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GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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still dark

still dark004
 
2019

髙橋雄祐 監督・脚本

髙橋雄祐、、、ユウキ(視覚障害、見習い)
小谷けい、、、ケンタ(料理人)
永田健、、、イタリアンレストラン料理長


短いものを探して観ただけなのだが、、、

still dark001

フレッシュナポリタン、そんなに旨いのか?
年越し蕎麦と天麩羅たくさん食べた後だが、とても食べたくなった。

だいたい、一度食べて旨いからまた来ようと思うことはあるが、雇ってもらおうというのは、無い。
だが、視覚障害のユウキはレストランの料理長に何が何でもここで働きたいと直談判。
凄い情熱が認められ、1か月間の見習い研修を勝ち取る。
後は、その期間にどれだけ技術を習得できるかだ。

still dark002

明るく気さくで特別扱いはしないが、細やかな気遣いの出来る同い年の先輩にあたるケンタに支えられ、楽しく時を過ごす。
店内で禁じられている煙草を吸ったり、冗談やケンタの音楽の趣味で盛り上がったり、終電近くまでケンタがユウキの練習に真剣に付き合ったり、、、。
そして厳しく言葉は少ないが、しっかり見守っている料理長。
このふたりに謂えることは、他者への愛情が基調にあること。
(あの、3人で写真を撮る場面。わたしも写真はここ10年、娘しか撮っていないが、同じ気持ちを感じる)。
であるから、いくらふざけようが厳しいことを言おうが、ユウキを暖かく包む力となっている。
ユウキを奮い立たせる力となっている。
きっと、いや間違いなくその料理~フレッシュナポリタンにもその力が宿っているのだ(料理にそれは一番現れるもの)。
だから美味しく、人気もあり、ユウキも先輩のケンタもそれを食べてこの店で働きたくなったのだ。
それは間違いない。

still dark003

いつから、共同体は他者を貶める空間に成り下がったのだろう。元々がそうであったのか。
何故、こんな不快極まりない空気を熟成させたのだろう。
更に加速しているようにも受け取れるところがある。


この映画の空間は澄んでいて、とても気持ち良く優しい。
それが酷く貴重なものに想える。
(映画でしか実現できない虚構世界なのか)。

still dark005

ここでは”still dark”であっても、確実に前に進める。
どうであろうが、希望しかない。
(質の良いSFを観た気分だ)。


スッキリとまとまり、短編映画である良さを感じる。


今 クロエ・グレース・モレッツ主演の「ペリフェラル ~接続された未来~」を観始めているが、いつ見終わるか分からない。
1話が1時間10分くらいの8話ものだ。
とてもこってりした、分かり難い錯綜した内容で、登場人物がやたらと多く、誰が誰だか名前も顔も覚えきれない噺(苦。
そう遠くないうちに感想まで漕ぎつければと思う。




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パーフェクト・ソウルメイト

THE PERFECT SOULMATE001

THE PERFECT SOULMATE
2017
カナダ

カーティス・ジェームズ・クロフォード、アンソニー・ルフレズニ 監督
ジョン・サージ 脚本

キャシー・スケルボ、、、リー・マクソン(書店員)
アレックス・パクストン=ビーズリー、、、サラ・マイルズ(詩人、一児の母)
ジェフ・テラヴァイネン、、、ダニエル・マイルズ(サラの夫、建設業)
スコット・ギブソン、、、ウィル・ローレンス(サラの協力者)
ハブリー・ララット、、、メイガン・マイルズ(サラの娘)


THE PERFECT SOULMATE005

やはりカナダ臭の漂う映画であった。
リーのような強烈な個性~精神は、カナダ映画には度々現れる。
父による身体的虐待。母も横暴で我儘な子供を虐げる親。
思いの外、このような親元で苦しむ子供時代を経ている人は多い。
そして彼女も従順に隷属しながらも煮え滾る殺意を抱えていた。

当然、他者との接し方が、極端である。
端から信用せず全く関わらないか、極端に全てを信奉したり。
リーの場合、以前からその作品に心酔していた詩人にこころのなかで過剰に依存していた。
こういう人は、親子関係に発して日常的な人間関係には何も期待していない分、理想に対し過剰な期待と価値を求める傾向はある。

THE PERFECT SOULMATE006

リーが自分の中で神格化した理想の詩人であるサラ・マイルズはもうすでに7年間詩集を出版していない。
子どもが生まれ、生活は裕福だが、夫には創作活動より家庭の仕事と育児に専念するように言われ従っている状況。
しかし湧き上がる創作意欲は、自身のブログを通して発信していた。
勿論、それで満足できているわけではない。しかも夫は外に親密な関係を持つ女性がいることも分かっている。
家庭生活自体が既に破綻していたが娘の為に我慢をしていた。

リーは、彼女の創作活動の少しでも役に立ちたいという気持ちとずっと抱き続けて来た憧れもあり、自分の書店で朗読会を開きたい意向を伝える。
するとサラ・マイルズは、快く応じてくれたではないか。
ここでリーは舞い上がり、彼女の極端な意識構造が明瞭化する。
相手に対する0か100タイプの関りの発動だ。
自分の幻想を全面投影して他者性~外部の入る余地はない。

THE PERFECT SOULMATE003

実際に逢ってみると、双方とも相手に良い感触を持つ。
リーにとっては、長年憧れ続けた詩人である。もうそれだけで天にも昇る気持ちだ。片や育児と家庭の仕事に埋没してきたサラにとっても、久しぶりに詩~芸術の噺が出来たものだ。しかも相手は自分の作品をとても深く読み込んでおり、自分の自信作を一番気に入っているという。頼もしい読者でありファンである。サラにとっても悪い気などしない。

しかしここから、リーはサラに対しストーカー行為を始める。彼女のことは全て知りたい。知ることは即ち支配を意味する。
もう自分が彼女の唯一のソウルメイトという認識なのだ。
彼女のことを全て知り、彼女を自分のものにしなければならない。彼女に対し全能でなければならない。
幼いころの両親との関係性、その凄まじく深いトラウマの補償を、この赤の他人の詩人との関係において成そうとする。

THE PERFECT SOULMATE002

当然、サラは引きまくる。彼女にとっては災難にも等しい。
付き纏い、プレゼント、家の手伝い、料理、娘の世話と、どんどんサラの生活空間に過剰に強引に侵入してくるのだ。
単なる作家と熱心な読者~ファンとの関係を大きく逸脱してくる。
しかしそこまでなら、リーも文学に造詣深い知識人であり、よく話し合えばお互いの距離感も調整したうえで関係性を修正することも可能であったはず。

だが、リーの精神の闇はもはやそのレベルに無かった、余りに幼少期~少女期の家庭環境が過酷過ぎた。
彼女は少女時代、暴力を振るい続ける父を殺害し、それが彼の自殺で処理され、横暴極まりない母も看護を放棄し見殺しにして罪に問われずに来たのだ。彼女の境遇が余りに不幸であった。その為、自分の生を脅かすものを短絡的に葬り去ることに、ほとんど躊躇なかった。
サラに暴力を振るう夫を窓越しに目撃し、躊躇いもなく彼を銃殺し、それで彼女を創作の世界に引き戻し解放した気持ちでいたのだ。

THE PERFECT SOULMATE004

その後、彼女のことを疑うサラが頼んだ弁護士の派遣した探偵も殺害し、サラの家の手伝いを以前からしてくれる女性も邪魔と言うことから毒を盛る。歯止めが効かない自己幻想に囚われた大変危険な女であることがはっきりする(この心性はずっともっていたが、サラとの邂逅によって発動したと言える)。
サラとしては、浮気していた夫が殺害されたということで、彼女が容疑者扱いされ、しかもリーを疑い彼女の身辺を探ることによって自分の身も危うくする。もう踏んだり蹴ったりである。この辺りはハラハラサスペンス状態で観れた。

最後の最後は、リーがサラに対し非情になりきれず、自害することで幕が落ちる。
しかし詩人であるなら、リーの抱える闇と救われない心情に、もう少し配慮があっても良いのではと思う部分はあった。
わたしは、リーが気の毒でならない。不幸な女性だ。

最後は、サラの新しい詩集の朗読会が開かれ、理解者で協力者であるウィル・ローレンスと幸せな関係が生まれていることを示す情景で幕を閉じる。
結構、クールでハードボイルドな展開なのだ(笑。

主演、ふたりの女優は熱演であった。



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ニート・オブ・ザ・デッド

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2014

南木顕生 監督・脚本


筒井真理子、、、妻(専業主婦)
木下ほうか、、、夫(会社員)
金子鈴幸、、、息子(引籠りニート)
吉田達、、、祖父(寝たきり老人)
白石晃士、、、ゾンビに喰われる人


題からして狙い過ぎな雰囲気に観るのを躊躇っていたが、今日は殊の外、忙しいためこの短編にした。
ホームドラマである。
そこにゾンビも絡めた。
ゾンビは街に溢れているが、ただぼんやりと歩いている。
だから、夫はいつもどおり会社に出勤するが、どうにも辿り着けず帰宅することに。
帰ったところで、燻っていた家庭問題が顕在化する(息子のゾンビ化によりメルトダウン)。

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ドーン・オブ・ザ・デッド」のパワフルアクティブゾンビならもう日本はとっくに滅んでいるはず。
女性にペットボトルで頭殴られてやられてしまうボ~っとした牧歌的なゾンビなのだ。
(BGMもその演出である)。
それに対し、家庭内はシビアな状況に煮詰まっていた。長年、夫は家庭内の事には見向きもせず、仕事に明け暮れてきた。
妻が息子と亡くなった義母と寝たきりの義父の面倒を一手に引き受けて来たことに対する不満が爆発する。
しかしこれは何処にでもあり得る噺で、余りにもステレオタイプなものだ。

だが、引籠りニートと寝たきり老人がゾンビになるとどうなるかという、ゾンビに対する新たな解釈がなされている。
ゾンビ定義が更に細やかに成される契機となるか、どうでもよいか。
どうやら引籠りニート息子は、こっそり深夜俳諧をやらかしてゾンビになったみたいであるが、基本的に籠ったままでいたためか全く覇気がない。と言うか受け身体勢のままなのだ。それまでの生活癖がゾンビ後にも維持されることが確認できるか。
寝たきり老人は、孫に襲われたようであるが、やはりゾンビになっても起き上がれなかった。
「おお、流石は要介護認定5だな。」まあ、そういうことらしい。微妙。

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この辺のネタを全て掬って派手に面白おかしい噺に持ってゆくのが、筒井真理子と木下ほうかの力量である。
何よりゾンビ化した息子の今後の教育(的配慮)に対し夫婦で激しく対立するのだ。
母はこのまま無気力な息子~ゾンビの保護の必要から家に籠って暮らすことを主張する。
それに対し父は、丁度良い息子の自立の契機となるとして、外の世界に送り出そうとする。
それじゃあこの子は飢えて死んでしまうわ、と訴える妻に夫は、いやきっと立派に人を襲って食って行けるさ、と返す。
子供の自立を巡る夫婦の葛藤はまさに普遍的なものであると実感するところ。
この後、喧々諤々のやりあいをするが、夫は息子の挙動に驚き座ったソファの背もたれ越しにバク転をかますし、妻はいくらプリンを息子に食べさせても全部零してしまう様子を前に、自分が彼を強引に学校に行かせようとしたり進路コースを押し付けたりしたことを詫びて、むせび泣きながら吐き出したプリンを拭ったタオルで顔を拭く。この両ベテランの俳優魂には思わず頭が下がる。

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祖父を喰わせようともするが、ゾンビ化した者には食欲を示さず諦めることに。
結局、母は息子に肩を噛ませ自らもゾンビとなり街に出て行く。そして息子の自立する姿を見て彼から独り離れる。
寝たきりの父をそのまま餓死するまで傍で見守るつもりであった夫は、むくっと上体を起こした父親に喰われて悲鳴を上げる。
恐らくゾンビ化すると、少しだけ体がアクティブになるみたい(人肉欲しさの狂暴化か)。

南木顕生は脚本家であり、唯一の監督作だそうだ。またこれが遺作ともなった。
金子鈴幸は、わたしも大好きな「ガメラ 大怪獣空中決戦 ガメラ2」、 「レギオン襲来」、 「ガメラ3 邪神覚醒」の金子修介監督の息子で、この映画がデビュー作とのこと。良いデビューを飾ったものだ。
寝たきり老人役は、東映の名プロデューサーだそうだが、べつに何の感慨もない。
そしてここでの快演の光る木下ほうかは、スキャンダルから事実上、俳優から退いている。残った彼の映像は貴重。
貞子vs伽椰子」、「カルト」の白石晃士監督も取り合えず終盤に出てくる。喰われているが、もしかしたら演技派かも知れない。

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話題に事欠かない作品なのか?
短編で、ベテラン筒井真理子と木下ほうかの掛け合い漫才がしっかり愉しめる。




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ノイズ

The Astronauts Wife004


The Astronaut's Wife
1999
アメリカ

ランド・ラヴィッチ 監督・脚本
ジョージ・S・クリントン 音楽

ジョニー・デップ、、、スペンサー・アーマコスト(NASAの宇宙飛行士、マクラーレン軍用機メーカー顧問)
シャーリーズ・セロン、、、ジリアン・アーマコスト(スペンサーの妻、小学校の教師)
ニック・カサヴェテス、、、アレックス・ストレック大佐(NASAの宇宙飛行士、スペンサーと共にシャトル搭乗)
ジョー・モートン、、、シャーマン・リース(元NASAの職員)
クレア・デュヴァル、、、ナン(ジリアンの妹)
ドナ・マーフィー、、、ナタリー・ストレック(アレックスの妻)


「宇宙飛行士の妻」まさに。
「ノイズ」が何であったか不明のまま。
分からないままが、一番不気味か。

The Astronauts Wife003

ジョニー・デップの冷たい不気味さとシャーリーズ・セロンの不安と疑惑に翻弄される美しい妻との対比が怖い映画。
後半からの緊張感はなかなかのものであるが、中盤までの間延び感が半端ではない。
ホントにテンポが悪い。

ジョニー・デップは人間の姿でありながら薄気味悪いエイリアン感を漂わせ、流石の演技であるが、ちょっとこの役では物足りない。
シャーリーズ・セロンの美しさは際立っており、ファンにしてみればそれだけで見る価値ありであろう。

噺は、取り合えずSFの範疇なのかな。
スペースシャトルにスペンサーとアレックスが搭乗し、宇宙空間の作業~人工衛星の修理を行っている最中、原因不明の2分間の空白~事故が起きる。その後、2人の宇宙飛行士は無事帰還した。2人は検査入院するがアレックスは長引く。
ふたりは、退院後、2分間の出来事については何も語らなかった。
アレックスはあるパーティーのさなか、脳卒中で突然命を落とし、妻のナタリーも後を追うようにバスタブで感電自殺を図って死ぬ。

The Astronauts Wife002

何故かスペンサーはNASAを辞め軍用機メーカーであるマクラーレン社の重役におさまる。
ジリアンは身重であることが分かり、それも双子であった。
ふたりにとって平穏な第二の人生が始まるかと思ったところから、徐々に不穏な空気が充満してくる。
スペンサーに妻のジリアンは少しづつ違和感を覚え始めるのだった。
何で軍用機の設計に携わっているのか、、、。人が変わったみたいな様子も見られる。

The Astronauts Wife001

そんな折、NASAを首になったシャーマン・リースがジリアンに極秘で連絡をよこす。
丁度、彼女の不安に関わる事柄でもあった為、彼と接触を試みるとその場所にスペンサーが突然現れ、彼を彼のブリーフケースも共に連れ去ってしまう。その後彼との連絡は途絶える。
だが、リースはそんなときの為に彼女宛に貸し金庫に真相について語ったビデオを用意していた。
それを自宅で再生すると、例の2分間に何らかの存在が二人を襲い、彼らに乗り移った可能性を示唆する証拠が捕らえられていた。
ふたりの声の波形以外の別の”ノイズ”~再現不可能の音声波形が2分間だけ記録されていたことを知る。
そして死んだナタリーも妊娠しており、彼女も双子を身籠っていたことを知らされるのだ。
その”相手”にとり、双子であることの意味があるようであった。

The Astronauts Wife007

それを見た瞬間、その時間に帰宅するはずのないスペンサーが突然、傍らに立っており、映画のヴィデオを見ようと誘う。
そして取り出した例のビデオテープはいつの間にかなくなっている。
彼女は、夫と距離を持つため逃げてもたちどころに彼はやって来るようになり、いよいよ尋常でない事態に危機感を募らせる。
そして妹に縋るが、スペンサーがリースのブリーフケースを持っていることを問い詰めると彼女まで殺してしまう。
中絶させる薬をフランスから取り寄せ飲もうとするがどうしても出来ずにいると、またそこへスペンサーが現れる。
彼女は逃げ、かつてのアレックスの妻ナタリーと同じようにバスタブで感電自殺を図ろうとする。
マンションの部屋全体が水浸しになってゆく中での、ジリアンがラジオのコンセントを今にも刺しこみ感電する間合いを縫っての攻防が始まった。ここが最大の山場となる。
そして彼が彼女を徐々に念力で引き寄せ始めた時に、彼女はつま先を上げ、電源を繋いだ。
感電する偽スペンサー。しかし叫び声を発しながら彼から透明の生命体が抜け出て、ジリアンの瞳の中に滑り込んでゆく。

The Astronauts Wife006

数年後、彼女は何事もなかったかのように、双子の男の子の母として彼らを送迎バスに乗せている。
新しい夫もいて普通の家庭を営んでいた。
双子は何やらヘッドフォンをしながら科学の本を読破している。

こいつら何をこの先やらかそうとしているのか、、、終始、分からないことの不安と不気味さを醸す物語であった。
(それにしても悠長な計画で迫る侵略者?である。双子である意味もよく分からず仕舞い)。
そうした手法は良しとして、前半の冗長さは、何とかしてもらいたかったものだ、
テンポがもう少し良ければサスペンススリラーとして引き締まった面白い作品になっていたかも。
(SFとしては認めがたいが)。
シャーリーズ・セロン見たさに鑑賞する人にとっては、大変美しい彼女が観られて内容などどうでもよいかも知れない。



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異世界おじさん 1~5話

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2021

河合滋樹 監督
殆ど死んでいる 原作
「story」オープニングテーマ:前島麻由:歌 R・O・N:作詞、作曲、編曲
「一番星ソノリティ」エンディングテーマ:井口裕香:歌 PA-NON;作詞、渡辺翔:作曲、清水哲平:編曲

子安武人、、、おじさん
福山潤、、、たかふみ
戸松遥、、、エルフ
悠木碧、、、メイベル
小松未可子、、、藤宮澄夏


次女に観てみるように言われ暇がない中、1~5話まで何とか観てみた。
今12話まで来ているので、前半の感想と謂う所に留める。

気がかりなのは、次女がちょっぴりわたしのブログを覗くようになったらしい。
(実は、昨日から気になっていたことだが)。
これからは、健全で明るく平易な内容に移行してゆきたい。
これ、明日まで覚えているかどうか(爆。

isekai001.jpg

ギャグアニメであることは、最初からはっきりしているが、その形式~設定が余りにも荒唐無稽なご都合主義なもの。
魔法が絡むと何でもありの野放図なものとなるので、当然、ご都合主義になる。
それで噺を面白くするのは、リアルさを狙ったものより随分容易になるのは分かる。

(根っからのゲーマーであり)セガサターンのゲームソフトを買いに出たところでトラックに轢かれ、17年間昏睡状態のおじさんが急に病院で目覚め、見舞いに来た甥のたかふみにその間、異世界「グランバハマル」で暮らしていたことを派手に打ち明ける。
その証拠に魔法を使えることを示し、それに目を付けたこの甥がユーチューバーとして叔父をデビューさせ金を儲けようとする。
魔法が使えるなら、さも有りそうな噺だ。魔法が使えなくとも、酒に酔うと相手が勘違いするような大胆な行動をとるところは分かる。
たかふみとおじさんのルームシェアの生活が始まる。噺はそこに彼の幼馴染の藤宮澄夏が加わることで白熱する?
おじさんは当初、藤宮澄夏には酷くキモオタク扱いされ敬遠される。

isekai004.jpeg

内容的には面白く感じるが、笑えるかというと何やら引っかかって微妙。
異世界ファンタジー、ラブコメ、美少女系、セガゲームオタク系ギャグで笑わせようという狙いがありありとしていて、何とも素直に笑えない。
面白さを狙っているというか、、、。先が観越せ過ぎると言うか、、、。
魔法とセガゲーム中継のユーチューバーとしてデビューしフォロワーを伸ばし稼いでゆくのは素直に面白い。
特に、一回エルフに変身したままゲーム中継をしてしまい、その際に肝心のゲームパネルを映さず自分の姿を中継してしまい失敗を酷く悔んだら、1000位のフォロワーが一気に20万を超えていたところは、よく分かった。コメントを見るとゲームよりこの方が可愛いということで爆発的にフォローされたのだった。おじさん的には酷く不本意というところは面白い。このユーチューバーで押し切っても良いのではと思うところだが、おじさんの過去映像~異世界と魔法と美少女が大いに絡んでくる。

isekai002.jpg

まだ、5話までしか観ていないため、何とも言えぬが、記憶を可視化する魔法のアイテム~パネルの再生映像をたかふみと藤宮澄夏という幼馴染(彼女)が一緒に観ながら話が展開してゆく。部分的には面白い内容ではある。

その異世界が美男美女ばかりで、おじさんはその容姿から彼らを襲う悪者のオークと間違えられ、行く先々で村人たちにボコボコにされるという悲惨な生活を送って来た。その村~異世界と言うのがヨーロッパ中世を思わせる空間なのだ。
そこで得た力というのが異世界語の翻訳能力らしい。
そして何故かとても綺麗で可愛らしいツンデレなエルフやメイベル(氷の妖精?)に妙に気にかけられしつこく付き纏われる。だがおじさんは彼女らに好かれているという意識はない(たかふみと藤宮澄夏は気づくが)。おじさんがこちらで生きて来た時代に「ツンデレ」という概念がなく、それに気づかないということらしい。ともかく孤独で過酷な異世界生活を送って来たという自覚なのだ。
ここは異世界ヒーロー物と一線を画するものか。魔法の力で怪物退治などはやってはいるが、英雄視はされない。

isekai006.jpeg

しかし異世界で得たアイテム、ガジェットをドラえもんみたいに(ギャグの為)次から次へと出して見せたり、魔法の術を見せたり、ツンデレエルフに変身して魅せたり、その辺はこの世界でも、やりたい放題なのだ。しかし、携帯はボタンの多いガラケーを欲しがり、通話も通信も出来ないものを持ち、セガサターンのゲームセットをたかふみに買ってもらい喜んでそれに熱中する。(こちらに戻り、たかふみと交信するには、のろしか旗を用いる。意味わからん)。
ふたりをハッとさせる名言を吐くが、全てセガサターンのゲームソフトから得た言葉で、それで人生を築いて来たようなものらしく、異世界もゲームソフトの一つのようなものなのか、、、。昏睡していた間、ゲームの中にいたとか(笑。

isekai003.jpg

つまり過去にあったことを元にそれを解釈したりおじさんのパーソナリティーを深堀したりしながら進んでゆく。
過去~異世界の解釈と過剰な説明とこのおじさんとは?という謎を解いてゆく冒険譚的なものでもある。
しかしその映像は決してその人の記憶ではなく、超越的な視座から撮られ(編集~物語化された)映像である。
そこが何とも言えないところ。もし特定の者の記憶と言うなら今流行りのPOVにするか、その視座を納得させる要素を加えるべき。
そもそも、こんな便利なものがあるなら、のろしや旗を使うな、と言いたいが。

ダラダラ書いてしまったが、今一つ乗れないギャグアニメであり、今後続きを見るかどうか分からない。




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カランコエの花

karankoe001.jpg

2018

今田美桜、、、一ノ瀬月乃(桜に思われている女子、ブラバン・クラリネット)
長瀬千裕、、、葛城沙奈(桜の秘密を知る女子)
笠松将、、、新木裕也(同性愛を冷やかす男子)
須藤誠、、、佐伯洋太(裕也とつるむ男子)
有佐、、、小牧桜(同性愛の女子、月乃と仲良しグループ))
堀春奈、、、梶原千里(月乃と仲良しグループ)
手島実優、、、矢嶋みどり(月乃と仲良しグループ)
  以上、全員クラスメイト。
山上綾加、、、小嶋花絵(養護教諭)


数日前に観ておいた短編映画。
道徳か保体などの授業でLGBT教材に使えそうな作品。高校生向きか。
ヒロインが赤い(カランコエみたいな)シュシュを付けて登校し、ブラバンの練習の演奏光景から始まる。
クラリネットを演奏する絵も如何にも高校生、掴みはOK(笑。

karankoe002.jpg

かなり活躍している若手俳優の逸材の演技がフレッシュで爽やか。
とてもすんなりと観られる。
テーマも明確で自然な流れで展開し、分かり易い。
但し、これ以外の展開も充分考えられよう。
飽くまでもひとつのパタンとしての有効性はある。

月乃、桜、千里、みどりの四人はいつも一緒の仲良しグループ。
どの子もとっても可愛らしい。
お昼の時間に桜が作って来た美味しいクッキーを皆で食べて盛り上がるような仲なのだ。
そういうのって楽しそうでいいよなあ~と思う。
(わたしは男だからという点もあるが、こんな華やいだ記憶なんて微塵もない)。
ここだけ観れば、何処にもいそうな女子グループである(見た目は乃木坂級だが(笑)。

karankoe004.jpg

恋愛感情が絡めばLGBTでなくとも、それまでの友人関係は再編成される。
ここでは更に生理・感覚的な側面からの感情の縺れが入り込む余地も生じ、それに対する意識・認識をしっかり持っておくことは必要だろう。普通の感覚が桎梏となる。

人間、生理・感覚的に受け容れ不可能なことにおいても理性的な認識の更新は出来なければならない。
実際、感覚や直観では全く届かない驚異の現実~宇宙の内にわれわれは奇跡的に生存しているのだ。
異質な次元、多様性に対して思考を開放していることは生きる上で肝心なこと。

桜がカミングアウトした次の日、彼女が不在の朝のホームルームのシーンには、説得力があった。
自分が桜の対象であったことを悟った月乃が静かにひとりむせび泣く。
不本意に彼女を傷つけてしまった悔恨の情には共感できる、、、。
(とは言え、月乃は桜が同性愛者であることを沙奈から聞いて知っているのに、「小牧桜はレスビアン」という黒板に書かれた文字を、否定する言葉と共に消してゆく。それを止めたのが他でもない桜であった。一番自分を認め受け容れて欲しい相手に拒絶されたも同じだ。このショックは大きい)。
だがこの繊細な関りにおいて、どう出ても相手を傷つけることは覚悟せざる負えまい。
(揶揄っていた男子も現実にその女子が特定されるとふざけた態度ではいられない)。

これで映画のストーリーは終わるのだが、その後、以前保健室でこっそり養護教諭に桜が、月乃にずっと思いを寄せていることを打ち明けるところがブラックアウトの画面で会話だけが流される。この秘められた瑞々しい思いの強度がこの演出によってまさに極まった。そこに体調不良で訪れた沙奈がふたりの会話を漏れ聞いてしまい、彼女は後に何とか桜の力になれないか思い悩むようになる。その相談を受けたのが月乃であったが、その時は自分がその対象であることには思い至らない。

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またここで取り上げられている起こりうる周囲の問題として、、、
(桜の打ち明け話を元に)養護教諭が英語の自習時間に唐突にLGBT講義をやってしまったのも、生徒の興味本位な好奇心を揺り動かすだけの効果しかなかったが、それだけでなく、それを元に噂を始めた生徒(とても目立つ男子)たちが犯人捜しをするような感覚で騒ぎ出す。この環境の中で当人への精神的抑圧は非常に高まって行った。元気がなくなる。更に担任は、そのことを取り上げ生徒を叱る。これらの配慮なき行為により悪循環を起こしてしまう。そもそも桜は、自分だけで抱えきれない胸の内を信用できる女性の先生にひっそり打ち明けたかっただけだ。その解決など望んだのではない。大上段からこうすべきではない、などと全体に向け教え諭す問題ではない。非常にがさつ。

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わだかまりが生じたにせよ、お互いの思いを明確にしたうえでどうしたら自分を信じて(肯定して)活き活きと生きて行けるか。
この4人組の関係性が更に豊かなものに更新できるか、解散するしかないのか、彼女ら次第である。
月乃がどう出るかが勿論、一番大きいが。桜の抱えて来た痛みを多少なりとも知った彼女なら恐らくは大丈夫だと思う。
(思春期に女子は一過性なものとして同性愛的傾向をもつこともある。何れにせよ、しなやかな関係性は維持して行きたいものだ)。

最初の英語のノートの伏線を最後にしっかり回収して綺麗に今後の見通しのないままにこちらに投げかけたまま閉じる。
簡潔にまとまった堅実な作品である。
短編映画の良さが活きていた。




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イメージの本

Le livre dimage002

Le livre d'image
2018
スイス、フランス

ジャン=リュック・ゴダール 監督・脚本・編集・ナレーション


正直、ゴダールは余り観てはいない(タルコフスキーほど)。
しかし観る機会があれば、必ず観る。
そのままにしたら後で気になって仕方ない(笑。

Le livre dimage004

「何一つ望み通りにならなくても希望は生き続ける。」
映像、絵画、詩(哲学)的な文章、音楽のコラージュによる5章プラスαからなる作品。
前半:
Ⅰ.リメイク
Ⅱ.ペテルブルグ夜話
Ⅲ.線路の間の花々は
Ⅳ.法の精神
Ⅴ.中央地帯
後半:
アラビア

要素的に観て政治的な刺激の強い内容(戦争のフィルムが素材として多い~ジョゼフ・ド・メーストルの戦争論)もあったが、何(メッセージ)より芸術である。
どのような内容~意味が感じられようと、何より映像作品としての美しさが印象的だ。
とても長いコラージュ作品であったが、惹き込まれた。
ただ、美しい。詩を読むように鑑賞してしまう。
ゴダール88歳の最後の作品。

Le livre dimage003

「手」で考えるというのは、とってもよく分かる。
手と紙(カンバス)の表面でしかわたしも考えられない。
lコラージュ~編集する手によって生成された作品であることが腑に落ちる。
それにしても凄く練り込まれたエフェクト。スタイリッシュなどと言うレベルではない。
(恐らく映画ファンは、この多くの映像断片が過去のどの映画のどこの部分だと指摘する快感に浸るのだろうが、わたしはどうでもよい。全く分からないし(笑)。

更に「洗礼者ヨハネ」(ダ・ヴィンチ)の天を指さす「手」がシンボリックに現れる。
手=編集=思考、、、を改めて提示するような。

Le livre dimage005

そして、どのような内容であれ、恐怖、怒り、絶望、享楽、探究、、、印象に残るものは皆、美しかった。
美しく張りつめた緊張感と、、、そう、怒り。
ゴダールの存在感そのものを感じさせるナレーション。この声が聴きたい。音楽~効果音と共に。

後半にかなりの尺で見られるアラビア~中近東へのゴダールの趣向というか深い興味が印象に残る。
沢山の列車映画の引用も興味深かった。
しかし一回の鑑賞では、ほとんど掴めない作品に思える。
これを書いた後で思い出す映像も幾つも出てきそうだ。
ストーリーが全くないものは、所々の絵としての印象は残っても全体像の記憶は難しい。
(更に引き摺ってしまうような不安で不思議な絵~映像もあり気にかかる)。

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この作品は、何度も観てしまいそうだ。
(発見がかなり続きそうな映画になるはず)。
ゴダール特有の知的快楽が充満した映像であった。

そして終盤に語られる言葉、「悲しみ方が足りないから世界は良くならない。」
、、、反芻してしまうことばだ。



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劇場版 呪術廻戦 0

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2021

朴性厚 監督
芥見下々 原作
瀬古浩司 脚本


緒方恵美、、、乙骨憂太(呪術高専1年、特級被呪者)
花澤香菜、、、祈本里香(憂太の恋人、交通事故で幼くして死亡、特級過呪怨霊)
小松未可子、、、禪院真希(呪術高専1年、呪力0、圧倒的な身体能力)
内山昂輝、、、狗巻棘(呪術高専1年、呪言師)
関 智一、、、パンダ(呪術高専1年、突然変異呪骸)
中村悠一、、、五条悟(特級呪術師、呪術高専1年担任)
櫻井孝宏、、、夏油傑(特級呪術師、大量呪殺により呪術高専を追放処分)


やはりTVアニメーションの方が濃密で面白い。TV版の前日譚だが、このスケールの噺を映画一本にまとめるのは難しい。
呪術高専1年の噺に絞って描いてはいるが。
得意の「領域展開」とかはここでは見られない(あれがとても印象的であった)。

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乙骨憂太が初めて描かれるのがミソではあるが(TV版では主人公は虎杖悠仁)、終始誰かに似ている感が拭えなかった。
誰じゃ、お前は?と言う気持ちがどうしても基調にあり、、、。
何?碇シンジ君なの。失礼しました、ってどういうことよ。

この声と役作り、ちょっと違うと思う。余りに「ヱヴァンゲリヲン」の存在が大きすぎる(物語としては破綻していても)。
どうもウジウジ情念タップリ目になってしまい、物語が同じような印象を帯びてしまうのだ。
バトルの表現など迫力があり見応えがあったが、この乙骨憂太の人物造形で「呪術廻戦」全体のシャープでハードボイルドなタッチは薄れている。
いや、こういう設定なのか。しかしイメージが錯綜してしまうのだが、、、。

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人間の負の感情は呪いとなって至る所に潜在する。人にも憑く。
そりゃそうだ。わたしも日々思いっきり怨念をタップリと送っている。この先20兆年に渡り、ソレが地獄の底をのたうち回りますようにと(怨。わたしにはソレらに対し激しい殺意と悪意と害意以外何もない。だから夏油傑に共感するのか。な~るね。

この物語の面白いところは、憂太が幼い頃結婚の約束をしたにも関わらず自動車事故で亡くなった祈本里香の怨念に憑かれてしまい、その霊からの解呪を願い五条悟に従い呪術高専に入学する。
だが実は自分が彼女(の霊)を強力な怨霊にしてしまったことに気付く(憂太は菅原道真の子孫であったのだ(笑)。
その展開にはハッとした。自分が(受け身で)憑かれているとばかり信じていたら自らが相手を怨霊化してこの世に留めていたという認識の転換~気づきには、大きなものがある。
菅原道真はどうでもよいが、自分の抱く強い念、無意識的な願望については、常に警戒する必要はある。

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そしてこの里香ちゃんがエネルギー全解放(呪力制限解除)した時のパワーが桁違いに凄い。
凄まじい圧倒的な敵を一気に吹き飛ばしてしまうのだ。
この一撃で、夏油傑は敗北する。
夏油傑がこのパワーを自らのものにしたかったのはよく分かるが、、、。
彼は結局、憂太と里香の純愛パワーに敗れたのだ。そりゃ、大儀など振りかざして太刀打ち出来るものではあるまい。
最初から負けてる(笑。
わたしも大儀などから限りなく遠いところに生きている。自己絶対保存欲だけである(笑。良かった。
シンプルがもっとも肝心。

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ここでは、この乙骨憂太と里香ちゃんタッグVS夏油傑と配下の怨霊の闘いが凄い迫力でメインバトルであるが、夏油傑が仕掛けた「百鬼夜行」の東京と京都での呪術高等専門学校の精鋭メンバーとの闘いもかなりのもの。
TVアニメでお馴染みの呪術師たちがそれぞれ短い尺で戦いぶりを見せてくれる。
贔屓の七海建人の颯爽とした活躍が見られるのは嬉しい。十劃呪法を繰り出すシーンが実にクール!
(この人がいずれ殺されてしまうのが、余りに惜しい)。

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観終わって振り返れば、乙骨憂太と祈本里香の純愛物語であったか。
又は、乙骨憂太の成長物語、、、。
(その観方であれば「鬼滅の刃」も愛と友情の物語であろう)。
もう少し、五条悟の圧倒的なパワーを観て爽快感に浸りたかったが、、、。
強くスマートであったが、いまひとつ地味であった。

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面白い。よく出来ている。が、緒方恵美が余りに碇シンジ君なのだ。
他の人にした方が良かったかなあ。
次のシーズンのTVシリーズを早く観たい。



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いつか輝いていた彼女は

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2018

前田聖来 監督・脚本
MINT mate box 音楽・主題歌

小倉青、、、尾崎茜(芸能科の女子高生)
里内伽奈、、、詩織(芸能科の女子高生)
日高七海、、、なつみ(芸能科の女子高生)
柳澤果那、、、佳那(芸能科の女子高生)
mahocato(MINT mate box)、、、マホ(芸能科の女子高生)


「それ本人に聴いたの?」
「噂だけど」「後輩が見たって」
これに呆れる人物は、ここでは茜ひとり。
後の面々はそれに乗り、不確かな(根も葉もない)噂を広めて行く。
相手を貶めることが、とっても美味しいのだ。
女子とは何か、でもあるが、、、

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結局、一番才能がある茜がライブコンサート前にマホに裏切られ、それで音楽活動から身を引き、モデル審査も2次審査を通過した手紙をなつみに破り捨てられ、卒業演劇の主演も詩織が顧問の意向を握り潰す。
彼女が得られるはずのチャンスが周囲の者たちによって失われてゆく。
沈む茜を庇うようなセリフを言いながら、彼女の状況(心情)を愉しんでいる。
何故、茜は皆から高く評価されるのか。
羨望と嫉妬、ドロドロとした感情を隠して当たり障りのない迎合的な会話で場を持たせる。
しかしこんな時間を過ごして何の意味があるのか。

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一体、自分が何をやりたいのか。
青春などという愚にもつかない言葉で何を表したいのか。

ネクストブレイクを期待されるMINT mate boxの公演が、母校で開かれるという設定から始まる。
高校時代にコンポーザーの茜を裏切り、バンドのライブを開けなくしたボーカルのマホが、当時を回想する形式なのだが、彼女の視点ではなく、彼女だけがいない、その仲間たちの様子が描かれる。

そして最後に、屋上の彼女をギターを背負い強い視線で見上げる茜の姿がマホの横顔に繋がれる。
茜がアコースティックで教室で独り弾き語りをしていた曲を、MINT mate boxがトリオ編成で演奏する。
茜は今OLをしていて、当時のクラスメイトは同じ仲間として未だに付き合いを続けているようだ。
相変わらず、相手の悪い噂を垂れ流して自分を優位に置こうとしているのは変わらず、、、。
「そういうの止めよう」茜は堪らず外に出る。

やはりこの彼女のような精神であれば、外に出るしかなくなる。

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小倉青は、かなりのポテンシャルを感じる。これから来そうな女優。

セリフがとても聞こえにくかった。
機材と演出にもっと気を配るべき。
もう少し本にもブラッシュアップを期待したい。

女子と言うよりこうした感覚で生きている輩の生態を切り取った、学生作品である。
これはこれで、、、







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ぼくらのさいご

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2015

石橋夕帆 監督・脚本・編集
佐野千明 音楽

堀春菜、、、えつこ
笠松 将、、、まさと
斎藤結女
川瀬成美
志茂星哉
東龍之介


左様なら」の石橋夕帆 監督。
これも学園もの。

インディーズ映画のヒロインによく出て来る堀春菜であるが、大変若い。
とてもフレッシュ。

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進路を控えた中学三年。何処かの田舎町が舞台。
クラスの仲良しグループで夜に集まり、大真面目に変なポーズを決めて宇宙人を呼ぼうとする。
(田舎町だと誰もが親戚みたいで、どうしても閉塞圧力が鬱陶しい。その無意識的反動と思えば無理もない)。
これが皆で出来るのは、充分気心の知れた仲だからだ。
(そうでなければこの年頃では馬鹿らしく気恥ずかしいだけだろう)。
えつことまさとは幼馴染なのか、何かというと横にいて、何気ない噺が始まる。
気の置けない仲だ。

その後で花火でワイワイ愉しみ、えつこは何となく幼馴染のまさとの横に座ったら、いきなりキスされてしまう。
えっ何なの?
そこから初めてこのまさとを対象化する。
これまで恐らく自分の身体の延長くらいにしか思っていなかった。
初めて他者として、この男子を意識する。

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それから彼女は、何かとぼ~っとする。ここにいて、ここにいないよな、、、。
過敏過ぎて神経が昂るが、対応は鈍重であったり。
感覚が泡立ち過ぎて時にヒステリックな素振りにもなる。

えつこの親友の女子がまさとに気があり今度告白するという相談を受ける。
どうぞというが、、、。
まさとが父親が東京の本社に呼ばれたということで、えつこは彼との別れを意識していた。

何とも言えない寄る辺なさ、、、。

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そして週番のファイルをまさとに叩き付け、学校の外の小路で上履きのまま蹲っていると彼がやって来る。
「東京に行くなんて聴いてない!」
「行くのはオヤジだけだ。」
「告白されたが断った。」「ずっとそばにいる。」
手を伸ばすまさと。

問題解決(笑。
えつこはホッとして差し出された手を繋ぎ上履で校舎に戻って行く。


小さな思いの中で勝手に悩み、次の瞬間さっと晴れてしまうような、そんな心象風景の頃を思い出す。


短編映画の爽やかさ、である。




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ノーマッズ

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NOMADS
1985
アメリカ

ジョン・マクティアナン 監督・原作・脚本

レスリー=アン・ダウン、、、アイリーン・フラックス(医師)
ピアース・ブロスナン、、、ジャン・シャルル・ポミエ(フランス人文化人類学者)
アンナ=マリア・モンティチェリ、、、ヴェロニク”ニキ”ポミエ(ジャン・シャルルの妻)
アダム・アント、、、放浪者
ヘクター・メルカド、、、ポニーテール
ニナ・フォック、、、不動産業者
ジーニー・エリアス、、、キャシー(アイリーンの同僚医師)


レスリー=アン・ダウンを久しぶりに観てとても感慨深い。
しかし彼女の魅力が発揮されているかと思うとかなり微妙。
疲労困憊の精神不安定な女医役なのだ。何とも、、、。

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「放浪民」~遊牧民:ノマドのことね。
とても面白い解釈。
悪霊みたいな扱い。禍の起こった場所に屯しては去って行く、、、。
最後にはジャン・シャルル自身がそれとなって何処へと走り去る。
ちょっと怖い。奥さんはショック。そりゃそうだ、死んだ旦那がイージーライダーになってるんだから。

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ジャン・シャルル・ポミエは、文化人類学者であり、世界各地の非西洋文化圏のフィールドワークを妻と共に行ってきた。
そして現在UCLAの教授として招かれ教鞭をとることとなっている。

そんな折、新たな自宅の壁に落書きをする怪しい黒いバンの一団の存在に気付く。
妻は巻き込まれることを危惧し引き止めるが、彼はカメラを片手に黒いバンの連中の後を追う。
街を走り回り、暴力や破壊を繰り返す如何にもという姿の若者~アウトローたち。
彼等の行動を30時間にも及び観察・分析することで、砂漠や氷原を移動し続ける民~ノマドとの類似性を見出す。
ロスでもしっかりフィールドワークするところは、如何にも研究者らしい。
彼等はわたしがこれまで研究して来た者たちと等しい仕事もせず社会に属さずに放浪する民なのだ。
それがこの都会にもいるのだ。と彼は驚く。
そして興味を増し深みに嵌って行くのだ。

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此処まではかなり文化論的な展開なのだが、この線で深めてゆくかと思うと、妙なところに流れ出してしまう。
彼等は確かに教授には見えており、触れることの出来る存在なのだが、他の人間には見えていないようであり、殺気を放ち追って来るのでバールで叩いて逃げるが、倒れた場所を見るといつの間にかその体は消えている。
そして関わってゆくうちに身の危険が深刻であることを認識し、途中で迷いこんだ教会の尼僧の忠告もあり、彼等とは手を切り逃げ出すことを考える。
しかし深追いしたことが災いし彼らに呑み込まれてしまったのだ。

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結局、ジャン・シャルルは、重体で運び込まれたアイリーン・フラックスの病院で亡くなってしまうのだが、見えても存在しない者のことをフランス語で伝えて息を引き取った。
アイリーン医師はその後、その男の強烈なメッセージ~イメージを精神に植え付けられ、酷い情緒不安定に苛まれる。
そして彼女も病院を抜け出し彷徨う。そして彼の体験した世界を生々しいイメージから確認して行き大変不安定な状況に陥る。
そしてジャン・シャルルの家に引き寄せられるように辿り着き、彼の妻ニキと逢う。
ニキにとっては、女医は夫の代理人みたいな存在である。
そして彼女が来たことで、ノマドたちが次々に家に押し寄せて来るのだ。
半狂乱となって屋根裏部屋まで逃げ込む二人。
しかし破壊し暴力的に襲ってくる連中は少なくともこの世のものではない。異なる実体なのだ。

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この見えても存在しないものが、ここではノマドと呼ばれる。
絶えず幾つもの場所~文化圏(価値)を横断し続ける存在というより、過去に事件のあった禍々しい場所にやって来ては、暴力や破壊活動を行う悪霊のような存在である。つまりとても狭い領域に拘るわけだ。他者であり単独者であるというよりその異質性は死を呼ぶ恐怖の存在でしかなくなる。
ちょっとそれでは、ノマド本来の創造的魅力が無くなるだろう、と思うのだが、最後は教授そのひともイージーライダーみたいなバイクに乗ってアイリーンとニキが彼らの領界からの脱出を図り疾走する車に並走し、あいさつに来たではないか。
死んだばかりの夫がソレになっているのを見て驚愕して混乱する妻。
宥めるアイリーン医師。
そのまま走り続け、カリフォルニアに達すると彼~彼らは追ってこない。

そういうものなのか?
何とも言えない”NOMADS”であった。


BGMがハードロックは煩い。
もう少しましな音であればもっと良い映画になったはず。



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モービウス

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Morbius
アメリカ
2022

ダニエル・エスピノーサ 監督
マット・サザマ、バーク・シャープレス、アート・マーカム、マット・ホロウェイ 脚本
ルイ・トーマス、ギル・ケイン『モービウス・ザ・リヴィング・ヴァンパイア』 原作
ジョン・エックストランド 音楽


ジャレッド・レト、、、マイケル・モービウス(ノーベル賞を受賞した天才医師)
マット・スミス、、、ルシアン / マイロ(血液系疾患に苦しんでいるモービウスの友人)
アドリア・アルホナ、、、マルティーヌ・バンクロフト(モービウスの同僚の医師)
ジャレッド・ハリス、、、エミール・ニコラス(モービウスの助言者である医者)
アル・マドリガル、、、アルベルト・“アル”・ロドリゲス(FBI捜査官)
タイリース・ギブソン、、、サイモン・ストラウド(FBI捜査官)


3日くらい前に観た映画を思い出して書いておくことに。

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マーベル・コミックから沢山(スーパー)ヒーローが生まれているが、そのひとり。
特有の風合いがある。
何と言うかこってりして単純明快なストーリーで痛快に愉しませる映画になっているが。
モービウスは人工血液?を生成しノーベル賞を受賞した医学博士であるが、自身治療法がない血液の難病に苦しんでいた。
同じ病に犯された親友ルシアンの為にも治療法を探るなか吸血蝙蝠と人の細胞を結合させる研究に辿り着く。
資産家のルシアンからの支援でタンカーの中で秘密裏に危険な実験を重ね、ついに血清を作ることに成功する。
それを共同研究者バンクロフト博士に投与された途端、彼は吸血蝙蝠の特性を発現してしまう。
驚異的な筋力と飛行力、レーダーまで備えているが、その力に支配されている間の記憶は飛んでしまっている。

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自分の暴れた後に残る死体の山を見て、何てことしたんでしょと動揺する始末。
(傭兵がモービウスの姿に驚き、銃で撃って来るのを迎え撃った正当防衛ではあるが)。
バンクロフト博士は頭を打ち気を失っただけで大事にはならず病院に入院することに。
タンカーの船員は皆傭兵で死んでもFBIにとりどうでもよい輩のようであったが、この尋常でない事件の捜査を始める。
以降、ずっとアルとストラウドはモービウスを追い続ける。

モービウスは、この変身が大変危険なものであるため、親友で出資者でもあるルシアンには伏せておくことにしたが、彼は勝手にモービウスの開発した血清を自らに打ってしまう。
彼も忽ちモービウスと同等の能力を得て、暴れ始める。
ルシアンにとり、破壊や虐殺は、自分が初めて手に入れた溢れんばかりの生命力の謳歌であり運命に対する復讐でもあろう。
子供時代に虐められたトラウマも大きい。
ただ持続時間が限られている為、人工血液か人間の血液(レッド)をその度に補充しなければならない。
所謂、飢えた吸血鬼状態である。

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モービウスは、街に戻ってからは細心の注意を払い行動をしていたが、ルシアンは構わず人から生の血液を吸い出していた。
その為の虐殺はし放題であり、ルシアンの存在をしらぬ警察、FBIは皆モービウスの仕業と信じて彼を追う。
ルシアンを幼い頃から庇護してきたニコラスはルシアンの動きを知り、それを思い留まるように説得するが逆に殺されてしまう。
歯止めの効かなくなったルシアンは、身を潜めようとするモービウスの相棒であるバンクロフト博士まで手に掛け彼を挑発する。
2人で世界に対し闘おうと。それはいくら何でも、、、

死に際にバンクロフトは自分の血液を吸うことをモービウスに切望する。
今やルシアンを止めることがモービウスの使命となった。
新鮮な血で力を得た彼は激しいルシアンとの闘いを繰り広げ、吸血鬼となった自らを死に至らしめる血清を使いルシアンを葬る。
(まだもう一本、血清を隠し持っていたはずだが、彼はそれを自らには用いなかった)。

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終盤、モービウスに血を吸われたバンクロフトが蘇る。彼女も吸血鬼と化したか。
そして終了間際に夜空の彼方から、やたらと派手で珍妙なキャラが仰々しく登場し、わたしと手を組もうと持ち掛ける。
普通、こんな妙なモノがいきなり現れてOKなどしないと思うが、モービウスは面白いというノリである。
何なのよ。このあからさまな続編予告みたいなの。
この妙なキャラは、マーベルコミックの読者にとっては既知の人~スーパーヒーローなのか。
続編では、スパイダーマンやこの人やバンクロフトがモービウスと一緒に暴れ回るのか。
、、、観てもいいけど、、、


荒唐無稽な設定とは言え、ストーリー自体は実に分かり易く、新しさなどは微塵もない、既視感で一杯な世界であった。
演出、VFX、キャラの造形、脚本、どれをとってもハリウッド、いやマーベル映画の定石に従って作られた(量産された)ものの一つといえよう。
最初これを観た時、何も感想を書く気になれなかったのは、その為である。

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音楽は、なかなか良かった。
ジャレッド・レトという役者は、今後気にしていたい。




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繋がる

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毎日、映画を観ていると、正直イライラする(笑。
今日も二つ観てしまったが、どうでもよい。ウザッタイ。

内なる力が疼くのだが、それがどういう形をとって表出されるのかが分からない。
間にテクノロジー~ツールを介することが有効であるのは分かっている。

思い切って違う?領域に展出しようかな、と思う今日この頃。
まあ、映画も観るのがそれほど苦痛でも無くなってきたこともあり、感想書くのは続けても良いが、惰性でやるのもどうか。

音には是非とも関わろうと思っているところ。
おもちゃ(買いためたガジェット)を使ってやり始めようと思う。

文字~ことばよりも直接的に自然と繋がることがやりたい。
より本質的なものとのやりとりをしたい。

ともかく、邪悪な馬鹿どもとは完全に隔絶したところでの創造である!
静かに(密かに)進めたい(笑。






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この子は邪悪

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2022

片岡翔 監督・脚本

南沙良、、、窪花
大西流星、、、四井純
桜井ユキ、、、窪繭子(偽の母)
玉木宏、、、窪司朗(心理療法室の院長、父)
渡辺さくら、、、窪司月(偽の妹)
桜木梨奈、、、窪繭子(本物の母)
稲川実代子、、、純の母


『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』の南沙良がまた主演。

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ひとつ全く分からないのは、退行催眠や洗脳~暗示の悪用で人をある程度、操ることは可能かも知れぬが、ウサギと魂を入れ替えるってなんだ?単に(催眠術で)自分をウサギと思い込むだけならまだしも。それにあんなに持続的には到底無理であろう。
全く次元の異なるものだ。精神医学とは隔絶した他の領域の噺となる!
何やら黒魔術のような。
この点で全く受け容れられない。
玉木宏が黒魔術の魔術師なのだ~っと、言うなら一応納得してその線で観て行くが。

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あんなに沢山ウサギを飼っているということは、街中で奇病(精神病)が多発してることからして、彼らの魂を移植されたウサギということかい。そして彼らは中身はウサギ(爆。
そんなアホな。
冗談にもほどがあるというもの。
シリアスな物語形式をとっていて、これはないな。
あの人々は皆、窪司朗によって子供を救出(引き離)された親なのだ。
厄介な親たちであるが(虐待親は基本的に治るのは極めて難しいが)ウサギさんにしてしまうのは、犯罪以外の何ものでもあるまい。

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これは単に、自分の家庭の植物状態の妻と事故で亡くなった娘とを、息子を虐待した事実に打ちのめされている母と父に虐待を受けている幼い娘とに入れ替えるため、彼らを催眠術で操りその役を負わせた、というだけの噺ならまだ分かる。
その線にだけ留めて、噺を展開してゆくのなら、充分について行けたはず。

虐待を行っている親をわざわざウサギにする必要はあるか。荒唐無稽で笑ってしまうが。
単に児相や警察にその実態を訴えるかして法的な措置を取り彼の病院で子供を保護するのではダメなのか。
月の身代わりの女の子は暴力父親が厄介な存在であるし、自分の娘にしようというのだから、何らかの手を打つ必要はあるにせよ。
身代わり母の桜井ユキの方は単なる失踪者という扱いになるか。しかし息子を虐待していた頃の彼女を知る人が偶然にでも今の彼女を発見したらどうするのか、充分可能性はある。全くそれに対する警戒はしていないが。
日常生活を支障なく送るなら、法的に問題ない形で入れ替えないと(再婚とか)当然様々な問題が出て来よう。

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何にせよウサギと言うのは、珍妙過ぎる。
しかしホントにそれが出来るのなら、直ぐに軍事転用が図られるはず。
敵国の指導者をウサギに出来ればこっちのものだ(笑。

ここで最大の被害者は四井純ではないか。母の虐待のさなか救い出してもらったのは良かったが、その後母があれで、特にその為の保護がなければ、彼は随分苦労して生活をして来ていることは想像できる。親戚の人(叔母であろうか)が来ていたが、大変であったはず。そこへ持って来て、窪医師の企みを暴こうとしてウサギにされてしまったのでは、踏んだり蹴ったりで浮かばれまい。しかも彼のお陰で目が覚めた花も彼のことは忘れて?新しいファミリー(偽妹と偽母)と仲良くしあわせになろうね、などと言って美味しいケーキなど食べている。そう、催眠術(と言うより黒魔術)をかけた当人が死んでしまえば、その後どうなるのか。
その辺が描かれていないため、スッキリは当然しない。花がボヤっとしている場面もかなり目についた。

そしてあの幼いずっと催眠術にかかってた妹がナイフで窪医師をぐさりとは、ちょっとどうかと。
姉に仮面を剥ぎ取られショックから催眠から解けた設定にせよ、急に我に返りそれまでの経緯を認識したうえでのことなのか。
ずっと葛藤を抱え持っていたような衝動的反撃である(ちょっと考えられない)。

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桜井ユキの催眠にかかっているのではなく自らの意思で途中からその役割を演じようとしている演技はなかなかのものであった。
この女優さんはもっと出てこないと。魅力のある女優さんである。

最後は笑えた。
なんだそれ、である。
確かに可愛くない赤ん坊であったが、あんなふざけた赤ん坊がいるはずない。
ギャグでしかないわ。




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ホリック xxxHOLiC

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蜷川実花 監督
吉田恵里香 脚本
CLAMP『XXXHOLiC』 原作
渋谷慶一郎 音楽

神木隆之介、、、四月一日君尋
柴咲コウ、、、壱原侑子
松村北斗、、、百目鬼静
玉城ティナ、、、九軒ひまわり
趣里、、、美咲
DAOKO、、、マルダシ
モトーラ世理奈、、、モロダシ
西野七瀬、、、猫娘
大原櫻子、、、女性客A
てんちむ、、、女性客B
橋本愛、、、座敷童
磯村勇斗、、、アカグモ
吉岡里帆、、、女郎蜘蛛


Diner ダイナー」以来の蜷川実花監督の作品。
あの作品は、ストーリーも分かり易くエンターテイメントとしてとても優れたものであろう。
美術がこの監督ならではの高彩度で刺激の強いものだが癖になる要素に充ちていた。

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本作も何とも、豪華キャストである。
チョイ役に主役級の人も出ている。よく出たものだ。監督と仲の良い人たちなのか。
(玉城ティナは恐らく監督のお気に入りなのだと思う)。
しかし肝心のお話の方だが、この監督らしい極彩色の豪華絢爛な美術は健在だが、何がどうなってるのか掴めない。
主役の四月一日君尋という凝った名前の高校生が掴みどころがないキャラで、この分からないキャラが噺全体も分からなくしているような。

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何と言うか物語の内的な論理が分からないため、何でそう動くのか何でそうなるのかがしっくりこない。
一体、何がどうなって最終的にどう落ち着いたのか、見終えた今、きょとんとしている(笑。
わたしは、ストーリーそのものはほとんど分らなかった。
キャストの人物像もいまひとつ分からず仕舞い。

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では詰まらなかったかと謂われれば、そうでもない。
よくは分からないが見せ場は多いのだ。
絵として魅せる。音楽も良い。映像の流れで充分愉しませてくれる。
闘いの場面もハリウッドからは出てこないVFXであり、この監督独特のオリエンタルな(日本の伝統美をモチーフにした)美意識が反映された華麗なもので引き込まれるところだ。ファッションも凄い凝りよう。

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うんと長いMV観ている感覚であった。
ここでは、なにより柴咲コウ演じる壱原侑子がビビットで華麗であったが、吉岡里帆の女郎蜘蛛もビビットさでは十分対抗できるなかなかのもの。かなりの活躍ぶりである。弾けた悪女だ。玉城ティナのひまわりはとっても大人しいのだが、そういう役だから仕方ないにせよ、もうちょっと何かあっても良いものを、とは思った(笑。
モトーラ世理奈が壱原侑子のメイド?のコミカルな役で出ていたが、これも可愛くて良い。
そして橋本愛、大原櫻子、西野七瀬がほんのワンカットのチョイ役で出ている。
何と贅沢な。チョイ役でも印象を残すところは流石。

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男性陣は、神木隆之介をはじめ3人が皆所謂、二枚目役でそれぞれはっきり描き分けられていて良いのだが、如何せん神木君演じる四月一日君尋が訳わからん。妖が見えてしまうが、ただ見えるだけでそれに対し何もできない人である。
であるから、それに対抗するしかなくなった時には、味方となってくれる人の助けを借りながら闘うことになる。
これは良いと思う。安易なヒーローより面白い。皆に支えられるヒーローというのは新しい。
そして色々葛藤するところも分かるのだが、何だか分からなくなる(笑。
そうした闘いの中で(「涼宮ハルヒのエンドレスエイト」みたいになるところが面白かったが)結局、何がどうなったのか。
単なる一日君尋の成長物語なのか。
壱原侑子は犠牲となって消えてしまったのでは自らの説に対し矛盾しているし、あの闘いの結果、百目鬼静も九軒ひまわりもそのままなのか?ひまわりの対価による傷も憑りついている妖もそのままなのか?では、何の意味があったのか。結果的にマイナスで終わった感じではないか。彼は何をやり遂げたのか?

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どうもすっきりしないのだ。
最後、一日君尋が壱原侑子の客の悩みを対価により晴らす店を継ぐが、何で?
壱原侑子のような圧倒的な力を持っていないのに、出来るのか?
(道端の占い師でも難しそうだが)。
お前が選んだことなら良いという鬼静。確かにそうだが、鬼静は自分の神社の仕事があろう。何故か店の門番みたいに立っていたがあれは、何なのか。

ともかくそれぞれのシーンを豪奢に映す工夫・演出は分かるが、キャストが謎であったかも。
物事は全て必然であり、現象も人が関わらなければ意味~価値はない、というのはその通り。
妖も見えなければ、何の意味も持たない。単に当人にとって運が悪いとか思うにせよ。
それでも選択の自由はあるのだ、と敢えて謂ってしまう。
そこの当たりが、どういう展開により示されるのか、と言うところがよく分からないままであった。
つまり終盤~最後のシーンをもって自らの選択により運命を変えたというのか?
ちょっと最後の神木隆之介の芝居には無理があった、と思う(笑。

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一度は観て損はない映画である。




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猫、かえる Cat's Home

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Cat's Home
2020

今尾 偲 監督

モトーラ世理奈
品田 誠(元カレ)
木下愛華(元カレの新彼女、猫アレルギー)


最近、すっかり邦画ばかりになってしまった。
理由は長くて重いものが観られなくなっているからだ。
ちょっと気持ちがもたない。
エンタメでも、ハリウッドの「モービウス」などストーリーは分かり易くても絵(CG)がコッテリし過ぎていて重かった。
(そのうち、感想書くかも。チェンソーマンは相変わらず観ている。一部が終われば一区切りで書きたい)。

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本作は、元カノが、元カレの処に置いてきた猫を引き取りに行く噺。
(新しく出来た彼女が猫アレルギーということもあり)。


うちは帰ってきた猫が、長女の部屋で好き放題に暴れて暮らしている。
よく食べよくウンチもする。餌と水取り換えと砂換えも結構手間だ。
しかも砂を取り替えた直後に、いつも気持ちよさそうにウンチする。気持ちは分かる。
その上、相変わらず世話をする人(勿論わたしも含む)にも爪を立てたり、甘噛みではなくマジ噛みしてきたり。
わたしにとり、これまでにない猫だ(長女にとっては、初めての猫だが)。

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それはともかく、この映画では猫はちょっと外にお出かけするが、主人が元カノにひっぱたかれて歩道に寝ていると、そこに律儀に自分からやって来る。嘘だ。
基本的に猫はそんな犬みたいな偽善的な行動はとらない。
猫は腹減ったと砂を取り替えろという時、暇だから遊んでくれと言う時以外のマジな時間は空間のあらぬ先をじっと見つめていたりする。人間界とは関係ない別の使命があるのだ。
もう少し猫に迫った~猫の全体像を匂わせるシーンも欲しい。

妙に人に懐いた役者猫だ。
余り猫(の役)に魅力を感じなかった。
モトーラ世理奈は「少女邂逅」で、神秘的な謎の少女を演じていたが、ここでは写真を趣味にしているちょっとアート系のサバサバした女性だ。
猫とは相性は良さそうな人だが。
まあ、あの彼氏といるより、楽しいだろう。
(彼氏の家はなかなか住み心地は良さそうだったが)。

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猫映画としてはほとんど何もないに等しい。
猫をちょっぴり介した男女の別れの物語としても余りに物足りない。
(ここを狙った作品であろうが)。
モトーラ世理奈と猫との不思議な関りみたいなところまで広げて観られたら面白かったかも。





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夢幻紳士 人形地獄

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2021

海上ミサコ 監督
高橋葉介 原作
木家下一裕 菅沼隆 海上ミサコ 脚本

皆木正純、、、夢幻魔実也(探偵)
横尾かな、、、三島那由子(人形となった少女)
岡優美子、、、雛子(那由子の奉公先の女主人)
龍坐、、、小堀貞一(魔実也に付き纏う男)
紀那きりこ、、、八重子(小堀の婚約者)
杉山文雄、、、十勝十蔵(女衒)
SARU、、、梅子(雛子の付き人)
井上貴子、、、ミツ(那由子の母)
義 いち、、、駐在
山口美砂、、、宿の女将
山田歩、、、人形の青年


最後に、女と言うものはホントに厄介なものだ、と主人公の探偵が述懐するところ、、、激しく共感する。
そうみれば、この物語~探偵、最初から最後まで厄介な女に振り回されっぱなしではないか。
人形にされてしまった那由子にせよ夢幻探偵に憑りつく生霊の八重子にせよ那由子を人形にして楽しむ雛子にしても、その取り巻きの女性陣も皆、とっても厄介なのだ。
ああ~参るわ~お察しするわ~しかし間が微妙に長くてもたつくわ~、、、。
(わたしの処も、母と妻と二人の娘で超激シンドイ。これは分らぬ人には絶対分らぬ(爆)。

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原作があるらしいが、映画だけで結構。
これ舞台とかでやった方がよかったような。
キャストが、そもそもそういった感じの人たちではないか。
演技の癖と言うか。舞台向きな感じ。
主人公の夢幻魔実也は、とても決まっていた。

CG系は無しでいきましょうという演出は分かるが、エイッとばかりに睨んで勝負というのも、何か、、、。
あの指輪もどうなんだか。
「間」がとても微妙で難しいところ。
動きも特になく、静止した画面で魅せるタイプの映画のような。
紙芝居見るような感覚で見ると良いのか。とてもアンティークな美術と色調だし。
しかし、かと言って統一感はいまいち。立派な御屋敷にご奉公にしては、ちぐはぐでちょっとチープなところも目につき。
(クラウドファンディングによる資金調達で作られたインディペンデント作品ということなら、最初からその限界から、シーン構成やディテール、小道具の使い方などを調整して計画的に撮った方が良いのでは)。

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ともかく肝は超能力戦なのだ。
探偵が他人の心を視たり、他人に自由に夢を見せる能力を持ち、彼と対峙する雛子も似たような力を持ってるみたい。
と言うより、雛子の女衒に「お前は犬だ」と言って犬にしてしまう、夢を見せる~暗示にかける能力はかなりのもの。
それに比べ、探偵は死にかけていた小堀の婚約者、八重子に良い夢を見せて死なせてやってくれと頼まれ、幸せな将来の夢を見させたが、何故か怪我から回復し、その夢が夢幻とのものと受け取り、ずっと付き纏われ、その夫であるはずの小堀に恨まれている(笑。ちょっとドジなのか。

この探偵が他人の心を見ている時、彼と触れている?人間も一緒にそれ~彼と同じ映像を観ることが出来る。
その為、小堀も那由子の体験してきた心の世界を(現実世界の中に二重写しで)観てしまう。
かなり動揺するがそりゃ当然だ。
しかしその当人の視座ではなく、あくまでもカメラ目線~映画(超越者)目線の第三者映像なので、厳密に心を観ているのではなく、探偵の再構成した像~物語を見ている模様、、、。

ひと解釈入れているところがミソなのか。
ちょっと面白くドラマチックにしてるのかね。
ここに絡むBGMは良かった。とても雰囲気を引き立てていた。

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御奉公していた屋敷の主に人形にされた那由子を救うべく闘う、飄々として余裕綽々な風情の探偵であったが、いまいち強いのかそれほどでもなくボヤっとしているのか、解り辛いキャラではあった。
怪我を負ってまで苦労して彼女を助けるが、彼女の願望がそもそも人形に成りたいのだ。
ブティックのショウウィンドーでマネキンやってるのには、流石に参る。
小堀貞一も奥さんのはずの八重子に人生滅茶滅茶にされてしまった。
「女と言うものはホントに厄介なものだ」

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人形が沢山いてそれらが最後には宙に浮いたりして耽美的でオカルティックな演出を狙っているのは分かるが、そんななかで、「人形の青年」が、とっても微妙な存在であった(笑。
最近、これ程微妙なモノは見たこと無い(爆。




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新章 NEW CHAPTER

NEW CHAPTER001

2022

GEN TAKAHASHI 監督・脚本・編集

藤岡範子、、、ヒロコ(箱運び女)
本多正憲、、、ケンジ(シェルター管理人)


舞台劇でもよいような2人芝居の不条理劇。
ちょこちょこ動くヒロコ。静かに椅子に腰かけタバコを燻らすケンジ。
開け放たれた窓から常に陽光が射し込み、人物の静と動の対比があるだけのアパート一室の世界。
正体不明の大きな組織に囚われた無知な人間代表のようなヒロコの運命は、、、。
アイデア勝負の噺であるが、印象深いものであった。

何処かの裏路地にある古いアパートを訪れたヒロコ。
管理人を名乗るケンジに、小さな箱をひとつ渡すと多額の報酬が得られた。
その後もその部屋にとどまり身を隠しているだけで、定期的に多額の報酬が転がり込むことに彼女はほくそ笑む。
管理人が外出するときに欲しいものを頼めば、大概のものは買ってきてもらえる。
これに充てられた資金はかなり潤沢にあるようだ。
暇な時間を漠然と過ごすうちにこの仕事が一体何であるのか、そもそもケンジとは何者なのか、彼に来る電話の主~運営とは何か、、、何故一定期間を携帯を預けテレビもない、声も小さく抑える窮屈な空間に身を隠して過ごす必要があるのか。
何で?という質問も暇なのでしてはみる。
(疑問と何とも言えない不安は常に付き纏い、不穏な空気は充満してくる絵であるが、、、観る側にとっては)。

しかしこのヒロコ。かなりの蓮っ葉女で軽佻浮薄な輩であり、この状況を軽く捉えている。
と言うより、ほとんど何も考えていない。大金が律儀に治められるのでこれくらいの不自由は、まっいいかというところ。
暇つぶしに「広辞苑」を買ってきてもらうが、漢字がほとんど読めない様子。

ケンジは基本的に運営から厳重に言われている決まりや注意点のみを伝える役割と思っていたが、自分の身の上話などを騙り出したのは意外で面白かった。要は仕事の理由~全体像などほとんどの人間が分かっていないのだ、ということを述べたいだけであった気もするが。
(子供の頃、親父が経営する町工場で作っている部品について尋ねると叱られた。俺も知らないし知る必要などない、と。長じて傭兵として戦地に赴き、そこで拳銃の組み立て訓練をしている時、初めてその部品が何であったかを知った、というエピソード)。

そもそもこの古びた、窓はあるがアルミサッシもないアパートが、何故シェルター等とものものしく呼ばれているのか。
そして真夜中に何やら大きな物音を立てて複数の人間が作業をしていたかと思うと翌朝全てが綺麗に片ついている。
(ヒロコは、様子を覗き見でもしたら命が無いと管理人から釘を刺されている)。
この得体の知れぬ秘密ばかりの仕事をする組織は何であるのか。謎が深まる。
ちょっぴりヒロコも怖さは覚えたが、暇に比べれば大したことではない。管理人を巻き込み遊ぼうとするが全く相手にされない。
下らぬ質問には無反応。基本、ここから顔を出すなとか、そこを開けるなとか言われるくらいで、放置される。
風呂、洗濯機、トイレ、冷蔵庫は自由に使え、食いたいものは買ってきてもらえる、タバコ、酒も呑める為、解放されるまで耐えることは出来そうだと気軽に踏んでいる。


そして唐突に部屋が綺麗にされた後日、管理人から最後の報酬を受け取るや否や矢継ぎ早に指示が出る。
パスポートとクレジットカードが手渡され(偽造ではないと念を押され)、返された携帯にeチケットとカードの暗証番号が送られるとのこと。45分の間に、タクシーで羽田空港に向かいeチケット通りのフライトで着いた空港の税関を出たところに白人女性が待機しており、彼女の指示するホテルにチェックインせよ、というもの。金は置いて行け、こちらで国際銀行口座に入れておくという噺には抵抗するが、逆らうと命が無いと謂われ黙る。クレジットカードは既に100万ドルが引き出せるもので驚くが、何より当惑するのが彼女の個人情報が組織に全て調べ上げられていたことだ。
そして最後のケンジの言葉に、ヒロコ絶句。そしてフリーズ(笑。

「この仕事に終わりがあると誰が言った?」


iPhoneだけで撮影された作品だそうだ。美術的な演出や整音も施さず、そのまんまの環境を撮っているだけの映画。
登場人物も二人。
ギリギリの密室劇である。
アイデア一本の作品。こういうのも良い。インディペンデントなのか、こうした実験性の高い意欲作はドシドシ作って欲しい。
(思いっきり空振り珍作も多いが、ハッとさせられる作品にもぶつかる)。
この監督には期待したい。


しかし、一体どういう仕事なのかと思うが、、、
謂われたとおりにやっていれば、生きていられて金も入るにせよ、その金で活き活きと生活を愉しむことは、無理そう(笑。




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あいが、そいで、こい

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2019

柴田啓佑 監督
村上かのん 脚本
Less is More 音楽

小川あん、、、王佳鈴{ワンジャーリン}(イルカ調教師を目指す台湾からの留学生)
髙橋雄佑、、、萩尾亮(高校生、ワンジャーリンに思いを寄せる)
山田雅人、、、萩尾大吾(亮の父、イルカショーのオーナー)
長部努、、、堀田健太(亮の友人、ライバル)
古川ヒロシ、、、絹川学(亮の友人、神社の息子)
廣瀬祐樹、、、小杉茂雄(亮の友人、モテたがり)
中垣内彩加、、、瀬戸由衣花(亮の幼馴染)


また邦画に一時戻ることに、、、(ともかく重いものは避けたい心境)。

後ろむきの青」、「ポエトリーエンジェル」にも出ていた小川あん主演。
もう透明感溢れる瑞々しい台湾の女子を完璧に演じていた(驚。

青春ものの王道をゆく作品。
わたしには何だか分からないが、ド・ストライクの映画ではないのか?!
何だか知らぬが感動して爽やかな気持ちになった。
小川あんがヒロインでなかったら始まり5分で観るの止めてたかも。

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海辺の田舎町が舞台。
青春ものに無くてはならない、無軌道で粗野で喧嘩っ早い悪ガキ。
(喧嘩はするが仲間意識は強い。気持ちは皆、素直)。
その中の主役級の悪ガキの幼馴染の世話役娘。
誰もが一目置くしっかり者の美少女ヒロイン。
頑固だが人情家の親父。

ちゃんと一揃い、安心保障という感じ(笑。
但し、ルールは絶対に守る主義の真面目な学が、海辺で溺れている人間を発見し、セオリー通りに相棒にライフセーバーを呼びに行かせるが、じっとしていられず自ら助けに行き命を落とす。この初めて決まりを逸脱したことで亡くなってしまった友のエピソードがこの物語にどう絡むのか不明。

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ヒロインは、台湾の父と日本人の母とのハーフ。
日本語はまだたどたどしい(これが実に上手い)。
イルカショーでの子供たちへの説明に苦戦していた。
萩尾亮と留学生ワンジャーリンは出逢いからしてタイミング悪く、お互いにギスギスしている(この辺は定石通りか)。
リンは亮を「ガキ」と呼び取り合わない。

しかし彼女が日本に留学してきたのは、単にイルカの調教を学ぶだけでなく、自分を捨てて出て行った母への思慕の念からでもあった。
その隠していた気持ちを聴くに及んで、それまで彼女に反発していた亮の心が動く。
彼はその母のかつての勤め先と名前を尋ね、先輩や仲間を巻き込み彼女を見つけ出す。
母はバーのマダムになっており、リーが持っているイルカのアクセサリーと同じものを店に飾っていた。
亮は喜び勇んでリンの手を引きそのバーへ連れて行き引き合わせるが、母は娘を冷たく突き放すのだ。
ここで初めてリンの抑えていた感情が爆発する。
しかし彼女は残りわずかな日々を気丈にイルカショーの訓練に打ち込んでいた。

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作戦は失敗に終わり、余計に彼女を傷つける結果となったが、ここから二人の仲は急接近する。
亮の世話女房的な幼馴染の由衣花は気が気ではない。
ワンジャーリンは、お礼に水が苦手の金槌の亮を水に慣れさせ、シュノーケルで手を繋いで泳げるまでにする。
亮は、水の中が綺麗だと感動したのはこれで二度目だとリンに言う。
一度目は海に溺れた時にリンに助けられたとき。リンの姿を人魚だと思ったことが忘れられないのだ。

彼女が滞在期間を終え国に帰り大学に戻る時が来た。
遅くまで寝坊し世話役の幼馴染に叩き起こされ空港に向かうが、自転車ではとうてい間に合わない。
途中、先輩の軽トラに乗り込み、空港に向かうつもりが、何故か旧空港跡地みたいなところに辿り着く(ここは新しい感じでシュール)。
普通は、空港に何とか間に合い、別れのシーンを神妙にという所、ここは飛び立ってゆく飛行機に向けて「いけ~!」と叫ぶというもの(笑。
この無力でもどかしい叫び、とても良い。
登場人物の感情の動きがとてもとても自然で納得のいくものであり、共感できた。

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数年後、、、皆が見違えるような大人になっていた。
亮も周りの友人たちも、分別のある大人である。
あのリンが戻って来たということで、皆で水族館に行くことに。
大きな水族館のガラスの向こう、イルカたちのなかを彼女は優雅に眩しく泳いでいた、、、。


後味の良い爽やかな映画であった。
小川あん効果絶大。




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ナンシー・ドリューと秘密の階段

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Nancy Drew and the Hidden Staircase
2019
アメリカ

カット・シア 監督
キャロリン・キーン 原作
ニーナ・フィオーレ ジョン・エレーラ 脚本

ソフィア・リリス
ゾーイ・レネー
マッケンジー・グレアム
アンドレア・アンダース
ローラ・ウィギンス
サム・トラメル
リンダ・ラヴィン


邦画ばかりが続いたので、洋画も観ることに。しかし今、重いものを観る状況ではないので、極力軽そうなものを、、、。

何だかシリーズものにもなりそうな感じの映画(これのヒット次第であればどうなのか)。
(何でも原作が児童文学で、かなり続いている物語らしい)。
勿論「寅さん」ほどの連続はなかろうが。

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その時(続編)は、ソフィア・リリスとお父さん以外はキャスト総とっかえして欲しい。
何ともその二人以外に魅力が感じられなくて、、、
(ソフィア・リリス以外は人形、又はCGというのもどうであろう。それくらい他の面々がわざとらしかった)。
やはりキャストは大事だな、とつくづく思う次第。
ソフィア・リリスはそんな中で活き活きとして一際輝いていた。スケボーもとても上手い。

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噺は子供さん向けのもので、丁度良い塩梅の刺激で安心して楽しめるもの。
これはとても大切なことで、以前ホラーモノや表現の迫力あり過ぎアニメを流していた時、うちの娘が仰天して血相を変えて逃げてしまったことがある。勿論、精神的に良い事ではない。
ただ、鉄道誘致派とそういった開発から街を守る派と揺れ動いているようだが、その辺の環境設定がいまいち分かりずらいが。
ヒロインの弁護士である父は反対派だが、陸の孤島みたいな街なのか?
街自体の雰囲気は、ほとんど物語の書割くらいの位置づけで、場所のリアリティはまるでない。
撮影スタジオの街路を彼女がスケボーで突っ走っているのがよく分かる。
ついでにヒロインのハイスクールの様子もペラペラなステレオタイプ。
但し、ここでのスクールカーストのトップのカップルは、しょぼい。ヒロインの取り巻きもかなりいまいち。

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まあ、大変なところに父娘で引っ越ししてきた快活で活発なヒロインの活躍が描かれればそれでよし、みたいな。
(同じくやり手の弁護士の母を亡くし、その街では想い出に圧し潰されそうで、ここに移住してきた経緯のようだ)。
適度にホラー、サスペンス、友情、父との愛情、金による裏切り、、、が描かれていて、これはこれで。
何かの枠にとらわれずに素直でいなさい、という促しがある。
金に目が眩んで仲間を裏切ると良い事ないよ(これは犯罪でもあったが)、という基本も押えている。
ちょっと悪戯したり冒険したら楽しいわよ~というメッセージもある。
おいたをして社会奉仕をさせられてもいくらでもサボれるものよ~というのは余り教育的でもないが、、、これは大してウエイトは無い。(社会奉仕というのが、アメリカ的で、子どもにとり異文化を感じる程度の効用はあるか)。

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中盤からお友達と幽霊の出る屋敷に招かれ、その正体を突き止めてやる~という少女探偵団の形をとる。
カーストトップの意地悪者の彼女も3人組に加わり、一緒に幽霊の謎に挑む。
時を同じくしてヒロインのパパも失踪する。
この件が、屋敷の本棚の裏側の空間にある仕掛けを調べることで繋がって行く。
要は、鉄道反対派の屋敷の女主人の家を取り壊すことと、反対派弁護士を脅して賛成の書類にサインをさせる目的で同じ人物の仕組んだものであった。
その黒幕がヒロインの名付け親であったという驚き。ともかく、金に困っていたらしい(よくある噺だが)。
彼が鉄道誘致派の過激な乱暴者を雇って実行犯にしていた。

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少女探偵団は、彼等が業者に化けて屋敷に仕込んだ偽ポルターガイストシステムを逆利用してやっつける。
まあ、その辺のシーンが何ともお子様芝居なのだが、それはそれで。
”the Hidden Staircase”とうたうほど、印象は残らないのだが。

ファミリーで紅茶とケーキでも用意して観る分には丁度良い。
しかしうちでは、娘は「チェンソーマン」に夢中で、もうこれを観て面白がることはない。
あり得ない(チェンソーマンは9話まで観たが、刺激的で残酷で破壊的で面白い)。
この映画うちにとり、ほぼ意味のないものであった。

もし続編を作るのならソフィア・リリスとパパ以外の総とっかえはお願いしたい。
そうなれば、わたしは観てみると思う(笑。
ソフィア・リリスは、「IT/イット “それ”が見えたら、終わり。」のベバリーでもある。
監督は「キャリー2」の監督だそうだ。実は2の方はまだ観ていない。どうしよう、、、。




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リバースダイアリー

The Reverse Diaries001

The Reverse Diaries

2018

園田新 監督・脚本・編集・製作

小川ゲン、、、白石理人(ゴーストライター)
新井郁、、、本田沙紀(綾の義姉、女優の卵)
小野まりえ、、、本田綾(郁の義妹)
赤染萌、、、市川健吾(綾のストーカー)
平吹正名、、、桐島直哉(沙紀の元カレ)
綱島恵里香、、、紺野美優(理人の元カノ)


邦画臭の無い乾いた硬質で精緻な感触の映画であった。
(邦画によく見られる構造の無い感性だけのフワフワした作りではない)。
特に醒めたドキュメンタリータッチで描くところ妙にリアルなのだ。
ほぼ無名の俳優を使っているのもその為か。
これもかなり物語に説得力を齎している。
構成もきっちりと計算された意欲作に思えた。

だが、人物造形に関して違和感は拭えない。
サイコパスならそれとしてしっかり描けていないと意外な驚きでその部分が突出してしまい噺から気持ちが乖離してしまう。
特に妹そして彼女のストーカー男との関係だ。

姉の心性もかなり特異なものだが、この心の発動が物語の根拠にもなるためそれは良しとしても、妹の狂気の発現は、ちょっとその人物造形が充分に無いところに持って来て唐突過ぎる。姉に対する嫉妬の心情からこの飛躍が解せないのだ(もともとサイコであれば姉は既に毒殺されていてもおかしくない気もする。妹が夕食を作っていたし、チャンスは幾らでもある)。しかもそのストーカー男が何でも綾の言うなりになってしまうというのも。やることは殺害である。ただのストーカーが殺人犯にいともたやすくなってしまうものか。彼女に好かれたい、ストーカー行為を通報されたくはないくらいで、それをやればどうなるかくらいは想像できるはずだが(必ずバレる。代償は高く付く)。この辺の安易な飛躍が何とも勿体ない。

但し、物語をダイアリーを遡行しながら無駄なく白石理人と本田沙紀の出逢いのカラクリからデートの日取りの意味、そして何故こういうことを始めることに至ったのかがしっかり明かされてゆく。
そこはとても練られており出色の出来だ。
妹の陰謀で動くとストーカー男が実行犯として桐島を殺害しようとするのを、彼は実に運よくかわしてゆく。
毒の入った水を飲みそうで結局飲まない演出なども上手い。
だが、最終的に救われたかに見えたキャンセルで空いた旅客機の搭乗により不慮の事故で彼は死んでしまう。
沙紀にとっては不運以外の何ものでもないのだが。そしてこのキャンセルをした男~白石理人が何者であるのか知ろうとする。
その気持ち、分からない訳ではない。

The Reverse Diaries003

この流れは上手いと唸った。
沙紀の桐島との逢瀬を記したダイヤりーを遡行しながら謎の物語の意味を辿るアイデアの骨格はとても良い。
彼女にとり桐島の身代わりとして生きている理人と疑似恋人のような関係を結び、時間を共に過ごして確認してゆく。
桐島と共にしたことを同じ日付けの日に理人ともしてみるなんて、、、アイデア的にホントに面白いではないか。
「今日は~の日」(笑。

とは言え、その日記が妹によって理人にバラされたことを知り、お互いに相思相愛の関係に至っていたことに葛藤し、睡眠薬?のガブ飲みで自殺を図るというのも不自然に短絡的に映る。死にきれなければずっと理人と関りが出来てしまうだろうし。普通なら姿を消すところではなかろうか。それとも未練があるのか。

更に無理なエピソードで、不純物の如く入り込む妹とストーカー男の動きである。
これもうちょっとどうにかならなかったのか。
結果的に、理人と沙紀の奇妙な物語の流れに影響は与えず仕舞いなので、単なるサイドストーリーに終わるのだが、考慮の余地は充分あると思う。
ともかく、この二人の主役の女性がそんなに男が夢中になる程のオーラを発しているだろうか(元も子もなくなるかもだが)。
これが有村架純と浜辺美波の姉妹(CMでやっていたが)とかなら充分過ぎる説得力がある。
(インディペンデントみたいだから、そんなビックネームが呼べるはずがないのは分かるが)。
些か女優が弱い。だから展開がいまひとつしっくりこない(残。


理人が意を決して自分の名前で発表した小説が賞を取り、お祝いのインタビューとサイン会の催しが開催される。
そこへ突然姿を消したかつての恋人がやって来て祝福するが、理人はお礼を言うだけ。
取り巻きが消え、独りになった彼のもとに沙紀がやって来る。
「遅かったね。今日は何の日?」「今日は何でもない日」ふたりの新しい日が始まるのだ、、、。
とてもスマートなエンディング。

The Reverse Diaries002

かなり良い作品になるところだったけど、何とも惜しかった。と思う。

出版界って、ここで明かされているように、普通にゴーストライターがガンガン書いているのか。
多作の作家なんて危ないな(かつて竹村氏にそんな噂が登っていたことがあったモノだが)。




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溶ける

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2015

井樫彩 監督・脚本

道田里羽、、、真子(田舎の女子高生)
ウトユウマ、、、孝太郎(東京から来た従兄)


真っ赤な星」の井樫彩監督作品。
この監督の”SHINING RED FISH/PARCO ”(2019年)も観てみた。
全然作風が違う。
こちらは物凄くファッショナブルでスタイリッシュな作りだが(PARCOのキャンペーン ショートムービーだから当然か)、本作は田舎で叫んでいる純朴な女子高生の噺なのだ。
もう凄い田舎の光景。出て来る人々も素人としか言えないような、、、ヒロインは粗削りではあるが、伸びそうな人ではある。

真子は、生活排水もありそうな川に飛び込むことを趣味とする女子高生である。
気持ちの整理に飛び込んでいるように見受けられるが。
この時期は何処に暮らしていようが、閉塞感と将来に対する不安や葛藤は普通に誰もが抱えるものである。
特にこの子の家では、認知症の祖母もおり、母親も疲労で娘に丁寧に向き合うゆとりはない状況。友人とも確執がある。
父はいないようだ。下校後にアルバイトもしている。柵もあり大変そうだ。
ただ、他の子みたいに性に流されたくない。彼女も別に気のない男子から誘われるが断る。
刹那的な解放~逃避で現状を誤魔化したくないのだ。その結果、友達は妊娠してしまい悩んでいた。
そんな折に東京から従兄が釣り竿担いで呑気にやって来る。

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彼は東京が窮屈で田舎に来れば何かが掴めるみたいな幻想を抱きやって来たようだ。
その証拠にやったことも無い釣りがのんびりできると思って、道具一式まで持って来ている。
彼女の家で縁側から夜空を見上げ、星が良く見えることに感心していたが、そこまでであった。
特に何て言うこともなく、滞在期間の二週間は過ぎてゆく(従兄の行状に関して詳しい描写はない)。

後半の彼女の嫌悪の念と葛藤の吐露には共感できる。
ハッとさせられる瑞々しさを感じた。
ずっと田舎を出ようとしていた気持ちがこみ上げてくる。

タップリためを置いて自分の生々しい言葉でたどたどしく、従兄に訴える、、、
「スーパーで遭って、このままここに就職か、と聞く常連のおっさんが嫌い。無駄に長い坂も嫌い。卒業してバイクと車を乗り回して、暇だ暇だと言ってる奴らも嫌い。若くて可愛いのにダサい作業着着ている女の人を見るのも嫌い。風が強いと遮るものがなくて息が出来なくなるのも嫌い。肥料の臭い匂いも嫌い。自分が淋しい時だけ連絡よこす女作って出て行ったお父さんも嫌い。暇だとか淋しいとか言って、やりまくってる馬鹿どもも嫌い。嫌い、嫌い、皆嫌い!」
この口ごもりながら訴える言葉の強度はかなりのもの。
このシーンでわたしはこの映画に引き寄せられた(それまではどうも素人演技と「間」が気になって入り込めなかった)。

これを聴いた孝太郎も真子みたいに川に飛び込む。
驚く真子に向って、「今すぐ逃げろ!」と叫ぶ。
真子はそれに従い荷物をまとめ最寄りの停留所からバスに乗って行く。
途中たっぷりと充分知っているはずの自分の街の風景を窓に食い下がって凝視する。そして、、、
涙を流しながら停車ボタンを押す。

彼女は元の生活に戻っている。
従兄が東京に帰るのを見送りに行くが、「さっちゃんはどうするの?」と尋ねられる。
「行かない」
「ホントにいいの?」
「いい」「だって、空気悪いし、星見えない。やることないし。」
踏ん切りが付いたのだ。バスに乗ってみたことで。疑似逃避行、逃避予行練習?そういうものだろう。
合理化もあるにせよ、そうするほかないのだ。
と謂うより今の生活を自らの意思で選び直したのだ。
ここはよく分かる。何処に行けるわけではない。しかしそのなかで違う道は幾らでも選べる。

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ただちょっと間が悪し。間延びが気になった。もっとさらっといってもよいと思う。
ためを置いているのか、ぼうっと突っ立っているのか分からない場面は何とかしてほしい。

道田里羽の熱演であった。
監督の意図もしっかり伝わるものであったのではないか。


そして、20分足らずの”SHINING RED FISH/PARCO ”は、カメラワークや演出が凝っていて凄く良い。
無駄がなく、テンポが良く、絵がともかく美しい。ヒロインがリムジンでお化粧しているところなど如何にもPARCO(笑。
膨らませてスパイアクションものにすればかなりヒットしそう。
ヒロインが洗練されていて桜井ユキで実に決まっている。
金魚が鉢から解放されて赤いドレスのヒロインも逃避行に、、、
「世界は、わたしが選ぶ」、、、その通り。

世界は、わたしが選ぶのだ!




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夢の音

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2018

松浦健志 監督・脚本

眉村ちあき、、、三上葵(「東京カタルシス」の二代目ボーカル)
小田夢乃、、、夢乃(「東京カタルシス」の初代ボーカル)
佐久間みなみ、、、佐久間千夏(葵の職場の先輩、ストリートミュージシャン)
桜まゆみ、、、榎本歩美(葵の姉)
山崎恒輔、、、薫(「東京カタルシス」のギター)
竹田雄祐、、、ユースケ(「東京カタルシス」のマニピュレーター)
藤村英志、、、アフロ藤村(「東京カタルシス」のベース)
三田結菜、、、里緒菜(「東京カタルシス」のドラム)
林浩太郎、、、榎本大介(歩美の夫)


感動してしまった。
ヒロインの三上葵を演じる眉村ちあきは加入したての乃木坂の少女みたいな初初しさがあって、こちらは最初から応援態勢で観てしまう(爆。ともかく可愛い。そして自作の曲も良い。歌唱力も言うことなし。ギターも問題なし。演技もちょー可愛い。
何で乃木坂に入らなかったのか?ああそうだ、シンガーソングライターだ。自分の曲を唄えなければ話にならないか。
(最近のパフォーマンス写真を見るとノリ~弾けすぎていてこの当時の片鱗も窺えない。この姿を懐かしむファンも多いのでは)。

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眉村ちあきという表現者を初めて知った。
かなりの有名人であることが分かった(笑。
情弱ですな。
その眉村ちあきがまだブレイク(直)前の段階で撮った映画らしい。
ちなみに、現在彼女は、アイドル、シンガーソングライター、会社社長として大活躍とのこと。

監督は「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」の松浦健志監督。
ああ~なるほどという感じの音楽テーマの映画となっていた。
ここでもヒロインは、会社では人と関わりたくないためトイレに籠り、家に帰ると引籠りみたいな自堕落な生活をして、姉を心配させている。ネットを介すれば解放的で我儘な気分に浸れ、音楽配信は何故かやっているという歪な生活を送る女子。

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「東京カタルシス」はホントにあって良いバンドだ。そのまま活動しろと言いたい(笑。
各メンバーもイケてるし。サウンドも良い。ホントに演奏してるし。
そこで最初にボーカルやっていた夢乃役の小田夢乃もバリバリのミュージシャンみたいだ。

それから、佐久間みなみという綺麗な女優さんのギターと歌唱力が素晴らしいと思ったらフジのアナウンサーだと。
全く知らなかった。フジのアナ?少しは情報番組でも観てみるか?いや時間が無いね。
しかし、凄い人がまだまだいますな~。

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「東京カタルシス」のギターの薫は、RebellioNというトリオ編成のロックバンドのギタリストだと。
ユースケ役の竹田雄祐も舞台音楽の作曲などするミュージシャン。
凄いアフロの藤村英志は、眉村ちあきの音楽プロジェクトのベースギターを担当しているベーシスト。内輪か。
三田結菜はO-VILS.を結成したドラムボーカリストである。
何だ、皆プロミュージシャンではないか(怒。
怒ってる場合ではないが、それだけ本格的な音楽を深くテーマ化した作品にしたかったのだ。
その分、演技は素人だが、音への関り、インディーズバンドの拘りがリアルで全く問題なし。

音楽でどれだけ人が救われるか、人を繋げることができるか。
三上葵が人付き合いがとても苦手で、自分が作った曲を糸口に初めて他者とコミュニケーションが可能となる人である為、彼女が音楽に何らかの形で絡んで行くのは必然であるが、、、。
ただ、プロのミュージシャン、バンド、音楽業界(ファン含む)でやって行くということは、人間関係も難しい。
また人間関係の中で(揉まれて)良い音楽を作ることにも繋がってゆく。
つまりコミュニケーションも豊かになり深まる。
彼女の持ち歌の極めつけチューンである”子守唄”は歌うたびにそれを送る相手が異なりそれに従い歌詞も変わるのだ。
ライブ~生きた歌で何度も演奏されるがどれも良い。

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独りだけグループから引き抜かれたボーカルの夢乃は、意に反してまさかのダンストリオの一人としてデビューということに。
バンドで曲作りとボーカルをやっていた時の勝手と違い葛藤し苦悩することになる。
やったことの無いダンスに打ち込む。
しかしそこは音楽業界での生き残りをかけた戦い。
彼女もそれを克服して他の2人との結束を強める。
それぞれの道で皆が上手く行くことは気持ち良い。

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三上葵という発達障害(的)な女性が、自然に作ってしまう音楽をコミュニケーションツールに外に活き活きと展出して行く様は見ていて気持ち良い。周囲の人たちを惹き付け、途中からライバルとなった先輩も応援に回ってくれ、全てが彼女にとって良い形となって動いて行く。
やはり自分が一番やりたいことを素直にやり続けることが、一番良い結果を引き寄せる。

眉村ちあきという人の活動の写真を観るともう、やりたい放題で愉しんでいるみたいだが、この人の場合は最初からこういう人だったのでは。





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白く濁る家

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2022

田中博巳 監督

斎藤嘉樹、、、良典(悦子の長男)
藤本泉、、、香苗(良典の婚約者、イラストレーター)
成嶋瞳子、、、悦子(良典の母)


弟の7回忌に里帰りした良典とその婚約者の香苗。
彼女のお腹には既に子供がいる。
実家には母の悦子が独り暮らしていた。
結婚することを報告するが、良典はここに香苗を連れてきたことに戸惑いを感じている。
明日には帰ろう。
この家、いや母といたくないことがそれとなく伝わる。

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一見、普通の主婦のように見える義母であったが、ふたりは彼女の変な葉っぱを用意する作業に付き合わされる。
香苗にはそれが何であるのかさっぱり分からないが、息子にとって不快なものであることが察せられる。

夜中に香苗が寝苦しくて目覚め、ふと外を見ると義母が庭に凄い勢いで穴を掘っているではないか。
カーテンの隙間からふと確認したのだが、それを素早く察し、こちらに正対して見返すのだ。
これには驚いて目を逸らし、部屋に戻ろうとするところを頭部を殴打され気を失う。
彼女は納屋に放り込まれ、縛られていた。

良典も目を覚まし、彼女のいないことに気づき、居間に行くと母が落ち着いた様子で水を差しだす。
それを飲むと彼は直ぐに眠ってしまう。薬が入っていたのだ。
気づくと磔にされており、母は妙な装束を着て尋常でない儀式を行っている。
長男にはこれが何を意味するかよく分かっているようであった。

母の狂態は激しくなり、自らの血を使った儀式になってゆく。
そのころ縛られ床に転がされていた香苗は、暴れているうちに書類の束を見つける。
それが死者を蘇らせる秘法の認められた如何わしいものであることを知った。

血を長男の額に塗り付け、呑ませている母に向かって、これまで言えなかったことを言うと断り「おれはあんたが大嫌いだ」と伝える。
確かに母は普通に振舞っていたが、全く愛情など無いことは明らかであった。母を描いた長男の絵を平気で捨てているのだ。
母はただ、弟を蘇らせることに死力を尽くしていた。良典は弟を生き返らせる入れ物に過ぎなかったのだ。
こりゃ、将来の嫁を連れて来ることに戸惑いを隠せないのは分かるというもの。

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漸くテープを破り自由な身となった香苗が儀式を一心に執り行う女の背後から一撃を加える。
女は倒れ、良典を助け出す。
これで助かったと安堵の表情を浮かべる香苗。その安堵の表情もいつしか無理やり不安を押し殺したものにも窺えて来る。
気づいた良典は、眼は空けているが言葉は一言も発しない。
ただ横たわったまま、香苗を見つめるだけなのだ。

まさかあんな妙な(素人)儀式で弟に入れ替わったなどという安易な流れではないでしょうね。
それよりも、この親子の関係(と母)をつぶさに見られて、この先この女性はついて来てくれるだろうかという不安と恐れを抱いた表情であると受け取る方が納得できる。
片や彼女については、例えこの人の魂が夫でないにせよ、お腹の子と共に立派な家庭を作るわ、という決意にも窺えてくる。
(彼女は家庭に恵まれず、理想の家庭という願望を強く抱いて来た)。
こんなんで家庭なんか作れるだろうか。
二人の努力次第で、それは可能なはずである。別に入れ替わってないし(笑。
勿論、母とは別に住むこと。
金輪際、母とは会わないことである。遠く離れた地でよい家庭を作るだけ。

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効果音が酷く邪魔であった。
事態が絵~映像で示されてもいないうちから煩く唸り始めるなど大変不快であった。
飽くまでも展開や気配の動きに即した演出としての効果音でなければ邪魔なだけというよりそれで予告をしてしまったら白けるだけだ。酷く稚拙な演出に感じられた。
それから画面が暗過ぎる。暗い環境であっても何であるかを見せる工夫が欲しい。
実際にそれが出来ている映画は多い。

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人に勧めるような映画ではない。
藤本泉という女優さんは充分主演に耐える人であったが。別の映画で見たい。





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歩けない僕らは

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2019

佐藤快磨 監督・脚本・編集

宇野愛海,、、、宮下遥(理学療法士)
落合モトキ、、、柘植(遥が担当する患者)
板橋駿谷、、、田口(理学療法士のリーダー)
堀春菜、、、相馬(遥の同僚、辞めてしまう)
山中聡、、、日野課長
佐々木すみ江、、、タエ(患者)
細川岳、、、遥の別れた彼氏
門田宗大、、、柘植の後輩


短編という形式の良さが少し分かって来て、これを観ることにした。
やはり終わり方が、肝心であることが分かる。
そこでかなり映画の意味や価値までも決まって来るところがあると思う。

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ずっと吹かしていたタバコがハラっと指から零れ落ちる、、、山のように溜まった吸い殻。
雨の夜の車の静寂に息をひそめる。
買い物袋を抱えた後輩が車に乗り込むが、開けたドアはそのまま、、、
いつまでも閉まらない。

(突然の脳卒中(脳梗塞なのか分らぬが)にドライバーが見舞われたのだ)。
この車だけを映す音のない絶妙なロングショットでの長回しの説得力。

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回復期リハビリ病院が舞台。
宇野愛海は初めて観る女優さんだが、理学療法士なりきり度が凄かった。
私生活では個人的な試練が重なりつつも、職場で見せる凛としたブレない姿勢は素晴らしい。
こうでありたい、というしなやかな強さを感じた。
それは、独りで持ちこたえて生きて行ける強さだ。
乗り越える前にやらねばならぬ現実~仕事に対応できること。
そんな状況に耐えられなければ、友人の相馬のように辞めるしかない。
(堀春菜もお馴染みの女優さんに見えて来た)。

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遥の担当するのは、下半身が動かなくなった例のドライバーの男性。
突然歩けなくなったらその絶望感は半端では無かろう。
もう職場にも戻れない予感と不安に苛まれ、感情的に揺れ動き、やけになってぶつけて来るものもある。
だが、それを受け止めたうえで希望をもたせなけらば、治療にならない。
厳しい、患者の岐路に立つようなポイントでの仕事である。

日野課長、田口リーダー、遥の3人で呑む場面があるが、ベテランでも何でこの仕事選んじゃったんだろう、という本音も出てくるというもの。
これから仕事が選べるとしたら、やらねえな、、、。
こういう場は貴重である。何をどうしてくれる訳ではないが、何故か疲れが引いて和む。
これも大事だ。

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治療側も患者側も支えがないとかなり辛い。何をしてくれる訳でなくとも、見守ってくれる人は大切である。
遥の彼氏は他に女が出来て出て行ってしまったし、柘植も同棲相手が見舞いにも来ないし部屋からも姿を消していた。
しかし遥には職場の頼りになる先輩がおり、柘植は本気で心配してくれる後輩はいる。
基本は、人に依存せずに自分を支える意思が肝心であるが。

ふと救われる瞬間というのがある。遥が頼まれて退院したタエの墓参りに付き添うところ。
彼女は、自分を亡き夫が支えてくれたと告げ、今あるのは遥のお陰だと感謝していた。
このような場面で、何かが吹っ切れるということは、わたしにも経験がある。
自分から息を抜こうとしても、いっぱいいっぱいのときは、自意識で窒息しそうになるだけ。
やはり他者(敬意を払えるような人)とのちょっとしたイベントは効くものだ。

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彼女といちゃつく元カレをバッティングセンターで目にし、持っていたカメラをヒステリックに壊すところは、ちょっとやりすぎなような。
カメラが勿体ないし。
そこまで見せなくてよいと思ったが、、、。やはり沸き起こる怒りはどうにもならない。
(怒りの抑圧は最もまずい。わたしは、今後何かあれば直ぐに告訴に出る用意はある)。


最後は実に静謐な絵である。
引きのカメラで木漏れ日の入る室内での身体を整える~清めるような体操?呼吸もあるか、、、を遥がしている光景で閉じる。

この映画、最初と最後の対称性が、とてもスタイリッシュなのだ。
何かが終わったり解決をみたりするものではないが、中途半端ではない爽快感が残る。
元々全ての事象に始まりや終わりがあるわけではない。

短編映画の良さを感じる。これは良い映画であった。




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次は何に生まれましょうか

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2019

野本梢 監督・脚本
稲村久美子 脚本


根矢涼香
笠松七海 
森恵美 
山下ケイジ 
橋本美和 
村田啓治 
高木悠衣 
天白奏音 
稲村美桜子


痛いほど分かる、痛い映画である。
ちょっと距離をもって観るのが難しい。

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喋りや診察、専門家の説明とか入れず、行動や所作、表情、感情の揺れで状況をしっかり伝えている。
生々しさが活きていた。
家族全体が発達障害を抱えている。
これでは生き難い。

家族の病。
普通かどうか、周りと比べてどう、などどうでもよい。
だが、病は苦しいもの。
ただいるだけで、苦しむことが病である。
ズレの苦しみなどほんの些細なもの。

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例えば、うちのような、特別あつらえの超ド級毒親の場合、その存在だけで凄まじいストレスを生む。
これも勿論、関係におけるものではあるが、無視できるものと無視しようのない場はある。
その磁場の問題と謂えよう。
家とは恐ろしい。
ホラーハウスとなっている場は実は少なくないのだ。
この映画のような家は探せば結構容易に見つかるのでは、、、。
まずは祖父母を見よ。
そしてここに観られる母娘の代に呪いの効果として顕現する。
所謂、遺伝子と絡み合って受け継がれるものだ(又はもう一つの遺伝)。
そうした構造として捉えないと見えてはこない。

仮に観察力と洞察力の優れた人が眺めてみて、これはまずいと判断したところで、内政干渉ではないが、家の枠内に入り込むことはとても難しい。家という枠がとても厄介な作用を持つ(内にも外にも)。そして児相にしてもその他の公的機関にせよ、極めて事務的であったり、担当者が能力・資質に著しく欠けていることも多い(そうではないところとは、やってゆけるがあくまでも個人~担当者との関係であり当たり外れの問題となる)。これは精神科医にも同じことが言える。未だに断じて許せない輩もいるし。
(馬鹿な医者は殊の外多いのは確か)。

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この映画のケースのように発達障害に対して、母の職場の同僚とか、ママ友たちが親身に寄り添ってくれることは、とても望ましい。
それにしてもADHD特性の強く出ているお母さんの女優さんはとても上手だった。
娘はASD特性がしっかりみられる。お母さんと娘は、周りの理解者の協力次第で随分と楽になれるはず。
勿論、祖父母が元凶であるが。これはどうにもならない。この祖母は大変問題だが、祖父もそれを助長し保持する役目を果たしている。

まずは、自分の身を守ること(治すではなく)。そのためには、このお母さんのように頼れる人~機関に当ってみること。
いずれにせよ、ソーシャルスキルだけはしっかり身に付け、自分の特性や傾向は個性として活かすように持ってゆけば良い。
当人も身近にいる良い人たち(特に職場の隣の席の方)を頼ることは大事だ。こういう人は他人に頼ることが凄くヘタ。
彼女は、ちゃんと見ていて的確な指摘もくれるではないか。貴重である。このお母さんもそれを受け容れる資質があって良かった。
しかし実際はああいった人はなかなかいない。残念ながら、、、こちらの足を引っ張る邪悪な馬鹿の方が圧倒的に多いものだ。
(いまだにうちの斜め前にそうした輩がいる(怒)。

隣の席の頼りがいのある女性は「おろかもの」主演の女優さん(笠松七海)であった。この人も個性的で上手い。


この方面の映画がまだかなりあるが、後数作観たら違うものに移りたい。出来ればSFが観たいものだ。



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透明花火

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2020

野本梢 監督
三浦賢太郎 脚本

清水尚弥、、、立花圭太(フリーター)
髙橋雄祐、、、円城淳(ナンパ塾経営)
安藤輪子、、、藤原楓(居酒屋バイト)
根矢涼香、、、新井理恵(女子高生、かおりの親友)
みひろ、、、長谷川真希(達也の義母)
手島実優、、、本村かおり(女子高生、理恵に恋のキューピットをさせる)
古山憲正、、、長谷川達也 (高校生、義母の真希と二人暮らし)
東野瑞希、、、佐々木庸子(圭太と一時付き合う)
土山茜、、、武田絵美(楓の学生時代の友人、キャリアウーマン)


本作は野本梢監督の初長編映画。
しかし脚本が違う人の為、生理的に別物感がある。
やはりこの監督の場合、本も彼女が書いているところが大きい。
噺としては群像劇で、破綻した人も上手く行き始めた人もいるが、試練を経て皆が良い方向に向ってゆく方向性の見えるものになっていた。

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出て来る人々は、皆かなりキャラが強調・単純化されているが、その分わかりやすいとは謂える。
圭太と楓はどちらも脆弱な自我から、圭太は潔癖症で何でも正直に晒して相手にもそれを強制しようとする。楓の方は自分に引け目を感じている為、虚勢を張り直ぐにバレる嘘を重ねる。

圭太はバイトで知り合った庸子と親密な関係を結び一時期仲良く過ごすが、彼女が過去の男性経験を自分に伝えていないことをフェアーじゃないと文句をつけて来た為、別れることになる。相手も全く自分と同じ考えでなければ許せないという幼児的な自我の露呈である。他者に対する感覚のないことに愛想つかれて庸子に逃げられる。

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楓はずっと居酒屋バイトが続いているにも拘らず、漫画家として売り出しているなどという嘘をつき、引っ込みがつかなくなってくる。
友人の一人に嘘がばれ、その場から堪らず逃げ出す。常に何からも逃げることで自分を守ってきたことが窺える。
友人の絵美に窮地を助けられ、現状を晒し誠実に友として関わって行くことを誓う。
圭太と楓は、嘘を嫌う性格と嘘で逃げる面で対極のように見えて、どちらも自我の脆弱さからくる裏表に過ぎない。
他者性~人の秘密を認めることと、自分は自分という意識は同じものである。

淳はとてもチャラいナンパ師の仕事をしながら認知症の祖母のケアを献身的に続けている。
チャラさと老人介護を両立している人は実際にいると思うが、少し背景が描かれていても良かったかも知れない。彼のナンパ塾自体ほぼ詐欺に近いものである。

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女子高生のかおりは、親友の理恵を頼って、自分の意中の人とのキューピット役をやらせたり、勉強を教えてもらったりしている。
何故、ここまで理恵がかおりの我儘放題と言える要求を快く引き受けているかというと、彼女に対する親友以上の思いがあるからだと窺える。理恵はかおりの恋愛を暖かく見守ってゆく事にする(この中で最も献身的で器の大きな人だ)。
かおりが思いを寄せる他の高校の達也は義母と二人暮らしで、彼に対し邪魔者のように接している。
大学は遠く離れた福岡の大学の志望というのは、彼女から離れて暮らす意図であることがはっきりしている。

義母はこの息子に冷たくあしらわれてもひるむことなく日々のルーチンを怠らず、ぶつかっても自分の本心を誠実に訴えていた。
こうした努力が実を結び達也も普通に口をきき、食事もしっかり食べるようになる。
達也は母とも関係を改善し彼女も出来、とても良い環境になった。別に遠くの大学に行く必然性も無いように思える。


これらの人々が皆、花火大会に行って花火を愉しむ約束を、それなりにしていた。
実際に一緒に花火を見た人もいれば、見れなかった人もいるが、バッドエンドの人はおらず、爽やかな終わり方と謂って良いのでは。



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野本梢監督の作品をもうひとつ見つけたのでそれも観ておくことにする。




私は渦の底から

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2017

野本梢 監督・脚本

橋本紗也加
岡村いずみ
長尾卓磨
藤原麻希,
はぐみ


昨日観た野本梢監督の前作にあたる話題となったという短編作品を鑑賞した。
生理的な生々しさは、女性監督ならではのものか。撮影の仕方もドキュメンタリー感はかなりあり。
共感は無理でも理解は可能のはずだが、、、。いや、届かないで渦を巻いて消えるこの(悪無限)反復感は、どんな恋愛の形であろうと同じか。

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わたしにとって、最後まで観て得た教訓は、直ぐに諦めないこと、である。
これで終わった!
と思って、引き下がる前にもうひと足掻きしてみること。
これである。

ここでのヒロインも完全に敗退が決まった、ところからちょっと爪痕を残せたことで、何とか繋いでいる。
悪足掻きしてみることだ、という教訓ととれる。
わたしにとっては、そこが印象に残った(最後の場面ということもあり(笑)。

噺としては、恋人が出来てヒロインから去ってゆく彼女が、相手は当然男性だと思い込んでいたら、紹介されてみると何と女性ではないか、、、これは絶句だわ。
わたしよりこの女の方が良いっていうの?というより、飽くまでもこの娘は、自分を単なる友人としてしか見てなかったのね、という分かってはいた現実を残酷に突き付けられる。
(いやそれ以前に、同性愛者であることに悩みに悩んで来たのに、この展開は聞いてないわ、では)。
相手も自分が同性愛者だということを隠してヒロインと仲良くしてきた(ヒロインも隠していた。お互いに)。
あくまでも親友という形での長い付き合いを大事に維持して来たが、相手はその間に他に同性の恋人が出来ていたのだ。
ヒロインにとっては晴天の霹靂と言う外ない。

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恐らく相手が男性であったら、お幸せにとか言って、身を引くしかない状況となろうが、同性であったことで、俄然闘志が湧いてきたというところか。ちょっと前まで落胆して、わたし実家に帰りますとか漏らしていたのだが、、、。
わたしだって負けてないわよ、という感じか。いや闘志を出すには内向的過ぎる。
完全に相手のカップルはラブラブであるし、将来設計までしており、その伴侶の女性は華やかさがあり自信家のようでもありエッジが効いているのだ。ヒロインの方がどう見ても地味であり劣勢にまわっているし、ちょっとぽっちゃり気味だし(苦。
終始おされたあげく、ラブラブの二人が手を繋いで去ってゆくところ、ちょっと待ったと二人の腕を掴んで留める。
当然、相手の伴侶が、何よ?まだ何か用~?みたいに睨みつけて来る。
ごめんなさいと言って手を離すが「わたしまだ帰らないから」と告げる。そこでこれまでの親友がビビッと悟った。
何やら悟っちゃったみたい。手を離し、独りで先を行くではないか。

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この最後の蛇足みたいな未練がましさというか悪足掻きが齎した効用は確かにあった。
それがなければ、その後も今日~で会おうね、なんてニコニコ携帯で語りあえまい。
上手い方向に向く可能性は残しているではないか、、、。
しかしまだヒロインはカミングアウトはしないままか(ずっと親友のままではいられないのに)。
相手が言ってるのだから、機を見て言うべきだろう(そうしないといつまでも渦を巻き続けてしまう)。
また恋焦がれている対象にはどうにも告白出来ないのに、さらっと隣のデリヘル兄さんには言えちゃうものなのね、、、。
(確かにそういうものかも。壊れるのが何より怖い)。

教訓:だめだと思っても最後のひと足掻きはしてみよう~。

この映画の趣旨とはちょいとズレたところで、わたしは良い事を確認できた(笑。


キャストの演技のいまいち感がかなりあった。
(特にカミングアウトしようかどうしようかと葛藤し戸惑うシーンなどで)。
演技指導や演出はもっと工夫というかブラッシュアップして欲しいところ。トイレの演出は分かるが。自らの性をうんざりするほど突き付けられ、それを流す水はいつも渦を巻いて、、、鬱屈としたヒロインの内面は象徴されていると思う。渦という象徴は、反復~再現であるか、何処かへ方向性をもって流れ去ることではなく。
(昨日の作品も葛藤するような場面での演技に稚拙さを覚えた。ギャラは高くても山田杏奈を頼めばバッチリなのだが)。


エンドロールの曲がショパンで良かった。
(妙な歌詞を熱唱するパンクバンドみたいなのが一番げんなりするから)。




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わたしが発芽する日

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2022

野本梢 監督・脚本

藤原麻希、、、姉
堀春菜、、、妹
本間淳志、、、姉の彼氏
松木大輔,
松本卓也


この短編作品も含め数々の映画祭で賞を取っている監督だそうだ。
前作に当たる「私は渦の底から」という短編もAmazonPrimeで観られるので、機会があれば観てみたい。

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本作は、発達障害の妹と二人でずっと暮らしてきた姉が同じくらいずっと付き合ってきた彼氏のプロポーズを受ける。
ASDの特性があり自立して生活するのは難しい場面が多々ある(自閉症スペクトラムに含まれる、かつてのアスペルンガー症候群の傾向も見られる)妹である。
姉は一度はプロポーズを受け結婚を承諾するが、妹が危なっかしくて彼女を独りにすることが出来ず、指輪を返してしまう。

ここでも彼女(妹)をアルバイトに雇った店主から「普通」と謂うことばが出る。
君は普通でない。明日から来なくてよい、というもの。
これだけ聞くととても意地悪な店主に思われてしまうだろうが、対象の発達障害の特性や傾向を理解している(理解しようとしている)人でないと、普通に見られる反応~対応であろう。多数派の一般的反応だ。

誰にも差別なく公平に接するには、誰もが同じという前提ではなく、違うという事実をはっきり自覚していることが肝心である。
個性の尊重はそれなりの洞察力が必要であり何となく出来るものではない。感覚的な対し方では、「無理」となって終わりだ。
暗黙の了解で「普通」の範疇にいれば、これと言って気にせず関係性が維持できるが、感受性や思考パタンにそこからの逸脱があると、問題が生じてしまう。
ズレ~マイノリティを受容出来る論理なくして多様性などと謂ったところで虚しい。
(政治家からしてそうである「LGBTには生産性がない等々」噺にならない)。
感覚(感性)ではどうにもならないところ、理論的認識が重要となる。

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結局、姉の彼氏がなかなかよく出来た男で、妹の指輪を姉さんに還してあげてという訴えを聴き取り、自分の気持ちに率直になる。
妹に教えられたと。勿論受け取り方の問題でもあるが、再度姉にアタックする。
ここで父親が妹を田舎に引き取り、姉は新婚生活をスタートすることに決まる。
彼氏は、妹とも上手くやっていけると主張するが、そうもいかない。
彼女の父親も「普通」なんて俺も知らない、と言って妹~娘を引き取り共に暮らすことを愉しみにする。
ここで、この妹が姉から別に暮らそうと謂われ「うん」と快く返すところがとても爽やかだった。
妹は分かっているのだ。

冒頭、海辺に姉と妹でやって来て、波打ち際で姉に促されて妹も水遊びに興じる姿から始まる噺であったが、最後も婚約者とともに晴れやかな感じで海辺にやって来た姉であったが、彼女は彼に背を向け急にしゃがみこんでしまう。
この対称性は計算通りの効果が生まれていた。

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妹が健気で純粋である分、とても寂しい。


堀春菜は、やはり女性監督(塚田万理奈監督)の「空(カラ)の味」で主演している。
インディーズの問題作にかなり出演しているようだ。



AmazonPrimeにて






百物語 壱の章

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中村千洋 監督

小原春香
神道明
幸将司
その他大勢

[第一話] 古美術の刀 [第二話] 病院の待合室 [第三話] 崖下からの声 [第四話] ビジネスホテル401号室 [第五話] 雨の日のスナック [第六話] 午前2時19分のチャイム [第七話] きれいになる薬 [第八話] 肝試しから帰ったら [第九話] 片腕のない占い師 [第十話] 引っ張る老婆 [第十一話] 廃村の影 [第十二話] 遊歩道に佇む女 [第十三話] 宴のあと [第十四話] 穴を掘る人 [第十五話] クローゼットの音 [第十六話] 振り向かない [第十七話] 泥棒が入った家 [第十八話] トンネルの出口 [第十九話] 線路沿いの灯り [第二十話] 飲みたい女 [第二十一話] ハウススタジオ [第二十二話] 河川敷の友人 [第二十三話] 彼女が見たもの [第二十四話] ついてきた [第二十五話] いにしえの観客
よりなる25話。

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う~ん。最終話(25)を膨らめた短編映画など面白いかも。
世界観は悪くないと思う。
後は、幾らでもありそうなホラ噺みたいで、適当なでっちあげが幾らでもできる類のものである。
都市伝説的にも、、、。あるあるではないか。単なる疲れか気のせいみたいなのもあった。
ともかく、驚くような噺は無い。

今日はややっと思う映画タイトルを見つけたのだが、余りにヘビーな内容みたいなので、心身ともに万全のときに回した。
しかしその代わりに思いっきり軽めのものを選んだのだが、軽いにも程があるというレベルのモノである。
全部合わせれば1時間半を超えるのであるが、ボーっとしている内に終わっていたものだ。

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「それがどうした百物語」と謂ったところ。
しかし最後の噺[第二十五話] いにしえの観客は、膨らめて創作すれば面白いものになるポテンシャルがあるような、、、。
女優さんもしっかりした役者に見えたし。やってみる価値はあると思うが。音楽は良くなかったので変えてもらいたい。
他のは、お昼のワイドショーで昔よくやっていた素人の再現ドラマ(怪談編)みたいで、ミカンとか食べながら、それがなんなのよ~、と突っ込み入れながら見るのにちょうどよいものである。
ほとんどがどれもそういうことがあったとしても、ふ~んで終わりだが、せめて教訓に活かしたいものもある。
[第十五話] クローゼットの音など、出て来たお化けに説教して出て来るな、と叱ったらそれっきり現れなくなったというのもある。
こちらが毅然とした態度で対処することが大切なのだろう。今後お化けに遭遇した人は、彼女みたいに、お前のいるべきところではない、二度と出て来るな、としっかり𠮟りつけることだ。

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後は消極的な人々ばかりであった。[第五話] 雨の日のスナックなどオバケすらも出ずに、単に殺人現場に遭遇して驚いて逃げただけの噺である(その当人も巻き添えで殺されなかったのはよかったな)。[第十三話] 宴のあと、などアイドルの虐めを垣間見たという感じのモノ。アイドルって怖いですね~みたいな。そういう噂~エピソードは時折漏れ聞くものであるが、ここに出て来たアイドルは目の上のたんこぶを葬ったにせよ、売れそうもなかったな。オバケも出ない。
[第二十四話] ついてきた、みたいに所謂「霊能者」からすると誰かに憑いている霊があんなにはっきり見えるのね。
こりゃ間違いなくビジネスになるものだ。この能力を活かさない手はない。犯罪捜査でも活躍だ。殺人者の横に殺害された人が座っているのだし(笑。
後は、あっけらかんとして明るいだけの[第十四話] 穴を掘る人とか、確かに気持ち悪いわ、と当人に共感はする[第十九話] 線路沿いの灯りなど、、、ちょっと印象に残っている(すぐ消えると思うが)ものはある。そうそう、[第十八話] トンネルの出口、には笑った。暇なオバケもいるものだ。と言うか芸のない惰性でやってるだけの芸人みたい。生前の拘りだけがその場に残存しているというだけのものか。

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ただねえ、[第八話] 肝試しから帰ったら、みたいなつい今しがたまで一緒に喋っていた友人が実は今朝既に死んでいたみたいな話、有り触れ過ぎていて、もういい加減にしなさいと言いたい。 それから[第六話] 午前2時19分のチャイムなど、作った本人は気の利いたものが出来たとか思ってるのかも知れぬが、噺そのものが破綻しているだけである。噺にならない。


「チェンソーマン」でも言っていたが、悪魔の類は、恐怖や不安が大きいほど力を増し巨大化するそうだ。
確かにそういう関係性だと思う。
物理の真理から謂っても、全て(の事象)は相互作用による。

死んだら量子になるにせよ、あのような残像めいたものが暫く残ったりする次元があるのかどうか。
ともかく、人間は一度だけ生まれ一度死んで終りという真理は、どこかではっきりさせないと、大変にまずい。


後の75話も何処かでやるんだろうけど、もう観ることは流石にないな。





AmazonPrimeにて








”Bon voyage.”



金沢国立工芸館「ポケモン×工芸展」6月11日まで。人間国宝の実力派作家たちが新たな解釈でポケモンを創造。

金沢城公園、兼六園、金沢城、ひがし茶屋街、近江市場も直ぐ近く。
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