限らない。

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最後の最後に飛んでも無く過酷な超巨大竜巻(F5)を相手に、改良型「ドロシー4号」を新車ごと呑みこませる形で、仕掛けることに成功する。だがその後は走って逃げるしかなかった。竜巻が壊して飛ばす物は全て凶器に他ならない。何でも鋭利なまたは圧し潰す凶器となって飛んでくる。へたなオカルトものなど及びもつかない凄まじさ(確かにポルターガイストの極限版みたいな光景でもある(笑)。
命からがら逃げ込んだ納屋も綺麗に吹き飛ばされるが、鉄の支柱に体を縛り付けて九死に一生を得る。これ程のサヴァイヴァルものも見たことがない。

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ジョーはビルと共に、危機を乗り越え、観測装置の作動に成功し、離婚の危機も回避し、熾烈な体験を制してトラウマも恐らく乗り越えたはず。
ともかく、凄まじいカタストロフを味わえる作品だ。

この監督、「スピード」の監督ではないか。
やはりねえ。
怖くて重苦しい思いを経たが、久々に爽快感を味わえたわ(笑。




BSにて










デジタル・アディクション -スマホを手放せない人々-

digital addiction

digital addiction
アメリカ
2019

カレン・ピント 監督・脚本

依存症の人(ゲームとSNS )
その家族
カウンセラー


Amazonが時折やる、ドキュメンタリーものである。
肝心なところがブラックボックスな噺であったが、、、。

ゲーム依存とSNS依存の二人のケースを取り上げたドキュメンタリー映画。
どちらも家族~家庭が悲惨な状態となり手は尽くしてきたがどうにもならず、身の危険も覚えるレベルとなり、最後の頼みで信頼できるカウンセラーのもとで療養施設に入所し治療するというもの。

今やデジタルに依存していない人の方が珍しい現状と言えるが、このように「ゲーム」と「SNS」に嵌り込んでしまうと、極端な場合はこうなるだろう、と思う。
日常的な現実生活におけるあらゆる関係性の崩壊。
虚構の世界に埋没して完結し、一歩も外に出られない。いや出ようとしない。
少しでもその外に連れ出そうとすれば激怒して半狂乱で暴力を振るう。
このバーチャル空間の外の事柄は全てどうでもよい。
邪魔する者は殺意の対象でしかない。勿論、親兄弟でさえも。

カウンセラーの言うように自己イメージの低い人が成りがちであることも頷けるが、この暴力的衝動性は何であるのか。
ひとつ感じるのが、激しい飢えである。
嗜癖に従いやり続けているうちに更に過剰さを求めるしかなる、、、。
ただエスカレートするのみ。飢えが更なる飢えを呼ぶように。
この強迫性と衝動性を見ると「それ」が、彼らにとり生死に関わるほどの繋がりになっているのが察せられる。

ここまである種のデジタルを内在化してしまえば、新たな生物みたいになっていても不思議ではない。
だが、ひとつ分かったのは、このようなモノになっていて、家族には全く耳を傾けなかったり、嘘ばかりついて同じことを繰り返していても、権威ある他者が呼ばれてやってきたりすると、耳を貸すのだ。そういった他者に脆いのだ。
この際、家族がこころして当人を突き放すことが肝心となるが、もうこの先は無く、手を貸してくれる人のもとで再起を図るしか無いことを想い知らせる。

ふたりは家族とカウンセラーのタッグに説得され、療養施設で管理のもと40日以上を過ごした。
その成果は、、、
デジタルデトックスを経た二人は晴れやかな健康な表情となり、ゲーマーオタクはなんとアイスホッケーをやっているではないか。
それまでは、肥満でやっとこジャンクフードを取りに一階に降りて来る以外は丸一日二階の部屋でゲームに興じていただけであったのに。
SNS依存の彼女は、水着でサーフィンやったり湖に崖から飛び込んで泳いだり、ここまでやるかという感じ。
もう不健康なあの姿はどこに行ったの、である(ちょっと信じられない)。

この極端な変貌には面食らったが、これほど劇的な効果があるのなら試してみるべきであろう。
何をおいても家族が救われる。当人も当然だが、地獄で喘いでいた家族がキラキラした笑顔を見せていることが一番の成果と言える。映画では二人とも単にスポーツをしている場面しか観られなかったが、具体的にどういったカリキュラムが組まれて実施されたのだろうか。そこは一切触れられていない。
だが二人とも活き活きした表情で、口を揃えて新たに多くの可能性に気づいたという感じのことを言っている。
あれだけ快活に動けていれば確かに様々なことにもチャレンジできよう。

ホントにこれほどのデジタルデトックスが可能なのか。
もしそうなら世界にその画期的システムを普及させる必要があろう。
外部の権威に連れられて一か月ちょっと施設で暮らすだけの価値は充分ある。

ともかく、冗談のようなハッピーエンドであった。




AmazonPrimeにて







ノラ

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2010
大庭功睦 監督・脚本

染谷将太、、、葛西幸雄
三原康可、、、野見山繁
高野七聖、、、あかね
外間勝
安保由夫
諏訪太朗
三原康可
高野七聖
外間勝
安保由夫
諏訪太朗


染谷将太の個性が一番活きる類の映画だ。
ヒミズ」程ではないが、これも悲惨で重い。

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映画そのものも重厚な文芸作品的な出来栄えである。
そのため、説明的なシーンもなくセリフにせよ禁欲的に抑えられている。
その分という訳ではないが、変わった個性も目立つ。
何よりも幸雄演じる染谷将太の重厚な演技である。目と表情を完璧にコントロールする技量にはちょっと驚く。
父に片足を酷く痛められた為に常に足を引きずって歩く。
暗く屈折した心情が体中から露わに発せられる。
(しかしその割に他の演者はそれ程巧みさは感じられないものだった)。

施設を抜け出し、刑務所から戻った虐待を続けて来た父親に復讐を果たそうと森の中を彷徨う17の少年。
街道に出たところで軽トラにはねられる。
気は失うが幸い怪我は軽く済む。
但し、運ばれた場所が病院ではなく食堂なのだ。しかも警察にも連絡はしない。
このはねた男が、意識のなかったことをよいことに、ひき逃げされて倒れているお前を助けてやった、と恩を着せ俺のボートの修理を手伝えとくる。普通ではない。だが少年の方も施設を抜け出し、途中で問題を起こして逃げて来た身であることから警察には内緒をお願いする。

この経緯で、少年は何やら如何わしいオヤジのボート修理の手伝いをして暫く過ごすことに。
オヤジには幼い娘がひとりおり、母は海に身を投げて亡くなっていた。
ボートは母の命日に亡くなった海まで行き花を手向ける為に直す必要があったのだ。

一方、深いトラウマに悩む幸雄は、夜に悪夢に魘され目覚めるとそのオヤジがかつての父に見え、ナイフを取り出し刺そうとする。
すんでのところで、素手で刃を受け止めナイフをどうにか取り上げるが、掌に大怪我を負う。
今度は、幸雄の方が加害者となってしまう。
彼は鋸引きの出来なくなったオヤジの替わりを働き、ボートの修理は漸く終わる。

そして海に3人で乗り出し、その場所で娘が花を手向ける。
要の住んだ少年はオヤジに駅まで送ってもらう。
自分の手を見せて、こんなことをしても何にもならない、と諭すおやじを幸雄は振り切り復讐に向った。
廃墟で何やら酒を呑んでいるかつてと変わらぬ父を前にナイフで切りつける。
だが殺せと叫ぶ父に対し自分の掌をオヤジにしたように自ら切り父にその血を擦り付けてサッサと死んでくれと言い残して去る。
父がお前にも俺と同じ血が流れているんだと言われたことに対する行為であったことはよく分かる。

幸雄は何処に行く当てもなく、暫く同じ時を過ごした父娘のいる海辺の街に戻る。
家のチャイムを押しても誰もいない。海辺に行くと父娘が仲良く竹とんぼで一心に遊んでいた。
その姿に声もかけずに幸雄は独り去って行く。

吹っ切れた強さを感じさせるエンディングの表情であった。

低予算であることがよく分かる作品(自主制作)ではあるが、染谷将太が全てをカバーする出来であった。




AmazonPrimeにて



ラストレター

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Last Letter

岩井俊二 監督・脚本・編集
岩井俊二『ラストレター』原作
小林武史 音楽
森七菜「カエルノウタ」主題歌

松たか子、、、岸辺野裕里
広瀬すず、、、遠野鮎美(現在、未咲の娘)遠野未咲(回想)
庵野秀明、、、岸辺野宗二郎(父、漫画家)
森七菜、、、岸辺野颯香(裕里と宗二郎の娘)岸辺野裕里(回想)
小室等、、、波止場正三(昭子の学生時代の英語科教師)
水越けいこ、、、岸辺野昭子(裕里の義母)
木内みどり、、、遠野純子(裕里の母)
鈴木慶一、、、遠野幸吉(裕里の父)
豊川悦司、、、阿藤(未咲の元恋人)
中山美穂、、、サカエ(阿藤の同居人)
神木隆之介、、、乙坂鏡史郎(回想)
福山雅治、、、乙坂鏡史郎(現在、小説家)


ストーリー、演出については「チィファの手紙」で書きたい事は書いてしまった
先に観た「チィファの手紙」が瑞々しく余りに鮮烈であったため、こちらの作品には余り感動出来なかった。
こちらを先に観ていたら違う感想は持ったと思うが、わたしはやはり中国版の方が良い。

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違いはキャストとロケ地であるが、場所はどちらも問題ないと思う。街並み風景も旧家も廃校となった学校も、どちらも良い。
ただ、キャストについては、主演の若い女子は中国側の方により魅力を覚える。
遠野未咲に当たる女史の演技にわたしは完全に持っていかれてしまったもので。
ここでの広瀬すずと森七菜も勿論、申し分ないのだが、向こうが良すぎた。
本作を観て、再度「チィファの手紙」が観たくなってしまったくらい。

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確かにストーリーが同じでは、後で観たという不利な点はあるが、やはり演者の差かなあ。
庵野秀明や鈴木慶一に水越けいこなど思いっきり話題性のある役者を揃えてこちらはこちらで興味深いというか感慨深いものなのだが(特に庵野秀明のお父さんの存在感はウルトラマンより強烈(爆)。松たか子、福山雅治、神木隆之介、豊川悦司という強力な布陣に加えてである。
充分凄いのだが、、、瑞々しさであっちなのだ(笑。
サーランとムームーのインパクトが強すぎた。

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ここでも偶然、犬を連れて学校に遊びに来た鮎美と颯香を見かけ驚いて走り寄る乙坂鏡史郎のシーンではっとしたが、、、ここが大好きなシーンなのだが、、、やはりサーランとムームーのそのシーンの強度には及ばない。
それぞれの役を比較して観ようなどという気持ちは微塵もないが、どうしてもオーバーラップしてきてしまうのだ。

噺は二度目と言うこともあり、確認しながら観てゆく形は免れなかった。
驚きと意外性が疎外されるとこうも落ち着いて観られてしまうものか。

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森七菜「カエルノウタ」主題歌のエンディングは素敵だった。
瑞々しさと清々しさ、わたしがもっとも欲するものかも知れない。
若い女優は次々に凄い人が出て来て大変な激戦だなあと思う。

やはり見終わってみて一番、印象に残るのは、庵野秀明のお父さんか。
文脈を超えた存在感であった。
このお父さん主役でスピンオフが観たくなるほど(笑。

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しっかりリリカルな岩井監督ワールドではあった。
手紙のやり取り、紙に文字を書くことの風情。これは何らかの形で復権されても良い。
(今は、このブログもそうだが、なんでもパソコンでキーを打つだけで完結である)。
観て損するような映画では勿論ないが、、、。
中国版だけでも良かった気はしてしまう。




AmazonPrimeにて




ダイブ

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La caida
メキシコ
2022

ルシア・プエンソ 監督・脚本
カーラ・ソウザ 原案

カーラ・ソウザ
エルナン・メンドーサ
デハ・エベルゲニー
クリスチャン・バスケス
クラウディア・ロボ
エンリケ・シンガー
マベル・カデナ


この主演女優は凄い。
こころの葛藤と不安定な精神状態、意識の覚醒とその表情の変化など実に巧みに演じている。
だがベテラン女優ならこのレベルの演技の出来る人は少なくない。
しかしかなりまともに本人が飛び込みの試技をやっているのだ。
試合、練習も含め、完全にアスリートの筋肉に仕上げてそれらしく競技をしている。
ここが凄いのだ。わたしははじめは本物の選手が演技をしているのかと思ったが、素人に出来る内面の演技ではない。
完全なプロの演技なのだ。とすれば、体作りも含め相当な役作りをした結果だと窺える。

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如何にも意志の強そうな女性なのだが、非常に不安定で脆く、体調も上手く管理しきれていないベテラン飛び込み選手。
今回のオリンピックが自身にとり最後のチャンス。
実力はあるのに本番前に必ず躓きチャンスを逃がして来たようだ。

だがそれが抑圧した自分の過去の体験に起因することに徐々に気付いて行く。
それは、シンクロ競技の際、自分と新たにペアを組む若手選手がコーチから不適切な関係を強要されていることが顕わになったことに始まる。

最初は、そのコーチを守る側につき、彼が有能であることを説き、彼無しにオリンピックのメダルは不可能とまで言い、親を説得するのだが。
何より若い当人がコーチに洗脳されており、自らコーチを擁護する姿勢を示す。
この成り行きでは、親の主張は通らず、コーチの擁護派の圧勝に終わりこの件は揉み消されることに。

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これまで通りのオリンピックを控えたハードな練習に戻るが、ベテラン選手であるヒロインの身体がバランスを崩す。
精神に深くトラウマを抑圧していれば、体に何らかの不具合が生じてくるもの。それが根深ければ大きな変調が起きよう。
これまでも彼女は不安定(破滅的)で衝動的な気質に悩んでいたが、それが更に強まってしまう。
そして直前練習に支障が出て問題になり激しく動揺もする。
(この辺の状況が暗い室内プールで葛藤し独り泳ぐ彼女の姿に象徴される)。

しかしもう最後のオリンピックでありメダル~自身のキャリアに強く拘りのある彼女は全てを呑み込みコーチに従う。
だが、ペアを組む若い選手の日記を偶然見つけてそれを読み、そこに書かれた事柄が、自分がかつてそのコーチから言われ~されたことと同じ手口であったことを悟り、無意識に抑圧してきたトラウマが言語的に把握される~自分を支配してきた闇がはっきり意識されるのだった。

当然激しい怒りが込上げ、同時に若い選手を救う使命を覚える。
顔つきには精悍さが表れ、得も言われぬ不安は消えていた。

La caida004

メキシコ代表のオリンピックの競技の本番で、彼女は自身のキャリアを掛けた最期の場で、胸のすく報復に出た。
自分の選手人生は終わりを告げたが、ずっと自分を支配し続けたトラウマからの解放の一手を確実に打ったのだ。
彼女は水着のまま館内から外に出て、明るく開けた港?に出る。
その時の彼女の顔はこれまでで最も晴れやかであった。

もっとも肝心な大変辛いことを押し隠していることで、いつまでも人生の不調に悩み続ける場合がある。
何処かで大切な何かを犠牲にしてでも、それをはっきりと手放す勇気が必要となる。
それが長年大変な試練のなか拘り続けてきたオリンピックのメダルと引き換えであっても。
彼女は解放されることを選んだ。

とても清々しい。

キャストがともかく良い。
ヒロインも病んだコーチも翻弄される若手選手も実に説得力があった。




AmazonPrimeにて






灼熱の魂

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INCENDIES
2010
カナダ 、フランス

ドゥニ・ヴィルヌーヴ 監督・脚本
ワジディ・ムアワッド 「焼け焦げるたましい」原作戯曲
グレゴワール・エッツェル 音楽

ルブナ・アザバル、、、ナワル・マルワン(母、ルベルの秘書)
メリッサ・デゾルモー=プーラン、、、ジャンヌ・マルワン(双子の姉)
マキシム・ゴーデット、、、シモン・マルワン(双子の弟)
レミー・ジラール、、、ジャン・ルベル(公証人)
アブデル・ガフール・エラージズ、、、アブ・タレク(長男、双子の父、監獄の拷問人)
アレン・アルトマン、、、マダッド(レバノンの公証人)


SF映画では、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の作品はやはり最高水準だが、この映画の重さと驚きはSFでも味わえない。

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しかし味わいたくもない。
物事、知らない方がよいこともある。
これはまさに。
だがドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の作品となれば観るしかなかった。
大変惨く辛い映画だ。

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母が遺言で、双子の姉弟にあなたたちの兄と父を探しなさい。
そして(それぞれに)手紙を渡すのです。
それが済んだらあなたがたに手紙を渡します。
ここで初めてわたしは墓の下に眠ることになります。
みたいなことを公証人を通じて謂われてしまえば、従う他なかろう。
物語が始まる。双子の姉弟の数奇なルーツを巡る旅が、、、。

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「火」~「業火」とでも呼びたい。
1+1=1という途轍もない事実に驚愕する長く苛烈な物語。
母の時間系と現在の姉弟の時間系が錯綜しながら激しく渦を巻くように収束に向かってゆく。

レバノンにおけるキリスト教マロン派とイスラム教徒の内戦を経て、、、宗教に殺し合い以外の効能でもあるのか、、、
戦争にあっては、何が起きてもおかしくない。
しかし戦争は触媒に過ぎないとも受け取れる。
この本源的な「人間」という惨さ。
それが顕わとなったもの。
これはその極みだ。

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音楽が素晴らしく良かった。
最近聴いた映画音楽では際立っている。
音楽だけ何度か聴き直したい。
物語の方は観直せないが。

正直、これを観てどうすればよいの、である。曲以外はサッパリと忘れてしまいたい。
よく戦争の(絡む)映画を観て、この問題提起に対して我々はとか、こんな虚しさを繰り返さぬ為に等といったトーンのコメントを目にするが、そんな軽っぱしい分かったような無責任な口の叩ける余地など、ここには無い。
政治や社会構造でどうにかなるような事象を超えている。

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そのためか、重厚な絵がどうしても残るのだ(更に音と共に)。
無意識に沈み込むような。
甘味な猛毒みたいに。
これは痛い。
呑気な理屈など言っていられぬ外傷経験である。
しかも本質的な。

この次は解毒剤として作用する荘厳なSF映画をお願いしたい(笑。
Arrival”レベルのものを、是非!
こんなの又見せられたら身が持たんので。


勿論、傑作以外の何物でもない。
体調の良い時の鑑賞がお勧め。





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ショート・サーキット

Short Circuit001

Short Circuit
1986
アメリカ

ジョン・バダム 監督
S・S・ウィルソン、ブレント・マドック 脚本


アリー・シーディ、、、ステファニー・スペック(キッチンカーオーナー、動物愛護家)
スティーヴ・グッテンバーグ、、、ニュートン・クロスビー (ロボット開発者)
フィッシャー・スティーヴンス、、、ベン・ヤビタヤ(ニュートンの同僚、協力者)
オースティン・ペンドルトン、、、ハワード・マーナー(ノヴァ社の社長)
G・W・ベイリー、、、スクローダー(ノヴァ社の警備主任)
ブライアン・マクナマラ、、、フランク(ステファニーの元恋人、彼女に金をたかる)
ティム・ブレイニー(ナンバー5の声)、、、ジョニー5(自我に目覚めたロボット)


SF映画は好きなのだが、ロボットものは今一つ気が乗らないところがある。
まあ観てみたが(笑。

CGは使っていない。模型を動かして撮っている。
後は部分~ディテールは、人が手で動かしているようだ。
日本の昔の特撮みたいに。
これで物語に支障を来すようなところは見当たらなかった。
作りは良いと思う。

Short Circuit002

所謂、”ショート”である。
落雷で一台のロボットNo.5がショートしたら複雑化が起きた。
この一体だけが命令通りに動かなくなる。
管理者たちは皆、故障したと騒ぐが、当のロボットは、自分は生きているんだという。
彼は「生命は故障ではない」と訴え始める。突然変異と捉えるのか。少なくともこの場合は、そうとしか言えまい。
「生きている」という主張は、自ら考えるようになったということのようだ。
このロボットたちは、それまでプログラムを実行するだけの機械~軍事ロボットであったから。

実存的状況に置かれたロボットは、まずはインプットを求め本を片っ端、読破する。テレビも見まくる。
異星人と勘違いして喜ぶステファニーの家で大いに知識をインプットするのだ。
しかし開発した企業は、群れから逸れたロボットの処理をしなければならないため、躍起になってそれを探し出し破壊しようとする。
何分、軍用に開発されたロボットである。外で何をかやらかしたら企業イメージがダウンして苦境に陥ることは必至。
偶然の成り行きで自我を持ち、身を守るために自由に行動するようになったそのロボットは、自分を破壊しに迫って来る企業に対し必死に逃げまくる。

Short Circuit004

このロボットを開発した博士が本当に人のように生きているのか調べるために「ロールシャッハテスト」を行うところが面白い。
その染みの組成分析とかではなく、形体からの連想ができるかどうかで試したわけだ。
ちゃんと人の答えるように連想してみせた。
このようにイメージが持てるということは既に内面があるということか。
隠喩を解し使えるレベルかも。

そういえば、ニュートンが分からず屋で焼いてしまおうとステファニーが業を煮やして言う場面で、5号はそれを文脈から判断し、わざと彼女のもとへ彼を連れて来て、お互いにじっくり話し合わせようとする。
これなど言葉を記号的に扱っているロボットであれば、悲惨な結果を生む。
だが5号は、ことばを文脈的に判断し、額面通りに受け取るようなことはない。
そしてメタレベルで解決策~転換を提出する。
こりゃうちの長女よりコミュニケーションが取れているではないか。
もういっぱしの人間である(笑。

Short Circuit003

だけどこれがホントに出来るのかどうか。
何と言うか、情報量が増え複雑になればそのような相転換がどこかで起きるという神話も根強い。
どうなんだろうか。

兎も角、この辺の骨子は(もしかしたらこの映画が最初なのかも知れぬが)今日までに随分使い古されてきたものだ。
今もこの手のロボットものに進展は見られない。
ロボットの形体は絶妙な塩梅であった。
如何にも細かい作業に向いていて、駆動力もある機動性に富んだメカであることが分かる。
そして顔に愛嬌がある。これはその後のロボットの形体からみてもかなり優れていると思う。
機能的に可愛いのだ。

Short Circuit005

ただ、ロボットのここまでやるかの擬人化はやはり鼻につく。
理解ある女性や先入観のない子供との関係とかも含め、そのパタンは多い。
方向性がそこに行き着くしかないので仕方ないとは言え。
最後など自分のレプリカを製作して自分の替わりに囮で走らせ、それを爆破させたことで敵を欺いたのだ。
もう何でもありのスーパーロボットと化している。
すっかり意気消沈したステファニーとニュートンの乗る車からいつ登場するかと思っていると丁度良いタイミングで現れるのだ。
そしてニュートンの実家で一緒に暮らそうというお気楽パタンのハッピーエンド(笑。
これはこれで良いが、今一つ乗れない物語であった。



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左様なら今晩は

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2022

高橋名月 監督・脚本
山本中学 原作
穐山茉由 脚本

久保史緒里、、、愛助(幽霊)
萩原利久、、、陽平(会社員)
小野莉奈、、、果南(陽平の同僚)
永瀬莉子、、、玲奈(陽平の元カノ)
中島ひろ子、、、(果南の叔母、霊能者)
宇野祥平、、、奥田(不動産屋)


もう最初の5分で終わりまで見通せちゃう感じの映画だな、と思って観ていたらその通りであった(笑。
王道、鉄板の予定調和ラブコメ。
ハリウッドよりもずっと分かり易い。
そして小さな世界の御話である。尾道フレーバーが薄っすらと漂うが、それほどではない。

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それではつまらないのかと謂えば、そんなことあろうはずもない。
久保史緒里主演なるぞ。控え~である(爆。
久保史緒里さんと謂えば、イクちゃんの大事なお友達ではないか。
こころしての鑑賞である(気持ちの上では正坐で観ていた)。
久保さんは映画初主演とは言え、これまでにTV連続ドラマの主演など経験してきている。
元々歌唱力と演技には定評のある人だ。
イクちゃんのお友達なのだから当然であるが。

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陽平の部屋で死んだ若い女性の幽霊が、突然彼の前に現れる。彼女に逃げられたその晩であったか。
幽霊だとは直ぐに分かったが、怖くはないしとても可愛らしいので打ち解けるのも早い(笑。
普通なら不動産屋に文句を言って直ぐに引っ越すところだろう。
彼は寧ろ彼女のことを知り理解したいと望む(その気持ちよく分かるぞ)。
最初の頃はお互いに触れることも出来ないが。
しかし瑞々しい魅力に触れることは何にしても良い。
ともかく、相手を知りたいと思い同居が続く(幽霊はこの部屋から出られないから同居しかない)。
透明感が半端ではない幽霊で、清められるし、放っておけない(笑。

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何というか(若手女優なら)、久保史緒里、山田杏奈、浜辺美波が主演であれば、どんなものでも映画として成立するだろう。
イクちゃんも早くミュージカルだけではなく、映画でも主演してもらいたいものだ。
わたしは幽霊は一切、見も感じもしないが、ただならぬオーラが彼女らには感じられる。
映画は飽くまでも絵であることから、絵になる人が出ることがまずは肝心。

愛助(ニックネーム)はぶっきら棒な方言を使うが、話し方や仕草に自然でしなやかな心地良さが感じられる。
相手役は可もなし不可もなしで久保さんを際立たせる効果がバッチリあった。
いろいろ他にも絡みはあるが、基本二人の物語で進行する。
不動産屋は勿体ぶるが最後に彼女の素性を教えて墓参りに誘うだけの役。
陽平に気のある同僚は、お化けが彼の部屋にいると分かったところで鞍替え。
その叔母の霊能者が祓いに出て来たりもするが、噺が複雑化したり紆余曲折することもない。
監督のこのシンプルな絞り方は成功していると思う。

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如何にも青春ラブコメという感じですっきり収束に向かった。
彼女は地縛霊であったが、鬼門に成仏できる出口を見つけ、そこから外に初めて出て、陽平とデートする。
自転車に二人乗りしたり、彼の行きつけの店で食事をしたり、映画館に行ったら休館日で観られずに帰ることに。
彼女は別れの覚悟の上のデートであったが、彼は始まりのデートとお気楽に構えていた。
鬼門から出た途端に、誰にも彼女が可視化されるようになるのが面白い。
触れることもしっかりと出来、実体化を果たす。
(それまでは、気配は感じ取られても彼女を見ることの出来る人は彼以外にいなかった)。
だが、これでは普通の人ではないか(そりゃ、特別可愛らしく綺麗であってもだ)。霊としての属性を失っている。

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折角実体化したのだが、彼女はお礼を言って夜のうちにそっと消えてしまう。
(きっと霊がこのような実体化することは自然の摂理に反する事態なのだろう)。
そして突然いなくなった彼女の面影を追いバタバタし、墓参りもして色々と問いかけるが、何も起こらない。
この辺、禁欲的で良い。変な幻とか、メッセージめいた兆候などちゃちな演出もなく潔い。
彼は思い出の詰まった部屋を出て引っ越すことに(幽霊が消えたから出てゆくのだ。渋い)。
そして、どうにか落ち着きを取り戻し、彼女と一緒に観れなかった心残りの映画館に独り行く。
ここで、やっぱりね、である。
「アイ」と友達に呼ばれる女子高生が彼の直ぐ隣に座るではないか。
(彼は気づかぬが。彼女は彼を見てニコッと微笑む)。
久保さんがまだ充分女子高生でも通用することが分かる。


勿論、必見の映画と言えよう。
次はイクちゃんの番だ!




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トゥルーノース

TRUE NORTH002

TRUE NORTH
2021

清水ハン栄治 監督・脚本
マシュー・ワイルダー 音楽

ヨハン
ミヒ(ヨハンの妹)
インス(母が銃殺され孤児になり、ユリに拾われる)
ユリ(ヨハン、ミヒの母)
チェ・ドンス(収容所内の作業班の責任者)
リー(収容所の看守)
ハン所長(収容所の最高権力者、冷酷無比)


「絶対的な羅針盤」というより「北朝鮮の真実」であるか。

TRUE NORTH001

「政治犯強制収容所」
北朝鮮がずっと否定し続ける「実在する場所」を描いた映画である。
(衛星写真にはしっかり写っているが)。
監督が10年かけて脱北者からの証言を集めて作った3Dアニメーションによる作品。
実写版でなくて良かった。観終わってそう思う。
セリフは世界に向けたメッセージであるため英語である。
音楽はマシュー・ワイルダーによるオリジナル音楽(朝鮮民謡と日本童謡「赤とんぼ」以外)。
ちょっと目の覚めるようなミュージカルを思わせる場面もある。

TRUE NORTH003

カナダ(バンクーバー)のトークショー番組で男性が12年前の体験談を語るという形式で始まる。
彼は最初に、このようにことわる。「わたしは政治を語らない。わたしの家族の物語を語る」。

噺は1995年に始まる。
主人公家族は、帰還事業で日本から北朝鮮に移民したパク一家である。
日常を市井の人々と共に暮らす一家であった。
ある日、突然父が失踪しその夜、警察が家に乱入して有無を言わさず、残った家族を政治犯強制収容所に連行してしまう。

TRUE NORTH007

そこは、想像を絶する過酷な場所などと言っていられないまさに「絶望の淵」。
お前たちは使い捨てと言われて壮絶な労働を日々課せられ、食事はほんの一口で終わってしまう程度しか出されない。
飢えにより悪化した病や怪我、事故、そして(気まぐれな)処刑により次々に収容者たちは命を落としてゆく。
それが日常茶飯事で、誰もが麻痺してくる。
更にそこで反抗的と断じられれば「完全統制区域」という更なる地獄に送り込まれる。
死ぬことも許されず拷問が続く。
看守のリーに乱暴されたミヒを見かねて抗議に飛び出したインスも捕らえられ惨いリンチに遭う。
しかしインスはそこでヨハンの父に遭うのだった。
死後の世界を語っていたことで彼がヨハンの父であることが分かるのだ。
北朝鮮では死後の世界について語られることはない。

日本童謡「赤とんぼ」が死に逝く拉致被害者の日本女性に対して奏でられる。
(ユリが手作りした二胡がミヒにより)。
これには驚き、胸が思わず苦しくなった。
拉致被害者もこうした仕打ちに遭っているのだ。
こんな場所で、まさか「赤とんぼ」が最期を迎える女性に向けて流されるとは、、、。

TRUE NORTH004

ヨハンの妹ミヒと母ユリは一貫して誰にも優しく思いやりを持って生活をしており、酷い環境にあっても装飾や楽器を作り音楽を奏でる気持ちを失わない。
母を処刑され孤児となったインスを自分たちだけでも酷く辛いところに迎え入れたのも母ユリであった。
これは強靭な精神によるものだ。
その点、男は脆い。いや責任感がそうさせるのか。
ヨハンは自分の家族が食料を得るために監視グループに入り、ウサギを盗んだ者を密告する。
当然処罰され、恨みを買ったヨハンは、母を老婆に刺されてしまう。
「誰が正しいとか正しくないではなく、誰になりたいのかを自分に問いなさい」と母は今際の際に諭して帰らぬ人となる。
彼はそれを機に囚われた人々に寄り添い彼らの為に生きる決意をする。

TRUE NORTH008

印象的であったのは、暗く危険な坑道で働く仲間を少しでも元気づけるため、監視員に「生産性を上げるには歌いながら動くのが効果的です」と提言し皆で歌いながら仕事を進めるシーンだ。監視員も乗ってしまっていた。
恐らく皆に出来る貢献でこれが最上のものであったのかも知れない、、、。

奇跡的にインスは還される。若い労働力が足りないのだ。
彼はヨハンに彼の父に逢ったことを告げる。
ヨハンはここでも父が人々の支えとなっていることを知り励まされる。
インスは脚を酷く痛めていたが無事であることにほっとするミヒ。
そしてヨハンは、二人がお互いに好意を持っていることを察する。

TRUE NORTH010

秘密裏にこの地獄からの脱走計画が収容者によって念入りに練られていた。
この候補に挙げられていたのは、ヨハンとその妹ミヒであったが、、、

「ここで起きていることを世界に伝えるんだ。」と、ヨハンは、二人を送り出す。
トロッコには二人しか乗るスペースが無かった為、ヨハンは残ったのだ。
9年間の収容所の生活を経て脚を骨折したインスは身籠もったミヒを伴い脱出に成功する。
そして彼は全てを話し終えた。ヨハンが今も地獄に居続けることに胸を痛めながら。
客席にはミヒと幼い子供が腰かけていた。

北朝鮮(東洋)らしからぬ音楽もとても良かった。
わたしとしては「赤とんぼ」が鮮烈で、胸に込みあげるものがあったが。


深い説得力はこういう作品に宿る。
間違っても厚かましいコピペメッセージなどに人を動かす力など微塵もない。




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ベルファスト

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Belfast
2021
アイルランド、イギリス

ケネス・ブラナー 監督・脚本・製作
ヴァン・モリソン 音楽 主題歌「Down to Joy」


ジュード・ヒル、、、バディ(9歳の少年、監督の子供時代)
カトリーナ・バルフ、、、マー(母)
ジェイミー・ドーナン、、、パー(父)
ジュディ・デンチ、、、グラニー(バディの祖母)
キアラン・ハインズ、、、ポップ(バディの祖父)
ルイス・マカスキー、、、ウィル(バディの兄)
コリン・モーガン、、、ビリー・クラントン(プロテスタントの闘士)
ララ・マクドネル、、、モイラ
ターロック・コンヴェリー、、、司祭


監督の自伝的映画。彼もベルファストで生まれ育ったという。
この映画のキャストもベルファスト出身者が多くを占め、ヴァン・モリソンもその一人である。渋い。
音楽が鳴っていたことも忘れるくらい画面に染透っている。
ヴァン・モリソン久しぶり(笑。

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9歳の少年の目を通して、分断の時代を苦悩・葛藤して生きる人々を描く。
家族がとても愛情深い関係を築いており、特におじいちゃんとおばあちゃんが、重要な役割を果たしている。
知恵をいつもユーモアを交えて授けてくれる機知に富んだ素敵な存在なのだ。
そして街が家庭の延長みたいな親和的な場として広がる。
主人公が走り回る先々で皆が彼を見守っているではないか。
こういう環境で幼年期~少年期を過ごしたら、世界はとても肯定感に溢れた住みやすいところであるに違いない。
勿論、子供は活き活きとすくすく育つ。

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しかし青天の霹靂。
宗教が少年にとっての安らかで絶対的な基盤を大きく揺るがせ、足元から引き裂いてしまうのだ。
親しく付き合っていた隣人同士が突然、プロテスタントかカトリックかでギクシャクし、暴力と破壊行為が横行し始める。
プロテスタントがカトリックを攻撃するというパタンであったが。
バディの家はプロテスタントであったが、かなり家を壊された。
カトリックの家は全焼して焼け出され、他に移ってゆく。
死者も出る。バディと同じ年頃の子供の犠牲者も出たという。

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苦難の時代を迎えた。
そうでなくとも、貧困の問題を抱えており、バディの家は家賃を払うこともままならぬ状況で、父はイギリスに出稼ぎに行き、週に一度でさえ旅費節約のため帰って来れないことが珍しくなかった。ベルファストの失業率はすこぶる高い状況で職があるだけまだよかった。
しかし何といっても足元の不安である。
プロテスタントの暴力的な闘士が父を活動に引き込もうと圧力を家族にかけて来るのだ。
しばしば仕事で家を空けなければならぬ父はいよいよ不安を募らせてゆく。
しかもバディは街の不良少女にそそのかされ万引きをやらされる。
母は家のやりくりだけでも大変なのに、その尻ぬぐいでも振り回される。

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両親ともこの混乱を極める不安定な環境で、子供たちが心配でならない。
父はイギリスに移住を考える。そうすれば常に自分も家族と共に過ごし家庭を守ることが出来る。
しかし母は生まれ故郷が危険な場所に豹変しようが、愛着からそこを出る気持ちにはなれない。
家族に深刻な葛藤が生まれる。
バディも成績順に座るクラスで、すぐ近くの優秀な女の子に恋をしていた。
だから当然、彼もベルファストを離れたくない。
宿題も一緒にし始めたところだ。ここで離れてなるものか(笑。
「ぼく大人になったら彼女と結婚するんだ」という孫に、おじいちゃんも色々と協力する。

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そのお爺ちゃんも肺の病気で亡くなり、目つきの悪い運動家の父に対する圧力も高まり、母も気持ちを入れ替える。
バディは彼女とプレゼント交換をし、さよならを交わすが、「また戻って来るからね」と言い残す。
そして一家でバスに乗って故郷ベルファストを後にするのだ。
少し離れたところからおばあちゃんが、励ましの言葉を呟きながら最後の見送りをひっそりしている。
バスが動き出すとき、バディは座席から身を捩じりおばあちゃんの姿を認める。
恐らくそれが今生の別れであろう。

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街が突然変貌する、何を信用すればよいのか分からなくなるような、そんな激動の世界を9歳で体験した監督の映画である。
だが、不思議に辛くて重々しいばかりの表現にならず、常にどこか明るくて楽しいのだ。
少年の目から描いていることもあろうが、編集するのは現在の監督である。
外界が悲惨な状況に成って行こうが、家族に愛があればどうにでもなるという確信が基調にあることが分かる。
彼女の家がカトリックなんだけどと不安がるバディに父は、「そんなこと関係ない。あの子が親切で公平でお互いを尊重するなら、あの子もその家族もいつだって我が家に歓迎する」と言って聞かせる。
これがホントの知性だと思う。

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彼らはどんな状況でも、ユーモアをもち、歌を唄い、ダンスを踊って楽しむことを忘れない。
そうそれから、肝心なことだが、余裕がある分けでもなかろうに、家族皆で映画に行く。
「チキチキバンバン」を家族そろって観るその光景には魅了された(笑。車が崖から落ちるところでこれほどリアルに怖がる時代でもなかろうに、、、と思ったが。
良い家庭である(笑。

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現在と映画の中の光景がカラーで、ほとんどの少年時代の回想はモノクロであった。
音楽と映像が大変マッチしていて何処を切っても「絵」になっていた。
これは、ゴダールの「イメージの本」とともに何度か観てしまいそう。
映画ファンではないわたしでもそういう気にさせてしまう魅力がここにはある。



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削除に際し(わたしは何て親切なのだろう)。

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コメント欄に放り込まれた変な糞文章。
こちらの条件を果たさないため、削除した。

10記事に純粋にコメントするだけという超低いハードル設定すら、無視。何で?
こいつは志の全く無い、相当なぐうたらな奴だと分かる。
自分の考えを問うのなら、自らブログを立ち上げるか、その筋の論者のブログにでも自説を投稿し議論して考えを深めるか、ダイレクトな反応を見たいのなら、路上でマイクで語り、パンフを手渡して語りあってももよかろう。もう政治家などはそうしている。コロナ禍などと言っていられない。
だが、こんな安易な方法しか取らないのなら、何なのこいつ、である。
(自分が書いたかどうかは兎も角、コピペしてるだけだし)。

まずここ(コメント欄含む)は飽くまでもコミュニケーションの場である。
わたしの記事に対し、こう思うというところからはじまらないとおかしい。
にも拘らずわたしの記事のコメント欄としては全く相応しくない内容。
(と言っても読む気すら起きないものだが)。
全く一方的な書きようで、Author に対する挨拶すら無い。「みなさん」ってどういう呼びかけだ、おい。極めて無礼だろう。
ただ、自分の言いたいことをただ書き連ねておしまい。
ふざけるにも程があるのだが。

その文章もおよそ意味内容などまともに伝わるような類のものではなく、ただ荒い息遣いというか鼻息だけが伝わるだけ(爆。感情的で幼稚な甘えがタップリと窺える他者に対するメッセ―ジ足り得てないレベルのもの。こちらにとり単に不愉快なノイズに過ぎない。

ただ何やら国防の危機みたいなことを煽っているらしい。
よくあるネットナショナリズム 、ポピュリズム、陰謀論などでWeb上でも時折ざわついたりするもののひとつか。
徒に危機感・不安を煽るような、挑発的で短絡的な 見解に辟易する類の。
ネット上で、顔が見えない、立場も名前も怪しい場からお気楽極楽に何でも発せられる。そこがとても悪い方向に作用している一例でもある。
目的はホントは何なのか(これも何かの稼ぎに誘導する発端~餌のつもりか。まさかねえ)。

何やら自己満足を得たい、自己承認欲に駆られ何やら発してみたくなったのか。
無礼極まりなく、人の迷惑顧みず。
しかしこんな感覚の輩が日本の危機を訴え、何に気付いて欲しい、などとおこがましい。
全く見ず知らずの人間に対しいきなり、気づいて欲しい、ってこれだけで頭の悪い馬鹿であることは確実に分かる。

兎も角、何やら訴えたいことがあるのなら、もう少し他者に対する真摯な姿勢を持つこと。
更にあんな文で伝わる事など何もないので、自分が誰のどんな講義を聴いて、又は書籍を読んで、じっとしていられなくなった、とか正直に話し、そのソースの出所を共有するようにした方が誠実で説得力も幾分あろう(誰かに焚き付けられたのなら噺は別だが。そこまで不純であったら単なる邪悪な馬鹿、いやテロリストである)。
何をするにせよ、わたしのコメント欄は二度と使わないこと。他者のコメント欄に糞を放り込まないこと。

まず他者に対する感覚が大切。真面目に段階を踏んで目的に向かう事。その過程で自分の馬鹿さ加減に気付いたら勇気をもって撤退する事(単なる自己顕示欲が綯交ぜになっていないか自己対象化してみる事)。これとっても大事。

とは言え、こういう糞屑輩にはうんざり。永遠にさようなら。


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YUMMY/ヤミー

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Yummy
2019
ベルギー

ラース・ダモワゾー 監督・脚本

マイケ・ネーヴィレ
バルト・ホランダース
ベンジャミン・ラモン
クララ・クリーマンズ
アニック・クリスティアンス


わたしにとってベルギーはチョコと音楽なのだが、、、
ちょっと違う面が窺えた(笑。

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おいしい食べ物~魅力的な女の子という俗語でもある。
う~ん微妙。
隔離されたマッドドクターの病院空間でのむせ返るようなゾンビ物語。
色々と息の詰まる世界である。
”Yummy”とか言う要素はほぼ感じないのだが(笑。

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主演者がちょいと気の良いドジな男性で、コミカルなタッチにはなるが、噺はとっても絶望的なもの。
(確実にウケを狙っている部分~演出があるのは確かだが)。
何やら乾いていてシニカルで妙に明るかったりもするのだが、結局真っ暗に収束。
全く救われない。情け容赦ない悲劇に終わる。
ここまでブラックなゾンビものは初めて。
どのようなゾンビ映画でも少しは希望は残すもの。
ベルギー・ゾンビとはこうしたものか。

自らのステータスともなる美の追求~美容整形に対するアンチテーゼでもあるか
(または、外科手術でやたらと安い怪しい病院に任せる事への警告もあるか(笑)。
ともかくマッドドクターの管理する病院で恐ろしいウィルスが蔓延し入院患者がゾンビになりその巻き添えで関係者が次々にゾンビ化してゆく。

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発端は彼女が胸が大き過ぎることを気にして胸を小さくする手術を受けることにする。
美意識は様々で、気になりだしたらきりがない。お直しも手軽に出来るようになった昨今、エステに行くような軽いノリである。
主人公の彼氏は今のままの巨乳がよいのに、彼女には逆らえないという何とも傍から見ればどうでもよい噺。
更にその彼氏を下に見る彼女の母親も便乗して何やらアンチエイジング系の手術をするみたい。
彼氏にしては、もう二人の女に振り回されてウンザリ気味。しかし只管彼女に尽くす。
(しかも彼氏は彼女に婚約指輪までポケットに忍ばせているのだが、お先が思いやられるところ)。
そして遠路はるばる車でやって来て二人が入院したらとんでもないことに、という件。

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何の研究をやっていたのか忘れたが、ほぼ原因などどうでもよくて、ゾンビが生まれてしまったということから話を回してゆくだけ。
そして何と言うか、逃げる患者や医師たちにシャープさが無く、もさもさ逃げながら、ゾンビにやられたりゾンビをやっつけたりしながらどうにか逃げて行くが、当然生き残りは減ってゆく。
漸く病院の外に出られたと思いきや、周りを包囲する軍~警察?に銃撃されて殺されてしまう。
折角必死に闘い続けなんとか外に出たのに。このウイルス対策と来た。
それを見て生き残りが地下から外に脱出しようとするがそれも塞がれる。

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そして彼氏と彼女の間を割く、最初から嫌な奴(病院関係者)が、彼氏をゾンビの群がる地下に置き去りにして彼女と逃亡を図らんとする。だが、ここで彼氏に対する自分の気持ちがはっきり分かった彼女は、この男を車で潰し(ゾンビに噛まれてもいたのだ)愛しい彼を探しに向かう。
彼も懸命にゾンビを蹴散らし愛しの彼女を探していた。
だが、皮肉なことに、、、
この最後はとてもよく出来ているが。書くには、忍びない。
しかもこれから見る人であれば、知ってしまえば身も蓋もない。

これ程虚しいバッドエンドもそうはない。
(だが、ちょっとコメディでもある。この微妙な匙加減がベルギーなのか)。




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しなの川

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1973

野村芳太郎 監督
ジェームス三木 脚本
岡崎英生、上村一夫 原作
冨田勲、、、音楽
主題歌:「しなの川〜雪のさだめ」由美かおる:歌 作詞:阿久悠/作曲:市川昭介/編曲:竜崎孝路


由美かおる、、、高野雪絵(高野家の娘)
仲雅美、、、朝田竜吉(高野家奉公人)
岡田裕介、、、沖島雄介(高女の国語教師、左翼)
仲谷昇、、、高野淳三郎(高野家主人、雪絵の父)
岩崎加根子、、、高野綾子(雪絵の母)
浦辺粂子 、、、竜吉の母
加藤嘉 、、、亀田刑事


久々の邦画の名作を観たという充実感を得た。
昭和初頭の物語である。

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文芸大作風にしっかり練られた見応えのある作品であった。
わたしとしては文句なしである。
登場人物も皆、ピッタリの役柄。
由美かおる演じる高野雪絵はまさしく「女」の論理を貫いていた。
それを由美かおるがやれば魔性の女とか謂われるのだが、そりゃ無理もない。

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男を裏切り、幸せを壊す。
確かに。
しかし実際に自分を捨てた母に逢いに行き、自分と母を通して女の生き様というものを受け容れ、母と和解し、、、
同性愛者で自分の娘ではないにも拘らず、冷たいながらも自分を育ててくれた父の哀しさを理解し、父を許す。
この時期、(左翼教師との)自由恋愛もLGBTも大変つらい抑圧されたものであったことは分かる。
ありのまま(多様性)を認める気風など勿論なく、あるべき姿しかない時代であった。
そのなかで雪絵の母は女であることを生きる風当たりの強い場所を選択をしたのだ。
父は、自分の本性を隠し高田家を守ることに奔走した。

そして不景気の中、事業にも失敗し斜陽となった高田家。
その再興の為、そして父の為、雪絵は経済的な援助をくれる父の勧める相手との結婚を承諾する。
両親を認めたところで、もう壊すという身振りからは解放されたのか。

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だが、彼女の性によって一生を翻弄されズタズタにされたのは、他でもない竜吉だ。
雪絵のハリケーンを三度喰らっている。
奉公時代「わたし好き?」と迫られ。恋人同士よ、とか一生共にしたいみたいに言われその気になってしまうが(雪絵も嘘は言っていない。そこが怖いところ)。
寄宿制女子高に行かされると、国語の先生との熱愛発覚。忘れないでねと貰った写真を絶望の中、破り捨てる。
そして先生と駆け落ちをしたところで、もうどん底に落ちる。更に高田家の口減らしで家に帰されてしまう。
先生と結ばれたかと思うと、その時点で彼とは醒めてしまう。情熱の先を見てみたかったみたいなことを言って、、、。
そして、お祭りで再会したところで心中を持ちかけられ、燃え上がりその気になる。
小舟から抱き合って海に身を沈めるが、漁師に助け上げられ、二人とも生き延びてしまう。
そして彼女は、財産家の家に輿入れである。
竜吉は白無垢で運ばれてゆく雪絵を陰でしっかり見届け、彼女が降りて行った船に乗り満州を目指すのだった。

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竜吉ほど一人の女にドラマチックに翻弄された恋愛を生きた人はそうはいまい。
これだけ振り回されれば、もう恨みや怒りの次元ではないだろう。
数奇な運命を反芻しながら生きて行くのでは。
そして誰よりも深く雪絵を愛していたのだ。だから向こうから来ればなんでも寄り添ってしまう。
最後はこれで充分という表情であった。
確かにこんな人生はそうはない。ある意味充実した人生とも言えよう。

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話題の由美かおるのヌードシーンであるが、綺麗に撮られていた。
実に文芸作品的な品格あるヌードであった。
先生はこれで身も心も結ばれたと思ったところで、サラっと別れますと告げられ、彼も急転直下であった(悲。
「女」がよく描かれた映画である。
作品自体がとてもよく出来ており、邦画の苦手なわたしでも充分惹き込まれたものだ。




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ジョン・ウィック

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John Wick
2014
アメリカ

チャド・スタエルスキ、デヴィッド・リーチ 監督
デレク・コルスタット 脚本

キアヌ・リーブス、、、ジョン・ウィック(引退した殺し屋)
ミカエル・ニクヴィスト、、、ヴィゴ・タラソフ(ロシアンマフィアのボス)
アルフィー・アレン、、、ヨセフ・タラソフ(ヴィゴの息子)
エイドリアンヌ・パリッキ、、、ミズ・パーキンズ(女殺し屋)
ブリジット・モイナハン、、、ヘレン・ウィック(ジョンの亡き妻)
ディーン・ウィンタース、、、アヴィ(マフィアの顧問弁護士)
イアン・マクシェーン、、、ウィンストン(「コンチネンタル・ホテル・ニューヨーク」のオーナー兼支配人)
ジョン・レグイザモ、、、オーレリオ(ジョンの友人、自動車工場のオーナー)
ウィレム・デフォー、、、マーカス(ジョンの親友。凄腕のスナイパー)
ランス・レディック、、、シャロン(「コンチネンタル・ホテル」のコンシェルジュ)
デヴィッド・パトリック・ケリー、、、チャーリー(クリーニングチームのチーフ、ジョンの友人)


またもや片っ端撃ち殺してゆくバイオレンスアクション。
二晩続きで観ることに(笑。
昨日の映画に呼ばれたかのように、、、。

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キアヌ・リーブスとくればどうしても「マトリックス」を思い浮かべてしまうが、ここでは地味な凄腕殺し屋である。
いや、鬼気迫る演技ではあるが、「マトリックス」より遥かに泥臭いのだ。
カーマニアでフォードムマスタング1969年版BOSS429を乗り回し、亡き妻からプレゼントされた子犬を可愛がる男。
キッパリ裏社会から足を洗って堅気の生活をしていたが、ある晩侵入してきたギャングに犬を殺され愛車を盗まれる。
その盗んだ一団のリーダーがロシアンマフィアのボスのどら息子であった。
と言う所から主人公は物語に引き釣りこまれてゆく。

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「コンチネンタル」という格式の高い殺し屋専門のサポート機関があるとは。
特殊な金貨で運営されているようだ。クリーニングとか、これは確かに殺しの世界では肝心。
この機関で使える金貨をどれくらい持っているかも殺し屋にとってステイタスなのか。
更に「コンチネンタルホテル」では、「仕事」は一切してはならない掟。
これを破ると粛清される。ミズ・パーキンズのように。
ここは、昨日の映画にはない要素だが(マフィアの掟はどちらもあるが)、後はとっても似通っている。

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片や亡き妻に送られた子犬、片や娘の猫のブレスレット、と犬と猫が裏社会に戻る引き金となる。
その発端を作ったチンピラが、片やボスの息子、片やボスの弟と来ている(笑。
昨日の映画の姉妹(兄弟)版映画みたい。
とても設定が似通っていた。
物語全体が同じような風合いだ。

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ジョン・ウィックも昨日の「Mr.ノーバディ」のハッチ・マンセルも現役引退していて始めのうちは今一の動き。
超人的~絶対的強さという訳ではない(二人とも敵に掴まったりしている)が、極めてタフである。
そしてギアが入れば、もう情け容赦しないよ。というところ。
敵は、どちらも憎たらしいことこの上ないロシアンマフィアである。
徹底的に撃ちまくり、次から次へと撃ち殺すが、武装集団の数は(どちらも)半端ではない。
結構爽快感はあるのだが、敵もさる者、そうやすやすとは殲滅されず、主人公と言えど満身創痍となって死力を振り絞る。
最後は敵のボスとの一騎打ちの形をとって辛くも勝つ。男の哀愁、、、?
このパタン鉄板なのね。
BGMもとても多い気がした(ピッタリ合っていたが)。

John Wick002

但し、本作で危機に陥ったジョンを陰からずっと救って来たスナイパーの友人が最後にマフィアの報復に遭い殺害される。
「Mr.ノーバディ」のハッチの友人より遥かに頼りがいのある男に見えたが、ハッチの方は主人公周辺の者たちは誰も死なない。
呑気でコミカルな要素があった。
その点、こちらはジョンを支えて来た妻は病死して危機から救ってくれた親友も殺される。基調はよりシビアであったような。

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最後は何とか生き残り、、、新しく犬を飼い、、、翌朝を迎える。
また堅気の生活に戻ってゆくのだ。
(思わずご苦労さんと言いたくなるが、、、)
パタンはどうしても限られ定型となるだろうな。
この作品、続編があることに気づく。
後2作ばかり続くのか。
どれも似たような感じがする。





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Mr.ノーバディ

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Nobody
2021
アメリカ

イリヤ・ナイシュラー 監督
デレク・コルスタッド 脚本
デヴィッド・バックリー 音楽


ボブ・オデンカーク、、、ハッチ・マンセル(金型工場に勤める会計士、)
コニー・ニールセン、、、ベッカ・マンセル(妻)
RZA、、、ハリー・マンセル(ハッチの異母兄弟)
クリストファー・ロイド、、、デイビッド・マンセル(父、元FBI)
マイケル・アイアンサイド、、、エディ・ウィリアムズ(義父、金型工場社長)
アレクセイ・セレブリャコフ、、、ユリアン・クズネツォフ(ロシアン・マフィアのボス)
ゲージ・マンロー、、、ブレイク・マンセル(息子)
ペイズリー・カドラス、、、サミー・マンセル(娘)


ハードボイルド・アクション映画とでも言うか。
スッキリサッパリめんどくせー奴らを皆殺しにする映画である。
爽快感を得たいときに良いと思うが、どちらかと言うと「ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY」の方がもっと派手で面白おかしく観ることが出来る。しかしこれも渋くて面白い。渋いおやじが二人に、もっと渋いおじいちゃんが一人、大活躍なのだ。

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とっても平凡な日常を送るハッチは、昔大変危険な仕事をしていたらしい(FBIの仕事のようだが)。
今は足を洗い、家族4人を支える生活を営んでいる。かつての彼を知るのは父と異母兄弟のハリーくらいのようだ。
自分では、”Nobody”と言っているが、ペンタゴンも彼の過去データは全て抹消している。
一体どんな危ない仕事をしていたのか、、、と言うところで謎があるほど凄味は増すというもの(笑。

とは言え、チンピラ盗人が家に入って来ても、何も反撃せず逃がしてしまったり、バスでもチンピラ集団が乗り込み悪さをしても傍観していようかと言う所だったが、若い女性が巻き込まれそうであったために本性を出す。が、結構向こうに殴らせたりナイフで刺されてみたりと、圧倒的な強さはまだ、見せないが取り合えず、乗客と運転手は無事に逃がし、全員制圧する。

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彼としてはそれくらいにして、また普通に日常に戻るつもりであったが、娘が『ネコのブレスレット』がない、と言うので、昔の自分に一時戻ることにする。てっきりチンピラ泥棒が小銭と一緒に持って行ったと思って乗り込んで行ったが、そこには無かった。
彼としては探し物も見つからず、チンピラも極貧の為見逃し、不完全燃焼に終わる。
だが、バスでこてんこてんにやっつけ結局死んだチンピラがロシアンマフィアのボスの弟であったことから、ユリアン・クズネツォフのマフィア軍隊を敵に回し、ハッチ・マンセル独りで迎え撃つ流れとなる。彼としても長い事、本性を隠し普通の一家を支える夫の役を続けて来たこともあり、昔のように暴れたい衝動が込み上げて来る。

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まずは彼の家に襲い掛かって来たが、家族を地下室に逃がして、マフィアの一団を皆始末する。そして家族を遠くに逃がし彼自らマフィアの本拠地を襲撃する。ユリアンが任されているマフィアの資金を全て焼いてしまうのだ。
徐々にマフィア軍隊を切り崩してゆくが、自分も拉致され車のトランクで運ばれるような目に遭ったりで、超越的な強さという訳でもなく、闘うスキルに熟達しているやたらタフな工作員という感じか、、、。
襲ってきた武装マフィアを返り討ちにして死体を自分の家ごと焼く場面があるが、LPレコードが一緒に大量に燃やされてゆくのが、忍びない。わたしならレコードだけは、倉庫にでも避難させるが。死体は跡形もなく焼き切れたようだ。
マフィアも報復として老人ホームのハッチの父デイビッドを急襲するが、彼の方が一枚上手で皆返り討ちにする。

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自分が勤めている金型工場を金塊を積んで義父から買い取り、オーナーとなって武器を工作し、最後に闘う際にはその工場を舞台に、父と兄弟(腹違いの)も駆けつけマフィア軍隊を3人で蹴散らしてゆく。
まあ、ここが魅せどころで、トラップが次々に作動して吹っ飛んでいったり、ハリーはスナイパーライフル、デイビッドはショットガンでガンガン撃ちまくって倒してゆく。ハッチは変幻自在な武器を使うが、、、
最後のユリアン相手の場面で、防弾ガラスに地雷をつけて突進してゆき相手を爆死に追い込むという荒唐無稽な戦法を取る。
これはまたリスキーな手だが、誰も思いつかない戦術だろう。ユリアン配下のロシアンマフィアの完全殲滅を果たす。

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恐らくそんな破格の活躍をして来た人なのだろう。余りに危険なので、政府により”Nobody”扱いとなったようだ。
この後、また身を潜め家族と新たな生活に入るが、妻はよく分かっていて新しい家を決める際に、地下室があるか確かめていた。
流石である。そしてロシアンマフィアの新たな報復に備え、父と兄弟は大量の火器を車で運んでゆく。
こういう闘いが堪らなく好きなようだ。

面白いのだが、ハーレークインを観た後だと地味な感じは拭えないか(笑。



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トイレの花子さん新章 花子VSヨースケ

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2016

鳥居康剛 監督・原案
植田賢 脚本


志田友美、、、雫音(除霊師見習い)
竹内えり、、、水峰美代(師匠)
杉江大志、、、村上優弥(亜季の弟、バンドメンバー)
加藤明子、、、河嶋泉(師匠の一番弟子)
深澤恒太、、、マサト(バンドメンバー)
市原朋彦、、、タケル(バンドメンバー)
遠藤未悠、、、花子(おばけ)
青山和也、、、ヨースケ(悪霊、元水峰美代の息子)
多田愛佳、、、ミカ(バンドメンバー)
淳士、、、ジョー(バンドメンバー)
横山ルリカ、、、村上亜季
難波圭一、、、僧侶


何やねんこれ(涙。
わたしはただ、(元)”夢アド”の志田友美さんが主演なので観ただけなのに。
これは、惨い。

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てっきり「花子VSヨースケ」という凄まじい2体のクリーチャーの激戦に志田さんがどう絡んで来るのかと、ちょっとハラハラして観ていたのだが、、、
とってもあっさりし過ぎではないか。志田さんがいつまでも出てこない間があったり。
しかも物語自体がよく掴めない。
何と言うか、散らかりほうだい。
色々と中途半端に要素を取り入れ過ぎた。

バンドの人々、除霊師の師弟関係、姉と弟、母と息子、メインであるはずの花子VSヨースケのそれぞれのエピソードが、どう関係し、どのように決着がついたのか、どういう形に落ちついたのか、よく分からず仕舞い。
しかも各人物造形が弱い上に志田友美さん以外、お芝居がイマ2なのだ。いやイマ3か。
師匠がとっても素人臭いのよ。

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ハッキリ言って、志田さんがヒロインでなければ、もうほぼ崩壊の劇である。
志田さんの華で何とか持ってる感じであった。
悪霊ヨースケはよく出てきたが、花子はちょこっとしか出てこない。その割に無暗やたらと強い。
(ヨースケもかなり強い悪霊パワーを持っているのだが、花子さんには全く歯が立たない。これでは、VSなんて謂えるレベルではない。格が違いすぎ。身の程を弁えよと謂われるぞ)。

お師匠の一番弟子が悪霊にはもっとパワーのある悪霊をぶつけるべし、みたいなことを言っていたが、花子は自主的に出て来て志田さん~雫音を守ってくれたようだ。二人とも水の霊力を使う。花子の方が圧倒的だが。同じ流派なのか?
最後に雫音と花子は、一緒にバス停のベンチに腰掛け、お友達関係となったのかしら。
このまま旅を共にしそう(花子さんとはトイレの地縛霊ではないのね)。
それなら続編で二人のタッグでお化け退治など繰り広げてくれると面白いのだが、これが2016だからもう無理な噺ね(残。
(多分この映画ヒットしなかったんだろうな。よく分かる)。

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もっと噺を整理し、シンプルにストレートに行くべき。
そもそも師匠の一番弟子が旅から帰って来たなら、もっと派手に活躍しないと。さもなくばややこしいから最初から出ない。
悪さをしてヨースケを覚醒させたバンドの人間模様が半端にダラダラ長くて不必要。最初のワンシーンだけで消えてよい。
バンドのギターの弟とそれを応援する姉のエピソードも何の意味があるのか。
それに姉がどう巻き込まれ、現在の立ち位置がどうなのかよく分からない。お化けとなって現れるようになったのか成仏したのか。
だいたい、悪さをしたバンドメンバーが無事に帰り、叫び声を聞いて中に助けに入った姉だけ何で犠牲になったのかも不明。
師匠と息子の関係も何とはなしに分かったが、最後に師匠が胸をナイフで突き、ヨースケを抱き寄せることで成仏となったのか、どうなのか定かではない。そもそも花子にボコボコにされ水の霊力で突きさされて終わったのではないの?それはとどめにはならなかったのね。
何だかどのエピソードも不明瞭で中途半端で意味不明。

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ぱっと変なバンドの輩の悪さでヨースケが目覚めるとそれに呼応し花子が出現。
それを知った(どのような知り方でも構わない)除霊師たちが集まり(特に師匠はヨースケの母である)入り乱れての激闘になる。
この花子とヨースケの死闘に30~40分くらいはかける。
その闘いの最中に、志田さん~雫音以外は次々に断末魔の悲鳴と共にスプラッター処理されてゆく。
周囲は血の海。そこにバラバラの肉片が浮かび、目玉はころがり、、、阿鼻叫喚!

最後は、花子と雫音の完全勝利。「やったわ」で、にっこりスッキリ終わって、、、
明くる朝、ふたりで悪霊退治の旅に出て行くことに、、、続編へ、乞うご期待。
では、どうか?

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闘いが凄まじければ、凄まじい程、絶対にウケる!
訳の分からぬドラマなど全く見たくないし要らない。
(母と息子は両方とも滅び去るし、姉と弟のどうでもよいドラマは完全削除。バンドも最初の切っ掛け作りだけ)。
爽快バイオレンス除霊シスターズのアクションもので決まり(笑。
志田さんにやる気があれば続編も観たい(多分無いと思うけど)。




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マイ・ブロークン・マリコ

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2022

タナダユキ 監督・脚本
向井康介 脚本
平庫ワカ 「マイ・ブロークン・マリコ」原作


永野芽郁、、、しいのともよ
奈緒、、、いかがわまりこ
窪田正孝、、、まきお
尾美としのり、、、まりこの父(毒親)
吉田羊、、、たむらきょうこ(後妻)


「勝手に逝くんじゃないわよ」と、謂われても人は皆、かってに逝く。
コミック原作。

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毒親に育てられると、社会生活の中でもその関係性を繰り返し再現してしまう。
そういった構造が生成されてしまっているのだ。
もがきながら蟻地獄に嵌ったようにズブズブ落ちてゆき、、、この映画の子のように自死(身投げ)を選ぶようなケースも多い。

何よりもその構造から解放されたいのだ。
それもひとつの解決法と言える。
だが、ふざけるなという激しい怒りは当然込み上げて来るもの。落ちるのではなく飛ぶのだ!

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はっきり言って凄まじいパワーが必要となる。
その磁場から脱するには。
周りに聡明な良い人がいればそれに越したことは無いが、いるのは大概、馬鹿ばかりだ(間違いない)。

それも邪悪な馬鹿。
糞屑の馬鹿。頭の悪い馬鹿。ともかく馬鹿。
だが探せば、しっかりした良い人も見つかる、こともある。

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わたしの場合は、大学の友人にいた。
そこで救われた部分は大きい。
だが身近な環境には、いなかった(遺骨を持って逃げてくれる人などいようか)。

しかし、どれだけ深く蝕まれていようと、プランクスケールまで遡れば、無から始めることが出来る。
自分を初めから自分で作り直せばよい。
恐れるな。「胸を張って生きろ。」(鬼滅の刃)である。

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何事も中途半端に関わり、戸惑い、悩むからドツボに嵌ってしまう。
徹底的に過激に例外的に取り組むこと。既に感覚はぶっ壊れているのだ(そうでなくとも役には立たない)。
感覚、直観、感性、生理の届かぬ先に答えを求めること。

自分を救うには、「論理」しかない!
これは間違いない。
ある意味、科学である(勿論、科学もひとつの思想に過ぎない)。

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ヒトは、言語~記号で考える他ないのだから。
だが偉大な先人による例外的ヒントは見つかる、、、デモクリトス(大天才)にはじまり、、、
面白い人は探せば本の中にかなり沢山いる。

後は、この映画でも示されているが、、、
旨いものを食って、ゆっくり風呂に入って、よく寝ることである。
そうしないと、まともに頭が働かん、というもの。その通り。後、しばし寄り添ってくれる人がいればかなり助かる。

「何の心配も無い」
この境地に入ればもうこっちのもの。
まずは、鰻重でも食べてからにしよう(笑。

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永野芽郁って、良い女優だということを知る。
途中で出て来たバスの女子学生が何かで絡んでくるかと思ったが、無かった。
何と言うかとても単純で素直な流れであった。




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*コミック




ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY

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Birds of Prey (and the Fantabulous Emancipation of One Harley Quinn)
2020
アメリカ

キャシー・ヤン 監督
クリスティーナ・ホドソン 脚本
チャック・ディクソン、ゲイリー・フランク『バーズ・オブ・プレイ』原作

マーゴット・ロビー、、、ハーリーン・クインゼル / ハーレイ・クイン(元精神科医)
メアリー・エリザベス・ウィンステッド、、、ヘレナ・バーティネリ / ハントレス(バーティネリ家の生き残り)
ジャーニー・スモレット=ベル、、、ダイナ・ランス / ブラックキャナリー(ローマン経営のバーの歌姫)
ロージー・ペレス、、、レニー・モントーヤ(ゴッサム市警の刑事)
エラ・ジェイ・バスコ、、、カサンドラ・ケイン(孤児、スリの常習犯)
クリス・メッシーナ、、、ビクター・ザーズ/ミスター・ザーズ(ローマンの側近)
アリ・ウォン、、、エレン・イー(ゴッサムの検事補、レニーの元恋人)
ユアン・マクレガー、、、ローマン・シオニス / ブラックマスク(ゴッサムの裏の支配者)


ハーレイ・クイン主演の映画。
カンフーアクション炸裂の女性ばかりが強いお話。
マーゴット・ロビーがほぼ出ずっぱりの大活躍だが、他の女性陣もクールである。
スローモーションも取り入れ華麗で複雑なアクションを熟していて見ていて面白いし興味深い。

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噺の筋は入り組んでいるのか単純なのかよく分からないものだ。ハーレイ・クインの人格が思いの外複雑であった。
カサンドラ・ケインがスリで手に入れたダイヤを呑みこんだことで、そのダイヤに隠された財宝の情報を狙い、ローマン・シオニスが血眼で追って来る。
そもそも、そのダイヤの持ち主、バーティネリ家を皆殺しにして、そのダイヤを独り占めにしようとしたのがローマンであったが、そのダイヤの在処を掴めずにいたのだ。

家族が皆殺しになったとき、ただ独り奇跡的に人影で助かった幼い娘のヘレナ・バーティネリが「クロスボウ・キラー」として復讐を誓い満を持して殺人犯を狩り始める。

ハーレイ・クインがジョーカーと破局してしまったことで、これまで彼女に手を出せなかった悪者がこぞって彼女に復讐してくる。
悪者、ギャングは、ほぼ全てハーレイ・クインにかつてボコボコにされているため、全悪党が彼女の敵となる(これは忙しい)。

更にローマンの店の歌姫で、彼の狙うダイヤモンドを呑みこんだスリのカサンドラと同じアパートに住むダイナがカサンドラを守るためにその戦いに引き摺り込まれる。彼女も武術の心得がある。それと超音波砲みたいな声が出せる。

そこにローマン・シオニスをマークする、いつも手柄を同僚に横取りされ平のままの刑事レニー・モントーヤが意地を見せる。

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つまりばらばらに動いていた腕利き女性陣が4人最終的にチームを組み、ゴッサムシティーの裏を牛耳るボス、ローマン・シオニスの軍隊と正面から対決することに。
それまでも個々のバトルアクションは爽快であったが、全員集まって最後のバトルとなってゆく。
車とバイクによるバトルもある。
バトルばかりで、面白い。
主人公たちが死ぬようなシリアスな闘いでない分、どんな技で敵を倒すのか、その興味本位で愉しめる。
痛快娯楽作の見本みたいな映画なのだ。

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結局、ローマン・シオニス配下の殺し屋軍団を皆やっつけ、最後の詰めのカサンドラを人質に取ったローマンとハーレイ・クインとの一騎打ち場面で、ハーレイ・クインに弾がなくなり窮地に追いやられるが、彼女からスリ取った手榴弾をカサンドラが持っており、それでローマンを爆死させて決着がつく。
この話自体、カサンドラが例のダイヤをスルことで始まったようなものだが、最後もそれでケリがついた。

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カサンドラがウンチで出だしたダイヤモンドに秘められた銀行口座が明らかになり、その金は全てヘレナ・バーティネリに還し、ハーレイ・クインはそのダイヤを質に入れ裏社会の何でも屋となり、カサンドラを会社見習い社員にする。
ヘレナは雇い主を失ったダイナと警察につくづく嫌気がさし、辞めてしまったレニーと3人で悪をやっつけるチーム「バーズ・オブ・プレイ」を結成し、活躍を始めた。
何とも、、、。

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まあしかし何といってもマーゴット・ロビー演じるハーレイ・クインの圧倒的な魅力に尽きよう。
スピンオフ作品ではあったが、このようなハーレイ・クイン主演物は、今後もやって欲しい。
気分をスッと晴らしたいときに最適かも。
ハーレイ・クインがハイエナをペットに飼っているのが凄い(あれはどうみてもハイエナだ)。





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LAMB/ラム

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Lamb
2021

アイスランドスウェーデンポーランド


バルディミール・ヨハンソン 監督・脚本
ショーン・シグルドソン 脚本
ソーラリン・グドナソン 音楽

ノオミ・ラパス、、、マリア(夫婦で羊飼い)
ヒルミル・スナイル・グドゥナソン、、、イングヴァル(マリアの夫)
ビョルン・フリーヌル・ハラルドソン、、、ペートゥル(イングヴァルの弟)


アイスランドの田舎は、お隣さんがいない。
度々、バルビゾン派の絵画を思わせる光景が見られるが。
もう少し荒涼とした田舎か。
大自然のもとで、牛飼いとして暮らす夫婦の羊小屋に、変な羊が生まれる。

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変なおじさんではなく、変な羊は可愛い。それがしかし、人と羊の混ざったような子なのだ。
夫婦はアダという娘を亡くしたばかりであったため、その子にその名を付ける。
(亡くなった兄の名前をそのまま付けられたサルバドール・ダリは一生ある意味苦しむことになるが、こっちは半分羊だからお気楽である)。
だが有り得ないものが生まれても、ご近所で噂話のネタとなり野次馬が殺到するとかいうことも起こらない。
これはこれで寂しすぎないか。他には犬と猫しかいないし。

夫の弟が何気に金をせびりに?やって来る。
何となくやって来たみたいな態度でいるが、ホントのところ何で来たのか不確か。
しかし居候してほっておくといつまでもいそうな感じ。

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しかもアダを見て最初は、「なんだありゃあ」と気持ち悪がる。
だがいつの間にか打ち解けて一緒に遊びに出るようになった。
釣りに行ったり、昼寝をしたり、、、
夫婦もベビーシッターみたいに重宝がるが。

その新たな娘は、言葉は喋れないが、人の話を聴きとることが出来て、ちゃんと家事の手伝いもしてくれる。
うちの娘より上だ。
そして素直だ。
うちの娘に一番欲しいものだ(笑。
可愛い。確かに娘は可愛いものだ、、、。

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不穏な空気が濃くなるのは、アダを連れて行いこうとする羊(親か?)がおり、一度は追っ払うが、二度目にマリアがライフルで撃ち殺して埋めてしまう。
大丈夫かと思ったが、その後、義弟の素行が悪くそちらの方に気を取られる。
だいたい、義姉にしばしば言い寄るなんて有り得るか。居候をしていて。
それで彼女は金を握らせバスに乗せて彼を返す。多分都会に向けてだろう。

これでほっと一息というところであったが、、、。
何もなければ、ちょっと変わった娘を挟む夫婦水入らずの安寧な生活が営まれていたことだろう。

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イングヴァルとアダが仲良く高原を歩いていると、何この人?という異形の者が忽然と立ちはだかる。
顔を見れば羊の造形ではあるが、しっかりとした直立二足歩行なのだ。
途中で飼い犬が血まみれで死んでいたり、ただならぬ気配はあったが、、、
羊の怪人(味方によってはデビル)は、イングヴァルに銃を向け躊躇わず撃ち殺してしまう。
そしてアダの手を引いて立ち去ってゆく。
アダは何度も横たわるイングヴァルを振り返るが、そのまま手を引かれてゆくのだった。

何をか感じたマリアが彼を見つけ駆け寄ってきて抱き起すがもう既に事切れていた。
アダも高原を見渡す限り姿かたちもない。
完全に孤独なマリアの姿が残される。
北欧の孤独は半端ではない。
羊やマリアなどキリスト教に引き寄せるモチーフはあるが、それを気にせずとも、原宗教的な気配がずっと匂っていた。

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最後にして最初の人類」のヨハン・ヨハンソン 監督の作品、「死の谷間」、「隣の影」、「湿地」、「静寂の森の凍えた姉妹」、「聖なる鹿殺し」、大好きなビョーク主演の「The Juniper Tree~ビョーク20歳の時の映画「ネズの木」」等々、アイスランド絡みの映画は、大自然の中での小さな人間という感覚が強く(アイスランド自体は小さな島国ではあるが)、人間そのものも動物的な欲望が晒されたものが多く感じられる。そして厳然としてある自然環境の下に営まれる人間社会は陰鬱で荒涼としている。空気が常に不穏な厳しさを醸している感じなのだ。
この映画で最後に出て来たような者がいても不思議に思われない闇が存在する気がする。
明らかにサタンに見えた。



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KOTOKO

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2012

塚本晋也 監督、脚本、撮影、編集


Cocco、、、KOTOKO
塚本晋也、、、田中(小説家)


この映画は劇薬だ。最強のホラーだ。

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大事に守りたいもの程、凄くフラジャイルに感じられ、その恐れから異常に過剰な防衛意識が生じてしまう。
そこは分かるが、この凄まじい幻想は危険レベルを遥かに越しているではないか。
大切なものが何らかの不可抗力で失われるくらいなら、自ら亡き者にしてしまおうという心理は理解はできる、が、、、
常に死と隣り合わせの狂気の白昼夢に息が詰まる。
次から次へと禍々しい幻想が襲い、相手を血まみれにしてしまう。
(誰からもこの狂気の暴力を訴えられないのか。子供は保護されたが、彼女も充分保護対象であろうに)。
自分もリストカットがルーチン化していて、、、。はっきりと本当の現実を確認したいのだろうが。
もう観るのが辛くて辛くて、、、。
何度、ポーズしたか分からない。血みどろは元々苦手だし。

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一気見など到底出来ない。
そもそも同一空間に自分の気にする対象が二通り見えるってどういうことか。
ダリの偏執狂的批判みたいに内在していた別の形体がダブルイメージとして表層を覆い尽くすというのとは、違う。
ひとりが二通りの存在~人格として恰も別人みたいに空間内で立ち振る舞うのだ。
こんなふうな表象にあっては普通に発狂する。
しかも決まって禍々しい現象に苛まれるのだ。
(これは生得的な病であると思う。いくら過酷な目にあったとしてもここまで表象が病むことは無いはず)。

そもそも20代中盤くらいの美しい女性だが、よくここまで生きてこれたものだ。
それも幼い赤ちゃんがいるときている。
有り得ないだろう。
安定した日常が無いのに。
どうやって。

唄っている時(曲を作っている時)は、この二つ見えることがなく、その間は創造に集中しているため幻視は生じない。
であれば、レコーディングスタジオに住むか、自分の住居をスタジオ化して、四六時中歌を作って唄って録音していれば、安定が保たれ創造的でお金も入って来て良い循環が出来ると思うが。
しかしここでは、普通の生活を試みようとして頻繁に大パニックを起こしている。
それにしてもギャーギャー泣いている赤んぼを腕に抱きながらフライパンで野菜炒めするか?
有り得ないだろう。
まず赤ん坊が泣くのは、オムツか空腹かだ。
そこを確認して、やるべきことをして、ベビーフードもしくはミルクを飲ませ、すやすや寝てから大人の食べ物を作ればよい。
腕に抱えて不安定な姿勢で油ものの調理なんて、危なくて観ていられない。普通にやることが変。

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しかし彼女には飛び抜けた魅力がある。美貌もそうだが音楽の才能である。
バスで小声で唄っていた歌を聴いた何とか賞を受賞した小説家が、彼女に強烈に惹かれる。
流石は芸術家でありその魅力を見出す。彼は彼女に近づくが、それからが修羅場であった。
彼女に接近する者には全て邪悪な分身が出現しそれに対し凄まじい攻撃が待っているのだ。
当然、田中も血みどろになる。どうにか収まっても直ぐにまた血みどろの惨劇である。
だが、彼は「大丈夫です」を繰り返し彼女の傍を離れようとしない。大変な惨劇を経ている事は、その顔を見れば誰もが分かる。
徹底的に彼女に寄り添う覚悟なのだ。これはもう作家の超能力~執念であるか。

その甲斐あり、対象が二つに分離する現象が立ち消え、世界が落ち着く。
妹のところに預けられていた息子が彼女の処に戻り、ふたりが初めて安らかな生活を営めるかに思えたのだが、、、
彼女が唯一、心を許していた田中が姿を消す(彼はその修羅場の中に創造の契機でも見出そうとしていたのか)。
もう自分が必要ないと悟ったのか。
しかしその後、彼女に最大のパニックが襲う。
息子の大二郎がまた二つに見えはじめ、禍々しい幻想が立ち現れ、ついに息子の死を見る。
それが自分の見守れる範囲で起こらないことに業を煮やし自らの手で息子を殺してしまう。

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彼女は白い世界にいた。
漸く病院に入ったようだ。
そこで唄ったり雨の中踊ったりして独り過ごしている。時間感覚はもはやない。
すると面会人が来た。
息子であった。もうだいぶ大きくなっていて、鶴の折り紙を母の前で作り帰ってゆく、、、。

唄には大変な強度を感じた。
そして狂暴に振舞った後の冷ややかで落ち着いた可愛い声と語りがとても怖い。
整った顔も不気味に見えて来る、、、。

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塚本晋也という監督、何者?田中という小説家も尋常ではない。
Coccoとの9年間にわたる交流の末に映画として結実したらしい。
一体、どういう部分が創作でどういうところがドキュメンタリー的なのか。
(わたしはCoccoとKOTOKOを重ねて見てしまった。それくらいの迫力である)。
凄いものだが、とってもシンドイ。
これ程のホラーはない。
空前絶後。



AmazonPrimeにて








車をダウンサイジング

BLACK SUN013


今ミニバンに乗っていて、7人乗りなのだが、最近多くて3人乗せるだけ。
普段はわたしの他は、妻か妻と娘一人、または娘二人のみ。
大体、中列、後列のシートを立てて、7人乗せていたのは10年くらい前の噺、それ以来後列シートを立てた事は滅多にない。
もう4人乗りでよい、という結論に達し、14年たっぷり乗った車を手放し、新しく「軽」を買おうかと、、、。
効率化を図ろうというもの。

小回りが利き、税金も安く、燃費も良い「軽」で充分ではないか、ということで、、、
色々調べたら、「スズキのアルト、マイルドハイブリッド」が候補に挙がる。
リッター当たり27.7㎞というのがまず驚異、最小回転半径4.4mにも驚く、だが一番の魅力は軽の非力を考えターボにすると燃費が落ちるのだが、マイルドハイブリッドで駆動系へのモーターアシストがあれば、ターボ級の出足と加速がNA(自然吸気)エンジンでも望めるようだ。
それならば、走りのスムーズさ(ひいては走行安定性)と燃費~経済性の両立が図れるではないの。
しかもメーカー独自のセーフティサポートがかなり充実しているようだ。
それ重要である。新しい車の魅力はそこにあると言っても良い。そうそう運転席のパネルに後部座席のシートベルトをしたかどうかの表示も出る。これは小さくない。結構細かいところまで配慮が行き届いていそう。

更にネットで人が乗ってお試しするVを覗いてみたら、後部座席が広い(足元スペースがタップリしていて頭部にあたる空間に圧迫感がないみたい)。これは大きい。まだ成長期の娘が乗るし。シートのホールド性も丁度よいみたいだ(わたしは余りスッポリ包まれるようなのは、嫌いだ。スポーツカーでもあるまいし)。
しかもあってもないようなラゲージスペースも後部座席をワンタッチで前に倒せばフラットスペースが生まれる。
買い出しに4人では行かないので、丁度良い。大概(ケチな、いや節約家の)妻と二人で店に乗り込む。
(自由に買い物出来ない不自由さは、何に乗ろうが変わらないのだ)。


ちょっとした近場への買い物、娘の塾の送迎、妻の送迎、公園とかには行かなくなったが、これからは気晴らしに行ってみたい。
それらを考えると、この選択肢、ありである。
遠くに旅行なら新幹線に越したことはない。街乗りだけなら、充分に思える。この街は平地でもあるし。
ただ、わたしはまだ「軽」を運転した経験がない。
試乗してみて確認したい。チルドハンドルの調整とシートポジションの設定がバシっと決まれば安全である。
(運転席の最適化こそが、安全を保障する。米軍のジェット戦闘機の事故もこれを解決して激減したという)。
何にせよ運転し易ければ、もう文句なしと言いたいところだが。

と言うことで、今度近いうちに試乗レポート載せられるかも(爆。
それが実現できるかどうかの、最大の難関は、妻がOKを出すか否かにかかっている。
もう今の車が古いという認識では一致しているのだ。
何故かそこで、留まっている状況。
一歩前に、である。(駅のトイレではないが)。


BLACK SUN016



今年の抱負

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また柄にもない「抱負」だなんて、自分から人に言うのは初めて。
しかし10年目だから、
何か言っておきたい。
そんな感じなのだ。

1、必ず一日に1作、絵を描く。
  *これは一番、肝心
(わたしが描かないものだから、娘が絵の具と筆をかなり使ってしまっている状況だが)。
2、音で遊ぶ。
  *機材があるのだから、利用しない手はない。
(とは言え、音楽アプリケーション(キューベースとか)をインストールしたパソコンは皆処分してしまった。無料モノを探す)。
3,娘と共通の趣味をもつ。
  *何でも良いのだが、コミュニケーションが取れればよし。
(今のところ、長女とは「ブルーロック」「チェンソーマン」のアニメとピアノ曲についての話題。次女はやたらとニヒルになってまともな返事をしない。絵の話題がなくなって久しい。絵を描かなくなったのか。1週間ほど前に、通知表の家庭欄に書く必要があるからこちらに出してと言ったら「検討しておく」と返され、未だに受け取っていない、大丈夫か)。
4.今日はブログをアップしたか、確認するようにする。
  *10年続けて来て、忘れたとすれば、これはもう認知症への移行を意味しよう。
(もしアップが途絶えたら、第三の人生に突入したと思って頂いてよい(爆)。

余り欲張らず、この辺にしておきたい。
今日は、昨日より幾分か暇があった為、短編映画4本観てしまった(笑。

感想は、どうにでも書けるにせよ、書く気はない。
出来不出来とは別に、書きたい基準に入ってこないのだ。
書きたい基準とは何だ、と問われれば、こうだとは、明確には答えられないが、
「背骨があって、腰のあるやつ」というところか。
構造のないものは、やはり書きようがない。

極彩色で描かれた絵でもモノクロに変換するとぺったんこになってしまうようなものはダメ。
映画も思わせぶりなイメージの垂れ流しみたいなものは少なくない。

と言うことで、本日は朝と夜に分けて、新年のご挨拶、、、。



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”Bon voyage.”



金沢国立工芸館「ポケモン×工芸展」6月11日まで。人間国宝の実力派作家たちが新たな解釈でポケモンを創造。

金沢城公園、兼六園、金沢城、ひがし茶屋街、近江市場も直ぐ近く。
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