拳銃無頼帖 不敵に笑う男

1960年
野口博志 監督
山崎巌 脚本
城戸禮 原作
不敵に笑う男、恋のためいき主題歌
山本直純 音楽
赤木圭一郎、、、壇竜四郎
笹森礼子、、、佐伯博子(竜四郎の亡き恋人の妹)
宍戸錠、、、コルトの謙
吉永小百合、、、壇則子(竜四郎の妹)
二本柳寛、、、船場(船場組長)
藤村有弘、、、浜田(温泉好きの浜田組長)
山田禅二、、、相原(浜田の手下)
南風夕子、、、秋枝(三島の情婦)
拳銃無頼帖シリーズの第3弾である。
ともかく、やくざばかりの出て来る物騒な噺であるのは4作目同様(シリーズ全てこれであろう)。
ここでもコルトの謙は抜き撃ちの竜とさしで腕比べをすると言いながらことごとく竜を絶体絶命のピンチから救うことしかしてない。
ライバル~宿敵と謂うより凄く頼りになる親友みたいではないか。

本作も赤木圭一郎、笹森礼子、宍戸錠の3人の主演であり、4作目と同様に偶然なのか必然なのか、ここでは列車の向かいの席で抜き撃ちの竜とコルトの謙が出逢う。面白い設定~フォーマットである。水戸黄門や寅さんシリーズと基本変わりない。
コルトは袋に入ったスナックをいつも食べているのが4作目と違うが、サングラス掛けてカッコつけているところは様になっている。というよりこちらが段々芸風~スタイルに慣れてきたと謂えるか。ホッペはもう気にならない。
竜はジェームス・ディーンタッチで変わらずやっている。
笹森礼子はとてもしっとり落ち着いた役だが物語への絡みは次作よりは深い。

そこへフレッシュな新人吉永小百合が竜の妹とくる。
キラキラと初々しい。
赤木圭一郎と宍戸錠のスタイリッシュでシニカルかつコミカルなアーティフィシャルな質感と笹森礼子と吉永小百合の人形のような可憐さ、更にここでも異彩を放つ藤村有弘の人を喰った片言日本語の如何わしさ、温泉にばかり浸かっている得体の知れなさが特殊な空間を作っている。よく言われる無国籍性もこんなところに感じられるものだ。
最後の海辺の洞窟での取引というのもその雰囲気を増すところ。しかも浜田は偽札を掴ませ、三島はガラスのダイヤを渡している。
この虚偽と虚構の無常で無機質な世界。その空間での乱射戦である。
シリーズを通して癖になる人が出てもおかしくない。

ここで足を洗うことにした竜のやくざに絡む理由が自分の恋人を刑務所にいる間に殺害(列車に轢かれた事故で処理)した犯人を突き止めることである。恋人にそっくりの妹に出逢ってその気持ちはより強いものとなる。
その犯人が自分を拾って育ててくれた組の親分であったことが分かる。
浜田と絡み汚い手を使い竜を抹殺しようとするが、謙が代わりに殺してくれたわけだが、、、。
本作では、あまりに竜が甘すぎる。

ただ不敵に笑うというが、謙は確かに要所で笑っていたが、竜はほとんど笑っていた覚えがない。
それに圧倒的に謙に助けられる場面ばかりで、彼がいなければ中盤で竜は殺されている。
撃ち殺しているのは謙であり、確かに竜は誰も射殺はしていないのだが、、、状況的に謙が撃たなければ話になるまい。
ほぼ身代わり状態で謙が警察に捕まってしまったが、ギャングとは言えあれだけ殺してしまって出てこれるのか。
また会おうぜ、と言って警察の車で去って行ったが(笑。

何と言っても目を奪われるのはロケ地である。
「小木港のとも旗祭」がかなりの尺で映されその間を竜と船場たちの乗るボートが取引の鬼島に向い走るところは、なかなかの見どころであった。
「あばれ祭」も長回しじっくり見れた。神輿の上に子供が沢山乗せられていたのが印象的。
石川県の観光にも一役買っているようだ(スポンサーか)。
この辺も面白いところ。

コルトの謙がいなかったら、直ぐに噺は終わっていたような映画であった。
(竜は脇が甘すぎ)。
AmazonPrimeにて

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