プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
基本的に、日々思うことを綴ってゆきます。悪しからず。
必ずパソコン画面(PCビュー)でご覧ください。


*当サイトはリンクフリーです。

PICKUP
still dark
この世界に残されて
ファミリー ファミリー
通告
暗黒街のふたり
Autonomous 自律
怪奇蒐集者 黄泉がたり 村上ロックより抜粋
閉鎖病棟 -それぞれの朝-
ついに実現、S君の絵画展
S君 小さな情景展 Pre001
遠藤彰子先生と語る
春夏秋冬そして春
キューブ CUBE
ドント・ハングアップ
キャット・ピープル
パラサイト 半地下の家族 -2
パラサイト 半地下の家族 -1
ヘンリー・ムーア~彫刻に見る普遍性
911爆破の証拠―専門家は語る 前
9/11:爆破の証拠 - 専門家は語る 後
アポロ 11
シャチ~優しい殺し屋~
ハイヒール
お嬢さん
とうもろこしの島
セールスマン
トラピスト1に寄せて
「労働疎外より人間疎外」によせて
カッシーニ グランドフィナーレ
カッシーニ グランドフィナーレⅡ
シチズンフォー  スノーデンの暴露
スノーデン
レヴェナント: 蘇えりし者
透明な身体性
森羅万象を描く デューラーから柄澤齊へ
ヴィデオドローム2 ~イスラム国 ~アノニマス
見えない重力を描く Ⅱ
美の翳りに寄せて
写真についてーⅡ
午前零時の奇蹟(シュル・レアリスム覚醒の時間)
パーフェクト・デイ ~ルーリード ~ローリー・アンダーソン ~スーザン・ボイル
未来派の画家~ウンベルト・ボッチョーニ
Balthus ~ バルテュス展行ってまいりました。
「ゴールドベルグ変奏曲」 バッハ  ~グールド ~P・オトゥール ~ニーチェ
大昔のスケッチ(詩画集のための試作)
すでに世界は終わっていたのか ~ ヒエロニムス・ボスその1
スヌーズレン002
情報リテラシー  ~華氏911 ~不都合な真実
南伸坊「歴史上の本人」
プラトーン
アリータ
カレンダー
04 | 2022/05 | 06
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
邦画特選
☆彡 東京物語
☆彡 秋刀魚の味
☆彡 麦秋
☆彡 晩秋
☆彡 雨月物語
☆彡 アフタースクール
☆彡 ラブレター
☆彡 四月物語
☆彡 花とアリス
☆彡 スワロウテイル
☆彡 リップヴァンウィンクルの花嫁
☆彡 寄生獣
☆彡 寄生獣 完結編
☆彡 ヒミズ
☆彡 冷たい熱帯魚
☆彡 女子ーズ
☆彡 フラガール
☆彡 怒り
☆彡 ミスミソウ
☆彡 志乃ちゃんは自分の名前が言えない
☆彡 少女邂逅
☆彡 羊と鋼の森
☆彡 空(カラ)の味
☆彡 カノン
☆彡 花筐
☆彡 ローリング
☆彡 サマーフィルムにのって
☆彡 あん
☆彡 ドライブ・マイ・カー
☆彡 お嬢ちゃん
☆彡 夏の妹
☆彡 モダン・ラブ
☆彡 ソウル・フラワー・トレイン


アニメーション☆

★彡 サマーウォーズ
★彡 君の名は。
★彡 この世界の片隅に
★彡 言の葉の庭
★彡 聲の形
★彡 魔法少女まどか☆マギカ 劇場版前後編
★彡 魔法少女まどか☆マギカ 劇場版 新編
★彡 映画けいおん!
★彡 涼宮ハルヒの消失
★彡 響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部へようこそ
★彡 たまこラブストーリー
★彡 百日紅 Miss HOKUSAI
★彡 planetarian~星の人~
★彡 『千と千尋の神隠し』を観て。廃墟のテーマパークの可能性
★彡 星を追う子ども
★彡 劇場版総集編メイドインアビス 旅立ちの夜明け・放浪する黄昏
★彡 Dr.STONE
★彡 天気の子
★彡 竜とそばかすの姫
月別アーカイブ

癒しのこころみ

iyasi003.jpg

2020

篠原哲雄 監督
鹿目けい子、ますもとたくや、錦織伊代 脚本


松井愛莉、、、一ノ瀬里奈 (新人セラピスト)
八木将康、、、碓氷隼人 (元プロ野球選手)
水野勝、、、上坂浩司 (碓氷の友人)
中島ひろ子、、、篠崎直子 (先輩セラピスト)
秋沢健太朗、、、西野大輔 (先輩セラピスト)
矢柴俊博、、、鮫島鉄二 (セラピー医院長)
橋本マナミ、、、伊藤さやか (先輩セラピスト)
渡辺裕之、、、一ノ瀬太郎 (父)
藤原紀香、、、鈴木カレン (カリスマセラピスト)
寒川綾奈、、、碓氷奈美 (碓氷の妻)


勤めていた広告代理店がブラック企業であったことで手ひどいダメージを喰らって退職したヒロインがセラピストとなって蘇る噺。
わたしは、こういう物語は好きだ。見通しの良い物語で清々しい。感情の流れが自然であれば心地よいではないか。
松井愛莉がドンピシャのヒロインであった。大変表情が可愛い。暗く沈んで鬱になっているときも、終盤のキラキラした快活な表情も共に流れに乗った説得力があった。

iyasi002.jpg

松井愛莉演じる一ノ瀬里奈がセラピストを目指すきっかけとなったのが、カリスマセラピスト鈴木カレンのセミナーに参加し、個人的に施術を受け相談に乗ってもらったことである(このカリスマセラピストに藤原紀香がまさにピッタリはまり役であった)。
彼女が一ノ瀬のメンターとなって、要所において戸惑いに身体性をもって導いてゆく(有効なセラピーやワークショップに招待する)などで、一ノ瀬の迷いもトラウマからの解放も進み自分の現在の道に確信を抱いてゆく、理想的な師弟関係が築けたことは大きい。

iyasi004.jpg

劇団EXILEのメンバーだという八木将康が一ノ瀬の相手役で、元プロ野球5番打者であったが、デッドボールを受けてから不振となり戦力外通告を受け、少年野球教室の指導をしながら再びプロへの道を探りつつ、悩んでいるというもの。
彼は一ノ瀬里奈の初期の客であったが、(双方ともにこころに傷があり)施術が上手くゆかず、彼から強い不満の言葉を浴びせられてしまう。
彼女にとってはこの一件が、しこりとして残り、何とか施術をやり直したい思いに駆られ、相手を知る必要があるということで彼の野球教室にまで通う(ここまで普通するとは思えないが、何かを感じたということもあろう。否定はしない)。
この関係が良くなることが双方にとってのこころ解放に繋がるという直観はきっと働いたのだ。
実際、その通りであり、鈴木カレンの勧めてくれた「森林セラピー」への二人揃っての参加により、お互いに自分本来の波動に近づいた爽快感を実感する。
わたしの今後の癒しのこころみの参考になるところでもあった。

iyasi001.jpg

ここからふたりとも前向きとなり、彼女は施術に相手の気持ちに寄り添う技術が加わり、客の信頼も増し成就感と自信にも繋がってゆく。
碓氷はデッドボールのトラウマを超えて、独立プロの入団試験に通り、プロ野球界に復帰する足掛かりを確実に掴む。
ちょっとしたこころみ~一歩で全体の相が一変するということは確かにある。
それまでも冗長的に事態は進んでいたのだ。
表面的に変わらずともしっかり地に足を付けてルーチンを熟してゆき、タイミング的に良いところで大きな転換を狙う。

iyasi005.jpg

これで将来への夢に向かい別れてゆくハッピーエンドで良かった、のだが、ちょっとやり過ぎな感じで、四国のリーグに入団するために碓氷の家族が引っ越すところにまでわざわざ足を運ぶ。そこでただ激励のお別れするだけでなく応援歌まで歌ってしまう。一緒に来たセラピーの同僚まで、というのもちょっとしらける。何事もやり過ぎはよくない。
エンディング~エンドロールの歌がただもうウザいだけ。
終盤が何でこんな酷いものとなってしまったのか。
エンドロールで一般セラピストの写真がたくさん紹介されていたが、何やらセラピスト協会みたいなところから製作依頼されたPR作品であったのか。それはそれとして、中盤までいい感じで流れていたのに、ちょっと残念なものになってしまった。

iyasi006.jpg

渡辺裕之もとても良いお父さんであった。
最初のブラック企業のパワハラ上司以外、出て来る人は良い人ばかりであったが、、、これも少し平板な感じはした。
何にせよ、松井愛莉はよくやった。




Huluにて









ヒーラー・ガール 1~8

healer001.jpg

Healer Girls
2022

入江泰浩 監督
木村暢 脚本
高橋諒 音楽
秋谷有紀恵 キャラクターデザイン

声:
礒部花凜、、、藤井 かな(烏丸音声治療院で修行中の見習い)
堀内まり菜、、、五城 玲美(烏丸音声治療院で修行中の見習い、両親は世界的に有名な音楽家)
熊田茜音、、、森嶋 響(烏丸音声治療院で修行中の見習い)
吉武千颯、、、矢薙 ソニア(穂ノ坂治療院に寄寓、C級ヒーラー、烏丸 理彩を敵視)
高垣彩陽、、、烏丸 理彩(烏丸音声治療院院長)
東城日沙子、、、渚 笙子(烏丸音声治療院の薬剤師、理彩の親友)
高木美佑、、、穂ノ坂 しのぶ(穂ノ坂治療院院長の孫娘、作曲家)
花守ゆみり、、、鳥野 葵(五城家のメイド、ピアニスト)


礒部花凜、熊田茜音、堀内まり菜、吉武千颯の4人の若い女性声優によるコーラスユニット「ヒーラーガールズ」がそのまま主役4人を演じるアニメ。(熊田と堀内は声優アーティストとしてソロ活動もしている)。
まだ物語は途中だが、とりあえず8話まで観たところで、中間感想を書いておきたい。
TVの場合、どれくらいまで続くのか分からないので、ここらで取り敢えず書いておくことにする。長女のお勧め。
そういえば、以前「SPY×FAMILY」を1~3話までで一回書いている。
今度書くときは、どちらも最終回後にしたい。

healer002.png

本作は、ちょっとだけ未来の世界の噺。
「ヒーラー・ガール」とは、“音声医学”により歌(音楽)で人の病いを直すヒーリングを施す少女たちである。
きちんと国家資格があり、その試験に通って治療にあたることになっており、「ヒーラー」として広く一般に認められた存在である。
そのためアニメでも主題歌の他に毎回異なる挿入歌が豊富に流れる。

藤井 かな(礒部花凜)、森嶋 響(熊田茜音)、五城 玲美(堀内まり菜)の3人は、烏丸院長門下であり、それをライバル視する穂ノ坂院長の下で活躍する矢薙 ソニア(吉武千颯)が何かとちょっかいを出したり、挑んで来たりするうちにお互いを認め合い協力していく。ちなみにプライドが高く挑発的な矢薙といつも一緒にいる穂 ノ坂しのぶは、大先生と呼ばれる穂 ノ坂院長の孫である。院長は矢薙の師であり、かつての烏丸 理彩の師でもある。
烏丸 理彩は大学は医学部外科であり成績は最も優秀な学生であったが卒業後は穂 ノ坂院長に師事し“音声医学”に鞍替えして周囲を驚かせたという。

healer004.jpg

この物語、7話くらいから皆が打ち解けてくるが、そこまでは烏丸一派に穂 ノ坂一派の矢薙がやたらとからんでくる対立関係の緊張があったりする。だが、矢薙のちょっかいをまともに受けとめているのは五城 玲美くらいで、他の2人は寧ろ面白がっている。
その為、馴染んでしまうまで大変なものではなかった(色々と協力せざるを得ないことが重なるなどして)。
それぞれのキャラ同士の関係性も濃く、烏丸 理彩は森嶋 響の実家で学生時代から夏を過ごすような親戚関係に在り、渚 笙子も一緒に遊びに来ていた。この烏丸 理彩は幼い藤井 かながヒーラーを目指すきっかけとなった恩人であり、飛行機搭乗中に起きた彼女の喘息発作を治してくれたヒーラーであった。非常に頼りになる五城家のメイド鳥野 葵は玲美の両親の友人の娘という。
烏丸 理彩は穂ノ坂院長の弟子であった頃も非常に優秀であった為、現在の同じ立場同士でも信頼関係は篤い。
(この関係性の濃さは、少女漫画特有のものも感じられる)。

healer007.jpg

何かをやるに当たり信頼関係が出来ているということは、肝心なことであろう。
意見の対立があっても建設的にことは運ぶ。

噺は基本的にシンプルだが、流れの中その都度色々な試練もあり経験を積んでヒーラーとしても人間としても豊かになって行くという感じで、わたしが一番好きなシーンは、森嶋 響の実家に夏休みに皆で泊まりに行き、午前は川で泳ぎ、夜の満天の星々を眺め、その後夥しい蛍の光を愉しむコースの堪能シーンである。
音楽が自然に溢れて来てもおかしくない。
healer002.jpg

戦闘ものや過酷な冒険ものアニメが圧倒的に多い中、こういった癒しをテーマとしたアニメの存在自体、貴重であり救われる。
とても軽みがありリラックスして観易い。
続きも愉しみであり、ヒーラーガールズの曲も(ソロを含め)聴いてみたい。
このTV自体がヒーラーガールズのプロモーション的な役割もはたしている。
数回、TVで断片的に聴いたがライブも面白そうであった。
最近、声優アーティストがとても元気で弾けているが、このグループもその一角である。

healer006.jpg
healer005.jpg





TVとHuluにて








女吸血鬼

kyuuketsuki005.jpg

1959

中川信夫 監督
中沢信、仲津勝義 脚本
橘外男 原作

天知茂、、、竹中信敬(吸血鬼)
和田桂之助、、、大木民夫(東京タイムス記者、伊都子の婚約者)
池内淳子、、、松村伊都子
三原葉子、、、松村美和子(伊都子の母)
中村虎彦、、、松村重勝(科学者、伊都子の父)
和久井勉、、、小人(竹中の手下)


また、ちょっと変わった感じの古めの映画をお試し(笑。

kyuuketsuki003.jpg

まずこの映画、「女吸血鬼」は一切、出てこない。
狼男みたいに、月の光で変身する「吸血鬼」が主人公。
どうも微妙だが、日本で初めての吸血鬼映画で、天地茂が最初の吸血鬼となるそうだ。

天草四郎の家臣である竹中信敬が天地茂演じる吸血鬼であり、愛していた天草四郎時貞の遺児、勝姫の血を吸い不老不死の身となりここまで生きて来たという。
天草四郎は小説などで特別な伝説的超人みたいに描かれる設定が見られるが、ここではその家臣である。
永く生きているうちに、画家となっていた。

彼は勝姫の血を引く松村美和子を島原に夫と共にやって来た際、誘拐して地下の城に閉じ込めてしまう。
美和子は竹中の血により、不老不死となり、20年経っても全く年老いていなかった。
その美和子をモデルとした絵が二紀展で特選となり人目に触れる。
作者不明のまま。

kyuuketsuki004.jpg

美和子は伊都子の誕生パーティーの夜に20年ぶりに家に戻って来るが、意識は不明のまま眠り続ける。
美和子と婚約者の記者である大木は、上野の絵画展でその絵を偶然目にし、母そっくりであることに驚く。
その後、絵が盗まれ、何と松村家に送られて来た。
この辺の流れはちょっと刺激的でよいのだが、、、
絵はただ描いただけのようで、この絵が特別何かの役割や魔力とかに関わるものでもない。
ただ、これを見た伊都子と父の重勝が、気味悪がり直ぐに返そうとする。
(それだけのもので終わる。ちょっと残念)。

竹中の手下の小人が禍々しい雰囲気を醸していた。
月を疎む竹中の不気味なもがきと相まって演出効果はなかなか。
しかしこのドラキュラさほど強くはない。
新聞記者の大木と闘って互角なのだ。
普通、超然とした風格から、人間なんぞがかかってこようものならちぎっては投げと言う感じであろうに。
ここでは、女を合計で7人ばかり襲って血を吸うがその時だけ強さを見せる、、、。

kyuuketsuki002.png

小人もかなり狂暴な風貌で身のこなしもよさそうだが、伊都子と島の地下城で闘って互角であった。
巨人の如何にも力持ち風の手下においては、新聞記者に簡単にやられてしまう。
なんだか怪人どもが皆、見掛け倒しなのだ。

最終的に、母の美和子は島原の地下城に連れ戻され、大木と警察も引き連れ追ってきた伊都子も血を吸われそうになるが、切り抜ける。
何故だか警察はピストルは使わず、吸血鬼との闘いも記者に丸投げで、わいわいやってるだけであった。
それでも吸血鬼は辛くも倒し、城は爆破されることに。
これで竹中の呪いの血は途絶えたことになるが、せっかく一度は戻って来た母は、また血を吸われ蝋人形のようにされて死んでしまった。
伊都子は大木から生まれ故郷の地で亡くなったことはよかったことなんだよと慰められる。

kyuuketsuki001.jpg

地下城の崩壊を前にしてエンディング。
昔の映画の歴史的な意味は感じるが、、、もう少し絵の呪いとか(道具立ての工夫)、天地茂が超人的な強さを発揮するとか、いまひとつ広がりと展開が欲しかった。警察が烏合の衆というのは定番なので気にしないが。
母役の三原葉子という女優も微妙であった。まだこの姫役に合う女優はいたはずだが。

だんだん映画を観る暇もなくなってきており、この形のブログは難しくなってきた。




AmazonPrimeにて











シライサン

sirai002.jpg

2020
安達寛高 監督・脚本
中川孝 音楽
Cö shu Nie 「inertia」 主題歌

飯豊まりえ、、、瑞紀(女子大生)
稲葉友、、、鈴木春男(大学生)
忍成修吾、、、間宮幸太(記者)
谷村美月、、、間宮冬美(幸太の妻)
江野沢愛美、、、加藤香奈(女子大生、瑞紀の親友)
染谷将太、、、渡辺秀明(酒屋の店員)
仁村紗和、、、富田詠子(春男の弟の友人)


キャストが豪華。染谷将太がチョイ役と言うのも凄い贅沢と言うか、勿体ない。
仮面ライダーの稲葉友が主役で活躍していて何故か嬉しい(わたしが最も好きな仮面ライダーのキャラは”オーズ”のアンク~三浦涼介だが)。懐かしさが込み上げた。暫く、オーズのことが頭から離れなくなった、、、。

エンディングに歌われるCö shu Nieの 「inertia」という主題歌がなかなか印象的。
聴き直してしまった。
コシュニエと読むか?このアーティストについても知りたい。

sirai005.jpg

映画の話だが、所謂、都市伝説と言う奴か。
「シライサン」という名前を聞いて知るだけで呪われるというのも、お手軽過ぎる。
貞子の呪いのヴィデオくらいの手間は欲しい。

「シライサン」について調べた民俗学者の本からもう少し彼女について掘り下げてくれないと。
「目隠し村」がどうとか、ちょっとでたところでそれまで。
これでは「シライサン」が何故こんな呪いをかけて喜んでいるのか分からないままではないか。
物語が進展せず深まらない~面白くならない。
瑞紀が幻想~悪夢?の中で祈祷師を見たが、それがその村~シライサンとどう絡んでくるのか、その因縁とかが明るみに出るのかと思い観て行くがその線の回収は全く無し。
目に拘る謎にせよ、それが何故なのかまるで手つかずのままではないか。
これでは、シンドイ。

sirai006.jpg

次々に殺されてゆく若者も、単に「シライサン」という名を知った為に殺されてゆく。ただ一人目を逸らさなかった者だけがその時は命拾いをしたことから、瑞紀と春男もその手で死を回避するが、それでもやはり同じ形で結局は死んでゆく。
何というか、一回の死毎に何かを掴んで事態を変えてゆくような進展が基本的に無い。
じっと見つめれば助かるというのも大変危ういことのようだ。

sirai004.jpg

終盤の瑞紀の弾いた数学的考察は意味はあるのか。文字で読んでも繋がってしまうのか。これまでは全て声で聞いて繋がっているが。
そもそも間宮の奥さんは、夫のシライサンレポートの拡散はしたのか。
シライサンに遭遇した間宮は亡くなったそうだが、、、。
間宮の奥さんも消えたというが、やはり同様に彼女に殺されたのか。
最後、記憶喪失で「シライサン」が脳裏から消え去った瑞紀は解放されるが、春男は瑞紀を見舞いさよならした後で、ばっちり踏切で
シライサンと対面する。これで彼も死んでしまったのか。
最悪でこの三人が全員死んで終りと言うことか、何とかうまく立ち回り、二人か独りだけでも生存者がいるか。
もし春男が生き延びたのなら瑞紀との関係は復活しないか、、、。

sirai001.jpg

続編を作ろと思えば出来ないものではない。
だが事件の正体が何も分らぬまま、同一平面上を滑ってゆくような話では面白くない。
何とかしてほしい。
江野沢愛美をもっと出して欲しかった(ホントは江野沢愛美の主役が良かった。飯豊まりえに不満があるというわけではないが)。
あの役に染谷将太はない。彼はどう見ても主役の器だ。

sirai003.jpg

怖さもストーリーの面白さも感じないが、最後の病室での瑞紀と春男の対話は切なく、印象的な別れであった。


エンディングの曲が良かった。
稲葉友には頑張ってもらいたい。



AmazonPrimeにて













AVA エヴァ

Ava002.jpg

Ava
2020
アメリカ

テイト・テイラー、、、監督
マシュー・ニュートン、、、脚本
ベアー・マクレアリー、、、音楽


ジェシカ・チャステイン、、、エヴァ・フォークナー(暗殺者)
ジョン・マルコビッチ、、、デューク(エヴァの上司)
コモン、、、マイケル(ジュディの夫、元エヴァの婚約者)
ジーナ・デイビス、、、ボビー(エヴァの母)
コリン・ファレル、、、サイモン(暗殺組織のボス)
ジェス・ワイクスラー、、、ジュディ(エヴァの妹)
ジョアン・チェン、、、トニ(賭場の胴元)
ダイアナ・シルバーズ、、、カミーユ(サイモンの娘)


ジェシカ・チャステインは、思い出す範囲でもこれまで「ゼロ・ダーク・サーティ」、「女神の見えざる手」、「オデッセイ」、「クリムゾン・ピーク」、「インターステラー」、「MAMA」等、、、わたしにとり馴染みのある、よくお目にかかる女優だ。
闘う女性のイメージが強い(悩みもするが)。
途中で監督が交代するなどゴタゴタのあった映画だそうだが、それが気になるような部分は感じられなかった。
リック・ベンソン風であるがどこか違うテイストで愉しめた(かなり家庭~元カレの問題が入って来るところが独自か)。
様々な要素を詰め込み過ぎたきらいはある。

Ava001.jpg

次々に国をまたがり政治・経済界を動かす大物ターゲットを殺害して行くヒロインの噺だが、ファッション、化粧など大胆に変えて変身して行く華麗な女ぶりも見どころ。
(銃)アクションも気合が入っている。彼女の殴り合いシーンは、わたしが観た中では一番凄い。
磨き抜かれた非常にタフな女性アサシンである。

一回の成功でかなりの大金が入って来る。
依頼人からの報酬が半端ではないのだろう。
殺人でなければ彼女に取り言うことない仕事なのだが。
エヴァにとりこの稼業で酒・薬を断った生活が営めているのも事実で、この仕事以外に選択の余地は無かったのかも知れない。

Ava003.jpg

学生時代はエリートで通し、総代も務める優等生のまま卒業したが、家庭環境から崩れてゆく。
親子関係~彼女の場合、父との関係から~全てを投げだし家庭を飛び出さざる負えなくなりその後アルコールや薬物依存となり精神的に不安定となる。そこから逃れるため軍に入隊し兵士となるが、結局デュークにスカウトされアサシンの訓練を受け組織に入り活躍することに。
ここでもとても高い評価を得る。
しかしトップに睨まれることを始めるのだ。

ターゲットが何故消されるのか、闇から闇に葬る仕事の中で疑問が抑えられなくなり、相手に何をやったのか聞き出そうとするのだ。
それが何度かあり、組織のボスの娘カミーユに相手を殺すまでの会話のやり取りを盗聴されてしまう。

Ava006.jpg

そこからエヴァは組織から命を狙われるようになり、任務を無事済ませたかと思ったところに犯行場所に大量の敵が押し寄せるという想定外の襲撃に遭い辛うじて脱出に成功する。
上司のデュークは、間に立ち双方の関係を戻そうとするが、サイモンの意志は変わらず、更にエヴァに刺客を差し向ける。
これをやめさせようと直談判に行ったデュークをサイモンは殺害してしまう。
父との関係が最悪であったエヴァにとりデュークは父代わりの存在であった。

Ava004.jpg

ここから必然的に組織のボスサイモンとエヴァの一騎打ちへと雪崩れ込む。
ハードな死闘の末、逃げ出したサイモンを追い、彼女はデュークの仇を討ち彼の殺害は果たす。
エヴァは彼女が突然去った後、ストレスから始めたギャンブルで嵩んだマイケルの借金を肩代わりし、稼いだ莫大な財産を全て妹夫婦に与え(銀行のカードを渡し)ヨーロッパ以外の国に逃亡するように伝え、独り去って行く。
だが、彼女の後を父を殺された娘カミーユが執拗に追ってゆくのだった。

これがどうなるのかも観てみたいものだが、、、。

Ava005.jpg

闘い続けることを運命付けられた女の悲壮感がひしひし感じられた。
これ、続編があってもよいような、、、。
ジョン・マルコビッチとコリン・ファレルはまさに適役であった。
「今度会ったら殺してやる」と捨て台詞を残し銃も持たずに歩いて去って行く殺し屋のボス。
この何とも言えない隙が気に入った(笑。




Wowowにて









素足の季節

Mustang001.jpg

Mustang
2015
フランス、ドイツ、トルコ

デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン 監督・脚本
アリス・ウィノクール 脚本
ウォーレン・エリス 音楽

ギュネシ・シェンソイ、、、 ラーレ(末っ子)
ドア・ドゥウシル、、、ヌル(四女 )
トゥーバ・スングルオウル、、、セルマ(次女)
エリット・イシジャン、、、エジェ(三女 )
イライダ・アクドアン、、、ソナイ(長女)
ニハル・コルダシュ、、、祖母
アイベルク・ペキジャン、、、エロル(叔父)
トラック運転手ヤシン


よく出来た映画。
トルコ系フランス人のデニズ・ガムゼ・エルギュヴェン監督の初長編作品だという。
この女性監督、マークしたい。
(わたしの贔屓のジェーン・カンピオンとは全く違う作風だが、素敵な監督だ)。

Mustang004.jpg

思春期の年頃女子5人である。まさに「野生馬」だった。
かなり活き活きのびのび成長してきたという感じの娘たちに見えたが、、、
(場所としても、自然が豊かで特に海も近く長閑な光景が広がる)。
丁度、思春期という(何処にあっても)難しい時期ではあり、両親が亡くなり叔父の家で育てられているというのも(双方にとって)しんどい。
幾ら親戚でも5人の娘を引き受けるのはご苦労なことだろう。おばあさんががんばっていたが。
普通、親戚に、一人でも厳しいことだ。片方は他人であるし。

トラック運転手のヤシンが他人ながらとても良い人で、ラーレをしっかりサポートしてくれる。
実際、ここは都合が良すぎというか、ここまでタイミングよく親切にサポートしてくれる人はいない。
映画では彼無しには、ラーレとヌルは脱走は不可能だった。
この救いの手無しに何とか頑張るのが現実であるが、、、普通、こんな良いにーちゃんいない。

Mustang003.jpg

舞台はトルコだが、イスタンブールからはかなり離れた田舎みたいだ。
それもあろうが、非常に封建的で女性が男性社会の従属物のように扱われている。
同じ年頃の男子と遊んでいたら、この不埒ものと叱責され、家に閉じ込められ学校にも行かせてもらえなくなる始末。
特別奔放だとか、節度を越えた態度とかいうものではない。何処にでもいるこの時期の少女たちだ。
その後、姉妹は上から勝手に結婚相手を宛がわれ順次結婚してゆく。
あり得ない。この有様を批判的に見つめる末っ子ラーレ。
行動力もあるがどうにもまだ幼い。

すでに愛し合っている男がいる姉はおばあちゃんから、その相手から求婚させるようにとアドヴァイスを受け、好きな相手と結ばれた娘もいるが、他は好きでもない相手やそれまで会ったこともない相手といきなりである。
日本にもそういう時期はあったが、これは現代の噺だ。
姉妹での遊びや会話など見ても、まさに今のお転婆娘たちそのものである。
今の欧米の娘と変わらぬパラダイムにいるにも拘らず、強制的に保護者が結婚を決めて厄介払い。
これは流石に無理がある。

Mustang002.jpg

と思っていたら、、、エジェがピストル自殺。
これは飛んでもない悲劇、と思っていたら、、、
驚くべきことに、皆ショックは受けたが、事態は何も変わらないのだ。

三女の自殺を受けて、彼女らに対する関係性を根本的に洗い直すなどという気持ちは一切ないことが分かる。
その後、直ぐに4女の結婚相手を見繕って連れて来て、儀式を行うのだ。
これがトルコなのか、この田舎なのか、この叔父なのか、、、。
いずれにせよ女性に人権はない。大人には、その枠の外に立って考える余地はない。
だが、彼女らはそのパラダイムにはいない。鋭く反発する。特に末っ子のラーレである。
若いほど反発心が強いというより、性格的なものが大きいであろう。
(若さでは同じようなもので、上手く立ち回ったり不満はあるが受け容れたり、思い切って人生をすててしまったり、である)。

Mustang006.jpg

だがラーレは、どうやってそこから解放されるか、その策を練るには幼過ぎる。
行き会ったりばったりで右往左往であるが、不屈の闘志があることは、頼もしい。
まずはそこである。
4女の式の際に、家に二人で籠城し、さてどうするのかと思って観ていると、何も考えてなかったことが分かる。
外では、メンツを潰された婿と叔父は大激怒。
その様子を窺っているうちに、叔父が機材を使って家の扉を破壊して入ろうとしているのを知り、玄関から二人で上手く逃げて車に乗り込む。車の運転は、いつも同じ時間に同じ道を通り顔馴染みになっているトラックにいちゃんに教えてもらっていた。この点だけは立派。
そして途中まで家の車で逃げ叢からそのトラックが来るのを待つ。
予定通りに来たところで乗り込み、2人はイスタンブールへ。
ラーレの大好きな尊敬する(転任した)先生の家に行く。

Mustang005.jpg
(監督を真ん中に)

希望を感じさせるエンディング。現代音楽がとてもフィットし心地よい。
ここ最近、観たモノではもっとも見応えがあった。


Huluにて






シェラ・デ・コブレの幽霊

The Ghost of Sierra de Cobre001

The Ghost of Sierra de Cobre
アメリカ
1967(日本公開)


ジョセフ・ステファノ、ロバート・スティーヴンス監督
ジョセフ・ステファノ 脚本

マーティン・ランドー、、、ネルソン・オライオン(著名な建築家、心霊調査員)
ダイアン・ベイカー、、、ヴィヴィア・マンドール(ヘンリーの妻)
ジュディス・アンダーソン、、、ポーリナ(マンドール邸の家政婦)
レナード・ストーン、、、ベネデイクト・スローン
トム・シムコックス、、、ヘンリー・マンドール(資産家、盲目)
ネリー・バート、、、マリー・フィンチ(ネルソン・オライオン邸の家政婦)


何だか知らぬが、恐ろしく貴重な作品らしい。
1964年アメリカで製作されたが未公開であったと。
レアだ(この辺は、流石にAmazonとしか言いようがない)。
世界にフィルムも二本残るだけのもので、日本でも1967年に一度だけ上映されたことがある知る人ぞ知る幻のカルト作品みたい。
とは言え、、、
今日はなかなか落ち着いて鑑賞できなかったせいもあるが、何だかよく分からぬ噺であった。
字幕もやたらと長く二行に渡り凄い速度で切り替わるので、これまた落ち着かない。

The Ghost of Sierra de Cobre002

ネルソン邸がやたらとカッコよい。
あんな風な家に住んでみたい。海岸の高台に突き出した(超)モダン建築であった。
家政婦も合理主義者で小ざっぱりしている。
マンドール邸の家政婦は一目で悪魔と分かる、分かり易さだが(笑。
(怖すぎる)。

とても気になるのが、ネルソン邸の崖下の海岸で彼がパーティーに誘った金髪の美女はどうなったのか、、、。
その海岸に時間になったら迎えに行くなどと約束したが、物語の展開からしてそれどころではなくなっている。
彼女がどうしたのか、わたしは知りたい。
(あのシーンは一体何であったのか、、、一番のホラーだ)。

The Ghost of Sierra de Cobre006

まあ、話はそれとしてちゃんと出来ていたが、特に興味を惹くものではなかった。
かつて殺害されたアメリカの女性教師が幽霊となって怒って(怨念で)出て来たみたいであったが、毒母が一番の元凶であろう。
強欲な母は娘の嫁ぎ先を嗅ぎ付け潜入して来た。
盲目の娘婿の財産目当て。彼の相続する広大な土地を金に換える一歩手前まで迫る。

車で死んだ娘は、まさに被害者であろう。
アメリカ教師事件が起きた時はまだ幼く、罪を犯したのはマンドール邸の家政婦に化けたその母に他ならない。
これはまさに毒母の呪いであった。
しかしあそこまで見るからに怖くしなくても、とは思う。最初からこいつだと言ってるようなものだし。
サスペンスにはならない。

The Ghost of Sierra de Cobre005

それに引き換え、ドンという効果音や風がヒュ~ヒュ~いうのや、レントゲン写真みたいな幽霊は、なんだかな~であった。
(盲目の夫が自分が呪われていると思いこまされひたすら怯えるのも分かるのだが、、、)。
ここは圧倒的に毒母そのものの怖さに軍配が上がる。
それに娘は耐えられず、車ごと海辺に転落して命を絶つのだ。
狂気の源はこの母である。
何故、後ろでネルソンはずっとボ~っと見ていて助けなかったのか。
その母親が車に閉じ込められ海辺に転落しそうになったときは身を張って助けたのに。
疑問である、、、わたしなら親を放っておき、娘の方を助ける。

The Ghost of Sierra de Cobre003

いかし未だにどうにも引っかかっているのが、海辺の金髪の美女である。
誘っておきながらすっぽかしは、ない。誘うときのネルソンの嬉しそうな顔は他では見られない突出した絵であった。
大変短い尺であったが、そのため更に気にかかるではないか。
わたしはこれが事件とどう絡んでくるのか、そこそこ注意して観ていたつもりであったが、、、。

だが、あの終盤からしてパーティーどころではないし、、、。
不思議。
何とも言えない印象を残す迷画であった。

The Ghost of Sierra de Cobre004

この監督、後に脚本家として「サイコ」で大成功を治める。
最高ですな(笑。





AmazonPrimeにて




絵と音楽の繋がり

StrawberryMoon001.jpg

思春期を迎える娘がいると日常におけるごく普通の噺が出来ない。
感性的、感覚的なところにズレが生じるくらいの問題ではなく、まず前提として生理的拒否の溝ができている。
そのため、何気ない会話は諦めるしかない。
「何となく」一般が、全て括弧に入れられる。

とは言え通常の生活はほとんど自動的な無意識状態で営まれており、意識的に行動する~接することの難しさは相当なもの。
ひとにとって意識とは須らく自らのとった行為を遅延して確認するためのものである。
勿論、事後における反省意識による無意識へのフィードバックも絶え間なく行われてはいるが。
それが必ずしも有効な形で実行されるとは限らない。
また何をもって、有効だと評価できるのか、それもかなり後の総括を待つ場合もあろう。

そこで、というほどのものではないが、生活の側面はことごとく封印し、子供の興味の部分だけで接することにする。
片や音楽。片や絵画。とても抽象的で創造(想像)的な。
そこだけでのやり取りに徹する。
純粋にそこだけに絞れば、うざい生の関係性は排除できる。
何というか、人生の中で最も生々しい成長の段階に際し、最もそういった局面を拒否したい心性にあるのだと思う。

親という存在自体がまずもって生々しい。
親を消してグルとなる。
ちょっとした変身である(今、結構、「仮面ライダー」が面白い(笑)。
何においてもフレキシビリティが肝心だ。
そんななかで、長女にはポピュラーからまた純然たるクラシックに興味を回帰させたい。
次女とは、絵を通しての様々な歴史観について話が弾みそうになっている。
今、スターリンとかヒトラーなどの肖像画を描くことに凝っているので、充分に話が出来る。
次はムッソリーニを勧めたい。
絵もかなり上手くなっていることに驚く。

シャツを着替え立ち位置を軽やかに変えたい。
但し体重は減らさないと(最近、食欲旺盛で(爆)。


StrawberryMoon002.jpg




3022

3022001.jpg

3022
2019年
アメリカ

ジョン・スーツ 監督

オマー・エップス
ケイト・ウォルシュ
アンガス・マクファーデン
ジョージャ・フォックス
ミランダ・コスグローヴ


WowowでSFみたいな映画が立て続けに放送されたので、まずはこれを観てみた。
宇宙ステーションのとても暗い閉塞空間で、長時間限られた人と過ごす光景が続く。
これは参る。だが、何をやっているのか、どのようなルーチンを熟しているのか仕事内容がほとんど分からない。
何となく過ごしているうちに4人のクルーが精神的におかしくなってゆく描写がほとんど。
船長はこの映画の終りの時点で3022日間、宇宙空間で過ごしている。
どれくらい長いか。
わたしのブログがこの記事で2957記事目なので(最初の頃のだらだら長い記事を12くらい削除した数だが)どれだけ長いか。

3022004.jpg


人口問題、食糧危機、環境問題などで、ホーキング博士の謂うように人類は外に出てゆく運命にある。
この物語では、木星の衛星で、内側から6番目を公転するエウロパに人類移住計画が進められ、地球との間の中継基地として”パンゲア”という宇宙ステーションに勤務する4人のアメリカのクルーの話から始まる。
(パンゲアはペルム紀から三畳紀にかけて形成された、地球上にたったひとつの超大陸であり、世界の協力体制で運用するステーションには相応し名称と呼べるか)。
このステーションは、10年ごとに輪番で管理され、ロシアから中国、そしてアメリカの番となっていた。
その間、どれくらいエウロパのコロニー?開発が進んだのだろうか、その辺の描写は是非欲しかったがなかったのが残念。
もう30年目となれば初期のロボット中心の基礎的な開発は終わり、人の専門家による緻密な環境作りに移っていないか。
その辺の光景が見たかった。

ここではあくまでも宇宙ステーション長期滞在の人間の極限状態に重ねて、何と地球の爆発という途方もない事態が加わる。
長い間の滞在でも何とか持ちこたえられるのは、自分の大切な家族が待つ地球があるお陰であろう。
それを頼みに頑張れるのだ。
その支えなしに、その先何を励みに生きることが出来よう。
しかしその前に、地球が爆発してチリとなったのなら、太陽系全体に及ぶ重力バランスの大きな崩れが生じるはず。
太陽系の形体も変わるし、こんなちょっとした衝撃などで済むはずがない。その後かなりの時間凄まじい変動が継続するはず。
そもそも、地表で何かの事件が起こりその影響で人類が滅ぶとかいうことがあっても、地球自体が爆発ってどんなことが起きたのか。それについての考察も一切、ステーションの乗組員の間でなされない(衝撃で頭の打ちどころが悪かった女性クルーは亡くなる)。

3022005.jpg

拠り所を失くした喪失感と絶望が彼らを深く支配する。
それは、当然だと思うが、まずはポッドに乗り込み、エウロパに向かい今後の策を練ったりすると思うのだが、何やらステーションの故障の修理が叶わないのか、その動きは一切ない。
そもそも現在エウロパはどういう状況なのか全く描かれないため、その辺がさっぱり分からない。
いずれにせよ、もうクルーもふたり(船長夫妻)しか残っていないため、一緒に自殺しようということになる(ドクターは先に自殺してしまった)。
(エウロパにはまだ人がいないのか、ともかく彼らが人類最後の人間という認識でいた)。
だが、そんなとき難破船を見つける(しかしそういう場は資源を消費し尽くした地獄である場合が多くメリットはほぼない)。
そこには気絶していたが3人の人間が生存していた。
結局一気に5人に増える。とりあえずよかったよかったとなりはするが、、、。

酸素や食料がまかなえない。
こういう事態で人を救助する~人を増員することのリスクを考えないのか。
もう自分たちだけだと思ったら他にまだ人がいるかもという状況になれば誰もがそういう行動に出てしまうか。
しかしそれで事態を(必然的に)悪化させることとなる。
資源から考えると単に死へのカウントダウンが早まるだけ。
これは救助されて天国気分に浸った者たちへの打撃も大きかった。
助けられた者の反逆が始まり、ステーションは壊滅的打撃を被ることに。

3022003.jpg

それにしても、人員が増えたのなら総動員でステーションの修理など進め何とかエウロパに向かえなかったのか。
人心をそれだけに集中させ。
そもそも最初からステーション内での仕事が何なのか具体的に何も分からなかったが、ぼんやりしていては建設的~創造的な方向には向かず壊滅状態に落ちてゆくのは当然。精神状態が皆おかしくなったのも、コミュニケーション関係、心理・精神ケアも織り込んだ総合的に人が長期にわたり没頭できる仕事~分担がしっかり組まれていなかったこともあろう。
何だか状況認識も弱いし、この期に及んで地球なら距離的に戻れるとか言っている。
地球はもうないと認識したはずだし、そちらに向かえる空間状況ではないはず。
共感できる人間が独りもおらず、空間がどうなっているのかも定かではない為、最後分断したパンゲアのもう一方にいる妻を探し出した船長が彼女と再会する感動シーンが用意されていたが、なんだかな~であった。
結局この二人が人類最後となったということなのか。

3022002.jpg

よく呑み込めずに来てしまったのだが、エウロパにはまだ技術者や研究者とか来ていないのね?
まあ、地球が爆発してこの静謐な太陽系はあり得ない。エウロパに人がいても影響大だと思う。
でも生き残っているのなら、何らかの展望をもってもう少しジタバタしてもらいたかった。
こんな無気力な連中が宇宙に出て何が出来るのか。



Wowowにて








プラットフォーム

El hoyo001

El hoyo
2019
スペイン

ガルデル・ガステル=ウルティア 監督
ダビド・デソーラ ペドロ・リベロ 脚本
ダビド・デソーラ 原作

イバン・マサゲ、、、ゴレン
アントニア・サン・フアン、、、イモギリ
ソリオン・エギレオル、、、トリマガシ
エミリオ・ブアレ、、、バハラト
アレクサンドラ・マサンカイ、、、ミハル:


CUBEと異なりこの監獄タワー(一般には穴として漠然と知られているみたい)は、目的が分かり、自ら入って来る人を対象としているようだ。自己管理垂直センターとも呼ばれるらしい。
つまり、CUBEよりオープンである。
しかしこんな施設が社会的に容認されているとしたら、飛んでもないこと。
物凄い高い塔というか、地下に伸びても全長は半端ではない。
上を見上げても下を覗いても眩暈を覚えるだろう。
過去にドイツなどで秘密裏に実験されていたとか言われれば、信憑性も帯びて来るか、、、。
(あそこは何でも人体実験するところだ)。

El hoyo002

ゴレンも自らこの施設?に面接を受けて入って来た。
(人によっては刑罰として収監された者もいるようだ)。
勿論、外の社会でその経験~認定を役立てることも出来るという。
しかし、これが飛んでもなく過酷であった。これが事前にどれだけ分かっているのか、そこが疑問。
システムが、どう見てもクレイジーである。ある程度でも知っているなら来るはずはないだろう。
(だが、人々をここに送り込む仕事に就いていた元職員は、この内情を知らなかったみたいなことを言っていた)。
よくある何とか業の類ではなく、残虐な刑罰に等しい。

プラットフォームに乗って降りて来る豪華な食事を上の階から順次(2分間ずつ)食べることが出来るが、最下層の333階までは到底持たず、50階位を過ぎればもう食事の残飯もほとんどない状況。
各階2人で構成され、一カ月をランダムに割り当てられた階で過ごす。
この裁量は管理に任されており運が良ければ上の階、悪ければ下となる。
どうやらまんべんなくこの上下を経験するようにできているらしい(誰もが上中下を経験する。教育的配慮は感じる)。
しかし自発的連帯感は芽生えてこない。それより何らかの脅しで一時的にコントロールすることは出来るが。
食料問題のひとつの緩和策として、食料を貯蔵しようと目論むと部屋の温度が急激に変わり生存自体に支障も出る仕組みだ。
飢えに苦しむ階の者は、餓死するか相手を殺してその肉を貪り生を繋ぐという惨状は、当然把握されているはず。

El hoyo004

管理者がそれを知ったうえで、このシステムを維持・継続しているなら目的は何であるのか。
ここをサバイバルして認定書が出ても、この経験は一体何になるのか。社会でどう生かし認められるのか。
大変な資産を投じた事業であろうが、全く別筋の組織に思えるが。やってることはカルト宗教染みてもいるし。
がっちり聖書や昔の史実と関連した名称やエピソードが絡んでいるのは分かるが、それを気にし過ぎても面白くない。
当然、現代社会のメタファーと受け取れるものでもあるが、だから何なのでもある。
この社会システムを極限的にグロテスクに単純化した中で人はどう生きようとするか、、、。
ただし、それをしっかりデーターで取るにはかなりの年月と回数が必要となる。
犠牲がどれくらい出るものか。

ゴレンはバハラトと共にこのシステムを変えようと(管理者に訴えるため)行動に出るが、何とも言えない。
上が好き放題食べて下が飢餓状態であることに対し(強制的にあらゆるヒエラルキーを経験させられるのに今自分の属する階層の資源を奪う発想しか持たない為)、プラットフォームに乗り込み、全階層の食料の配分を自分たちでやろうとする。しかし一回それを大苦労してやったところでどうなるのか。全員がそういう意識を持たなければ何が変わるわけではない。
途中でパンナコッタをそのまま残して0階の厨房まで持ち込みそれをメッセージとしようとする。
(厨房ではかなりの人数のシェフたちがただひたすら豪華な料理を一心に作り続けているが彼らはそれがどう食されているかは全く知らない様子に映る。こういった分断は確かに至る所にあるが)。
どうなんだろう。メッセージは自ら言葉で伝えた方が早いと思うが。上りは物凄く速いプラットフォームだが、下などに降りずストレートに上に昇り文句を言った方が効率もよいと思うが。文による抗議とかも試してみては、、、本を持って来ているのだし。
何だかこの辺からやたらと宗教性が滲み出て来るのだ(象徴的な意味で)。

El hoyo003

最後は最下層にいた子供に大事に持ってきたパンナコッタを食べさせ、その子だけをプラットフォームに乗せ、メッセージとする。
何だか抽象的で象徴的なやりかただ。それでどう伝わるのか、宗教的に伝わるというのか。
何だか思わせぶりな不確かな最後であった。
充分、面白く魅せる映画ではあったが、、、。





Huluにて





劇場版 零~ゼロ~

zero003.jpg

2014
安里麻里 監督・脚本
大塚英志『零 〜ゼロ〜 女の子だけがかかる呪い』原作

中条あやみ、、、アヤ
森川葵、、、ミチ
小島藤子、、、リサ
美山加恋、、、イツキ
山谷花純、、、カスミ
萩原みのり、、、ワカ
中村ゆり、、、麻生真由美
浅香航大、、、麻生崇
中越典子、、、“メリーさん”草薙和美
美保純、、、学園長


下らない映画はかなり観て来たが、これほど酷いものは、ちょっとない。
「劇場版 零~ゼロ~」と言うのをHuluで観た。
単に入ったので何かないかな、と探してみると、キャストがこの時期、有望視された若手女優がそろっていたので、とりあえず。
美保純の学園長にはかなり白けたが。
結果、全て惨憺たるもので、書きようがない。
無残としか言いようがない。

zero001.jpg

キリスト教の全寮制学園が舞台。
最初の中条の歌「オフィーリアのうた」が良かったが、そこまで。
噂話や怖い話や秘密のルールの共有で盛り上がる年頃の女子集団は、それとして分かる。そこに知的障碍者の弟を盲目的に守ろうとするシスターと心中で自分だけ生き残った学園長が、内省もせず罪悪感を呪いとして集団幻想にひろめホラー共同体を形成しドタバタする劇。

学園長は、死んだ彼女(恋人)の呪いを鎮めるため、意味が分からぬがヒロインのアヤの双子の姉マヤを溺死させる。
これで呪いから(呪いの主である彼女から)解放されるのだと思っていた(わけわからん)。
知的障碍者の弟を持つシスターは、その娘を殺したのが弟だと勘違いして、その少女が沈められた貯水槽に近づく女学生を溺死させ弟を守ろうとしている。貯水槽に誰が近づこうと、少女の骨が見つかろうと、弟が怪しまれる何らかの証拠でもあるのか?さっぱりわからん。
終盤ヒロインのアヤのトラウマの原因となっている抑圧された、目前で殺害された双子の姉マヤの記憶と向き合うことで、彼女は姉の死と言う悲劇の呪縛から解かれ、所謂呪いから解放される。
だが、これはあくまでもアヤ個人のトラウマで在り呪縛~呪いである。
しかし、これによって学園全員の女子への呪いが解かれてしまう。
どういうメカニズムなのか。わけわからん。集団ヒステリーのメカニズムからしても、どういう絡みと過程を経たのか、もっと描かれる必要がある。
そもそも噂で呪いの原因とされているのは、学園長の相手が自分一人だけ死んでしまったことで呪いをかけているという迷惑至極な噺であったはず。それが何でアヤの個人的な問題(勿論殺害者は学園長であるが)の解決で解消するのか、わけわからん。
元凶が擦り替わっている。
zero002.jpg

ともかく、ひたすら噂と不安と恐怖で動揺する女子学生たちの不穏な心象を描くことに終始していた。
雰囲気ホラーとして、演出など色々頑張っていた。
だが、それで楽しめる訳ではない。
どんな不条理な噺であっても、過去のこのような悲劇が捩れて絡み今こんな形の災難を生んでしまったのだ、という流れがそれなりにストンと了解できなければ、一緒に怖がるなんて無理な話だ。
荒唐無稽なんていうレベルではない、わけわからん動機と原因そして結果の連続ではもうついてゆけない。
だいたい、わたしたちふたりで解決しなければいけないと思うとか言っているが、根拠が見えない。わたしが呪いにかかるからあなたが救って、きっとよ、とか言ってもそんなことが出来る策とか根拠があるのか。
相手を強力な悪霊みたいに捉えているなら、その前に霊能力のあるにーちゃんが出ていたはず。素人二人で挑むより普通その手の助っ人を頼まないか(信頼できるシスターはいないとしても)、それに中条が不死身すぎる。階段から落とされ、スコップで殴られてもその後何でもないのだ。その身体も疑ってしまうではないか、、、こんなことをいちいち突っ込んでいたら観られたものではないのだが、この劇は実際そのレベルであった。
書く気など毛頭なかったのにウダウダ書いてしまった。情けない(汗。
もうやめた。

ともかくHuluはやめる。



ドレミファ娘の血は騒ぐ

doremi001.jpg

1985

黒沢清 監督

黒沢清 万田邦敏 脚本

洞口依子、、、秋子
伊丹十三、、、平山教授
麻生うさぎ、、、エミ
加藤賢崇、、、吉岡
暉峻創三、、、テルオカ君


昨日の繋がりで同じ監督の作品を、、、昔はこんなの撮ってたの?という感じ(笑。
何とも、、、。この後、ホラー系に転換したのか。

doremi002.jpg

本作、大昔の大学生の映画サークルで作った作品みたいな。
歌が結構面白かった。こそばゆくって、良い。

やってることは、こちらに何を伝えるではなく、ただ自分たちの面白いことをやったみただけであろう。
仲間内で愉しもう的な、如何にも大学サークルにありがちな。
ナンセンスを極めてみようとか、、、。
基本的に他者~鑑賞者はいない。

doremi003.png

自己満足できたかどうかは、本人たちが出来たというならそれまで。
それにしても伊丹十三がよくこれに出たものだ(笑。
自身、かなりの映画監督である。
どういう気持ちで役者をやったのだろうか。
自分で撮ったらこんな風なものはまず撮るまい。

doremi004.png

洞口依子が出た映画をどこか(昔)観たと思うのだが、思い出せない。
この映画も、彼女目当てで観る人がいるだろう。
というより、いておかしくない(笑。
驚くほどチャーミングであるし。
でも持ち味と言うか、個性が引き出されているとも思えなかった。
ただ単に変な子だったし。

doremi005.jpg

まあ、全体が変だから仕方ない。
洞口依子と伊丹十三を担いで面白いことが出来たということか。


洞口依子は別の映画で観たい。
探すか。
伊丹十三監督の映画もまだ書いていないような、、、。
これも観てみるか、近いうちに、、、。




WOWOWにて











予兆 散歩する侵略者 劇場版

yochou006.jpg

2017

黒沢清 監督
前川知大 原作
高橋洋 黒沢清 脚本

夏帆
染谷将太
東出昌大
中村映里子
岸井ゆきの
安井順平
石橋けい
吉岡睦雄
大塚ヒロタ
千葉哲也
諏訪太朗
渡辺真起子
中村まこと
大杉漣


概念を抜き取る?
ちょっとした細かい記憶を失くすことはよくある。
うっかり物忘れとか。
なかなか名前が出てこない、、、などしょっちゅうあり、危ないなと自分でも思うことは多い。

yochou001.jpg

しかし概念を抜き取られたら、、、そんなこと考えたこと無いので、いきなり何とも言えないが、、、。
それは様々な思考の基盤となる場である。ちょいと忘れる記憶のレベルではなく、かなり深い部分の運動でもある。
人間の思考作用~抽象的認識作用によって意味づけされる場であり、、、
それをどうやって抜き取るのか、参照~コピーならまだしも、、、
何らかの固定したピースとしてあるのではなく、広がり重層し変化をし、それを受け取る相手の内でまた変質するものだ。

yochou002.jpg

これが、~かあ、と言って特定の概念を抜き取り、何とも言えない表情をする東出昌大をどう見ればよいのか、、、
と言う感じで進む。
この役者、寄生獣でも凄い役を熟していたが、こういう掴みどころのない人間離れした役が合っているのか。
確かに異星人ポイ。その目で見たら夏帆も、染谷将太も演技でそれっぽい風貌を見せる。
皆、変に見えて来るのだ。
東出異星人が、自分のガイドにした染谷将太に対し、如何にも人間らしい人間だとか評していたが、概念集めをしていちいちこれが~かあ~とか感心している輩に言われたくない(笑。
コメディギャグなのかホラーなのかシリアスなのかよく分からないが、雰囲気としては不穏な空気が充満してゆく真面目な感じで展開する。ここが微妙。

yochou003.jpg

空間はずっと不安なトーンであり、まさに大きな喪失の起きる予兆という感じだ。
それは人から概念を抜き取る過程で実現するのか、それは一握りの異星人の趣味で、人類は違う形で侵略され滅亡するのか。
その辺もよく分からない。今現在地上にいる異星人は、趣味人という感じもする。
後半、彼らが歩いてゆくだけで人々が次々と倒れてゆくのだが、倒れた人って死んでいるのか、気を失っているのか、、、。
そのパワーは後半急に身についたのか、それまでは温存していたのか不明だが、東出昌大がはっきり人間に言っている侵略とはなんなのか。

yochou004.jpg

夏帆は概念抜き取りが出来ないタイプで興味深いからサンプルとして生かすそうだから、それ以外は殺すのか。
何体かは、残す枠があるとか言っていたな。
こういう状況下となれば、物語の主体は異星人の司令官とかになろうが、(地球人は単に翻弄されるだけだし)東出とかは、侵略については、いつ始まるのかなんて知らないといっており、蚊帳の外の異星人みたいだし、、、。

最後、雨が降って来て、なるに任せるみたいに抱き合う夏帆と染谷将太夫妻である。
(夏帆はサンプルとして生かしてもらえるが、夫もついでに生かしてもらえそうな予感はあるな)。

yochou005.jpg

何というか不穏な空気の元、とても不確かな雰囲気で噺が進んでゆくという映画であった。





Wowowにて










続きを読む

VIDEOPHOBIA

VIDEOPHOBIA001.jpg

2020

宮崎大祐 監督・脚本
BAKU 音楽
BAKU feat. Jin Dogg, Tatsuro Mukai, Kuni, Tomy Wealth 主題歌


廣田朋菜 、、、青山愛
忍成修吾 、、、ハシモト
芦那すみれ 、、、ユウ
サヘル・ローズ 、、、被害者の会会長


大阪が舞台。わたしは、新幹線で大阪に降りたことは、二度ほどあるが、とても忙しない想い出しかない。
大阪というイメージがわたしの中には特に出来ていないと謂える。

大阪のコリアンタウンがとても印象的。モノクロでアンニュイ。
撮影セットかと思うほど、何か非現実的な空間。
ホントにあるなら一種、宗教性のある特異な場なのではないか、とも勘ぐった。
家は何人家族なのか、女性が母を含め6人くらいいたような。
時折飛び切りのBGMが入ってびっくりする。
懐かしのインダストリアル・ミュージック。

VIDEOPHOBIA006.png

アイが、コリアンタウンの家から俳優養成所でのレッスンとバイトの着ぐるみ姿で店先に立つという日々のその光景は、ごく普通なのだろうが、とても異様にも見える。彼女のアイデンティティを示すとても象徴的な絵として。
妙に生々しく如何わしい養成所の先生との時間も、(何の表情も見えない)縫い包みで呆然と客と一緒に写真に納まる白昼にも不穏な空気が漂い続け、、、。彼女の宙吊り具合が伝わって来る。
このヒロインの女優さんには、何とも言えない儚さと郷愁を感じてしまう。
昔何処かですれ違ってそれっきりのような、、、。パックを貼り付けた顔が妙にらしく思えて面白かった。
混乱して興奮し鼻血を流してしまうところも、らしい。

VIDEOPHOBIA002.jpg

彼女の先の見えない鬱屈した日々の続く中で、俳優養成所の仲間と入ったパブ?で遭った男と、その場の雰囲気のままに行きずりの関係を結ぶ。なし崩しの非現実的な関係である。
この辺から、錯乱が始まる。物語的に錯乱するのだ。
その男の部屋のソファベッドを見下ろす棚~家具の上にはヴィデオカメラが置いてあった。レンズはベッドに向けて。
それを確認したまま、行為に及んだのであるが、その後家でMacbook(良いパソコン持ってる)でネットサーフィンしている時に、自分のその時の動画がアップされているのを見つけてしまう。
これには驚く。プライベートの極みが、晒されているのだ。
確かに自分が確認したレンズの位置からのアングルである。

VIDEOPHOBIA003.jpg

直ぐにその男のマンションに行き、そのカメラの事を問いただすと、それは古い8ミリカメラでフィルムも入っていない。もしフィルムを取り寄せて撮っても現像に時間がかかり大変な代物だ、と返される。だがデジタルに無い風合いがあり愉しめるから撮ってみたければ貸すと言われる。彼女の確信は揺らぎ、そのまま帰る。
自分が特定されるような角度でもない上に距離もあり顔は分からない為、放っておける範囲でもあったが、やはり気になり再度確認すると、、、何と全く違う角度から接写されており、あからさまに自分の顔が映し出されているものが、再度アップされているのだ。
これには流石に驚愕する(大体、第三者がそこにいなければ撮れないアングルなのだ)。
夜中に走ってそのマンションに飛び込むと、外国人が二人住んでおり、彼の部屋ではすでになかった(カメラを借りていたならどうなっていただろう)。
不条理劇である(笑。唖然とするほかない、、、。

VIDEOPHOBIA004.jpg

警察に被害届を出し訴えるが担当刑事から、相手の名前を聞かれても答えられないし、その相手に関する情報はほぼゼロなのだ。これでは捜査のしようもない。しかもそのマンションは不法に外国人に使われていたものであった。
その男の実態は何なのか、というよりそもそも実体があったのかも分からなくなる。彼女独りが見つけたシーンしかわれわれは知らない。この男と謂い、考えられないアングルと謂い、あの部屋と謂い、、、。
(もう一度、そのサイトを観たら何が見えるのか。しかし警察がそのサイトに連絡し削除はしてくれるということだ)。
担当刑事からは、あなたにはそれほど似ていないし、気にしないでもよいような慰めの言葉もかけられる。
確かに彼女ではないと謂えばそれまでのものでもあり得る。自分の気持ち次第とも謂えようか。

VIDEOPHOBIA005.jpeg

彼女は警察から紹介された被害者の会に参加する。
今度はカルト宗教みたいなカウンセリングの内容に接して戸惑いを隠せない。不安はさらに募る。
更に帰り道に一緒になった参加者の口から初回なので何も語っていないにも拘らず彼女の被害について知っているような異様な言葉が漏れて愕然とする。その上、例の男からの電話が入る。「君を観ている」と、、、ついに発狂したか。
この辺で何が何だか分からなくなる(ホラーだ)。

外側からの閉塞、抑圧は然程のものではないにせよ、このような極プライベートな内面に直結するところを見えない相手~他者に晒される暴力は堪えるはず。相手の実体さえ掴めないのだ。
内側から蝕まれる感覚。内と外が混然一体となる。悪夢。
ただ拡散への不安と恐怖いや脅威が厳然と残る。確かに世界中に観られているのだ。となれば凄まじい数の再生数となろう。

ここで彼女は思い切った策を選択する。
有り金叩いての整形手術であった。
すべてをリセットしようというところか。
ここは潔い。と謂うより選択肢がもはや無かった。

VIDEOPHOBIA007.jpg

ホントに全く違う顔で、違う職業に就き、定時に帰って食事の準備をして夫を待ち、共に夕食を摂る。
もう女優の夢など疾うの昔に諦めたようだ。
しかし何かがまた彼女の内面を揺さぶる。
そんな場面でエンディング、、、、


エンディング曲は、まさにハードコアパンクか。
これもよいと思った。




Huluにて



Wowowで録った映画も相当増え、どこかで書かねばという感じであるが、その前に絵を描かなければならない。




続きを読む

通告

Moonwalker002.jpg

ここのところ、数回に分けてやんわりと書いては来たのだが。
著名人の自分の名前を売り物にした金儲けブログ等は別として、極普通にブログを愉しむ人間は、匿名でインターネットの広大な空間を通して自分なりの情報を発し、それに呼応してくれる(毎日読みに来てくれる)、見知らぬ人~他者との関りを励みにしている。
つまり純粋に自分の感覚や考えまたは趣味等に対し真摯に応えてくれるひととの繋がりを何より愉しみにしているのだ。
もうお馴染みの行き来となり、こちらとしては「ブロ友」にいつなってもいいなと思う方もかなりいる。
(ただし今のところ、ブロ友はほぼ初期になった人のみのままでいる)。
日常空間での出会いなど人間高が知れており、日々窒息しそうな閉塞状況に晒されている人はわたしを含め少なくないものだ。
ここは、大変貴重で重要な空間と言える。ちゃんと利用すれば実り多い場所となろう。

現在カウンター等は故意に設けていないが、訪問者数に関しては、十分過ぎる方に御越し頂いており嬉しい限りだ。
感謝したいし、すでに8年間の長い付き合いの方もおり、その関係はずっと大切にしたい。
しかし嬉しい~歓迎するのは、このネット上で幸運にも知り合い、いつも行き来出来るようになった方々を指す。あくまでも。
(例外として、大学時代からお世話になっているS君、O君、娘も一緒に長くお世話になっている先生お二人、わたしの尊敬する世界的に有名な画家であるE先生、そして弟)には、名刺を通してURLでお教えした。
つい先ごろ、若い甥夫婦にも渡したが大変信頼できる相手であり正解であった。
つまり日常空間においては普段はなかなか逢えない(地理的に離れている)知己とのやりとりの場にもなっている。

ただしわたしはここでURLを渡す人間をひとり誤った。
一般的な話が出来、時間を取って絵を見に行ったり、興味が分かち合えた気になり、昔の知り合いでもあることから信用できると勘違いしてしまったのだ。そこからである。
完全におかしい訪問者が一定数加わるのだ。他にわたしのURLを近所で渡す人間などいようもない。ピンポイントだ。
それからというもの、まさか”わたし”が何を発信するかを検閲するかのような邪悪な輩に遭遇することになるなど思いもしなかった。
つまりその人間はそちら側と絡んでおり、そこでの付き合いや信用をあげるため、わたしを利用したと言える。
ブログにおいて”わたし”は特定されるものではない。それが基本マナーなのだ。それを守らなければそもそも意味がない。
内容だけで広く繋がりや、やり取りを求めて始めたことである。
完全に逆の入り口から土足でズカズカひとの大切な部屋に狂った連中が侵入して来たのだ。
そして実生活上でも実害を及ぼす。
これは犯罪以外の何ものでもない。
これは犯罪以外の何ものでもない。
あってはならぬことだ。

その少し前に、これまた変な輩がおり、家の様子を間抜け顔で何度も覗きに来ては、何やらおかしな戯言をほざき散らして行ったり、自転車で捨て台詞を吐いては通り過ぎる馬鹿顔を幾度となく目撃していた。他にも幾つかあるがいちいち書いても下らな過ぎて情けない。どれも下劣極まりない屑には違いないが、愉快な光景とは言えない為、それらの感想を時折コメントしていたら、どうやらそこにだけ食いついてきた馬鹿どもが近傍に現れた。近傍にである。
(つまりこの時点でわたしの書いた苦言であることを前提として~知っての出現と仕業に他ならない)。
何なんだこいつら。ただ土足でズカズカ入って来たのがその連中であることだけは、明白。

恐ろしい低能顔で!何度も観ているから、街角で会えばそれと分かる。
特徴のひとつとしては(恥も外聞もなく)空咳を狂ったモンキーみたいにしてみせるなど(爆。
だから直ぐそれとに分かるというもの(爆。コミュニケーション手段を持たない下等動物なのだ。
エドウッド風に映画でも撮ろうかとも思う(笑。役者は揃っているし。かなり際物映画となるな。
出演料はやらないが、慰謝料は貰うぞ。


この完全に逆の経路で入ってきていたモノは、今日を限りに絶対にここには、来てはならない。
その分の訪問者数が減っても痛くも痒くもない(爆。

以上。



Paper Moon


馬鹿が相変わらずの姿勢であれば、まずは最初にデマ等を流した犯罪者を告訴しなければなるまい。
事は荒立てなければならない。


熱砂の秘密

Five Graves to Cairo003


Five Graves to Cairo

1943
アメリカ

ビリー・ワイルダー 監督・脚本
チャールズ・ブラケット 脚本
ラホス・ビロ『帝国ホテル』原作

フランチョット・トーン、、、ブランブル伍長(ドイツ軍スパイの給仕に成りすます)
エリッヒ・フォン・シュトロハイム、、、ロンメル将軍
ペーター・ヴァン・アイク、、、シュヴェグラー中尉
アン・バクスター、、、ムーシュ(フランス人メイド)
エイキム・タミロフ、、、ファリド(ホテル支配人)
フォーチュニオ・ボナノヴァ、、、セバスティアーノ将軍


今日は時間が取れず、短めでしっかりできていそうな映画を選んだ。
ビリー・ワイルダーである。

Five Graves to Cairo005

この映画ほどロンメル将軍が酷く描かれているのを見たことがない。
ケチな俗物である。
大概、アメリカ映画でも敵ながらあっぱれ指揮官とされていることが多い人だが(実際、欧米でも尊敬されていた軍人である)。
「ナポレオン以来の戦術家」とチャーチルに言わしめる男の片鱗もない(笑。
監督が徹底してドイツ嫌いなのだろう(分かるが)。

Five Graves to Cairo002

アン・バクスターはここでも、めっぽう強い女性である。
しかし志を貫き最後は銃殺刑に処せられ散るのだが、、、。
マレーネ・ディートリヒも『間諜X27』で最後に銃殺刑で死ぬが、向こうはもっと退廃的でシニカルであった。
アン・バクスターは直球。
狡猾に殺されないように生きるというのも戦時においては難しい。
(ロンメルだって元帥にまで昇り詰めても自決させられる結末だったし)。

この映画、何よりわたしが引き込まれたのは、戦車である。
戦車が他の戦争映画と異なり、中身や細部が捉えられる。乗り物~メカとしての戦車自体が映されていてワクワクする。
そこが記号化からはみ出している。

Five Graves to Cairo001

噺は面白い。
具体的な戦闘シーンは、無い。光と闇が効果的に使われる。無駄のない演出だ。
ブランブルは英国軍戦車隊の伍長であるが、エジプトの砂漠でドイツ軍に壊滅させられて、とあるホテルに独り倒れ込む。
ファリドに助けられ、そこで爆死した給仕に成りすまし、ロンメル将軍に取り入る。
この給仕、ドイツ軍のスパイとして働いていたことを利用し何とか作戦について探りを入れようとする。
「五つの墓の謎」など、ここでのロンメルは、口も軽くペラペラヒントを喋りまくる。いくら(ドイツ)スパイとは言え、そこまで自慢気に喋って良いのか?実際二重スパイとなっているのだが、余りに警戒感がない。
人質に捕らえたイギリス将校相手に戦術などに関する20の質問に得意げに答えているが、軽いおやじだ。

Five Graves to Cairo004

ムーシュもドイツ軍に捕らえられた弟を助けたい為にフランス人でありながら、シュヴェグラー中尉に取り入って何とか弟の救出を図ろうとする。ファリドはともかく身の安全を願う。事を大きくしないようにして回る。それぞれの思惑があり、それらが絡み合う緊張関係のある展開が見られる。
彼女はブランブル伍長に対してもずっと塩対応であった(ダンケルクの恨みがある)が、最後に重要な局面において彼を逃がす。
ブランブルは二重スパイとしてロンメルの地図上の「五つの墓の謎」を解き、功績を立てるが、ムーシュは軍法会議で敵と通じたという罪で銃殺刑となっていた。
彼は生前、彼女が欲しがっていた象牙のハンドルの白い日傘を墓に手向け、戦争を終わらせる決意を述べ戦車へと走ってゆく。


緊張感ある面白い映画であった。



AmazonPrimeにて







エッシャー 視覚の魔術師

Escher001.jpg

Escher: Het Oneindige Zoeken

2015
オランダ


ロビン・ルッツ、、、監督・撮影・製作・脚本

グラハム・ナッシュ、、、インタビューに答える
ジョージ・エッシャー
ヤン・エッシャー
リーベス・エッシャー

スティーヴン・フライ、、、ナレーター

まるでナレーターのスティーヴン・フライがエッシャーその人みたいに喋っており、観ている最中、エッシャー自身が皮肉や解説、苦悩を騙っているようであった。


まずは若者からもてはやされるエッシャーの戸惑いから始まる。
変な訪問者やファンレターが殺到したが、もう付き合いきれないという悲鳴からである(笑。
これは大変だ。

Escher003.jpg

映画では、版画の要素が絵から離れてひとりでに動き出すCGがかなり使われ楽しい展開を見せる。
(これエッシャーの版画だから可能となるVFXだ)。


幼少期は病弱で子供の療養施設から学校に通う。絵を描くときがもっとも安らげるときであった。
分かり易い。
メスキータに支持する。大学は建築科から美術の版画制作に方向替えさせられる。
一気に彼の版画の才能が開花して行く(師に恵まれた)。

制作中に幻想的なアイデアが次々に浮かぶタイプの芸術家であったようだ。
その幻想~幻視を具体化するに及んで自分の造形力の弱さに悩む。
しかし相当非凡な造形力に思えるが。
見る者を脅かすほどのものが作りたかったみたいだ。
(強烈なイメージを具現化するテクニックを自分なりに模索してゆく)。

Escher002.jpg

そこで、彼は数学的手法を用い、美ではなくひたすら驚異を追い求めた。
鋭い感受性を研ぎ澄まして。

バッハが頻りに鳴り響いていたが、彼自身、パイプオルガンの音の洪水を浴びていると圧倒的な感情に襲われ一心に素描をしたという。宗教的で神秘的な感動を常に味わっていたようだ。
「パイプオルガンの嵐が吹き荒れ」という表現を好んでする、というよりそれをまさに感じていたのだろう。
自然に接し幻視すると同様にバッハのオルガン音楽にも幻想を見ていたようだ。
病の関係で旅に出るがその死と隣り合わせの状況で生が瑞々しく思われたのか、ひたすら自然や建造物に対する感受性が鋭い。
自生する多肉やサボテンの群れを丹念に素描する(羨ましい)。
大変造形に関して真摯な姿勢で臨む人であることが分かる。
同じ建物でも光の当たり具合で見え方が変わる。彼は昼より人工の光で照らしだされる抽象化した(単純化した)夜の幻想的光景を好んだ。この辺からも彼の資質が感じられる。(バロック装飾の過剰さを闇が覆うところがポイントのようだ)。
この時期のエッシャーはかなり写実的に細密な描写を行っている。

そうしたなかでボルシェビキに追われ虐殺や飢えに苦しみながらロシアから逃げて来たイエッタに一目惚れする。
一度は離れるが結局結婚し息子二人に恵まれる。
しかし彼女は精神に深いダメージを抱えており、安定した生活が難しかったようだ。エッシャー自身病を抱えている上に、、、。
イタリアでムッソリーニのファシスト党に息子が感化され、慌ててエッシャー夫妻は移住を決める。
とは言え、スイスは寒くて体にこたえたようだ。
しかしここで凄いことを考え付く、海が見たくなった彼は、イタリアの商船会社に手紙を書き、イタリア~スペイン間の船旅を版画12枚宣伝に使えるものを制作するという条件でタダで愉しむことに成功する。彼でなければ出来ない。すてきだ.。
この頃のシンプルな味わいの所謂写実版画もとても好きだ。

Escher005.jpg

その後、旅のなかでアルハンブラのタイル芸術の触れ(スケッチをしまくり)平面を幾何的に(意味を充満させて)展開する法則を掴んでゆく。独自にパズルのような絵を描いて行くが、無機的な幾何模様では物足りなかった。彼には鳥や魚が必要だった。
ベルギーに移ってからはヒトラーの脅威に怯えながらも最も作品が実り豊かなものとなって行く。
平面の正則分割がどんどん複雑化して行く。結晶学にも広がりを見せ数学的な幾何模様が際立ちエッシャーらしくなってゆく。
そして何らかの具体物が立体と平面の間を連続的グラデーションのリズムの内に混ざり合い循環し始める。
連想~変身が数学的システムで作られるため、本人はそれを芸術として位置づけられるか悩んだりもする。
最終的にはわたしは芸術家ではなく数学者だと、名乗るようになったが(笑。

ナチスの台頭で妻の精神的な具合も悪化し、食料調達に全てが費やされ作品どころではなくなり随分苦労する。
愛妻家で家族想いであるため心労も大きかったようだ。
版画の師メスキータが連れ去られる(作品が持ち去られ直ぐにガス室で処刑されたようだ)。悪夢が続く。
戦後、エッシャーの作品は円熟し、所謂画集で観られるエッシャーのものとなる。
確かに革新的なものが次々に刷りだされてゆく。

無限を有限の平面空間の中心に向け小さく吸い込まれるように収斂させるが、いまひとつ満足できない。
そこは反転という転換が有効に機能することに気づく(数学者からのアドヴァイスもあり)。
成功するに従いその独自性から孤独感も増す。
彼はずっと研究を続けてゆくが、やはりバッハとの繋がりは大きい。
転調や反転を繰り返しながら短いモチーフが徐々に形を変え反復されてゆく。

左右対称、平行移動、裏返し、滑り鏡像、、、バッハに重なる。
時間の循環~永遠への取り組み。

Escher004.jpg

身体を壊し何度も手術を繰り返し、調子が今一つの時は旧作にも向き合い刷り直したりもする。
気持ちが安らいだようだ。
総括というより新たな発想の為に更に努力し、技術の向上に励む。
水溜りがかなり役に立ったようだ。
オランダで人気に火が付く。
雑誌のインタビューがしきりにあった。反響も凄かった。お金も入って来る。
だが基本的に彼は変わらない。何にも満足しない。

サイケデリックロックのアーティストやヤングジェネレーション、ヒッピーたちに受けまくっていた。
多角的なものの見方を触発するものであり、既成の価値観に対抗するカウンターカルチャーの若者の支持は絶大であった。

『ラビリンス/魔王の迷宮』や『インセプション』などの映画にも空間が引用されているのも紹介され懐かしい思いに浸る。
サンフランシスコのヒッピー共がわしの作品を無断でコピーし気色悪い極彩色の蛍光塗料で色付けしておる、とお怒りであったが御もっとも。モダンバレエや前衛的な舞台劇にもその世界観を表す書割~舞台芸術として無断借用されていた。
彼曰く「おぞましい」(笑。
エッシャーは色を排除した作品を制作していた。そこにはぎらついた彩色が施されていたものだ。
ミックジャガーが新作のアルバムジャケット用の版画を依頼して来るが彼はそれどころではないと断る。

Escher006.jpg

求めたヴィジョンに追いつかないと述懐していた。
わたしも、ゆっくりとどこかで画集を観なおしてみたい。
「相対性」という版画をここで見てつくづく思うことであるが、このように三つの次元がピッタリ隣り合っているのに、全く相互作用もせず、お互いの存在に気付かず暮らしている世界の在り様というものが大変示唆的だ。
グラハム・ナッシュの謂う通り、これから評価されるひとであろう。
ナレーターとCGが面白かった。





AmazonPrimeにて











続きを読む

明日はエッシャー

moon.jpg

5分前までシリーズものを観ていた。
昨日ほど面白くはない。
書くのは止めようかと。

エッシャーの映画があることを知り、ちょこっと覗くと面白い。
これにしようと思うが、今から観ても到底、書けない。
明日にする。

但し、これなら書けるという確信はない。
だが、エッシャーのことが網羅されてるようで、観ないわけにはゆかない。
エッシャーの版画の分析表は、数学者で詩人の岩成達也が完璧なものを作っているので、恐れ多くもそれめいたことをするつもりなど毛頭ない。
バッハとの絡み、サイケデリックロック(ヒッピームーブメント)との絡みなどをお気楽にかくつもり。
(ついでに、数学的展開前は実に写実的な版画を制作していたことなど、、、いらぬかこれは)。

エッシャーこそこれから個人的に見直してゆかねばならぬ作家だ。

しかし今日ほどPrimeVideo観まくったことはない。
お陰で何も出来なかった。
昨日11話連続で観たが、今日は色々観て、時間的にそれを超えてしまう。
もう限界なので寝るしかない。

と、おもいつつ、アパートには無いので、帰る前に何気なくテレビをつけると。。。
映画音楽は素晴らしい、、、とかいうNHKの番組で、いくちゃんと久保さんが歌っていた。
録画は、オッケーぬかりない(笑。
う~ん、二人を中心としたバンドをやれば、アンサンブル、コンポーズ(編曲含む)などの実験も出来るのに。
ともかく音楽の方をもっとやってほしいものだ。
斎藤飛鳥さんも呼んでドラムスパーカッションとロックヴォーカルで決めればかなりのサウンドが期待できるかも。
ベースとギターには凄い人がフリーでいる。やってくれるかどうかは分からないが。
面白い展開が見たい。


急ごう。


Moonwalker002.jpg




名建築で昼食を

meikennchiku001.jpg

Déjeûnons dans un célèbre édifice
2021

吉見拓真 監督
甲斐みのり『歩いて、食べる 東京のおいしい名建築さんぽ』原作
横幕智裕 脚本
ペンジャミン・ぺドゥサック 音楽

池田エライザ、、、春野藤(広告代理店OL、植草の弟子)
田口トモロヲ、、、植草千明(建築模型士、「乙女建築」巡りを発信)
小川 紗良、、、山口綾子(外資系カフェ)
三上寛、、、カフェのマスター


11話一気に観る。
建築模型士で名建築を「乙女建築」と呼び、巡った建築についてSNS発信している植草千明に弟子入りしたOL春野藤が師匠と共に建築・グルメ巡りをするドキュメンタリーとドラマを融合した物語。
ちゃんと登場人物の為人や背景に抱えている問題や理想などもしっかり描かれる。
春野藤は親友の山口綾子と共に自分たちの理想のカフェを立ち上げる計画を進めており、その為の刺激にも大いになるもの。
(親友役の小川 紗良は映画監督であり存在感ある女優でもある。池田の監督挑戦も彼女の影響があるか?)

meikennchiku002.jpg

毎回、名建築を堪能し、そこで出される絶品グルメに舌鼓と、池田エライザと田口トモロヲ役得だなあ~と思いながら観る番組でもある。
それだけでこちらもお腹いっぱい(笑。
面白く興味深い。
こういうの、好き。

1話 アンスティチュ・フランセ東京   坂倉準三 設計
2話 自由学園明日館   フランク・ロイド・ライト 設計
3話 ビヤホールライオン銀座七丁目店
4話 東京都庭園美術館   アンリ・ラパン 権藤要吉 設計
5話 目黒区総合庁舎   村野藤吾 設計
6話 国際文化会館   前川國男 坂倉準三 吉村順三 設計
7話 山の上ホテル   ウイリアム・メレル・ヴォーリズ 設計
8話 旧白洲邸 武相荘 
9話 国際子ども図書館   久留正道 設計
10話 江戸東京たてもの園
11話 神奈川県立図書館と音楽堂  前川國男 設計 /  ホテルニューグランド  渡辺仁 設計

meikennchiku003.jpg

それぞれについてのコメントは出来そうにない。
(植草千明の蘊蓄を聴いて春野藤と同じ立ち位置でほ~っと言うような感じ(笑)。
ただ羨ましいだけ。空間も食事も。
わたしも何度も行ったことのある「東京都庭園美術館」のアールデコの芸術そのものの住空間。
かつては朝香宮夫妻の個人邸宅であったという。
こんな高度に贅を凝らした芸術空間に日々身を置いていたらどのような作用が身体に起こるのか、、、。
(よく趣味の悪い金だけかけた空間も観るが、その対極にある)。

meikennchiku004.jpg

このような身体環境を何らかの形で採り入れられたらと思う。
金をかけずに工夫によって出来るとよい。
絵やデザインは自分で行うとして、、、。
何とか部分的にまたはうんと薄めた形で試してみたいものだ。
考えよう。

meikennchiku005.jpg

最初は「乙女建築」というネーミングからSNSの主を女性と勘違いした春野であったが、思いの外植草が達観した興味深い感性の持ち主であったため、撤回しようとしたが弟子入りをして巡り続けることとなる。
このサッパリした関係性も良い。
この男女感覚、「電気海月のインシデント」にも似ている気がした。
こうした(師弟)関係は長続きすると思う。
毎回、毎回得るものが大きく、自分の抱えた問題にも反映してゆく。

meikennchiku006.jpg

また春野藤の質素なアパートも屋上からのロケーションが良い。
春野藤と山口綾子のやり取りももっと観たいものだ。
そう、山口綾子についてもう少し掘り下げが欲しかった。
彼女の急な結婚でカフェ計画が頓挫するが、その後どうなるのか、、、
これからの展開も知りたくなる。
シーズン2も是非、観てみたい。





AmazonPrimeにて







DVDBOX



オフィシャルブック




続きを読む

ノサップの銃

nosappu001.jpg

1961


松尾昭典 監督
星川清司 脚本
田中小太郎 原作

宍戸錠
笹森礼子
神山繁
葉山良二
南田洋子
加藤武


こういった似通った量産大衆映画を続けて観ていると、キャストにも馴染み、今回はこの人はこういう役か、という見方にもなる。
舞台は広大な北海道の大地であるから西部劇には向いているかとも思ったが、オホーツクに面したノサップの漁港まで来たら日本的に進めるしかない。列車は走り馬はデッドレースを繰り広げるが、漁港の町は日本風情である。
少し異国情緒はあるが、日本の物語とみてよいか。御家問題が絡むところはやはり日本的。
歌は相変わらず唄う。昔はこういう歌が冗談ではなく本気で唄われていたのか、と不思議な気分になる。
(歌詞が余りに珍妙なのだ。かつて歌謡番組で石原裕次郎のVを聞いたことがあるが、歌としてしっかり作られたものであったが。「君の~よこがお~、、、」というやつで、ちゃんとした曲であった)。

nosappu 003

物語はこれまでに見た宍戸錠(に限らずアウトロー)のようなガンマンの活躍する物語の中では複雑な絡みがあった。
様々な要素が絡むなか、何でそこまで濃い関係が偶然に幾つも重なるのか。
単に登場人物を都合良く繋がりを持たせた感が強くて、何とも言い難い(笑。
ここでも古い網元を乗っ取ろうとする悪党を流れ者のヒーローがやっつけることに変わりないが、なかなか複雑であった。
網元に融資していた会社の社長が亡くなって、ずかずか入り込んだ後妻の弟というのが冷酷な悪党であり、融資をやめて代わりに乗っとる事を企て、漁港の町そのものが全体として壊滅する形になって行く。
会社(先代)社長の娘の笹森礼子がこれまでの町のシステムを維持しようと奮闘するが、網元せがれで婚約者のボンボン葉山良二とはどうも歩調が合わない。その辺から縺れてゆく、、、。
それはそれでよしとしても、、、

nosappu006.jpg

完全に敵だと思って殴り合いをしてこの町から出て行けと言った相手に、「金を取られた、あのジープだ」と簡単に助けを求められるだろうか。その時の宍戸錠の誠実そうな顔で直観的に味方だと分かったのか。
そのジープや馬三頭に乗った相手に一人で馬で立ち向かう。
馬三頭の男たちが銃を撃っても全く当たらず、そのまま勢いで追い散らし、ジープをひたすら後ろから追い続ける。
後から追い始めた馬が明らかにジープより速いことは分かる。追いついてゆくのだ。
途中野原をショートカットはすれど、馬の長距離・高速の持久力が途方もない。
普通の馬ならとっくに潰れている。

nosappu002.jpg

そしてやはりピストルの弾はヒーローには当たらない。
馬の向う腹にくるっと隠れて身を交わすがそれでは馬自体が撃たれて死んでしまうだろう。
だがあの大きな的にも当たらない。
そこが気になって微妙な爽快感とハラハラになってしまった。
最後の方で漁港の御隠居みたいなご老人が金を都合してくれる大会社の社長をボンボンに紹介するが、あそこまで何故黙っていたのか、分からない。あの手前で教えていれば漁船を拿捕され犠牲を出すことも無かったはず。勿論、物語の上ではまずは悲惨な状況が来てからの方がドラマとなるのは分かるが。
笹森礼子とその婚約者のインテリボンボンの葉山良二の関係が最後にしっかり戻れたのかどうかも微妙なままである。
一時は愛想尽かして宍戸錠に走ろうとしていたのだが、大丈夫なのか。

nosappu005.jpg

ともかく、南田洋子と普段はおしとやかで可愛い笹森礼子がかなり野性味たっぷりであったことが際立つ。
漁港のひとの生命力が全編に感じられる。
宍戸錠の乗馬の尺もかなり長く、ハードな撮影であったのではなかろうか。
(そう、宍戸錠もいつもより荒々しさが目立っていたような。キザなタフガイを超えていた)。
全編を通し馬を乗り回し銃も撃ちまくり殴り合いもタップリの(ヒロインもやっている)ハードアクションドラマであった。
南田洋子と普段はおしとやかで可愛い笹森礼子も大活躍と謂える。

nosappu004.jpg

今回は宍戸錠はひっそりと消えることが出来ず、南田洋子に追いかけられてエンドとなる。
恐らく途中で捕まり、気軽な流れ者稼業もお終いではないか、、、。
しかし出来れば、笹森礼子の方が良かったのでは、、、余計なお世話であるが(爆。

nosappu007.jpg

観終わってみると結構面白かった。
キャストはきっとハードであっただろう。
ご苦労様という気分になる(笑。




AmazonPrimeにて







アンジェリカの微笑み

The Strange Case of Angelica001

The Strange Case of Angelica
2010
ポルトガル

マノエル・デ・オリヴェイラ 監督


リカルド・トレパ、、、イサク(写真家)
ピラール・ロペス・デ・アジャラ、、、アンジェリカ(富豪の若妻)
レオノール・シルヴェイラ
ルイス・ミゲル・シントラ
イザベル・ルト
アナ・マリア・マガリャンエス


監督が101歳のとき撮った映画だそうだ。
絶妙のトーンであり、時代が何時だか分らぬような時空を現出している。
所謂、ベースの現実界すらこの世ならざる場所にも思えて来たりして、、、
時折切り取られる教会のディテールがタルコフスキーの神学世界にも同調する。
又は精緻なフランドル絵画を観る思いに似た、、、。
(厳格な雰囲気の室内ばかりではなく、荒れ地を耕す農夫や小鳥をじっと見つめる猫にも)。

The Strange Case of Angelica006

何とも、、、。
話自体はシンプルこの上ないもの。
若くして亡くなった名士の妻の撮影を頼まれた写真家が 死装束~エンディングドレスを着て横たわった彼女を撮ろうとしたとき、このアンジェリカが目をパッチリ開け、明るく微笑むのだ。
ビックリして直ぐにその場を去るが、その後その女性は度々写真家の元を訪れるようになる、、、。
写真家の方も待ってましたと言う感じで共に夜空を飛ぶのだが、途中で自分だけ落下し気づくとベッドで汗だらけになっている。

日本では遺影写真は生前に撮ったものを使うが、この女性、若いとはいえ写真はたくさん撮ってあるとは思うのだが。
日本では死後に写真を撮るのは縁起が悪いと避けられてはいるが(事件現場でない限り)、お国柄の違いか。
どうしてもデスマスクが撮りたかったのか。
母は死に顔がとても美しいと言っていた。まさにその顔を忘れまいとして撮らせたのか。

The Strange Case of Angelica003

確かに美しいがぞっとする死に顔でもある。下宿屋の女主人の謂うように。
いくら美しくても死人がカッと目を見開き笑ったらホラーでしかない。
しかし主人公としては、恐ろしさや不吉さより親愛の情というか恋愛感情が芽生え、夢か現か分らぬ場で逢瀬を重ねてゆく。
日本流にいえば(悪霊に)憑りつかれて彼岸に連れ去られて逝くところだ。
御札を貼ったり坊主が経を読んだり大変なことにもなるところ。
エクソシストは、悪魔に取憑かれた者から、それを追い出すわけだからこの場合、役には立たぬか。
死者がひゅ~っと窓辺とかに誘惑に来るのだ。当人もそれを待ち望んでいる。 

The Strange Case of Angelica002

こればかりは当人同士に任せるしかあるまい。どうなのか。
つまりこの若奥さん、お腹には赤ちゃんも授かっていて、夫が嘆き悲しんでいるにも関わらず、写真撮りに来たカメラマンに一目惚れしたというのか。
そりゃあんまりだわ。カメラマンも何であんなに好きになっちゃったのかしら。
好き好きに関しては、理屈ではない。
お互いに自分に誠実になったうえでのことなら仕方ないでしょ。

The Strange Case of Angelica005

ということで、彼女にあってからと言うもの彼はコーヒーを一日一杯飲む程度で一晩中魘されていたし、衰弱も酷かったはず。
倒れて運ばれ、彼女が窓辺に迎えに来て、体からスッと出て共に仲良く天に昇って逝ってしまう。

話自体は、女性が死後に出逢った男性と恋に落ち、共に天に昇ってゆきましたとさ。
というもの。
それを渋く格調高い映像で詩的に表現するとこういう映画になるということか。
いや、「映画」そのものを観た感がある。
所謂、これは「映画」である。
映画の勉強をしている人には、その基本~本質について幾つも考えさせられるであろう作品に違いない。


The Strange Case of Angelica004


マノエル・デ・オリヴェイラ監督、大変高名な監督だそうだが、これまで観たことがなかった。
プリミティブな農夫の歌が何故か耳に残る。
他の作品も調べて観てみたい。





AmazonPrimeにて










劇場版 ムーミン谷の彗星 パペット・アニメーション

Muumi 001

Muumi ja punainen pyrstotahti
2010
フィンランド、ポーランド、オーストリア

トーベ・ヤンソン原作
マリア・リンドバーグ監督
ビョーク主題曲
ルツィヤン・デンビンスキ オリジナル・アニメーション監督

             声:
ムーミントロール、、、アレクサンダー・スカルスガルド
ムーミンママ、、、キャスリーン・フィー
ムーミンパパ、、、アレクサンダー・スカルスガルド
スノークのおじょうさん、、、ヘレナ・マットソン
スニフ、、、マッツ・ミケルセン
スナフキン、、、ピーター・ストーメア
スノーク、、、アーサー・ホールデン
ヘムレン 蝶の収集家/切手の収集家、、、アレクサンダー・スカルスガルド
ジャコウネズミさん、、、テレンス・スキャンメル
ニョロニョロ

マックス・フォン・シドー、、、ナレーション


まず主題曲にシビレル。
曲だけで陶酔する。ビョークってホントに別格。何だろうこの音宇宙。
声のキャストがまた豪華。
ナレーションからしてマックス・フォン・シドーだ。おお、イングマール・ベルイマン、、、。

Muumi 002

TVシリーズとして1978~82年に製作されたパペットアニメーションをカラー補正し、再編集した労作であるという。
独特の質感のパペットアニメーションだ。
「劇場版ムーミントロール」心して観たい。

ある朝ムーミントロールは世界が灰色になっているのを見て愕然とする。
わたしのその記憶は恐らく深い地層に固められてしまっているきっと。
激しく煮えたぎるわたしの怒りは、そこから発せられているに違いない。

Muumi 003

この惨事は、彗星が地球に衝突する兆しだと謂う哲学者のジャコウネズミさん。
動揺するムーミントロールとスニフに対し、おさびしやまの天文台に行って天文学者に聞いてみることを勧めるムーミンママ。
ムーミンパパが息子の旅の為の素敵な筏を作ってくれる。
荷物を積み込み二人にとって初めての冒険の旅が始まるのだった。
旅の途中でスナフキンに出逢い、彼も旅を共にすることに。ここからの付き合いになるのか。
楽しい旅のはずが道程は思いの外、ハードなものになる。

川の急流に流され遭難しかけるが、スナフキンの笛の音に気づいた蝶の収集家ヘムレンに助けられる。
その後、険しいロッククライミングが続くなか、ムーミントロールはスノークのおじょうさんの脚輪を谷間に見つけた。
何というデテールの気づき。そもそも光る脚輪を見つけたというのではなく、”スノークのおじょうさんの脚輪”である。
余程日頃からスノークのおじょうさんの足元にフォーカスしていたのだろう。
地球規模の惨事に際し、大変過酷な冒険をして天文台に行く途上、意中のヒトの脚輪を命がけで拾う。
彗星が目に見えて接近していることが分かるが、脚輪の件で頭が一杯となる。

Muumi 006

まさにそういうものなのだ。ここで脚輪を拾わなければ一生後悔するはず。
地球の崩壊とは、自分の身近(密)な日常=世界の喪失以外の何ものでもない(世界=わたしの世界)。
脚輪が落ちていたということは、花を摘みに行った彼女が何らかのトラブルに巻き込まれた可能性も考えられよう。
これは彗星どころの話ではない。
しかし彼女は変な木に絡まれていただけで、ムーミントロールは木に対して罵詈雑言をまくしたて彼女を救う。
近くに兄のスノークがいたが、何の役にも立たない。兄はそういうヒトみたいだ。

スノークのおじょうさんにとても感謝されるが、そこに拾った脚輪も渡す。このダメ押しでふたりは良い雰囲気となる。
もうほとんど彗星どころではないが、皆がそんなものである。
スニフは崖の下に宝石を見つけてあれもこれもと拾って歩いているうちにオオトカゲに遭い逃げ帰って来る。
こんな時にスナフキンのライフスタイルは光る。
良いものを見つけた時はそれを胸にしまいそこを立ち去る。そうすれば荷物は増えずいつまでも身軽に移動できると。
モナドの思想だ。帰る途中も必要ないものを惜しげもなく捨ててゆく(強欲のスニフはそれを欲しがるのだが)。
そして皆が窮地に陥ると決まって楽器を弾き、こころを和ませる。この効用は大きい。

Muumi 005

天文台に辿り着き、天文学者にいつ地球に彗星が激突するのか質問する。
すると忙しく計算を続けて来た学者が日曜日の何時に激突することを教えてくれた。
それまでには大急ぎでムーミン谷の家に戻らなければならない。家に戻ることが最終目的なのだ。
ムーミントロールはこの先どうなろうとも、家に帰ればママが何とかしてくれるという確信をもっている。
この安心感があるから旅~外に出ることが出来るのだ。
行き返りに様々な場所でキャンプを張る。これも楽しい(かなりのゆるキャン)。キャンプ飯も美味しそう。
その時、その時を楽しむ。

帰りに出逢ったスノークのおじょうさんとその兄ともよい冒険が出来た。
干上がった海の底を竹馬を作って渡ったり、難破船の中で蛸に襲われたムーミントロールを、彼女が片時も離さない手鏡で光を蛸に照射して助けたり、何でも置いてある不思議なお店に行き、ふたりでプレゼントし合い、周りからやんややんやと囃されたり、、、時間がいよいよ押し迫った頃に暴風と竜巻が襲って来たが、切手の収集家のヘムレンのスカートに皆がつかまりムーミン谷の家まで上手く飛ばされてゆく。行き返りに収集家ヘムレン従兄は大事な役割を果たす。暴風で途中で手放した切手帳もムーミンパパに拾われていた。ヘムレン感激。

Muumi 004

漸く家に帰り再会を喜ぶムーミン一家であったが、天文学者の計算通りに彗星は大きくなり、接近して来た。
哲学者のジャコウネズミさんはパンケーキを焼くときに使うイチゴを育てるママの庭に彗星が落ちると予言している。
ママはとりあえず草取りはやめておこうかしら、と言って皆でお茶にする。
いよいよ暴風が半端ではなくなったところで、スニフの洞窟に皆で退避することに。ママのケーキも運び込む。
中から外を恐る恐る覗く一同、、、。
空は真っ赤で際立つ異常気象。
しかしすんでのところで、彗星は尾を地球に掠めて過ぎ去って行く、、、

そりゃ、そうでないと物語は続かない(笑。
物語は続けなければ意味がない。
ビョークのテーマにまたしても聞き惚れる。
この曲だけでも充分に満足出来る一作であった。





AmazonPrimeにて












JKは雪女

jk001.jpg

2015年

田中誠 監督
秦建日子 脚本

平祐奈、、、冬城 小雪(雪女、次女)
横浜流星、、、安藤 玲(志羽家に仕える下僕)
戸塚純貴、、、志羽龍之介(志羽神社当主)
池田エライザ、、、明洞院 朱音(狐火の一族、明洞院家の長子)
玉城ティナ、、、冬城 咲雪(雪女、小雪の姉)
柴田理恵、、、ババ様(小雪の祖母)
寺島咲、、、杉山美優(小雪のクラス担任)
永尾まりや、、、山下香織(巫女)


これまでの習わしで、雪女の家系の存続をかけて子種を求めて人里に下りた姉の帰りが遅い為、その安否を探りに彼女の編入したl学園にやって来た妹の小雪を軸にしたコメディ(みたい)。
妖怪がかなり普通に出て来るが、人間の方も妖怪に負けずに異様で特殊。要するに変なモノしか出てこない。
設定がそれなので、何でもどうにでもなりそうな心許ない投げれを感じる嫌な予感の映画。
後半(妖怪)キャラが増えて来て、ヒロインたちの恋愛と絡めてどう展開するのかと思っているうちにお終い。
何となくやる気なくしたのか、上から止め、と打ち切られたのか。脚本が元々書けてなかったのか。

jk005.jpg

池田エライザ女史、玉城ティナ女史、少しは出演作選びなさい。
始まりで直ぐに止めようかと思ったが、池田女史がどのくらい暴れてくれるかと思い部分的な面白さを期待して我慢した。
だが、暴れどころもこれとなく中途半端なセクシー役で何となく終わってしまう。
実に中途半端に。
玉城女史がもうハッキリ続編の予告めいたことまで言って終わっていながら、結局全くやる気ないようだ。
確かにやる気にならないのは分かり過ぎるくらい分る。
製作陣も途中からやる気なくした感じで収束していた。

jk003.jpg

まあ、そういうのってあるだろうな。量産型深夜TVコメディ。直ぐに消化試合状態になり打ち切りか。
TBS系列で深夜放送されたTV4話分を繋げただけのもののようだ。
続編とか言う以前の問題で、突然の打ち切り感が半端でないもので、極めて視聴率が低かったのだろう。
しかしキャストはかなり贅沢であり、このキャストに惹かれて観てみたのである(そういう人は多かったはず)。
これだけの女優陣を出しておいてそれはない、という代物。

jk004.jpg

妖怪を使った面白可笑しいコメディーというのは、妖術とかの飛び道具の自在性もあり噺も荒唐無稽な自由度が高くなると思いきやただかるっぱしい弛んだものになりがち。しかもその術すらここでは、ほとんど活用されない。
志羽家下僕の安藤を咲雪と小雪姉妹とクラスメイトの山下が好きになって、それからどうなるの、、、と謂うところでプッツリ終了。しかも続編を匂わせておいて。
ともかく、噺が噺になっていない。多少でも惹きこむ(共感を生む)ような流れもない。
ただ妙で癖の強いキャラばかりが浮きまくる。
何処をとっても詰まらない。
どういうストーリーを見せたいのか、皆目分からない。

jik002.jpg

何かを伝えようとして失敗したものではない。
何の目的もなく最初からふざけて投げやりな仕事を中途半端に行ってぽしゃった例に過ぎない。
とるところが何処にも全く無い。



AmazonPrimeにて




結局、お子様用スタディパソコン買う (02/20) の”mouse E10”












真夜中乙女戦争

otome002.jpg

2021

二宮健 監督・脚本・編集
F 原作
ビリー・アイリッシュ 主題歌”Happier Than Ever”

永瀬廉、、、私
池田エライザ、、、先輩
柄本佑、、、黒服
山口まゆ、、、カナ
篠原悠伸、、、田中
安藤彰則、、、松本
佐野晶哉、、、佐藤
成河、、、高橋
渡辺真起子、、、大学の教授


原作未読。わたしは最近、本を読む暇が作れない。これは実際良くない事。生活パタンを見直す。

池田エライザ女史、”Misty”のジャズヴォーカルを披露。ますますミュージシャンとしての存在感を確かなものとしている。
また役柄も素敵であった。退廃的で凛としているヒトってなかなかいない。流石は、いくちゃんのお友達アーティスト。
(いくちゃんもこんな役をやって欲しいなあ~(笑)。
しかもビリー・アイリッシュに主題歌を頼むとは、、、この映画、金掛けてる。
確かに東京タワーを取り巻く爆破は美しかった。映像のトーンも良い。

otome001.jpg

違和感なしに生きている人は少ないはず。
ヒトとして生きるというこの事態そのものが反自然であり非テクノなのだから。
触覚の及ぶ範囲などほんの僅か。
論理~幻想を通さないと世界が世界化しない。
何に対しても何においても遅延する。
誰もが自らの内にひき籠もる。
抽象化~内面化はとどまることをしない。

otome007.jpg

幻想の膨らむままに外に対しては殻を作り無気力に生きているある時、触媒に出逢う。
(多くは新新興主教どまりだったりするものだが、、、または社会と断絶したセクトとか、、、に走ったりいや籠もったりが関の山)。
しかし今回は都合の良い妄想から現れたかのような(悪魔のような)黒服が登場する。
それが魅力的でカッコよい。カリスマ性。確かに(柄本明の息子にそれがないはずない(笑)。
黒服は、”私”自ら彼に付けた呼称だ。その役割を当然期待したところから。
自分の胸の内を思い切り投影できる~何でも吐き出せる対象が現れた、と感じた。

otome004.jpg

彼が現れなければ、”私”は独りボッチでは何も出来ない。
そもそも何をかやろうという気力も発想すら無かった。
何も出来ずに強制されたルーチンを熟す毎日を続けていくうちに擦り切れて終わり、、、。
だがどこかで諦めきれない何かを漠然と求める気持ちは(ハッキリ)残っていた。
そんな時に、黒服と先輩に出逢う。この同時性。

otome006.jpg

”私”にとって黒服と先輩は決定的な存在であった。
悪魔と天使と謂っても良い。自分を捉えて離さない鬱屈したやり場のない思いの両義性がこのような形をとったか。
全的崩壊を望む地獄の底にあらゆるものを引き摺り落としたい気持ちと、裏腹に美しいもの苦しみに耐えつつ誠実に生きるものを守りたい気持ちが対象の表れによって浮上する。
黒服への憧れを持ちつつ先輩の美しさ(容貌に象徴されるこの世の善きもの)にも同時に惹かれ、引き裂かれる。

otome003.jpg

これが象徴的な出逢いか、ちょっとした悪戯程度で、異なる(飛躍する)フェーズに移行すれば、創造的な展開もあり得たはず。
勿論、過程における破壊的な面は不可避であっても。
通常、思い切った改革など、この展開で進む。
だが、黒服自体が”私”の破壊衝動(のみ)に取憑き、それを具現化する方向に進んでしまう。
二人で映画を観る地下サロンに不満分子を招待すると、、、
世間から締め出された仲間~常連の数が思いの他増えて行った。つまりテロの同志である。
東京タワーをモニュメントとして残し、東京全域を爆破破壊する計画が着々と進められてゆく。
つまり黒服は現実に存在し、それを実現するスキルと知恵と財源を保有していた事実が悲劇となるのだ。
先輩はその動きを察知していたが、止めることは出来ない(彼女こそ独りであった)。
後半、お互いにしきりに「生きているか」確認を取り合うことの覚束ない気持ちがとてもよく分かる、、、。

otome005.jpg

そもそも美~善きものに対する狂おしいほどの憧れが在るほど、全的崩壊への意思も強いはず。
先輩は”私”が何も諦めていない目をしていることに気づき、サークルでうんと喜ばせてあげたかったと述懐していた。
彼は自分に似ていると。
”私”は、どうにもならない糞のような「世界」は滅ぼし、先輩~美は何とか守りたかったのか、、、。
それは不可能だ。彼女も世界の内に在るのだ。彼女の生きる場を物理的に破壊してしまって、彼女~美を守ることは出来ない。
東京タワーを囲むように次々に爆発する美しい夜の光景を前に”私”は先輩に全てを打ち明ける。
あなたを絶対許すことは出来ないけど、取り敢えず今生きているならよしとしよう、と彼女は応えた。


”私”役のジャニーズの人も淡々とした抑えた演技がフィットしていた。良い役者だと思う。
池田エライザ監督の映画も観たい。


AmazonPrimeにて







早射ち野郎

hayauchi003.jpg

1961


野村孝 監督
山崎巌 脚本
大森盛太郎 音楽

宍戸錠、、、鏑木(エースのジョー、流れ者)
笹森礼子、、、戸川令子(小学校の先生)
吉永小百合、、、美佐(真山医師の娘)
南田洋子、、、ジェーン (花形踊り子)
杉山俊夫、、、小田(新米巡査)
下條正巳、、、真山(医師)
金子信雄、、、三島(悪者)
江木俊夫、、、三郎(戸川令子の弟)


「早撃ち野郎」(どうも「からっ風野郎」を連想して困る)というほどガンアクションは見られない。
西部劇モドキの世界が箱庭的に演じられる。
kuni氏は、こういう感覚が好きでとても楽しめるというが、まだわたしはその域まで達していない。
戸惑いつつも、随所に面白味を覚える、といった感じか。

hayauchi001.jpg

ここでもこのシリーズに欠かせないギターのにいちゃん杉山俊夫が準主役の巡査でフルに活躍。
ギター弾いてるだけではない。真面目で一途な警察官として頑張る清々しくも頼りない男を熱演。
宍戸錠も相変わらず歌いまくりながらタフガイ振りを発揮。ガンアクションは控えめ。あくまでも新米巡査の小田を引き立てる。
女性陣も笹森礼子が小学校の先生、吉永小百合が看護婦、南田洋子がキャバレーの花形踊り子と、それぞれの持ち味を生かして物語を華やいだものにしている。少し吉永小百合の尺が足りない感はあり。

hayauchi005.jpg

わたしはこの時期のこういった量産型大衆映画のヒロインでは、圧倒的に笹森礼子ファンである。
(とは言え割と最近この女優さんを知ったので、古くからのファンの風上にも置けねえやつだが(爆)。
確かに芦川いづみが人気のあることは分かるが、笹森礼子の超時代的な可憐さは後の女優と比べても全く引けを取らない。
宍戸錠とよくW主演で組んで出てくることも多いが、彼もまた超然としたスタイルが持ち前である。
このコンビ、どんな設定の映画でも合うと思う。

hayauchi004.jpg

という分けで、又もやジャパニーズウェスタンものである。
何でこうなるのか。
かなり西部劇モドキで決めてはいるが、どこか日本が透けてもいて質量が感じられない。
(わたしは何故こういうモノを日本でやりだしたのかがよく分からない。やるなら何故淀川さんが○○ウェスタンと命名しなかったのか。枠組み~ジャンルが明確にあった方がこちらもそれとして安心して観られる)。
どうもいまひとつ座りの悪い感じで寄り添ってゆくことになる。
やはり川魚は釣り竿であろう。魚を突き刺して捕るのはどうもそぐわない。
皆馬を乗り回すが、ここでは子役の江木俊夫も乗る(ジョーの足を引っ張るのだが)。

キャバレーのギョッとするような踊りは、この時期の映画には(ジャンルを問わず)よく出てくる。
ここも例外では無い。これはお約束なのだろう。
そして街の面々(烏合の衆)の無能さ、無責任さ。酷いものである。
街は極悪人の三島に牛耳られ、これでは思うままであろう。
悪知恵の働く三島に翻弄されるばかり。
ジョーは流れ着いたばかりで、名士ぶって偉そうにしている三島を怪しんでいた。
一度はジョーが現金強奪を阻んでくれたが(街の衆は彼を疑い)、二度目には見事に連中にやられてしまう。
新米巡査が街の衆で捜索隊を率いるが、この面々で上手くゆくはずもない。
医者の真山先生が犠牲になる。馬車の荷台で運ばれる(西部劇によく見る光景)。

hayauchi002.jpg

ジョーが独り奮戦して悪者たちを追い詰めてゆく。
(ジョーを応援するのは女子ばかり。女にはすごぶるモテるのだ)。
新米巡査もジョーの教えを胸に奮闘する(銃の撃ち方も習った)。
そして最後は小田巡査に三島を撃たせて、花を持たせる。
(三島はジョーの兄の仇でもあった。何とジョーは以前警官であり、小田を自分に重ねて応援していたのだった)。
祝賀パーティーで小田が表彰されて盛り上がる中、ジョーは独り去ってゆく。
このパタンは変わらない。

もう少しこのタイプの映画、観てみよう。



AmazonPrimeにて






結婚相談

kekkonn004.jpg

1965

中平康 監督
須藤勝人 脚色
円地文子 原作

芦川いづみ、、、鶴川島子
山本陽子、、、鶴川美津子
沢村貞子、、、戸野辺力
浦辺粂子、、、鶴川時子
中尾彬、、、鶴川猛
梅野泰靖、、、早川伊佐夫
草薙幸二郎、、、矢吹哲次
笹森みち子、、、吉田朝子
高橋昌也、、、高林正吾
松下達夫、、、日高伊作
菅野忠彦、、、鎌田秋宏
細川ちか子、、、鎌田夫人


中平康という監督繋がりで此れを観てみた。
この監督の作品、スタイリッシュで、意識的に観たい気持ちになる。
芦川いづみの自分をしっかり持ちながら(気品を落とさず)幅広い演技を熟すところ、流石だと思う。
一作、一作きっとすべて挑戦的に演じていた人なのかもと思い直した。
(ファンなら恐らく一作毎にその辺を細かくチェックしているのだろうが)。
わたしも今後、気にして観てみたい(わたしの見た範囲では優等生役が目立っていてやや関心の薄い人であった)。

kekkonn003.jpg

何と言っても芦川いづみの演技の幅を広げようという意気込みの感じられる作品であり、30歳になり結婚しそびれて焦るOL役で、悪徳結婚相談所のカモにされ転落の人生を辿るというもの。
しかし基本、背筋はシャンとしてるし、わざとシニカルに笑ってみても悪い言葉を使っても上品さが滲み出てしまう。それにコールガールに身を窶したとは言っても露骨なシーンは一切ないため、やはり上品にまとまっている。
だが、それでよいと思う。この人が主演の場合、どんな役でもファンは上品な姿を観たいのだ。
これで、いいのだ(誰とは謂わぬが。

山本陽子が妹役で出るのだが、余りに出番が短く存在が薄い。もう少し物語に絡めせて欲しい。勿体ない。
ここでも若く溌溂とした好青年、中尾彬が弟役ときた。このままジャニーズで踊っても良い。勝手にしなさい。
浦辺粂子はベストパフォーマンスではないか。こんなにフィットする役はなかろう。日本のお母さんだ。
こんな人がお母さんならこどもは安らかに伸び伸び育つ。こどもの気持ちを大切にする素朴で慕われるお母さん。

kekkonn001.jpg

凄いのは沢村貞子である。ホラー映画観るより怖い(特に邦画のホラーなど問題外)。
こんな(驚異の豹変)演技の出来る人が今いるだろうか。
最初の如何にも人当たりの良い丁寧な結婚相談所の先生から一転、豹変して芦川いづみをこれでもかと追いつめる狂態には圧倒される。こんなおばさんに掴まったら脱出不可能ではないか(ブラックホールだ、まるで)。
芦川いづみも耐え切れず、怖~いと叫んでいたが、本心に思えた。恐ろしい。実に恐ろしい。

この先生~所長は、自分の旦那と手下の男をサクラとして使い、何度も希望を持たせては落胆させ、精神的に追い詰めてゆく。
焦りも募る。そして漸く相手が見合いの場で結婚を承諾し、この人ならと言うノリで外泊してしまったら、実は妻子持ちということでまたもやダメになる。
芦川いづみは絶望に打ちひしがれるがそこへとばかりに所長は畳みかける。
男に騙されたのは気の毒だが、一緒に泊まって金までもらったら売春であると。そして相談所にも斡旋の罪が着せられるかもしれないと脅しに回る。顔もすでにギャングのボスだ。
そしてそこで働いていた吉田朝子から相談所の真の姿を教えられる。まさに売春斡旋所であった。もう抜けられなくなって彼女も自暴自棄になり所長の言う通りに働き始めることに。
実際にこういう所があるような気がした。それだけの説得力が沢村貞子にあった。

kekkonn002.jpg

その後も波乱続きで、発狂した青年と夜を過ごす仕事に送られたり、プレイボーイで会社の金を使い込んだ男を信じて自分の退職金を渡そうと会いに行ったら情婦と心中していたりで混乱を極め、その帰りに自動車事故に遭ってしまう。
もう踏んだり蹴ったりもよいところだ。
怪我は軽く退院後、想い出のある浜名湖で自殺を図ろうとするが、その地に嫁いだ親友に助けられ彼女の計らいで先ごろ妻を亡くした会社の上司と出逢う。
砂丘のなかで、何やら希望の芽生える光景が広がり、、、。
この時、例の相談所は朝子の訴えで警察にあげられ新聞沙汰になっていた。

と言う感じで、何らかの形で世の流れ(一般基準)からズレてしまった個に突然襲い掛かる罠を描いたものとも謂えよう。
わたしはわたしという強い自我を持っていないと誰にも起こりうることであり、説得力溢れる演技でインパクトも充分であった。
(自分なりの価値観をしっかり持っていても騙されることは有り得る。沢村貞子が出てきたら敵うまい)。




AmazonPrimeにて











良い兆し

sun005.jpg

一歩も外に出なくとも、情報のシャワーは浴びている。
ニュートリノはどれだけわたしの宇宙を通過してゆくか、、、。
様々な次元の情報が接続したりそのまま過ぎていったり。
そんな毎日を無意識に送っているが、、、

今日は向こうから(はっきり分かる)大変楽しく嬉しい情報が飛び込んできた。
(内容はプライベートなのでここには書けないが)。

これからは、良いことずくめの日々になる。
これは確定。

多少忙しくはなるが、ブログは何とか続けてゆきたい。
(自分独自のデータベースでもある)。
恐らくどうにかなるはず。
映画についても良いものを紹介してもらっているし、、、。
(見る時間さえ確保できれば、続けてゆきたい)。

何れにせよ、自分の内的基盤が拡充してゆくことは良い事だ。


それだけ(笑。

もう一度、おやすみなさい(爆。




sun009.jpg


今日は一歩も外に出ない。

StrawberryMoon001.jpg

こういう日は必要。
完全に一人の部屋である為、外界を気にすることはない。
(亀の餌やりだけ電話で娘に頼んだが)。

何も気にしないというのが、一番贅沢な生活だと実感する。

時折、ゆっくり本を読む。
これが美味しい。
そして暫く眠る。
起きたら気分転換に風呂に入る。
午後の明るい時分に入る風呂はまた格別。

ぼ~っと窓から空の動きを眺めつつビールを吞む。
鰻重を食べる。
それから苺をひとパック食べた。

誰の声もしなければ、申し分ないが、あちこちの喋り声は断片的に入って来るものだ。
窓も全開しているし。
アパートの別の部屋でチャイムが何度も鳴らされる。
恐らく今日来るべき人が来たのに、たまたま当人が出かけてしまったのか。

そう、実家から少し離れて借りたわたしだけの部屋だが、隣近所には人が住んでいるのだ。
同じ棟だから時折、大きな物音の響くこともある。
だが、ほとんど気にならない。
気になる要素がない。

何も気にならないというのが、一番贅沢な生活だと実感する。

眠くなったから寝よう。
良い夢が見れそう。


StrawberryMoon002.jpg



月曜日のユカ

yuka001.jpg

1964
中平康 監督
斎藤耕一 倉本聰 脚色
安川実 原作

加賀まりこ、、、ユカ
北林谷栄、、、ユカの母
中尾彬、、、修(恋人)
加藤武、、、パパ


kuni氏の推薦第2弾。これはレベルが凄い。圧倒された。

月曜は、ブルーマンデーとも称せられるが、これはどういう月曜日と謂うべきか(NewOrderの名曲もあるが)。
このユカ、必ずしも都合の良い可愛い女性という訳でもない。やはり月曜日は幸せを呼ぶものではないのか。
大変スタイリッシュな映画である。
まさにヌーベルバーグだ。

yuka002.jpg

この時期の加賀まりこを初めて観たが、時空を超えてますな。
映像自体もクリアで綺麗なのには驚く。最近のプリントみたいだ。
そのため、昔の映画を観ている感覚ではない。ファッションも大胆で。
車は確かにクラシックだが、気にならないし。

唯一昔という感じを湛えているのは、中尾彬であった。
いくら何でも若過ぎて、今の中尾彬からは想像し難い。
爽やかで純粋、一途な好青年なのだ。
目を疑った。今ならパパ以外の何者でもないのだが。

yuka003.jpg

加藤武は如何にもパパであり、全国のパパ代表みたいなヒトであった。
その(むすめの)ユカのトラウマはかなり特殊である。
クリスチャンであるユカは幼い頃、神父に実際のキスシーンを見て酷く咎められそれが悪魔的な忌まわしい行為という観念に縛られ長じても絶対に出来なくなる。
同時に娼婦で彼女を養ってきた母からは、女の務めは男を喜ばすことだけみたいな教育を自然に施されて育って来た。
その結果、誰にでも体は許すが、唇だけは許さない娼婦となっていた。

yuka004.jpg

この抽象的な役を見事に熟すにはこの加賀まりこしかいない、と謂いたくなる。
純粋無垢というよりあどけない少女にもみえて深いトラウマが彼女の行動様式を決めている。
未来のイブみたいな理想的な女性に見えて、、、。
桎梏から逃れられないアンドロイドみたいな存在でもある。
それに対する自覚がまるでないところが、ある意味可愛さと映っているか。

yuka005.jpg

彼女との関りを深めてゆき、純愛を貫こうとする修青年は命を落とし、何だかんだ言ってもユカから離れられないパパも絶妙なタイミングで海に沈む(この海への落下は見事であった。詩のように美しい)。
「助けてくれ」と叫ぶが、あんたはユカを助けたことあるのか(利用して来ただけ)。
彼女は何もせず敢えて見守るだけだった。
これで何かが壊れ、動き始めたはず。
(いや青年の死体にキスしたときに既に解体は始まっていた)。
この地点からユカは自立に向って自分の意志で生きていくような気がする。いやそうなって欲しい。
ある意味、ふたりともユカにとり大事な男性である。その喪失による作用は、禁止と依存からの解放へと働くと思う。

yuka006.jpg


それにしても加賀まりこの洗練美は凄い。
今ならAIロボット役でSF映画に出て欲しいところ。




AmazonPrimeにて












必殺!恐竜神父

The VelociPastor004

The VelociPastor
2018
アメリカ、中国

ブレンダン・スティアー 監督

グレッグ・コーハン、、、ダグ(恐竜神父)
アリッサ・ケンピンスキー、、、キャロライン(医学部女子大生、娼婦)
その他


加賀まりこを探そうとAmazonPrimeVideoを開いたら真っ先にこれが目に入ってしまい、逆らえない引力に捕らえられた。
加賀まりこは明日にでも。苦しい(爆。

「必殺!恐竜神父」という邦題とアホジャケ見れば、もうダメ。
邦画にもこの手のモノはあるが、アメリカと中国製作映画である。
恐る恐るポチっと押すのだった。

The VelociPastor003

だがこの映画、エドウッドみたいに一生懸命こしらえて飛んでもない作品に結果的になってしまった、とは異なる。
意図的に作られた(作ることを捨てた)おバカスカスカ映画であり、それに乗っかるのにはちょっと抵抗を感じた。
のっけからVFXはめんどくさいとテロップ:VFX:Car on Fireで済ませてしまう、客を思いっきり舐めた作品。
ホントはダグ神父の両親がテロで車ごと爆破された場面である。
金を惜しみ労を惜しみ、進めるつもりがよく分かる。

アメリカと中国が組んでこれか、だが組む規模の問題であろう。
実際製作費などほとんどないに等しいようだ。
恐竜の着ぐるみを観てまず驚く。
中学校の文化祭レベルである。

何を狙ってここまで客をおちょくってくるのか。
よく子供だましと言うが、子供なら怒るところだ。
大人だから取り合えず許せるところ。
だが、笑えるものでもない。全編を通して笑えたところはない。

笑う程、面白くないのだ。全く練られていないのだ。
徹底しておちゃらけて、笑いの壺を突いて来るなら分かるが。
製作者の姿勢が、出鱈目な駄作を自堕落に作っているもので、それで面白がらせようというものだ。
こういうタイプの映画はありそうで、無理があり、そうは無いと思われる。

The VelociPastor002

監督は、もし俺がエドウッドだったら、とか思いながら作ったのか?
エドウッド派というのも有り得る。
悪気はなく、単なる冗談かも知れない。
そもそも役者はどういうつもりで演じたのか(アドリブも相当あったはず)。

アリッサ・ケンピンスキーなど普通の映画に出てもなかなかの存在感が放てる女優に思えた。
ミア・ワシコウスカの普及版みたいな娘である。
ギャラはミア・ワシコウスカの1000分の1にも満たないだろうが。
馴染んでゆくに従い、ちゃんとした作品に出してやりたいという親心が芽生える(爆。

脇役の過去の思い出などに尺を取りそれが物語にとり何の伏線にもなっておらず、それだけ。
極めて特殊な立ち位置の弟が唐突に文脈に入り込みこれまた特異な家に伝わる秘剣みたいなものが現れそれで弟を倒すというシーンが突然出て来る。
どのシーンもその場その場ででっちあげたに過ぎない。

The VelociPastor001

大筋は?腹が空いたと思うと恐竜になって人を食ってしまう神父の話だが、それが何故だか勧善懲悪と結びついて悪の(忍者の)組織をやっつけるというのだが、宗教とか噺の脈絡とか登場人物の関係とか設定する脚本が存在しない。
演出的にも思い付きのアクションだけで繋いでいて、まるでなっていない。間もテンポもなく、もぞもぞ動いてるだけ。
ただ変な血や人形の首や腕がボトッと落ちたりでそうなったことにする。

せめて最後の決戦だけでもアニメにでもしようという気概はなかったのか。
いや、ハードルが高かったのだ。何も用意がなかったのだ。発想すらない。
というよりまず映画を作るんだから脚本書かなきゃとか思わなかったのか、、、
恐らくこれが彼らの限界だったに違いない。


この手の題の映画にある愉しみがほとんど感じられないものであった。
加賀まりこの作品を探すべきだったか。



AmazonPrimeにて





”Bon voyage.”



金沢国立工芸館「ポケモン×工芸展」6月11日まで。人間国宝の実力派作家たちが新たな解釈でポケモンを創造。

金沢城公園、兼六園、金沢城、ひがし茶屋街、近江市場も直ぐ近く。
検索フォーム
ブロとも申請フォーム
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

SF PickUp
ブレード・ランナー ファイナルカット
ブレードランナー2049
メッセージ
インターステラー
第9地区
月に囚われた男 MOON
オブリビオン
コンタクト
オデッセイ
エイリアン
プロメテウス
エイリアン: コヴェナント
エクス・マキナ
クラウドアトラス
モンスターズ 地球外生命体
クロニクル
ガタカ GATTACA
チャッピー
パシフィック・リム
ザ・ミスト
オートマタ
スターシップ9
モーガン プロトタイプL-9
ロスト・エモーション
スローターハウス5
ザ・ドア 交差する世界
メランコリア
アルファヴィル
アンダー・ザ・スキン
不思議の国のアリス
イーオン・フラックス
サリュート7
アポロ13号
シルバー・グローブ/銀の惑星
イカリエ-XB1
アイアン・ジャイアント
アンドロメダ
地球の静止する日
地球が静止する日
宇宙戦争
トランス・ワールド
ロボット
ヴィデオドローム
イグジステンズ
マイノリティ・リポート
フローズン・タイム
マザーハウス 恐怖の使者
EVA
ベイマックス
ファースト・コンタクト
ファースト・マン
13F~サーティーン・フロア
あやつり糸の世界