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GOMA28

Author:GOMA28
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イン・ザ・ハイツ

In the Heights001

In the Heights
2021
アメリカ


ジョン・M・チュウ 監督
リン=マニュエル・ミランダ 原作・作詞・作曲・製作
キアラ・アレグリア・ヒューディーズ 脚本


アンソニー・ラモス、、、ウスナビ・デ・ラ・ヴェガ(食料品店店主)
コーリー・ホーキンズ、、、ベニー(タクシーの配車係)
レスリー・グレイス、、、ニーナ・ロザリオ(スタンフォード大学生)
メリッサ・バレラ、、、バネッサ・モラレス(サロン従業員、デザイナー志望)
オルガ・メレディス、、、アブエラ・クラウディア(街の皆の育ての親)
グレゴリー・ディアス4世、、、ソニー・デ・ラ・ヴェガ(ウスナビの従弟)
ジミー・スミッツ、、、ケビン・ロザリオ (ニーナの父、タクシー会社経営)
マテオ・ゴメス、、、アレハンドロ(ウスナビの会計士)
オリヴィア・ペレス、、、アイリス・デ・ラ・ヴェガ(ウスナビとバネッサの娘)
リン=マヌエル・ミランダ、、、ピラグア売りの男


主人公ウスナビが幼い子供たち(彼の娘も含む)に彼の大切な御話を音楽で語って聞かせる、、、という形式。
充分、詩的に語られていた。
見応えある映画である。歌とダンスがたっぷり!サルサとヒップホップが目立つが、じっくり聞かせる曲も。
(これで生きる活力を得るんだとよく分かる)。
しかし、民衆過密映画だ。コロナ期に突入してどれくらい経つか、、、過ぎ去ったあの日の記憶みたいな、、、感もある。

In the Heights002

コーリー・ホーキンズと言えば、あの強烈な「ストレイト・アウタ・コンプトン」のドクター・ドレーではないか。
これも音楽映画であるが、ミュージシャンの伝記ではなく移民の街“ワシントン・ハイツ”を舞台にしたミュージカル。
まあ、煌びやかでよく練られた演出、音楽もなかなかのものであった。
詩的な映画と謂える。

In the Heights006

「お互いに言いたいことをどう言えばいいかわからない。だから想像し始めて、そこから歌が生まれる。」コーリー・ホーキンズがインタビューで語っていたものである。成る程、ミュージカルとはそういう場所から出て来るものなんだ。
ベニーとニーナが夕刻のビルのベランダで夏を思い語り合うシーンで重力の向きがクルっと変わって歌って踊り出す空間は、まさに詩であった。ジョージ・ワシントン・ブリッジが背景と来た。この撮り方自体は以前にも見たことはあるが(あくまでもテクニック的には)。

In the Heights004

それからアブエラが停電の日にベッドで眠るように亡くなる時の彼女の夢~想像のなかでの切々と唄うシーン「忍耐と信仰」。
更に彼女を追悼するように蠟燭を掲げて集まって来る人々(アブエラチルドレン)の厳かな歌。これには思わず泣けた。
こうして思い返すと全編にわたり詩の世界だ。

In the Heights003

スエニート~小さな夢をここワシントンハイツの住民は大切にしている。
(そのひとつに、ウスナビの店で宝くじを買うことがある(笑)。
ドミニカ共和国、キューバ、メキシコ、プエルトリコからの不法移民がたくさん住んでいる街で、スペイン語が標準語だ。
貧しい生活に耐え明るく生きている雰囲気が伝わる。とても仲が良く支え合っていることも分かる。
(とは言え、再開発の煽りで家賃が高騰して外に出てゆく人も少なくない。ここでは美容室だが、陰りが基調に混じる)。
小さなことで尊厳をもつ、これがアブエラの口癖。アブエラはコミュニティの精神的な支柱である。
この土地で若者は第二、または第三世代であるが、ケビンやアブエラは実際に故国から移住してきて大変な苦労をして生きて来た第一世代である。
成績がよくエリートでスタンフォード大学に行ったニーナはこの土地の希望の星であるが、差別と学費の滞納で退学して戻って来た。
コミュニティに衝撃が走るが、ちゃんとアブエラやパパと彼氏のベニーが元気付け、金の心配も無くす。
そしてソニーの将来の進路を考え自分の問題意識に取り込み、目的をもって再び学業に戻ってゆく。父がよい人で助かった。
(必然的に政治性は出て来るもの)。

In the Heights005

夏のうだるような暑さの中での停電。最悪の熱射(夏の停電は殺人的状況だ)。
”powerless”が「電力不足」と「無力」にかけられて歌い上げられる。
丁度今のこのわれわれの環境に重なる思い。
しかしそれも歌と踊りで吹き飛ばす。ラテン系パワー炸裂。小さきものの尊厳である。アブエラの意志でもある。
かき氷~ピラグアを売りに原作・音楽・製作者のリン=マヌエル・ミランダも度々登場してくる(笑。

ウスナビは故郷(ドミニカ)に飛行機で帰ることをいつも夢見ていた。
祖国の両親のバーを再建することが夢であるが、差別、低所得などから所詮自分の居場所はここではないという認識は固い。
どうしてもルーツに拘る、というかルーツに対する幻想が強い。
一方友人のベニーは、自分のいる場所は、友がいれば何処にも作れるという思想である。
結局、ウスナビも恋するバネッサのアートデザインに触れ(彼の店の内装をデザインしてもらったことで)、ワシントンハイツに残ることにする。バネッサへの愛がはっきり決め手となった。
アブエラがウスナビに残してくれた、彼の店で当てた宝くじをソニーの今後のサポートに使うことは、もっともよい使い方だと思う。
少なくとも国に帰ることに使うよりは。

In the Heights007

ウスナビとバネッサはどうなったのか、それは最後に娘が海に遊びに行っていい?と聞いてきたときママがいいと言ったらね、と返すところ。出て来たそのママが彼女であった(笑。充分ここで幸せを築いていたではないか(分かっていたが)。
何だかめでたい気分で観終わった(笑。

”US NAVY”がウスナビの名前の由来というところが笑える。





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ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結

The Suicide Squad001

The Suicide Squad
2021
アメリカ

ジェームズ・ガン 監督・脚本
ジョン・オストランダー『スーサイド・スクワッド』原作


マーゴット・ロビー、、、ハーレイ・クイン(元精神科医)
イドリス・エルバ、、、ブラッドスポート(最強のスナイパー)
ダニエラ・メルシオール、、、ラットキャッチャー2~クレオ・カゾ (ネズミをコントロール)
ジョン・シナ、、、ピースメイカー(残忍で凄腕のマキャベリスト)
デヴィッド・ダストマルチャン、、、アブナー・クリル ~ポルカドットマン(水玉チップを射出、母を憎む)
ジョエル・キナマン、、、リック・フラッグ大佐(現場指揮官)
スティーヴ・エイジー(声:シルベスター・スタローン)、、、キング・シャーク~ナナウエ(サメと人間のハイブリッド)
ヴィオラ・デイヴィス、、、アマンダ・ウォラー(タスクフォースXの冷酷な司令官)
ピーター・キャパルディ、、、シンカー(「スターフィッシュ計画」宇宙怪獣スターロを研究するマッドサイエンティスト)
フアン・ディエゴ・ボト、、、シルヴィオ・ルナ将軍(コルト・マルテーゼ島の独裁者、ハーレイ・クインの大ファン)
ホアキン・コシオ、、、マテオ・スアレス長官(コルト・マルテーゼ島の軍の指揮官)


スーサイド・スクワッド」の続編か。これもスリリングで(グロテスクでもあるが)目を離す隙も無い映画であった。

The Suicide Squad003

小さい弾丸、小さい生き物が闘いを制する。小さなものを守る。
ブラッドスポートは小さな弾丸で勝利し、クレオ・カゾは小さなネズミの大群で巨大なスターロを倒す。
小さな子どもを殺すと言った者は皆制裁を受ける。シルヴィオ・ルナ将軍はハーレイ・クインに撃ち殺され、アマンダ・ウォラーは部下に殴り倒され失神する(その間にハーレイ・クインたち生き残りメンバーがコルト・マルテーゼの街を怪獣から救う)。
そんな闘いであった。ハチャメチャな(爆。

The Suicide Squad002

ともかく、キャラが奇想天外、技も派手で多彩だが微妙。闘いに向いているのかどうか分らぬキャラも少なくない。
(皆、スーパーマンやバットマンの宿敵であったりする錚々たる面々のはずだが)。
明らかに優秀な戦闘員であり指揮官であるキャラもおり、ハーレイ・クインみたいな戦闘力おばけみたいなのもいるが、
タスクフォースX側にしてみれば、どうでもよい捨て駒で上手く行けば「めっけも」のという感じか。
気に食わなければ脳内に埋め込んだインプラント爆弾で頭をいつでも木っ端微塵に出来る。
冒頭から如何にも強者顔で登場していたサバントも敵前逃亡でアマンダ・ウォラーにスウィッチ押され頭が吹き飛ばされていた。
政治的にかえって好都合だからそのまま怪獣に暴れさせておいて帰れと命令されたにも関わらず街を救いに出たスクワットメンバーも同様に彼女は爆殺しようとする。
それはタスクフォースXの部下により阻止されるが。

The Suicide Squad004

この映画は、面白キャラがほぼ全体を埋め尽くす奇想天外な闘いにおいて、敵をハチの巣にしたり八つ裂きにしたり粉微塵に吹き飛ばしたり引き裂いて喰ったりするのを愉しむものである。
これからの作戦などが背後に燃え盛る炎の文字によって示されたりの演出も愉しい。
それ以外に何があったか思い出せないものだが(笑。
しかし最後に「kaijyu-」が出た!と騒ぐ終盤は特に面白いところ。
怪獣だけでなくそれに操られた軍人や街の人々相手に残ったメンバーだけで闘うが流石に多勢に無勢で分が悪い。
そこに出て来たのが、派手な無敵のハーレイ・クインではなく、地味なクレオ・カゾ~ラットキャッチャー2である。
手にしたコントローラーを天に向けたポーズが自由の女神みたいで決まっていた。
ネズミの大群が数で圧倒的に勝っていたのだ。巨大なクリーチャーが見る見るネズミに噛まれて沈んでゆく。

The Suicide Squad005

ハーレイ・クインが死んだジャベリンに託された槍で大きな目玉に突っ込み、そこから大量のネズミが侵入して内部から食い破ることで宇宙怪獣スターロは倒れる。
操られていた人々も皆こと切れる。
任務は遂行した。ウォラーには文句は謂わせない。
反政府組織のリーダーがインタビューで彼らの活躍を称え、それをTVで観たブラッドスポートの娘が父を誇りに思う。
こちらの(個人的)目的も達成した。

The Suicide Squad006

アメリカ政府は「スターフィッシュ計画」と謂う秘密裡に危険な実験を行っているナチス時代の研究所ヨトゥンヘイムを破壊すれば減刑する取引でスーサイド・スクワッド部隊を組織する。一行は、南米の島国コルト・マルテーゼに向かう。
フラッグ大佐率いる部隊は上陸したところで内通者がいたために潜んでいた敵に集中攻撃に合い、大佐とハーレイ・クイン以外は皆死ぬ。
少し遅れて上陸したブラッドスポート率いる部隊は、そのお陰ですんなり上陸。
その後、フラッグ大佐、ハーレイ・クインも合流しヨトゥンヘイムを攻めるというもの。
その流れの間で色々な鬩ぎ合いがあり、反米の象徴と目されるハーレイ・クインがシルヴィオ・ルナ将軍のプロポーズをもう少しで受けそうになったり、反政府組織と結託して軍事政府を倒したり、シンカーを拉致してヨトゥンヘイムに乗り込み、巨大なスターロが暴れ出し塔が崩壊する中、スリリングでアクロバティックな攻防が炸裂する。その間、研究所を調べるうちに「スターフィッシュ計画」がアメリカ政府主導で行われている極めて非人道的(反政府活動家を人体実験に使った)研究であることを知る。フラッグ大佐はそのスキャンダルデータをマスコミに公表すると決めるが、その情報隠滅の特命を受けていたピースメイカーに殺害されてしまう(準主役みたいな存在だったのに惜しい)、更にピースメイカーはクレオ・カゾも殺害しようとするが、そこへ漸近的に崩れ落ちて来た床に乗ったブラッドスポートと銃の一騎打ちとなる。
ピースメイカーの放つ大きな弾丸を打ち砕くブラッドスポートの小さな弾丸が勝利し、上記の怪獣大暴れのラストファイトへと展開する(ウルトラマンなどでも観たような郷愁を誘う光景でこの辺、日本人には親和性が高いのではないか)。

The Suicide Squad007

とてもよく出来たエンターテイメントである。
無敵のハーレイ・クインがともかく凄い。
ここでは更にキング・シャーク~ナナウエのタフさが圧倒的であった。
彼を手懐けたラットキャッチャー2の功績も大きい(彼女がいなければ奴はチームのメンバーを喰っていた)。
キャラがとても面白いのも魅力のひとつ。

次回作への繋か。瀕死のピースメイカーが病院で蘇生したところで終わり。この男が今度のキーマンとなるのか?





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ヴァンキッシュ

Vanquish005.jpg

Vanquish
2021

アメリカ

ジョージ・ギャロ 監督
ジョージ・ギャロ サミュエル・バートレット 脚本

ルビー・ローズ、、、ヴィッキー(元運び屋)
モーガン・フリーマン、、、デーモン(元警察署長、現ギャングのボス)
パトリック・マルドゥーン
ニック・バレロンガ


こういう悪徳警官やギャングや州知事から黒い金を巻き上げ、バリバリ撃ち殺して自分の為に使うぞと、トンずらするストレートな映画は好きだ。
細かい事や複雑な捻りやトリックもどんでん返しもなく、スッキリしている。
ここまであっけらかんとしていると爽快感があって良い。
「映画」としての出来とかは、モーガン・フリーマンが出ていれば、それなりの風格のものになる。
(ただし、もしここに彼がいなかったら商品としては成立しない。もう85歳なんだね。長生きして欲しい俳優だ)。

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ヴィッキーは拳銃とバイクが凄腕の、かつて運び屋で名を馳せた女性。
そのためか現在は丸刈りで身元がバレないようにしている。
かつて酷い目に遭った悪党たちも、デーモンのもとにいることで彼女に手出し出来ないことになっていた。
(今は足を洗いデーモンのもとで静かに娘と暮らしていたのだ)。

しかし問題が持ち上がった。彼女はどこの病院に診せても分からない娘の難病でとても悩んでいたのだ。
大金が必要となってくる。
これまでずっと彼女に何もやらせないように庇護していたデーモンであったが、一晩で大金の受け取りを5か所も回らせようとする。
一度、外に出てしまえば、忽ち敵が襲って来る彼女であった。リスキーであることは言うまでもない。
娘がいるため彼女は固辞する。しかしデーモンは娘を安全な場所に移し、彼女に是が非でもやらせる。
銃撃戦は必須であり、バイクと車のチェイスもタップリ入ってくる。
劇中の悪党も言っていたが彼女は、タランティーノ映画みたいに大量の死人を出してそれぞれの集金場所から金を回収して来る。

Vanquish004.jpg

デーモンはかつては優秀な捜査官として活躍し警察署長にまでなったが、ギャングの報復により車椅子生活を余儀なくされていた。
そして今や裏世界にどっぷり浸かってフィクサーをやっていたが、そんな自分に嫌気がさしていたところだ。
もうこの生活から抜けられないなら、最期に良い事をしようと決意する。そして総括であった。

身の回りの世話をしてくれているヴィッキーが娘に良い病院で検査・治療の出来るようにしてやりたい。
そうおもって彼女に課した周到に計画された悪徳グループからの金の回収プランであった。
ついでに全てまとめて葬ってやろうと、、、。
激しい銃撃戦とカーチェイスを交えてヴィッキーはタフに回収をして来る。
そして5件目が終わったところで、彼は娘をヴィッキーに返し、集めた金を全て彼女に渡して、直ぐに逃がすのだ。
ヴィッキーは一緒に逃げようと誘うが、彼は覚悟を決めており、邸宅に独り残った。

Vanquish002.jpg

デーモンの差し金でヴィッキーが回収していたことは悪党の残党は皆知っており、当然の如く彼の邸宅に武装して押し寄せて来る。
全て計算の内である彼は連中が集まったところで館もろとも道連れで大爆破(悪党どもの大掃除であろう)。
これで直接ヴィッキーに恨みを持って追いかけて来る輩はいなくなったかも知れぬが、FBIとかはしっかり把握しているだろうし、彼女も手放しで喜べるものではないはず。
最期は、母娘ふたりでスポーツカー(州知事からせしめた車)を飛ばして理想郷に旅立つような絵である。
物凄く解放的でハッピーなエンディングであったが、、、。

大丈夫なのか。
この映画であれば、大丈夫。
娘の難病もせしめた大金で治り、母娘ふたりで幸せに暮らしましたとさ。
である。絶対。こういう噺があって良い。

Vanquish001.jpg

それにしてもアメリカ映画にはギャングとつるんでいる悪徳警官がよく出て来る。
ここではFBI捜査官もグルと来た。
使ってもバレない裏金も凄いようだ。
或る意味、伸び伸びしているではないか。





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ダーク・アンド・ウィケッド

The Dark and the Wicked001

The Dark and the Wicked
2020
アメリカ

ブライアン・ベルティノ 監督・脚本・製作
トム・シュレーダー 音楽

マリン・アイルランド、、、ルイーズ(姉)
マイケル・アボット・Jr、、、マイケル(弟)
ザンダー・バークレイ、、、ソーン神父


今日も父親のために田舎に帰って来てとんでもない災難に見舞われる御話。
(結構多いのね、この設定)。

父危篤ということでテキサスの田舎に姉弟が帰郷する。
父を独りで診ていた母が、看病疲れから精神も参っているのか塞ぎ込み、何故帰ったと二人を責める。
そしてその翌日、母は首吊り自殺を遂げた。

The Dark and the Wicked003

尋常でない邪悪な禍々しい空気が漲っている。
そこで、母の自殺に心を痛めながら彼女の日記を読む。
彼~実体の分からぬ何者かが忍び寄り両親を苦しめていたことを知る。
何かが外からやってきたことが窺えるのだ。
それはその夜から2人のもとにも現れるようになる。
悪魔は自分たち以外にも関係する神父や看護人の命も狙っているのだった。

The Dark and the Wicked006

今日は何と老母が指を包丁で切り刻む。参った。一番こういうのが苦手。
ホラーでも痛いのはご免だ。
自分の両目を刺したりして、痛い目に遭いどんどん死んでゆく。
そう次々自殺して行く。
羊も大量に殺されるが、何者にどのように殺されたのか。

The Dark and the Wicked004

その魔物~悪魔は一切その姿を見せず、死んだ者の姿を借りて現れる。
「あなたは偽物よ!」と叫んでも、そんな確認いれたところで何にもならない。たちまち絡めとられる。
(この悪魔、襲う人間の大切な人の姿を借りたり、その人を思うままの姿で幻視させる)。
そして追い込み自殺の形で命を奪う。
妙なクリーチャーが出現して武器などで殺傷する類のものではない。
これはある意味、もっとも怖い。そこで閉じてしまい(殺人)事件にすらならない。

The Dark and the Wicked002

しかし何でこの家族にこんな魔物がとり憑いたのか。
それは全く明かされない(明かす立場の人がいない)。
ただ死んだ母親に散々納屋で甚振られた後、生前母に言われた「何で来たのか。直ぐ帰れ」という言葉を思い返し、弟は大切な家族のことを思い逃げ帰る。
意識のない父を看取るどころの噺ではない。もはや自分を守ることが優先事項と考え直す。
最もなことだ。だが姉は反発する。父を見捨てて自分だけ逃げるのか、と。

逃げ出した弟が這う這うの体で家に帰ると、家族が皆自殺している。
疲労の極みでこれを見たら、これも奴の幻だなと思う余裕もなかったか(いや仕業だと思って早合点したのだ)。
追い込まれた末の余裕のない彼はナイフで後追い自殺。
その後に妻と二人の娘が元気にショッピングから帰って来る。
後の祭り。

The Dark and the Wicked005

実に邪悪。
邪悪な何か。
何がとり憑いたのか。何故狙われたのか。
姉の看病の甲斐なく父も亡くなる。
その直後、娘に襲い掛かる魔物の父を映してエンドロール。
これ程救われない噺があるか。
また悪魔と彼女らが闘っている最中、実はわたしも壮絶な闘いを睡魔相手に繰り広げていた。
(もうひとつの魔物との闘い)。


最近稀に見る眠気を誘う映画である。
噺や演出もそうだが役者が皆クタクタに疲労困憊しているのだ。姉のやつれようと謂ったらもう悲惨なレヴェル。
こちらの蓄積疲労も自ずと噴出してくるというもの。
夏バテホラーか。




Wowowにて







スペル

Spell013.jpg

Spell
2020
アメリカ

マーク・トンデライ 監督
カート・ウィマー 脚本
ベン・オノノ 音楽

オマリ・ハードウィック
ロレッタ・デバインロレッタ・デバイン
ジョン・ビーズリージョン・ビーズリー
ロレイン・バローズ


以前観た同名の「スペル」が大変ショッキングで悲惨な映画であったが、これはもう生理的にグロテスクと謂うか痛い映画で、ちょっと正視出来ないシーンが幾つかあった。
あんな長い釘を足に刺されただけでも飛んでもない状況なのに、死ぬほどの痛みをこらえてやっと引き抜いたものを、あちこち歩き回って戻って来てからまた律儀に刺し戻すってどういうこと?やめて!と言いたい(怒。
それから猫に何するんだ。である。

Spell011.jpg

大都会で成功者として颯爽と生きる黒人男性と優雅に暮らすその家族(妻と長女と長男)。
突然の父の訃報でプライベートセスナに乗り家族4人で辺境の地に戻ることに(車ではダメなのね)。
父とは絶縁していたこともあり、戻る必要もないのだが、、、。わたしなら戻らない。忙しいし。
途中の給油所で、ブードゥー教の呪いから身を守るお守りを店主から勧められたがあっさり断る。
そして故郷の直ぐ上空まで来た時に嵐に見舞われセスナは操縦不能に、、、。
気づくと自分一人が老夫婦と暴力的な使用人のいる民家のベッドに半ば拘束状態で囚われていたことに気づく。

ここからもう、家族がどうなったのかという不安。
足の傷がかなり酷く、呪いで治せるとか言われて先が真っ暗なのにまともに移動も出来ない不安と恐怖。
老夫婦が完全におかしい人間であり、集落の人全てがここの老婆に操られていることを知るに至り、絶望感に苛まれる。
(絶望感と言えば、このようなホラーにつきもののシーンとしてやっとのことで外に出て自分の頼みとする人に縋り脱出成功と思いきや、その人間によって脱出したばかりの場所に連れ戻され万事休すというパタン。何度見たことか。ここでもそっくりのパタンを観てしまった(爆)。

Spell012.jpg

わたしは釘を抜いて何とか移動が出来るようになったところで、誰かを頼らず全力で逃げてゆき、戻ったりしない。
(まず抜けるかが問題だが)。
違うルートで家族を捜索する。
まずは乗って来たプライベートセスナの墜落現場に立ち戻りそこから始める。
あの変な老夫婦に長いこと関わっていると事態は改善どころか、殺されるのは目に見えているし。
あの自分に似せて作られた気味悪い人形は持って逃げる。
それに何かされては大変だ。

この主人公はその富豪ぶりからも大企業専任の大変優秀な弁護士のようだが、やはり柔軟性(適応力)と学習力(吸収力)も素晴らしい。それにこの老夫婦度々集会で家を空け、隙が多いのだ。その間に動き回り探ったり準備したりできる。しかし彼は必ず策を弄した後ベッドに戻って来るのだ。
そんなことをしている間に鼻にもかけなかったブードゥー教の呪術をリーダー格の老婆の観察から習得してその呪術をもって逆襲するまでになる。
相当な能力の持ち主で、他の流派の拳でも瞬時に見極め自分のものとして使える北斗の拳のケンシロウみたいだ(他にわたしはこんな人知らない)。
秘薬も予め入れ替えておいて肝心な時に大逆転を果たしたり、ここぞという時に塩を撒いて結界を張ったり、、、老婆のブードゥー人形を自作しておいたり、それは造形能力だけの問題ではなく呪いの念も籠めるのだろうが、その他の敵の人形もしっかりいつの間にか作っておいて肝心な時に人形に災難を仕掛けて相手(本体)を倒すなど、もう呪術の上級者ではないか。リーダーの老婆の上を行っている。
わたしもモノづくりは大好きだが、こんな過酷で不安で切羽詰まった状況下でお人形作りをしていられるか、自信が無い。
(単なる造形能力を超えた~やはり亡き父の土地である~このブードゥーの血が彼にも流れているのだ)。

Spell010.jpg

ということで、前半は軟な都会のエリートから後半はルーツに触れ覚醒した呪術者として無双の闘いを見せる。
わたしはこの展開に無理は感じなかった。ヒーロー覚醒と受け取ってよい。
足があの状態である。普通の人間なら一歩も歩けるはずもないところ、堂々と闘っているのだ。
あれだけの深手を負ってこんなに気丈に闘えるのは、やはりケンシロウくらいしか知らない。

父に幼少時代、辺境の地で虐待を受けて育ち、そのルーツを否定する形で大都会で(知性により)成功を収めた彼であるが、今は内に秘められた能力にも目覚め力強い男になった、と謂える。
ただし、家族が皆生きていたのは良かったが、息子が右手を失くしてしまったことは、痛恨の極みであろう。
(もしかしたら老婆に出された食事の中にその手が煮込まれていたのか。これは内緒にしておいた方がよい)。
BGMは効果的であった。


「スペル」はわたしにとって、どちらもキツイ映画であった。



Wowowにて



レミニセンス

Reminiscence003.jpg

Reminiscence
2021
アメリカ

リサ・ジョイ 監督・脚本・製作

ヒュー・ジャックマン、、、ニック・バニスター (記憶潜入エージェント)
レベッカ・ファーガソン、、、メイ(謎の歌手)
タンディ・ニュートン、、、エミリー・“ワッツ”・サンダース(ニックの助手)
クリフ・カーティス、、、サイラス・ブース
ダニエル・ウー、、、セント・ジョー
ブレット・カレン、、、ウォルター・シルヴァン
ニコ・パーカー、、、ゾーイ
アンジェラ・サラフィアン、、、エルサ・カリーン
ナタリー・マルティネス、、、エイヴリー・カスティッロ
マリーナ・デ・タビラ、、、タマラ・シルヴァン


Reminiscence001.jpg

記憶。出来事の記憶。
かけがえのない出来事を痕跡としていつまでも残しておきたいと思うのなら記憶に留めるしかない。
しかし記憶は自ずと薄れ変質して褪せてゆく。その際、脚色して美化してみたりその反対であったり、最初の印象は違うものとなることもあろう。そしてそれもやがて消え去ってゆく。
これが悪いものなら忘れることで精神が守られるが、そうでない場合、やはり文字や絵や音楽、写真、動画などでその本質を濃密に残しておきたいと思うだろう。SF映画のマッドサイエンティストならクローンで残すとか、荒唐無稽なことをしでかしたりするが(ただ赤ん坊から育てるのは大変だぞう)。

また。記憶と時間を絡めるのは無理がある。これは止めたい。基本、記憶と時間は関連しない。
時間は一様に大局的に流れるものでもなければ、方向性も持たない。
出来事ごとの固有時が泡の如く生じるだけ。
時間は微細に無限に明滅する。

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「過去」と謂うより、「ある出来事」の方が分かり易い。
そして何が起きたかは、特定の視点によってそのように決まるだけであり、それ以外の何ものでもない。
外部から物事を観ることは原理的に不可能なのだから、内面から「世界」を観る他ないのだから、ある出来事はわたしの出来事~過去の思い出で差し支えないが。

その思いに強烈に囚われる人がおり、この物語の主人公がそれだ。
面白いのが様々な視点による思い~出来事を拾い集めて、関心を持つ女性について自分の知らない事柄を繋ぎ合わせ彼女の全体像を得ようとするところだ。それが視覚的に3Dで再現される装置によってなされ、終盤他人の記憶のホログラフィと主人公が抱き合って思いを伝えあうシーンなど、新鮮で切なく無常感が充満してきて素敵であった。(主人公にとり、これまでより深く相手を受けとめてはいても相手は他者の記憶像に過ぎない相互作用のまるでない関係であることが悲しい)。

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ひょんなことで出逢い、恋に落ちた女性が突然消える。
やはり「思い」というものが強力に発動する契機は「消失」か(喪失でもよい)。
彼の抱いていたその女性像が他の犯罪者の記憶から抽出され驚き狼狽える。
主人公の方向性が決まり、執念を燃やして、彼女の痕跡と全体像を他者の記憶を辿りながら探ってゆく。

結局彼女の闇の部分を知ることになるが、お互いの直接的な関係により築いた愛は確かなものであったことは確認できた。
彼にとってはそれだけであろう。それが何よりも欲しかった思いなのだ。
それさえあれば、、、すでに彼女は死んでしまっていてもしっかり生きてゆくことが出来る。
と思うのだが、この主人公、その後ずっと~一生装置に入ったまま彼女との思いの中で生きることを選ぶ。
彼の最大の理解者で、彼を常に守って来た助手の女性は、装置で眠り続ける彼を見守りながら、現実を娘と共に生きることを選んだ。

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なかなか面白い着想だと思う。
この監督、この線で今後も頑張ってもらいたい。
記憶というと直ぐに過去に結び付け、タイムトラベルとか持ち出す安易で低俗なSFがよく見られるが、それを回避しているところが良い。
「思い」というものにひたすら拘り迫ったSFであった。




Wowowにて








カオス・ウォーキング

Chaos Walking007

Chaos Walking
2021
アメリカ

ダグ・リーマン 監督
パトリック・ネス、クリストファー・フォード 脚本
パトリック・ネス『心のナイフ』 原作
マルコ・ベルトラミ、ブランドン・ロバーツ 音楽

トム・ホランド、、、トッド
デイジー・リドリー、、、ヴァイオラ
マッツ・ミケルセン、、、プレンティス首長
デミアン・ビチル、、、ベン
シンシア・エリヴォ、、、ヒルディ
ニック・ジョナス、、、デイヴィー・プレンティス・ジュニア
デヴィッド・オイェロウォ、、、アーロン牧師


Chaos Walking002

西暦2257年はどうでもよいが、「思い~思考」が”ノイズ”として周りに読まれてしまうというのは何とも困る。
そんな場では一瞬でも居た堪れない。
秘密~自我があるからこそアイデンティティ~人権が保てる。
筒抜けでは、完全に体制(権力)に絡めとられ支配されてしまうではないか。
それに他人の思いや考えが包み隠さず分かってしまったら、まともな人間関係など維持できない。
殺意の敵対関係しか生じまい。それを治めるには強大な権力~暴力以外にあるか。
飛んでもない。

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然も男にはノイズという現象があり、女にはない。この“ニュー・ワールド”という星に来た時からそうなったという。
それが元で、首長によって女全てが虐殺されたと、、、。しかし首長はノイズをコントロールできるようだが。
とは言え何なんだ。女は何考えてるか分からない恐怖の存在なのか。この臆病者が。
女がいなければ人類は途絶えるだけであるがどういう考えなのか。
その犯罪は先住民がやったことだと男たちを洗脳して統治していた(この先住民がやたらと怖いクリーチャーで、女を殺したと言われても誰もが納得してしまうフィギュアではある)。
この首長と牧師がこの歪な共同体をまとめている。飛んでもない。

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そこに宇宙から女性が小型偵察艇の故障で不時着する。
一番年の若いトッドは美しい女性というものを初めて見て一目惚れとなる。
それは無理もない。
この女性が母船に帰るところを狙い母船を乗っ取る計画を練る首長であるが、トッドは彼に引き渡さない。
育ての親のベンたちにまだ女性の生きて生活している共同体へ彼女を連れて逃げるように言われる。
トッドは自分たちの世界しかないと教育されてきた為、驚く。
首長や牧師の謂うことは、ことごとく嘘であったことに気付いてゆく。自分の尊敬していた者が最大の敵であった。
ベンに母の手帳を渡され初めて見る別の共同体には、自分より若い男女も生活しているではないか。

Chaos Walking006

そして先祖が同じ地球人であるヴァイオラに手帳を読んでもらうことで、完全に自分が洗脳され操られて生きて来た事を知る。
文字を学ばせず本を全て処分させるやり方はずっと続いていたのだ。
こうすれば皆が無知蒙昧の状態で何とでも操作が利く。
文字は常に、外部への幾つもの扉を開いてゆくものだ。
更にノイズで思ったこと考えたことが読まれてしまっては、もはや家畜や奴隷ほどの存在にもなるまい。
星~場によってそうなるというのはちょっと新しい発想に思えた。
それから、ノイズをコントロールして武器にも使えると謂うところは面白い。これを利用しもう少し描きこめばスリリングで新鮮なバトルも観られたはず。

Chaos Walking005

そう、残念な点は、第一波とか第二波とか言っていたが、何の事かは分からず仕舞いであった。
偵察というのも、無人衛星で地表の様子など幾らでも観測できるはずだが何でわざわざ有人飛行する必要があったのか。
過去にヴァイオラの先代が来ているのなら、この地の住人のことや先住者との関係も記録があってよいし来るのだから知識として持っているのが当たり前だと思うが。
原作を読めば分かるのか。
今一つ世界観が掴めない。何と言うか共同体の描き方が薄い。先住者などほとんど分からず仕舞いではないか。
あれだけ姿を見せておいて(しかも彼は片腕であり、思わせ振りのまま)。
もう少し後半から終盤にかけて様々な驚きの進展を期待したが、尻つぼみ状態で終わってしまった。
深手を負ったトッドは、幸い彼女の母船で治療を受けて元気になりヴァイオラも彼に対し心を開いてきたが、、、。
どうやら2人は、母船から降りて、“ニュー・ワールド”で住みやすい共同体を作ることにトライするようであった。
重力の関係からしても宇宙船で暮らすより惑星上で生きた方が健康的だと思う。

Chaos Walking001

もう一つの方の共同体を更に住みやすくしてゆけば良いと思うが。
それまで彼のいた共同体は糞であるし。

色々と惜しい作品である。あと一時間加えて内容を充実させるべきであった。




Wowowにて
録画映画が、たまりにたまってしまった。これからは、ここから観てゆくか。








ドーン・オブ・ザ・デッド

Dawn of the Dead006

Dawn of the Dead
2004
アメリカ

ザック・スナイダー 監督
ジェームズ・ガン 脚本
ジョージ・A・ロメロ オリジナル脚本
タイラー・ベイツ 音楽


サラ・ポーリー、、、アナ(看護師)
ヴィング・レイムス、、、ケネス(警察官)
ジェイク・ウェバー、、、マイケル(テレビのセールスマン)
メキー・ファイファー、、、アンドレ(黒人青年、ルダの夫)
タイ・バーレル、、、スティーブ(裕福なビジネスマン)
マイケル・ケリー、、、CJ(警備員)
ケヴィン・ゼガーズ、、、テリー(若い警備員)
リンディ・ブース、、、ニコール(フランクの娘)
ジェイン・イーストウッド、、、ノーマ(50代の女性)
ボイド・バンクス、、、タッカー(40代男性)
インナ・コロブキナ、、、ルダ(アンドレの妻、妊婦)
R・D・レイド、、、グレン(教会のピアニスト)
キム・ポイリアー、、、モニカ(スティーブの愛人)
マット・フルーワー、、、フランク(ニコールの父)


凄い迫力。獰猛で運動神経の良い激速ゾンビが次々に波状攻撃を仕掛けてくる。
猛獣と戦っているみたいだ。
ゾンビ映画の中で最も手強いゾンビに違いない。
ただボ~っと歩いているゾンビとは殺傷力が段違いなのだ。
しかもその数が凄まじい。広がり方はパンデミック。
ゾンビ映画はほとんどそうだと思うが、この驚愕の現象に対する妙な理論とか理屈をつけず、ただゾンビがいきなり現れ襲ってきて人類は激減し反比例でゾンビが増殖するという定石がある。これもソレにもれず只管ゾンビとのスリリングな攻防に徹して描かれる。

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噛まれた傷口から感染し、心肺停止してからゾンビとして蘇るところと頭をぶち抜かないと死なないという点は他と同じ属性である。
何かのゾンビもので、ものを考えるケースもあったが、これも襲い来る時の多彩さはボケっと立ち歩くゾンビとはかなりかけ離れている。侵入口の特定などかなりの目である。
犬に対して無関心であったが、他のゾンビ映画で犬を襲うものがあっただろうか(恐らく無いと思うが)。

わずかばかりの生存者があちこちから集まって来るが、到底太刀打ち出来るレヴェルではない。
武器や食料にも限界はある。
銃撃戦や爆発物で蹴散らしてみてもキリがない。
何処に籠城しようが、持ちこたえられるのは時間の問題。
幾ら頑丈な閾を作ろうが、食料の調達が必要になると何処かを開けなければならなくなる。
そのほんの隙間を付け込まれる。
数の凄さだ。どんな小さな隙間も見逃さず入り込んでしまう。

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大型ショッピングモールに立て籠もるパタンは多いが、やはりそうなるのだろう。
(当面の衣食住確保の点から言ってもこれ以上の場所は思いつかない。ただしゾンビも生前の記憶・習慣からぞろぞろやって来る)。
立て籠もる側の人間にも色々いる。
それぞれの人間~模様はとてもよく描かれていたが、考え方も感性も異なり、個々に事情も抱えているものだ。
なかなか歩調が合わない。数少ない人類である。その保存は何よりも優先しなければならないはずだが、自分だけ助かろうとする者も出て来る。必ず墓穴を掘って死ぬが。
またこういう非常事態にとても強固な友人関係も生まれる。ケネスと向かいにある銃砲店の店主アンディのように意気投合する場合もあろう。
アナとマイケルのように愛が芽生えることもあろう。
スティーブとモニカみたいにこんな時だから享楽的に行こうというカップルもいるか。

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ひとりまたひとりと馴染んだキャラが命を落としてゆく。
それぞれの人物像をしっかり描いている為、感情移入してしまう。
(脚本がちゃんとしているのだ)。
そしてあるところまでは、信念と同胞を守る意志のあるものがしっかり生き残るが、究極的な状況までくると、もう運である。
ここでも常に冷静で仲間を大事にし、効率的な戦術も立てられ人望も篤い主人公と思しきマイケルもアナを助ける際に腕を嚙まれてしまい、最後の船に乗って脱出するところで、残りの仲間を見送って、独り自害する。
アナの気持ちが充分に察することが出来る切ない場面。

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そして、パニックものの多くは、残りの者たちはどうにか苦難の末、ゾンビのいない島に到着して夕日を見つめ安堵に浸ったりするものだろうが、この映画はエンドロール中にフラッシュされる光景からは、安全だと思って着いた島には夥しいゾンビが控えていて激しい銃撃戦が繰り広げられてゆく様子が断片的・衝撃的に伝えられるのだ。
結局どうなったかは定かでないが、全滅のケースも充分あり得る。

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正直、一瞬も眼を離せない緊張感のまま観終わった。
テンポが良く、ビートも利いている。
なかなかのロックである。



AmazonPrimeにて








映画 としまえん

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2019

高橋浩 監督・脚本

北原里英、、、辻本早希
小島藤子、、、香西杏樹
浅川梨奈、、、横峰千秋
松田るか、、、佐藤亜美
さいとうなり、、、樋口かや
小宮有紗、、、小林由香


以上、高校のクラスの仲良しグループ
(今は皆大学生になっている。小林由香のみ3年前に失踪)。

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「としまえん」という映画があるのは、うっすらと知ってはいたが、何かで糞味噌な酷評されていたのを見て、敬遠してそのまま忘れていた。
今回、軽めでちょっと夏らしく怖めの映画をさがしていたら、ここに行き当たった。
としまえんももうないし、それも目当てで観てみた。

竹中直人が一瞬だけ出るというの、どういう使い方なのよ、、、。

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酷評していた人々はどういう期待をして観たのだろう。
(わたしは、お気に入り監督の作品以外は基本的に何の思い入れも持たずに見る)。
もっとも、主要キャストでは、さいとうなりと言う人以外は皆知っていたので馴染み易かった。
特に先日観たばかりの小島藤子さんといい、もうすっかりTV、映画、舞台、声優でお馴染みの小宮有紗さんである。
(松田さんは賭ケグルイ・仮面ライダー、浅川さんは人狼ゲーム・咲とかで)。ただそれだけでも楽しく観られるではないか。

噺もとしまえんに纏わる都市伝説を思春期の少女たちの友人(友情)関係と絡め、ホラーテイストにまとめている。
とは言え、基本はとしまえんの呪いではなく、「由香の呪い」である。
冒頭から見ていて普通に気付くのは、由香が早希に特別な(同性愛的な)思いを強く抱いていること。
単なるお友達ではない。だからふたりで特別な時間を過ごしたいのだ。
しかし、早希にはそうした思いが共有できず、グループの他の4人との仲の方を大切にしてしまう。
つまり早希は由香のことがさほど好きでも大切でもなかったのだ。ここが悲劇のもととなる。

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更に、グループの他の子たちがユカをからかう(元々グループから外そうともしていた)。
彼女に独りでとしまえんの呪いを実践してみてとリーダー格の杏樹が煽る。
由香は早希に冷たく突き放された反動で、やる気もなかったとしまえんの呪いを言われたとおりにやってしまう。
そして彼女たちの前から姿を消し、由香の家も今は売り家となっている。

グループの子たちの接し方は特に虐めという類のものではない。
由香自身が他の子に対し壁を作っている為、極自然な反応の範疇と言える。
問題は早希が由香の気持ちをまったく汲んでいないということ。
そこに由香の苦悩があった。

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それから凄いのは、「としまえんの呪い」というのが、百発百中なのか。それって危険すぎるだろ。
であれば大きな事件として扱われるべきものである。少なくとも都市伝説とか言って軽んじていられるものではない。
『古い洋館で扉を叩く、お化け屋敷で返事をする、鏡の部屋で秘密の鏡を見る、そのいずれかで秘密の場所に連れて行かれる』という聞いただけでアホかと思うようなものであるが。そして『メリーゴーランドに乗ること』でそこから脱出できるという、、、のだが。
その秘密の場所からメリーゴーランド乗り場までは問題なく行けるのね?ここが上手く行ってなかったみたいだが。
ともかく閉じ込められてしまうようなのだ。「秘密の場所」とかに。メリーゴーランド乗っても電源切られたりして。
この世界と相互作用しない平行世界に置き去りにされるみたいな。
ここで竹中直人とかがひとつ絡んでくるのかと思っていたが、何もなし。これでいいのか?
(絡んできたらSFになってしまうか?この噺でSFに持って行くのは辛い)。

更に気になったのが由香のお化けが古すぎる。番町皿屋敷でもあるまいに。もうちょっと何とかならんの?
小宮さんもきっと嫌だったろうな、、、。絶対に嫌だったろうな。古い。古すぎるときっと怒ったに違いない。

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結局、海外留学を控えた辻本早希も含め全員失踪となる。
これって大事件だぞ。都市伝説とか言って冷笑してる場合じゃないだろ。
早希一人だけ助かったみたいなところを見せておいて、そんなに甘くないぞ~というエンディングは、救いが無くて良かった。
(よくある、ああすべてが夢だったのねえ、というパタン。これほとんどがどんでん返し一歩前に設置される(爆)。

やはりあれでは小宮さんではなくて由香が可哀そうである。
早希が一番問題であった。他の友人も巻き添えに近い。
そしてひとりまたひとりと消えてゆき、追いつめられるともう自分の身だけ。
女の友情なんてこんなものよ、みたいなのを示そうとしたのか、監督は?
そんな気もした(笑。

結局、由香はメリーゴーランドに乗ると抜けられることを知らないので、そこに居続けたのか。
それともそこに皆を引き摺り込む為に居続けたのか。
引き摺り込む為ならもっと早くやっていてもおかしくないと思うのだが、、、。
竹中直人は納得してるのか?それが最大の不可思議だったりして。

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最初の実況配信はのっけから観る気失くすので、カットが良かった。
また最後のとしまえんの呪いやってみる?も物語の格を導入に続き更に落とすので、カット。
その二場面がないだけでも少し引き締まる。
しかしこれだけの若手女優の実力派が揃って出ているので、それはそれで楽しいホラーではなかったか。
もう少し何とかなっていれば、、、その感は拭えないが。適度に面白かった。観て損は無いとは言い切れないが。


何で「としまえん」なの?それにしても。




AmazonPrimeにて







平成真須美 ラスト・ナイト・フィーバー

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2019

二宮健 監督

伊藤沙莉、、、真須美
篠原悠伸、、、真須美の元カレ
中島歩、、、作曲家


国木田独歩の玄孫の中島歩が3人のダンサーの踊りを観ながらでないと作曲が出来ないギタリスト役である。
その踊りというのが、レオタード姿の男性のシュールな踊りで、一人抜けてしまったので、真須美が代役のダンサーで入るというもの。
スタジオを借り切り、一人のミュージシャンと3人のダンサーが寝泊まりして、平成終り3日前から平成最後の歌を作るという、物凄く切羽詰まった企画。

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彼女もかなり適当に踊っている。しかしいくら踊っても曲は出来ない。真須美も適当に励ましもするが、、、
いよいよ令和が近づくが、焦れば焦る程、何も浮かばない。
踊りはシュールさを増すばかり、、、。ギタリスト~作曲家は頭を抱えるばかり。
踊り手に変な指示を出すが、まるで理解されない(しようもない)。
真須美は呆れるが、ダンサー二人は作曲家に飽くまでも好意的。どういう関係なのか?

後半、真須美も真顔で真面目に励ます(この辺の演技は上手い)。
そして、、、
プロデューサーに見切りを付けられた後で、何故か盛り上がり猛烈に踊り、曲が仕上がる。
令和になる直前であった。
何と言うか、、、ドラマ自体がシュールであった。

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平成最後の歌が街角で唄われ、真須美の誕生日となる。
雨の渋谷の雑踏の夜。
ゆく年くる年みたいに、区切りをつけたいのね。
真須美に元カレが必死にすり寄ってきたが、「誕生日おめでとう」と謂わせて、さよならである。

すっきり全てに区切りのついた気持ち良い令和の始まり。

伊藤沙莉がやたらとカッコよかった。
実力派女優の風格がある。
中島歩は多才なひとのようだ。ミュージシャン役もバッチリ。




AmazonPrimeにて




馬の骨

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2018


桐生コウジ 監督
桐生コウジ、 坂ノ下博樹、 杉原憲明 脚本
桐生コウジ「六根清浄」、小島藤子「やまない音」 音楽

小島藤子、、、桜本町ユカ(元ツキノワ☆ベアーズ、シンガーソングライター)
深澤大河、、、垣内(アイドルオタク、就活生)
しのへけい子、、、木田(シェアハウス家主)
信太昌之、、、室田(馬の骨ギター)
黒田大輔、、、萩野(馬の骨ベース)
大浦龍宇一、、、伊賀(Jam副店長)
高橋洋、、、相沢(馬の骨キーボード)
粟田麗、、、聡子(辻村夫人)
大和田健介、、、遠藤(土木作業の時の熊田の同僚)
志田友美、、、稲森(ツキノワ☆ベアーズ)
茜屋日海夏、、、水島(ツキノワ☆ベアーズ)
河上英里子、、、森脇(ツキノワ☆ベアーズ)
萩原健太、、、本人(イカ天審査員長、音楽評論家)
石川浩司、、、本人(元たま)
ベンガル、、、宝部(馬の骨の新メンバー、ドラム、辻村の代わり)
桐生コウジ、、、熊田美津夫(馬の骨ヴォーカル)


「イカ天」というのがあったことは、ちょっとだけ知っている。

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TV番組で放送されていたというが、それは観たこと無い(人気番組だったそうだが)。
そこで審査員特別賞をもらった「馬の骨」のヴォーカリスト桐生コウジ監督の作品。
(ちなみに、BEGIN、たま、JITTERIN'JINN、カブキロックス、他にもブレイクしたグループを幾つも輩出したそうだ)。
30年以上前の噺であるが、そのころ空前のバンドブームであったらしい(パンクブームの次あたりかなあ)。
これも所謂、パンクか?いやパンクはもっと昔だし。しかしサウンド的にはパンクか。
「六根清浄」なかなか良かった。もっとリフなどサイケデリックに歪ませると更にゾクゾクすると思うが。
「やまない音」で小島藤子も頑張った(ギターも含め)。声も良い。

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かつてJamでライブ中に客から缶ビールを頭にぶつけられて、そのまま会場から逃げ出してしまった過去を持つ熊田。
それがずっとトラウマとなっていたが、かつての仲間と新メンバーで30数年ぶりの一日ライブでその借りを返す。
桜本町ユカにとっては、脱アイドルして表現者(シンガーソングライター)として再出発を図る。
このタイミングが丁度合い一緒にライブを行う。
熊田はここに来るまで色々と柵もありすんなりとは行かず、ユカも地下アイドル時代のコアなファンの期待を裏切る行為として嫌がらせを受ける。だが、ユカはファンと共に変わらなければならないという強い意志を持って一歩を踏み出す。
それに刺激されて熊田もけじめをつけることにする。

キャストは皆、自然で平凡で何処にもありがちな人を素直に演じていた。
地下アイドルとコアなファンとの関係など、その思い入れ度の深さは結構厳しく、共に相手を認めつつ変化しなければならない関係でもある。その辺の難しさも分かる。
大きなイヴェントが起こるわけでもなくとても小さな範囲での等身大の人物像を演じるものの良さがよく出ていた。

何にしても自分のやるべきことを見出し、それを精一杯やることは素敵だ。
それが新たな契機ともなる。
創造的な広がりが生まれる。
関わった誰もが豊かになる。

良いと思う。

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志田友美さんを久しぶりに観た。「夢アド」が懐かしい。



AmazonPrimeにて





1408号室

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1408
2007
アメリカ

ミカエル・ハフストローム 監督
マット・グリーンバーグ、スコット・アレクサンダー、ラリー・カラゼウスキー 脚本
スティーヴン・キング『一四〇八号室』原作
ガブリエル・ヤレド 音楽

ジョン・キューザック、、、マイク・エンズリン(オカルト作家)
サミュエル・L・ジャクソン、、、ジェラルド・オリン支配人
メアリー・マコーマック、、、リリー・エンズリン(マイクの妻)
ジャスミン・ジェシカ・アンソニー、、、ケイティ・エンズリン (マイクの亡くなった娘)


「1408号室には入るな」というホテルのポストカードが届く。
ホテルに行くとその部屋で宿泊客が1時間以上もった者がいないと支配人から告げられる。
だからそこには誰も入れないと。
しかもこれまでの犠牲者は56人。
無理やり案内させるが絶対に部屋には入るなと念を押される。
オカルト作家が、こんな美味しい餌に飛びつかないはずもない。

それで制止を振り切り、入った部屋が、、、。
というものだが、、、。
何と言うこともない部屋に見えて、悪意と怨念に充ちた空間であることを思い知らされることに。
(まずこの流れは鉄板の運びである)。

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支配人の立ち位置がいまひとつ分からない。
この1408号室が手に負えない部屋なので、このオカルト作家に除霊を頼んで成功したということなの?
エンズリン君よくやってくれたとか言ってほくそ笑んでいたが。
やはりサミュエル・L・ジャクソンは常に怪しい。

マイク・エンズリンの意識下にある強い思い~愛娘の死や自らの生死に関わる経験などが下調べした事件内容と共に次々に具現化される。この幻想の光景の演出はかなり怖い。窓から隣の部屋に移ろうとしたら間取りが変わっている等、ずっとはらはら続きであった。
当然彼も、観ているこちらもこれは悪夢だ、彼の知っている内面の事情~心象ばかりが出て来るし、と思う。
そして支配人の出したバーボン?にそれを誘発する何かが入っていたのだと勘ぐるのも分かる。
(何せ顔が怪しいし)。
しかし直前やったサーフィンで気を失い岸に打ち上げられ、病院で目覚めたという結末なら、やはり悪夢だったのね、で分かるのだが。そこで終わるとしたらまだ時間が残り過ぎであることに誰もが気付く(笑。

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ここではそれすらもひとつの彼の意識下のエピソード(集合の一要素)であり、海の岸辺から救助され妻の介抱してくれる病院のベッドで目覚めたつもりが、、、、
やっと書き上げた最凶の恐怖体験談の原稿を出しに行った郵便局がホテルのあの部屋に大変身なのだ。
たちまち彼はホテルの不気味な部屋に圧し戻される。
(つまりホテルの部屋からは一歩も出られていないのだ)。

そして大いに荒れ狂い、部屋の空間そのものがポルターガイストで滅茶滅茶の廃墟となってしまう。
忽然とそこに病気で亡くなったまだ幼い娘が現れ、父に駆け寄る。
最初は偽物だと拒むが、彼女を抱き寄せ絶対に放さないと誓う。
だが次の瞬間、娘の身体はボロボロに崩れ落ちる。

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これには打ちのめされた。
だがこの作家かなりの根性がある。というより娘の件で完全に許せないという気持ちが沸き起こる。
60分タイマーが終わり再チャレンジするかチェックアウトするかの電話がフロントから来る。
まるで悪霊主催のサバイバルゲームの様相を呈しているではないか。
彼は、チャックアウトを拒む(チェックアウトを頼んでも受け入れることはないはず)。
ここで、決着をつけると決意する。

部屋に火をつける。
悪霊もろとも焼き尽くす捨て身の作戦に出た。
これには悪霊も部屋ごともがき苦しむ。
そこに丁度、リリーがやって来て夫が部屋に閉じ込められて逃げられないことを警察に告げる。
(一度、パソコンから別居中の妻に緊急事態のSOS連絡を入れておいたのだ)。
彼は九死に一生を得る。

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妻と新たな部屋に移り原稿を再度書き上げるマイク。
一度は書いているのもである。仕事は早い。
そこで焦げ臭い彼の持ち物を処分しようとする妻を制し、ボイスレコーダーだけ引き取る。
これはぼくの身体の一部だ。
そう言って再生すると、娘が彼に語り掛けることばが鮮明に流れる。
思わず荷物を落とす妻。その驚愕の表情を受けとめるマイク。

音楽も重厚で雰囲気に合っていた。




AmazonPrimeにて









植木屋と車椅子

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2001

今野雅夫 監督・脚本・撮影・編集・製作・宣伝
中田康太郎 原作
和田治、中田康太郎 音楽


中田康太郎、、、車椅子の男(脳性麻痺)
和田治、、、植木屋


どちらも本業だという。確かに観たまんまだ。
監督が映画を撮りたいと言ったら直ぐに引き受けてくれた気のいい植木屋さんと、車椅子でもいい人とは限らないと謂う康ちゃん主演で撮られたもの。
脳性麻痺の康ちゃんの日記である『心の詩』をもとに今野監督が脚本を書いて撮ったそうだ。
どんな詩なんだ。
21分もの。

セリフも多いが楽しそう。素朴な劇画タッチの編集(突然絆創膏が貼られていたり、足にギブスが付いていたり)。
芝居だか何だか分らぬやり取りで展開するショートムービー。
和田さんが細い舗道脇の木に脚立を掛けて登っているところに、康ちゃんがやって来てその木切るのと問いかける。
馴れ馴れしくてお喋りな康ちゃんとガラは悪いが人の好い和田さんの絡みは雰囲気的には流れの予想はつく。
康ちゃんの髪を和田さんが剪定ばさみで切ってあげるが、スッキリし過ぎで文句を言うが前よりずっといいぞと言われると調子に乗る康ちゃん。思った通りの基調で、噺は進む(笑。
和田さんを康ちゃんがお礼に自宅に食事に誘う。
しかし思った通り、和田さんが料理をして康ちゃんに振舞う形に。「うちは全てセルフサービスさ」と康ちゃん。
連れてこられた人は必ずそうなるのだ。

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そして康ちゃんは人に見せたいものがたくさんある。
「絵」に「音楽」に「詩」だ。
自分(の世界)に喪失・不自由・閉塞感などを抱え持っている場合、どうしても抽象的な表出~表現をしたくなる。
超脱したい。
わたしと似ている(笑。ただ無理やり鑑賞させておいて、やたらと態度がデカい。ここはわたしとまるで違う。
厚かましくも和田さんに無理やり恋文を読ませたりもする(爆。
調子に乗って次々に和田さんに見せたり聴かせたりするが、彼は寝てしまう。
帰り俺の車で送って行くと言い、和田さんに運転させた挙句、和田さんの家に泊まり込む。
飛んでもない奴だ。パラサイトだ。

この後、康ちゃんの悪戯?で和田さんは脚立から落ち、彼も一時的に車椅子(手漕ぎ)を経験する。
「お前人を意のままにする変な力持ってるだろ?」確かに和田さん振り回されっぱなし(笑。
一緒に車椅子生活をしてみて、康ちゃんの大変さも身に染みる。
和田さん治っちゃうからな。僕は一生だよ。
「お前強いなあ」これも和田さんの本心だ。
そして「人に頼っちゃうんだよな」というのも康ちゃんの本心。

すぐ人に期待してしまい裏切られると言う。
でもこれは何にしてもそうだ。
そこから転じて人の役に立ちたいんだよね。となる。
ぼくに何かあったら電話して。こころのドクターに成りたいから。
「そんじゃ、電話してみるか」和田さん良い人である。
でも電話来ないんだよね。

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「普段お前何してんの?」
「生きてる」。
「和田さんは生きてる?」
もう友達だ。

音楽もシンプルで味がある、




AmazonPrimeにて




トエユモイ

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2021

福岡佐和子、はまださつき 監督
福岡佐和子 脚本

はまださつき、、、佐藤萌子(大学3年生)
成瀬志帆、、、井上唯子(大学生、コンビニアルバイト店員)
池田光輝、、、しんたろう(同じマンションの住人、バーテンダー)


1時間以内で終わる映画を探していたら、これに当たった。
若い女性監督のもので、例によって大学生の製作映画。
適度に美味しいソフトクリームみたいな作品。多少癖はあるが。

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萌子という大学の講義がコロナの影響で全てオンライン授業となり淋しくなって人と直接繋がりたい女子が、、、
いつものコンビニでレジをやっている自閉症スペクトラム(アスペルンガー的な)女性に唐突に同居を申し込む。
この女性直ぐにそれを受け容れるが、内外問わずキックボードに乗り、何でも無意識に解体してしまう就職先がIT企業に決まっている理屈を付けて喋らないと気の済まないという女性。ただし、怒り等の感情は結構普通に出せるので、重度とは思えない。

誘った方の萌子も舞台女優を目指しているのか、鉄棒に逆さにぶら下がり、自分が干しモノだという歌や豚の丸焼きだという歌を唄ったりしているが(恐らくミュージカルのつもりのようだが)、物の片付けられない料理も下手ないい加減な女子である。
この子も空気を読まず、コンビニでいつも同じ品を1520円で買ってゆくところなど自閉症スペクトラムの範疇にも思われる。

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近所のバーテンダー男子もこの二人の女子としっかり趣味と噺の合わせられる危なくも面白い人だ。
なかなかこのふたりと合わせられる人はいまい。
そして女子同士で喧嘩を始める。
唯子が萌子自作の自慢の「砂の縫い包み」を解体してしまったのだが、萌子も唯子の梱包材であるプチプチ潰しを勝手にやってしまっていた。
ふたりで同じ空間を共有しているのに相手に配慮無く無意識に自分の癖を出してしまい、当然の如くの険悪な対立となる。
バーで紙に子供じみた悪口をペンで書いて応酬を続けるところなど、似た者同士であることも分かる。
決着をつけるべく可笑しなゲームもどきの対戦を繰り返し、この辺にしておこうとなったときに、更に萌子のコレクションの清掃用具を唯子が無意識のうちに解体してしまった。
バーテンダーの処に行き、二人ともそれぞれ相手に対する苦情を訴える。
彼はその都度、それなりに聴き、当たり前の反応をして見せる。それでどうとかなるような類のことは謂わず上手く流す。
最もベターな対応に見える。

そしてどうなったかというと、特にどうした訳でもなく、ふたりで夜の鉄棒に暫く逆さにぶら下がり、一緒にキックボードに乗って走りだしたころにはニコニコした表情になっていた。

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きっと、仲良しになれたのだ。そんなひとびとの御話しである。
大事なものを壊しながらも触れ合ってゆくことで生まれる関係性~身体性が肝心なのだ。
なかなか良い映画を観たという気持ちになった(笑。
後味が不思議に良い。



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暴飲暴食により

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今日ほど、暴飲暴食した日はない。
お陰で身動きできなくなった。
車の運転がせいぜい。

映画もつまらぬものを一本観たがホントにつまらなかった。
ということを打つのも怠い。
お腹が膨れ過ぎて手まで動きにくいのだ。

鰻重などをサラっと食べて、ゆっくり風呂にでも入っていれば言うこと無いのだが、、、
今日は色々なものを片っ端食べ、その挙句に飲みたい放題飲んでしまった。
酒ではないのだが。
この飲み過ぎが胃に来るのだ。

いつもこの飲み過ぎで体力を失う。
分かっているのだが、ついついやってしまう。
横になったら立つ気がしない。

先ほど、「村上ロック」を見直して。漸くパソコンチェアには収まることが出来た。
やっぱりこの人の噺は、よっぽどダレている時でも聴き入って観入ってしまう。
力のある語り部の凄さというか本質力は、また心地よい。

ということで凄く眠い。
今日はつまり、食って寝てとなる。
おやすみなさい。


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ライアー・ハウス

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BREATHLESS
2016
アメリカ

ジェシー・バジェット 監督・編集
ジェシー・バジェット 、ステファニア・モスカート 脚本

ジーナ・ガーション、、、ローナ
ケリー・ギディッシュ、、、タイニー(ローナの親友)
レイ・リオッタ、、、ケリー保安官(退職前)
ヴァル・キルマー、、、デイル(ローナの夫)
ウェイン・デュヴァル、、、私立探偵


グッドフェローズ」以来、わたしは、レイ・リオッタのファンである。
最近、亡くなられたが。
この映画でもキーマンであり、もう少し映画で観たかった。

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テキサスの如何にも寂れた片田舎。とは言え何もない田舎ならどこだってよいような設定。
ほぼ家の中での対話中心の劇。舞台劇でもそのまま使えそう。
ピストルで撃ち殺したり死体を切断したりもするが、騙りの中から、えッと謂うような真相が飛び出て来る(笑。
必ず警官が現れたり、私立探偵が入り込んだりすることで流れが切断され飛躍する構造だが。
そこがスリリング。
本がよく出来てる。
悪人以外、基本的に誰も出てこない噺(爆。

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ヒロイン二人が怖いおばさんということから、迫力もかなりのもの。
自己中心的な欲望、欺瞞、嫉妬、復讐心、殺意、打算、、、等々。ネガティブな感情と思考に溢れた空間。
実にきな臭く、次に何が起こるか分からない。
行き当たりばったりの強欲なだけの頭のネジの緩んだふたりのおばさんと思って観ていると、ローナによるネズミ捕りだけではない仕掛けが次々に現れる。

本当は、ローナによって計算された運びであったとは、、、
タイニーだけでなく、こちらも驚く。
(そして最後は唖然とするがレイ・リオッタが演者なら当然という気もする(笑)。

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御話の発端は、夫のデイルが銀行強盗して10万ドルをせしめたことからであるが、、、
デイルが強盗を白状したのは、銃で散々脅されてからのこと。
何で端から旦那をかつてコンビニ強盗をした前科があるからと言って決めつけていたのか、、、そこが突飛に思えたのだが、、、
しかし彼のブーツに付着していた土の成分から被害に遭った銀行の土地に一致するなどの分析を済ませていたなど、単に頭のネジの緩んだがさつなおばさんでもないことを匂わし始める。
ここなのだ。
ふたりとも最初はただ衝動的に物事に当たる単純で勢いだけの思慮の浅いおばさん風の言動で通しているが、暫くして警官、私立探偵による事故が起きる度に企てが発覚してくる何をか考えている人であることも判明する。
顔の表情、話し方も変わって来る(この辺、流石にベテラン女優だ)。

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結局、どれだけ強欲であるかが強さを決めた、みたいな(爆。
ともかくローナという女の凄まじさに唖然とするばかり。
結婚指輪の嵌った指を切り落として自分も被害者に偽装して、鼻歌交じりに札束を頭にカールして颯爽と脱出するところでアッパレであったが、その先までしっかりあり、そう繋がっていたのか、というところで、それまでの伏線の回収も見事。
やはりレイ・リオッタ健在というところであったが、、、こういう性格俳優もなかなか出てこないのではと思われて残念。


面白かった。



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スプリンター 7人の自分

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7 SPLINTERS IN TIME
2018
アメリカ

ガブリエル・ジュデ=ワインシェル監督・脚本・編集・製作

エドアルド・バレリーニ
グレッグ・ベニック
オースティン・ペンドルトン
リン・コーエン
アル・サピエンザ
エマニュエル・シュリーキー


時間の絡む映画ではあった。
結局、何を表していて、言いたいことは何であったか。
自分の好む出来事~変化を強引に創造しようとするとき、ひとは時間~過去に解決の糸口を求めるようだ。
だが、時間(過去)が厳密にみると存在しない場合、どうするのか。
「過去」を変えればその流れで「現在とは何?」~今という概念も厳密にいえば無い、とはいえそれを変えることが出来るという幻想。
時間を実体化しているところからその辺の誤謬が生まれる。

問題が10年前に起きたから、それが起きる更に前、11年前に飛んでそこから、事態を変えれば良いとか。
それはない。
常にあるのは出来事のみでありその出来事同士による変化がその都度生じているだけで、「過去」の或る何かを変えることが出来たとしても自分が思い描く結果など手に入ることなど考えられない。
変数が互いに対してどう変化するのか、確率的にどうなるかのレヴェルである。

ただここの主人公は、過去に飛んだ自分を過去に飛ばした博士と共に殺してしまう。
問題となる関係性を考慮した結果そうなったのだ。
「過去の自分と恋人との関係」に再三ちょっかいを出していた自分がいなくなることで、若い自分が何の影響もなくそのまま生きれるようにした。
そう、路に急に出て来て交通事故を誘ったルカも死んでいる。

路を疾走する若い主人公の男女ふたり。
このままでいれば、どちらも事故で死ぬことも無く、片方が死ぬことで別れ別れになることもない。
そう考えたということだ。
目的は達せられたのか。
若い主人公たちがそのまま残ったとして、それは自分たちと言えるのか。

編集が大変目まぐるしく、ビートの利いたテンポで押しまくる。
色調も渋く抑えられ、沈んで心地よい。
自分が7人に分離して同じ空間を歩き回っており、中の一人が自分を全員殺そうと殺害してゆく(殺人狂となっている)。
彼らはそれぞれが自分であることは分かるが、全く異なるパーソナリティを備えている。
確率的にそうなり得た自分があちこちで好きなようにやっているのだろう。
それらを全て殺すというのは、自分の時間に関わる~拘る想念からの解放を意味するか。


観ていて全く弛んだり飽きたりすることのない映画であった。
編集~演出の勝利である。
絵~デザインもダークで気持ち良かった。
特に図書館のカタツムリ型とルカの飛行原理を無視して舞う飛行機。恋人の住むアパートも良い感じ。

絵で充分愉しめるタイプの映画であった。



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昨日の月

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途轍もなく大きな月であった。

昨日?いや一昨日だったか、、、。
記憶が定かでないのだが巨大な月だけはくっきり覚えている。
妻を車で迎えに行き帰宅の途上、夜空がポンッと開け放たれた虚空に巨大な月の出現だ。
赤く燃え盛る禍々しくもゾクゾクする月。

生まれてこのかた、初めて観るサイズの月である。
大昔、月は今より地球にずっと近く、大きかったと謂われる。それが遠ざかって行くものだから人類は手を伸ばして二足歩行となったという説もある。
わたしもネアンデルタール人の観た月を観たのであろうか、、、まだ充分に大きい。
時間の概念があらゆる物理法則から外され、過去も未来も今も無くなり出来事のみが起こる世界にあって、、、何の不思議もない、というよりただウキウキするではないか。

よく地平線近くの低い位置にある月は大きく見えるなどという俗説のあることは知ってはいるが、、、。
(物との対比で大きく見える錯視とか。その説明では余りに弱いし下らない)。
見えた時点でひとつの現実でありそれが全てなのだ。
それ以外のわたしの現実があろうか。

世界が絶えず変化するなか、これもひとつの出来事~イヴェントであり、月の巨大化によって新たにわたしの固有時が構成される。
それでよい。

現にわたしは、涼やかで禍々しい月から”破壊力”を吸収した。
一番欲しいものである。


では、また。



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Smile

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Smile
2017

Tullio Imperatore 監督

Giordano Bassetti,
Andrea Castaldo,
Eleonora Migliaccio


5分ものを観た。
(実は他に、長・短4本映画を観たのだがひとつも良いものがなかった)。


4人がそれぞれベッドに仰向けになり物思いに耽る。
色々と考えるところもあり、本を読んだり、絵を描いてみたり、悩んでみたり、、、
しかし翌朝、昨夜の思いは一体何だったんだ、と自然にスマイルが浮かぶ。
気の迷いを笑い飛ばす。そんな目覚め。
それは心地よい。

ただそれを逐一語る声が鬱陶しい。
説明がクドイ。
ことばは最小限に。
詩的に流したい。
役者の表情とか仕草で最大限の表現を試みたい。


寝る前に不安や葛藤やら悔恨、猜疑心等々が急に頭をもたげることはおそらく誰にでもあるのだろう、、、。
いや、わたしはないが、、、(爆。
わたしはただ眠いと思って眠るのみ。
面倒はご免だ。
疲労が原因だ。
スイッチを落とせば、余計な断片は掻き消え、翌朝は初期設定で目覚める。


ただし、Smileと共に起動するというのはやったことが無い。
多分わたしは幼児期からないと思う。

毎朝、自然に”Smile”の目覚め。
(昔のMacの画面みたいな)。
これで生きたい。
これに限る。

ではおやすみなさい。




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東京ヴァンパイアホテル

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TOKYO VAMPIRE HOTEL
2017

園子温 監督・脚本

夏帆、、、K (留学時にドラキュラ族となる)
満島真之介、、、山田(コルビン族の帝王)
冨手麻妙、、、マナミ (22歳の誕生日に覚醒するドラキュラ族の救世主)
神楽坂恵、、、エリザベス・バートリ (山田の恋人、女帝の娘)
安達祐実、、、コルビン族の女帝・姫 (姉妹の二役)
岩永ジョーイ、、、ジョー (コルビン族の凄腕殺し屋)
渋川清彦、、、コーディ (料理人)
森七菜、、、アカリ (ホテルで初めて生まれた子)
コトウロレナ、、、ノア (Kの親友)
階戸瑠李、、、サランド
Cristi Rigman、、、ドラキュラの族長


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一話30分の全10話による配信ドラマ。
一度に観るには流石にキツイものがあった(笑。
大風呂敷を広げているので面白いと言えばそうだが、首を捻るところが多い。
荒唐無稽な世界観だとしても、それとして整合性がないと物語として成立しないものだ。
しかしエンターテイメントとして楽しませようというサービス精神は充分感じられる。

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主題曲はこのころからかなり流行り出した一連のボーカロイド製作モノか。最近もよく耳にするタイプで皆同じに聞こえる。
セットは豪華であった。夏帆とコトウロレナは実際にルーマニアにロケに行ったようだ。お金はかなりかけた感じ。
キャストもちょいと知ってる俳優が次々出て来てその点でも面白い。セリフのある外国の俳優の数もかなりのもの。
惜しくも亡くなられた方も出ていて感慨深い。
過激な演出とかは話題になっていたが、殺し合いバトルの尺は確かに長かった。
性的な暴力はほとんどあからさまなものは無い。対象はマナミになろうが、主に血を吸われまくる。
そこが何より痛ましいのだが(とても痛そうであった。苦手こういうの)。
ドギツイ原色のホテルはギラついた舞台であったが、もっとギーガー風に生物と無機物の有機的な融合体のように仕上げても良かった。
それとの対比でアカリとコーディの落ち着いた(色調の)シーンが活きていたが。

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冨手麻妙さんが猛烈に頑張った。あそこまでやってその後に繋がっていない気がするのだが、勿体ない。
夏帆ってこんなにカッコよいんだ。初めて知った。
印象に強く残るのはこの二点。
そうそう、安達祐実が不気味でキッチュだった。弄られてるみたいだったが、乗りまくっていた。
ホテルそのものになったりしていて実際に一番楽しそう(笑。だとすれば、一番苦しいのは冨手麻妙だろう。
バリカンで髪まで剃り上げてしまう。理由は全く持って分からん。

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首を捻ったところとして(全部述べてる余裕はないが)、、、
コーディ はヴァンパイアのはずだが、昼の海辺で清々しく騙ったりして、、、日光に強いのか。
ホテルにはまだ人間もいたはずだが、Kが門を開けてしまったら皆消えてしまったのは何故?
(全員がヴァンパイア化していたのか。そうであるなら同族の血を吸っていたことになり、人間など最初から不要ではないか)。
マナミが人間に戻り、日光でも大丈夫のはずが、最後の海の向こうに行こうとコーディとアカリが対話していた時は、車内で厳重に光除けをして寝ていた。しかし彼女はエンドロール後に会社のOL山田さんとして普通に働いているではないか、、、立ち位置がよく分からない。
山田が独りで(エリザベスと共に?)あれだけ大袈裟なトリックを構築出来たというのも謎(合成動画は兎も角として特に扉の向こうの燃え盛る廃墟の演出など大規模なもの)、更に日本が終わると複数の占い師がパニックとなる光景が何に対するアピールなのか意味不明。単なる山田の嘘に関係ない外界でこんな芝居を打つ必要など全くないはず。
そもそも現首相である山田の父が何でコルビン族の女帝に子供を差し出すことでその地位を得たのかさっぱり分からん。
こんなことを挙げてゆくときりが無いのだが、、、。

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ドラキュラ一族とネオ・ヴァンパイア(コルビン)族との抗争に巻き込まれたKやマナミ自身の闘争と運命、そしてコルビンの家畜として集められた人間の抵抗と妥協(共存)が描かれるが、それが愛や欲望の為の奪い合いでもあるような壮大な絵巻を作らんとした意図は分かる。
しかしKの属するドラキュラ陣営もルーマニア本部からさッと見切りを付けられ(単にマナミの血を提供しただけで)、実に小規模の山田達との抗争に矮小化された形で終わっていた(しかもKの族長に対する愛は、山田の謂うように裏切られて)。
ここで特殊なことは、山田が自分の治めるヴァンパイア達も騙し、世界は核戦争で終わったと吹聴してホテルに閉じ込めること。
後に残った人間と共存し15年間ホテルに缶詰めで暮らしたヴァンパイアも山田に騙されたと怒っているが、このクローズドな環境に籠ること自体、心身にとり不健康極まりない、上手い方法とはとても言えまい。核による環境汚染が100年で何とかなる根拠もない、実は先の見えないなかでこれからも悶々と暮らすのだ。やってられるか?
コロナ禍で籠る現状からもはっきり分かる。
父に捨てられコルビン族の女帝に引き取られたことへの怨念~トラウマによる行為としても余りに歪んでいる。

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単に食料(血)の安全な確保というだけなら、他に手はあるはず。というより人間をその先100年飼育する食料をこそどうやってホテル内に幽閉しつつ調達するつもりであったものか。山田はノープランであるのは確か。最初から破綻している。当然、コーディ のような存在が外への抜け道を見つけ、そこでアルバイトしながら食料を調達せねばならなかった。これは飽くまでも偶然彼が外に出られた為の結果に過ぎない。

ホテルで生まれたアカリさえも外を意識し、実際にコーディ の後を追って外界に出てゆく。
しかしアカリが何故あのように過剰に外を意識するのか分からない。何が原因なのか。花弁からそれを意識したというだけでは弱過ぎる。外を知っている人間が寧ろ外を恐れて引籠りたいと言う方が説得力がある。
しかし血を供給し続ける存在がいないとホテルが存続しないというのも分かり難い。生物として生きているホテルなら(あの地下の落ちこぼれ族はどうなったのか、彼らも血を提供していたが)、それが具体的に何に還元されているのか(代謝の結果として)、、、。
その辺のメカニズムが分からない。
そして実質姫から引き継がれたKの身体から提供される血にも限界がきたとして、こんな非効率的な環境~ホテルなど意味がないだろ。
ただの無機物の建造物の方が遥かに合理的だ。
そして結局全てが日光で滅ぶ。

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ヴァンパイアものだからそれで良いにしても、余計なものことが多過ぎる盛りだくさんエンターテイメント配信ドラマであった。



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とっくんでカンペキ

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Practice Makes Perfect
2012
アメリカ

デヴォン・エイブリー 監督

アレクシス・G・ゾール、、、少年
コディ・フィールズ、、、少女


3分間映画で、今日はカップヌードルにお湯を注ぎ待ってるくらいの時間しかなかったので、これを嵌め込んだ。
もう雑事の人生みたいになっている。
何なんだ?

というところで、どういうところだ、一発アイデア勝負映画。
ちょいと長めのCMみたい。
オチで、無難に決まった。
あれ程の特訓する必要性は疑問だが、甲斐はあったな。

まあでもちょっと汚くて、ちょっとあさましくて、ちょっとおバカな少年ではあった。
みんなこういう感じなんだろうかね。
最初はこのくらいにしといてやろう、みたいな。
少女をみると、しっかり成果をあげたことは確か。

ふたりとも幸せそうで何より、、、
脱力系で寝る前などに適している。
疲労による興奮も覚めて寝つきも良いはず。

だがやはり二度は観る気しない。
生理的にちょっと。笑えるほどでもないし。
一度は観てもよい短編映画となるか。


少年役の子はもう結構映画に出ている(売れっ子子役なのか)。
監督は、短編を他にも出している。
(特に観る気はしないが)。



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アンホーリー 忌まわしき聖地

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The Unholy
2021
アメリカ

エヴァン・スピリオトポウロス 監督・脚本・製作
ジェームズ・ハーバート『奇跡の聖堂』原作

ジェフリー・ディーン・モーガン、、、ジェリー・フェン(ジャーナリスト)
クリケット・ブラウン、、、アリス・パジェット(聾唖の少女)
ケイティ・アセルトン、、、ナタリー・ゲイツ(医師)
ウィリアム・サドラー、、、ヘイガン神父(アリスの育ての親、叔父)
ディオゴ・モルガド、、、デルガード司祭( バチカンから派遣された司祭)
ケイリー・エルウィス、、、ジャイルズ司教


なんでこうもアメリカのホラー映画はキリスト教を題材としたものが多いのか。
それほど、キリスト教はホラーなのか?!ホラーと実によく馴染む。
宗教絡みのホラーを観ると必ず途中で寝てしまうのだが今日も例外ではなかった。
もう既視感一杯で退屈なのよ。

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神と悪魔も表裏一体。似たようなことをヘイガン神父も語っている。
実際、神なんだか悪魔なのか何だか分からない。だいたいそもそも悪魔とは何なの?
ここでは、神の恩寵~奇跡に見せかけ悪魔がひとを集め礼拝時に一気に魂を奪おうというモノ。
アリス・パジェットという聾唖の少女が突然聖母マリアの言葉を発し、人々の病が治癒されるに及び、村人たちは彼女に神の奇跡をみるようになる。

そりゃ、突然聾唖の少女が有難い言葉を発し、病を治すようなことがあれば、人々はそこに善を信じようとするのは無理もない。
彼女を利用しようとする教会とその危険性に気づき阻止しようとするチョイ悪ジャーナリストのおやじの駆け引きが始まる。
そして当然悪魔の力は強く、その企みに気づいたヘイガン神父や人形に再びソレを封印しようとするデルガード司祭は殺される。
かつてメアリー・エルナーという悪魔の力を借りて人々を治療していたといわれる女性がおり、その正体を暴いたプレスコット神父により仮面を打ちつけられ人形に魂を封印されたものを、ジェリー・フェンが記事のネタに壊してしまったことから事件が起きた(チョイ悪じゃないなこれ)。
この辺は、わたしの意識も朧気であったのだが、これが所謂、魔女狩りによる犠牲者であるならば、時を経ての子孫の身体を使った無念を晴らす為の復讐ともとれる。何と教会の調べによるとアリスはメアリーの子孫にあたるのだ。

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「子を通して生きる」確かに現代の悪魔である毒親こそまさにそうだ。
うちもそのパタンである。
そこからの解放は非常に根が深く、一筋縄ではいかない。
ここでもその悪魔だか犠牲者だか定かではないが強力な呪いの力を持つソレは、アリスの口を使い人々の魂を奪おうとする。
(まさに毒親も子供の魂を奪う)。
災難であることには変わりない。
脱線はこのくらいで、、、

ともかく多くの村人が犠牲になろうとするところを記事による金儲けの悪夢から覚めたジャーナリストが体を張ってそれを阻止しようとする。
確かにそこにおいて災いの種を蒔いたのは彼自身に他ならない。もはや使命感というところか。
このジェリー・フェンというおやじ、なかなか味のある男で憎めない。
医師であるナタリー・ゲイツと共にアリスの背後に憑いているソレに立ち向かってゆく。

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そしてなんやかんや村人に懐疑心を芽生えさせることで、信仰の力=悪魔の呪力を減衰させようとするが、、、。
わたしも睡魔と闘いつつ、終盤の彼らの奮闘を見守るが?何だか出て来たアリスの先祖のメアリー・エルナーが何とも言えないクリーチャーで、ちょっとウルトラマンの系譜にもいそうなヒトなのだ。あくまでも見かけであるが。
そこでやはりどうも悪いだけの奴には見えないのだが(犠牲者にも取れるような)、ただこの災厄だけは鎮静しなければならない。
おやじが、ソレの火炎攻撃でやられそうになった時、身を挺してアリスが庇う。
アリスは倒れ、ソレも身を存続させる身体を失ったことで、消滅してしまう。
ということは、アリスも死んだことになる。しかしジェリーが神にこの娘を助けてやってくれと祈ると彼女は息を吹き返す。
勿論、聾唖の少女として蘇る。

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よかったよかった、で御しまい。
テンポもよく、わたしも寝たり起きたりの鑑賞であったが、要所要所で目を開けて観れば流れは分かる映画である。
クリーチャーは斬新であった。動きも良い。特に燃える御神木から分離して襲い掛かって来るところなど、素敵であった。


まあ、アメリカ人はこういったものとサメの題材、好きだねえ。
ホントに好きだねえ。



AmazonPrime 及びWowowにて





タイヨウのうた

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2006

小泉徳宏 監督
坂東賢治 脚本
天川彩 原作
YUI 音楽

YUI、、、雨音薫(XPの少女、16歳)
塚本高史、、、藤代孝治(薫の彼氏、高校生)
岸谷五朗、、、雨音謙(薫の父)
麻木久仁子、、、雨音由紀(薫の母)
通山愛里、、、松前美咲(薫の親友、藤代と同じ高校)


YUIというミュージシャンは、わたしにとって、ほとんどイギリスのロックであり、日本を意識させない。
わたしは、初めて聴いた記憶に残るポップス(ロック)がビートルズで、その後イギリスのロックとポップを中心に、たまにアメリカ、ヨーロッパ(ドイツ、オランダ、フランス、イタリア、ベルギー、スウェーデン等)を聴いていた耳には、すっきり馴染む音。
懐かしさが込み上げてきて 和む。
(この点では宇多田ヒカルよりこちらが心地よい。才能は二人とも圧倒的だが)。

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アヴリル・ラヴィーンを聴いたことが、ミュージシャンを目指す転機となったそうだが、なるほどである。
そこからこの独自のサウンドに展開して来ているのだ。才能である。
また彼女の表現者として足を踏み出す契機が病気(肺癌で余命一年を宣告されたこと)であるのが、この映画の世界に重なって来るのだ。

まだ彼女の若いころの(というより幼さの残る)時期の主演作品であるが、なんら気負いもなく純朴とも謂える自然な演技で、気持ちよく鑑賞出来た(これから売り出す彼女のPV的な効果も充分含む)。
太陽の下には絶対に出られない(紫外線に当たると死んでしまう)上に徐々に神経系統が麻痺してゆく難しい役どころ。
不治の難病を抱える女子であるが、淡々とした日常のなかで、精一杯生きて自分の天賦の才をしっかり発揮し周囲の人に素敵な想いを残し亡くなってゆく。
弱気になった父に向けて「わたしは死ぬまで生き抜く」と明るく諭した娘。
悲しさより希望を感じさせる晴れやかなエンディングでもあった。彼女の音楽も勿論それを助けているが。
まさに”タイヨウのうた”であった。

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キャストも皆良かったが、相手役の塚本高史も演技は申し分ないが、ちょっと高校生に見えなかった(残。
(大学生のおにいさんくらいの設定ではダメなのか)。
岸谷五朗のおとうさんは最高である。これまで娘を守りどれだけ尽くして来たかがその存在から滲み出ている演技だ。
映画だけ見た範囲では、松前美咲という娘の立場がよく分からない。
幼馴染みたいなものなのか。外の世界と薫の世界を繋ぐ役目としては無くてはならぬ微妙な人であった。
夜の世界を主にした空間の色調が、とても深くて落ち着いていて優しい。

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ここで歌われたテーマ曲”Good-bye days”も勿論、物語にマッチしていて素敵であったが、この人の場合、他に良い曲が一杯ある。
改めてこれを機に聴いてみようかと思う。
ソングライターとして宇多田ヒカルと双璧だとわたしは、思う。




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雪の花 ディレクターズカット

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2014

小野寺昭憲 監督・編集
糸宇ひろみ 脚本
真柴史朗 音楽

渡辺裕之,、、、夫
原日出子,、、、妻
綾田俊樹、、、校長

35分の作品。

雪中花に囲まれて雪に横たわって夫婦で語り合うシーン、ちょっとどうにかならなかったか。
高校の校長が生徒の卒業の度に雪中花を植えてゆき既に廃校となり地図から村自体も消えてしまったにもかかわらず、ずっと増えて雪の下で咲き続けていた花である。
こんなに増えていたのか、、、
丁度二人分空白部分を中央に空けて雪中花が取り囲んで咲いている。
しかも花は雪の下から妻が堀出してその存在をはじめて知ったのだ。
横たわる二人を取り囲んで、雪の上に綺麗に咲き誇っているというメタ情景には流石に白ける。
ここは、ざっくりと掘り下げられたところに咲き誇る花の群れがあり、それに対し、しゃがむか座って臨み夫婦で語り合いイメージを交わし合う、でよかったはず。
また他にも二人で雪に横たわるシーンもありそれらのイメージがダブることからも逃れることが出来る。

だがその他の場面で気になるところはなかった。
閉店の貼り紙ひとつでこの夫婦のおかれた苦境も分かり、車がもうガス欠で先に進めず、ひたすら故郷の土地に向かい雪の中を踏み惑うところもふたりの絶望をよく表していた。
口癖のように夫は「雪の中で死にたい」と言っていたと。

幻想が雪原~死地の世界に自然に立ち上がってくる。

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夫婦で駅の待合室のベンチに寄り添っていると、自分たちが高校を卒業して二人して上京する夢と希望に溢れた若かりし姿を共に幻視する。
雪中花を見つけた時は、校長先生が何故それを植えているのか、そのときの姿と言葉が生き生きと蘇る。
卒業生の誰もがこの花のように逆境にも負けず強く生き抜いてくれることを祈り植えていたのだ。
そしてふたりして高校の鉄棒を見つけそれを頼りに、校舎内を雪の幻想の中で共に巡る、、、。
ここのカットは見事であった。

ふたりして夢破れ、今や地図からも消えた故郷に戻り、雪の中で死のうとしたのだが、、、
雪の下で健気に生きる雪中花~越前水仙に触れることで、もう一度生きようという意思が夫婦に蘇る。

最後は夢をもって二人で列車に乗る高校を卒業したばかりの頃の姿からエンドロール、、、
先走る再生に向けた二人のイメージかも知れないが。
あの深い雪原から駅まで既に体力もあるまいに、どうやって辿り着けるのか。



実生活でも夫婦である。息の合っているのは言うまでもない。渡辺氏のご冥福を祈る。




AmazonPrimeにて



Erika Ikuta 2022 summer fun

blue sky

勿論、以前から「いくちゃんファン」であることを事ある毎に書いて来ているわたしが、ファンクラブ限定ライブを観ないはずはない。
娘にも宣言済みである。ということで、ステージを愉しみにしていた。大阪公演夕方の部である。
だがここでわたしは痛恨の大エラーをしてしまった。
回線速度等、予め計ってあり、見られる範囲内と安心して寸前まで別のことをしていた。
(好きでしていたものではなくやらざるを得ない雑事を片付けていた)。

ところがである。
いざ、始まってみると途中で止まるは止まるは、もうやってる最中だから、思い切ったことも出来ず、ひたすらドギマギしながら急に止まるステージを見続ける~見守る羽目に、、、。
もう少し直前環境確認をしっかりしておくべきであった。
その時間帯のエリア内通信利用者数で大きく速度は変わって来る。
20Mbps以上は欲しいが、大概それをうたっていてもベストエフォートであり実行速度ではない。

それからローカルストレージ保存しながら再生してくれるYouTubeみたいな形式の配信であれば、またはデータ量変動に従い画質を微調整してくれるところみたいであれば助かったが、、、。
高画質であるだけでなく、音楽配信であるとハイレゾであれば猶更通信量は大きくなる。
ともかく、結果は壊滅であった。
アパートから観たことがそもそも失敗なのだ。
固定回線の家に戻って観ればよかっただけかも。

しかしそうはいかないところが現在キツイところ、、、。

肝心の途切れ途切れいくちゃんの歌であるが、、、。
わたしがこれまで好んで聴いてきた音楽とはかなり違ったことは事実。
いくちゃんの在籍していた乃木坂の曲とも違った。
Sound Inn "S"を観る」での歌とも違った。
別に何の文句があるわけではない。終始ノリノリで盛り上がるライブであったし、始めて観るいくちゃんパフォーマンスが可愛らしかった。ピアノ弾き語りは一曲であったが、、、。ファンであれば観ない理由はない。
だが、何だろう。ちょっと整理がつかないが、違和感は残った。

完全な形で堪能できなかったことが何より大きいことは、前提として、まだいくちゃん本来のステージには思えなかった。
最後に彼女自身も言っていたが、「まだ自分の楽曲が無いので」の部分。
そう、いくちゃんオリジナルで行くべき。焦る必要ない。わたしはいくちゃんオリジナルをこそ聴きたい。
勿論、最初は誰かと共作でも良いと思うし、編曲は暫くは人に任せても良いかと思う。
ともかくポテンシャルは抜群で、発声と歌唱自体が繊細で素晴らしいし。
でもどちらかというとスタジオ録音向き音楽家だと思う。
(慎重に多重録音とミキシングで作り込むような)。
無理な発声もしていたし、ライブは余り勧めたくない。
繊細で美しい楽曲だけの説得力あるライブも勿論あるが。
体力やスケジュール過密の件も心配。

しかしステージならではの解放と発現は確かにあるはず。
それが最大限に生きるのは、バンド形体ではないかと、、、インプロヴィゼーション。
以前、Sound Inn "S"でも語っていた、アンサンブルの妙である。その絶妙な創造体験。
わたしも絵を描いているので、偶然も同時性も組織出来た時の創作の高揚感はよく分かる。
これをステージで思いっきり楽しむというのはどうだろう。
ステージが再現ではなく、まさにこころ踊る創造の場となる。
至高体験となるかも。これこそ表現者次第であるが、、、この悦びの為に音楽家はステージに立つことをやめられないのかも。
ジョン・ケージの謂うチャンスオペレーションを最大限に。

斎藤飛鳥女史や久保史緒里女史も巻き込んで?やってみたら余計に面白いはず。
(このふたりにとっても。どちらも実力者だし。楽器も出来るし)。


ともかく、色々あたふたし、ごたごたした末の鑑賞であったが、次回は綺麗な形で見るつもり。
(この時だけは家に戻ろうかな)。
次回も楽しみにしたい。
バンドと作曲の件も前向きに考えて貰えたら嬉しい。
くれぐれも無理はせず。



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Stagecrouwdにて



後ろむきの青

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2014

神村友征 監督・脚本

冨手麻妙 、、、緒川マユ
小川あん 、、、里村実花(マユの親友、いじめられっ子)
小松美月 、、、かおり(いじめっ子リーダー)
妹尾青洸、、、石原晋作(ホームレスのおっちゃん)
天野麻菜 、、、宮川雅子(謎の女子高生)


面白い短編ファンタジーであった。
ヒロインが、あの監督の下で一度ブレイクした女優さんである。
まだ、あどけなさもあり、とても可愛らしい。
突然、屋上で助けてくれるおっちゃんとおっちゃん似の女子高生(どちらも関西人)というのが、余りに非現実的。
それにおっちゃんとの打ち解けようが、すんなり過ぎて無防備で不自然な感じは否めない。
おっちゃんの粗野で文化から取り残された(会話を何でくちでしないで、こんなもんでするのかという)純朴さに打たれたというところか。
(しかし石原裕次郎を知っていれば、はんかくさい虐めなどしない、ってどういう意味だ。内容というよりその雰囲気で乗せて行くタイプだ。糸電話が携帯~SNSの発展形というのだけは面白かった)。
虐めから庇った親友、実花に裏切られ絶望に打ちひしがれたところに防衛的に立ち現れた幻影~白昼夢とも受け取れる。
マユが遊園地に行きたいとねだったその日に糸電話を残しておっちゃんは消えるが、その屋上以外の処には出現出来ないのだ。
糸電話だけは(実体として)、しっかり現実に残ったのだが、、、雅子もこれに機種変しようかななどと言っていた(笑。

ホントの虐めの世界であれば、屋上のおっちゃんもそのおっちゃんくりそつの威勢の良い謎の女子高生もいない。
糞屑どもと闘い続けるか、授業成立しない底辺校などさっさと辞めて大学受験資格取って大学から始めればよい(流石にそのままでは中卒どまりだし)。楽しい学園生活とかはともかく、貴重な友人は出来るかも知れない。
まあ、馬鹿と闘ったところで得るものは何もないし、その高校自体行く価値はないと思うが。

糸電話を耳にしたときに携帯が鳴り、学校に戻るとかおりの罠であったが、屋上に追い詰められたマユを救ったのが、おっちゃんからバトンタッチした(としか考えられない)雅子であった。
彼女は学校から実際にマユを河原に連れ出し、おっちゃんのようにこころを和ませてくれる。
何であれ、やはり引き継いでいる。ほとんどおっちゃんのノリだ(こういうこと自体、現実にあって良いと思う)。

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このマユは、また高校に戻り、闘うつもりのようだ。
あれ程、最悪な環境に未練がそもそもあるのか。意地か。不良たちの方に向かって行った実花が気にかかるか。
ふたりが腰を上げると、髪が酷く乱れお腹を押さえた実花が無言でマユを迎えにやって来た。
微笑む二人。実花が頑張ったのだ。
しかし実花が戻って来て、雅子が加勢してくれても3人ではどうにも立ち行かないのでは、、、。
もう少し巻き込まないと。
それこそ、SNSの使いようでもあるが。向こうより上手く使うことだ。
校内だけでなく、外部からも引き込まないと。フルにね(笑。

虐められてる友達を庇ったことで、自分が虐められる立場となるパタンはよくあること。
それまで虐められていた子は、いじめっ子グループの奴隷みたいな立場でがんじがらめに。
どちらもターゲットにされたところで悲惨極まりないことになりかねない。
その中にいて抜け出るには、立場を逆転する必要がある。
やはりもっと人材が欲しいところ。

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この映画、最後に実花が戻って来て、何やら良い兆しみたいな雰囲気で終わるが、何も変わっていない。
更にエスカレートする可能性も見える。
「学校に戻る」と言っても展望あるのか。
わたしには全くお先真っ暗なヒロインたちに思える。
映画としては、奇麗な撮り方で、枕詞風カットも随所に利いており、吸い込まれるように観ることは出来たが。
希望の見えないままのエンディングは、ちょっと残念であった。


冨手麻妙や小川あん主演の他の映画も観てみたい。




AmazonPrimeにて



くさいけど「愛してる」

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2015

永井和男 監督

ルーデルマン大地
上西愛理
奈須崇
井戸川真子
篠崎雅美


短編映画に嵌って?そこそこ経過したものだが(微妙な言い方)、どれも内容に対して丁度良い尺に思える。
本作は23分であるが、長くも短くもなかった。わたしも慣れて来たのか。
いや、3時間越えでも短くてあっという間の映画もあれば30分程度でも長く感じ途中で止めてしまうモノもある。
映画時間は、間違っても時計時間ではない。
ここは肝心なところ。

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触覚や臭覚などの原始的な感官は、身体的に深いかかわりがある為、生理的な快不快に直結してしまう。
聴覚も微妙な立場だ。
知的な器官である視覚などは、見て見ぬふりで回避できたりするものだが。

ゲームの二次元キャラに恋する彼女の口臭が凄くて悩む男子の噺?でよいか、、、。
この彼女に口臭のことを告げるかどうかで彼はとても悩む。
かかりつけの歯医者に相談すると大笑いされるが、仕舞に同情される。
「逆さにしたスカンクを丸ごと誤飲」が、例えでなくそのままの意味で言っているところがシュール。
そして口臭計測器を貸してもらうことに。ともかく計ってみろと。
彼女は自分の口臭に全く無自覚(で高飛車)なのだ。

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100を越えたら医者に診てもらうレベル。
まずないだろうが1000を越えたら環境問題レベルの大問題と謂われる。
そして彼女が部屋に遊びに来た時、タイミングを見計らって計ってみると、何と3000越えなのだ!
これには彼も驚く。このままにしておけない。
これではレストランで隣の席の客が逃げてしまったり、信号待ちでカートに乗った赤ちゃんに話しかけたら彼が号泣してしまうのも分かる。

自分の匂いは周囲は分かっても自分だけ分からないことが多く。
正直これは、怖い。
臭いに限らず、生理的な面での周囲への影響は自分では自覚できないことが多い。
(または神経症的に過剰に気にしてしまうこともあり悪循環を生むパタンも)。
基本的に健康に気を付け親しい人などに注意してもらえれば被害は最小限に抑えられるかも知れぬが。
(こういう類のことは、文化的にも指摘し難いところがあり気まずい場合が多い)。

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彼女に意を決して口臭の件を打ち明けると、彼女は怒って部屋を出て行ってしまう。
何でこれまで、いい男に何度も逃げられてきて、あんたくらいの男と付き合う羽目になっていたのかがよくわかったわ、、、と。
その原因を知らせてくれた彼に感謝すれば、と思うのだが。

彼は彼女を大急ぎで追うのだが、外に出る前に部屋に消臭スプレーを撒きまくってから走って出てゆくところが、実にリアル?
そして彼女に縋り、臭いけど愛してる。愛してるけど臭い。とか叫ぶ(爆。
(わたしはこの映画の題を見た時、「愛してる」とか言うくさい言葉で告白する類のモノかと思っていたが、想定外の即物的な映画であった。断然、こちらの方が面白いが)。

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この彼は香りのよい女性と付き合い始める。
口臭女子は、歯医者に診てもらい、自覚の上、ガスマスクを自ら付けて歩き出す(笑。
そして一度は別れた彼に電話する(名前は「アホ」となっていた)。
しかし時すでに遅し、で彼は新しい女子を部屋に呼んでいた。
だが最後に大捻り!今度はこの女子のブーツの匂いが卒倒するほど臭いのだ(爆。


徹底してそこに拘る映画であった。
斬新。
切り口は良い(しかし一度やったらもう後は基本、物真似で酷評されるだけだろうな)。



AmazonPrimeにて





こぼれる

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2011

手塚悟 監督

伊東沙保、、、奥さん
小鳥、、、共通の親友
倉田大輔、、、旦那


な~るね。
感想はこれに尽きる。

女ふたりは全て分かっていて旦那だけ分かってない。

奥さんは、子供を望みまだ生まれていない子供の部屋まで作っている。
だが体質的な問題で不妊治療を受けているところであった。

4年ぶりで偶然、幼稚園の絵本を読む会で出逢った瞬間に奥さんは全てを察知したのだろう。
自分が結婚を今の旦那と決めた後で突然姿を消した女性である。夫婦ふたりの共通の親友であった。
彼女には可愛い女の子がいて、シングルマザーとして育てているのだ。
「突然いなくなっちゃってごめんね」
(かつての親友である女性は、覚悟を決めて、また付き合いを再開したのだ)。
女ふたりの情念の渦巻く空間の張りつめた感触がシッカリ伝わって来る。
独りだけ何も感じない、とんまな男も良い味出してる。

そうした舞台のドラマであった。
短くきっちりと伝えたいものが仕上がっていた。
30分の短編もの。
マンションの室内だけでも、ストーリー~脚本の出来が良ければ、魅せるものになる見本みたいな作品。

子どもが絡むと女性~母性は、こうもオカルティックホラー空間を召喚してしまうものか。
特に終盤の緊迫感たるや、、、
結婚祝いに来るにあたって娘を他人に預けて来たのに、ここの奥さんが秘密裏に連れて来ていたのだ。
どういうこと?そしてシチューに愛娘の髪飾りが混入している、、、。
ここで親友は大パニック。娘に何をしたの?奥さんは何も返さない。血相変えて各部屋を探して回る母。
(こんな段階でもぼんやり御馳走食べてる旦那も凄いが)。
そこそこのホラー映画なんぞよりずっと怖い。

特に奥さん。
終始怖かったが、終盤の怖さは(演出も含め)秀逸であった。
後ろ姿、不動、無言、眼が違う(笑。
この女優さん賞状ものだ。

娘は奥の部屋でスヤスヤ眠っていたが、もうこの3人の関係は戻らないだろう。
旦那はどうでもよいとして。


AmazonPrimeにて




冬のほつれまで

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2020

多持大輔 監督・脚本・編集

青根智紗、、、根本(自閉症児)
北崎京佳、、、クラスメイトの女子
近藤奈保希、、、売店のおばさん


音がやたらデカいが、聴き取りずらい。音の解像度がとても低い。
その辺、イラついた。
その分、色調が落ち着いていて観易くて助かる。
ディテールに独特のもどかしさも感じたが、、、。

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ジャームッシュの映画、「パターソン」とかは大好きだが(こちらは詩だ)、この映画は(絵に置き換わったとかいうわけではなく)、生理的にイラつくことが多い。
元々比べる映画ではないが。
これは、単なる「自閉症児」の生態をドキュメンタリータッチで描いているに過ぎない。
余りに典型的など真ん中の「自閉症」だ。
ここに過剰な意味を掘り出して見せるのは滑稽なだけである。

それより、根本さんが「自閉症」であることは、どれだけ周知されているのか?
そこが問題である。
周知されているとは思えないのだ。
クラスメイトの女子が普通の無口な子に話しかけるように何度となく執拗にコミュニケーションを図ろうとしてくる。
決して暴力的にならず、繊細に相手の日常や趣向をもとに自分もそこに興味を抱いていることを伝え、分かち合いたい趣旨を伝えている。ここに何ら非難すべきところなど無い。
(よく発達障害など精神的、知的障害を持った人が、それに対する理解を欠いた人による暴言や行為などで酷い状況に追いやられるケースがある。人の違いを認め、適切な関り方が求められることが重要であり、不当な差別も排することが出来る)。
しかし何故か虐めもなく伸び伸びマイペースで生きているのも窺える(これは良い事だが)。

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ただ、自閉症に普通に話を持ち掛けても何の成果もない。
そっとしておくことがもっともよい関りだ。
顔(表情)はほとんど映さず、手や足だけの描写が目立つが、そこに何らかの饒舌なきもちが表出されている訳でもない。
少し押し付けがましさを感じるところ。
根本さんが、息苦しいほどのルーチンで固めていることはよく分かる。
学校には誰よりも早く登校するのか。いつもの観葉植物のスケッチ、カッターで削る鉛筆、お決まりのマシュマロにジュース、必ず自前のストローを使用、校庭の古い木に隠した蜂蜜(森の小動物みたい)、放課後のメロンクリームソーダ(注文はどうしているのか)、、、売店のおばさんの今日の占いは呼び止められると素直に聞いている、、、等々。ここに時折、クラスメイトの女子が絡むが全くの無反応。残酷なまでの完全無視。

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彼女の放課後の喫茶店でのルーチンで、ホンの束の間、隣の席の会話に耳を傾ける。
他者に全く興味がないという訳でもないようだ。
その他者たちも、単に自分の思いだけぶつけて相手の気持ちを察する気などなく、一緒にいてもまるで噺が噛み合わない。
所謂、ディスコミュニケーションの顕な様子が晒されているだけ。
ここに登場する人で、気持ちを相手と分かち合いたいと望んでいるのは、あのクラスメイトの女子だけではないか。

この映画、他のクラスメイトや担任、彼女の家~両親とその関係など一切映さない。スッキリ切り捨てている。
(斬新な潔い構成だ)。
他の人間との関係と敢えて謂えば、よく喋る売店のおばさんくらいで、この人は彼女のことを認識して関わっているようには思える。
(とは言え、引籠りが殺人事件を起こしたニュースを取り上げて、無神経振りは発揮していた)。
根本さんに殊更興味を示し関ろうとしてくるその女子も抱え持った問題を強く感じる。
親近感を彼女に覚えていることは確かに見て取れるものだ。しかし自閉症に相手の気持ちを推し量る気など毛頭ない。
彼女は、何としても根本さんをこちらに向かせたいがため、彼女のスケッチブックをクシャクシャにしてしまう。
明らかに自分がやったことが分かるようにして。幼い発想というより彼女なりの究極の賭けに出たと言えよう。
それを見つけた根本さんの仕草はちょっと落ち着き過ぎであるが、一枚一枚剥がして、紙を平らに手で伸ばしつつ絵の輪郭を指で撫でることを只管繰り返す。

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そしてクラスの扉の前で根本さんの好物のマシュマロを食べながら座り込んで待つと、彼女がやって来て「スケッチブックがクシャクシャになってたのを見たぞ」とか、すごんでマシュマロを一つ取り上げて食べて行く(笑。
その女子はとても不安げであった表情を緩め、ついにやったという達成感みたいなものを滲ませていた。
ホントよくやったと思う。しかしなかなか自閉症があんな返しはしない。
というより、あるべきものが違うかたちとなっていたことを発見した時点で、大パニックになるものだ。
ルーチンが何らかの障害で乱れた場合に同じく。
もしそれほどの自閉でないとしたら、最初の頃に彼女に対し「悪いけどわたし一人でいたいの。ほっといて」とか言っておくべきだろう。そうすればあの子も振り回されることもなく、他の自分に近い子を探して関わっていただろう。
売店のおばさんが今日は1位のとても良い日だと喜んでくれた日の出来事である(笑。


意図的にやっていることは分かるが、それが説得力を増したり、感動的だったり、印象に残ったり、心地よかったりするものに繋がるとは限らない、、、。「冬のほつれ」ねえ。
ほつれれば、それに越したことないが。



今日はいつもより長めの67分の短編であった。長く感じた(笑。



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家族ごっこ

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2018

サトウタツオ 監督 

奥咲姫、、、主催者ナナミ
  以下、皆ごっこ役の家族
室上茂,
田口ゆたか
苑花奏,
田中克憲,
福原佑樹,
松永毅,
宇海凛


奥咲姫の主演ショートもの二本目。”Happy Hunting”に続き。
この女優さん、どんな役でも熟せそうだし、もっと沢山の映画に出て欲しいものだ。

今回も、普通の家の主に一部屋を使っているだけのもうこれ以上ないくらいの低予算もの。
でもこれで充分。

ある男性が「家族ごっこ」というチラシを見てその場所を訪れると自分を含め5人の「家族」が集合となった。
金目当てのチャラい感じから何やら抱えた重い雰囲気の人から、その面々ですんなり行くものかどうか、、、
怖いわ、結構。まあCUBE程ではない。殺される心配はなさそうだし帰れそうだし(笑。
だが、主催者がやたらとキツく要求レベルが高い割に集まった素人集団が酷い大根で成り立たない。
彼女は飴とか投げつけて怒り罵り、次々にクビにしてゆく。
当然クビだわと思うものと、かなり頑張って乗って来たのにというケースもある。
主催者のメガネに適わなければ、それまで。

一日1~3時間くらい家族の振りをして演じてくれれば、ひとり日給3万円。
これ自体、悪くない噺だ。
しかも前払い。出来不出来に限らず。
だが、不出来だと、その場でクビ。もう後がない。
気楽な気分で来た者は、皆途中からいなくなってしまう。
続かない。

主催者が、どれくらい(何日くらい)続けるものかも分からない。
全て彼女の気持ち次第。彼女の狙いとは、、、。

何で「家族ごっこ」なのか、、、。
暫く顔を合わせてゆくうちに、役柄ではなく、本心で喋る余地も生じて来る。
金だけ目当ての者は忽ち消えたが、それ以外は家族に問題を抱えて来た者で、疑似家族体験から何かが得られるのではとやって来たようだ。だから縋りつく情熱も多少ある。
一種のカウンセリング、セラピーのロールプレイ療法みたいな。それを金をもらって受けられるなら儲けもの?
家族問題でケアーを求める人は少なからずいるものだ。

主催者の若い女性も家庭崩壊を経て、これを企画したらしい。
このシナリオがあるようでない疑似家族体験がどう機能し作用するのか。
「家族」自体が本質的に最早無意味であることを悟り別の場所へと展出を図るのか。
「家族」を再定義し、新たな家族像を生成したうえで、その家族の中で生きてゆこうとするのか。
徒に適当な演芸を続けてゆくのも限界がある。彼女の貯えも心配になるところ。

結局、おとうさんとおかあさんの2人になってしまい、この家族は実質立ち行かなくなるが、役を離れた関係性(演者に対しメタ関係は彼女が強く禁じていたのだが)も自然に生じていたことから、翌日は素でこの男性二人と彼女が語り合おうということになる。
翌日、ただの人となった二人が食べ物の入った袋を手に訪れると、何と彼女が手首を切って倒れているではないか。
驚愕し絶望に打ちひしがれる二人。
そこへ彼女が。
ケチャップ狂言自殺である。(ここまでの流れは完全に予想がついた)。
これはショック療法か。何に対する?関係性の鮮烈な更新の為の?

すでに家族がどうというより、情の通った人間同士の関係が目覚めていたところに、これである。
全身冷水浴びたような気持で、きっと率直な噺が腹を割って出来た事だろう。
もう家族(という概念)自体、拘りも必要もあるまい。


最後はひとり吹っ切れた表情の彼女であった。

ちなみにわたしにとって、家族とか宗教とか全く無用なものだ。
早晩消えてなくなってよい。



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”Bon voyage.”

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