溶ける
2015
井樫彩 監督・脚本
道田里羽、、、真子(田舎の女子高生)
ウトユウマ、、、孝太郎(東京から来た従兄)
「真っ赤な星」の井樫彩監督作品。
この監督の”SHINING RED FISH/PARCO ”(2019年)も観てみた。
全然作風が違う。
こちらは物凄くファッショナブルでスタイリッシュな作りだが(PARCOのキャンペーン ショートムービーだから当然か)、本作は田舎で叫んでいる純朴な女子高生の噺なのだ。
もう凄い田舎の光景。出て来る人々も素人としか言えないような、、、ヒロインは粗削りではあるが、伸びそうな人ではある。
真子は、生活排水もありそうな川に飛び込むことを趣味とする女子高生である。
気持ちの整理に飛び込んでいるように見受けられるが。
この時期は何処に暮らしていようが、閉塞感と将来に対する不安や葛藤は普通に誰もが抱えるものである。
特にこの子の家では、認知症の祖母もおり、母親も疲労で娘に丁寧に向き合うゆとりはない状況。友人とも確執がある。
父はいないようだ。下校後にアルバイトもしている。柵もあり大変そうだ。
ただ、他の子みたいに性に流されたくない。彼女も別に気のない男子から誘われるが断る。
刹那的な解放~逃避で現状を誤魔化したくないのだ。その結果、友達は妊娠してしまい悩んでいた。
そんな折に東京から従兄が釣り竿担いで呑気にやって来る。
彼は東京が窮屈で田舎に来れば何かが掴めるみたいな幻想を抱きやって来たようだ。
その証拠にやったことも無い釣りがのんびりできると思って、道具一式まで持って来ている。
彼女の家で縁側から夜空を見上げ、星が良く見えることに感心していたが、そこまでであった。
特に何て言うこともなく、滞在期間の二週間は過ぎてゆく(従兄の行状に関して詳しい描写はない)。
後半の彼女の嫌悪の念と葛藤の吐露には共感できる。
ハッとさせられる瑞々しさを感じた。
ずっと田舎を出ようとしていた気持ちがこみ上げてくる。
タップリためを置いて自分の生々しい言葉でたどたどしく、従兄に訴える、、、
「スーパーで遭って、このままここに就職か、と聞く常連のおっさんが嫌い。無駄に長い坂も嫌い。卒業してバイクと車を乗り回して、暇だ暇だと言ってる奴らも嫌い。若くて可愛いのにダサい作業着着ている女の人を見るのも嫌い。風が強いと遮るものがなくて息が出来なくなるのも嫌い。肥料の臭い匂いも嫌い。自分が淋しい時だけ連絡よこす女作って出て行ったお父さんも嫌い。暇だとか淋しいとか言って、やりまくってる馬鹿どもも嫌い。嫌い、嫌い、皆嫌い!」
この口ごもりながら訴える言葉の強度はかなりのもの。
このシーンでわたしはこの映画に引き寄せられた(それまではどうも素人演技と「間」が気になって入り込めなかった)。
これを聴いた孝太郎も真子みたいに川に飛び込む。
驚く真子に向って、「今すぐ逃げろ!」と叫ぶ。
真子はそれに従い荷物をまとめ最寄りの停留所からバスに乗って行く。
途中たっぷりと充分知っているはずの自分の街の風景を窓に食い下がって凝視する。そして、、、
涙を流しながら停車ボタンを押す。
彼女は元の生活に戻っている。
従兄が東京に帰るのを見送りに行くが、「さっちゃんはどうするの?」と尋ねられる。
「行かない」
「ホントにいいの?」
「いい」「だって、空気悪いし、星見えない。やることないし。」
踏ん切りが付いたのだ。バスに乗ってみたことで。疑似逃避行、逃避予行練習?そういうものだろう。
合理化もあるにせよ、そうするほかないのだ。
と謂うより今の生活を自らの意思で選び直したのだ。
ここはよく分かる。何処に行けるわけではない。しかしそのなかで違う道は幾らでも選べる。
ただちょっと間が悪し。間延びが気になった。もっとさらっといってもよいと思う。
ためを置いているのか、ぼうっと突っ立っているのか分からない場面は何とかしてほしい。
道田里羽の熱演であった。
監督の意図もしっかり伝わるものであったのではないか。
そして、20分足らずの”SHINING RED FISH/PARCO ”は、カメラワークや演出が凝っていて凄く良い。
無駄がなく、テンポが良く、絵がともかく美しい。ヒロインがリムジンでお化粧しているところなど如何にもPARCO(笑。
膨らませてスパイアクションものにすればかなりヒットしそう。
ヒロインが洗練されていて桜井ユキで実に決まっている。
金魚が鉢から解放されて赤いドレスのヒロインも逃避行に、、、
「世界は、わたしが選ぶ」、、、その通り。
世界は、わたしが選ぶのだ!
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