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GOMA28

Author:GOMA28
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村上ロックを聴く季節

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怪奇現象みたいな暑さで、こんな時は怪談でもと思うが、白い服の女がトンネルで後ろ向きに走って追いかけて来た、みたいな話を聞いても微妙なだけであり、もっと骨のある話をじっくり聴いてみたい。
ということいで、村上ロック氏の話をまた聴いてみることにする。


わたしにとって村上ロックとは、「怪奇蒐集者 黄泉がたり 村上ロックより抜粋」で紹介した噺が極みであるが、この他にも味わい深いものが幾つもある。後を引く。というか、つまらぬものはない。

とても優れた怪奇蒐集者であり卓越した語り部である。
他の怪談師も10人程は聴いているが、この人の右に出る者はいない。
圧巻の語りであり内容である。

彼の特徴は、語り口が滑らかで淀みがない。過剰な演出などの鬱陶しい要素が全くない。
いつも噺が、すうっとはいってくる。ともかく変な癖がないところが良い。
特に噺が映像として極めて鮮明にイメージ出来ること。
これについては他の話者もそういった技術には長けているが、村上の場合、そのVFXが強烈なのだ。
そうまさにVFXである。これを映画などで実写版にするとなれば、相当高度なVFX技術を要するものになる。
こちらとしては、彼の語りによって脳内に強烈なイメージが形成されている分、ヘボな特撮をかましたら糞みそに叩かれることになろう。
そして何より、怖さの質~次元が他の話者とはまるで違う。
必ず通常の思考の枠を揺るがす驚きがあり、物理的~哲学的な思考を呼び込む強度がそこにはある。
怖いというより驚異で揺さぶる怪奇譚なのだ。

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「村上ロック2」を聴いてみたが、これもまた唖然とする。
「雪女」で、父の5歳のころの親友の死を巡る怪奇現象を息子がそのまま追体験する話にはギョっとさせられた。
息子は自分の5歳の時に親友との雪の中での遊びと急に現れた美しい顔をした女の子に対する激しい違和感、その娘と遊ぶことにした親友が恐ろしい力で連れ去られたことを場面ごとに切り貼りされたような記憶として鮮明に覚えている。
個々の場面を繋ぐ(関連付ける)地の部分の記憶はない。非連続的な場面を異様に生き生きと記憶に持っているのだ。

雪女とは記憶をコピーペーストする能力を持つ者か。父子の間で(言葉によらず)記憶が引き継がれるはずはない。
(勿論、精神科医であれば、遺伝的にではなく幼少期に聴いて埋もれていた記憶~話が呼び覚まされると謂うところだが、ここでは全く父は彼に話はしていない)。
そして父のときの彼女は童女で今の息子に対しては大人の女性となって改めて現れるというのは、彼女なりの個有時を示している。
彼女ならではの文脈を持っている。彼女は何をしたいのか、どういう存在なのか。雪女とは、、、。
いずれにせよ、生々しい事象としてこんな風に語られると、伝承されている怪奇譚の色が変わってしまうではないか。
そんな説得力を帯びた語りなのだ。

murakami001.jpg

まだ他にもたくさんあるが、特に「お笑い番組」、「黄色い目」、「怪奇列車」なども凄まじく面白い。
しかし何よりも「今いる世界」は空前絶後の噺だと思う。

村上ロックとは何者かと思う方は、是非これをお勧めしたい。
(いやこれを最初に聴いてしまうのも、余りに勿体ないか)。
何にしても、どれでも面白いこと請け合いである。




AmazonPrimeにて








死の谷間

Z for Zachariah001

Z for Zachariah
2015
アイスランド、スイス、アメリカ


クレイグ・ゾベル 監督
ニッサー・モディ 脚本
ロバート・C・オブライエン 原作
ヘザー・マッキントッシュ 音楽

マーゴット・ロビー、、、アン・バーデン
キウェテル・イジョフォー、、、ジョン・ルーミス
クリス・パイン、、、ケイレブ


登場人物が3人。
犬が一匹。
放射能汚染を奇跡的に逃れた渓谷の土地を舞台に一人の女性を巡るドラマが描かれる。

文明の滅んだ後、何故かまだ生きている人が僅かばかりはいる。
自然環境は人体に害を齎すだけだが、、、免れて生き残る人もいるのかも知れない。
最初は、アン・バーデン(マーゴット・ロビー)が独りだけで地味に防護服着て仕事をしていたが、途中から二人になる。
彼女が汚染された池で水浴びを始めた黒人男性を助けたのだ。
彼は以前政府機関でエンジニアをしていたが、核シェルターを出てやって来たと謂う。
自然環境のない生活に耐えられず外に上がって来たのだと。
彼はアンのお陰で命を取り留める。

Z for Zachariah004

谷が緩衝地帯となってアンは何とか生存出来ている。
そこは農業が可能な地なのだ。
帯水層があって水に困らない。
汚染されてない水があるというのは大きい。
この土地の川では綺麗な魚も採れる。
野菜と魚、時には鳥も食べることが出来れば生き残ることは出来る。
しかし独りは淋しく心許ない。発電機も壊れガソリンもなくなり生活は以前より困難さを増す。
元エンジニアのジョン・ルーミスが協力する共同生活が始まる。まずは発電である。電気は大きい。
こういった状況下で親密になるのは自然かと思うが、彼は頑なに一線を守る。

Z for Zachariah002

教会を利用して発電しようとジョンは提案するが、信心深いアンは教会は何とか守りたい。
父の教会なのだ。
彼女は神を信じている。
ジョンは無神論者で合理主義者である。
しかし彼女のこころを尊重し他の方法を探ろうとする。
彼女は結局、神の計画に従うという。

そんな折、彼等の卵を盗もうとした白人男性ケイレブに遭遇する。
素性の分らぬ男の為、2人とも始めは警戒するが、真面目な態度に気を許し、迎え入れる形となる。
3人とも相当過酷な人生を送ってきたことを互いに確認し合う。
ケイレブとしては安定して安全な食料にありつけることは大きいが、南の地に幻想~憧れも抱いていた。
3人による共同生活が始まり、打ち解けては行くが、微妙な蟠りは生じてゆく。
だが暇な生活を営んでいるわけではなく、発電システムの構築を描いている矢先である。
労働力の倍増は願ってもない。

Z for Zachariah005

彼女も復興の為、教会を水車の資材に活用することを決心する。
ルーミスの計画に従い、3人は教会を解体し仕事を熱心に進めてゆく。
その濃密な時間のさなか、自然に三角関係も深刻さを増す。
ジョンはアンに愛を告白し彼女は真剣に受け止めるが、同時に彼女はケイレブとも一線を越えてしまう。
ここが人間~女性の難しいナイーブなところであるか。
それを引きづりながらも、汚染された滝の水で動く大掛かりな水車は完成を迎える。
水力発電が現実のものとなった。

Z for Zachariah003

しかし最後の段階、ケイレブが水車の設置を済ませ、崖を防護服でやっと上がってきた時、足を滑らせる。
ジョンは命綱を懸命に引くが、、、ここで見つめ合う二人の瞳が何とも言えない、、、。
結局、どうなったのか。
家じゅうに電気が灯り、冷蔵庫を開けると中が明るく冷えているのに感動するアン。
そこへ独り戻り、君に感謝の言葉を残しケイレブは去って行った、とジョンは伝える。
以前からケイレブは南の地に幻想を抱いていた(水車の件で足止めしていた部分もある)。

アンは丁度、ケイレブとのことをジョンに話そうとしていた時であった。
顔色を変え必死にケイレブを探し、丘の上から見渡すアン。
押し黙るジョン。
何ともやるせない。


清楚なマーゴット・ロビーのチャーミングさが際立つ映画であった。
彼女の弾くハモンドオルガンの音色がとても切なく。

3人のキャストは申し分なく、、、
哀愁に溢れていた。

(人が地上にほとんどいなくなってもこういった問題はそのままである)。


AmazonPrimeにて











恋する遊園地

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Jumbo
2019
フランス・ベルギー・ルクセンブルク

ゾーイ・ウィトック 監督・脚本


ノエミ・メルラン、、、ジャンヌ(遊園地の夜間スタッフ)
エマニュエル・ベルコ、、、マーガレット(ママ)
バスティアン・ブイヨン、、、マルク(上司)
サム・ルーウィック、、、ユベール(ママの愛人)


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夜の遊園地の恍惚とした電子的空間が心地よい。
その光や音が自律している。奇妙な弾けよう。
モノとこころが通じる感覚で溢れている。

観覧車を真似して自分の部屋で作っているヒロイン。
特に新たに導入された”ジャンボ”とジャンヌは意思が通じ合う。
誰もいない遊園地で一緒に遊ぶ。

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ジャンボはソフトマシーンと謂えるか。
しかし黒いオイルは何とも言えない。
ジャンヌは一緒にいると幸せになれるという。ジャンボもそのようだ。
いつの間にかそうなっていた。
いつのまにか性の対象がマシン~遊園地の遊具となっていた。
(こういうこともあって良いと思うが)。

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ジャンボとの仲を母に告げると、、、
激昂した母に家を追い出される。
保護能力のない母に。
認められないと謂うより、理解の範囲を超えていた。
こういった性の解放は、大変なことだ。
母にとり相手は命のない物に過ぎない。
母は娘の作った精巧なミニチュアアトラクション模型も全て壊してしまう。
そして単なる病気とみる。
母に失望し落胆するジャンヌ。

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しかしソレは存在しているのだ。
こころが波立つ対象なのだ。
絶対的存在なのだ。

だがどうしても理解・容認してもらえない。

一度は疲れ果て、諦め忘れようとするが、どうにもならない。
お互いに極めて真剣で真面目なのだが、理解し合えない。
こういう絶望的関係は確かにある。
LGDBなども初期においてはこのような扱われ方であったか。

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毎年恒例の遊園地主催パーティーで、ジャンヌは最優秀従業員には選ばれる。
上司のマルクから表彰状と小切手を受け取るのだが。
ムーブ・イット~ジャンボの撤去を宣言される。
そういう魂胆なのだ。彼はずっと彼女をジャンボから引き離そうとしていた。ジャンヌに気のあることもあるが。
ジャンヌは憔悴しきってしまう。
マルクは病院に入れろという。そんな男であった。
母の愛人だけはジャンヌを理解し彼女を庇い、母や上司を叱る。

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音楽も良かった。
結局、母も彼女を受け容れ、解体の前日に結婚式を挙げることにする。
ユベールの援助も大きかった(頼りになる義父である)。


色々あって良いのだ。

事実から生まれた噺であると冒頭にあったが、パリのエッフェル塔に恋をして実際に結婚した女性のエピソードを元にしているという。なかなか洒落ている。


やはりこれを観たら「燃ゆる女の肖像」を観たい。
最近珍しく凄まじく評価の高い映画であるし。



AmazonPrimeにて















物置のピアノ

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2014

似内千晶 監督
斎藤三保 脚本
原みさほ 原作
丸山朋文 音楽

芳根京子、、、宮本春香 (女子高生、ピアノが得意)
小篠恵奈、、、宮本秋葉 (春香の姉、東京の女子大生)
渡辺貴裕、、、会川康祐 (疎開してきた高校生、トランペット担当)
西野実見、、、斎藤加奈子 (春香の親友)
平田満、、、宮本賢一 (春香の父親)
赤間麻里子、、、宮本恵子 (春香の母親)
織本順吉、、、宮本正賢 (春香の祖父)
神田香織、、、木島冴子
佐野史郎、、、会川康二 (康祐の父)
長谷川初範、、、小林健司 (ブラバン顧問)


東日本大震災から1年が過ぎた2012年7月夏休みの期間。
福島県桑折町の桃農家が舞台。
物置に置かれたピアノを巡る対照的な性格の姉妹の葛藤を中心に描く。

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春香はピアノが好きでピアニストになりたい夢は抱いていたが、率直に言い出せずに進路希望も出せずにいた。
一方、姉は快活な社交的な性格で、自分の要求は何でも臆することなく言うことが出来、上京先から帰ると直ぐに留学希望を切り出す。
しかし実家である桃農家が風評被害などで全く出荷出来ず売れなくなり、祖父は塞ぎ込み認知症も発症する。
2人の姉妹には弟がいたが幼い時の川遊びで事故死していた(大震災ではなく)。
この件もずっと尾を引いていた。

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この地に父息子でやって来た会川の存在が春香の心を揺さぶってゆく。
姉もいつまでも内向して籠り続ける妹に業を煮やす。
失った者~幼い弟や祖父の桃作りなど失われつつあるものに囚われ続け前を観れないでいた春香。

物置で祖父がタバコの不始末から出火してしまい、ピアノは音が出なくなってしまう。
漸く親しくなった会川は、父の就職口が東京で見つかり夏休みのチャリティーコンサート後には上京してしまう。
お別れである。
祖父も入院したり、、、
姉とは険悪になってゆく。元々要領の良い外交的な姉と散々比べられそれがトラウマになっていた上に、、、。

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要するに過去の思い出から吹っ切れることである。
それが何のきっかけでもよい。
ふとしたことでそれが解かれることもある。
それを受け容れれば、手放すことが出来るだろう。

ここでは、忽然と現れた蛍がそれを導く。
もしかしたら弟の導きかも知れない。
蛍についてゆき、音の鳴らなかったピアノを弾き始める春香。
そこに姉、秋葉も現れ仲良くパッフェルベルのカノンを連弾する。
これで相転換となった。

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春香は、姉のアドバイスも受け、両親に東京の音大進学を頼みこむ。
それによって姉の留学は今年は見送られることになったが、姉は妹のため了承する。
会川が父と東京に発つ時、ホームで大事なキーホルダーを渡す。「じゃあ」とだけ言って別れる。もう恐らく会うことは無いだろう。
役所勤めの父、賢一は定年後本腰を入れて桃農家を切り盛りしてゆくことを決意する。
姉の大学の農学部の学生たちが、研修を兼ねてボランティアで働きに来てくれるなどし、祖父は見る見る元気を取り戻す。
こうして全てが前に動き出してゆく。

春香が音大の実技試験を受けるところでエンドロール。

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芳根京子女史がしっかりピアノを弾いていた。素晴らしい。
今TVの連続ドラマで、いくちゃんと共演中だが、ふたりは同学年だという。その上ピアノが上手とくれば噺も合うのでは、
同じく同学年のお友達、エライザ女史の方が(デモーニッシュ~ディオニュソス的で)面白いとは思うが、このひととも仲良しになれるはず。
バナナマンの番組で二人で食べ歩いていたし。
(とてもよく食べていた)。



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パーム・スプリング

Palm Springs001

Palm Springs
2020
アメリカ、香港

マックス・バーバコウ 監督
アンディ・シアラ 脚本
マシュー・コンプトン 音楽

アンディ・サムバーグ、、、ナイルズ()
クリスティン・ミリオティ、、、サラ(タラの姉)
ピーター・ギャラガー、、、ハワード(タラの父)
J・K・シモンズ、、、ロイ(結婚式のゲスト)
メレディス・ハグナー、、、ミスティ(ナイルズの彼女)
カミラ・メンデス、、、タラ(花嫁)
タイラー・ホークリン、、、エイブ(花婿)


自分の意志に反し何度となく、同じ日の並行世界に移動してしまう噺か。
しかも(ナイルズ、サラ、ロイ)の3人そろって一緒に。
まあそこは、洞窟での事故ということで。現状についての受け取り方は3人3様であるが。
繰り返すと言っても彼らの意識はリセットされず記憶されて持ち越される。外界~系が同じ日に設定されているだけ。
つまり同じ日と謂っても彼らの内界はどんどん変化を続け、周りの状況も毎回少しずつ変わっており、彼らの関わり方によって変わっていた。だが、外界はそれを引き継がない。これが絶望的な非連続。

Palm Springs002

パーム・スプリングス(カリフォルニアの砂漠のリゾート地)を舞台に同じ日がループする噺。
全てがリセットされてしまう世界というより並行世界への絶えない移動と観る方がスッキリする。
目覚めればサラの妹タラの結婚式当日からのスタートとなるのだが。
彼等にとっては無限ループに捕らえられたという意識だ。とは言えまだ、「エンドレスエイト」(涼宮ハルヒ)の比ではないが。
ここで反復を経験しているのは、ナイルズとサラとロイ。
自暴自棄となり刹那的に日々を送ったりもするが、流石に考える。
ここで如何に幸せを見出すかというロイ。サラとともにここで幸せに生きたいと願うナイルズ、ここを出るのというサラ。
(これでは実質、この世界には3人しかいないに等しい)。

Palm Springs003

ここは意味のない世界とサラは言う。
確かにそうだ。
エンドレスエイトでのハルヒもSOS団で集まり様々な行事を愉しむ。
彼女は「夏は夏らしく、夏でなければできないことをするの。失った時間は決して取り戻すことはできないのよ。だから今やるの。このたった一度きりの高1の夏休みに!」と皆に檄を飛ばす。
一度しか出来ないことこそが尊い価値なのだ。一回性こそ人生の意味なのだ。
サラは人生を取り戻そうとする。

サラはループを抜け出すため、量子力学を勉強し始める。
大変骨の折れる勉強だが、それは可能だ。
自分の意識は連続性を持っているのだから毎日続きを勉強できる。
周りが何ら連続性を持たなくとも、自分の知識や認識は深まり蓄積や変化も生じてゆく。
そして自分なりの論理を構築して実験を繰り返す。
ヤギを洞窟で爆破させたらヤギがいなくなったことで、その方法に賭けることにする。

Palm Springs004

ナイルズも彼女と共にその人体実験に賭けることにする。
運命を共にしたいからだ。
最後はケイトブッシュのクラウドバスティングをBGMに。
良いのでは。

Palm Springs005

最後、成功をロイが喜んでくれた。
こういうラブコメもありか。




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サイコ2

Psycho II005

Psycho II
1982年
アメリカ

リチャード・フランクリン 監督
トム・ホランド 脚本
ロバート・ブロック 原作
ジェリー・ゴールドスミス 音楽

アンソニー・パーキンス、、、ノーマン・ベイツ
ヴェラ・マイルズ、、、ライラ・ルーミス(メアリーの母、マリオン・クレインは伯母)
ロバート・ロッジア、、、ビル・レイモンド博士
メグ・ティリー、、、メアリー・サミュエルズ(偽名、ライラ・ルーミスの娘)
デニス・フランツ、、、ウォーレン
ヒュー・ギリン、、、ジョン・ハント保安官
ロバート・アラン・ブラウン、、、ラルフ
クローディア・ブライアー、、、エマ・スプール医師
オズ・パーキンス、、、少年時代のノーマン


前作のマリオン・クレインがバスルームでめった刺しされて殺される一部始終がそのまま写されて始まる。
明確にこの作品はサイコの続編であることの宣言であろう。22年越しの。
そして中盤に同じシーンで全く同様にメアリーがバスルームでシャワーを浴びるときにはドキドキしてしまう。
幸いここで刺されることはなく、ホッとするが、、、
モーテルは詳細な描写はないが、そこから見上げるノーマンの屋敷はそのままであった。
どうしても目が行ってしまう窓が実に不気味。
禍々しい緊張感が最後まで続く。
今作は、カラーである。

Psycho II003

毒母の呪い~災いが凄まじい。
実母が出て来てウッソという感じだが、それが輪をかけた毒母であった(悲。
溜まったものではない。ノーマンとしても、やってられないものだ。
サイコの続編などと、何と無謀なと思ったが、これも充分面白い。
実際よく出来ていた。
もうこうなってはどうしょもないね。
禍々しさの象徴でもあるあの家も問題だ。

せっかく病院から退院してシャバに出て来たのだし。
違うところに住んでいれば少しは、ましであったかも。
病院より心地よい施設とか。
まあ、あの実母が出て来てしまえば同じことか。
叔母を殺された恨みで復讐に来たルーミス母娘の狂気(母が主であるが)も充分変だが、このレベルならいくらでもいる。
普通にそこら辺を徘徊しているところとは言え。
ノーマンを陥れる為画策して、彼に再び母の自我を植え込んで犯罪に走らせようとする。
これらに加えトゥーミーの嫌がらせもあれば、充分精神的に衰弱はしよう。
(自分の劣等感を埋めるために立場の弱そうな人間に嫌がらせをして優位に立ちたいという人間は幾らでもいる)。
ノーマンの自分自身に対する疑心暗鬼も生じ悩まされ塞ぎ込む。

Psycho II001

ノーマンの弾くベートーベンの「月光」を聴いてメラニーの気持ちも変わる。
メアリーにしてみれば叔母との繋がりは母より薄いところでもあり、、、。
共に暮らしてみて、ノーマンのノーマルな生活を営みたいという気持ちがよく伝わった。
中盤以降、完全にメアリーはノーマンの側につく。
つまり復讐の鬼となった母ライラとは対立することに。

警察と担当医のレイモンド博士たちは、偶々出逢ったように見せかけて接近したダイナー勤めのメアリー・サミュエルがかつてノーマンに殺されたルーミスの姪にあたることも調べ上げ、母と結託してノーマンの亡き母に変装して家の窓に現れたり置手紙や電話などで彼を混乱衰弱させていることが分かってしまう。
だが、メアリーとノーマンが気づいていたことを博士も警察も気づいていない。
その他に第三者が確かに存在し、重要な役割をになっていること。
新たに勃発した殺人事件にその第三者の関与が間違いないことに、思い込みが邪魔して気づかない。

Psycho II002

この第三者の存在を信じブレずにそれを追ってゆけば、最後の悲劇は起きずに済んだかも。
メアリーが警察に撃ち殺されることにまで及ばずに済んだか。
メアリーなどは、いち早く第三者の存在を推測していた。
そして刑事にも相談していたが、彼等は全く取り合わなかった。
つまり最終的に、全ての新たな殺人は、ノーマンに怨恨を抱いていたルーミス母娘によるものとして片付けられてしまう。

そしてノーマンはこのゴタゴタによって元に戻ってしまっている。
本当に母が還ってきてしまったのだ。
その元凶と謂える実母の存在であるが、、、
どうも彼女の魂胆がいまひとつ分りにくいのだ。
単に自分の息子として邂逅するなら、あのような凶行を行う必要があるとは思えない。
どう向き合いたかったのか。あれはやはり実母の趣味であるか。

Psycho II004


メグ・ティリーが瑞々しく繊細な演技をしていたと思う。
寄る辺ないアンソニー・パーキンスの狂気を孕んだ神経質な演技共々とても説得力があった。
主役二人はえらく不仲で撮影は大変だったみたいだが(アンソニーがメグ・ティリーに対し憤っていたそうな。彼女は前作を知らなかったらしい。役作りの上からも当然、観ておくべきであったはず)。
こういうことは、度々あるようだ(「風とともに去りぬ」とか)。
その割には破れ目など何処にも見られない見事な作品に仕上がっている。


音楽がとてもマッチしていて良かった。
良い映画は雰囲気が統一されていてやはり破綻が無い。



AmazonPrimeにて















チィファの手紙

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你好、之華 Last Letter

2018
中国

岩井俊二 監督・原作・脚本・音楽・編集

ジョウ・シュン、、、ユアン・チィファ(妹)
チン・ハオ、、、イン・チャン(小説家)
ドゥー・ジアン、、、ジョウ・ウェンタオ
チャン・ツィフォン、、、少女時代のチィファ/サーラン(妹ユアンの娘)
ダン・アンシー、、、少女時代のチィナン(姉)/ムームー(姉チィナンの娘)
タン・ジュオ、、、ジーホン
フー・ゴー、、、ジャン・チャオ
ビィン・テンヤン、、、少年時代のイン・チャン
フー・チャンリン、、、チェンチェン
ウー・ヤンシュ、、、ウェンタオの母


「ラブレター」の時のようなリリカルな空気に充ちていた。
この結晶質の雰囲気は清々しく心地よい。

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わたしが何よりハッとしたのは、イン・チャンが卒業した中学校を訪れ写真を撮っていた時、突然、かつてのチィファとチィナン姉妹に生き写しの、白い犬を連れたサーランとムームーが視界を横切るのを目にするところだ。
時間系の交わりを見たかのような驚き。
まさに奇跡の邂逅に見えたが、それはユアン・チィファが姉の同窓会で彼女の死を伝え損ね、彼女を誰もが姉と勘違いし、姉を愛していたイン・チャンと奇妙な文通を始めた時から、繋がったことだったかも知れない。

chifa004.jpg

確実に直ぐに本人のみに届くe-mailと手紙の違いは思いの外大きいのかも。
手紙は受け取る本人以外の関係者(家族など)が見てしまい、代わりに返事を書いてしまうこともできる。
ゆっくり情報が運ばれ、届いた家で保管管理されている間にあらぬ措置をされ不測の事態に追いやられる可能性もある。
多くの場合はそれはトラブルに繋がるものだろうが、このように亡くなった母とその恋人との間の切実な愛情物語が娘たちにも繋がり母をより深く理解し見送ることが出来るのだ。
勿論、イン・チャンにとっても世代を超えて大切な人に読んでもらえた意味は大きい。
子供のころの淡い三角関係も実りのあるものに広がった。
この遅延が思わぬ多様な創造的関係を生むこともあり得る。

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娘たちがこんな形で繋がり循環してゆくのがとても詩的に描かれていた。
岩井俊二監督のいつもの独特のトーンである。
落ち着いた静謐な空間にとても素晴らしい役者が絵作りをした作品であった。
皆、言うことなしなのだが、少女時代のチィナンと娘のムームーを演じたダン・アンシーには感動した。
彼女の流す涙は自然にこちらにも伝播した。

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誰かに似ていると思ったら、乃木坂の5期生の井上和に似ていた(わたしの思い過ごしかも。
凄い若手が次々に出てくるものだ。

漸く一息つけた。
良い映画であった。

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AmazonPrimeにて









観たいものが見つからない

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今日も一本観たが、書く気にならない。
サスペンスホラーめいたもの。よく言えばヒッチコック風。
伏線の回収にかけた物語とも言える。
もうその類の作品も沢山作られてきた。
基本フォーマットのなかへの素材の流し込み。
熟練度、手際の良さ、センスなど色々あろうが、何かの仕立物を見せられている感じ、、、。

単に毎日特定の時間を割き、それを観るのに費やすことに飽き飽きしたとも言える。
煮詰まったとか(笑。
昨日でカウントが3004記事目であった(これで3005になる)。
だが、10記事くらい最初の頃の記事は削除している。
長ったらしいからだ。
検索に引っかかるものは、それより7記事少ない。
これはどうしたものか分からない。何らかの形で外れてしまっているのか。
何れにせよ3000記事くらい書いてきたのは確か。

よく続けて来たものだと思う。
似たようなことを。
映画も似たようなものによく出逢う。
必要だから続く面と惰性による部分もあるかと思う。
形骸化だけは避けたいものだ。
(他者からは或る一定の形を求められることは往々にしてある)。

わたし自身似たようなことを続けてきて、、、
この反復が、必ずや自分のためになるものという確信のもとにやって来たが、実際どうであったか。
反復によって形作られるものはある。
間違いなく、わたしは自分のあるべき精神状態に近いものになっている。
ここに更なる破壊力を加えてゆくとして。

明日以降の方向性を少しずつ探ってゆきたい。



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ひと休憩

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今日も映画は一本観たが、何を見せたいのか分からないもので、書きようが無い(笑。
事実から着想を得た作品らしい。つまりモデルがあるようだ。
オカルト映画の範疇だと思うが、実験治療にあたる博士は徹底して科学的に~論理的に捉えようとする。
だが、ポルターガイストが起きて、関係者が皆、驚き、恐怖し戸惑う。
グラムロックがガンガンかかる。
1974年のことだ。

被験者が親に捨てられ、里親を転々として来た若い女性で、自分の中に他者がいてそれが悪さをするみたいな、、。
里親たちも皆ポルターガイストに驚き、彼女を追い出して来たそうだ。
精神病院も転々として来たらしく、ハーバード大学の心理学教授が、彼女を実験室に引き取り、治そうとする。
一人を治せば誰をも救える。
学生二人とカメラマン一人が研究治療チームに加わる。

そこまではよいのだが、それから先が何とも、、、。

超能力~念動力を持つ少女がその力のコントロールが効かず、恰もそれを外部の力のように受け取り、暴走を止められなかった悲劇と言えるか。

要するに科学的にどうこうできる問題ではなかったということだろう。

そうした問題は日常的にも多々ある。
問題の立て方が問題である場合が多い。
妄信が致命的な結果を齎す。

そんな感慨を持った。


この映画そのうち感想を書くかどうか分からない。

「テスター・ルーム」というもの。
効果音が怖かった。

カメラマンが発狂して他は皆、死んでしまった。
被験者も自ら炎に包まれ自殺してしまう。
彼女は、集団自殺したカルト教団のその能力から崇められていた少女その人であった。
イーヴィーは、外から忍び寄る、または彼女に憑く異物ではなく、彼女自身であったという御話。
これでは分離~転移して治すとかいう問題ではないな。


物事をどう捉えるかという問題。
わたしもこれに対し余裕をもって取り組みたい。


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血の祝祭日

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Blood Feast
1963
アメリカ

ハーシェル・ゴードン・ルイス 監督・撮影・音楽
アリソン・ルイーズ・ダウン 脚本

マット・アーノルド、、、ファード・ラムゼイ(狂信者、連続殺人犯)
ウィリアム・カーウィン、、、ピート・ソーントン刑事 
コニー・メイソン、、、スゼット・フリモント(娘、ピートの彼女)
リン・ボルトン、、、ドロシー・フリーモント夫人
スコット・H・ホール、、、フランク(ピートの同僚)
トニ・カルバート、、、トゥルーディー・サンダース(スゼットの友人、被害者)
アシュリン・マーティン、、、マーシー(被害者女性)


元祖スプラッター映画だそうな。
確かにそれだけを見せたい映画に相違ない。
切り刻んだ体の部位など、なかなか力の入ったものである。
この監督の情熱が伝わるところ。
目的がはっきりしている分観易い。

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当時、なんやかんやと言われたそうだが、製作費に対する興行収入は凄い。
24,500ドルに対し400万ドル越えであったという。
笑いが止まらなかったはず。

噺の筋なんてあったもんじゃない。
いきなり乗っけから物凄く濃い顔の犯人が出てきて狂気の目力と眉毛で威圧し若い女性を鉈で切り刻む。
手足を切り取り臓器を一つずつ抉り出して袋に入れて持ち帰る。
脚を片方引き摺っているが、非常にマメに動く。
直ぐに彼がケイタリングの店のオーナー、ラムセスであることが分かる。
ここまで見せておいて、警察は最後の最後まで手掛かりすら掴めないとくれば、いやでも警察には苛ついてしまう。
もうひとり苛つくのは、この店に娘のサプライズパーティーを頼んだフリーモント夫人である。

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しかしショッキングを狙うには、このようにサスペンス性を切り捨てるという潔さが必要だったのだろう。
ラジオから女性の猟奇殺人のニュースが流れ、それを聞いてからバスに本を持って入った女性が、いきなり現れた余りにそれと分かる男にめった刺しされて殺される。ドンドンドンという太鼓~パーカッションが必ず鳴る。
それからは、様々な場所で次々に若い女性がこの男にめった刺しされて殺されてゆく。太鼓の音と共に。
タイトルの背景にスフィンクスが映される。古代エジプトとの関係を匂わせる。
面白いのは、一人の女性から一つの臓器を取ることを信条としているようで、一人から全ての臓器を奪うようなことはしない。
それでは一人で済んでしまうからか?
予め今度狙いを付けた女はこの臓器だと決めて行くのか、その都度この女ならこの臓器だという直観に従うのか?
ともかく、相当な数の連続殺人となる。これでもかと言う程にスプラッター場面と切り取った部位やら惨状を見せつける。
かなりチープな作り物感もあるが、骨の見える切り取った脚とか、眼玉を抉り抜いた顔とか結構頑張っていることも分かる。

Blood Feast002

警察は、被害者の交友関係、所属団体、怨恨などの個人的な関係性からしか見て行かない。
他の文脈、カルト宗教等による完全に外部~超越的な場からの犯行などには考えが及ばない。
スゼットと一緒にエジプト文明の講義をずっと受けているピート刑事も被害者女性が死ぬ間際にイタルー(イシュタル)のためにと言って凄い目力の老人にやられたとまで言っていたのに結びつかない。

そもそもラムセスが何で若い女の臓器を集めているかと言うと、今から5000年前エジプトで執り行われていたという血の儀式の再現に必要なものであったのだ。
エジプトの闇の女神であるイシュタルを蘇らせる儀式を、丁度娘のパーティーのケータリングを頼みに来たフリーモント家でやってしまおうという魂胆。そのための下拵えを毎日、若い女から採取した臓器を煮込み丁寧に根気よく進めてきた。
準備は万端。
最後の仕上げとばかりに、当日主賓である娘をその家の台所で切り刻もうとしたところ、丁度このパーティーを計画した夫人が入って来て、事なきを得る。

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そこへ漸く、ラムセスが怪しいと気づいたピート刑事がやって来て、大丈夫かと娘に聞く。
娘は大丈夫な訳はない。お友達のトゥルーディーもラムセスの店に行ったら切り刻まれてたと聞かされ大泣き。
そして何だか呑気に逃げた犯人を追ってゆく。
相手は脚も不自由で走るのも遅いが警官が何人もいて追いつかない。
ゴミ収集場に逃げ込んだ犯人はゴミ収集車の中に自ら入りその中で刻まれることに。
終始この形に拘った映画であった。

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ともかくスプラッターの先駆者としてこの監督は有名なのだそうだ。
この種の映画好きには記念碑的な価値のある作品であろう。
色々な映画があるものですなあ、、、。

感慨に耽ってしまった。



AmazonPrimeにて









いわさきちひろ~27歳の旅立ち

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2012

海南友子 監督

加賀美幸子 ナレーター

        声:
檀れい、、、いわさきちひろ
田中哲司、、、松本善明

         解説者
黒柳徹子 いわさきちひろ美術館館長
高畑勲 アニメーション映画監督
松本善明 夫
松本猛 息子


いわさきちひろの壮絶な闘いの一生を追った作品。
彼女は一般や作家たちから「甘い」という批判を受けて来た。
「甘い」とは何か?自分が何を言っているのか分かっているのか?

はっきりしているのは、彼女にしか描けない絵を描いていることである。
それで充分。突き進めばよい。悩むこともブレることもない。
幸い彼女は、周りの下らぬ批判などに翻弄されることは無かった。
(わたしも大変刺激をもらった。お陰で、より一層強く自分を貫いて行ける)。
彼女の描く甘やかな優しさは、彼女の強靭な意志に裏打ちされたものだ。

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17歳で美術展に入選を果たし、将来を嘱望された才能であった(受賞の席には藤田嗣二など錚々たる面々が顔をそろえていた)が、両親に美大進学を反対されおまけに母から無理やり結婚を勧められる。結局仕組まれた形で結婚が決まり画家への道が閉ざされてしまった。封建的な体制に押し流される他なかった。
夫に対してどうにも心が開けず(当たり前だ)、表面的な夫婦として暮らしていたある日、夫は自殺する。
夫も哀れだ。彼女を全く理解しようとせず母と結託して無理やり結婚し所有しようとした末路であった。
しかし彼女の受けたショックも如何ほどのものか。
その後彼女は日本に帰国するが、戦争に熱狂し積極的に協力する母の勧めで再び満州に行かされる。
そこでの目に余る戦争の惨禍、人々の悲惨さを前にして、心を深く病みほうほうの体で帰国することになった。
この時期の記憶が彼女の後の制作に大きく関与してくる。
そして戦争が一層厳しくなり東京大空襲で家を失い、あらゆる価値の崩壊を見て、バツイチ、家無し、職無し、の状況で独り画家になる決意をし自立する。もう誰にも何も言わせない。
27歳である。

ここからの生き様を見るに、彼女こそ真に自立した女性だと言えよう。

周囲との違和を感じながら絵の修練を孤独に積む茨の路を歩むことにはなるが、彼女は生まれて初めて好きな人が出来る。
反戦運動をずっと続けて来た男性で、何よりも彼女の絵の理解者でお互いを認め合うことの出来る人であった。
しかし彼は司法試験の勉強中であり7歳年下であった。結婚を決意するが親は大反対であった。
彼女が筆一本で彼も養ってゆく生活が始まる。子供も生まれる。仕事を選んでいる場合ではない。
どうしても赤ん坊を抱えての制作は出来ず、国の両親に預けることに。金の出来次第、彼女は息子に乳を飲ませに還って行った。
そんな生活が暫くの間続く。
しかし彼女の内に葛藤が生まれる。これでよいのか。自分の絵がどんどんダメになってゆく。

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そうしたなか、彼女の絵を見た出版社が絵本の仕事を彼女に持ち掛ける。
ここで初めて本当の彼女の世界が生まれてゆくことになった。
絵本の挿絵に彼女は全力投球する。
次第に絵本の挿絵画家として安定した行くが、彼女は業界のシステムに大きな憤りを覚える。
挿絵画家に対する権利が一切保証されていないのだ。著作権を出版社相手に(弁護士となった夫と共に)主張した。
この闘争がかなり長引くこととなり、大手出版は彼女を避けるようになる。

絵本の仕事が長くなると常に息子を主人公に描いてきたこともあり仲の良い友人はどれくらい育ったのか手に取るように分かったという。
彼女の絵は独自性を増してゆく。
まず白の美である。それは時に余白の美ともなり、彼女の絵の特徴の一つとなる。
一本の線も「書」のような説得力を帯びる。
彼女は挿絵という物語に従属的な創作ではなく童画という一つの独立した芸術であることを強く主張してゆく(著作権闘争と共に)。

そして自立した絵をことばと同格に描く彼女独自の絵本を制作する。
そうこれまでの過程は全て彼女自身の真の自立に向けた闘争に他ならない。
自分にしか描けない絵を徹底的に追及する。
(まだこの時期でも彼女の絵を甘いとか惚けた批判をする輩がいた)。

そして完成させたのが「あめのひの おるすばん」であった。
高畑勲が一目見るなり驚愕した絵本。ここから彼女にしか生み出せない世界が本格的に創造されてゆく。

この輪郭線を排した淡い滲みの世界。
幽玄で奥深い。
そして添えられる詩的で簡潔なことば。
物語の挿絵から完全脱却した言葉と絵の響き合い融合した芸術の完成である。
この形式が後のどれほど多くの画家、イラストレーターに影響を及ぼしたか。
ここから出て来た作家がどれほどいることか。
わたしもこの流れから生まれた作家の作品~絵本を50冊は持っている。

更にこの時期に始まったベトナム戦争に目を向ける。
彼女の絵の無意識の基調を形作った満州の頃の体験と向き合いながら自分の出来る唯一のやり方で平和への願いを制作する。
これが「戦火のなかの子どもたち」に結実する。
彼女はベトナム戦争終結を見ることなく、55歳で癌で死去する。

BGMの音楽が良かった。
バッハ、ヘンデルも良いが、現代音楽がとても場面~ちひろの絵にマッチして沁みた。


一番最後の完成作として母が戦火の中で子供を抱くデッサンが紹介される。
ここでの母親の鋭く強い意志を秘めた目と抱かれた子どもの安心しきった無邪気な目が対比的に際立つ。
とても美しい絵だ。
強さのない優しさなどないことを再度、確認した。








いわさき ちひろ」の記事を4年前に書いていた。
日美を観ての感想である。
こちらの記事の方が良く書けている(爆。





AmazonPrimeにて




ヒトラーに盗られたうさぎ

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Als Hitler das rosa Kaninchen stahl
2019
ドイツ

カロリーヌ・リンク 監督
ジュディス・カー 原作
カロリーヌ・リンク、アナ・ブリュッゲマン 脚本
フォルカー・ベルテルマン 音楽

リーバ・クリマロフスキ、、、アンナ・ケンパー(主人公ジュディス・カーの10歳のころ)
オリバー・マスッチ、、、アルトゥア・ケンパー(父、評論家)
カーラ・ジュリ、、、ドロテア・ケンパー(母、音楽家)
マリヌス・ホーマン、、、マックス・ケンパー(兄)
ウルスラ・ベルナー、、、ハインビー(メイド)
ユストゥス・フォン・ドーナニー、、、ユリウスおじさん


ヒトラー台頭期のドイツから、国外に亡命するユダヤ人家族の物語。
10歳の娘の目を通した世界を描く。
見事な作品であった。
ヒロインの原作者であるジュディス・カーの少女期を演じるのがリーバ・クリマロフスキという新人女優。
クロエ・グレース・モレッツとジュリエット・ビノシュを足して割ったみたいな容姿~雰囲気の子でおまけに側転が上手い。
オーディションで選ばれるのも頷ける。
母役のカーラ・ジュリは”ブレードランナー2049”に出ていたそうだが、華のある人だが何の役であったか。
残念ながら女優はアナ・デ・アルマスしか覚えていないのだ。

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知的にも芸術的にも優れた家族であり、ナチス党の勢いを察知し、旅券や家財を奪われる前に気前よく故郷を捨てる機転が素晴らしい。ここで変な意地や郷愁に浸っていると命が無いものだ。そのケースがとても多かったことは事実。
メイドに後は頼む、みたいなことを言い残し、近所の密告しかねない監視おばさんを出し抜き脱出に成功する。
まずはスイスだ。列車の中でもドキドキであったが、無事に到着する。
ここは地政学的にナチスからも守られた土地である。
ドイツ語も通じるが(方言でちょっと苦労するが)、男女やよそ者差別がキツイ。
雰囲気は、ハイジの国であり長閑で風光明媚なところだが、いじめはある。
学校では、いきなりヨーデルの練習をしていて面食らう。
だが、側転の上手さで一目置かれる。やはり一芸あれば身を助けるものだ。
住処はドイツ時代からするとグランドピアノもないし部屋数も足りずベッドにも書斎も不自由するが、4人で普通に住むには特に困る程ではない。アンナも男子から好かれるが、どうも文化的に馴染めず「アルプスの少女ハイジ」にはなれない。
ドイツからうさぎの縫い包みを持ってこなかったのを後悔したりするなか、ユリウスおじさんから家財全てをナチスに奪われたことを知らされる。家族全員もうドイツには戻れない覚悟を決める。
だが決定的なのは、この地では評論家の父の仕事がみつからないのだ。
そこで、パリである。
え~フランス語なんて分からないし、という子供たちを尻目に、さっさと家族でパリのアパルトメントへ。

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あれがエッフェル塔だ。父の蘊蓄に耳を傾けしきりに感心する二人の子供。
しかしここで二人は流石に貧窮と言うものを実感する。余りに狭い空間にバス無しトイレ共有ときた。
食材にも事欠く毎日でひもじさが常態となる。教育の質に拘る両親は兄だけ学校に行かせるが、妹の(公立)学校はラテン語が学べない理由で、家庭学習となる。彼女は絵を描いてただけに見えるが。机が狭く宿題をする兄ともぶつかる。
父が出版社に掛け合うが、原稿料が低く満足な生活が望めない。
アリスの学校も決まり、制服も黒いシックなものを着て登校となる。
ふたりとも頭がよく、直ぐにフランス語にも馴染、妹は作文コンクールで優勝(賞金もゲット)兄はクラスで成績トップとなる。
だが、ヒモジイ上に必要なものが無い。家賃は滞納。意地の悪い大家を何とか交わしながらの生活。
兄妹は噴水に投げられたコインを水に入って盗む(賽銭泥棒みたいなものか)。
父が蔑んでいる演出家に母と二人の子供が食事に誘われ、そこで御馳走をたらふく食べ、母は久しぶりにピアノを弾きまくり、子供たちは困窮者寄付用の服と本を沢山もらってニコニコ帰宅する。
それを見た父は激怒。自分が下に見ている者からの施しに、プライドをひどく傷つけられる。
ユリウスおじさんが博物館をクビになり追い詰められて死んだことを知人から知らされる。アリスは彼と特に仲が良かった。
父は起死回生のナポレオンの舞台脚本を書く。

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英語なんて全然分からないし~という子供と今度はイギリスに向かう船上に。
ナポレオンの舞台脚本がイギリスの出版社に高く売れたのを機にイギリスに生活拠点を移すのだ。
母も今度はどんなチーズが食べられるかしら、と愉しみ。
行く先々でチーズがえらく違うのだ。
子供二人も楽観的である。
もうどこに行っても充分に自分の能力を発揮し、しっかりやってゆける自信があるのだ。
父も、ユダヤ人とはこうしたものだ。家が世界中にたくさんあると思えばよい。われわれはどこでもやってゆけるのだ。
母も勿論、何処でも愉しめる人である。家族が全員、身軽に愉しく豊かになる方向に結束してゆく。
結果的とは言え、この亡命の過程が子供たちにとっては素晴らしい英才教育となったことは間違いない。
言語だけでもドイツ語、フランス語、英語がペラペラとなり、様々な異文化の体験は大変大きい。
普通の中流家庭に簡単に出来ることではない。それを家族一緒にやり遂げるのだ。
こんな素敵な経験はそうは出来るものではない。

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彼らはロンドンで”我が家”を見つけ、ジュディス・カーは絵本作家として大成し、「ヒトラーにぬすまれたももいろうさぎ」は20の言語に翻訳された。
兄は高等法院で初の外国生まれの裁判官となる。

お父さんが実に味のある良い役者だった。
お母さんも常に前向きで家を明るくしていた。
音楽も良かった。

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情報を精査し素早く行動に移す。
何処にあっても愉しむ姿勢を忘れない。
常に今自分のいる環境を最大限に活かす。
この辺はとても肝心なことだ。

少女の目から見て、兵隊が出てこない。戦闘場面が無い。争いもほとんどない。たまに家族の諍いが僅かにあったくらい。
ナチス隆盛時、こんなユダヤ人家族がいたことに救いを覚える。

ウクライナの現状ともいやでも重ねてしまうところであるが、他の国でも充分にやってゆくことは可能である。





AmazonPrimeにて










サント VS ゾンビ

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Santo contra los zombies
1962
メキシコ

ベニート・アラスラキ 監督


サント
アルマンド・シルヴェストレ
ロレーナ・ベラスケス、、、グロリア(ラザフォード教授の娘)


シリーズ3作目とか。
「~吸血鬼女」の次作同様ここでも、サントの普通の、タッグマッチ、タイトルマッチ含め三試合が見られる。
最初に二試合が凄い尺をとる。
ファンにはたまらないところだろうが、何の映画だったか定かでなくなる。そうだ、この後ゾンビが出てくるはずだが。
(その件はどうでもよいような気もしてくる)。
プロレスファンのロドリゲス刑事も熱心に観戦していた。
メキシコにおけるプロレスの位置は日本のそれとは比べようもないものなのかも。

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父サンドヴァル教授の失踪を案じ警察に相談に来たのは娘のグロリアである。
この一目でわかる女優、「サント VS 吸血鬼女」では、吸血鬼女軍団の親玉役であった。
(確かメキシコのミスユニバース代表でもあったとか)。
恐らくシリーズで同じ俳優が様々な役をやっているのだろう(ファンにしてみれば今度は彼女がこの役かという楽しみ方もあるか)。

今回も特殊(超法規)ホットラインを使い警察からサントに連絡。
しかしここでは単なるテレビ電話の枠を超えた情報収集ツールとして活躍。
この映画でもサントの出で立ちはプロレス仕様。これは不変。
颯爽とマントを翻しオープンカーで駆け付ける。
必ず警察より先に。そして解決して彼が立ち去る時に礼を言おうとするがそれにも間に合わない。
(お前ら何しに来てるんだい)。

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ここで蘇るゾンビたちは、怪しげな呪術とかではなく、怪しい科学により蘇る。
連中は銃弾をいくら浴びても屁の河童。ここでのゾンビは皆顔とかは綺麗で後のゾンビみたいに悲惨な崩れ方などしていない。
ゾンビ宝石強盗団を組織され普通の顔で、余裕をもって盗み去ってゆく。
腕力も凄い。並みの人間はチョップ一撃で失神。
サントですら3体相手ではタジタジ。
覆面も取られそうになる。反則もする。
サントが弱点を発見したのは終盤であった。
ここでもサントを倒すため、試合相手をゾンビ化してしまう(吸血鬼の時は入れ替わった)。
しかしサントは、敵のパンツに隠れた変なベルトを外すのだ。
そうすると動きが止まる。操縦機の電波を受信する部位か。

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ほぼ4作目と同じようなパタンで進んでいったため、この作で既にフォーマット的には整っていたとみられる。
ただ、ひとつ4作目では見なかった(気にかからなかっただけか?)シーンが今回はやけに気になった。
凄く面白い民族的な踊りであったため。
唐突に割り込むナイトクラブでの踊り子の踊りは、この時期の邦画にもよく見られる。
青春モノややくざモノに。
こういうフォーマットは、どこから来ているのか。特に知りたいわけでもないが、世界的なもののよう。
別に凄いアイデアとも思わないのだが、定着しているようだ。

Santo contra los zombies006  Santo contra los zombies004

サントの闘いはもさっとした殴る蹴る投げるの地味なプロレス技に終始していた。
ゾンビたちも強かったが、操縦メインパネルがサントと敵の親玉との戦いの中で破壊されてしまった為、皆揃って燃え尽きてしまう。
やけにあっけない。つまりはあの機械であの強靭な体を現出させていたとしたらまさに脅威である。
監視カメラも充実しており、何処の様子もモニターで窺っていた。この情報収集力では、常に先を越されてしまう。
それでどんな奴がそんな凄いことをやっていたのかと、そいつらの覆面を剥ぐと、何とサンドヴァル教授の弟(グロリアの叔父)で、もう一人はそれに仕える使用人ではないか。あんなに弟の失踪を心配していたのに、、、。金が目的だったのかどうかは、いまひとつ不明であった。
驚くグロリア。

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でもすぐにサントの後ろ姿ににっこり。
刑事が何やらサントに賛辞を贈る言葉で締めくくり。


ちょっと癖になる独特の味わい。また他のやつも観たい。
と想い探してみたがAmazonPrimeでは、この二作だけのようだ。





死者の侵略

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Blue Demon y Zovek en La invasión de los muertos
1973
メキシコ

ルネ・カルドナ 監督
ルネ・カルドナ・Jr 脚本

ブルー・デーモン
ゾベック
クリスタ・リンダー
ラウル・ラミレス


「サント 対 ゾンビ」というサントシリーズをまた観るつもりで、うっかり隣の映画をクリックしてしまい、そのまま観ることとなった。
これもメキシコ映画で、お目当て映画の隣にあったところから内容的にも恐らく似たもののようで、ゾンビが出て来る。
しかもそれを退治する正義の味方がマッチョなプロレスラーみたいな教授と青い覆面のまさにプロレスラーである。
(ここは銀色覆面ではない)。
メキシコでは覆面プロレスラーは日本で言えばサムライみたいなものなのか。
ともかく毅然とした紳士で妙に博識なのだ。

そういえば、メキシコ映画をここのところ幾つも観て来たが、導入部の説明がやたらと理屈っぽく長いのが特徴だ。
そしてこの映画では、疋田天功ばりの箱抜けイリュージョンをやって見せるマッチョなゾベック教授と青い覆面レスラーのブルー・デーモンが事あるごとに説明やら理屈を長々と述べる。特にブルー・デーモンの相棒などは、それをしっかり聴いていないためにしょっちゅう怒られている。まあ、ボケ担当の相棒だから仕方ないが。
メキシコのヒーロー像が何となく分かって来たような、、、
きっとミルマスカラスもこうだったんだ。

しかし何かのパーティーで、ゾベック教授が紹介され何を語るのかと思いきや、いきなり箱抜け芸の披露って何なのか。
拍手喝采であったが、この人何の教授なのか、壁画の解説をしていたから考古学か。
そしてその友達である青覆面レスラーは、理屈は語るがあまり事件の方には関わってこない。
サントシリーズみたいに地味なプロレス中継も入らない。
このレスラー何やってるのか、、、。
時折事件現場の様子を車で見に来て闘ったりもするが。
こちらの方が腕っぷしは教授より強い気はする(特にチョップが)。
教授の方はもっぱら相手を持ち上げて落とすことだ。

噺は空からガラ玉みたいなのが落下し、地上ではそれは黒玉として残り煙を出している。
とても目立つところにあるのだが、それを調べる人が出てこないのが不思議で気になるが、、、。
メキシコ政府はすかさず調査隊を送ったりはせず、その地方警察とたまたまバイクで通りかかったゾベック教授が関わってゆく。
黒玉近辺で、殺人事件が起きているのだ。
その後、墓荒らしかと思ったら、死体が次々に出てきて歩きまわりだす。
その数がどんどん増える。この増え方の演出は上手く、主人公たちの絶望感をよく表している。
後の方でヘリと兵隊らしきものも少しは出て来るが。
ゾベック教授は頼りにしているのはブルー・デーモン(青覆面)らしいが、余り出てこない。連絡もつかなかったりでちぐはぐ。

ゾンビとの闘いはもっさりしており、ゾンビも腕力がありなかなか手強い。
おまけに車やヘリの操縦もする。
中には狼男と思しきものも混ざっていて少しややこしい。
闘いに派手さがまるでない分、岩山を登るところや急流をくだり岸に逃れるところ、ゾンビ運転の車から抜け出すところなどでタップリスリリングな味わいを見せてくれる。ここは偏にゾベック教授の演技によるところである。
身体を張って頑張っていることはひしひしと伝わるものである。
だが、ランボーみたいな迫力はまるでない(残。

何か他の教授の娘と行動を共にしていたが、いよいよゾンビの数が増大してきてこれは大変だということになり、この娘を一人残し、
ゾベックはゾンビたちから車を奪い、黒玉付近の高架線の鉄塔に車をぶつけにゆく。
それの電線(の高電圧)が黒玉を直撃したみたいで(この辺の動きが今一つ不分明で分かり難い)ゾンビたちが揃って倒れてゆくではないか、、、。
その辺の関連は何となく分かっていそうなものなのに何でここまで引っ張るのかと思うが。
(この玉が降って来てから殺人やゾンビが現れたのだし。ただこの玉から何らかの情報めいたものは何も発せられなかったみたい)。
これで取り合えず地球は救われた。
良かった良かったで娘はついさっき父がゾンビに殺されたばかりだが、ホッとしてにこにことゾベックと歩いてゆく。


ガラ玉もどきは、もしかしたら日本のウルトラQからの拝借か。
だがそのVFXは本家の足元にも及ばない。
そう、ウルトラQとかを観たくなる映画でもあった。
ウルトラセブンに似たような題の回があったな。「侵略する死者たち」だったか、、、。もう内容覚えてないが.。
うちの叔父が特撮監督をやっていた。




AmazonPrimeにて





オールド

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Old
2021
アメリカ

M・ナイト・シャマラン 監督・脚本
ピエール・オスカル・レヴィー 、フレデリック・ペーター 『Sandcastle』原作

ガエル・ガルシア・ベルナル、、、ガイ・カッパ (父)
ヴィッキー・クリープス、、、プリスカ・カッパ (母、博物館の学芸員)
アレックス・ウルフ、、、トレント・カッパ(15歳息子)
 イーモン・エリオット、、、トレント・カッパ(中年)
 ノーラン・リヴァー、、、トレント・カッパ(6歳)
 ルカ・ファウスティーノ・ロドリゲス、、、トレント・カッパ(11歳)
トーマシン・マッケンジー、、、マドックス・カッパ(16歳娘)
 エンベス・デイヴィッツ、、、マドックス・カッパ(中年)
 アレクサ・スウィントン、、、マドックス・カッパ(11歳)
エリザ・スカンレン、、、カーラ(15歳)
 カイル・ベイリー、、、カーラ(6歳)
 ミカヤ・フィッシャー、、、カーラ(11歳)
アビー・リー、、、クリスタル(外科医チャールズの妻、カーラの母)
ケン・レオン、、、ジャリン・カーマイケル(看護師)
ニキ・アムカ=バード、、、パトリシア・カーマイケル(ジャリンの妻、心理学者)
アーロン・ピエール、、、ミッドサイズ・セダン/ブレンダン(人気ラッパー)
グスタフ・ハマーステン、、、支配人
M・ナイト・シャマラン、、、運転手


離婚前の最後の家族旅行でカッパ家は南国のリゾート地を訪れた。
そこで支配人から特別サービスですよと(巨大岩で隔離された)プライベート・ビーチを勧められる。
とっておきのスポットです。ホントに圧倒されるほどの凄い閉塞的ロケーションであった。
何にしても、こういう誘いが一番危ない。一日で一生を終える加速された時間の場ってどういうこと?
(それにしてもよくこんなロケ地を探したものだ)。
ホテルが大手製薬会社の極秘研究所というところがミソ。
基礎疾患を抱える客のいる家族を招待し、ウェルカムドリンクに入れた新薬の効き目をそのタイムカプセルみたいな場で確認するというもの。恐ろしい陰謀だ。

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マドックス、トレント、カーラのお子様三人が揃ってティーンエイジャーにいきなりなってしまって親はパニック。
しかし子供だけでなく親も急速に老化が進む(皴が出来るが子供ほどの変化が見られない)。
周囲を取り囲む巨大岩が原因であることを知る。
岩の間を抜け脱出しようとすると意識を失ってしまう。
最初シャマラン運転手に案内されてきたとき、どうやって入ったか忘れたが、、、。

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もう持ち時間がない、としたうえで人間はどう生きるかという実存的問いをテーマとして観れば、、、。
この環境を考察に活かせたのはカッパ夫婦だけであった気がする。
後は、脱出の試みで、海を泳いで外に出ようとしたり、崖をクライミングしてクリアーしようとしたり、、、
でもどちらも途中で気を失い命を落とす。
これらの出来事を山の上からカメラ撮影している人影が見える。
仕組まれたことを知るがどうにも出来ない。

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腫瘍の摘出シーンは何故だかスッキリした。
ナイフで切ったところがみるみる塞がるというのが何とも、、、。
結局、老いが進む過程で、幼い年齢でここに来たカッバ姉弟だけが中年で残る。
そして来る前に友達になった子供からもらったメッセージカードを思い出す。
「叔父さんはサンゴが嫌い」サンゴの効果より少なくとも気絶せずに外に出ることが可能であることを知った。
そこで二人で泳いでサンゴの海底洞窟をやっとのことで抜け、外に出る(時間を要したことが幸いし監視に引っかからなかった)。

このドヤ顔の二人がホテルに戻ればもう無敵である。
刑事にすぐさまホテルのビーチに案内された人リストを見せ、事件内容を告げればこっちのもの。
この飛んでもない製薬会社ももう終わりである。
しかし年を取ってしまった姉弟は元には戻れない。
あのビーチの真相究明も会社の捜査とともにやってもらわないと。

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時間(の矢)をわれわれの外部に一様に流れる物理的な実在と捉えることには無理がある。
時間は我々がその存在形式から生み出した幻想に過ぎない。
この思考実験の枠組みでやるというのは無理がある。
時間がここだけ進むという捉えではなく、この巨大岩から発せられる化学物質の影響により人体細胞の老化が加速されるとした方が良い。
こんな解釈をしている登場人物もいたが。その辺、すっきりしておいた方が良い。時間が進むこととと老いとは異なる。
ここは単に肉体が急速に老いてゆくだけ(但しカッバ夫婦は精神の問題としても捉え良い意味で人生を締めくくった)。

エンターテイメントとしてよく出来た映画であった。

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マドックス、トレント、カーラの各成長段階の俳優の繋がりが今一つであった。
トレントはその中では良い方であったが、マドックスはちょっと違う感じがする。11~16歳の移行は良かったが。
なお、この11歳のときと16歳を受け持った女優はこの先の活躍が楽しみだ。

   Thomasin Harcourt McKenzie    Alexa Swinton
トーマシン・マッケンジー  /  アレクサ・スウィントン



AmazonPrimeにて










はじまりの街

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La vita possibile
2017
フランス、イタリア

イヴァーノ・デ・マッテオ 監督・脚本
バレンティナ・フェルラン 原案・脚本
フランチェスコ・チェラージ 音楽

マルゲリータ・ブイ、、、アンナ(母)
バレリア・ゴリノ、、、カルラ(アンナの友人)
アンドレア・ピットリーノ、、、ヴァレリオ(13歳の少年)
カテリーナ・シェルハ、、ラリッサ(娼婦)
ブリュノ・トデスキーニ、、、マチュー(カフェのオーナー、元セリエAの選手、フランス人)


ローマからミラノ。
移住と言うのは人にとって大きな意味を齎す。
彼ら母息子は、夫(父)のDVから逃れて生きることが不可避であった。
しかも息子は13歳。うちの娘と同い年。反抗期で何かと大変である。
だがわたしのところにはない、恵まれている面はある。

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部屋をただで貸してくれるに留まらず、母息子二人のためにいつまでもいてよいと言って嫌いなTVを買い入れたり犬を飼ってあげたりの至りつくセリのケアをしてくれる友人の存在は、いい加減な心理カウンセラーにかかるよりよっぽどましだ。
またこの孤独な友人にとっても彼らと共に過ごす疑似家族形態によって癒されるものが大きい。
こんなに凹凸がぴたりと合う関係はそうはないだろう。

多かれ少なかれ親密な関係性とは、お互いの足りない(欲している)ところの補い合いができることが鍵となる。
向かいのカフェオーナーのマチューにしても、疎外されて孤独な身の上である。
セリエAの選手なら皆から持て囃されて過ごす身分であるが、夜道に子供を交通事故死させ引退してから現在の隠者のような暮らしぶりとなってしまっていた。少年も彼に対し自分たちが何故ここに逃げて来たかを伝える。
この地の者たちは彼を色眼鏡で疎んで見るが、ヴァレリオには何ら偏見はなく、親切なサッカーの上手いおじさんでしかなかった。自転車を直してもらったり、相談に乗ってもらい、サッカーを教えてもらったりするうちにこの二人の関りから、母やその友人とも当然親和的な関係性が生まれて来る。一番大きかったのは、母アンナに纏わりつくカルラの劇団の演出家を殴って追っ払ったことか。マチューは翌日警察に逮捕されるが、アンナの証言で直ぐに解放される。これで距離は近くなる。

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そんななか、イタリアの一般的な職業(就職)事情はかなり大変のようだ。
友人のカルラも劇団に所属して頑張ってはいるが、親の金で暮らしている(家はすでに自分のもののようだが)。
母も漸く探した仕事はかなりの重労働であった。息子にも気が抜けずあちこちの公共機関に相談に行くなどして疲労もかなりのもの。
ヴァレリオは新しい学校には馴染めず友達が出来ない。近所でサッカーをやっている同年代の男子と関わることにも躊躇している。彼はカルラに貰った自転車を乗り回すだけである。これはよく分かる。自転車を飛ばして彷徨うことはわたしも経験があるから。
彼はローマを出ることに納得はしていたがミラノに自分の居場所を探せずにいた。
そして夜な夜な暇な時間を持て余すうちにひとりの娼婦に出逢う。
彼女は彼を遠ざけようとして邪険に扱うが、彼の方が執拗に関わってゆく。
自分のやり場のない寂しさと街頭に立つ彼女の寄る辺なさに同じような孤独を感じ取ったのか。

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余りのしつこさに負けて彼女も彼の相手をし、昼に待ち合わせをして遊園地で遊ぶことに。
これが彼~ふたりにとって、とても楽しい経験となる。
しかしそれで更に彼女に深入りしようとして彼は大きく傷つく。これは必然であった。彼女は娼婦を生業としているのだ。
彼は荒れまくり、自分を大切にしてくれる人に対しても当たり散らす。
(半ば分かっていながら生々しい現実に改めて打ちのめされるという経験はあるものだ)。

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しかしヴァレリオはマチューに相談することで、変わってゆく。
母への暴言を詫びること、彼女に対しては手紙を書くこと(その手紙は彼女に拾われたかどうか分からない)。
しかし彼の気持ちが開けて来るに従い、(彼らの)居場所が出来て来る。
マチューの存在も母息子にとり大きくなる。
母は彼を連れて友人の家を出ようとしていたのだが、その家に地元の少年がヴァレリオをサッカーに誘いに来たのだ。
向こうからの訪問に母は喜び、友人もわたしの甥よ、と自慢気に言う。
ヴァレリオを送り出し、二階の窓から彼らの走ってゆく姿を見守る母の顔には、これからの希望の色が射している。


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とても小さな場所にスポットを当てた物語であったが、そこに全てが反映されているような映画であった。
こういうものが観たい。
(一番観たいのはSFだが、このレベルのSFが観たいものだ)。




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狼男 謎の連続殺人



MOON OF THE WOLF
1972

ダニエル・ペトリ 監督
レスリー・H・ウィッテン 原案
アルヴィン・サピンスレイ 脚本

デヴィッド・ジャンセン
バーバラ・ラッシュ
ブラッドフォード・ディルマン
ジョン・ベラディノ
ジェフリー・ルイス
ローヤル・ダーノ

AmazonPrimeの作品欄で、エド・ウッド派と思しき監督作の映画がずらりと並ぶ中にあった為、最初からそれを覚悟して観始めた。
(ここに並ぶ作品は2時間越えのものはほとんどないことで、わたしは今日みたいに時間のないときよく当たってみる)。

だがこの作品はソツなくまとめられ、果たして狼男は誰なのかというサスペンス劇としてしっかり出来たものであった。
展開に破綻はなく安心してのめり込める内容である(当初ハードルを下げ過ぎたことも影響するか)。
狼男もまだ技術的にVFXが確立していない時代に奇をてらわず無難な仕上げであった。
もし背伸びして半端に作り込みでもしたらその形の微妙さが気になり物語への集中が阻害されていただろう。

そしてホラー要素であるが、この類の作品の中では、雰囲気と間やタメがしっかり計算されており、脚本の良さと相まって登場人物の不安と緊張感は充分伝わって来るものになっていた。
ここでの狼男は、その名家の遺伝的病の継承者であった(祖父が同じ病)。
つまり狼への変身を病と捉える噺である。
(この男は色々と対策を練ってきており症状を抑える薬も飲んでいたが抗体が出来てしまったようだ)。
結局、狼男は妹に撃ち殺されることを選ぶ。
狼男自身が妹に撃たれて死ぬように聖なる弾丸を自ら銃に込め用意して置いたのだ。
最後は物悲しいものである。

保安官は妹の持っている書籍や資料に目もくれず、彼女の必死の説明にも耳を貸さず、当も策もなくただ探しに行く。
であるから、彼は何の役にも立っていない。
寝たきり老人の古くからの言い伝えで焚いた薬の煙が狼男にしっかり効いていたのも見逃せない。
これなどしっかり取り上げれば有効利用できたはずだが、迷信として取りあげられることもなかった。
迷信として否定するなら、それに代わる確たる捜査方針と対策、作戦を打ち出すべきだが、何となく行き当たりばったりである。
町民にも勝手な行動を許し無駄な動きをさせている。
だが物語の中ではしっかり流れに嵌っており、そうした役目としての保安官であった。
ここに無駄やこれといったノイズはない。

妹役の女優が最初の頃は名家の華やかで笑顔の奇麗な女性であったが、兄が狼男であることが街中に知れ渡り、犠牲者を出して潜んでいる状況となってからは急にやつれた険しい表情ばかりになっていた。
この変わり具合の落差が大きい。
そういえば、保安官も充分に毛深く声も太く、ちょっと疑ってしまう程、獣的であった(笑。

ただ、変身して弱くなるというケースはほとんど見たこと無く、この変身願望と言うのが、人間性~人と言う文脈~を超え破壊衝動の解放に繋がる、ひとの根源的な欲望でもあろう(超脱願望)。
ここでも狼男に変身すれば鉄格子など簡単に壊してしまい、ピストルなど全く効かず大人の男でもひと捻りで殺せてしまう。
この善悪の彼岸の(無意識的)破壊衝動は誰もがもっているところである。
だから様々な形でこのような物語~映画が反復して生産されるのだ。
代理欲求を果たしてくれるものともなってきたはず。
(戦争などの実際の殺戮現場で実際に発揮されたらたまらない)。


噺の運びがスムーズでダレることは無かったが、途中寝てしまった(笑。
妙な心地よさがあるのだ。


しっかり作られた映画であり観て損はない。




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Autonomous 自律

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AUTONOMOUS
2019
イギリス

イアン・ヘンリー 監督


ペトル・ダヴィドチェンコ


この主人公の男性は自転車にバッグを二つ付けて車の行き来する幹線道路を走ってゆく。
これだけ見れば普通の若者であるが、ひとつ決心したことがありそれに従って生きてゆくつもりだ。
それだけは、直ぐに分かる。
この男性の考えは一言も聞けない。全く言葉のない、この男性の行動を追うだけのドキュメンタリー映画なのだ。

「自律」である。
自立は自律性を持たなくとも、誰もが何となくしている状態であるが、自律を考えると本質的になり厳しくなる。
勿論、自律性をもって生きることが本来の生の姿であることは言うまでもない。
だが、それを達成している人がどれほどいるか。

車の往来の激しい道路には、結構事故死した動物の死体が転がっている。
男性は、この動物の死体を道路脇でナイフで刻んで生食する。お腹は大丈夫か気になるが、平気みたいだ。
この映画の題からしてもこの男性が自律(的)に生きる姿を追ってゆくものであることは察しが付く。

ではまず、自律に対し、自律的でない(他律)とはどういう状態を指すものか。
生きる上での判断を他者~制度(慣習や伝統)に委ねており、そのこと自体に気づかない場合であろう。
つまり抑圧された環境下で社会化され、その抑圧を内面化している状態である。
「自律」を考える時点で、それに関し自覚的であることは分かる。

この男性、服装も入れ墨も自分の趣向を素直に出しているところは容易に窺える。
そして食欲に率直に従うこと。但し自律のための挑戦も窺える。普通(これまで)の生活であれば、われわれのように料理を食べていたはずであり、レストランで他者のサービス(調理)によるものを食していたはず。
道端で死んだ動物の生々しい死体を切り刻んで生食すること自体かなりの決意と勇気がいるはず。
この映像の多くの時間が、拾った動物を捌いて生や煮たり焼いたり蒸したりして食べる様々な姿に充てられる。
そう、このように自分独りで生きるとなれば、食料調達に大部分が費やされることにもなろう。
これはとりもなおさず、自然と身体の交流そのもので在り、自律に向けての肝心な過程であることは間違いない。
ともかく言葉がない~コメントのない映像であるため、何とも言い難いが、この男性ははっきりと強い意志でこの行動を始めたことと窺える。
わたしには、こうした目的が立ったとしても、生理的なレベルでの葛藤が免れないと感じる。
森の中、池で水浴したり、沐浴したりは、とても気持ちよさそうなのだが。

ハエがぶんぶん纏わりつくのだ。
衛生的にもどうしても気になってしまうはず。
それでもやろうと踏み切った思い~考えとは、どうしたものか。
自律的に自分は生きていない、生きてこれなかった、と苦痛の日常の内にはたと気づくときはある。
生き難さの内にはっきり悟るものだ(ここはわたしについてもそうである)。
そして自分は自律的に生きようと決める。
しかし往々にして、個人主義の(自己充足、独立が利己的になされる)範疇で意図されることが多いか。
自律を他律と対で見れば単純に考えてしまうが、相互依存に対して考えると微妙な局面が見えて来る。
(生命は細胞~膜を獲得した時点から相互依存~死を抱え込んで存続してきた)。

相互依存の形態なしの自律は生きる上で(原理的に)不可能だ。
ここでは人との関係は一切持たずに独立独歩の姿勢で生きる様子を見せているが、食欲に関しては死んだ動物を拾って食ってゆく。
これは、自然の連鎖のダイレクトな受け入れという点で、その肉を自らの血肉にする、毛皮を防寒に役立てるという行為においてかなり究極的な相互依存の自律的な選択と言えよう(カントのよく謂う、自ら選んだ~という点で)。
だが、わたしの関心事は寧ろ、自律性をもった、友情や愛情の相互依存関係である。
人はどうしても社会との関りからは逃れられない。

男性が使われなくなった線路の上に作った家(これが社会的要素でもある)に沢山の毛皮と共に寝ていたが、ある夜食料をもって帰るとそれが煌々と全焼しているのだ。恐らく何者かの放火であろう。
男性は暫く呆然と立ち尽くすが、彼はその後、夜の車の激しい街道を獲物を片手に裸で歩いてゆくではないか。しかも中央線上をである。
今までは服を着て自転車で車の脇を大人しく走っていたのだ。
怒りと決意を新たにした姿に思えた。そしてこの行為から受け取るものは、自尊の気持ちを強くしたのでは。
自律に自尊はとても肝心な感情であるから(まさにわたしはそこに気づいて自律を意識した過程がある)。

この男性は冬に雪の中、毛皮を敷いて裸で目を閉じ寝ていたが(まさか眠ってはいまい)自然との一体化を通して、これまでの柵を洗い流し、他者~制度・規範に侵された患部を浄化する過程を経て来たのだと窺えるが、この先の自律性を持った他者との関係が何より課題となるはず。
慣習や伝統、道徳に屈することなく、他の権威に決して寄らない自己をもって他者と関わること。

これがワークショップとしてきっと役立つのだと思うが、、、
わたしにはこういうの無理だけど。



わたしも現在の方向性は全くブレないが気持ちを新たに頑張る活力は(ものすごく)得た。
よい刺激になったことは確か。




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不良少女 魔子

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1971

蔵原惟二 監督
長谷部安春 黒木三郎 脚本
鏑木創 音楽

夏純子、、、魔子(不良少女)
戸部夕子、、、ユリ(不良少女)
美波節子、、、春美(不良少女)
原田千枝子、、、オカズ(不良少女)
太田美鈴、、、早苗(不良少女)
宮野リエ、、、リエ(不良少女)
小野寺昭、、、徹(不良)
岡崎二朗、、、洋次(不良)
清宮達夫、、、秀夫(不良)
相川圭子、、、ナナ(安岡組コールガール)
宍戸錠、、、安岡(安岡組組長)
深江章喜、、、内海(安岡組幹部)
藤竜也、、、田辺(魔子の兄、安岡組幹部)


今日もあっさり観られそうなものを選んだ。考える必要のなさそうなもの。短くまとまっていそうなもの。
短めでテンポが良ければ言うことなし。
昨日、一昨日のように30分単位で必ずその中に山場のあるものなど、全体として長くとも観易いものだ。
やることが多すぎるときはこういうのに限る。

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兄が暴力団幹部の魔子という少女を中心とした不良女子グループの無軌道な青春を描く。
絡みで出て来る不良連中も同様に、衝動的で享楽的で、彼女らと馬が合う。
基本、このドラマには、不良少女と不良とヤクザしか出てこない。
不良たちは、ゴーゴーバーやボウリング場が溜まり場で、そこで遊んだ挙句、街角でターゲットロックした相手を締めて金品などを巻き上げる。
他にこれといってやることもないらしい。少女と言うのだが何歳なのか不明。
ノリノリで踊る曲がまた微妙。そのサウンドでどう踊るんだと思うと何やら踊っている。踊れるんだ。
グルーブ感全く無し。

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そんなことより、それぞれ主要メンバーの死に様は良かった。
魔子の恋人の不良秀夫は徹の車の煽りもあるが交通事故死する。
魔子を心配する兄が彼女からドスを取り上げようとする小競り合いの中で兄も不慮の死を遂げる。
魔子は、自分たちグループにとっての裏切り者である徹をプールサイドで刺し殺す。
華々しいドンパチで死ぬのではなく、捻りの効いた死に様だ。これもまたテンプレートのひとつに過ぎないのかも知れぬがそこそこスタイリッシュに決まっていた。

それにしても、巷の不良が、暴力団相手に喧嘩を売るものだろうか。
ヤクザの妹にカツアゲされて、それで怒ってやり返そうとしたが、そのまま逃がした(一目惚れか)だけのことである。
その後、仲良くなって魔子と秀夫は恋人同士となり、グループでボート遊びに興じている。
ここだけ見れば普通の若者である。
それでよいだろうに、この不良どもは、安岡組に敵意を持ち~宍戸錠が組長だぞ~財源のひとつコールガールを逃がしてしまい、マリファナのブツも盗んで勝手に金に換えてしまう。
これで怒らぬ組のある訳はない。
この不良連中、素人のくせに明らかに頭のネジが飛んでいる。
ヤクザに命を狙われているのは分かりきっているのにワイワイ不良少女たちと遊んでいるのもどうしたものか。
危機感がないのか、単に後先なく刹那の享楽に身を任せるしか出来ないのか。

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しかしヤクザもひっ捕らえた不良連中をさしていたぶるわけでもなく、懐柔して手下に引き込もうとする。
そうなのだ。余り手荒なことはしないヤクザなのだ。
これは銃撃戦などで死体がごろごろという抗争映画ではない。
魔子の兄、藤竜也の語り口がソフトでやたらとカッコ良いのだが。
殺して死体を転がすと言うより、手懐けて上手く利用するタイプなのだ。
(そちらの方が利口に決まってる)。

徹は完全にヤクザに寝返り、薬の売人として出世しようと企むが、他の連中はヤクザにたてをつこうとする。
魔子も兄がいるからと言って、安岡組との関係は断ちたいと考え始める。
魔子に賛同する不良女子も出て来る。
そんななかで上記のメンバーの死が不意に訪れる。
どれも想定された闘いの中で起きるものではない。
ここが狙ったお洒落なところか。

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不良少女と言っても少女にはそぐわぬ感じの女優たちであった(苦。
(単に年齢が上と言うだけでなく、フレッシュさが無くケバい。昔の映画によくある)。
小野寺昭がラフな格好でサングラスで出て来た時は、誰だか分らぬ感じであったが、スーツでびしっと決めたヤクザになって如何にも彼らしくなった(笑。
宍戸錠の出番が少ないというだけでなく、何とも情けないヤクザの親分ではないか、、、早撃ちジョーが泣く。
藤竜也がやたらとカッコよかった。ソフトな語り口で、妹にドスで刺されて死んでしまうなんてダンディー。
ヒロインの相手役秀夫の実に能天気な笑顔が、痛かった。
このカップルが上手くいくとは到底思えない軽さ~頼りなさである。

まあ、音楽にその時代を感じた、、、。



AmazonPrimeにて








賭ケグルイ双

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2021

河村ほむら「賭ケグルイ双」原作
英勉 長野晋也 監督
高野水登 英勉 脚本
崎山蒼志「逆行」主題歌


森川葵、、、早乙女芽亜里(成績優秀で入学した特待生)
生田絵梨花、、、三春滝咲良(生徒会の美化委員長、壬生臣葵の許嫁)
秋田汐梨、、、花手毬つづら(芽亜里の相棒)
萩原みのり、、、戸隠雪見(文芸部部長、芽亜里の相棒)
長井短、、、聚楽幸子(生徒会の風紀委員長、みくらを連れ歩く)
佐々木美玲、、、佐渡みくら(聚楽幸子専用の家畜)
佐野勇斗、、、壬生臣葵(生徒会の会計)
福本莉子、、、愛浦心(クラスのリーダー格)
犬飼貴丈、、、上下凪(臣葵の友人)
柳美稀、、、生志摩妄(サディスティックな1年)
小野寺晃良、、、新渡戸九(報道倶楽部)
岡本夏美、、、西洞院百合子(生徒会役員、伝統文化研究会会長)
三戸なつめ、、、黄泉月るな(生徒会役員)
中村ゆりか、、、五十嵐清華(生徒会書記)
池田エライザ、、、桃喰綺羅莉(生徒会長)
浜辺美波、、、蛇喰夢子(賭ケグルイ)
高杉真宙、、、鈴井涼太(夢子の相棒)
松田るか、、、皇伊月(生徒会役員返り咲きを狙う)


AmazonPrimeVideoのドラマ1~8である。一気に観た。面白かった。
早乙女芽亜里をヒロインとした「賭ケグルイ」のスピンオフ作品のよう。
蛇喰夢子が入学する一年前の学園の様子を描く。
蛇喰夢子と鈴井涼太が当時の早乙女芽亜里の活躍ぶりを身近で見守った戸隠雪見の文と新渡戸九からのネタを聴いてその場面を再現~イメージしてゆく形式で進む。

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何よりも、いくちゃんがフルに出ているので観ない手はない。凛々しいが目つきが鋭すぎる。それもよい。
流石、女優としても圧倒的。
おまけに佐々木美玲も出ている(発声も良いし、とても頑張っていた)。
だが、ふたりが劇中、一緒に映ることは一度もなかった。恐らく撮影現場でもニアミスもなかっただろう。
(今後、何かで共演と言うこともあろう。それも期待したい)。

このドラマも荒唐無稽この上ない設定だが、それを呑めば面白い。
勉強・スポーツは幾ら出来ても評価の対象にはならず、ギャンブルのみで評価されるってどんな学校よ。
賭場があちこちにあって、賭けが奨励されているのだ。そこで幾らでも金儲けが出来るが、生徒会に一定の上納金を収める義務がある。賭けで負けてお金が払えないと、最下層の家畜にされてしまう。ミケとかポチ呼ばわりされ蔑まれる。壮絶な世界だ。
生徒会役員たちは、皆飛び抜けたギャンブルのスキルとセンスがあり頭脳明晰なものばかりで、学園の頂点にいて誰からも恐れられている。

人気の賭場には生徒が並び活気がある。賭けの場面はそれぞれ面白い。
ゲームの説明を聞くだけでこちらもワクワクしてしまう。
ゲームも充分駆け引きや分析もあり、心理戦で冷や冷やさせスリリングである。

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しかし最後のいくちゃんと森川葵のゲームは、何であの決着となったのか分からない。
勝負は宝探しゲームと無限ダイスゲームによる決着のはず。どちらも分析力に優れたいくちゃんの勝ちだった。
何故、勝者のカギをもらって箱を開けたら新たな問いがまた出て来るのか。
(しかもこの問いは勝者しか受け取れない。なのにそれが最初のゲームの問いとは)。
その隙に、森川は二人の相棒に頼んで最初のゲームの問~地図(なぞなぞ)を相手のものと比較させそこから導けるところに宝を探しに行かせる。だがそれはない。
そもそもそんな超越的な関りがあってよいのか。ズルいぞ(怒。ゲームの枠を超えている。メタレベルのゲームだ。
まさか最初からそういう運びのゲームだなんて分かるはずもないのに(超能力か)。
それにいくちゃんの立場からは絶対出来ない芸当である。ダイスゲームをしている最中に裏で学園中を探りまくるのだから。
あれはあり得ない。それで負けたと文句を付けられては堪ったものではない。
これではいくちゃんが可哀そうだろ。

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彼女は、ここでは悲劇のヒロインであった(悲。
それは森川に負けたからというより、許婚の男にコケにされたからである。
結局、この男、家畜制度を排して学園を住みやすくするなど綺麗ごとをクダクダぬかしていたが、自分が生徒会長になりたかっただけであり、自分がガツガツするのもカッコ悪いので、代わりの者をおだてて立て現生徒会長を倒させようとしていただけである。そうすれば失敗しても自分のプライドに傷がつく訳でもない。
これに気づいた森川が、けちょんけちょんにこいつをやっつける。
「やりたきゃ、お前が自分でやれ!この馬鹿が」まさにその通り。
や~い。や~い。いい気味だ~。

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いくちゃんも愛想つかせて許嫁解消といくべき。
いくちゃんではなく、あくまでも三春滝咲良である。森川は早乙女芽亜里。
いくちゃんが槍のアクションを見せるがあれはどういうシーンであったのか不明。ファンにはたまらないのだが。
(見事なシーンではあった)。

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それはそうと、何ともこの劇、名前がものものしい。
読みにくい。読んでも舌を噛みそうになったり。いくら伝統と格式ある良家子女であろうが、もっとさっぱりした名前にしろ。
キャラもいくら何でも濃すぎる。グロイほどに。凄い人たちがひしめいている。
分かり易さもあるが。
生志摩妄のイタさは、ただ痛いだけだが、生徒会風紀委員長の聚楽幸子のドSぶりはちょっとくせになる(笑。
佐渡みくらに首輪を付けて連れ廻す。時々グイっと引っ張ったりしてやりたい放題。
(これのどこが風紀委員長なのか。ともかく雰囲気が怖い。いくちゃん~三春滝咲良には一目置いていたが)。
この経験をしたことから佐々木美玲は犬の散歩のときに強く引かないようにしたいと舞台挨拶でコメントしていたそうだ(笑。

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ともかく、キャストが豪華すぎる。いくちゃんが拝めるだけでなく、、、。
浜辺美波は、今回は早乙女芽亜里の武勇伝を聴くだけの立場であったが、それぞれの俳優が思い切り濃い演技をしていてとても楽しいものであった。池田エライザは目にコンタクト入れて座っているだけだったが、、、。長井短と言う女優を知った。
このシリーズは、長く続けてもらいたい。
次も是非見たい。



AmazonPrimeにて









監獄学園-プリズンスクール-

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2015
井口昇 監督
井口昇、北川亜矢子 脚本
平本アキラ「監獄学園」原作

中川大志、、、キヨシ(八光学園希少男子生徒)
山崎紘菜、、、栗原万里(裏生徒会会長)
森川葵、、、緑川花(裏生徒会書記)
護あさな、、、芽衣子(裏生徒会副会長)
ガリガリガリクソン、、、アンドレ(八光学園希少男子生徒)
武田玲奈、、、千代(万里の妹)
新木優子、、、杏子(2年生、裏生徒会幹部候補生)
矢野聖人、、、シンゴ(八光学園希少男子生徒)
柄本時生、、、ガクト(八光学園希少男子生徒)
宮城大樹、、、ジョー(八光学園希少男子生徒)
髙嶋政宏、、、理事長(万里、千代の父)


何でもいいから軽く観られるものを観ることにしたら、これになった。
漫画もアニメも観てないが、キャスト、ストーリーに破れ目を一切感じることは無い。
とてもピッタリな感じがした。
これだけ突っ走ってくれれば文句なし(笑。
女子高が共学になったことで入学してきた男子が僅か5人。女子(裏生徒会)に迫害されるが、それに対して彼らがリビドーパワー全開で立ち向かうドタバタナンセンス劇。学園敷地内のプリズンに女子風呂を覗こうとした罪で投獄されてしまうという荒唐無稽なものであるが、よく練られていて一気に観てしまった。全9話。
(性表現は騒ぐほどの過激さはない。護あさなのグラマーさは凄いが(笑)。

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とことんナンセンスで、すっ飛んだ内容であるが、いたって真面目に頑張る登場人物が面白い。
護あさなの吹っ切れようには感心した。新陳代謝が異常に高いというのがまさにその通り。
ともかくキャストが豪華である。しかも濃いキャラばかり(爆。
柄本時生はやはりどんな役でも愉しませてくれるものだ。三国志オタクで練馬一の知将である(笑。
潔癖症で凛々しい山崎紘菜をはじめ皆がホントにはまり役に思えた。
特に森川葵の頑張り様には、エールを送りたくなった(笑。全国4位の空手の実力を持つ。他の劇より可愛さが際立った。
武田玲奈も初々しい。相撲好きというのが意外で面白い。
理事長の髙嶋政宏はこの手のナンセンスドタバタ劇によく出て来るな、という印象を深めた。

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「尻と胸、、、どちらが好きか、、、ね?」と退学を突き付けられた男子生徒に真面目に聞く理事長がもう傑作。
「人類が4足歩行の頃、人類の目の前にあるのは尻だった、そして人類が2足歩行を始めた時から尻は人の目の前に突き出されることがなくなり、そのかわり僕らの目の前に現れたのはオッパイ。尻の代わりとして胸を大きく膨らませたんだ。本来の生命の源はお尻。オッパイはその代用品なんだ。つまり所詮オッパイなどお尻のまがいものに過ぎないのです。ボクはコピーかオリジナルのどちらかを取れと言われれば当然オリジナルを取ります。」と答えるキヨシ。理事長がお尻の写真にキスをしていたのを思い出して語ったものだ。
(形質)人類学的考察が面白くて笑った。ほぼリビドーのパワーだけで生きている感じであったが、ここまで尻・胸を対象化して考えているとは思えなかった(笑。思い付きにしてもなかなかのもの。これで理事長の信用を得る(何なの。

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後、驚いたのはキヨシが脱走して千代と相撲を見に行って一緒に撮った写真が、会長に送られていたこと。
何と彼女は、こともあろうに会長の妹であった。
これにはわたしも驚く(笑。
30分ずつの噺は毎回、山があって愉しいし、よく出来ている。
必ず男子陣営がピンチになるところが次を期待させるところだ。
ここでキーとなるのは前半は主にノリの分かり易い副会長であるが、後半は書記の花との絡みである。
花の無垢だが気の強い訳の分からなさが、物語に面白い膨らみを齎す。

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そして実にバカバカしい設定の噺なのだが、そこにおける攻防はかなりの機動力を要する頭脳戦なのだ(笑。
これが結構スリリングで惹きつけられる。
計画の実行に常にタイムリミットが生じるところなど、なかなかうまい。
仕組まれた脱走の罪などにより男子全員が退学まで追い込まれるが、、、
最後は巧妙に裏をかいた男子陣営が勝利する。

学園で自由を満喫し、女子には構われ楽しい日々を過ごすことに。
しかしまたもや学園生活を規制しようとする勢力が台頭したようだ。
例の散々男子を痛めつけたかつての強敵であった裏生徒会の面々がプリズンに投獄されてしまう。
一体、何が起きたのか。キヨシたちが色めき、動き出そうとするところで終わる。

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如何にもSEASON2がありそうなエンディングであったが、もう7年経っては少なくとも同じキャストでは不可能だし、このキャストの印象が強すぎて他のひとがやっても白けるだろう。もうないな。
やれば面白そうなんだけど、、、その際は、キャスト選びは慎重に。



栗原万里会長が何故、烏を操れるのか、分からなかった。ここ不思議。



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サント VS 吸血鬼女

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Santo vs. las mujeres vampiro
1962
メキシコ

アルフォンソ・コロナ・ブレク 監督


エル・サント(プロレスラー)
マリア・デュヴァル、、、ダイアナ(オルロフ教授の娘、レベッカの子孫、リゾナの後継者と目される)
ロリーナ・ベラスケス、、、ゾリナ(女吸血鬼軍団女王)
オフェリア・モンテスコ、、、タンベラ(女王側近)
ハイメ・フェルナンデス、、、チャールズ(検査官)
アウグスト・ベネディコ、、、オムロフ教授(ダイアナの父)
フェルナンド・オセス、、、タンベラの手下(黒覆面レスラー)


何でも英雄プロレスラー、サントをヒーローとした有名なシリーズもの映画だそうだ。これは4作目に当たるらしい。
寅さんシリーズくらい長いそうだ。
保管・管理状態の問題か、音が良くなかった。ピアノで「月光」を演奏していたが悲惨であった。

メキシコの1960年代プロレスファンなら、そのまま有名プロレスラーの試合がノーカットで二つ見られる。
それだけでも有難いはず。ボンボンという音が動くたびにする。
何というか、かなり泥臭い本格的な試合で、趣があった。
主人公のサントは、プロレスラーなので、何処に行くにも銀の覆面にラメ入りマントにタイツ姿で上半身は裸である。
これ以外の格好は一切しない主義みたい。
そしてオープンカーで何処にでも素早く駆け付ける。警察がノロノロしている分、一人で乗り込み大乱闘を繰り広げ相手をやっつけ、囚われていた女性を助け出したところに警察はやって来る、このパタンらしい。

設定上、ゾリナという吸血鬼の女王が200年前にターゲットにしていたレベッカと言う女性を配下の者が取り逃がしてしまい、今回その女性の子孫であるダイアナを後継者とするため、彼女が21歳になったところで女吸血鬼軍団が総力をあげ奪いに来るというもの。
それを正義のヒーローサントが阻止し最後はオープンカーに乗って去ってゆく。シェーンみたいに?
吸血鬼は、なかなか手強く、人と見分けがつきにくく、催眠術を使ったり、怪力男が暴れたり、蝙蝠に変身して飛んで行ったり、、、なのだが。

最初棺が開き現れたときは、ミイラのガビガビお肌の吸血鬼であったが、新鮮な血を盃でゴクゴク呑むと凄い美女に蘇る。
これが半端ではない美女軍団なのだ。
その中でいつも巷に出向き働いている側近のタンドラがことのほか美しい。
(この女優主演の映画を撮ってもらいたいと思うくらい)。
ただし、これらの美女が活躍する場はほとんどなく、タンドラが催眠術をかける他は、サントがプロレスをやっているのをひたすら見るばかりの映画である。

実際「サント VS 吸血鬼女」といってもサントはレスラーや美女タンドラの手下の怪力男と闘うだけである。
闘い方もプロセスラーなので、殴る蹴る投げ飛ばすが基本。
しかもほぼ互角の地味な応酬が多く、その上、昔のプロレス実況がずっと流れたりもして、何とも地味(笑。
仮面ライダーを見慣れた目からすれば、すっきりした決着感がない(最後の松明による殺戮を除き)。

ひとつ面白いのは、当時からすればハイテクなオムロフ教授のオフィスである。
室内アンテナが回り、大きめのスクリーンが壁に設置されていて周波数が合うとテレビ電話となる。
これで教授はサントと連絡し合える。つまりサントの部屋にも同じものが設置されているのだ。
しかもサントが試合中で出られないときはきちんと教授の連絡はテープレコーダーに記録され後でサントが確認できる(留守電である)。
更にサントのスポーツオープンカーにもその電話が設置されており、運転しながら端末を持つことなく安全に会話もできる。
これってシリーズの別の噺だとどうなんだろう。サントにこれがあっても相手に無ければ意味がないが(余計な心配か)。

吸血鬼は太陽光と十字架を見ると焼け死んでしまうが月光に当たると元気になるらしい。
相手の腕力がただモノではないし、サントは十字架で焼け死んだ吸血鬼を見ているのだから、これは十字架を武器に使うなと思っていたら、そんなことは頭の片隅にもなかった。教授が吸血鬼の城の場所を古文書から割り出し、サントはそこに駆け付けるが、相変わらず出たとこ勝負でプロセスファイトで臨むが罠にかかって、ダイアナの隣のベッドに縛り付けられる。
だが、吸血鬼もダラダラしていたものだから夜明け近くになってしまっていた。
何で陽が射しこむ窓を開けているのか分からないが、その光で焼け死ぬ吸血鬼が一体また一体、わたしの贔屓のタンドラも焼け死んでしまう(悲。
相手がひるんだ隙にベッドから飛び起きて、ダイアナは放っておいて、松明をもって他の吸血鬼の逃げ込んだ棺を開けては松明で焼き殺しを速攻で次々にやってのける。この無慈悲な処刑はプロレスの泥臭い闘いからは想像しにくいが、ともかく女性は助けた。

最後にオープンカーに乗り込み疾風の如く去ってゆくサントを見送り、父である教授が「わたしたちを滅ぼそうとする悪人のいるこの時代に、サントは正義のために戦い続ける善人の規範だ」とか意味のないことを言って終わる。
全てこのシリーズの定型なのだと思うが、、、。
プロレスファンにはたまらないシリーズであろう。

わたしにとっては微妙であった。
オフェリア・モンテスコの映画が他にあれば観てみたいと思ったら「皆殺しの天使」(ルイス・ブニュエル)に出ている。
恐らくブルジョアの一人としてあの不条理劇に出ているのだろう。そのうちに観たい。




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灰色の烏

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2015

清水艶 監督・脚本
木村優希 脚本
西田エリ「灰色のカラス」(絵本)原案
西田エリ「灰色のカラス」主題歌

西田エリ、、、望月珠恵(OL)
内田春菊、、、珠恵の母
中山龍也、、、椿(母殺しのエリート青年)
小林歌穂、、、まな(女子キャンプ参加者)
安保彩世、、、しおり(女子キャンプ参加者)
うらん、、、ミズキ(女子キャンプ参加者、小学生)
市川月奈、、、もも(女子キャンプ参加者、小学生)
仁科貴、、、珠恵の勤務先社長(まなの父)


精神療法に森や空はとても役立つと思う。ひとつのワークショップになる。
キャンプで、夜の森の探索と吸い込まれるような満天の星を眺めることは、もしかしたら地上で出来る最良の癒しに繋がるのでは。
深く豊かな闇と煌めく星々。
ここのところ、こころに傷のある登場人物の映画を観て来たが、やはり星であり、空である。
癒しをテーマとした「ヒーラー・ガール」でも夜空の星のシーンが印象的であった。

さて、相変わらず根深い「愛着障害」。幼児期に虐待に晒されるケースは思いの外多い。
それが人格形成に大きく作用することは間違いない。
ひとの一生の運命を決めてしまいかねない。

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これが拗れて母を殺して森に身を隠した青年。
天狗の山に3日の予定でキャンプに小中学生を引率して入った望月リーダー。
彼女も母によって幼年期から悲惨な生活を強いられてきた。男性恐怖のPTSDがかなり深刻であることが分かる。
この両者が同じ山で邂逅する。
母を巡って深いこころの傷を負っていたふたりは、眼を合わせた瞬間にお互いにそれを感じ取ってしまっていた。
ただ異なるのは、青年は母を既に殺しており、望月は殺意を封じ込め、母から逃げて来たと言える。

やっちまったのと辛うじて踏みとどまっていることは、時に天と地ほど異なる。
(わたしも踏みとどまって機を窺っていることは幾つかあるが)。
全てはタイミングだ。
この森にやって来たことは、極めて運命的なイヴェントだと謂える。
特に望月にとって。

もう彼女にとり慣れた山であるはずが、メンバーに星を見せてからの帰り道に迷ってしまう。
深い森に入る際に、「立ち入り禁止」の札のついたロープを跨ぐ。
結界を越えて、異界に入る。日常から非日常へ。特殊なハレの場に入ったと謂えよう。
しかしここでは、青年~天狗との決着を付けなければ、ロープを跨いでも、帰ることが出来ない。
また見知らぬ空間に出てしまい帰ることは出来ないのだ。

ここで青年は自分が母を殺したことを背負いきれずに混乱し呆然としている。
木の蔓で首を括ろうとしたが、実際どうであったのか(失敗したとも取れるし死んで霊となって彷徨っていたようにも受け取れる)。
何れにせよ、この天狗に自らやった事を全て自覚させ、望月もそれを鏡像のように認識しなければならなかった。
(そうしなければ、彼女が同じことをするかも知れない。更に天狗~男に対する恐怖の克服)。

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天狗がまなの首を絞めるのを助けることで、望月は漸く救われる。
全員が集まり一緒に結界を越えると見慣れた風景が新たに現れた。
これまでと異なる日常が彼女らに訪れる。
自分のこころに素直に生き始めている様子は窺える。
あれは、良いイヴェントであった。

まなとしおりの関係性がいまひとつ分かりにくかった。
同性愛的なものと異性への関心~揺れ動きの比重がどうも、、、。
まなのこころの動きがよく掴めないところが大きい。
小林歌穂が私立恵比寿中学の人気メンバーというが、普段演技には文句をつける気のないわたしでさえ、その下手さ加減にイライラした。私立恵比寿中学の舞台劇に圧倒された経験もあり、何でだろうと思った。


主題歌は有線でヒットしたものだそうだが、英語の歌詞で微妙なものだった。
この曲を作ったシンガーソングライターの西田エリの主演で在り、熱演であった。
女性監督の作品が続いたが、繊細な基調がとても似ていた。





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真っ赤な星

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2018

井樫彩 監督・脚本
木村優希 脚本

小松未来、、、陽(14歳の少女)
桜井ユキ、、、弥生(27歳の女性)
毎熊克哉、、、賢吾
大原由暉、、、大祐
小林竜樹、、、雅弘
菊沢将憲、、、田淵
西山真来、、、恵利子


何処にも居場所がない者同士のひりつく繋がり。
痛々しいと言ってしまえばそれまでだが、、、。

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よく居場所のない孤独な人が出てくる映画では、必ずと言ってよいほど、隠れ家的な空間をどこかに持っていたりする。
ここではデカい天体望遠鏡を備えた観測所である。
カギは弥生が持っていて、辛いときにはそこに入って夜空を眺めるらしい。
それからパラグライダーで青空を飛ぶこと。このときの空も自分だけの場所に他ならない。
でも良い趣味だ。わたしもこのような空間は不可欠だ。

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だが彼女は妊娠できない体になってしまったことから、その空虚さを埋めるように多くの男と刹那的性関係を結ぶようになる。
充たされることが絶対にないため、その行為は執拗に続くことに、、、。
とても優しい看護師の面影はなくなり修羅のような生活に堕ちていた。
その行為を彼女が看護師のころ慕っていた陽に目撃される。
しかしその事実を知っても陽の彼女に対する気持ちは変わらない。
いや、より彼女のこころの傷の深さを感じ接近してゆく。
陽もまた、母のネグレクト虐待とヒモみたいな男からの性的虐待でボロボロになっていた。

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この年の差離れた女性同士の関係はどういうものか。
同年齢でないところで保護被保護者関係的なものになるのかと思ったら、相手を思う気持ちは同格のものに思える。
陽が弥生ちゃんと友達呼ばわりしていることからも、精神の状態は同級のものとして捉えているようだ。
双方とも傷の深さも根深いもので、自分自身を支えること自体難しく、余裕をもって相手を癒すような立ち位置にはいない。
とは言え相互依存というものには思えない(共依存というような自己満足・支配的なものも感じない)。

弥生は好きだったパラグライダーのインストラクターの男性が結婚して家庭を持ち子供にも恵まれている。
妊娠できない体で、ある意味自暴自棄となり男性関係を無軌道に続けている彼女は、男に搾取されていると見える(少なくとも陽には)。
であるから、彼女がインストラクターの男性と仲良くしているところに、泣いて「弥生ちゃんからこれ以上奪わないで」と叫んで掴みかかる。
彼女に自分を投影しているところは窺える。
しかし単なる傷の舐め合いがしたいというわけではない。
相手を守りたいという感情は、確かなものだ。
だが、好きというのは、、、そう好きであることが前提だろう。相手のことが好きなのだ。

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その感情なしにこのような関係性は保てないはずだ。だが、ふたりでこの先、消えてしまうにせよ、一緒にもう少し頑張ってみるにせよ、陽の謂うように、弥生はどこかで男の方に流れて行きそうな気がする。
好きであっても傷を抱えた者同士の関係は、どうしても歪みや綻びは出てしまうのではないか。
やはり二人揃って同じ方向を向いている時に決着付けた方が良いのかも。

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弥生役の桜井ユキの演技は秀逸であった。
凄い女優は、まだまだいるものだ、と思った。



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恐怖の洞窟

ITS ALIVE!001

IT'S ALIVE!
1968
アメリカ

ラリー・ブキャナン監督・脚本


トミー・カーク、、、トーマス(古生物学者)
コーヴェス・オウスターハウス、、、ノーマン(夫)
シャーリー・ボンヌ、、、レスリアン(奥さん)
アナベル・ウィーニック、、、ベラ(メイド)
ビル・サーマン、、、グリーリー(怪物を飼う男)


導入の映像はなかなか素敵だ。
雨の降る中の延々と続くワイディングロード。
ワイパーが視界を確保しながら見渡せる淋しく不穏な景色。モノローグも妙に詩的だったりして、、、。
夫はさっさと目的地に行きたいのに、妻が街道を降りて脇道の探索をしたがるのにもううんざりしている様子。

悲劇はこんな時に起こる、みたいに車が森の中、僻地へと吸い込まれてゆく、、、。
途中で出逢った人の好い若者は、余りに親切なので、サイコキラーかと思ったが最後まで良い人みたいだった。
ともかく、入り口は良かったのだが、猛獣コレクターの変なおじさんの家にガス欠でお邪魔してから、妙な流れとなる。
妙な流れと言うのは、奇怪な出来事に巻き込まれてゆく、とかいうものではなく、映画~物語の文体が破綻し何がどうなってるのか判然としない場に漂い出るという感じか、、、登場人物が何を感じ考えどうしようとしているのか、さっぱり分からなくなり、ただ強烈な睡魔に襲われてしまう、、、そんな流れにはまる。
われわれは、エド・ウッド派の監督であったことに気づき、愕然とするのであるがもうどうにもできない。

時折、目を覚ますが、また寝てしまう。感覚も思考も麻痺する。恐ろしい作用だ。
それを繰り返しつつ見て行く、寝てゆくが、何やってるのか分からないことだけはかろうじて確認する。
どうやら地下洞窟に自慢の動物コレクションを見せるとふたりを案内し、そこに閉じ込めそこで飼っている動物の餌にしようというのは分かる。恐らく大食いの獰猛な珍獣に違いない。そういうものを飼い始めると一番大変なのは餌であるから。
この変なおじさんの気持ちはわかるような、、、気もする。

もう一人途中で夫婦が逢った若者がわざわざジープで後を付けてきて、車のエンジンの故障を見てあげようとする。
単なるガス欠ではなかったのか?
この若者も変なおじさんに頭を殴られ夫婦の囚われた地下洞窟に投げ込まれる。
この変なおじさんの家のメイドがまたよく分からないおばさんで酷く怯えている。
このメイドが食事を運んでゆく。助けてくれと言われると助けたいが怖くて助けられないみたいなことを言う。
家から何度も地下道を閉じ込められたところまで往復するのだが、夫婦もその古生物学者の青年も外に出たいのならそのメイドのおばさんと一緒に出てくればよいだけの話でないのか?

それから、何だか変なおじさんとの諍いが起き、古生物学者がピストルで撃たれる。死んだかと思ったらおくさんに止血されただけで元気になる。傷は大丈夫なのか。態度の常にデカい夫は、何故だか蒸気がぶつぶついってる地下水のある下層に降りてゆく。
何でもっと下に行くのか分らぬがそこで大きさのはっきり分らぬオオトカゲみたいな二足歩行の珍獣に何となく襲われたみたい。
顔が幼児のキャラクターおもちゃみたいな作りの珍獣であった。
夫は死んだ模様で、その後奥さんと古生物学者はラブラブな雰囲気となる。
メイドのおばさんに外に出してくれと強引に迫ることなく、何故だか控えめな二次的な提案をしてぼくのジープから鞄を取ってきてくれとか頼む。
おばさんもそういった約束はこまめに果たしてくれる。

鞄から取り出したダイナマイトで入り口の扉を吹き飛ばすぞ、というがそんなことしたら自分の身も危なかろう。何故おばさんと一緒に来た道を戻らないのか。
だが、それはいけないらしい。暗黙の禁止事項みたいだ。
そのうち何でそのおばさんがそこに囚われて変なおじさんのいうなりになっているのか、その経緯を語りだし身の上映像が流される。
ふたりも何でこんな状況下でおばさんの身の上話を聞こうとするのか、そのこころの余裕は何処から来ているのか。
これが尋常な尺ではない。これだけでひとつ映画が作れるのでは、、、という感じの間延びしきった長さなのだ。
ここで寝るなと言われても無理である。途中二三回目を覚ますが、まだおばさん物語をやっていた。
端的に言えば変なおじさんに掴まりベルトでしこたま殴られてメイドになったらしい。奇特なひとだ。それを知ってどうするのか。
ふたりもダイナマイトで脱出しようという時におじさんの入れた睡眠薬入りコーヒーを飲んでほぼわたしと一緒に寝てしまう。

おじさんはその奥さんが気に入ったらしくさらって行ったみたいだが、何故か下の怪物の生息しているところに寝かせる。
奥さんは生かしたいみたいなことを言っていたはずだが、これでは餌に持ってきたとしか思えない。
そこへピストルで撃たれ睡眠薬を飲まされた古生物学者がおばさんと共に助けに来る。
ダイナマイトは、寝ぼけた時に転がしてしまいもう興味はなくなったみたいであったが、おばさんメイドがそれを拾っていた。
そして奥さんをやけに簡単に助け出し、おばさんがダイナマイトを怪物に投げつけおじさんもそのおばさんももろとも地下洞窟は潰れてしまったみたい。

ふたりは何とか外に出て来た。
そして古生物学者が名言を吐く。
「すべては埋まってしまった。もう掘り出せないし何もない。そう最初から何もなかったんだ」。
そうなんだ。
何も見なかったんだ。そういうことにしよう。
こんな映画なかったんだ。

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どういうつもりの?なのか。




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ミーン・ガールズ

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Mean Girls
2004
アメリカ

マーク・ウォーターズ 監督
ティナ・フェイ 脚本
ロザリンド・ワイズマン『女王蜂たちとなりたがり屋さんたち』原作

リンジー・ローハン、、、ケイディ・ハーロン(16歳、高校生)
レイチェル・マクアダムス、、、レジーナ(プラスチックスのボス)
ティナ・フェイ、、、ノーバリー先生
ティム・メドウス、、、デュバル校長
エイミー・ポーラー、、、ジョージ夫人
アナ・ガステヤー、、、ベッツィ・ハーロン(ケイディの母、動物学者)
レイシー・シャベール、、、グレッチェン(プラスチックス、財産家の娘)
リジー・キャプラン、、、ジャニス(オタク女子)
ダニエル・フランゼーゼ、、、ダミアン(オタクゲイ)
ニール・フリン、、、ハーロン氏(ケイディの父、動物学者)
ジョナサン・ベネット、、、アーロン(レジーナの元カレ)
アマンダ・セイフライド、、、カレン(プラスチックス、おバカ娘)


まさに「意地悪な女の子たち」。
女子の学園抗争も大変だ。
ヒロインのケイディはフィールドワークの動物学者の両親と15歳までアフリカに住んでいた。
勉強は全て家で行っていたが、数学が特に得意で優秀。

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だが、学園の(暗黙の)ルールに馴染めない。
かなりアウトロー的な男女コンビとまず打ち解け、色々と学園内の権力関係など教えてもらう。
そして、はじめはその二人に派遣されたスパイのような形で”プラスチックス”というスター気取りの3人組の仲間となる。
(ボスのレジーナの弱みを握る任務である)。
そのスクールカーストのトップ集団ボスの元カレとケイディが仲良くなったことから拗れ出し諍いも広がってゆく。
最初できた2人の仲間とも結局反目し合うことに。

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こういう女子間の抗争は止め出がなく、勢力図も直ぐに変わる。
嘘の噂を流して相手を陥れるよくあるやり口である。
「意地悪な女の子たち」の中で誰が今度は勝ち上がるかの競争だ。
アメリカンハイスクールの映画は大概これだが、ホントにこんなことしかやっていないように思えて来る(笑。
当初は素朴だったケイディがプラスチックスとの関りのなかで彼女もプラスチックス化してゆくところが面白い。
順応性の高さでもあり無意識的な成り行きともいえるが、ケイディが余りにプラスチックスになってしまったことにレジーナは愉快ではない。ケイディの人気がどんどん上がっているのだ。
トップの座を彼女にとって代わられることに激怒し恐怖も覚え、報復に出る。このパタンはよく見るものだ。

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レジーナがターゲットにする気に食わない女子の「悪口ノート」がケイディを陥れるためにレジーナ自身により使われる。
これに軽い校長が乗っかり、全校を巻き込む騒動に。
バカバカしいのでいちいち書かないが(笑。

今、ティーンで大人気のリンジー・ローハンが活躍するのを愉しむ映画であるが、脇も主役級の有名どころが固めている。
わたしの贔屓のアマンダ・セイフライドがおバカな脇役なのが残念ではあるが、ドタバタコメディの王道と言う感じを行く映画であった。
時折ケイディがイメージするアフリカの動物の水場を巡る抗争と女子たちの勢力争いをだぶらせるところなど、つまりはほぼ同じ本能レベルの闘いであるということか。
確かにこのくらいの年頃の女子が一番、野獣に近いものかも知れない。

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最後は、数学クラブの全国大会で、ケイディの活躍により優勝を収め、帰ってきたら一時は嫌われ者となったはずが、ハイスクールクイーンの栄誉に輝き、皆で仲良くしましょうね、のスピーチで拍手喝采となり全てが丸く収まるというもの。
言うことなし。





Huluにて












東京少女

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2008

小中和哉 監督
林誠人 脚本
遠藤浩二 音楽
鈴木佐江子「aitai」主題歌

夏帆、、、藤咲未歩(小説家志望の女子高生)
佐野和真、、、宮田時次郎(漱石の弟子、小説家志望)
福永マリカ、、、宮田あき子(時次郎の妹)
近藤芳正、、、塩見篤史(妙子の再婚相手、夏目漱石の研究者)
秋本奈緒美、、、藤咲妙子(未歩の母)


現在の赤坂のホテルの一角と明治時代の赤坂の出版社の一角がワームホールで繋がる。
地震が起きて藤咲未歩が階段から落とした携帯が、同じく揺れで階段にすがった宮田時次郎の手に渡る。
いささか強引で荒唐無稽な導入に目をつぶれば、その後の流れはとても面白い。
よく出来たファンタジードラマだ。淡々として明るく軽みのある映画。
そして、かなりワクワクもする。

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平行現実(パラレルリアリティ)に同時に存在する人との関係はこういったファンタジーから馴染んでゆくものかどうか。
わたしはこのようなドラマはまずは、ありだと思う。
それが今回は(月が空に出ている時に限り)電波を通して端末で繋がるというもの。
こういう形があっても良いということで、、、

相手が帝大生の小説家志望ということもあり、呑みこみも想像力も充分なため、お互いにやりとりは思いの外スムーズに進む。
(藤咲未歩も小説家志望のSF好きときている)。
最初の光と着信音と手に取れば、女の子の声がする。携帯ではなく「けったい」な電話としか思えないところから、直ぐに(認識的に)ジャンプするところが、共感できる。携帯とはそういうものである。
噺がかみ合わない間はほんの僅か。直ぐに相手の置かれた文脈を察知する。
(実際に聞いた住所がないこともあるが、タイタニックの予言の説得力があったか)。
打ち解けたところで、双方の悩みの相談などするが、ここは自然だがありふれている。
(自らのなすべきこととは何か、双方とも真剣に考える良い機会とはなった)。
 
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面白いのが100年開きがあるのなら、同じ場所を携帯で連絡し合いながら辿るデートしよう、というアイデア。
確かにこの奇跡の機会を有効活用しとかないと(いくら使わないときに電源を切る約束をしていてもバッテリーの限界は来るため)。
ふたりがそれぞれ歩く今の銀座と明治の銀座の景色の違いを二分割画面で示してゆくところは素敵。
そして同じレストランでカレーを食べる。
ここは観ているこちらも愉しい。

そして道すがら店などを見て行くがどれも今の銀座にはない。
100年以上続く店はないかと探していると、同じ呉服屋がみつかる。
そこでこの帝大生が閃く。
手鏡を未歩にプレゼントするのだ。100年後にこれを取りに来る女性がいるからそれまで店に置いて欲しいと、、、
彼の連絡通りに未歩が店に宮田時次郎の手鏡のことを話すと、現れた老婆がやっと逢えたと感激して抱き着いてきた。
鏡の裏には「時は離れていても、君の心は近くに感じる」と宮田時次郎のメッセージが一筆認められていた。
これを渡すため、永い年月をひたすら待ち続けて来たこのおばあちゃんは105歳か。
宮田が手鏡を買う時にその場にいた5歳の店の娘である。彼に実際に逢ったことのある貴重な人物だ。

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そのおばあちゃんは携帯を借り5歳の時の自分にその手鏡を大事に保管するよう諭し、宮田に替わってもらい、彼にありがとうと、感極まって伝える。
礼を言うのはぼくの方ですよと彼は返す。
(当然、ここではそう思う)。
未歩はプレゼントに喜びは隠せない。

だが、バッテリー切れがいよいよ近づいて来た。
彼女は同じ場所にまだワームホールのあることを信じ赤坂のビルに明日行くことを彼に伝える。
そこで充電器を渡そうというのだ。まだまだ彼とは話したい。しかしそれはどうにも上手くいかない。
彼も丁度、完成した自信作を赤坂の出版社に届ける日となっていた。タイミング的には、最初の出逢いと同じなのだが。
彼女は反対していた母と塩見との再婚を認めて食事会をそのビルのレストランで計画していた。
(自分の恋愛経験を通し、母の恋愛も認めたくなったのだ)。
その席で塩見は相談を受けていた、漱石の弟子である宮田時次郎の消息について調べ上げて来た。
何と新聞によれば彼は、100年前の今日、池に溺れる少女を助けて自らは溺死してしまうのだった。
驚愕して最後の携帯から彼にその事情を伝え、赤坂に行かないよう泣いて懇願する。
だが彼は、それこそ自分の成すべきことと言い、赤坂の出版社近くの池に向かう。
そこで溺れていたのがあの呉服屋の少女であったのだ。

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宮田の亡くなった池を訪ねると物陰にひっそりと小さな墓碑があり、そこには手鏡の一文が刻まれているのだった。
あの老婆によるものであろう。
塩見と共に未歩は宮田家を訪れ、彼に関することを尋ねると池に飛び込む際に投げ捨てた原稿を包んだ風呂敷が蔵で見つかったと差し出された。それを読んで驚く塩見。「日本の近代文学史を塗り替えることになるかも知れない」と。
その「未来を歩く女」の内容は、まさに未歩に向けて書かれた恋愛小説でもあった。

100年の時を超えて出版されたその小説はベストセラーとなった。

所々で、かなり涙腺の緩む映画であった。





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東京少年

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2008

平野俊一 監督
渡邉睦月 脚本
遠藤浩二 音楽
浜田真理子「LOVE SONG」主題歌


堀北真希、、、みなと/ナイト(二重人格少女)
石田卓也、、、シュウ(医学部浪人生)
草村礼子、、、みなとの祖母
平田満、、、シュウの父(脳外科医)


堀北真希の演技を久しぶりに観た。
リンゴをよくかじる。シュウ~みなと~ナイトと、、、。
ため息(リスト)が流れる。最高のBGM。
泣きながら食べるオムライスには魅了された。その演技に。
東京って、ここはどの辺なんだろう?

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みなとは同い年の男子ナイトの人格~存在が何であるのか知らない。
ただ、(意識を失い)彼になった時に、みなとへと手紙を書く。ナイトはみなとの事を誰よりもよく知っている。
文通をして励まされているため、彼女は、ナイトという男子が何処かにいると思っている。
彼は彼女が幼いときに交通事故で両親を亡くしたショックから現れた存在であった。

この二役を見事に熟している堀北真希はやはり凄かった。
女子の時は可憐で一途で、男子の時は凛々しく陰りをもって(眼光は鋭い)。
この人は一時代築きましたな。
今で言えば、浜辺美波か。

そういえば昔ウェブ上で、いくちゃんのお姉さんが堀北真希そっくりの東大生だと噂されていたが、確かに似ている。
誰かに似ていると思ったらいくちゃん似ではないか。
それにしてもその噂がホントなら恐るべき最強姉妹だ。
何の噺だ。

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この噺も他の人格のお陰で今現在の大切に思っている相手との関係がグチャグチャになってしまう。
恋をしたとたん、発動される自らはあずかり知れない力。
(昨日見たヒロインもそれで苦労していた)。
ここでも他人格のナイトと言う男子が、みなとという本体を過剰に守ろうとして邪魔をする(生き難くする)結果となる。
(まさに「ナイト」であるのだが)。
しかし自分の意識のないときに目覚める人格のすることである。
みなとにはどうにもならない。

このどうにもならなさ、、、自分にも感じる。
自分の意識の無いときどうやって自分を知るのか(無い事すら分からないのだ)。
しかもひとはほとんど無意識でルーチンを熟している。
意識は事後確認機能に等しい。
確認漏れもあろう(間違いや忘れ物などほとんどそれだ)。

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結局、みなとを愛する浪人生がナイトの存在を掴み引っ張り出す。
(頼れる第三者が如何に肝心か)。
そしてみなとのため、彼女を解放するように諭す。
彼女を手放すということは、自らは消えることとなる。
両親が交通事故死した責任を幼いこころに責め続けて来た彼女をずっと守ってきたナイトであった。
誰よりも彼女を大切に思っている自我であるが、役目の終わったことを悟る。

流石は脳外科医の息子で浪人で苦労して来ただけのことはある、、、。
将来良い医者となるだろう。
ナイトはシュウにみなとの好きなものを全て告げて消え去った。

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ナイトの外れたみなとはもう彼のことは覚えていない。
しかしシュウが気を利かせ、ナイトがリンゴをもってクールに写っている写真を撮っておいたのだ。
「わたしこんな写真撮ったかしら、、、」ナイトの形見となろうか。


堀北真希の圧巻の演技であった。



Huluにて








殺人鬼を飼う女

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中田秀夫 監督
吉田香織 脚本
大石圭 『殺人鬼を飼う女』原作

飛鳥凛、、、櫻木京子(多重人格者)
大島正華、、、直美(京子の別人格)
松山愛里、、、ゆかり(京子の別人格)
中谷仁美、、、ハル(京子の別人格)
水橋研二、、、田島冬樹(京子の隣人の小説家)
根岸季衣、、、櫻木友香里 (櫻木京子の実母)
浜田信也、、、櫻木京子の勤務先の店長
吉岡睦雄、、、峰岸亮太(実母のヒモ)


中田秀夫 監督のものをもう一本感想を書いておくことにした。
わすれないうちに(笑。
(最近、少し前のことも忘れてしまい戸惑うことが多い)。

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どうやら京子は別人格が自分の内にいることは知っている。
毒親の虐待によってできてしまった人格で在り、所謂、解離性同一性障害~多重人格障害となるか。
それらは京子におかまいなく自由に出てきてしまい、コントロールは出来ない。
これは非常に京子としては生きづらいはず。
自分の好きな作家に本を貸してもらう約束を取り付け、彼がわざわざ探して届けてくれたのに別人格が無礼な態度で接し、本をゴミ箱に捨ててしまう。これなどもっとも悲惨なパタンだ。
大切な人間関係がズタズタになる。

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また、母親が飛んでもない毒親で京子の日常に容赦なく乱入してくる。
多くは罵声を浴びせ金をせびりに来るのだが。
義理の父は京子の幼いころに彼女によって殺されたようだ。
(解離性同一性障害はこの時のショックによるものと捉えられるようだ)。

その歪んだ人格たちが揃い、皆で会議~諍いをするところなどコミカルではある。
つまり多くの人格を独りで演じ分けるのではなく、人格ごとの個体で演じているところが特徴である。
(人格分、身体があるように描かれるが実際、人格同士ではそうしたあり方なのだろう)。
ここで何が一番大きな違いかと言えば、一人で演じれば複数の人格が同時に出現出来ない。
だが本作では、複数人格が同時(同じ場)に入り乱れて破滅的流れとなったりもする。
勿論、他者にとれば、一人の京子でしかないにせよ、雰囲気的には全く異なる誰かであり、それが何人も束で関わって来るのだ。

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各人格間の齟齬、軋轢がかなりあり、奔放で暴力的な人格が強く出ると、殺人もさらっとしてしまう。
直美は京子を守る為、強く束縛する。しかし防衛を超えた暴力と言えるか。
ゆかりは、外に向けた攻撃性が強く奔放で破滅的である。
ハルは京子の子供時代の人格であるが、見た目?は大人であり仕草は幼い子供そのもの。
大人でそれをしていれば、観る者は唖然とする。

当然、関わる人間は大変危険である。
店長などは、他の人格に馬鹿にされながらも、上手く付き合っている方だ。
殺されないだけめっけもんといったところか。
しかし他人格の攻撃性により京子自身は追い詰められてゆく。
(自分の周囲が血みどろになってゆくのだから)。

そして作家に恋心を持ちながらも男であることが許せないこと(幼少時の義父の投影)から、彼に対しても殺意をもってしまう。
どうやら他人格だけでなく自らも一番大切に思っている相手に対し殺意を燃やす。
そちらで人格が統一されてしまうと、もうシリアルキラーに成ってしまう。
どうなるにせよ人格はひとつに統一された方がよい。まずもって生き易い。

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飛鳥凛という女優は、中田秀夫 監督の作品「ホワイトリリー」でもヒロインとして熱演していた。
普通の映画にしては、性表現が即物的で大胆と言える。




Huluにて














女優霊

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1996

中田秀夫 監督
高橋洋 脚本

柳ユーレイ、、、村井俊男(監督)
白島靖代、、、黒川ひとみ(主演女優)
石橋けい、、、村上沙織(新進女優)
李丹、、、フィルムの女
大杉漣、、、大谷(映画製作者)
サブ、、、関川
高橋明、、、六さん(フィルム担当者)
根岸季衣、、、筒見トキコ(黒川ひとみの事務所社長)


中田秀夫監督のものは、幾つか観た。「カオス」、「リング」、「ザ・リング2」実は「殺人鬼を飼う女」、「ホワイトリリー」もまだ記事にはしていないが観た。何とも言えないが、日本のホラーではよく出来たものと言えると思う。
わたしとしてはホラーではないが「カオス」が一番好きだ。

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これも全体の雰囲気~抑えられたトーンは良かった。そう独特の質感の映画であった。
主演の監督役である柳ユーレイの演技スタイルによるところも大きい。
白島靖代は活動期間は短かったが、存在感ある女優であったことが分かる。
石橋けいの初々しさも印象的であったがもう少し演技を見たかった。
思いの外早く消えてしまったのは惜しい。

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ストーリーに直接関係しないが、村上沙織が撮影家屋の屋根裏?から転落死したのに、中断期間もなく平然と撮影を続行している光景には違和感を覚えた。警察の現場検証も簡単で単なる本人の不注意による事故ということで、皆気味悪がったりはしたが、特に悲しむでも惜しむでもない姿はそれ自体ホラーと感じる。彼女を立派な女優にするとか言っていたのに、このあっさりした流れは何なのか、、、。

噺としては、監督の小3夏休みの昼に見た記憶のあるドラマの一場面が今自分が撮っている映画のフィルムに割り込んでくる。
スタッフは、昔の未現像フィルムがどういう手違いか紛れ込んでしまったと判断し、さして気には留めない。
だが監督は、撮影中にそこに観た女の影を目にしたような気がして、記憶をたどるとそのフィルムに写り込んでいた断片の先、屋根裏部屋に何か恐ろしいものが潜んでいた気がするのだが、どうにも思い出せない。それで余計に気にかかる。
撮影スタッフの中にも女の幽霊を見た者が複数出て、そのフィルムに写っていた断片からそのドラマについて調べさせる。するとそのドラマは、かつて現在と同じ家屋で撮影中、主演女優が転落死したことで、撮影打ち切りとなり放映されず仕舞いのものであった。
彼は確かに小3の夏休みにTVで観た怖いドラマだと主張するのであるが、、、
では、監督は幼い頃、一体何を見たのか。母の日記からもその時期にTVを見て怖がっていたことが裏付けられている。

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そういった経緯もあるが、そのまま撮影をしている最中、映り込みの女優が転落死した同じ場所で村上沙織が転落死を遂げる。
スタッフの中からは、彼女は他の誰かに抱き着かれる形で落下したという証言もあったが、その発言は抑え込まれる。
そして例のフィルムも検証を頼んでいたベテランフィルム担当者によって焼却されていた。
こういうものは縁起が悪いから処分するに限る、みたいなことを言われ、、、。
監督は納得しない。撮影の傍ら、ひたすら例の屋根裏部屋への糸口に拘り続ける。

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そして黒川ひとみが脱走兵を毒殺する最後のシーンで、やはりそこに村上沙織もいなければ辻褄が合わないということで、その一場面だけの代役を付ける。
ここが山場なのだろう。
彼女が、殺したことを確認するように死体に近づきふと目をあげた際、死んだはずの村上沙織の顔が現れ思わず叫ぶ黒川。
同時に背後に突然立ち、けたたましい声で笑う代役の娘。その娘の顔は違う顔であった。
明らかに娘には何者かが憑依していたのだ。

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もう映画は滅茶苦茶である、はずだが、声を消して何とか撮影シーンを生かそうとスタッフが工夫する、、、
監督は例のドラマの一件を詳しく聞かされ、フィルム処分した男からはそこから女の笑い声がしたと告げられた。
はっきり(悪)霊が存在し、その仕業であることを悟り、彼は黒川の身を案じて例の場所を見に行くとそこに佇む彼女が自分を呼んでいるではないか。
気を付けてと叫び、駆け付けると彼女は消え去り、代わりにしっかりと女の幽霊が現れて襲って来る。
これは怖いはず。キャ~といって自らあの屋根裏部屋に逃げ込んだ。
そこで首は絞められ、大笑いされ、足を引き摺られ何処とも知れぬところへ連れ去られてゆく、、、。

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後片付けをするスタッフとともに監督、何処に行ったのかしらと訝る黒川が最後何かを見つけたような表情で終わる。
(恐らく監督の惨殺体を見つけてしまったのでは)。
BGMも豊富でなかなか気の利いたものであった。
この時期の先端を行くサウンドであったと思う。
物語として面白いものであった。



Huluにて













”Bon voyage.”

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