プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
基本的に、日々思うことを綴ってゆきます。悪しからず。
必ずパソコン画面(PCビュー)でご覧ください。


*当サイトはリンクフリーです。

PICKUP
still dark
この世界に残されて
ファミリー ファミリー
通告
暗黒街のふたり
Autonomous 自律
怪奇蒐集者 黄泉がたり 村上ロックより抜粋
閉鎖病棟 -それぞれの朝-
ついに実現、S君の絵画展
S君 小さな情景展 Pre001
遠藤彰子先生と語る
春夏秋冬そして春
キューブ CUBE
ドント・ハングアップ
キャット・ピープル
パラサイト 半地下の家族 -2
パラサイト 半地下の家族 -1
ヘンリー・ムーア~彫刻に見る普遍性
911爆破の証拠―専門家は語る 前
9/11:爆破の証拠 - 専門家は語る 後
アポロ 11
シャチ~優しい殺し屋~
ハイヒール
お嬢さん
とうもろこしの島
セールスマン
トラピスト1に寄せて
「労働疎外より人間疎外」によせて
カッシーニ グランドフィナーレ
カッシーニ グランドフィナーレⅡ
シチズンフォー  スノーデンの暴露
スノーデン
レヴェナント: 蘇えりし者
透明な身体性
森羅万象を描く デューラーから柄澤齊へ
ヴィデオドローム2 ~イスラム国 ~アノニマス
見えない重力を描く Ⅱ
美の翳りに寄せて
写真についてーⅡ
午前零時の奇蹟(シュル・レアリスム覚醒の時間)
パーフェクト・デイ ~ルーリード ~ローリー・アンダーソン ~スーザン・ボイル
未来派の画家~ウンベルト・ボッチョーニ
Balthus ~ バルテュス展行ってまいりました。
「ゴールドベルグ変奏曲」 バッハ  ~グールド ~P・オトゥール ~ニーチェ
大昔のスケッチ(詩画集のための試作)
すでに世界は終わっていたのか ~ ヒエロニムス・ボスその1
スヌーズレン002
情報リテラシー  ~華氏911 ~不都合な真実
南伸坊「歴史上の本人」
プラトーン
アリータ
カレンダー
02 | 2022/03 | 04
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
邦画特選
☆彡 東京物語
☆彡 秋刀魚の味
☆彡 麦秋
☆彡 晩秋
☆彡 雨月物語
☆彡 アフタースクール
☆彡 ラブレター
☆彡 四月物語
☆彡 花とアリス
☆彡 スワロウテイル
☆彡 リップヴァンウィンクルの花嫁
☆彡 寄生獣
☆彡 寄生獣 完結編
☆彡 ヒミズ
☆彡 冷たい熱帯魚
☆彡 女子ーズ
☆彡 フラガール
☆彡 怒り
☆彡 ミスミソウ
☆彡 志乃ちゃんは自分の名前が言えない
☆彡 少女邂逅
☆彡 羊と鋼の森
☆彡 空(カラ)の味
☆彡 カノン
☆彡 花筐
☆彡 ローリング
☆彡 サマーフィルムにのって
☆彡 あん
☆彡 ドライブ・マイ・カー
☆彡 お嬢ちゃん
☆彡 夏の妹
☆彡 モダン・ラブ
☆彡 ソウル・フラワー・トレイン


アニメーション☆

★彡 サマーウォーズ
★彡 君の名は。
★彡 この世界の片隅に
★彡 言の葉の庭
★彡 聲の形
★彡 魔法少女まどか☆マギカ 劇場版前後編
★彡 魔法少女まどか☆マギカ 劇場版 新編
★彡 映画けいおん!
★彡 涼宮ハルヒの消失
★彡 響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部へようこそ
★彡 たまこラブストーリー
★彡 百日紅 Miss HOKUSAI
★彡 planetarian~星の人~
★彡 『千と千尋の神隠し』を観て。廃墟のテーマパークの可能性
★彡 星を追う子ども
★彡 劇場版総集編メイドインアビス 旅立ちの夜明け・放浪する黄昏
★彡 Dr.STONE
★彡 天気の子
★彡 竜とそばかすの姫
月別アーカイブ

拳銃無頼帖 不敵に笑う男

futeki001.jpg

1960年

野口博志 監督
山崎巌 脚本
城戸禮 原作
不敵に笑う男、恋のためいき主題歌
山本直純 音楽

赤木圭一郎、、、壇竜四郎
笹森礼子、、、佐伯博子(竜四郎の亡き恋人の妹)
宍戸錠、、、コルトの謙
吉永小百合、、、壇則子(竜四郎の妹)
二本柳寛、、、船場(船場組長)
藤村有弘、、、浜田(温泉好きの浜田組長)
山田禅二、、、相原(浜田の手下)
南風夕子、、、秋枝(三島の情婦)


拳銃無頼帖シリーズの第3弾である。
ともかく、やくざばかりの出て来る物騒な噺であるのは4作目同様(シリーズ全てこれであろう)。
ここでもコルトの謙は抜き撃ちの竜とさしで腕比べをすると言いながらことごとく竜を絶体絶命のピンチから救うことしかしてない。
ライバル~宿敵と謂うより凄く頼りになる親友みたいではないか。

futeki002.jpg

本作も赤木圭一郎、笹森礼子、宍戸錠の3人の主演であり、4作目と同様に偶然なのか必然なのか、ここでは列車の向かいの席で抜き撃ちの竜とコルトの謙が出逢う。面白い設定~フォーマットである。水戸黄門や寅さんシリーズと基本変わりない。
コルトは袋に入ったスナックをいつも食べているのが4作目と違うが、サングラス掛けてカッコつけているところは様になっている。というよりこちらが段々芸風~スタイルに慣れてきたと謂えるか。ホッペはもう気にならない。
竜はジェームス・ディーンタッチで変わらずやっている。
笹森礼子はとてもしっとり落ち着いた役だが物語への絡みは次作よりは深い。

futeki007.jpg

そこへフレッシュな新人吉永小百合が竜の妹とくる。
キラキラと初々しい。
赤木圭一郎と宍戸錠のスタイリッシュでシニカルかつコミカルなアーティフィシャルな質感と笹森礼子と吉永小百合の人形のような可憐さ、更にここでも異彩を放つ藤村有弘の人を喰った片言日本語の如何わしさ、温泉にばかり浸かっている得体の知れなさが特殊な空間を作っている。よく言われる無国籍性もこんなところに感じられるものだ。
最後の海辺の洞窟での取引というのもその雰囲気を増すところ。しかも浜田は偽札を掴ませ、三島はガラスのダイヤを渡している。
この虚偽と虚構の無常で無機質な世界。その空間での乱射戦である。
シリーズを通して癖になる人が出てもおかしくない。

futeki003.jpg

ここで足を洗うことにした竜のやくざに絡む理由が自分の恋人を刑務所にいる間に殺害(列車に轢かれた事故で処理)した犯人を突き止めることである。恋人にそっくりの妹に出逢ってその気持ちはより強いものとなる。
その犯人が自分を拾って育ててくれた組の親分であったことが分かる。
浜田と絡み汚い手を使い竜を抹殺しようとするが、謙が代わりに殺してくれたわけだが、、、。
本作では、あまりに竜が甘すぎる。

futeki004.jpg

ただ不敵に笑うというが、謙は確かに要所で笑っていたが、竜はほとんど笑っていた覚えがない。
それに圧倒的に謙に助けられる場面ばかりで、彼がいなければ中盤で竜は殺されている。
撃ち殺しているのは謙であり、確かに竜は誰も射殺はしていないのだが、、、状況的に謙が撃たなければ話になるまい。
ほぼ身代わり状態で謙が警察に捕まってしまったが、ギャングとは言えあれだけ殺してしまって出てこれるのか。
また会おうぜ、と言って警察の車で去って行ったが(笑。

futeki005.jpg

何と言っても目を奪われるのはロケ地である。
「小木港のとも旗祭」がかなりの尺で映されその間を竜と船場たちの乗るボートが取引の鬼島に向い走るところは、なかなかの見どころであった。
「あばれ祭」も長回しじっくり見れた。神輿の上に子供が沢山乗せられていたのが印象的。
石川県の観光にも一役買っているようだ(スポンサーか)。
この辺も面白いところ。

futeki006.jpg

コルトの謙がいなかったら、直ぐに噺は終わっていたような映画であった。
(竜は脇が甘すぎ)。




AmazonPrimeにて






コンプリートボックス










続きを読む

第七のヴェール

THE SEVENTH VEIL003

THE SEVENTH VEIL
1945年
イギリス

コンプトン・ベネット 監督
ミュリエル・ボックス、 シドニー・ボックス 脚本
ベンジャミン・フランケル 音楽

アン・トッド、、、フランチェスカ(ピアニスト)
ハーバート・ロム、、、ラーセン(精神科医)
ジェームズ・メイソン、、、ニコラス(フランチェスカの又従妹、後見人)
ヒュー・マクダーモット、、、ピーター(ナイトクラブの楽手、アメリカ人)
アルバート・リーヴェン、、、マクセル(画家)



ベートーベン「ピアノソナタ第8番第二楽章」『悲愴大ソナタ』と言われているこのソナタ流れてくると何処にあっても立ち止まってしまう。
この映画でも、皆聴いた人は止まっていた(笑。
この曲を主題に、いくらでも物語が生まれる気がする。
何時でもいつまでも聴いていたい、そんな曲だ。

ヒロインが病院のベッドから起き上がり、夜の街に出て橋から投身自殺を図るシーンから始まる。
この映像の流れは実に洗練されていて美しい。

助け出された彼女は入院中に睡眠療法をラーセン医師により受けることに。
14歳にまで遡り彼女の人生を辿ってゆく。
一山(物語)の騙り終える度に長椅子に横たわる彼女と後方から見守る医師が浮かび上がる。
この形式も綺麗に決まっている。
凝ったカメラワーク、演出が自然に見えてとても流れが心地よい。
音楽がシーンの意味に深く絡んでくるのもこの映画ならでは。
人物の造形もしっかりなされていて、裂け目が感じられない。

THE SEVENTH VEIL002

後見人となった女嫌いのニコラスがピアノの素養のあるフランチェスカを厳しく育て上げ立派なピアニストにする。
彼女の音楽の才能を見抜き音楽大学にも入れて充分な教育の場を提供するが、束縛も半端ではなかった。
厳しい練習生活の最中ふと出逢ったアメリカ出身のフランクなピーターにこころが揺れる。
だがニコラスは、フランチェスカが交際を始め将来結婚も視野に入れていたピーターと無理に別れさせるなど、強権を振るい彼女の自由意思を阻害し、徹底して操作をする行為を緩めなかった。
彼女の心にかなりの傷を残したことは確か。
ピアニストとして成功を治め名声を得た後、ピーターの所在を漸く確かめ、逢いに行くがすでに彼は結婚していた。

ニコラスに対する憎しみとピアニストに育て上げてくれた感謝のアンビバレントな感情を抱きつつも、彼の保護~支配から抜け出さなければ自分自身の生を生きることが出来ないことは充分わかっていた彼女。
所謂、共依存関係の中に閉じ込められていたと謂える。
そこへ画家のマクセルが現れ、彼女の肖像画を請け負うこととなった。
彼女にとり彼は外(他者)~解放の象徴でもあろう。
しかし頑固にニコラスはそれを認めず妨害する。
彼女を自分の時間を犠牲にして保護し育てて来たことを殊更訴え、脅して彼女を離さないようにする独占欲丸出し状態。
ここまでくると、女嫌いの裏返しでとても厄介な歪んだ(自己)愛でしかない。

THE SEVENTH VEIL001

ニコラスが怒り狂っている最中に、二人は車で夜の街に脱出を図るが、交通事故に遭い負傷する。
彼女は手に火傷を負い、これでもうピアノは弾けないと悟ってしまう。
ここでピアノが彼女にとりなくてはならぬものであることが分かる。
(マクセルと出てゆくと意を決した彼女はもうピアニストを捨てるとまで言い放ったのだが)。
軽傷で充分治るものであるが自己暗示をかけてしまい、更にこうなってしまったことで激しくマクセルを非難する。

彼女が立ち直るには、ピアノが楽しく自分のこころから湧き上がる情熱で弾けるようになるか、にかかって来るはず。
過去のその時々の記憶~情景は音楽に封印されていた。
ラーセン医師は巧みにこれまで彼女が演奏したレコードを使い、彼女の心を解放する。
これまでに彼女に関わった男性が一階フロアに集まる中、、、
二度と弾けないと言っていた彼女のピアノが二階から聴こえてくる。
ラーセンは、彼女が弾き終わり降りてきたらホントの彼女の意中の人の胸に飛び込むでしょうと伝えるが、、、。
彼女が駆け寄ったのは。


まあ、何とも言えない噺だが、映画そのものとして綺麗に出来た作品だと思った。
古きイギリス映画の格調の高さみたいなものをその絵に味わう。



AmazonPrimeにて












拳銃無頼帖 明日なき男

asunaki003.jpg

1960年

野口博志 監督
松浦健郎 脚本
城戸禮 原作

赤木圭一郎、、、壇竜四郎
笹森礼子、、、有村道子(有村興行社長の表向きは妹)
宍戸錠、、、コルトの譲
水島道太郎、、、辻堂(清流会組長)
山田禅二、、、尾塚(有村の片腕)
藤村有弘、、、有村(清流会のライバル有村興行社長)
雪丘恵介、、、高文明(麻薬マフィア)
南田洋子、、、スミ(水島の妹、高の情婦)
木下雅弘、、、サブ(辻堂の手下)
郷鍈治、、、三島(有村興業の舎弟)


「拳銃無頼帖シリーズ」の最終作とか。
全4作と言うから、1~3も観た方が良いかどうか。ただし、一作ごとに完結しており、繋がりはなさそう。
シリーズのパタンは見えるかも。
どれもきっと冒頭に歌は入るだろう。
歌はお世辞にも上手くはない。宍戸錠も歌う。
凄いものがある。宍戸錠のホッペは先日の「探偵事務所23 くたばれ悪党ども」程気にならなかった。
岐阜の二大暴力団抗争に二人の早撃ちライバルが絡む。
赤木圭一郎、笹森礼子、宍戸錠の主演だが、ヒロイン笹森礼子の動きと出番が少なめ。

asunaki002.jpg

ここでは抜き撃ちの竜とコルトの譲の業界ツートップの早撃ちコンビが緊張感を維持する。
いきなり二人は留置場で遭うとか、出遭いが余りに都合良すぎでコミカルですらあった(笑。
抜き撃ちの竜は有村興行に雇われ、コルトの譲はそのライバル清流会の用心棒となる。
(三島が車で轢き殺される現場に居合わせたところから撃ちの竜が絡み、彼に積年の恨みを持つ辻堂が唯一対抗できる腕を持つコルトの譲を引き入れる)。
ともかく、面白いお膳立てが整う。
笹森礼子は有村道子としてヤクザの親分に囲われた深窓の令嬢でピアノを弾いている役。
彼女はその環境から逃れたい一心であるが、連れ出そうとする連中は皆尾塚に殺されてしまう。
道子はいつも連れ戻されており、竜を最後の頼みにしていた。

高の持ちかけたペイの取引をきっかけにスミの陰謀から二大暴力団のぶつかり合いとなる。
ここには当然、抜き撃ちの竜とコルトの譲が相対する団の用心棒として控えていた。
竜を狙った辻堂の銃を譲が早撃ちで跳ね飛ばす。奴をやるのは俺しかいねえぜ、と。
だがそこへ警察が介入してきて混乱状態となる。
さてどのようなド派手な撃ち合いを演じるのかと思っていたら、有村と尾塚は道子を連れてさっさと車で逃げてゆくではないか。
竜は後は頼むとか譲に言って道子の車を追って行く。

道すがら泥濘に嵌った車を外から何とかしようとしている尾塚を有村は轢き殺す(これまでは尾塚が轢き殺す役であったが)。
道子に手を出そうとしたことを知らされたためである。
有村は誰にも道子を渡したくないのだった。
(妹と言っているが養女であったのだ)。
竜がやって来て揉み合いになるがそこへ先ほどの警察が到着する。

asunaki001.jpg

最後は、漸くさしで竜と譲との一騎打ちとなるのだが、、、
ふたりの拳銃から同時に銃弾が放たれた。
どうなったのか、と思うと崖の上から二人を狙っていたヤクザが撃たれていたと。

どうやら俺たちは二人っきりにはなれねえみたいだな、と言ってかんらかんらと笑っておしまい。
所謂、永遠のライバルが親友みたいと言ったところか。
何ともお約束が次々に繋がってゆくようなコメディであった。
ヒロインをもうちょっと動かしてもらいたい。
(その分、南田洋子が目一杯悪女をやっていたが)。


シリーズの他の作品を観るかどうか、微妙、、、。
個人的にも、いよいよ忙しくなってきたところだし。





AmazonPrimeにて






コンプリートボックス

第七のヴェール

THE SEVENTH VEIL003

THE SEVENTH VEIL
1945年
イギリス

コンプトン・ベネット 監督
ミュリエル・ボックス、 シドニー・ボックス 脚本
ベンジャミン・フランケル 音楽

アン・トッド、、、フランチェスカ(ピアニスト)
ハーバート・ロム、、、ラーセン(精神科医)
ジェームズ・メイソン、、、ニコラス(フランチェスカの又従妹、後見人)
ヒュー・マクダーモット、、、ピーター(ナイトクラブの楽手、アメリカ人)
アルバート・リーヴェン、、、マクセル(画家)



ベートーベン「ピアノソナタ第8番第二楽章」『悲愴大ソナタ』と言われているこのソナタ流れてくると何処にあっても立ち止まってしまう。
この映画でも、皆聴いた人は止まっていた(笑。
この曲を主題に、いくらでも物語が生まれる気がする。
何時でもいつまでも聴いていたい、そんな曲だ。

ヒロインが病院のベッドから起き上がり、夜の街に出て橋から投身自殺を図るシーンから始まる。
この映像の流れは実に洗練されていて美しい。

助け出された彼女は入院中に睡眠療法をラーセン医師により受けることに。
14歳にまで遡り彼女の人生を辿ってゆく。
一山(物語)の騙り終える度に長椅子に横たわる彼女と後方から見守る医師が浮かび上がる。
この形式も綺麗に決まっている。
凝ったカメラワーク、演出が自然に見えてとても流れが心地よい。
音楽がシーンの意味に深く絡んでくるのもこの映画ならでは。
人物の造形もしっかりなされていて、裂け目が感じられない。

THE SEVENTH VEIL002

後見人となった女嫌いのニコラスがピアノの素養のあるフランチェスカを厳しく育て上げ立派なピアニストにする。
彼女の音楽の才能を見抜き音楽大学にも入れて充分な教育の場を提供するが、束縛も半端ではなかった。
厳しい練習生活の最中ふと出逢ったアメリカ出身のフランクなピーターにこころが揺れる。
だがニコラスは、フランチェスカが交際を始め将来結婚も視野に入れていたピーターと無理に別れさせるなど、強権を振るい彼女の自由意思を阻害し、徹底して操作をする行為を緩めなかった。
彼女の心にかなりの傷を残したことは確か。
ピアニストとして成功を治め名声を得た後、ピーターの所在を漸く確かめ、逢いに行くがすでに彼は結婚していた。

ニコラスに対する憎しみとピアニストに育て上げてくれた感謝のアンビバレントな感情を抱きつつも、彼の保護~支配から抜け出さなければ自分自身の生を生きることが出来ないことは充分わかっていた彼女。
所謂、共依存関係の中に閉じ込められていたと謂える。
そこへ画家のマクセルが現れ、彼女の肖像画を請け負うこととなった。
彼女にとり彼は外(他者)~解放の象徴でもあろう。
しかし頑固にニコラスはそれを認めず妨害する。
彼女を自分の時間を犠牲にして保護し育てて来たことを殊更訴え、脅して彼女を離さないようにする独占欲丸出し状態。
ここまでくると、女嫌いの裏返しでとても厄介な歪んだ(自己)愛でしかない。

THE SEVENTH VEIL001

ニコラスが怒り狂っている最中に、二人は車で夜の街に脱出を図るが、交通事故に遭い負傷する。
彼女は手に火傷を負い、これでもうピアノは弾けないと悟ってしまう。
ここでピアノが彼女にとりなくてはならぬものであることが分かる。
(マクセルと出てゆくと意を決した彼女はもうピアニストを捨てるとまで言い放ったのだが)。
軽傷で充分治るものであるが自己暗示をかけてしまい、更にこうなってしまったことで激しくマクセルを非難する。

彼女が立ち直るには、ピアノが楽しく自分のこころから湧き上がる情熱で弾けるようになるか、にかかって来るはず。
過去のその時々の記憶~情景は音楽に封印されていた。
ラーセン医師は巧みにこれまで彼女が演奏したレコードを使い、彼女の心を解放する。
これまでに彼女に関わった男性が一階フロアに集まる中、、、
二度と弾けないと言っていた彼女のピアノが二階から聴こえてくる。
ラーセンは、彼女が弾き終わり降りてきたらホントの彼女の意中の人の胸に飛び込むでしょうと伝えるが、、、。
彼女が駆け寄ったのは。


まあ、何とも言えない噺だが、映画そのものとして綺麗に出来た作品だと思った。
古きイギリス映画の格調の高さみたいなものをその絵に味わう。



AmazonPrimeにて












続きを読む

探偵事務所23 くたばれ悪党ども

23 001

Detective Bureau 2-3
1963

鈴木清順 監督
山崎巌 脚本
大藪春彦 原作


宍戸錠、、、田島英雄(探偵事務所23署長、田中名義で潜入)
笹森礼子、、、千秋(畑野の愛人、ガソリンスタンド元持ち主の娘)
川地民夫、、、真辺孝一(ギャング)
金子信雄、、、、熊谷信雄(一課の警部、佐藤神父)
佐野浅夫、、、田島神父(田島英雄の父、田中神父)
上野山功一、、、吉浜耕三(田島の部下)
初井言栄、、、入江(田島の協力者)
楠侑子、、、ミサ(真辺の情婦)
信欣三、、、畑野(ガソリンスタンド社長、ギャングのリーダー)
星ナオミ、、、サリー(キャバレーの踊り子、田島の協力者)
伊藤寿章(澤村昌之助)、、、西村
土方弘、、、堀内


「くたばれ悪党ども」がよい!わたしも全く同感。
くたばれ悪党ども!である。ホント(爆。
(今日も昼間からその手のアホが暇そうに近隣を徘徊していたみたい。わたしは周波数の関係で遭うことは無いが(笑)。

23 005

宍戸錠の映画は初めて。
石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎なら分かるが、この人そんなに二枚目であろうか。
確かに身のこなしとか、(人を食った)演技は上の彼らよりうまい感じはするが、、、。
ホッペが可愛くて女性にもてたというのなら充分納得である。

笹森礼子が影のあるストイックなクールビューティーで登場しており、3作観た中では、一番素敵であった。
但し今回の相手は宍戸錠であるが(赤木圭一郎はすでに1961に亡くなっている)。
丁度、宍戸と笹森が陽と陰という対比でドラマにバランスを保っている。
基本はハードボイルドタッチで進むが、最後は「僕の事務所で働かないか?」「わたしでよければ」である。
(彼女なら有能な探偵になれるはず。物語中も関係者を尾行して潜入中の田島の素性を調べ上げていた)。
まあ、そういうエンディングの方が仄々していてこちらも気持ちよいが。
ツンデレサスペンスアクション。

23 008

ヤクザ同士の武器弾薬の取引中に襲い掛かり両者の持つ武器と金の両方を頂いてしまうメタヤクザが現れる。
取引ヤクザは双方とも全滅しハゲタカみたいなヤクザは運転していた真辺ひとりが警戒中の警察に捕まってしまう。
第三者ヤクザの存在をいち早く嗅ぎ付けた田島が一課の熊谷警部に噺~共闘を持ちかける。
(私立探偵と警視庁が共同で犯人捜査と検挙に当たるなんてこと、あるのか)。
しかしどう見ても警察より一歩情報を先取りしている。
結局、田島探偵を小型盗聴器やピストル偽名(田中)のパスポートを渡し、潜入捜査させることに(うっそ~っという流れだが)。
釈放された真辺を囮に新たなやり手のヤクザ組織に入り込む。知略の畑野が指揮を執る相当ヤバい連中だ。

23 004

スリルとサスペンスに富んだ緊張感溢れる展開を想うが、人を食った宍戸錠~田中(田島)である。何かのんびりカッコつけて悠々とやっている。途中のキャバレーのシーンでは、昔の女サリーとコミカルで粋なダンスなんぞを披露したりと、、、
あまり緊迫感がない。間違っても手に汗握らない(笑。
更にわたしの贔屓の信欣三演じるリーダー畑野が用意周到、悪知恵では上を行き、情報を盗聴により攪乱され常に一手遅れる。
(つまり田島も盗聴した情報を警察に送るが、畑野も盗聴により偽情報などを巧みに流す。やはり情報戦如何で勝敗は決まる)。
しかし畑野の悪さ加減は相当なもので自分の女にしている千秋は今アジトにしているガソリンスタンドのオーナーの娘で、父親を殺害して乗っ取ったものだという。彼女は、密かに復讐を果たすために畑野のもとに留まっているのだった。
この地下に取引中のヤクザから奪った武器弾薬を隠し、売りさばくための倉庫まではガソリンタンク車に入れて運ぶという。
流石にタンクの中に入れるとは思われない。警察もノーマークであった。

23 006

畑野に閉じ込められた地下室で千秋もろとも焼き殺されそうになるが、スタンド前のキャバレーから監視中の警察に分かるよう、マシンガンで地下から地上に向けて穴をあけ助けを求める。何とも。そこから吹き出る煙でSOSである。そして盗聴データを熊谷に手渡し、奴らを出し抜く手があるとほっぺを膨らます。
タンク車で向かった倉庫に先だってまんまと取引中にやられた桜組と大槻組を向かわせるのだ。この策は流石に警察からは出せない。これで三つのヤクザを一気に潰せるというもの。
警察は暫く高見の見物をして連中が充分潰し合ったところで一斉検挙である。

そして最後の田島と千秋の車でのデートとなる。
何だか爽やかな感じであった。
笹森礼子はこういう役が合っているような気がするが、、、。
もう少し見てみないと。



AmazonPrimeにて





 
 欧米版





セールスマンの死

Death of a Salesman005

Death of a Salesman
1951
アメリカ

ラズロ・ベネディク 監督
スタンリー・ロバーツ 脚本
アーサー・ミラー 原作

フレデリック・マーチ、、、ウィリィ・ローマン(63歳セールスマン)
ミルドレッド・ダンノック、、、リンダ・ローマン(ウィリィの妻)
ケヴィン・マッカーシー、、、ビフ・ローマン(長男)
キャメロン・ミッチェル、、、ハッピー・ローマン(次男)
ハワード・スミス、、、チャーリー(ウィリィの旧友、バーナードの父)
ドン・キーファー、、、バーナード(ビフの友人、弁護士)
ローヤル・ビール、、、ベン(ウィリィの兄、鉱山を掘り当てた冒険家)
デビッド・アルパート、、、ハワード・ワグナー(ウィリィの上司)
ジェシー・ホワイト、、、スタンレイ(ハッピー行きつけのバーのウェイター)


フレデリック・マーチの鬼気迫る怪演に目が釘付けとなる。
彼の圧倒的な演技~パワーに皆が引き寄せられ生まれた空間に思える。

原作は未読。マリリン・モンローの夫であるアーサー・ミラーによるもの。
ウィリィ・ローマンの壊れかけの精神~心象世界をメインに進行する。
現実と回想(場合により妄想?)が交錯しながら破綻へとひたすら向かう。
老い(蝕まれた精神)と子育ての問題が重く深く絡まり。
ただここでは、妻が気丈にカオスに向かう家族を凄い忍耐力で支え続けてゆく。
(夫の側に就いてしっかり支えた妻~母ではある、、、)。

Death of a Salesman001

遠距離出張続きの毎日で、車の運転も覚束なくなる。
心身ともに疲弊しきっていることが見て取れる。
しかもこれまでのお得意様も老いて世代交代したり亡くなってしまっていたりで、営業成績は下がるばかり。
上司も息子の代となりウィリィにはいたって冷淡であった。
固定給から歩合制になり経済的にも追い詰められてしまう。
給料と長年に渡って蓄積された心身の疲労を訴え、妻にも勧められ内勤を願い出るが、逆にクビにされてしまった。

ひとつとても気になったのが、「ひとから好感を持たれることだ」と息子にも自分にも言い聞かせていたことだが、セールスマンならではの信条なのだろうか。その他者の目を前提とした自我~パーソナリティの作り方は、当然息子たちに大きな影響を及ぼす。
とっくに成人を迎えた息子二人が未だに自立しておらず、暢気な夢を騙っている。
長男はハイスクールで数学で落第点を取り、それを父に伝えに行ったホテルで浮気現場を目撃してしまう。
常に他者からは良く見られなければならないと教育されその通りに生きて来た息子にはもうどうにもならない挫折と幻滅であろう。
彼は、今なら引き籠りか、ここでは放浪に出てしまう。
ハイスクールのフットボールをやっていた頃までは花形選手で注目されていたようだが、その後は実質潰れてしまった。

Death of a Salesman002

長男に対しその後も父は、いつまでもその頃のことを持ち出し、お前はスターの資質があり、人々に持て囃される才能があると過大な評価をして自分の望む方向に操作しようとしてきた。
弟の方は端からその期待には応えられない姿勢を見せて口先だけうまいことを言って逃げ、その場を常にやり過ごして遊んでいるモラトリアム息子となる。
彼らの自立を悉く阻害してきた自分の責任であることに父は最後まで気づかない。
親とは兎角そうしたものである。長男が親元を離れるしかなかった必然性を汲み取れないのだ。
自分を直視し自分の感じること考えること好きなことを自分自身が認めずに自らの生を生きることなどできない。
当然、自立はその上で初めて可能となる。
この兄弟はちゃんと反抗期~親の幻想の切断を通過してこなかった。

最後の最後に、長男が父に抱き着き、あなたを憎んでなどいない。ただ自分に幻想を押し付けないでくれ、と泣いて懇願する。
これで初めて父は息子が自分を憎んで言うことを聞かないのではないことを悟る。
カネさえあれば、という場面があったが、確かに裕福なら、しこりはあっても何となくうやむやに過ぎて行ってしまうケースが多いであろう。
父の妄想に度々メンターとして現れるアフリカで鉱山を掘り当てた自慢の兄ベンは、彼の超自我であろう。
ベンが、保険金で家のローンその他の支払いを済ませてしまえとメッセージをくれる。
ビフとの険悪な関係が解け理解はともかく受け容れられるものとなったところで、彼はベンに従うことにした。
直ぐに休んでという妻の言葉を振り切り、ウィリィは狂気の目つきで車を夜の街路に飛ばす。

Death of a Salesman006

家族とチャーリー以外誰も来ない葬儀の場で、墓を前にリンダは「漸く全てから(ローンなどから)自由になったのに住むべき人だけがいない」と嘆く。
根っからのセールスマンであったのだ。移動し続け消耗して果てる。
落ち着くところは墓しかない。


噺の内容は勿論であるが何をおいてもフレデリック・マーチの存在である。
彼によってこの映画の格が上がっていることは確か。
これを観てしまうと、ここ最近観た邦画など全てすっ飛んでしまうしかない。




AmazonPrimeにて












錆びた鎖

sabi001.jpg

1960

斎藤武市 監督
池田一朗、秋元隆太 脚本


赤木圭一郎 、、、長岡英二(次男、学生)
笹森礼子 、、、冬木美枝(従妹、学生)
小沢栄太郎 、、、長岡康三郎(父、荷役会社社長)
轟夕起子 、、、長岡時子(母)
小高雄二 、、、長岡健一(長男、新社長)
宮城千賀子 、、、井上正緒(キャバレー、スタンキイのママ、英二の実母)
白木マリ 、、、沢村加奈子(会社秘書、健一の愛人)
大坂志郎 、、、水原泰三(金融業者、長岡企業の専務に収まり乗っ取りを企む)
近藤宏 、、、松井保(暴力団ボス、パクリ屋、水原と通じる)
杉山俊夫 、、、松平政吉(ウクレレと歌が得意、港湾労働者)
西村晃 、、、ぐちりの平太(港湾労働者)
三島雅夫 、、、馬場吉太郎(長岡に世話になった会社社長、乗っ取り一派)


初っ端からまた赤木圭一郎が歌いまくる。
昨日(幌馬車は行く)ほどではないが。こちらの歌の凄いこと、、、
「若さがいっぱい、青春、若い青春とか、そればかりの歌詞。青春謳歌などというより、こんなものどこのバカが作るんだろうとほとほと感心する類のもので、彼はどんなつもりで歌っているんだろうとちょっと心配になる(おれは嫌だね、とは言えぬ立場か)。

この歌でハードルは極端に下がったが、噺の中身はよく出来ていて見応えがあった。
わたしにとって新鮮なものであり、見せ場の続く弛みの無いかなりの力作である。
特に兄弟間の葛藤が色濃く描かれてゆく。
スタンキイのママの存在も何とも言えない、、、。
「エデンの東」も匂わせるところ。
笹森礼子演じる 美枝は兄弟間を揺れ動く役回りであるが、さほど深く物語に関わらない。
(彼女のファンには面白い映画ではないかも)。

sabi003.jpg

会社の乗っ取りを企む者たち(この中には生前父にずいぶん助けられた社長などもいる)、やくざのパクリ屋の暗躍。
沖仲仕というか港湾労働者の過酷な生き様も垣間見える。
しかし搾取された手形のサルベージをその道の人に頼んでいたが、暴力で強奪されたものであり、警察には通報しないのか。
湾岸特有の危うい企業の姿~関係性も感じられた。
それに加え長岡家の事情も絡む。
何と(パクリ屋に謀殺された)亡き父が頼みにしていた次男は、キャバレーのママ、正緒が実の母であった。
この事実から更に兄弟間の葛藤も深まる。
結局、このママが大金持ちで、長岡家に2000万円を貸してくれることに。

手形を長男が強奪され、奪った松井組の者の計略により父が殺害され、その後は手形をちらつかせた乗っ取り軍団~直接には水原にやられっぱなしとなり、会社は実質彼の思うままに経営され、完全営利最優先となり、沖仲仕たちの怒りは最大級に膨れ上がる。
新社長の健一は彼の傀儡であり、労働者の信用はゼロ。
誰もが次男英二を頼みにする。英二は一向に交わろうともしない兄と違い、沖仲仕と寄り添い深く関わっていた。
更にママが融資してくれたのも彼が実子であったからだ。
(兄の方は従妹の美枝と結婚し彼女の家の財産をあてにするつもりでいた)。
とは言え、乗っ取り組の犯罪はどう片が付くのかと思っていると、、、

sabi002.jpg

まさかこんな医者はないだろうというような暴力団の後始末役の薬中の医者によって父が殺害されたことがバレる。
父を嵌めた男が同じ医院で何れも心臓疾発作で突然の死を迎えていたのだ。
怪しいところをつつくと必ず重要な情報が掴める。松井組が実働隊として動き、水原と繋がっていることなども、、、。
(父に恩義を感じていると親切そうに接してくる社長もその乗っ取り団の一人であったり)。
そして向こう見ずな英二が直ぐに殴り込みをかける。
殴り合いのラフファイトと何故か感傷的にボートで海に乗り出すシーンなど、このへんは太陽族のタッチか。
最後は長岡兄弟がわだかまりを克服して固く手を結び、沖仲仕と協力して敵を倒す。

結局、美枝はどうしたのかは分からないまま(本作ではヒロインは余り重要な立場にいない)。
まあ、弟の方に行ったはず。
もう少し赤木圭一郎と笹森礼子作品にあたってみたい。



AmazonPrimeにて




結局、お子様用スタディパソコン買う (02/20) の”mouse E10”







幌馬車は行く

Ginza Tomboy003

Ginza Tomboy
1960

野口博志 監督
直居欽哉 、窪田篤人 脚色
中江良夫 原作

赤木圭一郎、、、野上雄介(孤独な青年)
笹森礼子、、、十美(山善の孫)
芦田伸介、、、山善(移動養蜂団の団長)
水島道太郎、、、鬼島(ギャングのボス)
郷えい治、、、柄政(鬼島の一の子分)
待田京介、、、岸本(鬼島の子分)
楠侑子、、、あけみ(鬼島の情婦)


石原裕次郎のケガによる代役で出た映画の休憩中にゴーカートの事故で21歳の若さで他界した赤木圭一郎主演映画。
「和製ジェームズ・ディーン」と呼ばれていたそうだが、確かに運転する車での事故死という悲運もそうだが、圧倒するオーラの点でも同等な存在に思える(ジェームズ・ディーンも24歳で自動車事故で亡くなっている)。
ヒロイン笹森礼子とはこれが共演3回目とか。全部で7作ほどはW主演しているみたいだ。
W主演は確かに絵になるが、お似合いカップルかというと、タイプが違う気はする(大きなお世話だが。

噺は良く出来ていてスリリングで起伏があり面白かった。
深手を負った天涯孤独の野上雄介という男が移動養蜂団に助けられ、そこで人々の優しさや美しい女性からの愛情に触れ人生を生きなおそうとする物語。幼くして両親を亡くした彼は少年のころ運悪くギャングのボスに拾われ、その組織から抜けることが出来ずに列車強盗の片棒まで担ぎ、銃撃戦で負傷してしまったのだ。
しかし、全編が幌馬車による荒野の移動、列車強盗、ウエスタンスタイル、拳銃にナイフ使い、ボスと情婦、如何にもそれ風のバー、話の流れすべて西部劇の踏襲なのだ。ここまでこだわるのだから結果的に無国籍調となり抽象的になって何か楽しくなる。
そもそも移動養蜂団というのがファンタジックである。笹森礼子女史の蜂や蜂蜜についての蘊蓄もあり、なかなか興味惹かれる移動集団である。こんな集団と生活を共にしたいと自然に思えてきてギャング団から足を洗おうとする野上。
だが、それを嗅ぎ付け彼を利用して養蜂団に紛れ込み違法のブツを運ぼうとするギャングたちとの攻防戦が展開することに、、、。

Ginza Tomboy002

山善の団長とその孫娘の十美は野上の人間性を見抜き彼を信じ、警察が強盗を探し回る中、徹底して庇う。
彼もそれに応えて一向に打ち解けてゆくが、ある時彼の居場所を警察より目ざとく見つけだしたギャングたちが彼を伝手に移動養蜂団に強引に入り込んで来てしまう。蜂を中心に移動のコース、タイミングを組む彼らであるが、蜂ではなくギャングの都合で銃を突きつけられて動く羽目となりパニック状態になる。しかし武器を持った多勢を相手に養蜂家たちの立ち向かう術はない。
そうなってくると、親切に接してきた山善団長や孫の十美も野上を疑い敵視し始める。
これには、こちらもハラハラし、何とかならぬものかと思う(笑。

とても興味深かったのは、資金供者社~スポンサー?の宣伝がいろいろな形で映画の中に入ってくるところである。
この辺、別に話の流れを邪魔することはないが、何とも言えない(笑。
非常に厳しい状況に追い込まれている養蜂家たちであるが、とうとう産気づいてしまう夫人も出てくる。
そこで、ギャングに恩義を感じていた野上も奮起し、養蜂家たちを救うべく行動に出るのだ(もっと早く出ろと言いたいが)。
これがまるで西部劇の逃げる幌馬車と追いすがる悪党の馬とのチェイスそのものである。
だが背景がそこそこ荒涼とした土地ではあるが、長閑でもありあまり殺伐とした感じにもならない。
無国籍な雰囲気はよく出ていた。

Ginza Tomboy001

西武劇の定石を守り、展開して行くが、最後に自分が殺したと罪悪感に駆られていた窯担当の男を撃ち殺したのはボスであり、彼が仕組んだことを知る。洞窟に追い込まれたボスとナイフ使いの手下を野上は説得して警察に受け渡そうとするが、結局ふたりは同士討ちの形になって最期を迎える。
野上は列車強盗団の一味であったことから警察に逮捕されるが、また移動養蜂団に戻ってくることを約束し母の形見を十美に手渡し連れてゆかれる。それほど待たずに戻って来られるはずだ。人も殺してないし、警察にも協力した。

ともかく応援したくなるキャラである(笑。主演の二人とも。
芦田伸介が情が深くとても頼りになる良い役であった。


また機会があれば、このW主演の映画は観てみようと思う。
この映画くらいよい内容であれば言うことない。
(フィルムの痛みはかなり酷く、途中で何か所も映像が飛んでいた。貴重なフィルムの保存管理は重要課題だ)。




AmazonPrimeにて





結局、お子様用スタディパソコン買う (02/20) の”mouse E10”







少女

syoujyo001.jpg

1961

堀池清 監督
石坂洋次郎 原作
池田一朗、森本吉彦 脚本


笹森礼子、、、秋元カネ子(17歳の少女、小説家志望)
川地民夫、、、八代由造(八代家の長男、カネ子の従兄、ペット吹き)
殿山泰司、、、八代正助(父、バイク屋経営)
堀恭子、、、秋元美佐子(カネ子の姉)
田代みどり、、、秋元タカ子(カネ子の妹)
杉山元 、、、八代良助(由造の弟)
初井言栄 、、、八代おてつ(正助の妻)


映画に疎い為、笹森礼子という女優さんをこの映画で初めて知った。
今、活躍している若手女優と変わらない雰囲気の人で驚く。
タイプは違うが、今新進女優で活躍していてもおかしくない印象受けた人に「風のある道」の清水まゆみがいたが、、、まだまだ知らない有名女優は多い。
この笹森礼子女史は、若いうちに引退してしまったそうだが、それでもかなりの本数の作品の主演をしているという。
彼女の主演作を他にも当たってみたい。フィギュアスケートはかなりのものである。
ともかく、溌溂としていて清々しく、引退が早いということは、フレッシュなまま身を引いたということか。
おばあちゃん役でとても深い味わいを醸す女優さんもいるが、そちらの方向は目指さなかったということだ。
それも好い選択かも知れない。

殿山泰司はどこでもいつでも似たようなおじさんであり安心できる。
川地民夫もいまひとつ頼りにはならぬが気の良いお兄ちゃん役が嵌っていた。
愉快なほのぼのコメディであった。
但しちょっと流れが荒っぽい感じもした。
脚本、演出の関係もあろうが(役者の造形も含め)結構ぶっきら棒である。
と言うより誰もがちょっと薄っぺらい。

東北の田舎から上京した娘であるが、小説家を志している。
親戚の家に居候して職を探すのだが、、、。
慣れていないということは怖いものなしでもある。
カネ子はいきなり憧れの作家の家に行ってしまう、、、あわよくば弟子にしてもらえるかと思っていたが。
「ここにいてはものは書けない。小説書くにはねえ、まず生きることだ」
書生として図書室に籠っていては、人生は書けないよ、ということであろうが、、、。
純粋培養の図書宇宙から生まれる文学空間も面白い気もする。

彼女は職種を問わず前向きに働いてみる。
素朴で率直なお転婆娘のまま自分を曲げずに。
他者の中で揉まれてみるのも、より自分の感覚や思考~思想が明瞭になるし良いことには違いない。
結構しっかりはしているが、美容院の務めでどれくらい虐められたのか分からぬが喧嘩して辞めてしまう。
取っ組み合いを先輩相手にするも、バトルにそれ程の迫力はない。
相手をやっつけたはよいが、仕事は一区切り、母の病気で故郷に一時戻ることに。
(憧れの作家の先生にも幻滅し、仕事の辛さもとりあえず味わった)。

突然、従兄のペット吹きの由造が、おれカネちゃんのこと好きなんだとくる。
どのへんで好きになったのかはよく分からないが、何かと絡んでいるうちにそうなったか。
美容院を辞めて実家に戻ったカネちゃんは長閑な東北の田舎で農作業に新鮮な気持ちで勤しむ。
そこへ、東京から由造もやってきて一緒に気持ちよさそうに働く。
そして仕事の合間にプロポーズ。
結局受け容れるカネ子。
(しかし17で都会に一人出て働いてみたり、ビール吞んでしまったり、キャバレー務めを始めようとしたり、プロポーズされたり、ちょっと早いと思うが)。
夕日を後に荷馬車で刈った草に寝そべりふたりで将来を夢見ながら語り合う。
東京に帰ったら今度は由造の会社で一緒に勤めることに(同じ会社の共働きか)。

これはこれで良いのだけど、、、。
今一つ描き込みが足りない感は否めない。
全体に脚本、演出の弱さが気になった。
他の笹森さんの作品はどうなのだろうか、興味はある。



AmazonPrimeにて




結局、お子様用スタディパソコン買う (02/20) の”mouse E10”




白夫人の妖恋

The Legend of the White Serpent001

The Legend of the White Serpent
1956

豊田四郎 監督
八住利雄 脚本

池部良、、、許仙
山口淑子、、、白娘
八千草薫、、、小青
徳川夢声、、、法海禅師
上田吉二郎、、、王明
清川虹子、、、姣容
田中春男、、、李公甫
東野英治郎、、、芽山道人
左卜全、、、仙翁


とてもアーティフィシャルな箱庭的なセット撮影でファンタジックな魅力に溢れていた。
特撮には鬼気迫るものを感じる。特に水と炎の表現において。これは白娘の感情ともシンクロする。
VFXに魂が籠る、CG以前ではもう最高度の出来栄えだろう。
(最後の迫りくる洪水と実物大の金山寺の最上部を襲う水の相互の臨場感にはお疲れ様と言いたい)。
キャストも申し分ない。

The Legend of the White Serpent002

特に池部良、山口淑子、八千草薫、東野英治郎の織り成すドラマはとても見応えがある。
山口淑子の豊かな感情表現には圧倒された。特に目力である。
こういうのを演技というのだと感心する。
池部良の右往左往する優柔不断なヘナヘナした演技も素晴らしい。
若手女優である八千草薫の溌溂とした可愛らしい演技にも惹きつけられた。
東野英治郎の如何にもという頼りきれないうさん臭さがまた良い(世話をやいてくれるのかと思っていたら最後に突き落とすところなど)。

The Legend of the White Serpent003

左卜全の仙人には参った。本物の仙人だった(笑。存在自体で完結する。
今、見た目からしてこんな怪演出来る役者っているだろうか(地のままとも言えそうだが)。
徳川夢声はラスボスの威厳が感じられたが、そもそも蛇ってそんなに悪者なのか。
「ひとりの女がひとりの男を愛しただけなのです」。これがお偉いさんにとっては邪道であるのだ。
白娘の一途で強靭な愛によりさんざん彷徨った許仙も本当にこころを開き、「わたしはこれまで一体何を恐れ、何を憎んでいたのか」とハタと気づく。
そして誰が何と言おうと自分を純粋に愛してくれた者と共にすることを選ぶ。
蛇と人が愛し合って何が悪いと、、、。
こういった泥沼の闘争を経て多様性が獲得されてゆくのね。とつくづく思う。

The Legend of the White Serpent004

常識を越えた愛を貫くことは、どれほど大変か。
「人の世ではわたしの幸せは望めない」と語り、許仙の魂は白娘とともに蓬莱の島へと昇ってゆく、、、。
美しいエンディングである。


良い映画であった。



AmazonPrimeにて











雪の降る中

snow001.jpg

まさかの寒の戻りか、、、。今日は外に約束が二つあり、わざわざ雪の中を出向くことに。
どちらも徒歩で。二件目の時は似たような傘が複数あり帰りに戸惑う。
晴れて汗ばんだ日も(あの時はすぐ前方を歩く人は半袖だった)二つばかり要件があり出掛けていたものだ。
帰って全部服を取り換えた。汗びっしょりなのだから。

ちょっと出歩き難い突飛な日にばかり用がある。
スケジュールにあるのだから仕方ない。
数日の隔たりなのに、気温だけでない光景の飛躍だ。
我々自身もこれくらいのジャンプが出来たなら凄いもの。

snow002.jpg

まあ、わたしも毎日、違うことに取り組むようになってはいる。
良いか悪いかはさておき。
基本、その都度、自分のやりたいことを無理せずやる。
これに尽きる。尽きるのだが、清々しさとは感覚が異なるのだ。

またそれが自分の知識を増したり技能を高めたりする類のdisciplineにもなっていない。
データがひたすら貯まる方向の趣味~ルーチンで、解放とはまた違う。
これは何であっても、この次元に自らを縛り付ける作用しかないのでは、、、
と思うと早速違うことを考えようと思うものだ。そう思い始めたところ、、、。

snow man

もう十字路の信号待ちなどで、低周波ねずみ男に出くわしたくは無い。
映画を観てブログを書くことも続けては来たが、それでわたしの現実に何か変化が齎されただろうか。
別に映画鑑賞は、それ自体で完結してよいものだ。それについて感想を書いても確認に終わることは多い。
何か作る~未知の領域に開く、ことが抜けてるなあ、と思うこの頃。

さっき観た映画は、「ティント・ブラス 郵便屋」という脳味噌蕩け出たようなもので、それについては書く言葉もない。
日本の映画なら恐らく湿り気、闇、背徳感などの加味されたものとなろうが、イタリア物はカラカラに乾いていて、真昼間太陽が燦燦と輝いていて、ひたすら快楽の追求で(刺激の為の背徳をプラスしはするが)、生理現象にも近い。新しさがない。
未知なるものことに向かう思考が絡まないと文にならない。

(イタリア映画もここまであっけらかんのおバカ映画もあるのだ)。
ともかく何を作るかが問題だ。
そう思うきっかけにはなったか、、、。
雪は止んだ。


snow.jpg



眠りの狭間で

StrawberryMoon001.jpg

眠りの水面に何度も着水しては、離れの低空飛行をしていると、何かが引っかかってくるかと思っていたが、それは無い。
そんなにやすやすと何かは来ない。
催眠商法みたいなやり方で、最近はチャネリング商売も流行ってきているみたい。
あなたも簡単にチャネリングが出来る(笑。
皆、何かに縋りたいのか。

繋がったらお金が儲かった、欲しいものが手に入ったとか言ってる。
結局、そこに落ち着くか。
その為、お金を払ってセミナーに何カ月も費やす。
マインドコントロールではないか。
宇宙人とは、実はおまえか(爆。

まあ、いろんな商売が流行るが、人心コントロールによるものばかり。
あなたは、チャネリングが出来ないのか?
ならばわれわれの仲間に入って、同志やメンターのもと、セミナーに励むしかない。
チャネリングが出来ることが前提~目標なのかい?
わたしも興味はあるが、常に誰かの声が脳裏に囁き掛けるなんて御免だ。
病気だ。(突然自然に繋がったひとの話を聴くレベルで充分だ)、

呼んだら来るにせよ、内面から監視されてるみたいではないか。
かなりヤバい連中だぞ。
ただし、ホントに必要なもの(必ずしも欲しいものとは限らない)が必要なだけ手に入ることは必要だ。
そこが何とかなっていて、後は少し前方が見据えられた飛行が出来ていれば、超低空飛行でも良しとする。
そう思っていないと、足を掬われる。
沈没するだろう。


変な宇宙人に囁かれてしまう(爆。
兎も角、眠い。
9割がた既に眠っているかも、、、。

おやすみなさい。


moon.jpg



結局、お子様用スタディパソコン買う (02/20) の”mouse E10”



四つの恋の物語

4koi003.jpg

1965

西河克己 監督
源氏鶏太 原作
井手俊郎 脚本


芦川いづみ、、、三沢一代(長女)
十朱幸代、、、三沢二美子(二女)
吉永小百合、、、三沢三也子(三女)
和泉雅子、、、三沢志奈子(四女)
笠智衆、、、三沢平太郎(父)
浜田光夫、、、久保隆太(三也子の幼馴染)
関口宏、、、尾崎良彦(三也子の彼氏、父の部下)
藤竜也、、、長田吉夫(二美子の元カレ)


何と言うか、面白かった。
芦川いづみはもうすっかり落ち着いてしまって、しっとりとした渋さを出していた。
十朱幸代は、少し陰に籠っていて重くて暗い感じ、、、。
吉永小百合は、溌溂としていてとてもチャーミングで綺麗であった。
和泉雅子は、後の冒険家となる危険性をしっかり醸していたが、競馬で儲けたり、グライダーを乗り回したり、やんちゃだが素敵である。

4つの恋というのが、長女は定年退職した父より少し若いくらいの男と不倫中(離婚経験あり)。
二女は倒産寸前の町工場の二代目と付き合っていたが、向こうが上の会社の社長の娘と結婚してしまう(金目的で在り悲惨)。
三女は申し分ない金持ちの社長の息子に見初められかなり進展するが、人は良いが要領の悪い幼馴染の面倒を見ているうちにそちらを選ぶ流れとなってゆく(絶対将来苦労することが見えている)。四女はグライダーに夢中で、それどころではない(一番清々しい存在かも、この映画では最も魅力的な存在であったが。人間との恋はしていない)。
ではもうひとつの恋は、、、というと父の老いらくの恋である。これは単に退職金目的で騙されそこなって終わりを遂げる(笠智衆の芸歴の中でもっとも不甲斐ない父を演じてしまった、、、トホホ)。タガが外れ自由を満喫しようとした心の隙を突かれたのだ。
ともかく賑やかで元気で楽しい映画であった。

4koi001.jpg

何をか考えさせられる類の映画ではないが、情に絆され経済面に限らず将来厳しそうな道~相手を選ぼうとする三也子がとても心配になった(笑。
お金持ちの息子が思いの外好青年でもあり、向こうの方が親としても安心であろうに、やはりそう行くのね、というよくあるパタンである。但しお金持ち両親がやたらと上から目線なのは少し気になった。
長女も最後には愛人をやめ、父の退職金を利用してスナックのママをやる決意をし、希望を持った前向きの姿勢を示す。
二女も踏ん切りをつけて、前に進もうとする。
父は、もう自由なんてたくさん、といって危うく騙されるところは回避する。まあ良い味はいつもながら出してはいるが、善良だがコミカルなおやじになったもんだ。いくらコメディだからと言って笠智衆がそこまで砕けなくても、という感じはした。

カーレースが趣味のお金持ちの息子とグライダー娘の四女は結構お似合いな感じもしたが、ちょっと向こうの親が許さないか。
隆太が喧嘩で二度も入院したり、二女が失恋したりの何のと、色々騒ぎもあったが、そんなこれまでのイベントを全て俯瞰して祝福して旋回するような四女志奈子のグライダーが爽快で心地よいものであった、、、。

4koi002.png


疲れているときに観るとすっきり出来る作品かも。





AmazonPrimeにて









風のある道

kaze002.jpg

1959

西河克己 監督
川端康成 原作
矢代静一、山内亮一 脚本
池田正義 音楽


大坂志郎、、、竹島高秋
山根寿子、、、竹島宮子
北原三枝、、、竹島恵子
芦川いづみ、、、竹島直子
清水まゆみ、、、竹島千加子
小高雄二、、、矢田光介
相馬幸子、、、矢田菊代
葉山良二、、、小林甚吉
芦田伸介、、、小林雄之助
信欣三、、、近藤先生


先が充分読める安定した流れに見えて妙にしっくりこなかったのは、やはり「音」である。

マヒナスターズの主題曲がシュールかつオカルティックで不安な出だし、、、。途中のBGMも充分シュールであった。
3女千加子を演じる清水まゆみがヌーヴェル・ヴァーグの女優みたいな雰囲気で妙に素敵なのだが、ちょっと浮いた感じ、、、。
美脚際立つ可憐な容姿だけでなく、何でもはっきり言い行動力も半端ではないフランス女優みたい。他の人は皆日本的なのだが。
お父さんの竹島高秋演じる大坂志郎はとても味のある粋な役で一番惹かれた。
わたしが笠智衆とともに贔屓している信欣三も如何にもという近藤先生で嵌り役で安心した。
小高雄二はどの映画でもこんな風に危ないパーソナリティになることを確認(実生活では清水まゆみと結婚したそうだが)。
小林役の葉山良二は、その風貌から「いいひと」という感じだが、ここではまさに絵に描いたような「いいひと」であり、、、。
ヒロインの直子は妹の千加子に背を押される形で、婚約者矢田(小高)とアメリカに行くところ、ブラジルに行く小林の胸に飛び込む。これは勿論予定調和であるが、ずっとこちらもやきもきされたところで、ストライク!となり、ほっとさせられるのだが、、、。

このラスト、直子と小林をしっかり繋いだ3女千加子のクールな計らいにちょっと感動した矢先にまたしてもマヒナスターズの曲が被り、シュールでオカルティックな世界に引き釣り込まれる。
感動は瞬時に吹き消された。
恐ろしい呪いのような歌だ。
思い返しても、これほど特異な歌はこれまでに聴いたことがない。
トラウマにもなりかねない音だ。
日本にかつてこのような曲が存在したのだ。

kaze001.jpg

ということで、文脈を揺るがす~はみ出る物理的な要素はあるのだが、噺はそんな偶然もあるものかと思うが、よく出来ていて納得できる。そして親の体験に基づく想いと娘の意志との葛藤もよく分かるものである。
確かに。ここは高秋お父さんの自分たちの見栄や外聞より娘の本当の気持ちを大事にする姿勢には共感した。
そしてそれに実質的にテコ入れする千加子がキーパーソンで、トリックスターみたいに動き回る。
(そうスケープゴート的な役割を担ってもいた)。

兎も角、芦川いづみは安定した役作りで彼女のイメージをしっかり踏襲していたと思う。
清水まゆみという女優はわたしは恐らく初めて見たと思うが、最近の新進女優と変わらない感覚であった。
他の映画ではどうなのか、観てみたい。そう風貌は織田梨沙(コンフィデンスマンのモナコ)に似た感じか。

大坂志郎や信欣三の出る映画は、安心して観られるが、マヒナスターズは(かくも)恐ろしい。



AmazonPrimeにて




高周波猫むすめ

StrawberryMoon002.jpg

低周波ねずみ男撲滅にあたり高周波猫むすめ導入を検討中。
第二次我が家の補完計画の一環として。
月~猫側からのこの次元の浸食を目指す。

主任~隊長は長女に任せた。
他の構成員はその下で隊員として補助的に働く。
そういえば、長女は車の真ん中の席にチャイルドシートで座っているころから実に偉そうに隊長顔をしていた。

われわれ夫婦は毎晩隊長娘を寝付かせる為だけに夜の街を彷徨う様にドライブを続けていたものだ。
しかしこれからは、コズミックドライブのステージに上がる。
低周波ねずみ男のこれまでの悪事への関与を洗い、新たな地層を塗り固めるのだ。

要はシフトし続けること。
完膚なきまでに叩き潰しながら。
爽快にワクワクしながら(笑。

Moonwalker002.jpg


電気海月のインシデント

incident003.jpg

2019
萱野孝幸 監督・脚本


境啓汰、、、冬吾
愛佳、、、ライチ
久松悠気、、、白鬼
町田悠宇、、、菅嶋匠


福岡市に拠点をおく監督の作品だそうで舞台は福岡なのだが。
ほぼ福岡臭はない。そもそも、、、
ネット上~サイバー空間が現実を侵食する話なので、特に福岡は関係ないか。
ハッカー同士の白熱戦はとても興奮したし、演出、演技も申し分ないものであった。
音響もとてもマッチしていたし。
特に主演4人は静かな熱演である。

incident005.jpg

大変スリリングで面白い作品であった。
続編が観たい(もっとこの世界に浸りたいので)。
結局、ライチと冬吾はどうなったのか。
そこだけが、モヤモヤする。
噺の流れからすれば、二人とも亡くなってしまったのかしら、、、そう匂わせているし、、、。
主役のふたりがいなければ、続編も何もないか、、、。

incident001.jpg

闇の指導者(帝王)の組織+ブラックハッカー白鬼とライチ率いるホワイトハッカー軍団+警察との間の暴力対決になってしまったのは、ちょっと残念というか、、、。
わたしとしては、サイバー空間上の対決のみで終結して欲しかった。
現実空間でやり合うとなれば、拳銃を持ってる闇のヤクザがどうしたって強い。
銃で脅されればどうにもならないし、撃たれればそれまでよ、である。
やはり最後は肉弾戦なのか。そういえばよく食べているシーンが挟まれていた。
ともかく、冬吾が証拠として提示できる白鬼のマザーコンピュータからプログラムデータをコピーして勝利するのだが、、。

incident002.jpg

こういう状況はいつあってもおかしくはない。
フィッシングやマルウェアなど日常茶飯事だし。
巧妙なのも幾つも見て来た(そのうち記憶に残る傑作を記事にあげてみたい)。
ここでは、マルウェアやセキュリティソフトからウイルスに感染させ、その端末情報をマルマル見えるようにしてしまうピンクタブレットが闇に出回る。それを30万で買った人は、感染している端末から情報を引き出し、好き勝手に利用していた。
詐欺業者や名簿業者にそのシステムを売らないところが、このハッカーの特性か。

そのピンクタブレットを買った人間がどう使うか、そこに興味を持っているところが面白い。
人間の意識を探るという意味で。彼自身際どいシステムを作ることに喜びを感じるようだが、、、
邪悪な男(管嶋)とその上位組織に操られる結果に彼も戸惑うこととなる。
こういうパタンは充分起こりうるものだ。これからは更に人間の意識が問われることになる。

incident004.png

ライチは理想の女性上司に思える。
クールで知的で決断力と行動力が凄い、大変素敵な女性ではないか。
彼女にスカウトされた相棒の冬吾は、コンピュータスキルと知識は凄いが家の借り方を知らずネットカフェに住んでいるという偏った人で、なかなかこちらも魅力的。
主演のふたりはとても気持ちのよい距離感をもったコンビであった。

そしてクライマックスの敵のアジトでの攻防戦では、冬吾が凄い意地を見せる。
正義とか何とかいうレベルではなく、自分の作業を完結したいプログラマーの意志であろう。
これで勝敗を決めた。

incident006.jpg

ともかく、このレベルの邦画が出て来ると、わたしの最近の邦画に対する偏見もなくなって来ると思う。
ただし、余りに怪しい闇の巨大組織とか陰謀とかが中心に絡むとどうしてもチャチな感じが否めない。
「今の日本に一石を投じる」などと、、、。その組織の下っ端にせよ、あんなふうに簡単に人殺しをしてしまっては、、、余りに劇画タッチであり、淡々と演じる主演のふたりとどうも嚙み合わないところは感じる。
次作があれば、これが絡まぬスリリングなサイバーバトルだったらいいなあと思う。
サイバーバトルは幾らでも起こる。




AmazonPrimeにて











ねこあつめの家

nekoatsume001.jpg

2017

蔵方政俊 監督

伊藤淳史、、、佐久本勝
忽那汐里、、、十和田ミチル(主人公の担当編集者)
木村多江、、、洋子(ペット・ショップ店主)
田口トモロヲ、、、浅草(編集長)
戸田昌宏、、、鴨谷進(十和田の上司)
大久保佳代子、、、猿渡めぐみ(不動産屋)


猫である。
人間側の主人公は、(仮面)ちびノリダーで御馴染みの伊藤淳史扮する作家、佐久本。
担当編集者が忽那汐里演じる十和田ミチル。
それに木村多江のペット・ショップ店主、洋子がキーパーソン。

nekoatsume003.jpg

わたしも覚えている限りで14匹猫を飼ってきた。
共に暮らしたと言うべきか。
わたしの過酷であった少年期に一緒に過ごした猫が幸せであったかどうか分からない。
相互の影響を考えるとわたしの方が救われていたと思う。
猫とビートルズに随分救われてきたのだ。
今になるとよく分かる。

nekoatsume007.jpg

娘たちにも猫を飼わせたいが、猫アレルギーだと母親が受け付けない。
妻は生物一般が好きではない。
わたしの親も生き物は嫌いだが、良くも悪くもわたしは自分の空間を持っていたため猫と接する時間があった。
あのペットショップのオーナーは、完全に猫の側の住人だ。
猫の化身として処女作冒頭に登場していた大事な猫を作家に思い出させようと彼を引き込んだのか。
人生初期の思い出はとても大きい。

nekoatsume005.jpg

わたしは、飛びぬけて美しい真っ白の猫、ホキとも出逢った。
この記憶は今も色濃く残っている。おそらくずっと色褪せない。
猫とは絶対的存在である。知らぬうちに消え失せるひととの思い出と違い、、、。
そういえば、「マルハ」のコマーシャル「猫の民子」は良かった。
TVCM見て泣いたのはそれだけである(あれも作家と猫の物語であった)。
猫の民子は本(写真集)にもなっており、勿論わたしも持っている。

nekoatsume006.jpg

犬では忠犬ハチ公になってしまうが、猫はひとも見てはいるが、別の次元も同時に観ている。
軽やかにシフトチェンジする。知らぬ間にいなくなってみたりして、、、。
ある日突然、素知らぬ顔で隣に眠っていたりする。
わたしたちは、猫に人間臭さを求めない。
猫の身軽さと神秘に惹かれる。

nekoatsume004.jpg

猫は、わたしたちに他の世界もあるのだ。違うわたしもいるのだ、ということを思い出させてくれる。
救済者なのだ。魂の救済者。
わたしたちを再生させる。それは蘇生でもあり更生でもあり再誕でもあり再認でもある。

この元ちびノリダーも当然の如く救済される。
人類はもっと猫との共存を重く考えるべき。
猫によって誘われる次元は確かにある。

流石にカメではその代わりは出来ない。
カメは何というか、呑気過ぎるのだ。
(カメのクッションの上で猫が寝ていたのが印象的)。

nekoatsume002.jpg

この映画を観たら、また猫と過ごしたくなった。
きっとそれは正しいことだ。



AmazonPrimeにて




*フォトブック



結局、お子様用スタディパソコン買う (02/20) の”mouse E10”




かそけきサンカヨウ

kasokeki.jpg

2021

今泉力哉 監督
窪美澄 原作
澤井香織、今泉力哉 脚本


志田彩良、、、国木田陽(女子高生、美術部)
井浦新、、、国木田直(陽の父、音楽家)
鈴鹿央士、、、清原陸(陽の親友、美術部)
菊池亜希子、、、国木田美子(陽の義母、翻訳家)
梅沢昌代、、、清原絹枝(陸の祖母)
西田尚美、、、清原夏紀(陸の母)
石田ひかり、、、三島佐千代(陸の実の母、画家)
中井友望、、、鈴木沙樹(陽の親友)
鎌田らい樹、、、有村みやこ(陽の親友)
遠藤雄斗、、宮尾数人(陽の親友)


サンカヨウという花の特性も語られ、幽かなその花に興味を持った。

kasokeki001.jpg

大変気持ちの良い映画であった。
観終わって爽やかな余韻が残る映画はそうはない。
最近観た邦画では一番気に入った。

何よりキャストが良い。
若くて初々しい人も良いが、それを支えるベテラン勢にも安心できる。
菊池亜希子さんは久しぶりで、嬉しい。
(これまではずっとヒロインで観て来たものだが、もうおかあさんだ)。

kasokeki005.jpg

志田彩良という若い女優さんを始めて観たが、真っ直ぐの真剣な目つきには、有無を言わせぬ強度がある。
これで「好き!」と言われたら陸くんも、たじろぐ。無理もない。半端な気持ちで応えられまい。
かなり悩んでしまう。好きには違いないが、彼女の好きに応えられるものであろうか、、、。
ぼくには何にもないし、、、とか(こうした葛藤は思春期にはつきものである)。

出てくる人が、皆誠実で真面目なのだ。
そして自然である。
機微も捉えられていて、ちょいとした符合も丁寧に描かれる。
好きな場面は陽のお誕生会に陸がなかなか現れず、チャイムの音にハッとして玄関に行くと父であり、少しテンション落ちて出迎えると、その後ろに彼がいた、というところ、、、。
わたしも似たような経験があったかどうか、分からないがこの場面でやけにときめいてしまった(笑。
憎い演出である。

kasokeki004.jpg

それから陽が父の作った二種類のかなり趣の違う映画のBGMサウンドトラックを真剣に聴き比べる場面も良い。
こういうところは、ありそうでなかなかないものだ。
新鮮味を感じた。

陽という女の子は眼力が凄いがラブレターも果敢に書いてしまうところも潔い。
それでいて変に強さが表に出ない。
しっかりしている。

kasokeki003.jpg

基本的に大きなドラマで魅せる作品ではなく、日常を淡々と生きる彼女らの内面の幽かな~密かな葛藤を丁寧に描いてゆく映画である。
3歳の時に出て行った実母にギャラリーで陸と一緒に逢うところにせよ、、、
父から好きな人が出来たから再婚したいと切り出された時なども、、、
そしてその後の4人家族となった国木田家の日常も、、、すべてさり気なく淡々と描かれ、、、
大袈裟な表現やわざとらしさがなく、疲れないし爽やか。
美術室の空間が柔らかくて幽かで心地よい亜空間に思えた。
この場所が象徴的。
幼い子供もとても役や文脈にピタリと合っていた。
(特に陽の3歳の頃の役の子の表情が印象的)。

kasokeki006.jpg


最近の若い女優さんには、有望な人が多いが、、、
志田彩良にも注目したい。





AmazonPrimeにて









かつての子育てブログを読み直す

sun009.jpg

わたしは、2014年10月31日 (金)をもってアップを止めた子育てブログがある。
ほぼその日にあった出来事を記述しその感想、今後の予定などを書くというレベルのものだ。

しかし当時の様子がありありと思い浮かぶというものではなく、、、
そんなこともあったっけ、というものが多い。
何でそんなに忘れてしまっているのか、不思議に思う。

細かいことはほとんど失念しており、とても勿体ない思いがする。
ちゃんと覚えていたらお宝だな、と思えることがいくつもあった。
だが、ディテールはさておき、大筋で(おおまかに)覚えていることは幾つかある。
映像的にはかすれきってしまってはいるが、、、。

ふたりがそれぞれ熱を出して一晩中添い寝をして看病したことや、幼い時分から性格が嚙み合わず、姉妹で喧嘩になっていたことは思い出す。
それから朝が苦手で(あの頃からだったな)すっきり起きれず母親~ママとひと騒動あったことも少なくない。
大変だったことは、なんとなくでも覚えているものだ。
勿論、わたしも務めていた頃で、結構疲労で辛かった。

次女とは病気の時によく添い寝し、長女とは普段から添い寝していた。
長女が二十歳までは頭洗ってね、などと言っていたことを思い出す。
今では考えられない。

一緒に公園に行くのが大好きで、よく連れて行ったものだ。
その場に広がる何に対しても、めいっぱいの喜びで応えていた。
一番印象深い。幼い時の感動。わたしも一瞬その場に立ち返るように共振する。
お互いに、この場がこころの拠り所となれば、、、夢のなかでも、、、

次に好きなのは、お店~デパートに行くことだった。
おんぶして往復したこともあったが、手に持っていた買ったものを道端に落とし家に帰ると無かったということもある。
そう、気に入って買ったマグカップを落として来たこともあったな(笑。


「しかしいつまでこんな寝顔が見れるのか?」
「ときどきつくづく思う。」
2014年10月27日 (月)

まさに、寝顔どころか、、、。


最後の記事が「九品仏が呼んでいる」である。

~雪の降る季節に娘たちを連れて訪れたい。
~妻と写真を撮ったところで、一番綺麗な場所であった。

とくくられる、、、。
そう、思い出深い「九品仏」には、きっといつか「一緒に」行きたい。


moon001.jpg



距離

Moonwalker002.jpg

今、何からも距離を取っている。
一番距離を置いているのは娘たちだ。
生きるうえで様々な切断は不可避となる。
とりわけ、第二次性徴に伴う離反は極めて生理的なものであり、、、
言葉~思想の埒外となる。

つまり何を言ってもだめ。
反抗期とも謂われる。
わたしは、反抗期を潰されてきたこともあり彼女らが正しいのだと思うのだが、、、。
よく分からない。実感として掴めない。
こういう過程があるのだということを。
(本で読んで知ってるだけ)。

だが、依存関係を維持したままで自立は出来まい。
別の個体が真に別の人格になる。
そうなって貰わないと困るのだが、この脱皮ともとれる苛烈な身振りは、われわれの互いにとって痛みを伴う。
この痛み。痛みそのものが、、、
生の基盤における力学による。自然の摂理と思いたい。
疎かには出来ない。尊重したい現象なのだ。

見守るというところか。見守るとはよく言ったものだ。

距離をこちらから取っている件もたくさんある。
当然のことながら、低周波ねずみ男の部類は厳しく区分けする。
どうでもよい有象無象に関わっている場合ではない。
下らないものは全てホントに却下する。
悠長に構えてはいるが、別のレーンで高速処理は進む。

これまでにたくさんの距離は置いた。
後は、わたしの極地ネットワークに創発的に接続するリゾームを待ちたい。
これも、待つ(笑。
意図を超えたイノベーションを、、、。

そう、娘たちを待つのもそういうことなのだ。
巨大な回帰を待つ。
同じこと。
同じように。
待つ。


sun005.jpg


モンド・グロッソ~齋藤飛鳥を聴く

MONDO GROSSO006

”MONDO GROSSO”を最近まで知らなかった。
わたしも、かなりの情弱である。
確かに実家近くのTVのないアパートに一人住まいしていることも増え、(賑やかなTV)ニュースには縁はない。
もっとも、パソコンが常に複数台身の周りにないと落ち着かない性分のため、いくつもモニタが開きぱなしにはなっており、MSNニュースなどは目に入って来る。

個人の自我~愚かな欲望がそのまま他者~全世界に反映してしまうシステムは狂っている。
これではいつまで経ってもこの地球はダメだ。
わたしも退避せねばならなくなるかも、、、。
少なくとも、低周波ねずみ男の湧いて出ない場所に。

MONDO GROSSO001

MONDO GROSSOというプロジェクトは大沢伸一というミュージシャンによって創設~運営されているものだそう。
彼が楽曲毎に演奏メンバーを選出して曲の制作を行い発表しているようだ。アルバムにまとめて出したり、、、。

わたしは、いくちゃんの親友である齋藤飛鳥(最近主演映画も見た)がヴォーカルでフーチャーされた4年前の「惑星タントラ」と最近の作品である「Stranger」をPVで視聴した(YouTubeを介して)。
とても懐かしい心地よいサウンドとパフォーマー(アーティスト)としての齋藤飛鳥の懐の深さを堪能した。

MONDO GROSSO002

音楽としては、しいて謂えばハウスいやオルタナティヴ・ロックであろうか。
しかし寧ろわたしには、クラウトロックと同根のものを感じる。特にその無機質で淡々と反復する浮遊感の心地よさから。
そこにマッチした独特のデストピア観に彩られた歌詞が、彼女のヴォーカル(声)によってより魅惑的に昇華していた。
などと思っていたら、しっかり”シューゲイザーミュージック”というジャンルであることを齋藤女史が語っている。
「シューゲイザー」という名称は初めて知った。
ディストーションをかけたギターのミニマルなリフによって生まれるサウンドと謂われればその通りだ。
となるとまさしく最初に感じたクラウトロックにも繋がる。

MONDO GROSSO005

あのカン、ノイ!、ラ・デュッセルドルフ、、、とかの。
久しぶりに感じる退廃的で虚無的な心地よさ、、、やはり懐かしい。
そして今回の大きな収穫は、齋藤女史のヴォーカルの素晴らしさを実感できたこと。
こんなに凄いひととは知らなかった。
そして特に快感に感じたところが、メロディラインにやくしまるえつこの節回しがあった。
(このサウンドにやくしまるえつこはぴったりフィットすると思われた)。
確かに”相対性理論”のチューンにさえ聴こえて来る。

MONDO GROSSO003

何かの対談で、いくちゃんが、「わたしは太陽だけど飛鳥ちゃんは月よね」と語っていたところがあったが、まさしくそうだ。
これは白昼にぽっかり浮かんでいる月の声だ(いくちゃんは夜中を照らす太陽~白夜かも)。
そうなると久保さんは太陽と月の間か、、、微妙だが3人とも破格の表現者を極めて欲しい。

モンド・グロッソを今頃知ったというのも、ぼんやり生きてる証拠か。
満島ひかりヴォーカルヴァージョンの曲がこれまた、飛んでいた。
まだ全体のほんの一部しか見ていないのだが、これだけでもそのスケールに驚かされる。
”MONDO GROSSO”魅惑的プロジェクトなのだ。

MONDO GROSSO004

齋藤飛鳥女史はドラムも演奏するから、そのうちいくちゃんと「バンド」をやってもよいのでは、、、。
(”MONDO GROSSO”への参加はまた是非してほしいが)。
久保さんも管楽器で入れて。忙しい中でも、いくちゃんの作曲への展出も見たい。
(いくちゃんがミュージカルオンリーになってしまうのを危惧する)。
ベースやギターには凄い人はごろごろしている。
例えば、ベースに(元girl friend)MINAさんとか、、、。同様にギターでは音楽性の広さと卓越したテクニックという点からReiという人もいるが自身のプロジェクトを運営中であるから、難しいか。
秋元氏がその権威と金の力で何とか出来そうだが、こういうの興味は無いかも知れない。どうだろう。


例のごとく大脱線だが、齋藤飛鳥のPVとして観てもファンには堪えられないものだろう。















肉体と幻想

Flesh and Fantasy004

Flesh and Fantasy
1942
アメリカ

ジュリアン・デュヴィヴィエ監督
アーネスト・パスカル、サミュエル・ホッフェンスタイン脚本
エリス・セント・ジョセフ(第1話)原作
オスカー・ワイルド(第2話)原作
ラスロ・ヴァドナイ(第3話)原作

第1話:
ベティ・フィールド、、、ヘンリエッタ(仕立て屋)
ロバート・カミングス、、、マイケル(法学科学生)
エドガー・バリア、、、仮面屋店主

第2話:
エドワード・G・ロビンソン、、、マーシャル・タイラー(弁護士)
トーマス・ミッチェル、、、セプティマス・ポジャース(占い師)
C・オーブリー・スミス、、、首席司祭

第3話:
シャルル・ボワイエ、、、ポール・ギャスパー(綱渡り曲芸師)
バーバラ・スタンウィック、、、ジョーン・スタンリー(謎の美女)
チャールズ・ウィニンガー、、、キング・ラマー(団長)


アンソロジー映画(オムニバス映画)である。タモリの「世にも不思議な物語」がこれと同形式のものである。
3話構成となっており、2話目から3話目は繋がってゆく(内容は全く別だが)。
狂言まわしが二人の男によってなされる。ドークスという実業家?が怖い夢を見て、それが占い師の噺の影響であると言い、その謎が解けないか相手に相談する。すると丁度よい本があると言い、占いと夢を関連付けた興味深い話を3篇読み聞かせる形で進む。

Flesh and Fantasy001

第1話
ルイジアナ州ニューオーリンズが舞台。
ヘンリエッタは、自分の容姿にコンプレックスを抱いていた。
謝肉祭の夜、彼女に不思議な仮面店の店主が美女の仮面を貸してくれる。
深夜になったら返しておくれという約束で。
それを付けて祭りに出るとすぐさま憧れのマイケルに出逢い、二人きりで行動する。
彼は勉強を捨て世界を放浪しようかと迷っていた。彼女はそれを止めこのまま勉強を続けて大物になってと懇願する。
自分はただ待っているだけだ。と言いそれはそのまま彼女にも当てはまることだった。
マイケルは何で自分のことを知っているのか尋ねると毎日逢っているわと彼女は答える。
彼は彼女に愛情を感じ、お互いに親密になる。

仮面の下の顔が見たいと願う彼を振り切り逃げる彼女。
もう約束の時間が迫っていた。
その仮面店で、追ってきたマイケルと二人になる。自分に自信がないという彼女に彼は自分の愛はそんな表面的なものではない。信頼してほしいと諭す。自分も君がいればどこにも行かないと誓う。
謝肉祭が終わり誰もが仮面を外す時が来た。彼女が仮面を取ると仮面同様の美しい顔が現れた。

お互いに感動して仲良く店を出てゆく。謎の店主は仮面の精だったみたい。
自分が変わるというのは、相手次第なのだ。相手によって自分が見える。恋愛関係がきっかけとなることが多い。
まずは、美に惹かれて。
前半は、ベティ・フィールドに険しい顔をさせ、なるべく不気味に下からライトを当て、後半は真正面からの光で、文字通り輝くような美貌を魅せてゆく。
演出意図はよく分かるものだが。


Flesh and Fantasy002

第2話
ロンドンが舞台。パーティー会場で、ポジャースという占い師(手相見)が何でも当ててしまい、合理的思考の持ち主の弁護士タイラーも流石に興味を覚え、彼に自分の手を差し出す。一通り的確に当ててゆくが、自分が好きな女性との結婚が決まることまで当ててしまい、かなり信頼度を増すが、急に顔をしかめ占いを止めてしまう。
するとタイラーは気になり100ポンド払うから教えろと強引に迫る。知らぬ方が良いこともあると言われては猶更後には引けない(笑。
手相見がポツリと言うには、「殺人者」。平静を装うが内心混乱を極め、とうとう自分の内面があらゆる鏡などの姿の映るところに見え始める。その邪悪な自分と語り合い、手っ取り早く誰かを殺して呪いから解放されようというところに短絡する(もう弁護士も糞もない)。

彼は何人も殺害しかけるが失敗し途方に暮れる。結婚式も近づく。そんな時に霧に煙る夜の橋の上で例の手相見と突然出会う。
タイラーはお前に占ってもらったために全てがおかしく成ってしまったと逆上し彼の首を絞め、橋から落としてしまう。それを目撃した警官に取り押さえられ殺人の現行犯として逮捕される。
「手に書かれていた無言の力によって背を押され駆り立てられただけだ」と主張すいる弁護士。
しかし人は容易く幻想の下部となって動いてしまうものだ。
それはよく分かる。ひととはそうしたものなのだ。


Flesh and Fantasy003

第3話
この逮捕劇を見た、綱渡り曲芸師のポール・ギャスパーが主人公。
彼は夢で、高く張られたロープから真っ逆さまに落下し、それを見ていた観客の女性の顔と叫び声と揺らめく耳飾りをはっきりと覚えていた。これは正夢ではないかという不安と恐怖に駆られその日の(最終日の)演目は途中で引き返してしまった。こんなことは初めてであった。ニューヨーク巡業に向かう客船のなかで、彼はまさに夢に出てきた女性と出逢う。
必死に自分のことを説明し何とか彼女とその件について話し自分の不安を解消したいと願うが彼女は一向に彼を受け付けない。
どうアプローチしても受け入れてくれない彼女に強引に部屋まで押しかけ、話をする。

まあ、自分が落下する夢に出てきた女性である。命運を左右する重大な存在~関係だと思えるのは分かる。
彼女は度重なる彼の行動に対しマネージャーからすでに話を聞いていた。
わたしはあなたにとり不吉な存在であるはずなのに、何でそんなに関わってくるのかと問う。
彼としては、もうどうしても彼女と共にいたいという気持ちになっていた。
不安であった曲芸を、敢えて彼の願いで招いた彼女を確認して挑む。まさに運命への挑戦であろう。
20mの高さから3m下のロープに、観客が息を吞んで見守る中、飛び移る芸を見事成功させる。
しかし彼はすでに夢で彼女の素性を悟っていた。
彼女は警察に追われる身であり、もう直ぐにここを離れ、暫くは会うことが出来ないことも彼女から切り出される前に承知ししていた。
こちらの方が正夢であった。しかしふたりは愛を誓っており彼女の出所後、結ばれるのだと思われる。

ここでの夢における意思疎通は最近観た傑作「心と体と」を思わせるところ。
夢と平行宇宙との関係はきっとそのうち明かされるはず(かなり先だろうか)。


結局狂言回しのふたりの男は、何を掴んだのかは、はっきりしないがスッキリしたと言ってご機嫌で去ってゆく。
何なんだという感じだが、それぞれの噺は面白かった。





AmazonPrimeにて





禁断の木の実

Le Fruit defendu001


Le Fruit defendu
1952
フランス

アンリ・ヴェルヌイユ 監督
ジャック・コンパネーズ 脚本

フランソワーズ・アルヌール、、、マルチイヌ
フェルナンデル、、、シャルル・ペルグラン
クロード・ノリエ、、、アルマンド
シルビー、、、シャルルの母


45歳の誕生日を迎えた医師シャルルは、急患が入りパーティーを中座する。
そして帰宅後、誰もいない広間で、恐らく始めて自ら描いた恋愛ドラマを完結させたいとして失敗したことを回想しはじめるのだ。
(彼は7年前、アルルに母と幼い娘ふたりを抱えてやって来た医者である。今の妻は、こちらで出逢った高貴な未亡人である)。

母の意思に振り回され、嫁のご機嫌をとって生活してきた、典型的な愛着障害が原因で自発的で主体的な生を送ってこれなかった医師シャルルは、電車の乗り遅れで出逢った若く美しい女性に強く惹かれる。
見栄を大切にする母や嫁の手前、立派な医師を演じ続けてきたが、彼の中で自らの生を生きる意志が突然頭をもたげた。
衝動に身を任せてしまうシャルル。
これまでは、恐らく自分が何を欲していたかも分からずに波風立てず暮らしてきたのだ。

Le Fruit defendu002

だが、歳既に45歳を迎える身。妻も娘もいる。
それでもまさに今、若いころ憧れた恋愛の対象に出逢ったことに全てを掛ける彼。
噺を聞くにつけ、何とかわたしに世話させてくれ、と懇願する。
要するに手放したくない。縋りついてでも一緒にいたい。
結局、どこぞのお偉い先生の紹介で来たお嬢さんで、しばらく療養が必要なためアルルで過ごすことになった、と家で説明。
まだホテルも仕事も決まっていない、となるとその先生の手前、こちらで面倒見ましょうということになり、部屋も食事もお金も仕事も面倒見ることに速攻で決まる。

彼は生まれて初めて嘘をついたようだが、見栄を大切にする神経を上手く利用した形ですんなり彼の望む方向に行く。
アパートも直ぐに決まり、奥さんからお金の援助もしなさいと言われ、仕事は自分の看護婦に雇う。
最初はこんなに上手く運ぶなんて、、、という感じで進むが、、、。
なんせ街中が知人である。
遇う人遇う人皆が挨拶してくる。隠れて逢瀬を続けることは無理がある。
場所的に近くに置いておいても。

Le Fruit defendu003

しかも彼女はパリっ子であり、田舎の暮らしに飽き飽きしてきた。
そもそもこの街にきたのは、かつての恋人に用が出来て逢うために降りたのだ。
医者にとってはそれが最も忌々しい。色々とその男に難癖付けて追い払おうとする。
彼女もその男に未練がある訳ではないのだが、昔の付き合いでそれなりに関わってしまう。
異常な嫉妬を抱くシャルル。
こうなるともう5歳児レベル。もう見ていられない。これではマルチイヌも引きまくる。無理もない。
彼女はもっと軽めのギャルかと思ったが予想以上に耐えて努力してくれた。それでもこれでは、、、。

やはり人間、得るべき時に得るべきものを得ないとダメなのだ。
乳幼児期には全能感を覚えるような愛情を一身に受け(生理的、身体的基盤を作る)、少年期には周囲の大人の都合や意識の押し付けではなく、自己を信頼し自発的に外に向かうための自立性を育む(自尊心、心の拠り所、周囲に対する信頼感を身に付けてゆき、堂々と自分をもって外界と関わる)、これが歳相応の時期になされないと、悉く歯車が狂い、虚しく辛い日々を不可避的に送ることとなる。
この俳優フェルナンデルはまさにそれを体現したような風貌で、他のキャスティングも含め、ベストな布陣である。お見事。

Le Fruit defendu004

これでこんな危うい関係が続く訳が無く、必然的に解体する。
それでもアルルを出てゆくというマルチイヌを追って、彼もスーツケースを抱えて妻も母も娘二人も捨てて家を出てゆくが、彼女が元カレと談笑し一人サッパリした顔でバスに乗って去ってゆくのを見て、泣き泣き諦める。
項垂れて鞄を持って歩く彼に「先生お帰りですか」とすぐさま声がかかる、、、。羽目を外している場合ではない。
もううちに帰るしかない。うちにはしょっちゅう知人や患者が来ている。
この関係性からは抜けられない。

そんなことをひとり広間で思い返していたところ、、、
奥さんがまだテラスで残って待っていてくれた。
急患で駆け付け、お産で子供をとり上げた夫婦のことを話すシャルル。
外で遊んでいて遅れてやって来た夫が「ぼくが嫌いでもずっと傍にいるから」と妻に言っていたことを話すと、妻は「それはきっと奥さんの愛し方が間違っているのよ」と返す。
ふたりは肩を寄せ合い部屋の奥に入ってゆく、、、。

Le Fruit defendu005  Le Fruit defendu006


フランソワーズ・アルヌールが魅力的で反則である。
サイボーグ003はやはり彼女にインスパイヤされたものか。石ノ森氏も当然、この映画は観ているはず。






AmazonPrimeにて
















映像研には手を出すな!

KEEP YOUR HANDS OFF EIZOUKEN!001

KEEP YOUR HANDS OFF EIZOUKEN!
2020年

英勉 監督
英勉、高野水登 脚本

齋藤飛鳥、、、浅草みどり (映像研)
山下美月、、、水崎ツバメ (映像研)
梅澤美波、、、金森さやか (映像研)
小西桜子、、、道頓堀透 (大生徒会長)
桜田ひより、、、百目鬼 (音響部)
板垣瑞生、、、小野 (ロボ研)
赤楚衛二、、、小林 (ロボ研)
染野有来、、、小鳥遊 (ロボ研)
亀田侑樹、、、小豆畑 (ロボ研)
グレイス・エマ、、、さかき (大生徒会役員)
福本莉子、、、阿島九 (大生徒会役員)
松﨑亮、、、王俊也 (大生徒会役員)
鈴之助、、、黒田 (ツバメのボディガード)
出合正幸、、、麻笠 (ツバメのボディガード) 
浜辺美波、、、晴子(気象研)
松本若菜、、、水崎菜穂美(ツバメのママ、女優)
山中聡、、、水崎葉平(ツバメのパパ、俳優)
髙嶋政宏、、、藤本先生


前からアマプラでやったら観ようと思っていたもの。
動き(所作、動作)をはじめ、全体として、とてもアニメチックな作りの実写であった。

KEEP YOUR HANDS OFF EIZOUKEN!002

浜辺美波がちょい役で出てきて、何をやってるのか不明のママであった。わけわからん(謎。
こんな役を超売れっ子の彼女にやらせて、後で怒られなかったのか。
まあそれを謂ったら、髙嶋政宏など酷いものである。エキストラの方がましなくらいだ。
友情出演みたいなものなのか、、、知らんけど(いや、友情出演で物凄くコッテリ演じる人は多い)。
ツバメのママとパパは、ピッタリな感じでよかった。松本若菜さんはこういうところで観るの久しぶり。

テンポが速く、目まぐるしい展開なのはよいけど、セリフが速すぎて聞き取れ合いところが多かった。
なかなか面白いことを謂っていただけに、聴き取りたかったわい(老。
齋藤飛鳥主演映画はこれで二本目であるが、前回はバリバリの二枚目役であったが、ここではオタクであった。
あの頃君を追いかけた」の方は地に近いと思うが、こちらはかなり特殊な自閉的な人になっている。
山下美月と梅澤美波は、似合った良い役であり、しっかり熟していた。

KEEP YOUR HANDS OFF EIZOUKEN!003

噺は、映像研がロボ研と組んで、ロボアニメを作って文化祭で発表するもの。
それだけ。予算の問題や大生徒会の妨害はあるが、上手くクリアしてゆく。
齋藤飛鳥と山下美月がイメージするロボットの形体が白いアウトラインでCGで空間に描かれ、なんやかんやと盛り上がるのだが、ふたりは分かり合えていても、他の子はどうなのか、、、少なくともプロデューサーの梅澤美波には実物なしでは何のことか分らぬはずだが、、、。更に3D完成版が途中でイメージとして学園地下に現れる。これの共有は、ちょっとそのアニメ世界に精通した者同士でないと、まず無理だと思うが。
まあ、こちらが分かるのだからよいか、という感じで進んでゆく。

KEEP YOUR HANDS OFF EIZOUKEN!004

高校側が余りに部活が多いので、統廃合を大生徒会に任せる。
中心になるのは会長。
小西桜子がちょっと頼りなげなんだけどパニくりながら頑張る会長を初々しく演じていた。
そして桜田ひよりがやはりオタクの音響マニアで、準映像研的立場で厚みを加えてゆく。
基本、ドタバタコメディであるが、顔を見知っている子がたくさん出ていて、それなりに面白かった。
乃木坂メンバーがドサッと出る映画では、「あさひなぐ」があるが、あちらの方が面白かったかなあ。
これはこれでよいのだが。
そういえば、その映画には、このメンバーは出てない。

KEEP YOUR HANDS OFF EIZOUKEN!005

前日の大詰めに来た時、大生徒会が遅くまで学園に残って作業をする部活を片っ端から摘発していくのだが、目の敵にしている映像研がどうにも見つからない。こういう部活に限り前日は何処かに潜んで徹夜作業を進めているはずだ、と躍起になって探し回る。
その時、大生徒会本部に役員に化けて、そこのパソコン端末と紙や鉛筆などの生徒会資源を使いたい放題使って制作の詰めを行っている彼女らに誰も気づかないというのが、おかしい。このおまぬけさには笑ってしまった(ここが一番、楽しいところかも、しかし会長くらい最後に気づけよと言いたい(笑)。

KEEP YOUR HANDS OFF EIZOUKEN!006

わたしも子供のころから、ロボットアニメに馴染んで育ってきたと言えるが、ちょっとこの映像研+ロボ研の世代とは感覚が違う。
開きがある。
「戦闘ロボット」とは、実に微妙な立ち位置にあり、彼らが言うように「戦車がダメならもっと強い戦車を出せばよい」のが現実だ。
人に似せた二足歩行の大きなロボットなど、コストだけかかって実際の役になど立たない。
しかし敢えてそこにロボットを出すからには、その理由~価値を打ち出さなければならない。
それが何であるのか、その答えが発表作に込められていたはずだが、映画ではそれを観て感動している会場は分かったが肝心の作品はほとんど見られなかった。そういうものか。

KEEP YOUR HANDS OFF EIZOUKEN!007

アニメを禁じていたツバメ の両親が彼女の活動~趣味を認めてくれる。
最後にママが「あなたたちはツバメ のお友達?」と聞くと、みどりが、「いえ仲間です」と答えた。
何となく分かるが。



AmazonPrimeにて









心と体と

Testrol es lelekrol006

Testrol es lelekrol
2017
ハンガリー

イルディコー・エニェディ 監督・脚本

アレクサンドラ・ボルベーイ、、、マーリア(食肉処理場代理品質検査官)
ゲーザ・モルチャーニ、、、エンドレ(マーリアの上司、財務部長)
レーカ・テンキ、、、クラーラ(精神科医)
エルビン・ナジ、、、シャーンドル(新入社員)
タマーシュ・ヨルダン、、、マーリアのセラピスト


ここ数年間で観た映画の中で、間違いなくベスト1である。
イルディコー・エニェディ監督、覚えておかないと。何とも読みにくい(いくちゃんとか覚えやすいのにねえ)。
(こんな凄いひとがいたとは。ハンガリーの鬼才と言われているそうで)。
しかし本作(2017)が前作から18年目の作品だそうで、次作がいつになることか、、、。
それまでちゃんと監督名は覚えていないと(笑。
前作が「私の20世紀」というものだそうだ。
探してみたい。

Testrol es lelekrol001

静謐で透明感溢れる美しい映画であった。
雪で真っ白な森の中、池があり雌雄の鹿が水を飲み葉を食み、走ってゆく、、、。
そんな夢を、同じ夢を、マーリアとエンドレは見る。
マーリアとエンドレは鹿である。
その場所では、鹿としてすでに共に過ごしていた。

言葉のない分、直接的な魂の触れ合いの場ではないか。
それを夢という形で見た。
この雪白の美しいシーンが白昼の牛の屠殺シーンと交互に現れる。
精神と生活の営みを象徴するかの如く。
顔の正面からの大写しが特徴的である。
アレクサンドラ・ボルベーイ演じるマーリアの透明感~危うい純粋さが際立つ。

Testrol es lelekrol003

日常の場では、食肉処理場の生々しい生の現実に交錯する、、、
エンドレの片腕が利かない老いた現実。マーリアの自閉スペクトラムの生きづらい現実。
彼女は異常な程の記憶力と分析力はあるが、言葉を額面(意味)通りに受け取ってしまう。この純粋さが両刃の刃ともなる。
(杓子定規で潔癖症で過敏で無表情で自閉的なのは言うまでもなく)。
彼の方も自分の身体的ハンデや老いに対する負い目やシャーンドルのようなチャラい男に対する偏見がある。
他の者も様々な特質から生きづらさを抱える。警察沙汰になったエンドレの同僚なども。

Testrol es lelekrol002

それにしても、恋愛感情を持つともう純粋そのものでそのまま行ってしまう。
これが余りに危うい。
的確な分析は行えるのだが、真意~反語的表現は受け取れない。
彼女の接触に対する生理的拒否をエンドレも自身のコンプレックスの意識によって判断してしまう。
彼は普通の友達でいようと彼女から離れる。
彼女はそのまま受け取る。
しかしまさか、バスタブで自害しようとは、、、このシーンには半端なくショックを受けた。
彼女らを自然に応援していたからだ。

また血の噴き出るVFXのリアルな事。
このままどうなってしまうのかとホントにオロオロしてしまうシーンであったが、やはり未練たっぷりのエンドレからの何でもない風を装った電話。噴き出る血をそのままに、電話に出るマーリア。
「今どんな夜を過ごしてますか?」「音楽を聴いてました。」「音楽がお好きだったのですね。」「特に好きなわけでも。もう聴けなくなりますが。」「それは残念。ではもう切ります。おやすみなさい。」「はい。」「あ、それからわたしはあなたのことが死ぬほど好きです。」
ここで彼女は直ぐに止血処置をして、病院に行く。エンドレ最後の一言よく言った!
其れを謂わなければ、マーリアは出血多量で死んでいた。
字義通り受け取る人である。この両刃の刃、ホントに危うい。

Testrol es lelekrol004

最後はふたりは結ばれ、鹿の夢はそれきり見なくなった、、、。
食事の時、彼女の切ったトマトの汁がエンドレにかかったとき、恐らく初めて屈託ない笑いが弾ける。
ここに極まった。
嬉しくて泣けてきた。




AmazonPrimeにて













東海道四谷怪談

yotsuya005.jpg

1959年

中川信夫 監督
大貫正義、石川義寛 脚本
鶴屋南北 原作

天知茂、、、民谷伊右衛門
若杉嘉津子、、、お岩(四谷家の長女)
江見俊太郎、、、直助
北沢典子、、、お袖(岩の妹)
池内淳子、、、お梅(伊藤家の娘)
大友純、、、宅悦(按摩)
中村竜三郎、、、佐藤与茂七
花岡菊子、、、お槇
林寛、、、伊藤喜兵衛(お梅の父)
杉寛、、、浄念和尚
浅野進治郎、、、四谷左門(岩の父)


総天然色映画である。
痛みなどいないとても奇麗な画面であった。

yotsuya002.jpg

そして、ビックリするほどの完成度なのだ。
これは、邦画の最もよく出来た作品のひとつとみてよいと思う。
長回しと暗く美しくもオドロオドロシイ光景、、、
演出にも破れ目がなく、すんなり入り込める。

噺そのものも面白い。流石は鶴屋南北。
VFXは、自分の頭で補完してイメージするには、最近のものより文学的で、優れた「表現」に思えた。
架空のものをただ本物らしく即物的に力業で押し付けてくるより説得力を感じる。

yotsuya003.jpg

何と言うかあらゆる意味で、映画の原点に還るような気持ちで観ることが出来た。
やはり時折、こういった作品に接し、感性をリフレッシュさせることが肝心だと思われる。

最近は、何とも才気ばしった、妙な作品が多い。
製作側の自己満足で終わっているようなものとか、、、。
どうでもよい趣味的なものとか、、、。

しっかりと魅せるものとなっている。
映画はこうでなくては。
基本を観た、と思った。

yotsuya004.jpg

キャストも言うことなし。
天知茂の熱演である。単なる悪い奴に収まらない、悲しさ無常感を漂わせていた。
これがこの映画の深みと重みを増している。
(わたしが見た天知茂の中では、一番の熱量を覚えた)。
江見俊太郎の直助は、まさにこころの隙間に付け込んでくる悪魔そのものであった。ホントにこういう憎たらしい輩はいるものだ。
今はネットを介して暗躍していたりする。身近に感じ取れる闇に重なる(恐らく誰にとっても)。
(わたしが体調今一つの時に遭遇する「低周波ねずみ男」もそのひとつ)。
女優陣も充実しており、お岩さんも見事であったが、妹のお袖が大変可愛らしかった(最近のアイドルみたいな感じ(笑)。

yotsuya001.jpg

宅悦もとても良い味を出していた。
キャラの造形に厚みがある。
やはり役者が良いと作品も締まるよい例であろう。

久しぶりに良い邦画を観た。
これからは、時折こういった優れた作品を意識して観たい。
(となると、溝口作品かな、、、)。

yotsuya006.jpg

自分のブログ内を検索してみたら、「亡霊怪猫屋敷」、「地獄」の監督であった。
やはり深い闇をテーマに、安定した良作を撮る監督であることが分かる。
この監督の他の作品にも当たってみたい。




AmazonPrimeにて














続きを読む

ピンク・スバル

PINK SUBARU001

PINK SUBARU
日本、イタリア
2010

小川和也 監督
アクラム・テラウィ、小川和也 脚本

アクラム・テラウィ、、、ズベイル(レストランのコック)
ラナ・ズレイク、、、アイシャ(ズベイルの妹、結婚を控えている)
ジュリアーナ・メッティーニ
ダン・トレーン
ニダル・バダルネ
ミカエル・ヤナイ
サルワ・ナッカラ


タイベ(パレスチナとの境界線沿いの街)から自分の盗まれた車を探してあちこちを行き来するロードムービーとも謂えるか。
20年間仕事で稼いだ金でメタリック・ブラックのスバル・レガシィを購入しその夜知人を呼んでパーティ~食事会を催し、大いに盛り上がるが、翌日何と車が盗まれているのだ(笑。それはショックである。だがそうしたことが多発している地帯であれば、それなりの防衛策を打っていないというのも何とも杜撰である。保険も買った曜日の関係でまだ入っていなかったというし。
主人公は泣いたり騒いだり取り乱し、妹の結婚までには、車を探し出したいとあちこち聴きに回るのだが、、、
警察には盗難届は出さないのか、、、機能していないのか、、、誰も警察など口にする者はいない。
自分たちで探すと言っても、、、するとその道の専門家と言うか自らもそれで食ってるため事情に詳しい人物などに頼ったりもする。だが、金だけとって役には立たない。実際探している感じもなかった。カモにされるだけか。

PINK SUBARU002

何と言っても御国事情が凄い。この境界地区(というよりパレスチナ)には、まともなディーラーの数が足りず、車を持ちたいというなら盗むしかないとか、、、。盗んでバラシて組み立てて売り渡すことが産業化しているらしい。それで需給のバランスを保つとは、何たる状況、、、。
では、ズベイルみたいに生真面目に働いて漸く夢のスバルを買った者は堪ったもんではないだろう。
このスバル(富士重工)であるが、イスラエルをマーケットにした(輸出した)のは日本自動車企業では先駆けで、一時期は車と言えば「スバル」であったらしい。スバルを持てたら、いっちょ前であったという。
他のメーカーは中東の方がマーケットが大きいということで皆そっちで頑張っていた模様。今ではイスラエルにはどのメーカーも進出しているらしいが。

その道の業界のカリスマ的存在の「スバルの母」などと言うのが出てきたり、スバルが恋しくて魘されるズベイルのイメージ~悪夢か?の中ではスバルの精みたいなのが出てきたり、わざとらしく妙に浮きまくる日本人が出てきたりするなか、政治性も宗教性も微塵も観られない凡そ彼らの日常とはかけ離れた感じのハチャメチャな流れで最後まで行く。
妹の結婚の日までには、見つけるという主人公の決意~目標もあり、「結婚式まであと何日」が出るのは、面白いが。
(結婚自体も危ぶまれるところにくると笑えなくはないが)。

PINK SUBARU003

コメディにせよ、リアリティが感じられない分、嘘くささが充満してきて、入り込んで笑えない。
人物像もらしくないのだ。まるで日本人みたいな人物造形に思える。そういえば効果音も微妙であった。
特に日本人は、役者であろうか、それとも美術さんとかに急遽頼んでおっつけ刃でやってもらった人なのか、噺をペラペラにチープ化するのに貢献している。
日本人が出ていなければ、向こうの役者の演技はしっかりしていた為、コメディロームービーとしてそれなりに成り立ったと思うが、、、。
最後に主要登場人物がほとんどスバルの母のところに集まり、犯人も分かり、レガシィもピンク色に塗られてはいたがみつかり、という無理やり感ある大団円に持ってゆくが、ここでも日本人の関りが妙ちきりんで話が浮いていた。
寿司とかラーメンとか日本語の歌「ケセラセラ」とか着物とかも出していたが、最後のエンドロールでは歌が「昴」(谷村新司)である、いくらスバルだからって、ちょっとそれは無いだろう、、、で終わり。

PINK SUBARU004

向こうの役者がよかったこともあり、いらん所を削り作り直せば、それなりのものは出来たろうな、と思わせる映画であった。
原案と言うか着眼点は良いと思うので、、、。



AmazonPrimeにて












デス・レター 呪いの手紙

THE ENVELOPE001

KONVERT/THE ENVELOPE
2017
ロシア

ウラジミール・マルコフ監督
イリヤ・クーリコフ脚本

ユリア・ペレシルド、、、マリーナ・オザリナ(刑事)
イゴール・リゼンゲヴィッチ、、、イゴール(建設会社の運転手)
オルガ・メディニッヒ、、、ダリア・アニクシナ(封筒を受け取る婦人)


「封筒」
邦題が随分、映画の足を引っ張っている。
決しておバカ映画ではない。
静謐に淡々と展開し、地味に細やかに張られた伏線を丁寧に回収して行く。
大変律儀な作品。
恐らく多くの人が邦題で、見くびるとおもうので、一言だけ念のため。

THE ENVELOPE002

罪を犯した人間が配達する運命となる封筒。巻き込まれとは違い、その男に狙いを定めて運ばせることになっていた。
車に乗せた重役が、急に意味不明な過去に起きた、人の手紙を開けてしまったことが禍いして疫病が流行り多くの人が死に、それを齎した罪人は手紙を届ける使命を負わされたという話を別人のような表情で喋るのだ。そしてパーティのチケットを急に行けなくなったからといって彼に手渡す。この時は普通の顔で。そのチケットはしまい、封筒は出来れば何処かに始末したいと思いながら持っている。
その封筒を様々な困難を潜り~すんなりとは届けられず、あちこち怖い人を巡りながら、、、手渡すことになるのだ。
(すべてはお前次第、とか言われて、、、何というか贖罪ゲームみたい)。

主人公のイゴールは、携帯の脇見運転で夜中に迷子になって道に佇む女の子を轢き逃げしていた。
これは飛んでもない重罪である。一時間ほど生きていたにも関わらず放置されて死んだらしい。
その犯人を捜査している女性刑事とイゴールはひょんな一件で出逢う。
このイゴールいい加減な奴で、間違って会社に届いていた封筒を近くの住所に届けておいてと頼まれたのにやる気もなく、やっと持って行ったところが、何と封筒の宛名の住所が違う場所になっていて、老婆にちゃんと持っていけば古くて高価な金貨をくれると言われたが、コーヒーショップで他人のバッグにそれを放り込んでしまったため喧嘩になり、警察に突き出されその女性刑事マリーナの厄介になることに、、、。封筒を開けてみるような真似は絶対にするなと老婆に釘を刺されていたにも拘らず、開けようとして恐ろしい目に遭ったりもする。面倒な奴である。

THE ENVELOPE003

マリーナはその封筒に怪しいものを感じ、イゴールと共に封筒を渡すことに手を貸す。
この女性刑事も巻き込まれとはいえず、最後に関わる意味があった事がきっちり分かる(すでに犯人と遭ってもいるし)。
ここに(ここに生じる関係性に)偶然はない。
二人で封筒を持って届けにゆくが、そこで更に次の本当の場所を示される。
つまり封筒をもって、次々に違う「場所」に移動して行くことになる。
打ち捨てられたアパートがその住所となっていた時は、人はいないと思って入ってゆくと、その宛名の女性の夫がいて、その娘の住所を示されたり。そこにもう一度戻ると、部屋自体が抜け落ちていて、先ほどの空間も老人も存在しない。ここでは存在しないのだ。
これは、頻繁に二人がそれぞれ平行宇宙に移動しているためであろう。
イゴールがその夫と話している間、下で携帯で仕事の話をしていたマリーナにとって時間が全く進んでいなかったことからも分かる。

THE ENVELOPE004

車で夜の街を走っている途上事故に遭い、エアバッグの作動したイゴールは助かったがマリーナは死んでしまった。
ここまで来ると彼も真剣である。
封筒は何が何でも当人に渡すと言いう強い意志で突き止めていた住所に持ってゆく。
そこには宛名の女性がいた。
彼女は、配達人が手紙を持ってくることを知っていたが、今はそれを受け取ることは出来ないと拒絶する。
無理やり渡そうとする彼の脇腹を鋭い鋏で刺し、彼女は自らが主宰する慈善パーティに出席する。
イゴールも彼女を見たときに直ぐに重役の紹介してくれたパーティであることをその写真から気づいていた。
血まみれの彼がスピーチ中の彼女に迫り手渡そうとしもみ合う中、二人は別の部屋になだれ込む。

そこは、最初封筒をもって老婆に遭った部屋であった。
金貨をくれた老婆と彼女が彼女らの契約や魂について話をしている。
イゴールが現れると老婆は険しい顔で彼女にそれを手渡せと命じた。
渡された夫人ダリア・アニクシナは、見る見る老化し、、、恐らくミイラみたいになって果てたはず。
その瞬間、イゴールは金貨を受け取っており、夜の街を携帯を見ながらベンツを走らせていた。
すると闇の中、目前に少女の姿が、、、だがここで彼はすれすれによけて止まり、彼女を保護して警察を呼んだ。
彼女は母と逸れて道に迷ったという。
パトカーが駆け付け、降りて来たのは、マリーナであった。
彼が名前で呼ぶと、前に逢った事あるかしら、と言い残して少女を連れて去っていった。
イゴールはそれを微笑みながら見守る。

THE ENVELOPE0054

配達人を何とか全うしたことで、彼は金貨を貰い、罪の償いというより、罪を犯さぬ平行世界にスリップしたのだ。
これが彼にとってベストに決まっている。
彼は晴れ晴れした顔である。当たり前だが。
彼が運命を変えたことで、マリーナも元気に生きている(彼の記憶は全くないが)。


老婆とダリア・アニクシナとの契約内容が何であったのか、、、
アニクシナはうんと長生きしたようでこの世界で大成したようだが。
夫や娘はみな死んでいる。


なかなか良く出来た映画であった。
ウクライナに侵攻しない世界の映画を今度作ってみては、、、。


AmazonPrimeにて












リトル・ショップ・オブ・ホラーズ

The Little Shop of Horrors002

The Little Shop of Horrors
1960
アメリカ

ロジャー・コーマン、チャールズ・B・グリフィス、メル・ウェルズ監督
チャールズ・B・グリフィス、ロジャー・コーマン脚本

ジョナサン・ヘイズ、、、シーモア・クレルボーン (花屋の店員)
ジャッキー・ジョセフ、、、オードリー・フルクアード (花屋の店員)
メル・ウェルズ、、、グラヴィス・マシュニク (花屋の店長)
ディック・ミラー、、、バーソン・フォーチ (花を食べる客)
マートル・ヴェイル、、、ウィニフレッド・クレルボーン (シーモアの母)
ジャック・ニコルソン、、、ウィルバー・フォース (マゾの患者)


”The Little Shop of Horrors”と原題にもあるが、この映画で怖がることは出来ない。
ドリフのコントを見て怖がれるような感性の人なら別だが。
ブラックコメディには違いなく、話~セリフよりも動きにギャグ要素が強く、ドリフターズなどを見て来た我々の感性によく馴染む。
とてもテンポが良く面白いのだが、腹を抱えて笑う可笑しさではなく、ピタゴラスウィッチが上手く連動して行くのを見る快感に近い。
そういった点でうまくできていて愉しめるのだが、根本的にナンセンスの極みであり、話の内容などどうでもよいもの(笑。

The Little Shop of Horrors003

花屋のおまぬけな店員シーモアが、日本人の園芸家からもらったという変な植物を育て始めてから、引くに引けない事態に巻き込まれてゆく。その植物は、食虫植物ならぬ肉食植物で、毎晩腹が減った早く食わせろ~と言って人を食いたがる(おまけに口も利く)。
まず普通は、死体安置所あたりから何とか盗むしか手はないだろうが(これもまず難しいが)、毎回旨い具合に人が死体となって向こうから転がり込んで来るのだ。荒唐無稽だが死体がシーモアの手に入るとこちらもホッとしてしまう(笑。

そんなレベルのゲーム感覚で楽しめる映画であり、そういった括りで見るとなかなか良く出来た作品だ。
似たようなものもあると言えばあるが、その徹底度で言えばこの映画の比ではない。
食べた人間の顔が花となって咲くので、捜査している警察には分かりやすくて都合が良い。
ただし、食べさせた人間がそれを管理し育てているシーモアであることから彼が殺人の容疑者とされるのは無理もない。
実際彼が直接殺していないにせよ死体は彼が運んできて食べさせているのだ。
犯罪であるには違いない。ともかくご都合主義の極致で死体が転がり込んで来る。
花にとっては実に毎晩都合が良い。

The Little Shop of Horrors004

グラヴィスに嘘をつき、日本のカブトムシを100匹食べさせたから大きくなったとか言っていたが、誤魔化しは利かなくなる。
この可愛げのない植物がギャング張りの声で腹が減った早く食わせろ~などと夜になると吠え出すのだから、店長がまず気づく。
この変な植物「オードリージュニア」(シーモアが名づける)は人を食う度びに驚異的に成長する。
オードリージュニアのお陰で店は人気店となりそこそこ儲けも出てくる。
女子高生にも人気が出て文化祭用に大量に花が注文される、、、など客は爆発的に増えたが、人殺しで辛うじて持っている状態である。シーモアと店長のグラヴィスは穏やかではない。とは言え呑気であるが。
シーモアは、思いを寄せるオードリーともこの変な花を介してデートする仲になったが、この花が太い声で「腹が減った。飯が食いてぇ。何か食わせろ。」と愛の告白中に吠えたため、距離を置かれてしまう。オードリーはまさか変な花が喋るなどと考えられないのだ。
(普通そうだ。このちゃらんぽらんでおまぬけなシーモアはホントは自分のことを愛してないと受け取ってしまったのだ)。
店長もついに金目当てに押し入ってきた強盗に金は花の中にあると言って強盗を喰わせてしまっている。
同罪になってしまって彼も混乱し、シーモアにこの花の件でトロフィーをもらったら始末しろと命令するが、、、。

The Little Shop of Horrors005

もう終盤は警察とシーモアの舞台の上での追いかけっこという感じで容易にドリフのそれと重なってしまった。
小細工、小技も利いていた(笑。
ともかく流れを面白おかしく魅せることがテーマの映画である。
この映画を元に舞台劇がヒットしたそうだが、目に浮かぶようだ。
小道具、大道具も如何にも舞台に活きそうなものであるし。
歯医者のシーンが何故必要なのか今一つ分からないが、ジャック・ニコルソンには大いに驚いた(笑。

The Little Shop of Horrors001

何かと日本の~が言われていたが変わったものは日本からくるという感覚でもあるのか。
とても変わったシーモアの母も漢方薬をスープに入れて飲んでいた。
最後はシーモア自身が花の中に自ら入り、喰われて彼も花になり「殺すつもりじゃなかった」と言って終わり(笑。

御あとがよろしいようで、、、小噺という感じである。
これはこれでとてもよくまとまった作品であった。
観て損はない。



AmazonPrimeにて












幽霊の館

INVISIBLE GHOST001

INVISIBLE GHOST
1941
アメリカ

ジョセフ・H・ルイス監督
ヘレン・マーティン、アル・マーティン脚本

ベラ・ルゴシ、、、ケスラー(邸宅の主)
ポリー・アン・ヤング、、、ヴァージニア(ケスラーの娘)
ジョン・マクガイア、、、ディクソン(双子の兄弟ポール、ラルフ)
クラレンス・ミューズ、、、エバンス(使用人)
テリー・ウォーカー、、、セシル(メイド)
ベティ・カンプソン、、、ケスラーの妻


愛人と出てゆき途中事故に遭って記憶喪失となった妻が庭師ジュールズに匿われて密かに生きていた。
妻はかつての自分の邸宅には戻れないという。
そこにいる主人チャールズ・ケスラーは手当たり次第人を殺すから恐ろしくて戻れないと言うのだ。
確かに最初から堂々とボ~ッとして人を殺している。
しかし妻も変だ。主人が人を殺しだしたのは、妻の失踪後である(まずは運転手を殺しているようだ)。
夫は妻の幻を~実際彼女が窓から中を見に来るのだが~見るとその一時だけ殺人鬼となる。
自動でスウィッチが入るのだ。自分でもそうなった間の記憶はない。
普段は使用人やメイドにも優しい、いい人である。地域にも貢献している名士である。警察にも信頼が篤い。
でなければ、同じ家で何度も殺人事件が起きて家人が何も疑われないというのも不思議だ。

この映画は最初から見る者に全てを晒す形式の作品であるが、その分登場人物たちは何も知らず、それでこちらがハラハラする展開で愉しませようというものである。
ベラ・ルゴシの妻の姿を見て豹変する演技に掛かって来るところである。
顔~表情で魅せる人であるが、充分に穏やかな怪しさと捉えどころのない狂気が活き活きと演じ分けられていた。
光と一階から二階へのカメラワークなど演出にも工夫が凝らされている。

INVISIBLE GHOST002

終盤、食べ物を持ってきてくれる庭師が殺されてしまったため、自宅に忍び込み冷蔵庫から食べ物を盗んで食べるようになって、警察に保護されることになったが、ここで家人と刑事の前で生の妻を見てケスラーが変貌するする姿を見せてしまい、あなたが犯人なのね、と皆でびっくりする。
それまでは、刑事も家人も黒人の使用人を思いっきり疑っていたのだが。

こちらが神の視座で全てを見渡しながら、登場人物たちがどう動くかいつ気づくかを見守るタイプの映画が最近少なくなってきた感もあり、新鮮な感じがした。
最近はこちらも主人公同様先が見えない立場であったり、ミスリードさせられ見事欺かれたりが多かったものだ。

やっと出てきた奥さんと主人の実際の対話~対決?が見たかったのだが、、、。
何であっさり奥さんは死んでしまったのか。
それと同時に何で夫は素面に戻ったのか。
その辺が分かるようで分からない。
娘の婚約者ラルフが元恋人セシル殺しの冤罪で死刑になった直ぐ次のシーンで双子の兄ポールとしてスカッと登場というのも実に鮮やかで爽やかなものであった。新鮮ですらある。
ヴァージニア役の女優も透明感があり好演であった。

INVISIBLE GHOST003

ついこの間、エド・ウッドの映画でとんでもない役を引き受けたベラ・ルゴシを見たばかりであったが、これはドラキュラともそう変わらぬ彼らしい役だと思う。
二次大戦が始まったときに、こういう趣味丸出し映画を平気で作ってしまうところ、ある意味、アメリカの凄さであろうか。


AmazonPrimeにて









”Bon voyage.”

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

SF PickUp
ブレード・ランナー ファイナルカット
ブレードランナー2049
メッセージ
インターステラー
第9地区
月に囚われた男 MOON
オブリビオン
コンタクト
オデッセイ
エイリアン
プロメテウス
エイリアン: コヴェナント
エクス・マキナ
クラウドアトラス
モンスターズ 地球外生命体
クロニクル
ガタカ GATTACA
チャッピー
パシフィック・リム
ザ・ミスト
オートマタ
スターシップ9
モーガン プロトタイプL-9
ロスト・エモーション
スローターハウス5
ザ・ドア 交差する世界
メランコリア
アルファヴィル
アンダー・ザ・スキン
不思議の国のアリス
イーオン・フラックス
サリュート7
アポロ13号
シルバー・グローブ/銀の惑星
イカリエ-XB1
アイアン・ジャイアント
アンドロメダ
地球の静止する日
地球が静止する日
宇宙戦争
トランス・ワールド
ロボット
ヴィデオドローム
イグジステンズ
マイノリティ・リポート
フローズン・タイム
マザーハウス 恐怖の使者
EVA
ベイマックス
ファースト・コンタクト
ファースト・マン
13F~サーティーン・フロア
あやつり糸の世界