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GOMA28

Author:GOMA28
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エンドレス・エクソシズム

The Possession of Hannah Grace005

The Possession of Hannah Grace
2018
アメリカ

ディーデリク・ヴァン・ローイェン監督
ブライアン・シーヴ脚本

シェイ・ミッチェル 、、、ミーガン・リード(元警官、霊安室の警備員)
スタナ・カティック 、、、リサ・ロバーツ(ミーガンの親友、看護師)
グレイ・デイモン 、、、アンドリュー・カーツ(警察官、ミーガンの元カレ)
カービィ・ジョンソン 、、、ハンナ・グレイス(悪魔に憑依された少女)
ニック・スーン 、、、ランディ(病院の警備員)
ジェイコブ・ミン=トレント 、、、アーニー
マックス・マクナマラ 、、、デイヴ(遺体搬送業者)
ルイス・ハーサム 、、、ホッブズ神父


実の父が、悪魔に憑依された娘を窒息死させるしかなかったというところは身につまされる思いであったが、、、
何と言うか、出だしで全てが見通せる内容になってしまっている。
こうしたホラーもあるのか。
見通しが持てない方が怖くはないか。

The Possession of Hannah Grace001

霊安室で遺体の確認をする仕事に就いたミーガンは、警官時代に相棒を犯人に射殺されており、そのトラウマからアルコールと薬に依存してきた。
就職時にはもう3カ月それらを絶ってきたが、この遺体に関する異常を感じ、周囲に相談するたびに、依存症から来るものと疑われてしまう。
この辺は、主人公が孤立し、周囲が事態の異常になかなか気づかずに進行してゆくホラーならではのものか。
疑心暗鬼は不穏な雰囲気を作るには大切な要素だ。

主人公自身、自らを疑ったりもする。
だが、院内の防犯カメラを確かめるうちに、尋常ではない事態が起きていることを確信する。
それにしても死んだ女が這いずり回っていることが確かめられたからと言って、自分が正しかったと喜ぶ気にはなれまい。
その不条理にどう対処するかだ。
だが、不条理は日常に幾らでもある。特殊な出来事を仮構せずとも。

The Possession of Hannah Grace004

それにしても、このようなエクソシズムものがよく作られる欧米だが、多少なりともこんなことが起きることがあるのか。
ヒステリー以外に具体的に起きたという例は、ほとんど耳にしない。
何か象徴的なこととして描いているのか。暗喩的に。
確かに彼女は悪魔のような女だ、よりも彼女は悪魔だ、と言い切って何をか語った方がイメージ喚起力も高い。
怖さもいくらでも膨らめられる。やりたい放題のホラーにもなる。

しかし何でわざわざ悪魔を介してホラーを作る必然性があるのか。
普通の人が一番ホラーなのだが。
何と言うかこういった作りのモノは悉くチャチに感じてしまうのだ。
もう、冒頭からそうだった。既視感も半端でないし。
少女が怖い顔してウオ~と吠えて、、、神父が飛ばされて。

The Possession of Hannah Grace002

人を殺すたびに自らの体の損傷個所が治ってゆくところは面白い。
日本の貞子みたいなコキコキした動きなども欧米物としては新鮮味はあったか。
検視官ではないが、遺体の損傷が無くなってゆくのは明白であり、不気味でしかない。
悲惨な惨殺体で送られてきたハンナ・グレイスが完全体に近づいてゆく。
悪魔の力もフルに発揮されてしまうのか、、、
という危機感と不安は盛り上げていた。

The Possession of Hannah Grace003

見せ方、演出でどこまでいけるかというレベルでこの先、頑張ってゆくのか、、、
怖いもの見たさの需要はあるにせよ。
もうこの手のものは、いいでしょ(エンドレスでやられてもねえ)。
怖いものは身近に幾らでもあるのだから。



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リリス

Lilith001.jpg

Lilith
1964
アメリカ

ロバート・ロッセン監督・脚本
J・R・サラマンカ原作

ウォーレン・ベイティ 、、、ヴィンセント・ブルース(帰還兵、作業療法士見習い)
ジーン・セバーグ 、、、リリス・アーサー(統合失調症患者)
ピーター・フォンダ 、、、スティーヴン・エフシェフスキー(患者)
キム・ハンター 、、、ドクター・ベア・ブライス(精神病院の医者)
アン・ミーチャム 、、、イヴォンヌ・ミーガン夫人
ジェシカ・ウォルター 、、、ローラ
ジーン・ハックマン 、、、ノーマン(ヴィンセントの昔の彼女)
ジェームズ・パターソン 、、、ドクター・ラヴリアー
ロバート・ライリー 、、、ボブ・クレイフィールド


緑と川に恵まれた精神病院が舞台。
絶えず流れる水の表情に意味が充満しているかのよう。
リリスという鋭い感性と異様に聡明で混乱した知性をもつ女性と作業療法士を目指す闇を抱えた男性との関係が日常の流れを破り狂気を顕にする。

Lilith002.jpg

常に基調となり底を流れ続ける水(のイメージ)と手への異常な拘り、自分独自の言語を生み出したり、男女老若関わらず誘惑してしまうリリスの魔性がきめ細やかに描かれる。
その魔性に絡めとられてゆくヴィンセント。
一見、魔性に惹かれると言うと、様々な恋愛~ホラーもの映画で観られるパタンだが。
平凡な男に見えたヴィンセントの秘められた病いも焙り出されてゆく。
(どちらが触媒であったのか、相互に溢出するのだ)。
最後の最後で医者に向けて叫ぶ「助けてくれ!」
まさに、、、。

それを見て遡ると、彼は作業療法士の仕事を始めようとする段階から自らの救済を何処かに求めていたことに気づく。
同時に映し出される水の流れや水しぶき、水面の表情の不気味さにも思い当たる。
彼は(帰還してから?)恐らくずっと無意識に助けを求めていたのだ。
別の男性と結婚した元彼女に近づいて行ったのも、自分でも持て余す得体の知れない不安~苦悩の癒しを求めていたのだろう。
自分の存在の病いについて言語化する術を持たず、相手も日常の些末な物事に埋没していて、「それ」を察知するような感性も洞察力もない。これが通常の人間関係で在り、生活だ。

Lilith003.jpg

そのこころの深くに沈んでいた不気味な闇が、リリスと生活を共にするうちに、水面へと不安とともに浮かび上がって来るのだ。
あの水面の不気味で誘惑するような煌めき、、、。
彼はリリスを救済するつもりで彼女に寄り添い、いつしか言いなりになってゆき、同調してしまう。
リリスはその美しさからもニンフォマニアとしても機能する。
まさに水辺の妖精である。
彼は自分の抱えていたものによって彼女に引き釣り込まれた。
彼女も覚醒をしたのだ。

Lilith004.jpg

ジーン・セバーグが素敵であった。
なかなかこのような演技の出来る女優はいない。
重く繊細で稠密な作品であった。
監督が元プロボクサーと知り、感慨深い。
アメリカ映画とは思えない。フランス映画なら有り得るか。



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ゾンビランド

Zombieland001.jpg

Zombieland
2009
アメリカ

ルーベン・フライシャー 監督
レット・リース、ポール・ワーニック 脚本
デヴィッド・サーディ 音楽

ウディ・ハレルソン、、、タラハシー
ジェシー・アイゼンバーグ、、、コロンバス
アビゲイル・ブレスリン、、、リトルロック
エマ・ストーン、、、ウィチタ
アンバー・ハード、、、コロンバスの隣人(406号)
ビル・マーレイ(本人役)


何と言うか、ゾンビとはどんな発想から生まれたのか、信用できない他人といったところか。
それを強調・単純化するとこんな感じの群れになるのかも。
確かに人は排除すべき対象が互いにはっきりしてくる昨今(個人的にも)。
人対ゾンビという極端な単純化となると、こんな光景があっけらかんと広がってゆくか。

Zombieland002.jpg

ゾンビは大概、群れているが(数が増え過ぎた結果かも知れぬが)、全く協調関係はなく、個体としてだけ動いている様子。
人肉を貪り、頭を撃たれなければ何処までも人肉を求め追いすがって来るので、極めて危険な(嚙まれたら終りの)動物ととれる。
特にこの映画では走るスピードも速い。
主人公の大学生コロンバスは「32のルール」を作りそれに出来る限り従い身を守って生き延びて来た。
ほとんどの人間はゾンビと化しているなか。

この物語では、人間として残っているのは、屈強でゾンビを憎みトゥインキーが好物のタラハシーとリトルロックという12歳の少女と姉のウィチタの4人だけである。
姉妹はとても狡賢い。ゾンビ相手というより、これまで逃げて来たなかで人間に酷い仕打ちをされてきたのではないかとも受け取れる。コロンバスとタラハシーを再三利用しては裏切るが、ゾンビ相手にそんな知恵はいらない。コロンバスの考えた「32のルール」を守れば生き残れる。明らかにそれを逸脱したサバイバルルールは、対人間のものである。

Zombieland003.jpg

しかし姉妹の行く先は、パシフィック・プレイランドでありそこで貸し切り状態で遊ぶことだったらしい。
急に遊園地の電気が点くものだから灯に寄り集まる害虫みたいにゾンビの群れが押し寄せる。
人に対しては過剰に注意深く、裏をかいて逃げるのに、ゾンビに対して何故これ程無防備なのかと呆れる。
よくここまで生きてこれたものだ。彼女らのスキル~詐欺は、ゾンビに通用するモノではない。

コロンバスとタラハシーから銃と車を盗む必然性が分からない。
自分たちの身を危うくするだけである。
とは言え、それで物語をスリリングで面白い方向に持って行っていることは分かるが、、、。
もうすこし納得のいく展開の仕方も幾らでもあると思う。

Zombieland004.jpg

ハリウッドのセレブの豪邸に逃げ込むところで、ビル・マーレイの自宅?で本人と遭遇するが、余りに勿体ない使い方である。
折角のビル・マーレイである。面白いシーンをひとつ作れなかったか、、、ギャラも凄かっただろうに。
色々と気になるところはあるが、これはこれで愉しめる噺であったことは確か。
エマ・ストーンのツンデレはなかなか魅力的であったし、それに翻弄される男二人のまたやられたというコメディぶりも悪くない。

コメディゾンビ映画としては、無軌道で性悪な女子二人をアクセントにした楽しいよく出来た作品であった。
そして派手にゾンビの群れを蹴散らし、夜の遊園地を後にする頃には、4人の結束が強固なものとなっている、というのも自然に感じる。
引籠りでこれまで誰とも心の通う関係を結べなかったコロンバスが初めて他者を愛おしく思えるようになったのは、ある意味このような異常な環境下において可能となったと言えよう。坂口安吾の戦争論にもあるように。
わたしもこのようなビビットな環境の極りはあって良いと思う。

Zombieland005.jpg

はっきりと見える形で。
そこで発動される生というものが、本物だと確信して。




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地球への2千万マイル

20 MILLION MILES TO EARTH005

20 MILLION MILES TO EARTH
1953
アメリカ

ネイサン・ジュラン 監督
ボブ・ウィリアムズ、シャーロット・ナイト 脚本

ウィリアム・ホッパー、、、ロバート・カルダー大佐(金星遠征隊隊長)
ジョーン・テイラー、、、マリザ・レオナルド(レオナルドの孫娘・見習い医師)
フランク・プーリア、、、レオナルド博士(イタリアの生物学者)
ジョン・ザレンバ、、、ジュドソン・ユール博士(アメリカの生物学者)
トーマス・ブラウン・ヘンリー、、、マッキントッシュ少将(カルダー大佐の上官)
ティト・ヴオロ、、、警察署長
ジャン・アルヴァン、、、コンティーノ(イタリア国務省高官)
アーサー・スペース、、、シャーマン博士(イーマ研究チームのメンバー)
バート・ブレイヴァーマン、、、ペペ(シシリー島漁師の少年)


この映画も金星ものである。
「金星」が出てくると、取り敢えず観ることにしているので(笑。拘りである。
金髪のグラマーは出て来ない(爆。

20 MILLION MILES TO EARTH003

アメリカの金星探査機が、生物サンプルを持ち帰って来たが(今流行りのサンプルリターン)、ロケットが事故でシシリー島沖の海に墜落してしまう。この墜落ロケットの臨場感からしてワクワクものである。
地元の漁師の救助によりカルダー大佐だけは命が助かる。その他のクルーは金星の「毒」により死んでしまったそうだ。
生命サンプルは毒の大気でも生きられる理由を解くための実験材料として持ち帰って来たものだった。
それが海に漂い出て、金が欲しいがめつい少年が見つけ、レオナルド博士に高く売りつける。
最初は子猫程度の大きさであったものが、地球環境下において著しい成長を遂げ数日後には4mの体長に達してしまう。
これには、皆驚く。見た目からして恐ろしい怪獣である為、過剰反応で徒にそれに危害を加えてしまう。
金星生物から仕掛けることはなく、向こうも充分にナーバスになり警戒しているところをやたらと刺激して興奮させる。
そして巨大化しながらも逃げ惑うのだが、、、襲ってくるものは、叩き潰す。

20 MILLION MILES TO EARTH001

見事な「ストップモーション・アニメーション」による作品。
イタリア・シシリー島を舞台にした怪獣劇である。
ともかく特撮が見もの。
本当に素晴らしい。着ぐるみではとてもこのような形状や動きは不可能。
怪獣の特徴的で機敏な動きにずっと見惚れてしまった。人の動きではない。
怪獣の形体もよく練られている。絶対に着ぐるみでは実現できない形をスマートに具現化したと謂えよう。

ここにいるべきではない存在の哀愁と孤独がずっと漂っていた。
そこは、キングコングにも通じるものがある。
怪獣ものの中には単に憎たらしいだけのクリーチャーもいるが、これは明らかに違う。
ひと口に謂えば、人間の身勝手である。
そして他者性。そこが浮き彫りにされる。
他の金星ものに限らず様々な怪獣ものと比べても秀逸。
初めてアフリカ大陸から連れてこられた黒人もこんな感じであったのかも。

20 MILLION MILES TO EARTH004

象との動物園での闘いは見ものであったが、相手の象がいくら何でも大き過ぎた。
それから動きはとても素晴らしいが背景の嵌めこみ画像が明らかに書割であることが分かり過ぎるところは残念であった。
それもさしてマイナス要因となるほどではなかったが、気にはなってしまったところ。
こういう映画では定石なのか、主人公とヒロインとなる女性~ここでは医者の卵との恋愛である。
どうしてもこういうのは外せないようだ。
何が起きようが、恋愛空間は守られ特権的立場を維持する。
(感情移入できないカップルであった)。

20 MILLION MILES TO EARTH002

監督は、キングコングでお馴染みのウィリス・オブライエンの弟子と言うこと。
納得である。
形や動きだけでなく、金星では小さいが地球では巨大化するという身体性の設定もよい。
金星からの生物~他者なのだから、あの金髪ねえさんもある意味、充分他者かも知れぬが、、、(笑。





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ソフビの出来がとても良い。子どもの頃なら買っていたかも。
20 MILLION MILES TO EARTH006








忍術三妖傳

jiraiya001.jpg

1937

マキノ正博 監督
比佐芳武 原作・脚色


片岡千恵蔵、、、自来也
星玲子、、、網手姫
河部五郎、、、佐久間正盛
尾上華丈、、、五十嵐典膳
香川良介、、、 一夢仙人
瀬川路三郎、、、大蛇丸
志村喬、、、矢尾郡太夫


やはり古いフィルムである為、劣化が激しく場面が僅かとは言えスキップしたり、時折無音となったり、全般に絵の痛みが目立つ。
口上もいまひとつ聴き取りにくい。
そして何より画面が暗い。
何やら蠢きつつ進行するようなところが度々ある。
だが、雰囲気は充分伝わってくるため、やっていることが分からないことはない。
謀反でお家を滅ぼされた主人公の復讐劇である。

まず「自来也」とは何なのか?
「江戸時代の後半に刊行された書物で描かれている架空の忍者」だそうだ。
確かに忍者だった。色々な術が使えるようだが、カエルが何やらその源にあるらしい。
仙人からその忍術を習得し、親と城を奪った謀反人の仇討ちに旅立つ。
流石仙人だけあって情報収集も確かなもの。謀反人3人の現状を自来也に伝える。
「五十嵐典膳は信州一円を領する黒姫の城主、矢尾郡太夫は富国を治め、大将佐久間正盛は今、京にある。」
素晴らしい。それを聞いて印を切るとすっと姿は消え、五十嵐典膳の寝床に潜入し、直ちに討ち取る。
残るは後ふたり、、、。郡太夫は床の仕掛けでかろうじて逃げ延び、佐久間正盛の城に逃げ込む。
仇討ちの件を知り、城の警備を固めてしまいここからはすんなりとは運ばない。

しかしあのように忍法で自在に消えて移動も瞬時に出来れば、何をするにも有利である。
移動距離がどの程度なのか。
その「場所」の座標を書き換えて移動するなら何光年も先だって瞬時であろうが。
(もし出来たとしてもそうした発想はないだろう。目的は飽くまでも仇討ちである)。
普通のカエルを操れるだけでなく、巨大ガマガエルを使って人を大量に呑みこむことも出来るときている。
これは凄すぎる技である。カエルがとても剽軽な形であったが。
恐らく、わざわざ剣などで戦わなくても巨大ガマガエルだけで、けりが付くはず。
敵を片っ端、呑みこめばよいのだから。

呑みこまれた敵は何処に放出されるのか。
喰われて消化されてしまうのか。カエルはドンドン巨大化するのか、、、まあ、その辺はよいが。
いずれにせよ謀反で親や家臣を失い幼少の身で山に放り出されてしまったのだが、仙人に助けられ忍術を習得できたことは大きい。わたしもこんな忍術が使えたらさぞや楽しい事だろう(使い道がたんまりあるし)。

旅の途上で同じ仇を討ちに行く(同じ境遇の)姫に出逢い、すんなりとは行かないが最終的に協力して仇を討つ噺。
姫は気が強いが腕もたつ。というか彼女も忍法を普通に使っている。
忍法以外にこれといったこともなく単純な復讐劇なのだが、間に大蛇丸という忍者が入り込んできて、少しややこしくしてしまう。
この大蛇丸という忍者もかなりの使い手で、網手姫を強引に妻にしようとする。
網手姫にはいつも塩対応の自来也だが、大蛇丸に渡すのは嫌らしい。姫も大蛇丸は拒絶している。
姫は自来也のことが好きなのだが、彼はそれに応える気はない(ように振舞っているのか)。ともかくクールなのだ。
あんなカエルを操っておいてクールというのも何ともだが。

大蛇丸が敵に回り、城の守りも盤石になってしまったことで、自来也は囚われて城の中核に潜入することを選ぶ。
(仇の目の前に突然現れることは、一人目みたいに出来ないのだろうか)。
ともかく忍法が使えるので、何時でも牢からは抜け出ることは可能であり、その機会を窺っている。
網手姫が自来也が囚われて気の抜けた城に忍び込み、仇を討たんとするが、大蛇丸が用心棒のように邪魔をする。
姫一人では危ないといったところで、自来也が牢を分解して抜け出て、周りの侍たちを皆まとめて組み直した牢に閉じ込めてしまう。いろんなこと、出来るのね。

そしてちょっと劣勢に回った姫の加勢に登場する。
雑魚どもはカエルに頼み、標的は刀でケリをつける武士の作法か。
手強い大蛇丸を倒し、二人の仇をそれぞれ正攻法で二人して倒す。
幼年時に山に捨てられるときに吐かれた悪態をそのまま返す。
「泣け!叫べ!吼えろ!」そして、かんらかんらと笑っておしまい。
その後、姫とどうなったのかも少し描いてほしいところであったが、、、。
呆気なく終わってしまう。

フィルムの荒れ具合と尺の長さ(1時間弱)からして、欠損した部分もあるのではないかと思う。
飛ぶところだけでなく流れとしても場面が足りない感はあった。

面白いとか何とかではなく、古いフィルムを観たという感想以外にこれといって、無い。



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金星怪獣の襲撃 新・原始惑星への旅

THE GILL WOMEN OF VENUS002

THE GILL WOMEN OF VENUS
1968
アメリカ

デレク・トーマス 監督
ヘンリー・ネイ 脚本
ピーター・ボグダノヴィッチ ナレーション

マミー・ヴァン・ドーレン
メアリー・マー
ペイジ・リー
アルド・ロマーニ
マーゴット・ハートマン


アマプラで「怪物宇宙船」の隣にこれが紹介されており、同じ”金星”を扱ったものなので、観るしかなかった。
古き良き時代のSF映画という形では到底受け入れられないものであり、昨日の作品のエンターテイメント性がとても愛おしく思える。
メリエスの「月世界旅行」(1902)は、文句なしに愉しめるのだが。

内容のないナレーションが長くてくどく、状況説明や飛行士の思ったことが逐一語られ鬱陶しい事この上ない。
終始、強風や海鳴りの音がノイズで響いていて、ストレスは高まるばかり。
最早、SFとしてどうのという前に、映画の体を成さない。エドウッドの方が遥かに心得ている(と思う)。
しかも画質が悪く、画面が上下にブレる。まあ、この映画では修復の予算も労力も惜しまれよう。

金星は平均密度が地球に最も近いところから兄弟みたいな扱われ方をしており、「明けの明星」、「宵の明星」として古くから親しまれてはいるが、激しく環境は異なる。
大気はほぼ二酸化炭素で気圧が92気圧である。ロシアの探査機が降下途中で潰れて音信不通になったこともあったな。
地表温度は460℃である。のんびり散歩しているでかい生物はまずいない。とは言え生物の存在は否定されていない。
ただ、高速風(スーパーローテーション)が熱の分散を金星全体にしている点で、風が吹きすさぶ感じは出ていたか。
上空には硫酸の雲が覆っている。着陸前には、雲が濃いぞとか言っていた。
だが、全ての構造物に強烈に影響する高気圧~モノを悉く風化させてしまうこの地表では、人間的なドラマは生じる余地はない。
(かつては地球もこんな感じであったが、海を得た為、二酸化炭素が吸収されることになり現状に繋がることとなる)。

海岸で象アザラシがたくさん寝そべっているのならまだ可愛げがあるが、金髪お姉さん方が、貝殻ブラとフィンガー5のパンタロンみたいなのを履いて一杯昼寝しているのには侘しさしが込み上げて来るばかり。いっそのことムーミンのニョロニョロをそれに見立てれば抽象性が生じていい感じになったかも。
無表情のお姉さん方がボウっと立ち並び顔のアップなどで何やら神秘性でも醸そうとでもしたのか。
昨日のお姉さん方の吹っ切れようが愛おしい(笑。
ロボットに関しては、こちらの方が性能は良いようにも思ったが(いや向こうは冗談の分かるロボットだった)。

兎も角言葉が多くて苛つく。くだらないお喋りと、凄まじくつまらないジョークばかり放つ変なおじさんたち一行が、うら寂しい海岸線の田舎町にやってきて変な動植物と戯れている、といった感じ。
一度も接することななかったお姉さん方も結局、寝て食ってるだけではないか。
変なお祈りして、火山を噴火させたり雨を降らしたりは凄いものかも知れないが、
高度な文明というのか。幻想を抱いて地球に戻ったのでは、何のための科学的探査なのか。
置いてけぼりの溶岩で溶けたロボットが神として崇められているのを見ても原始的な村にやって来たお気楽な文明人という枠をそのまま当て嵌めた感じのものである。

まあ、どんなに酷い設定で進行しようが多少なりとも面白みが何処かにあればそれはそれなりに良しとしたいが、、、
これには全くない。
無残にもない。
テンポが著しく悪く、キャラも噺の流れも不自然、演技もぎこちなく、演出もかみ合わない。ともかくノイズが不快。
イライラ要素だけ詰め込んだような映画。

昔の人、と言ってもちょっと前の人である。皆、火星にはタコみたいなのがヒョロヒョロしていて、金星には金髪のグラマラスな美女がたくさん住んでいたと思っていたのか?それなら皆、金星に行きたがるのは無理もないが、高級キャバレーと勘違いしてないか?
いくら何でもあり得ない話だが、、、
実際、そんな映画が複数あるのだから、唖然とする。

1920年代には金星に水がないことは分かっており、1960年代からは、アメリカはマリナー、ソ連はヴェネラをシリーズで次々に打ち上げ観測を深めて来た経緯もある。

1968年の映画とは到底思えない内容であるうえに画面もかなり劣化して(最初からこんなものだったのか)観難いし。
そもそも映画としても成立していない。監督、製作者の問題が大きい。


結果、これまでのワースト1をメデタクもぎ取った作品であった。





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しかしこういう映画の存在を知ること自体、意味はないわけではない。
アマプラは凄い。










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怪物宇宙船

LA NAVE DE LOS MONSTRUOS001

LA NAVE DE LOS MONSTRUOS
1960
メキシコ

ロヘリオ・A・ゴンサレス 監督・脚本

ラロ・ゴンサレス
アナ・ベルサ・レペ
ロレーナ・ベラスケス


これまた、エドウッドを思い浮かべてしまう雰囲気の作品であるが、明らかに映画としての出来はこちらが上。
ちゃんとこの噺の世界観の中で成り立っている(みたいに思える)。
破綻してるかどうかなどの検証も受け付けない陽気なカオス映画だ。
主人公みたいな人ってホントにメキシコにいるのだろうか。
異星人でなくてもコミュニケーションは成り立つまい。
(彼のカウボーイ吞み仲間は皆相手にしていないし。彼女たちは扱いは手慣れている様子)。

LA NAVE DE LOS MONSTRUOS003

メキシコの何処かの田舎町が舞台。
金星から「原子事故」で男たちが死滅し、男を他の惑星から捕獲してくる特命を受けた女性二人。
如何にも優秀そうだが、何故かレオタード姿で脚線美を強調。
宇宙船も50年前のグリコのおまけよりぞんざいな感じのミサイル型(円盤ではないことに意外性を感じた)、5歳児の地球の子供のおもちゃかい、という作りの相棒のロボットもポンコツ感が凄い。計器類や船内の構造も地球のものと変わらない。この辺はエドウッドと同質に思える。ただ、身体構造が地球人そっくりなのだから似ていてもおかしくはないものだが。
女性も地球の価値観から見るとイタリア女優かと見紛う程の美女であるが、他の惑星で捕獲した男たちからするとそうでもないらしい。他の天体の男は皆、珍獣にしか見えない奇妙な姿だが、肢体を見ると構造は近いものであることが分かる(着ぐるみ着て歩いてるんだから仕方ない)。
地球でも急速にオスは消滅している現状である。捕獲するなら早い方がよいだろう。

LA NAVE DE LOS MONSTRUOS002

彼女らは地球で運よく自分たちに近い身体の人類の男を見つけ、捕獲して帰ろうとする。
メキシコのほら吹きカウボーイで直ぐに歌いだす男。監督もミュージカルのつもりでは流石にないとは思うが。何なんだこの男は。
地球人の代表と言うには些か変な人であるが、彼女らは痛く気に入る。

それじゃあさっさと連れてってくれと言いたいところだが、恋に落ちて地球に残ってくれと男の方が哀願する。
こんな美女と結ばれるんだから金星でもよかろうにと思うが、そうはならない。
彼女らも、金星にはなかった恋?愛?というものを知って戸惑う。
ヒロインふたりの間に、地球に残り地球を支配するという女性と男を連れて金星に戻るという命令に従う女性との間で対立が起こる。
まあ、金星にサンプルもって戻るのが正しいはずだが。
この地球を支配するという女性は、これまでに色々な星で捕獲したウルトラマンに出て来る怪獣さながらの男を配下に治め、やる気満々なのだが、何故か吸血鬼の種族なのだ。
何やら一族の悲願みたいなものも背負っている風であり結構複雑な事情もあったりして。

LA NAVE DE LOS MONSTRUOS004

かたっぱし面白そうな要素を突っ込んでくるが、普通に持ちこたえて進んでゆく。
案外、器の広い監督なのだろう。
この監督、金星人のとんがりロケットをしきりに見せる。フラフラ飛んで着陸してロケット噴射口から普通に乗降口が開閉するこのロケットの出来に満足しているらしい。普通は余り見せずに部分カットやカメラワークの工夫などで演出すると思うのだが、
きっと素直で楽観的な人なのだ。同じ時期の日本の特撮の方がかなり上を行っているのは分かる。

この直ぐに愛の歌を歌い踊る異様なノリのカウボーイの取り合いみたいにも思うが、正しい主張の女性が反乱軍に勝つ。
色々な男たちも皆倒されてしまう。
しかしこの女性も彼女に反旗を翻した女性と同じく任務を捨て地球に残りカウボーイと愛を貫く決心をする。
恋愛感情によってすべてが狂ってしまったということなのか、、、。結構そう括ってしまうと陳腐だが。
感覚的には隣村からやって来た女性と変わり者の駆け落ちみたいなものか。
金星の司令官にはポンコツロボットがロケットを操縦して事の次第を報告に行く。
あれだけ珍妙で獣のような他惑星の男を集めていたのだから、それはそのまま送れば任務も遂行したことになったろうに。
無駄使いしてしまったものだ。


まあ、愉しんで作った映画だと思うが、ヒロイン二人にこういう役をやってみてどう思ったか聞いてみたい気にもなった。
貴重なフィルムであることは確か。
AmazonPrime以外で観られるとは思えない。



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プロメア

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PROMARE
2019

今石洋之 監督
中島かずき 脚本
TRIGGER、中島かずき 原作
澤野弘之 音楽
Superfly 主題歌「覚醒」、「氷に閉じ込めて」

声:
松山ケンイチ、、、ガロ・ティモス(高機動救命消防隊バーニングレスキュー隊員)
早乙女太一、、、リオ・フォーティア(マッドバーニッシュのリーダー)
堺雅人、、、クレイ・フォーサイト(プロメポリス司政官)
ケンドーコバヤシ、、、ビニー(ねずみ)
古田新太、、、デウス・プロメス博士(バーニッシュ研究の第一人者)
佐倉綾音、、、アイナ・アルデビット(バーニングレスキュー隊員)
吉野裕行、、、レミー・プグーナ(バーニングレスキュー副隊長)
稲田徹、、、バリス・トラス(バーニングレスキュー隊員)
新谷真弓、、、ルチア・フェックス(バーニングレスキューのメカニック)
小山力也、、、イグニス・エクス(バーニングレスキュー隊長)
小清水亜美、、、エリス・アルデビット(アイナの姉、ワープエンジン開発博士)
楠大典、、、ヴァルカン・ヘイストス(フリーズフォース隊長)
檜山修之、、、ゲーラ(リオに仕えるマッドバーニッシュ)
小西克幸、、、メイス(リオに仕えるマッドバーニッシュ)
柚木涼香、、、ビアル・コロッサス(クレイの秘書、プロメポリス司政官補佐)


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この監督のものは初めて。
「火消し」と言うのが何とも。
「グレンラガン」や「キルラキル」も見て観たくなった。
本作は次女のお勧めで観た。
独特の作画でポップでノリが抜群。テンポよく一気に最後まで堪能できるとても面白い作品である。

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世界観がとても面白い。アニメは特にスケールが自在である。  
ガロ・ティモス、リオ・フォーティア、クレイ・フォーサイトそれぞれの思想・信条・個性そして思惑の凄まじいぶつかり合いで圧倒する。
撮影?でよいのか、、、絵がよく回るよく動く。ダイナミックでド迫力である。
キャラそのものは、少し単純化・強調したスタイルだが分かり易く直ぐに慣れて引き込まれるものがある。
(早乙女 太一を起用していることもあるか、舞台劇~歌舞伎タッチの立ち振る舞いも面白い。ガロが何かと形に拘る。いちいち文字も入るし)。
特に平行宇宙との関係をこうした形で描くものは初めて見た。
大変興味をそそられると同時に示唆的でもある。

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並行世界と繋がり必要な情報をわれわれは常日頃から無意識に得ているとして(逆のパタンもあろうが)、、、
過度なストレスをあのような繋がりから「エネルギー」としてこちらの世界に移行~表出してしまう、という発想はありそうでなかったような、、、。やはりそれ(プロメア)と繋がってしまう(同調してしまう)状況に人類が陥っていたことが原因(発端)と言える。
(しかし実際は、天体同士の同調でもあったか)。
通常?ほぼ似た場の間に生じる個別的相互接触だと思われるが(一秒に何億回レベルで)。
これほどある意味、集合的(大規模)な思念とそれに見合う強大なエネルギーというかたちでの変換という事態が派手。
また繋がる人とそうでない人がいるということに、差別~政治の問題も必然的に生じる。
マッドバーニッシュは、その力を意図的に使用しプロメポリス(クレイ・フォーサイト)のバーニッシュに対する弾圧・テロ行為に抗議~対抗する過程で火災を及ぼし、フリーズフォースやバーニングレスキューとの抗争をこれまた派手にやる。これが政治的なアピールにはなりえていない点、後にガロ・ティモスと手を組むことで建設的な方向性を持つことが出来る。
「火」と「氷」の融合というのも象徴的。
荒唐無稽な設定に見えてわたしにとっては、身近で問題意識に実は直結する興奮を呼ぶものであった。

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生きている感情がそのまま炎と表出されるのなら、それは確かにこの世界では制御が必要となろう。
そして並行世界の繋がりがこういう関係性を生んでしまった、というところからの解決を図るしかない。
その解明より寧ろ、自らの矛盾した欲望の方向に走ってしまうクレイ。
まだ、マグマの冷却方法を探る方が現実的なはずであり、ワープして地球型とはいえ、未知の要素が大き過ぎる天体に移住というのも余りにもリスキー(まずはロボットを送って環境を精査し、整えてからの人類移植であろう。ここではその余裕は無いとしているがその原因は自分で作っている)。
自身が強烈なバーニッシュであることを隠しその自己否定いや近親憎悪ともいえるバーニッシュの迫害と利用。この歪んだ自己実現が選民を乗せてやみくもに4光年先のプロキシマ・ケンタウリbにノアの箱舟気取りで移住しようと。結局自分が人類を支配する神にでもなりたかったのか。そういった欲望を強く発するキャラである。
しかしリオとガロは、自らが生きる意志と皆を生かす意志て繋がり、並行宇宙間との繋がりを閉じる。
地球を救うことを選んだ。しかしそれは地球自身の欲求に従うことでもあり、火山爆発を更に活性化することでもあった。確かに地球は何度も周期的にそれを行ってきている(ここで地球とプロメア自身の繋がりが納得できる)。
そして、確かに面白い繋がりであったが閉じた方が賢明であった。
何にしてもクレイ司政官の声優は凄まじかった。誰かと思ったら堺雅人ではないか、やっぱりねえ。
半沢直樹かお前は~と言うところがある。
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「デウス・エックス・マキナ」をデウス・プロメス博士の意識~AIからガロとリオは譲り受けるが、プロメアと最も太いパイプで繋がるリオを頼みにした動力のようであったが、博士は誰でもよかった、たまたま君たちだったに過ぎないと言っていたが、そこが何故なのか分からなかった。ただのジョークか?


またしても、やはり日本映画はアニメに限るねえと思わせる作品。
独特の風合いだが面白かった。

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かしこい狗は、吠えずに笑う

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SHADY
2013

渡部亮平 監督・脚本・製作・編集
近谷直之 音楽
mimpi*β 挿入歌・主題曲


mimpi*β、、、熊田美沙(女子高生)
岡村いずみ、、、清瀬イズミ (美沙のクラスメイト)
石田剛太、、、栗田保(数学非常勤講師)
もりこ、、、黒川マリナ(美沙のクラスメイト)
瀬古あゆみ、、、西尾アヤ(美沙のクラスメイト、行方不明)


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これは熊田美沙の妄想映画であるようだ。
全てが彼女からとった調書をもとに再現された映像であるようだし。
最後、熊田美沙が清瀬イズミそのものになっている。
「自分を守る嘘、あんたの武器でしょ」
西尾アヤが清瀬イズミに刺殺されたのなら、何故、未だに捜索願が出されたままなのか。
(当然、彼女は失踪したままなのだ)。
ふたりが一緒に行動していたシーンも熊田美沙単独行動であったところも充分に考えられる。
(警官が関わるところで異様なズレが分かる。それからあの警官がとっても怪しい)。
実際のところペットの鳥がどうなったのかも定かではない。
ペディキュアの色がイズミは青、美沙は赤であったのに、最後のシーンでは美沙が青になっている。
エンドロール後の教室では、清瀬イズミの席に熊田美沙が座っていた。
明らかに意味を伝えんとしていることは分かる、

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では、ホントはどうだったのだろう、、、。
この映画は見た人に物語の再構成を愉しめという作品なのか、、、
だとしたら、それはやりすぎ。
皆それほど暇ではない。
一回観終わったところでの完結をサービスしなければ。
謎解きのためにもう一度見直そうなんていう気にはなれない。クイズではあるまいし。
しかし、よく計算されたプロットであり演出であったことは確か。
因みにタイトルの狗は、イズミがチワワに例えられ、美沙がブルドックであるからか、、、クラスメイトからは熊の「プー」と綽名されていたが、、、。

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最初の頃の、イズミに対する美沙の憧れ関係あたりはそのままな気がするが、、、
恐らく二人とも質は違っても孤独や疎外感に苛まれていたことも分かる。
そして引き合うものがあり友達関係になった。きっとなったのであろうが、、、
(友人関係は美沙の語る以外の広がりがあったはず)。
そして「恐怖と利益を持ってすれば、、、」(ナポレオン)の言葉を何度も述べて自分の意のままに人を操ろうとするイズミ。
イズミの暴力的な美沙を占有、操作しようという意思と美沙のイズミに対する違和と恐怖が膨張してゆく。
何に対してもイズミの狂気が関係自体に波及してきて、「自分を守る嘘、あんたの武器でしょ」が出て来る。

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とてもよく練られた作品で、二人がどちらも微妙な容姿であることも、計算の内であろう。
この方がこの入れ替わり感覚~眩暈も効果的に思える。
(実際頻りに不細工扱いされていた美沙はそんなことはないし、可愛くて妬まれているというイズミは自己意識過剰な普通の娘だ)。
実際どういういきさつで、イズミを美沙がめった刺しして殺したのか分からない。
兎も角、エンドロール後のクラスでは(美沙は正当防衛で無実であったから直ぐに戻ったのだ)、もうイズミそのものになっている感があった。
もう一度見ると分かって来るところはありそうだが、、、まあ、面白い邦画に出逢ったとは謂える。


mimpi*βという人がなかなかのシンガーソングライターであることを知った。




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低周波数ねずみ男

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ストレスの処理がうまくできないとき、気がかりが三つくらい重なって苛ついているとき、、、
交差点の信号待ちなどで、低周波数ねずみ男に出逢う。
眼鏡をかけてのっぺりした顔の男である。
よほどこちらに興味関心があるらしく、所謂ガンを飛ばしてくるのだ(笑。わたしはまったく趣味ではない(爆。
ターゲットロックしたぞ、みたいな半ば、どや顔。

こちらの周波数の下がったときに出くわす率が高いため「低周波数ねずみ男」と呼んでいる。
その輩に見つかるということは、コンディションが悪いということになる。
あるレベルの周波数に乗れば、見つからないのだから。
調子のよいときに出くわすことは、ない。
それは、わたしという存在の(周波数の)メルクマークともなる。

コミュニケーションスキル以前の折り合いのつかない相手との関りは、実質ない。
妙なガンつけ~爬虫類かお前は。
(大脳旧皮質が支配的な輩は多い)。
別の世界に分かれるのは当然の理。
寒空の散歩はウキウキしながらでないと。


明日は二女と蕎麦を食べに行く。
沖縄旅行がコロナでなくなってしまったのだ。




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さて

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文を書くことは、手放すことでもある。
書いてもなお残るようであれば、恐らく書き足りていない。

「毒親考」を整理して書くに当たり、、、
その動機を高めるため、(書くための)オリジナルデータとも謂える覚書を数名の大変信頼できる知人に送った。
まあ、大概の人が見れば、絶句するような(遠ざけたい)重い内容であったはず。
非常に生々しい一次データである為、通常、人に見せるなんてありえない。
だがそれを敢えてした。

自分の抱える内面(原質)に近い次元のものであるからだ。
その次元での共有が可能と判断した人に送った。
それを基に何を書いても、そこに戻った批評がしてもらえる。

整理した文章で一般性~作品性を高め、数日間、書き進めてみた。
すると、何というか自分の記憶がいや意欲が薄れてゆくのだ。
正確ではない。
書くこと自体が薄れてゆく。

いい加減な気持ちではなく、どうでもよくなってゆくのだ。
数名の方に送ったオリジナルデータはわたしにとってこの上なく重要なものであり、今もまだ生々しく確かなものなのだが、、、
それを基に、専門用語などを取り込み読みやすく整理して書き始めたものは、書くうちに自分から離れて逝った。

そういうメカニズムなのかも知れない。
オリジナルデータを病院の待合室でiPhoneで打ち、(しっかり読み込んでくれる)人に送った時点で、ひとつのプロセスは終了したのか。
最も根源にある体験を理解してくれる人に託したことで、更に薄めて広げることもない。
そういうことにした。

もう今やり始めたことを継続する必然性が失せてしまったのだ。
これをもって、この件は手放したとする。


わたしは、自分を取り戻したのか。



blue sky






約束のネバーランド

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2020

平川雄一朗 監督
白井カイウ 出水ぽすか 原作
後藤法子 脚本

浜辺美波、、、エマ
城桧吏、、、レイ
板垣李光人、、、ノーマン
渡辺直美、、、クローネ
北川景子、、、イザベラ


例によって原作アニメは見ていない。
稀に見てから、又は原作を読んでから映画を鑑賞することもあるが、どうしても原作と比べてしまう。
これが良いとは思えないのだ。特に小説と映画を比べどうこう言っても仕方がない。
映画は映画の形式による表現であるし、長く続いたTVアニメを二時間ちょっとにまとめ上げたものを比べてどうこう言っても意味はない。鬼滅の刃もTV版と映画それぞれで観たが、双方とも異なる面白さがあった。
本作はアニメの実写版と来た。一番色々謂われる余地のある類のものかも。
ファンは原作アニメのキャラを何よりも大事にするから、イメージが違うとか言って激怒したりする(笑。
(もし「ヱヴァンゲリヲン」の実写版を作るなんて事になったら、綾波レイ役など命がけとなろう。下手をすると世界中のオタクから総攻撃を喰らう)。
わたしは、元を知らぬし、ふ~ん、やはり浜辺美波はかわいいし凄いわ、とだけ思って観ていた(笑。
何の支障もなく観られる。エマ以外の全てのキャストにおいても、、、。ママとシスタークローネなど、はまり役だと思う。
(幼い子供が多数参加しており、この辺はさぞや大変であったと思うが)。

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森の中に佇む孤児院「グレイス=フィールドハウス」が舞台。
里親に引き取られる日を待つ子供たちと彼らを養育する母代わりの優しい「ママ」が暮らす。
国際色豊かな子供たちで構成されている様子であるが、主演の二人エマとノーマンは顔が明らかに日本人なのだからあの頭髪は浮いていた。原作は外人なのだろうが、映画では黒髪の方がしっくり溶け込めるのでは、、、。

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しかしある時、里親の見つかった幼い子が、大事な縫い包みを置き忘れていたことにエマが気付き、「門」のところまでノーマンと届けに行くと、何とトラックの荷台にその子の死体を見つけ言葉を失う。
気配を感じトラックの下に潜り込むと、恐ろしいクリーチャーが現れ、これまで里親の見つかったという子は鬼の餌として出荷されていたことを知るのだった。そして何よりも驚いたのは、ずっと信頼して何一つ疑いを持つこともなかったママが「最上級の食用児を育てる飼育監」であった事実である。
ショック三連発で打ちひしがれ逃げ戻る二人。

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そこは楽園のような将来の夢に充ちた孤児院ではなく「鬼に献上する食用児飼育農園」であった。
このショックは立ち直れなくなる程のモノではないか、と思うが直ぐに頭を切り替え手を打ち始めるところが凄い。
子供たちは反骨精神をもって自分たちの置かれた逆境~宿命から果敢に抜け出そうとするのだ。
って、こういうの洋画でも観たことがあることに気づく。題名を忘れてしまったが当ブログでも紹介している。
(前向きな意欲を持った自立的な子供が育っている以上、ここの教育はかなりのレベルのモノであることが分かる。しっかり育った優秀な子が美味しいのだろう)。
この設定は既視感があるが、何しろCGが美しい自然を創出しており、雰囲気的に充分魅せるものだ。

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キャスト陣に基本的には何ら文句はないが、演技・演出上、気になったこととして各部屋で思い切り大声で秘密の作戦を練っているのだが、各自に発信機などを埋め込んでいるくらいだ。盗聴くらい普通にすると思うのだが、館内にも要所要所にカメラが設置されていても不思議ではない。というより無い方が不自然にも感じる。きっとそのあたりに引っかかってバレルこともあるのでは、とハラハラしていたが、最後までそれはなかった。かなり杜撰に思えたが。
エマがどんなときでも前向きで想像豊かで元気な子であることはよく分かるが、ここは神妙に無言で行くべきではというシーンで元気一杯で大きな声を出していたりして大丈夫かと心配になるところもあった。
まあ、それを言ったらクローネなどそれ100%で、ほぼ悪巧みは筒抜けと思わせるものはあったが。

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妙に館内は解放的であったようだ。
やはり外に出た際、何処に逃げるかが危ない。
発信機は、広い庭に出た時の管理にとても有効であり、そこだけ締めていれば問題ないというところであったか。
だがエマたちは、それもクリアして絶妙なタイミングで逃げ出す。

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大変な危機を何度か潜り抜け、エマの前向きで創造的な考え方と行動力に触発され皆が引っ張られてゆく。
エマにメッセージをくれるのだから、犠牲となったと思っていたノーマンも何処かに逃れて待っているのだ。
希望も湧く。
最後は、見事ママの裏をかいて脱走に成功する。
ママとエマの別れの語らいは、長い年月かけて育てた者と育てられた者とのとても感慨深い内容であった。
お互いにもう何も語ることを残さないよい別れであったと思う。
エマは登った木の上で日の光を浴び笑顔で何を語っていたのか、、、皆に向けて何をかひとこと放っていた。
続編に期待したい。

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鬼という強大な系が存在し人権という特権が認められない食物連鎖の観点から見れば、こういう事態になる場合もあるかも知れない。



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流れを断ち切る

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非常に身体ボルテージが上がり、夜気に触れないとオーバーヒートとなる恐れ。
今夜はもしかしたら明日まで夜の散歩する、かも。

ともかく、周波数を上げること。

かなりのエネルギーを必要とする。
魑魅魍魎を絶つには。
徹底的に潰す。


毒親に関して書き進める

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これが実はかなり膨れ上がってしまい、収拾がつかなくなり、項目立てで整理して書き直している。
とっかかりは、毎月高血圧の薬を診察を兼ねて貰いに行く病院の待合室で友人(O君)宛に書いたものであった。
それは、わたしの感情のままにストレートに書いた体験談と素直に感じ考えたことなどを絡めただけのものである。

だが、それをもとに、いくつもの物の本などで読んだ用語なども取り混ぜて多角的に検証・考察を加えたものを書き出したら、中途半端で終われなくなってしまった。
これはやはりまとめておかなければならないのだろうな、と思っている。

それこそ宿命として。
わたしの場所で書くべきものとして。
絵でもよいのだが、やはり文の方が明確に伝わる。

用語も取り込むことで更に伝わりやすくなればよい。
想いを対象化してゆき、見えるものとして行く。
それが共有されてゆけば、、、

手放してゆける。
自分が空になれるのだ。
これをもって解放という。

全ての過去から。
未来からも。
輪廻だとか、カルマだとか、転生だとか、あらゆる間違った概念から解かれて、、、


わたしは別の場所でわたしになる(爆。


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今を形作るもの

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今しか実在しない。
時間は幻想である。

過去も未来も今のわたしの思考~記憶にあるだけ。
もし他に実在を求めるなら並行宇宙にスウィッチするしかない。
だがそれは常に自然に行っていることかもしれない。

今の想いが全てであり、今を制限する記憶(表象)~傷が痛むのなら、それは手放すしかない。
あらゆる方法を駆使して。
純粋な今が存在するのならそれをこそ味わいたい。
言葉を失った場とは。
過去も未来も自分の中にしかない。
何処にもそんなものはない。


そうこの世は物質の運動しかない。
その運動の可能性、性質、ばらけ方、から時間の原質がわれわれの脳裏に生まれたのか、、、。


確かに社会は時間を製作するところから始まっている。
過去・現在・未来へと一様に流れる時間という(社会)制度である。

運動法則の中に時間の矢はない。
位置~速度~加速度と微分してゆくとき、時間をマイナスにしても加速度は同じである。
ニュートンの運動法則~力=質量×加速度

物の運動の可能性~ばらけ方が残るだけ。

結局、何者からも自立し今を生きるには、時間制度~物語から解かれることである。



The Sheltering Sky001




間諜X27

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Dishonored
1931
アメリカ

ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督・脚本
ダニエル・N・ルービン脚本
ジョセフ・フォン・スタンバーグ『X-27』原案


マレーネ・ディートリヒ、、、X27(マリー)
グスタフ・フォン・セイファーティッツ、、、オーストリア諜報部長官
バリー・ノートン、、、銃殺隊の若い中尉
ヴィクター・マクラグレン、、、クラノウ大佐
ワーナー・オーランド、、、ヒンダウ大佐


ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督とマレーネ・ディートリヒが組んで作った3作目の映画である。
「嘆きの天使 」(1930)~「モロッコ」 (1930)そして本作品。この後、「上海特急」(1932)も監督との作品。よほど合うのだろう。

”Dishonored”という原題よりも「間諜X27」の邦題の方を押す。

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美人で頭脳明晰、夫が軍人で戦死しており愛国心もあり、音楽の素養が深くピアノの名手で、娼婦に身を堕とし男の扱いにも慣れている、、、しかも(恐らくここが一番肝心)死など怖くはない“私は生きることを恐れないわ。死ぬことも”と度胸も据わっている、、、とくればスパイにスカウトされるのも無理もない。
実際、スパイになると大変優秀。
一旦、敵の大佐に燃やされた暗号楽譜も、耳が良いためピアノで音を再現して譜に書き戻してしまう。
この曲が素敵な現代音楽のピアノ曲でもある。
わたしとしては、「ドナウ河のさざなみ」のこなれたエキセントリックな演奏より、気に入った。
「月光」はよかった。

マレーネ・ディートリヒは多彩で有能である。
そのうえこの美貌とくれば、無敵だ(日本でいえば、いくちゃんか)。
自分で恋愛に殉ずることがなければ、オーストリア諜報部長官になっていたかも。
恋の相手のクラノウロシア軍大佐は罪な男である。
(やたらとカッコよかったが憎たらしい)。

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映像が悉く優れた「絵」(構図)となっており、光の使い方が秀逸。逆光の中での影だけでの秘められた対話。
動きの上でもディゾルブ(オーバー‐ラップ)が効果的、、、。
言葉だけでは伝わらない濃密な文脈が生成されてゆく。
これは凄い濃度である。
CGを使わずに、これ程のVFXに凝った映画は見たことがないかも。
映画そのものもであるが、マレーネ・ディートリヒを如何に神々しく撮るかにかけていることが分かる。
それでこの監督とは何作も撮ることになったのか。

ノーメークでメイドで潜入したシーンも見もの。
彼女がメイクなしだとこれ程、可憐なのだということを知る貴重な絵である。
通常の妖艶な姿とは全く違う、お茶目な一面も観られファンにはこたえられまい(笑。

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これまでの功績もあるのに、大物を私情から逃がした罪は大きかった。
処刑の場で、、、
目隠しの布を拒否し、若い中尉の涙を拭ってあげる。
「女を殺すなんて 人殺しなんてもうたくさんだ!
これが戦争か 虐殺ではないか!
これが国のためか 何が愛国心だ!」
若い中尉には心底共感するが、どうにもならない。駄々をこねた少年みたいに退場させられ、、、
毅然とした彼女は最期までクールにルージュをひき、ストッキングをなおす。

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映画史に名を残すのも当たり前。


作品もどこから見ても飛びぬけた傑作。




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地球最後の日

When Worlds Collide002

When Worlds Collide
1651
アメリカ

ルドルフ・マテ監督


リチャード・デア、、、デビッド・ランダル(飛行機配達業者)
バーバラ・ラッシュ、、、ジョイス・ヘンドロン(ヘンドロン博士の娘)
ラリー・キーティング、、、コール・ヘンドロン(天文学博士)
ピーター・ハンソン、、、トニー・ドレイク(医学博士)
スティーブン・チェイス、、、フライ(ロケット工学博士)
ヘイドン・ローク、、、エメリー・ブロンソン(ケンナ山観測所の天文学博士)
ジョン・ホイト、、、シドニー・スタントン(クルマイスの富豪)
フランク・キャディ、、、フィリス(スタントンの執事)


もういくらでも何それ?だらけの映画であるが、いちいち言ってもキリがないため大きなことのみサラっと記して終わりにしたい。
古い映画で、科学的に迷走していても面白いものは面白いのだが、これは、、、到底言えないものであった。

地球に二つの天体が接近して来て、そのうちの一つが激突して地球が破壊されることが分かる。
6600万年前の恐竜の絶滅時よりも大規模らしい。所謂、隕石レベルではないのだ。
これで慌てない手はない。だが御用学者?たちはその観測・研究結果を一笑に付す。
しかし誰もがその説が正しいことを知る。空にデカい天体が見え始めるのだ。

科学者たちは、激突しないで通過する方の天体に少数の人類と家畜と植物をロケットに積んで飛び乗ろうという計画を立てる。
(二つのうちの先に到達するのが掠めて通過する方の天体だということが前提となっているらしい)。
乗れる人数はアメリカでは40人ほどだそうで。ノアの箱舟のつもりか。それ以外の発想~方法など出る余地もないらしい(絶句。
ニューヨークの国連ビルで国際会議が開かれたにも関わらず、急にスケールが萎み、町内会レベルの搭乗者抽選会となる。
この急展開。しかも町内会の有力者がかなり勝手に優先搭乗者を決めてしまっている。ズル。
地球規模での科学者の状況に対する見解と最善の対応策を元に至急全世界規模で物理的な実現を目指す以外になかろうが。
あの国際会議はどこへ行ったの?
エド・ウッド監督かと思ったら違う似たような人であったみたい。

When Worlds Collide001

地球レベルで人類を救おうとするなら、NASA主導でもRSAでもESAでもJAXAでもよいが、その天体の軌道修正を図るしかあるまい。
(今は世界的にスペースガードの研究が進んではいるが)。
早いうちにほんの少しでも角度をずらせたら、地球近傍に来た頃は大きく隔たっているだろう。
その為の有効で確実な策~方法を様々な科学者にあらゆる角度から練ってもらう必要がある(はずであったが)。

40かそこらの町内会レベルで選出した適当な人間乗せて地球を掠めて通過するという天体に例え飛び乗れたとして、その後どうするの?その天体は丁度良い具合に(月みたいに)地球の引力に捉えられて公転軌道に乗るということなの?この辺がいま一つ分からなかったのだが、、、。
(もしそんな調子のよい状況であったにせよ、すぐ後で地球は解体してしまうことになっている。その際の衝撃波や砕けた破片などの影響は如何程のものか?更に当然その天体は別の重力に引き寄せられ移動を再び開始する。こんな不安定な状況下で生命が生き残れるはずはない)。
ハビタブルゾーンも糞もないオウムアムアみたいに宇宙空間を流離う天体である。
環境も刻刻と変わるし、第一そんな場所に大気など存在できるのか。
ましてもともと生命など。

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しかしその天体にバス旅行さながらで着陸した一行。
太陽がシッカリ地球上のように射していて、木々も水も存在する(宇宙空間をずっと移動してきたのに木だと?)。
ロケットを降りる前に大気の組成と気圧、気温くらいは最低限調べるはずだが、いきなりハッチを開けて外に飛び出し、う~んいい空気だ、ってどこなんだそこは。避暑地にバケーションで来たノリだ。
この先、どこの引力に捉えられてその軌道上に落ち着くのかはともかく、それまで移住者が生きているとは思えない。


それはそれとして、他にも映画にすんなり入り込めないのは、、、
最初は、地震や噴火があったのに、更に天体接近が続いているにも関わらず、何故天変地異の激化が起きないでいるのか。
あれだけ籤で厳選とか言っておいて、拾ったどこぞの少年を無条件で搭乗させ、更にその少年の拾ってきた犬まで乗せることにする。その為に貴重な食糧源の鶏二羽を置き去りにすることに。これらは全てサラっと町内会の上のメンバーの独断で決められる。

おまけに、計画の中心となる博士の娘の恋愛感情を優先し彼女の気に入った新しい男であるランダルを搭乗者にねじ込む。
彼自身はおれはその資格はないと辞退しようとしているのに博士や元カレが強引にランダルを乗せてしまう。
彼女は喜ぶが、何とも一部の利益~欲望優先である。
特にこの娘の特権的恋愛感情に振り回され、それと大して変わりないロケット建造費の民間出資者のスタントンを土壇場でランダル博士が自分もろとも搭乗を断念にもってゆくというのもどういうものか。娘だって単なる欲得ではないのか。

まあろくでもないのが、変な書割惑星に着陸したところで、先はないことは見えている。
ジェットコースター形式でロケットが発射されたのはディズニー調で楽しかった。


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影なき殺人

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Boomerang!
1947
アメリカ

エリア・カザン 監督
リチャード・マーフィ 脚本
リード・ハドレー ナレーター

ダナ・アンドリュース、、、ヘンリー・L・ハーヴェイ(州検事:)
ジェーン・ワイアット、、、マッジ・ハーヴェイ:(ヘンリーの妻)
リー・J・コッブ、、、ハロルド・F・ロビンソン(署長:)
カーラ・ウィリアムズ、、、アイリーン・ネルソン(目撃証人のウェイトレス)
アーサー・ケネディ、、、ジョン・ウォルドロン(殺人事件の容疑者)
サム・レヴェン、、、デイヴ・ウッズ(「モーニング・レコード」記者)
テイラー・ホームズ、、、T・M・ウェイド( 「モーニング・レコード」発行人)


わたしにとって「アメリカ アメリカ」、「欲望という名の電車」、「エデンの東」という傑作以来のエリア・カザン監督の作品。
ただこの映画は上記のものとはかなり異質な史実に忠実に描いたドキュメンタリータッチの法廷ものである。

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とても信頼されていた神父が或る夜、何者かに至近距離からピストルで撃たれ殺害される。
実際に起きた事件であり、当時各方面を揺るがし話題をさらったものだそうだ。
夜であるが、周りに何人もの人がいる市街で行われた大胆な凶行であったにも関わらず、警察は一向に容疑者が特定できず、その間に様々な権力関係が動き牽制し合い軋み始める。
(観て行くうちに一つの殺人事件がこれほどの利権に関わって来る~矜持がないと司法関係者といえども策略に巻き込まれることが分かると同時に、お節介な野次馬の鬱陶しさと危険性も充分認識できるものとなっている)。

史実にできる限り忠実に描いており、土地の名前や人物名もそのまま使っているという。
(1924年にコネチカット州ブリッジポートで起きた事件)。
何よりその場所をそのまま使ってのロケなのだ。徹底している。
そして特異なのは、ヘンリー・L・ハーヴェイという「検事」が容疑者の冤罪を晴らしてしまうのだ。
弁護士には全くその能力がなかったこともあるが。
そして真犯人の検挙には至らなかったが、映画では明らかにある人物をそれとして特定しているように窺えた。

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人間が自分の欲望~利益・既得権などの為には形振り構わず行動し、他者を犠牲にするなど何とも思わないところが、よく表されている。
エゴ丸出しの利権をむさぼる政治家や実業家やマスコミが殺人事件に群がる。
(報道機関は殊更この事件を政治と絡めて拡散した)。
そして一般民衆である。
お節介に、したり顔で無実の男を罪人に仕立て上げようとする。
この目撃証言ほど覚束ないものは無い。
先入観、元々持っている思想、欲望~劣情によってその人間の表象が決定される。
人は自分の見たいものを観るのだ。
ヘンリー・L・ハーヴェイが7人の証言の客観性のなさ(科学的根拠のなさ)を全て晒して潰してゆく。
この後半の審理の過程には胸の空く思いだ。

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しかしこの容疑者は警察の睡眠をひたすら妨害し理性的判断を鈍らせる拷問めいた取調べにより、自白を強要され、訳の分からぬ証人から黒と判定され、圧倒的不利な立場で裁判に送り込まれており、周囲は単に有罪判決を確認しに行くような気持で集まっていた。彼がよそ者であったことも大きい。罪を擦り付けさっさと処刑しカタストロフを味わうためのスケープゴートだ。
その流れを断ち検事でありながら、杜撰な捜査と尋問、更に民衆の集団意識によってでっち上げられた被告人の吊し上げを阻止するのだ。検事の実証(弾道検査は圧巻)により科学的に被告にかけられた疑いが打破されてゆき、ついに証拠不十分により無罪となる。

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流石は、エリア・カザンというより、この検事ヘンリー・L・ハーヴェイの有能さである。
(両者ともに大したものであるが)。
また、この検事の奥さんが人間が出来ている。
圧倒的に不利な被告人を有罪判決にすれば全てが丸く収まるところを無実とする彼の考え~方針に対し、権力者、一般民衆、知人、裁判長までもが異を唱えており、身の危険すら起こり得る状況になっても、その考えを支持しずっと励まし続けられる妻は立派である。この奥さんの功績も忘れてはならない。

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見応え充分な作品であった。ダナ・アンドリュースは、アメリカの良心そのものであった。


エリア・カザン自身、例の「赤狩り」で元共産党員の為に疑われることを恐れ司法取引として同業者を売っている。
これは大変な遺恨を残した。自分の中でどう総括したのだろう。
(そういえば自伝を出していた。その辺に当然書かれているはず)。



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エクスクロス 魔境伝説

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2007


深作健太 監督
大石哲也 脚本

松下 奈緒、、、しより(女子大生)
鈴木 亜美、、、あいこ(しよりの友人)
小沢 真珠、、、れいか(謎の危ない女)
池内 博之、、、けいいち(しよりの元カレ)
中川 翔子、、、やよい(しよりの友人、骨折中)
岩尾 望、、、物部昭(民俗学講師)


松下 奈緒、鈴木 亜美、小沢 真珠のトリプル主演で送るホラーサスペンス。
かなり面白怖い映画であった。演出はわざとらしいが凝ってはいる。
おどろおどろしい村の残虐な風習のことなどが突然携帯にかかって来た物部という男から騙られるなど結構あざとい。
キャスト皆が思い切り弾けている様子は何か楽しそう(笑。

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謎の村の温泉旅行にやって来た、しよりとあいこに意味不明の怪女と村人が挙って襲い掛かる噺。
しよりとあいこがちょっとした諍いで別行動を取ったところからそれぞれが襲われることに。
それをしよりを追ったシーンと同時間のあいこを追ったシーンに分けて見せてゆく手法がとても分かり易く納得できる。
その温泉旅行を仕組んだ元カレの正体に驚き呆れたり、最後のどんでん返しとも謂える救いの神である民俗学者の物部昭のキャラに腰砕けしたり、最後の最後までタフで笑うしかない小沢 真珠はアッパレであった?

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阿鹿里村(あしかりむら)に仕組まれた温泉旅行に行ったところから、しよりとあいこに飛んでもない災難が襲い掛かる。
まず何と言っても恐ろしいのは小沢 真珠の黒いゴスロリ眼帯女である。
デカい鋏を二つ自在に操り、恐ろしい形相で狂ったように襲い掛かって来るのだ。
終始出ずっぱりでターミネータみたいに襲ってくるが、あいこにかつて彼氏を取られた恨みで彼女に復讐に来たと言う。あいこは、そんなことで~っと言っているが、恨みとは大概そういったものである。
但し、Web上にもない村にあいこたちがやって来るという情報を何処で得たのか不明。まあ、この荒唐無稽なキャラ自体が何だか分からないものだが、、、インパクトだけは充分。

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携帯を介して、しよりとあいこをサポートするのがやよいであるが、中川 翔子なので実はこいつが仕組んだのかと最初は疑ってしまったが、まあ結局さして役には立たないが怪しくもない友達であった。
(どうも存在自体が胡散臭いため、素直にみれない面がある)。
池内 博之は、こういう役がピッタリだなあと思う。
素直に改心したかと思ったら実は、、、というような(笑。

小沢 真珠の全てを投げ打ったような演技が、やはり爽快であった。
(この取って付けたような突飛な役が一番ビビッドで楽しいのだから、何なんだこの噺は(笑)。
特に鈴木 亜美とのハチャメチャなバトルは下手なお笑いより面白い。
こういうのは、また観てみたいものだ(中途半端なものはやめてもらいたいが)。
松下 奈緒もしっかり二枚目ヒロインとしてキャーキャー逃げ惑いながらも時折強烈なキック等の反撃もしており、よく頑張った。
(ピアノを弾くシーンなどもあってもよいと思ったが、、、いくちゃんの先輩女優として)。

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キャスト皆揃って楽しく発散して撮影していた雰囲気がよく伝わって来る作品であった。
この手のモノは、また観てみたい。
(こちらの)気分転換にもなる。



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生活の設計

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Design for Living
1933
アメリカ

エルンスト・ルビッチ 監督・製作
ベン・ヘクト 脚本
N・カワード 原作

フレドリック・マーチ、、、トーマス・B・チェンバース(劇作家)
ゲイリー・クーパー、、、ジョージ・カーティス(画家)
ミリアム・ホプキンス、、、ジルダ・ファレル(広告デザイナー)
エドワード・E・ホートン、、、マックス・プランケット(広告会社社長)


奇妙な三角関係をコミカルに(滑稽に)描く。
南仏からパリへ向かう列車の個室から物語は始まるが、、、。
何でこうなるの、という感じに進んでゆく。
まあ、芸術談義を駅に着くまでしているうちに意気投合すること等普通にあろうが、、、
三人で一緒に住む事に。

Design for Living002

友人以上恋人未満みたいな感じか。
社長のプランケットも加わり、ともかくセリフも多いが、特に面白いと思えるところはない。
3人プラス1みたいな構成で、時に恋愛感情が強くなり、時に友情が優先されたり、仕事にのめり込んだり、、、楽しくやってるようだが、裏切りもあり、喧嘩にもなり、それでもトリオはそのまま続くということらしい。
紳士協定だと?

Design for Living003

別にどうでもいいけど、、、。
私の殺した男」はとてもよく出来た好きな作品だが、同じ監督のこの映画は何とも、、、終始距離を持って、いつ面白く成るのかと思いながら最後まで行ってしまった。
芸術家たちの噺ではあるが(社長は実業家である)、別に彼らの生活も思想も芸術がどうのというものではない。
(制作に励んでいる様子もほとんどないし)。
こういう形態があっても良いとは思うが、これが維持されるにあたって特に面白いやり取りがあったり、細かい言い回しがどうという程のものでもない。
3人で暮らすのがやはり楽しく、最適に思えて、その為の工夫をする。
”Design for Living”、、、微妙。

Design for Living001

それに、皆芸達者ではあると思うが、ヒロインがそれ程素敵な人とも思えなかった。
2人の風変わりな芸術家と職場の社長が好きになってしまう相手である。
(それぞれとカップル関係にもなっている)。
もうちょっとキャスト選考も熟慮したらどうであったか。
何もベティ・デイヴィスクラスの人を出せとまでは言わないが。

Design for Living004

兎も角、ジルダ・ファレルというミューズが売れない三文芸術家を売れっ子にし、社長も更に金持ちにして万事めでたしということに。
そして最終的に?3人暮らしがもっともよいと言うことに落ち着き、ハッピーエンドと。
調子のよすぎる話しであり、どうにもついて行けなくなる。
もっと腹を抱えて大笑いするような場面が幾つもあれば力技でコメディとして愉しめるはずだが、、、。
奇妙だが基本シリアスで滑稽で何とも攫み様が無いのだ。
最後まで入り込めずただ観てしまうパタンの映画であった。

この監督の別の作品に期待したい。




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飾り窓の女

The Woman in the Window002

The Woman in the Window
1944
アメリカ

フリッツ・ラング 監督
ナナリー・ジョンソン 脚本
J・H・ウォリス 『Once Off Guard』原作

エドワード・G・ロビンソン、、、リチャード・ウォンリー(犯罪学の助教授)
ジョーン・ベネット、、、アリス・リード(美しい肖像画のモデル)
ダン・デュリエ、、、ハイト(マザードのボディーガード)/クラブのドアマン・ティム
レイモンド・マッセイ、、、フランク・レイラー(地方検察庁検事)
エドモンド・ブレオン、、、マイケル・バークステイン博士((医師))
アーサー・ロフト、、、クロード・マザード(経済界の大物)/フランク・ハワード(偽名)/クラブのクロード係チャーリー
ドロシー・ピーターソン、、、ウォンリー夫人


「メトロポリス」以外のフリッツ・ラング監督作品では群を抜いて面白かった。
ここ最近、観た映画のなかでもダントツに楽しめた。
絶体絶命のところに立たされもう後がない!というときにふいに目覚める。
悪夢からサッパリと解かれ晴れ晴れとした爽やかな現実~空気が充満している、、、この幸せ。

The Woman in the Window001

これこそ人生のリフレッシュ!
わたしも幾分かお裾分けをしてもらった。
確かに気持ち良い。

こうした経験、しようと思って出来ればよいのだが、一つの療法ともなる。
もう散々な目に遭い、やってられるか、というところで並行世界(宇宙)に瞬時に移動するに等しい。
というより、実際にそうしているのかも。
元祖SF映画の監督である。

元々、夢と現実の関係自体がそうなのかも知れない。
ちょっと気を許した瞬間とか。
同時性~synchronicityが気になったときとか。
普通に一秒間に何億回もジャンプしているのかも知れない。
(このフィジカルイメージはとても腑に落ちる)。

The Woman in the Window003

流石は、フリッツ・ラング。
そうしたことを思い起こす作品なのだ。
まず空間の硬質な広がりが端から違った。
これをもってフリッツ・ラング空間とでも呼ぶのか?
(夢と現をシームレスにする質感)。

クラブの長い椅子で転寝して目覚めるまで、所謂悪夢に魘されていたとして、、、
夢って、わたしはこれまで自分(主体)の視座でしか見たことない、恐らく。
ここでは、ウォンリーも登場人物の一人に過ぎない超越的な視座から物語が描写されていた。
こういう夢の見方もあるのか、、、あるなら別に気にしないが。
(リードと狡猾なハイトの二人だけのやりとりもウォンリーの想像という形で捉えることも可能だが)。

The Woman in the Window005

それにしても店頭の飾り窓に立てかけられた美しい女性の肖像画に見惚れるところからその世界(異界)に入り込むというのは、実に洒落ている。と謂うか粋である。
その額のガラスに映る女性が振り向くとまさに絵の女性だった、というこの二つの世界の接続~擦り合わせにはワクワクする。
ここでは、その文脈に乗った為に、憧れの美女に逢えたと思ったら殺人事件に巻き込まれ酷い恐喝にも遭い散々な世界の冒険となってしまうが、、、(笑。

The Woman in the Window004

何であれ目覚めるのだ。
どこかの場所に。
リフレッシュして。わたしは、随分心地よさを味わった。
とても良い兆しである(笑。




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黒蘭の女

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Jezebel
1938
アメリカ


ウィリアム・ワイラー 監督
オーウェン・デイヴィス・Sr 『Jezebel』原作
マックス・スタイナー 音楽

ベティ・デイヴィス、、、ジュリー・マースデン(自由な美女)
ヘンリー・フォンダ、、、プレストン・ディラード(銀行家)
ジョージ・ブレント、、、バック・キャントレル(西部の男)
ドナルド・クリスプ、、、リヴィングストン博士(プレストンの恩師)
フェイ・ベインター、、、ベル・マッセイ(伯母)
マーガレット・リンゼイ 、、、エミイ(プレストンの妻)
リチャード・クロムウェル 、、、テッド(ジュリーの弟)


ベティ・デイヴィスのアカデミー主演女優賞を獲得した映画。
(彼女は「風と共に去りぬ」のヒロイン役を逸してしまい、こちらの作品のヒロインに決まったという)。
オスカー獲得は確かに分かるが、ベティ・デイヴィスは常にこの純度の演技はしていると思う。
もうこのヒロイン以外の何者でもない人に成ってしまっていて演技という裂け目がない。
どの世の中でもはみ出してしまうような尖った感覚を持つ自由気儘な自分の世界観のある魅力的な女性である。
それに寄り添う男性は保守的であれば大変だが。日本では傾奇者として生きてもよいか。

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ヘンリー・フォンダが仕事はできるが何とも冴えない唐変木で登場している。
但し、アメリカの精神~規範は南部にあるといわれるものだし、こういったものなのだろう。
南部が基本~無意識となっていることは分かる。
大邸宅の使用人の黒人たちはかなり恵まれた生活をしているようだった。
身分の上下ははっきりしているものの、解放されて自立した一市民になったらそれこそ潜在的差別からまともに暮らせるとは思えない。北部の黒人は実際、大変であったし。

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ジュリーの因襲に囚われない性格は確かに魅力的ではあるが、両刃の刃でもある。
婚約披露会に乗馬服で帰って来るのは、カッコよいで済むが、保守的な舞踏会に娼婦の纏うような真っ赤の大胆なドレスで参加するところは、プレストンも立つ瀬が無くなるというもの。
周りが一斉に引きまくる。こうなると様々な面でやり難くなる。
共通感覚の問題であろう。
(結局、婚約者プレストンとも仲違いし、家に籠ることになってしまう)。

先鋭的なセンスがあっても同時に暗黙知が働かないと悲惨なことになる。
1年後、北部に行ったプレストンは色々と物事を対象化して器を広げて戻って来るが、嫁エミイもつれて来てしまう。
やり直しを期待して夢を膨らませていたジュリーも天国から一転して奈落の底へ、、、である。
ジュリーもその間、受容性を高め良い意味で大人になっていた。
馬鹿にしていた白い上品なドレスも自ら着るようになっていたのだが。
何というか、互いに離れ、間が開くことは有効に働くこともある。
しかしここでは、すでに修正の効く関係ではなくなっていた。

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ジュリーは嫉妬に自らを見失い、彼女に気のあるバックをそそのかそうとするが(ジュリーと決闘させようとしたのか)、結局彼と弟が決闘する流れとなってしまう。
そしてテッドは、バックとの決闘には辛くも勝つが、姉の魂胆も知ってしまい、周囲の者からJezebelと綽名され、再び孤立する。
更に「黄熱病」がコロナみたいに南部~ニュー・オリーンズに蔓延していた。
まさにパンデミックである。
避難してきたのに人手不足で呼び戻された銀行家プレストンもついに黄熱病に罹ってしまう。
ジュリーの近辺に激震が走る。
プレストンが島に隔離されてしまうのだ。

ここでジュリーは覚醒する。これまでの自分を捨て無償の愛でプレストンの看病をすることを誓い、エミイに彼と島に同伴する許しを請う。
彼女もその心に打たれ、夫をお願いします、と身を引く。
最後、多くの瀕死の患者とともに旅立つ悲壮な決意のジュリーの表情で終わる。
確かに「風と共に去りぬ」の並行世界みたいな物語であった。





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家とは、注文した商品を受け取る場所。
それ以上でもそれ以下でもない。
モノを受けとりさえすれば、もういるべきところではない。

特別誂の超ド級毒親が鎮座する上に、近隣では気狂い翁と頭の途轍もなく悪い糞ヤンキーが跋扈し、乾々の冬景色を凍てつかせている。
縦横の全ての系~ルーツを湯気も立てずに溶かす。
じーっと猫のように当然、その向こうの光点を見据える。

郵便物くらいまともに届けろ!

どんな形で在ろうと、わたしは受け取るべきもの、受け取って然るべきものを無傷で受け取る。
当たり前だ。
後は家には何の用も無い。

わたし本来の場所は、摺り合わせをしているところ。
ジョイントシャフトとカムロックを締結しようとしながらも、今一つ組み合わない、、、
(長女の机組み立てで、部分的に手古摺ったイメージが鈍く残響する)。

重い熱を帯びた白昼夢。方向性を生まない微小の運動が冗長を保つ。
「時間」などないことは端から知っていた。
我々には垂直の梯子しかない。

遠い日のトワイライトの羊水のなかに情報はすでに溢れ返っていた。
誰のものでもない律動に戦慄を覚えながらも。
確かにわたしは目を見開いていた。

ただ記憶はない。
それをとどめることばがなかった。
すべてが同時に起こってしまった光景など

もう一度思い出すための拠点がほしい。
瞬時に生まれなおすための家。
摺り合わせているが、当分は微調整と補正の生活か。




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絶好調ではあるが

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何分、籠って食ってばかりの生活の為、体重ばかり増えている。
これが目下の課題。
但し、何となく外に出てウォーキングやランニングをしても意味はない。
全てはコード化されている。
新たな風景などありはしない。
宙吊りで走るモルモットだ。

周波数を上げる。
それはそのまま新たな体験を創出する。

スイッチを入れ替える。
並行する異なる場所に移動する。

シャツを着替える。
わたしという違う存在となる。

これは全て同じ事。次の次元での遭遇を待つ。猫のように。微分方程式を頼りに。

次の場所を受け容れ処理する回路は見出した。


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雪が降った

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雪が降るとテレビアンテナが心配になる。
わたしは、ひとり個室に使っているアパートでは、テレビは見ていない。
だいたい一人で住んでいてテレビがあれば、へたをするとずっと見てそうで怖い。

代わりにパソコン見ており、なんら変わらないが(爆。
ただ、家の方でCS(323)に予約を入れており、戻ったところでメディアに焼いてこちら(アパート)に持ってくるので、雪だと録画状態が心配になったりする。
今メディア(Blu-ray)は3000枚ほどだ。
映画も勿論だが、美術系と科学系と音楽系がかなりの量を占める(ちょっと前までは乃木坂も必ず入れていた)。
CSの方では、JPOPが多いが韓国モノや今大ファンのブラックピンクもふんだんに見れてこれはこれで助かる。
出来ればGirl Friendも録画したかったが、番組がなかった。そして惜しくも解散してしまったものだ。
(Minaさんの活躍に今後期待したい)。
いくちゃん卒業ビデオが何回かに分けて放送される為、その辺が録画できれば、後はロック専門チャンネルに登録しなおすつもり。

以前はロック専門チャンネルで、オールディーズやらニューオーダー~ジョイディヴィジョン特集(イアンカーチスのヴォーカルが堪能できた)、キングクリムゾン特集やキュアー、レディオヘッド特集にスパークスライブとか、渋いポールロジャーズやクラプトンなど沁みるものもやってるしブリットポップ、グラムロック特選等々かなり楽しめたものだ。
乃木坂(いくちゃん在籍中の)をしっかり録画したらまた戻るつもり。
兎も角、ここはコピーアットワンスの世界だ。
ディスク管理も気を付けないといけない。
永く持たせるには、REに焼いて暫く(8~10年くらい?)経ったら、ムーブバックして新たなメディアに録画し直せば、まあ残すことは出来るだろう。

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消えちまったらそれまでよの世界である。雪のように、、、
少し前のアニメソング集のBlu-rayディスクが全く読めなくなっていたのは、大ショックだった。
ここがDVDのディスクとの違いである。
DVDの場合読めなくなっても盤面を奇麗にすれば大概読める。研磨する手もある。
わたしの経験上、ほぼ全て復活している。
Blu-rayの場合、これまで読めなくなったらもうダメだった。ワクワクして見直そうとしたら、ダメと言う時の虚しさたるや、、、。
不織布が悪いせいもあったはず。
Blu-ray専用のモノに入れるか、一枚ずつプラケースに入れて日光の当たらぬ気温・湿気もある程度管理されたところに保管するべきだろう。わたしはケースだと場所を取る為、バインダーやフォルダータイプに一まとめして種類の同じもので管理していたが、Blu-rayディスクは思いのほかデリケートであるようだ。
(いくちゃんものの保管には気を付けたい!ハイっ)。

雪が降ると何より路面凍結が怖い。受信用のお皿も怖い。
寒かったり冷たかったりは、当然のことで風情を愉しむこともあるが、計画が狂うのは困る。
不慮の事故が困る(やはりディスクがお亡くなりになった時が一番ショックだが)。
TV録画~管理や送迎に関しての面倒はごめんだ。
わたしは録画と送迎係でもあるから(笑。

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長女の机

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長女の新しい机が送られてきた。
時間差で二回に分けて送られてくるのだ。
たまたまわたしが午前中に来ていたからよかったもの。
こんなデカい荷物受け取り手がいなかったら厄介なことだ。

長女は午前中は部活でいなかったため、夕食前にゆっくり二人で組み立てをした。
反抗期の娘と静かな手作業となったものだ(笑。
余計な口は一切聞かない。部品を手渡し、片方を支え、ねじをとめ。淡々と進める。
懸念していた本棚スペースも妥当なところで、LEDランプも丁度よい加減であった。
この組み立て、机を置く部屋でやらないと後が大変。場合によってはそこに運び込めなくなることも(爆。

風水で観て、一番勉学に集中しやすい場所~向きを選んだ。
(それから妹と完全に違う空間で過ごすことを前提とした。そうしないと喧嘩ばかりしている)。
実店舗で良いものが選べれば、運び込んだところで直ぐに設置場所で組んでもらい、古いものを引き取って貰えるのだが、今回は良いものが見つからずウェブ上で探して選び、ポチっと押してしまったものだから、パーツが運び込まれてからが大変なうえ、古いものを下に降ろし、お金を払って取りに来てもらうこととなる。力仕事はしたくないが、せざるを得ない羽目になり。しかも取りに来てくれるまでが大概10日から2週間はかかる。その間、庭先に間の抜けたオブジェを暫く野晒しにしておくこととなるのだ。実に面倒で鬱陶しいことに。

でもまあ、これで勉強に身が入るのなら言うことはない。机にまずは向かってもらわないと、、、。
スペースの関係上、ノートパソコンは15インチのモノから12インチの流行りのGoogleChromeのOSのモノに変えた。
わたしもサブで13インチのubuntuのOSのノートを使っている。主に映画は24インチのパネルで観て、このブログはubuntuのfirefoxから打っている。MacOSとWinも10と11もあるが、必要なアプリケーションとユーティリティさえ使えれば何でもよい。
(但し、アップグレードしたWin11が些か不安定)。

さて今学期彼女らは、頭の3日間は学校をお休みして沖縄旅行となっている。
昨年はオーストラリアだったから、行くときに行っておいた方がよいと思っていたが、沖縄なら特に、、、と思ったが、外出の機会も少なかったからそれもよいかと思う。いつもながらわたしは、シャトルバス乗り場までの送迎係で、家仕事をその間やっていることになる(カメのエサやりと多肉の世話、そして家事一般)。だが、いずれ沖縄から更に飛行機で宮古島に飛び、そこからレンタサイクルで自転車を借り、来間島大橋を渡って来間島の奇麗な海辺でのんびり過ごしたい。この時はわたしも行く。

まずは、勉強机である。帰ってきてから、しっかり勉強に励んでもらいたい。



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市街

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City Streets
1931
アメリカ

ルーベン・マムーリアン 監督
マックス・マーシン、オリヴァー・H・P・ギャレット 脚本
ダシール・ハメット 原案

ゲイリー・クーパー、、、キッド
シルヴィア・シドニー、、、ナン・クーリー
ポール・ルーカス、、、マスカル(ギャングの親分、ビールの密造)
ウィン・ギブソン、、、アグネス(ブラッキーの元愛人、マスカルの愛人)
ガイ・キビー、、、ポップ・クーリー(ナンの父、マスカルの部下)
スタンリー・フィールズ、、、ブラッキー(マスカルの部下)
ウィリアム・“ステージ”・ボイド、、、マッコイ(マスカルの部下)
ポーレット・ゴダード、、、ナイトクラブのパトロン


カメラワークがイケてる。
接写とモノとの繋~質感も上手く活かされていて、芸術性も高い。
シルヴィア・シドニーのアップ~顔の表情が美しい上にハッとするような演出に使われている。
父はビールの密造で荒稼ぎをしているマスカル親分の懐刀と言ったところか、
欲しいものは何でも手に入れる親分に忠実で、その邪魔にとなる奴を殺してゆき、娘も利用するかなりのワル。
娘はその父を甲斐甲斐しく手伝いをしていたが、父の身代わりとして服役させられその世界から抜けたい気持ちを持つ。
同時に堅気のキッドと恋仲となっていることで、もう足を洗う気でいた。

ゲイリー・クーパーが若すぎて誰だか分らなかった(笑。
とても銃の腕の立つカッコよい役柄だ。
シルヴィア・シドニーとお似合いのカップルであったが、、、彼がゲイリー・クーパーとはね。顔を観てもやはり分からなかった。
しかしその彼女であるナンは服役中にキッドが父ポップの口車に乗せられビールの仕事に就いてしまったことに愕然とする。
(かつては儲かる為、彼に勧めたこともある稼業であったが、裏切りや殺人を厭わないヤクザな世界に嫌気がさしたのだ)。

めでたく出所し、キッドと仲睦まじくやってゆくことになるかと思いきや、今度は親分がナンに気が移り彼女に猛アタックをかけてきた。
これには、ナンも引きまくり、キッドは怒りを隠せないが。
この親分は部下のブラッキーをポップに殺害させ手に入れた愛人アグネスを追っ払い、ナンを手に入れようとするのだ。
金がいくらでもあることから何でも思いのままになるという感じでやって来た男だ。
そういう理不尽な男であるため、ナンはキッドの身をとても心配する。
(一緒に逃げようと彼にせがむが)。

City Streets001

キッドのプライドもあり親分と話をつけに行ったときに、不安でいたたまれなくなったナンが親分宅に先回りしてキッドを彼から遠ざける相談をする。その直前、親分邸を追い出されたアグネスがその様子を窓越しに覗いドアからそっとナンの拳銃で狙いすまして親分を撃ち殺してしまう。
子分たちがその騒動を聞きつけ集まって来るが、皆ナンの拳銃で死んでいる状況から彼女を犯人と決めつける。
アグネスは当然、ナンがやったと主張。

ここでキッドが機転を利かして彼女と幹部三人を車に乗せ、自慢の車で爆走を始める。
(このクラシックカーがよく走ること。素晴らしいスピードで走る)。
途中、並走していた機関車とクロスしたり、その後は海辺の高台を凄まじいコーナリングの連続でスレスレの位置をキープして爆走し全くスピードを緩めない。
後ろに乗っている三人はピストルを向けはしたが撃ちでもしたら絶壁から海に落下は免れず、ついに観念して銃を捨てて車を降りトボトボ帰ってゆくことに。
この頃、親分宅では部下がカーテンの後ろに隠してあったアグネスのアタッシュケースを見つけ、親分に振られた腹いせで撃ったことが疑われ問い詰められる。

この流れでキッドは、悪く思うなよ、と連中をけん制し、ナンと二人で何処か安らぎの地に向け逃避行を図るのだ。
恐らくこのまま、ハッピーエンドとなろう。

噺もすっきりしていてギャングモノにしては、即物的な血生臭さはなく、その人間の被っていた帽子が海に浮かんでいることでそれを暗示するなど、物や表情のアップなどで饒舌に語る方法をとっており何れも成功している。
スタイリッシュな映画であった。
これが1931年のものとは、、、そのころの方がしっかりと「映画」になっている感もある。
昨日の「七月のクリスマス」同様、観る価値あり。



AmazonPrimeにて












七月のクリスマス

CHRISTMAS IN JULY003

CHRISTMAS IN JULY
1940
アメリカ

プレストン・スタージェス 監督・脚本

ディック・パウエル、、、ジミー
エレン・ドリュー、、、ベティ
レイモンド・ウォルバーン
アレクサンダー・カー
ウィリアム・デマレスト
アーネスト・トリュクス
フランクリン・パングボーン


今日もぼんやりと過ごしつつ、映画は観るには観たが、その完成度の高さに驚く。
アメリカの恐慌後大戦直前の頃のモノだ。
アメリカの底力を感じるような作品。

懸賞に応募し一攫千金を狙う貧しいカップルが巻き込まれる珍騒動であるが、実によく出来たコメディであり、脚本のみならずカメラワークがこれまた立体的な動き?で素晴らしい(夜のアパート屋上シーン等)。
貧しい人々~その彼らの住むダウンタウンの描かれ方がメルヘンチックで単にリアリティを狙ったものでもない映画ならではのファンタジーに充ちていた。所謂、貧しい下町庶民感情もコミカルに豊かに描かれ、、、。
CHRISTMAS IN JULY001

主人公の自信のなさがこの時期の社会の行き詰った不安と閉塞感にも同期しておりこの点ではリアリティを感じる。
大会社の社長という成功者であっても、大きなコンテストで賞をもらうなどの社会・文化的な承認がないと物事に対する価値や判断が下せないという覚束ない状況も頷けるものであった。
しかしジミーに対するフィアンセの励ましや社長にチャンスを与えてくれることを懇願するところなど、前向きなシーンも多い。
細かい部分でも黒猫を実に効果的に配置したり、物が演出的にも流れの上にもうまく使われている。
これこそ映画である。

CHRISTMAS IN JULY006

大手コーヒー会社の標語コンテストに応募する。
提供のラジオ番組で当選者を発表する手はずであったが、選考委員の意見が割れ結局、時間に間に合わなかった。
結果を待ってイライラする主人公は仕事にも身が入らない。フィアンセが必死に励まし落ち着かせようとする。
同僚が悪ふざけで、彼の標語が受賞し25000ドルがもらえるという電報を偽造する。

CHRISTMAS IN JULY004

そこからは、一気にドタバタコメディが加速してゆく。
いつまでも終わらぬ選考委員会に呆れ果てていた社長のところに電報を持った青年が現れたものだからてっきりもう片がついたと勘違いして、さっさと小切手を渡してしまう。
それをもって有頂天のカップルは、デパートで自分たちや家族のものだけでなく近所界隈の分までプレゼントを山のように買いまくってしまう。
CHRISTMAS IN JULY002

そしてそれらを人々に手渡してゆく。7月のクリスマスプレゼントである。
その後の流れは言うまでもないものであるが、一旦混乱はするが、大手企業が小切手を破り捨てた時のデパート側の反応や金持ちに対する下町庶民の確固たる(意固地な)態度や既成の価値なしでものを考えることの不安などが社会事情も踏まえよく表現されていた。
CHRISTMAS IN JULY005

そして最後のオチはやはりそう来たか、で腑に落ちる(笑。
そうだと思っていた通りの着地である。
これでハッピーエンドとなるだろうと。


名人芸みたいな映画であった。
とても面白く満腹になった(笑。



AmazonPrimeにて







鰻重が美味い

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最近、とても疲れる。無意味な柵、余計な遠慮、、、全て押し流すが、、、。
スタミナが尽きて、高い栄養ドリンク剤など飲んでいたが、常用しているとちっとも効かなくなってくる。
そこでひとりゆっくりと良い食事を摂ろうということにした。
色々と試してみたが、味と触感と満足感からして、今のところ鰻重が一番気に入っている。
ここのところ、ちょっと短いスパンでしきりに食べていたが、さすがにそうしょっちゅう注文できない。
そこで、週に1~2回は食べるということに決めた。

疲れが吹っ飛び、美味しい満足感に浸れればそれでよい。
やはりビタミン剤よりずっと体に良い事は確か。
以前は、カロリーメイトにビタミン剤を毎日摂っていたことがある(青汁とかユーグレナ等も併用していた)。
主食もベーコンエッグにフルーツグラノーラに牛乳、粉末のポタージュなどで軽く食べていた。
バナナとヨーグルト、チーズは、もう習慣になってしまっていたが、ともかく軽い。
料理ではない。

軽すぎる食事に時折、蕎麦(主に山かけそば)もローテには入るが。
自分の食事となるととても手抜きになってしまう。
(娘たちに作っている頃は、パスタもシチューもハンバーグもカレーもサラダも御粥もかなり凝りまくったものだが)。

もう彼女たちに作ることもない。

満腹感が重要なのだ。
その充実感が満足感を確定する。
食事が軽いと生そのものが軽く落ち着かず取り留めもなくなってゆくように思える。

元々自分が自分でない感覚に宙吊りになっていたが、最近それに虚無感が色濃く加わる。
何というか物忘れも含め、空間感覚が尋常でないのだ。
一時期、老化と混同していたが、寧ろこれまでの外界がどうでもよくなって来ている節がある。
そう余りにもどうでもよ過ぎる。

自分のいるべき座標をはやく確定しないと。
ともかく何処にいてもよいし、何を食べても構わない。
(勿論、美味いものに限るが)。
出来れば何もしたくはない(笑。
腰を据えて瞑想できる自分の場所が必要。
(地球でなくても1000光年先の天体でもよい)。

また明日にでも鰻重をズッシリ食べながら考えるか、、、。
(鰻はたれを付けるより香りのよいワサビで食べる方が美味いことが分かった)。
鰻丼もよい。食欲がより刺激される(笑。


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ヴィナスの接吻

One Touch of Venus001

One Touch of Venus
1948
アメリカ


ウィリアム・A・サイター 監督
ハリー・カーニッツ 、フランク・タシュリン 脚色
S・J・ペレルマン、 オグデン・ナッシュ 、クルト・ワイル 原作戯曲
アン・ロネル 音楽

ロバート・ウォーカー、、、エディ・ハッチ(デパート装飾係)
エヴァ・ガードナー、、、ヴィーナス
ディック・ヘイムズ、、、ジョー・グラント(ハッチの親友)
イヴ・アーデン、、、モリー・スチュワート(社長秘書)
トム・コンウェイ、、、サヴォリー(デパート社長)
オルガ・サン・ファン、、、グローリア(ハッチの彼女)


小刻みにツボを押さえた笑いの仕掛けられたミュージカルラブコメディ。
曲も耳に馴染んで心地よく、、、
手慣れた作りでテンポよく楽しませてくれる。
キャストもピッタリ。
ハリウッドは、この時期にもうこのパタンを確立していたのだ。
こういうのなら幾らでも量産できるぞ、みたいな。

One Touch of Venus003

エヴァ・ガードナーの美しさは、もう芸術のレベル。
ヴィーナスは勿論、社長秘書もエレガントでカッコよい。

大金持ちの社長が20万ドルで購入したヴィーナス像が装飾係のハッチの接吻によって人間に変わってしまい(誰も信用しないが)、、、
ヴィーナスはハッチに恋心を燃やし好き勝手に動き回り、ハッチはヴィーナス像の装飾(カーテンの修理)どころの話ではなくなり、社長も台座から消えてしまった彫像の盗難で探偵をよんで慌てふためき、恋愛関係にも微妙な変化が生じ。
関係者のてんてこまいのドタバタ劇が繰り広げられるなか、、、
この突然、場に投入された過剰な美の破壊力~インパクトをもって、関係性がフレッシュに一新されて一件落着をみる。
まるで神話みたいな噺(笑。

この女神には、しかし制限時間が設けられていて、24時間を過ぎると元に戻ってしまうのだ。
しかしあちら(誰かは定かにされないのだが)の計らいか、がっかり肩を落とすハッチのもとに、ヴィーナスそっくりの新人社員が配属されてくる。
女神の計らいなのかどうか。
女神自身が人間となって戻って来たのか。
恐らく、社長と彼を思い続けてきた秘書モリーが結ばれ、グローリアと彼女を密かに思ってきたハッチの親友ジョーが恋に落ちたのも、女神の仕業であったはず。
ヴィーナスと言うよりキューピッドだ。

One Touch of Venus002

ともかく、最後は皆が荒唐無稽に丸く収まるというもの。
脚本、演技、曲、歌唱力、どれもバランスが取れていた。
ヴィーナスはとてもヴィーナスらしく作用していたものだ。
これが一番、肝心なところであるが。
(ここが決まらなければ、そもそも噺にならない)。

誰もが息をのむ美しさ、その感動は現実を活性化して変えてしまうというもの。
これは、絵画や音楽であってもよいが、ここではまさにそのアウラそのものともいうべきヴィーナスが出現してしまった。

こういう驚き、わたしは期待するものである。
ワクワクで迎えたい。


AmazonPrimeにて











”Bon voyage.”

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