何を観ても響かない

実家を離れ、ひとりで生活しているが、ようやく慣れてきた。
明日も実家には戻らず、昔のハリウッド映画でも観ようかとは思っているが、なるべく薄いコメディにしようと思う。
絵も描かなければならないし。
読書の時間も確保しないと。
色々なことが終わる。
終わっても次が控えている場合は不安はない。
先が未定ということもある。
すべて何とでもなるものだが、、、。
いくちゃんは乃木坂での活動は終わっても、輝やく次のステージが幾つも控えている。
羨ましいものだ。更なる活躍を楽しみにしたい。
わたしも一区切りついたところで、まずはゆっくりと休みたい。
へたをすると三年寝たろうになるかも知れぬが、それはそれで困ることなどあるわけない。
そう、ただ眠っている時が一番幸せかも知れない。
自分からもこの世のすべてからも離れた場となって過ごす。
ある意味、死と紙一重の場所と化しているわけだ。
面白い。
深層の何かが勝手に発動してくるかも知れない。
わたしであってわたしでない何者か~他者が、、、
違うものに成りたい。
全てを破壊し尽くす何かに。

THE_VOYAGES_カンボジア_クメール・ルージュと一ノ瀬泰造

井戸章裕 監督
風間悠介、、、ナレーター?
NHK教育番組ぽいドキュメンタリー。
昨日の重厚で稠密な映画とは打って変わり、さらっとしたカンボジアに旅行する前にちょっと軽く事前知識を、という感じのお勉強映像作品かな。
とはいえ、ナレーションでしょっぱなからいきなりロンノルをロンルノと平気で言っていて、製作関係者は誰も何とも思わなかったのか、、、。これ、大失態だけど。
ここでは、カンボジアの現状と40年以上前のクメール・ルージュによる虐殺の惨状を写真や物的資料(人骨とか)、当時を知る現地ガイドの解説を織り交ぜ語り、アンコールワットの単独撮影に臨み消息を絶った戦場カメラマン、一ノ瀬泰造氏のエピソードで最後は締められる。
何というか、教科書を読むみたいに平板に進んでゆくためか、わたしのワーキングメモリーのせいか、今観終わったところで、ほとんど何も覚えていない(笑。資料館でやたらと骸骨が積み上げられていたのは印象にあるが、感情に訴えるものは無い。
(語られる内容は、悲惨極まりないものなのだが、、、伝える人、伝え方のどれだけ大事なことか)。
昨日の動かぬ人形劇で当事者目線で淡々と語れる方が遥かにずっしり来る。些か疲れたが、、、。
特に堂々とロンルノと騙っているところから、このドキュメンタリー信用できるのかな、という思いも引き摺ったことも確か。
アフガニスタンで活躍の戦場カメラマン渡部陽一氏のお陰で、その職業を少しばかり身近に感じたものだが、一ノ瀬泰造氏のカンボジアでの功績について興味・関心を抱くきっかけにはなると思う。彼はカンボジアで(特に子供たちには)大変慕われ人気のあった日本人である。ここでも紹介されている彼のお墓がそれを語っている。白いシンプルで柔らかな形の奇麗なお墓だ。
(彼の遺体は消息を絶って9年後に発見され、写真を撮りに行ったところでクメール・ルージュに捉えられ処刑されていたそうだ。地雷をとても心配していた彼であったが、彼が愛した同じカンボジア人に惨殺されたのだった)。
なお、「地雷を踏んだらサヨウナラ」(1999)浅野忠信主演映画で、一ノ瀬泰造の生き様が描かれている。
これは近いうちに観てみたいとは思う。
やはり「思想」の怖さと「強力なリーダー」を求める危うさを感じるばかり、、、。
さらに重い事実をどう他者に伝えるか。
その伝え方に関して、思うところがあった。

AmazonPrimeにて
消えた画 クメール・ルージュの真実

Les Khmers rouges
2013
カンボジア・フランス
リティ・パニュ 監督・脚本・編集
サリス・マン 人形制作
ランダル・ドゥー ナレーション
粘土の人形と当時のフィルムで進行する映画。人形はパペットのように動くのではなく呪術的にそのシチュエーションの書割の中にその都度、置かれるだけである。そして語られるのだ。この手法はとても斬新に思え、重厚で饒舌でさえあった。
説得力のある手法だと思う。

粘土は犠牲者の血が浸み込んだカンボジアの土を使って作られている(監督の両親・親族は皆クメール・ルージュに殺された)。
俳優を使い当時を再現する手法に限界を感じての事だろうか。
夥しい数の素朴で味わい深い人形が作られていた。それぞれが皆監督が子供時代にあったことのある実在の人であろう。どれもとても個性があると同時に一様に虚無に囚われた表情をしている。ムンクの叫びのような声のない絶叫をあげているようにも見えた。
飽くまでもその当時を生きた一人の人間として等身大の場所から回想して行く(少年の頃の自分と逢うなどして)。
この作り方でなければ、監督は語れなかったのだ。

「クメール・ルージュ」は、ポル・ポト派とも呼ばれる極左過激派の武装組織だ(シハヌークがつけた呼称だという)。
オンカーという組織を名乗り、市有私財、宗教を禁止して人々から名前も奪う。
そして「カンボジア王国」から「民主カンプチア」に国名を変える。
ベトナム戦争も激化し、アメリカ(ニクソン政権)軍の激しい空爆により、シハヌーク政権時代には余剰米に溢れ輸出していた状況であったものが耕作面積の激減で深刻な食糧難を引き起こし国民は飢餓にさらされていた。
(ロン・ノルのクーデター以降、アメリカが南ベトナム解放民族戦線の追撃でカンボジア領内に進攻して来たためである)。
クメール・ルージュは、極端な重農主義であるが、農耕地と農業インフラの破壊に対する復興は急務であったはず。

皆農村に連れて行かれ、都市はガラガラとなる。
プノンペンの街の変貌には絶句するしかない。様々な人で賑わう当時の大都市のフィルムと人っ子一人いない廃墟で同じ場所であることを示されるのである。これこそ映像~絵の力に他ならない。
「思想」によってこうなるのだ。それをまざまざと見せつけられた。
「理論より実践。自分で考えるな。旧社会に冒された者にレーニンを服用させよ。」
共産主義と原初自然状態を合体させたものが理想の社会と謂わんばかりに、、、。
「原始に帰れ」である。原始共産制への回帰。
皆に黒い服を着せ、田んぼに放り込む。
彼は裸足で怪我をせずに歩くことが出来るまでに相当な時間を要したという。
泥の中を歩かされることは拷問以外の何ものでもなかった、、、。

再教育と大量粛清は有名。
プロパガンダフィルムもしっかり製作している。
しかし当時を伝える写真やフィルムは、「クメール・ルージュ」によって全て破棄されたという。
どうしても子供時代が蘇る。
それはよく分かる。途轍もない深いトラウマに囚われているのだ。
当然、子供時代の自分が訪ねてきておかしくない。
いまのわたしに語ろうとするが、言葉が見つからない。
そうなのだ。だからこの表現は必然的なもので、本質力を充分感じる。

「宗教やカルマのせいではなく、思想のせいだ。」と監督の言う通り、、、。
禍々しい思想による最凶の実験であった。
人類が避けるべき経験は、ある。
避けられなければ寧ろ死んだ方がよい。
だが、それを見てしまって生きているというなら、
生きて語らなければならない。
この殺戮された人の血の浸み込む粘土で作った人形を並べて語る手法~一人称の説得力は途轍もなく重いものであった。
息苦しいほどに、、、。

テーマの表現方法というか、新たな映画の手法を感じた。
AmazonPrimeにて

トロールハンター

Trolljegeren / The Troll Hunter
2010
ノルウェー
アンドレ・ウーヴレダル 監督・脚本
オットー・イェスパーセン、、、ハンス(トロールハンター)
ハンス・モルテン・ハンセン、、、フィン・ハウガン(TST役人)
トマス・アルフ・ラーセン、、、カッレ(大学生、カメラマン)
グレン・アーランド・トステルード、、、トマス(大学生)
ヨハンナ・モールク、、、ヨハンナ(女子大生)
トルン・ローデメル・ストッケランド、、、ヒルデ(女性カメラマン)
北欧ノルウェーとくればムーミンの国である。トロール~妖精の物語かしら、と観始めるが、、、

密猟者のドキュメンタリー映画を撮ろうとしていた学生3人が、怪しいと目を付けたハンスに接触しその奇妙な行動の後をひたすら追ってゆくうちに、彼の正体が分かる。
彼は政府から極秘に依頼され任務を遂行する「トロールハンター」であった。
ここからドキュメンタリーは「トロールハンター」のトロールとの孤独の闘いを記録するモキュメンタリーにシームレスに移行する。
トロールといってもムーミンみたいな妖精ではない。
でかいのとなると体長60mに達する獰猛な怪獣である。叫び声も怖い。夜行性で在り、おまけに臭いがとてもキツイ。
だが、トロールを追うには彼らに見つからないようにトロール臭を全身に擦り付けなければならない。
(女子にはキツイ)。
残忍な肉食で家畜を食い漁ったり、人間も平気で食べるトロールである。ムーミンやニョロニョロではない。
政府機関であるトロール保安機関(TST)がこの化け物の存在を隠蔽するために「トロールハンター」に秘密裏にトロールの殺処分をさせていたのだ。
トロールの暴れて処分された跡にはわざわざ死んだクマを運んできて、偽装工作をしてきた(密猟はこの線から浮上した疑いである)。メディアの誤魔化しはその専門家のフィン・ハウガンが行っていた。
それもあり学生によるビデオ録画は断じて認めない姿勢を見せていた。しかしトロールハンターであるハンスはこのやり方をいつまでも続けてゆくことに疑問を抱いており、学生たちのビデオ記録を容認する。

トロールは大きく分けて山トロールと森トロールがいて、リングルフィンチ、トッサーラッド、マウンテンキング、ハーディング、ヨットナールなどいくつもの種類がいるそうだ。
そしてハンターのハンスの言うには、最近トロールの行動範囲が変わり様子がおかしいとのこと、、、。
彼らはそれほどでかくなくても、どの種類のトロールも充分巨大で肉食で獰猛である。
隠蔽するとかいう前に、誰もが一度くらいは出逢っていてもおかしくはないはず。
家畜や人が食われているのだ。平原にも夜更けになれば姿は現す。
でかいトロールが何体も走り去っていく姿を誰か目にしていないのか。
だが、映画ではトロールは絵本の中にだけいる妖精だと皆が信じているようだ。
木がばらばらな向きに倒されていても竜巻でやられたんだろう、と納得しているしまつ。
ここに無理がある。

更に知能はなく食っては生殖しているくらいだとハンスは言っているが、キリスト教徒にかつての信仰の対象の位置を奪われてことに深い敵意をもっており、キリスト教徒の匂いやその血に強く反応するなど、知能~超能力なしで在りうるとは思えない(と言うより言語なしでは成り立たないであろう)。だが、もし知能を持たずにそういった反応をするのであれば、やはり存在自体が魔物なのだ。
途中からムーミンが恋しくなってしまった(笑。
トロールは、日光に弱いということであったが、ハンスの手作りか、紫外線照射装置でいともたやすく撃退される。
腕力では一撃でやられてしまうが、光の武器により若いトロールは粉みじんに爆発し、年寄トロールは石化して砕け落ちてしまう。
太陽光のビタミンDをカルシウムに変えられない為、過剰反応して血管や内臓にガスが溜まり破裂し、年寄は欠陥が収縮しているため骨が爆発するとか、何とも、、、。更にハンスは血液採取を頼まれるが、その結果トロールたちが狂犬病になっていることが分かる。その為に、テリトリーを離れ、張り巡らされた高架電線などを抜けて人里に被害を出し始めたようだ。
この採血を決行しようとしたとき、ハンスはトロールに捕まり振り回され叩きつけられたのだが、着ていた防御スーツのおかげで気を失っただけで助かる(これも彼のお手製だろう)。このスーツが如何にもオズの魔法使いのロボットを思わせるようなメルヘンチックなものであったが、明らかに狙っている感があった(笑。

巨大トロールの造形も動きもその捉え方~映し方もどことなく幻想的(御伽噺的)でよかったと思う。
ノルウェーの寒々とした広大な夜景にロングショットで捉えられると何とも言えないものだ。
爪で激しく引っ掻かれ抉られたハンスのランドクルーザーもよい味出ていた。
ハンスのオットー・イェスパーセンは冒険ものの主役をやらせたらピッタリのタフで渋い役者であった。
結局、巨大なヨットナールを光で撃破した後、ハンスはどこかに消えて行き、代わりに駆け付けたTSTに学生は追われることになる。
カメラマンは少し前に命を失っていた。彼はキリスト教徒であったのだ。
ビデオは、この映画会社に届けられはしたものの、そこに映っていた学生の消息は掴めないとのことであった。
なかなかよく出来た面白いモキュメンタリーである。
こういうのならまた観たい。
ノルウェーに期待。
AmazonPrimeにて
カルト

2013
白石晃士 監督・脚本
あびる優、、、あびる優(タレント)
岩佐真悠子、、、岩佐真悠子(タレント)
入来茉里、、、入来茉里(タレント)
三浦涼介、、、NEO(最強の霊能者)
岡本夏美、、、金田美保(霊障被害者)
林田麻里、、、谷口陽子(番組ディレクター)
井上肇、、、龍玄(霊能者)
山口森広、、、雲水(龍玄の弟子の霊能者)
小山田サユリ、、、金田朋絵(美保の母になりすまし)
ホラー映画である。
3人の女子タレントが霊障に悩む家庭を訪ね、霊能者が除霊するというロケ番組に出演するところから始まる。

「カルト」と言うので、狂信的なカルト教団が大暴れして凄い説法をしたり儀式を執り行ったりする類のモノかと思って観てみたら、、、ちょっと派手な想像、だった(笑。しかし結構壮大な展開を控えているのかも、、、その可能性はないとは言えない。
人間を滅ぼそうとする野望をもってるらしい悪霊に対して霊能者とタレント女子が理屈はどうあれともかくお祓いしちゃおうと頑張る噺みたい。続編に続くようだが。

最初の方は、高校生でもここまで素人臭い映画は撮るまいという感じで、観始めたことを後悔したが、我慢しているうちに何故か徐々に面白くなる。
何というか、この作品、病みつきになるような奇妙な味がある。
霊の見せ方からして、ハリウッドではあり得ない、ボ~っとした煙みたいな人型だったり、口に棒みたいになって入っていったりする何かウンチを連想しそうなものでもあったりする。
タレント、特に岩佐真悠子はキャーキャー素で怖がってるみたいに煩いし、三人の喋りも普通の内輪話みたいで。
コメディホラーかというと、全くそうではなくシリアスなホラーなのだ。
モキュメンタリーホラーとして何となく成立してゆく。
緩いのに怖い。「ゆるこわ」である。

中盤あたりで入来茉里に悪霊が憑依してしまい、向こうの手先みたいになっていて変なところからいきなり出てきて笑ったりする。
本体がどこにいるか分からなくなっているし、、、。
大丈夫なのか、と思ってしまうが、思いのほか皆、気にしてない様子。
二人の霊能者を倒してしまった手強い悪霊だが、そこへ最強の霊能者が現れる。
NEOである。「マトリックス」から名を借りたと本人も言っているが、恐らく本名を知られ呪いをかけられることを防ぐためか。
役者が良い。三浦涼介は「仮面ライダー・オーズ」のときからのファンである。
歴代仮面ライダーのキャラの中で彼の演じたアンクが一番ドラマチックでカッコよい。
この三浦涼介~NEOが出てから物語は俄然面白くなる(まずのっけからの登場の仕方がしっかりかぶいている)。
このひとは、スタイリッシュなのだ。如何にもやり手という雰囲気に充ちている。
それまでボ~っと影みたいに現れたり、棒みたいに口に入ってくる霊にやられっぱなしだったのだから。
(影の薄い影みたいのとか回虫かウンチみたいなのに簡単に殺されていたのだ)。
ガンガン行ってちょうだいという感じになるというもの。

アンク、じゃなくてNEOのおかげでメリハリがつき、スリリングになってテンポもよくなる。
そしてその家庭内の問題ではなく、外との繋がりへとスケールアップしてゆく。
一体何者との戦いとなってゆくのか、、、。
一番びっくりしたのは、仲の良い母娘と思っていたその母が娘にとって全くの他者であることがNEOによって暴かれたことである。
それまでは、献身的に娘のことを案じ尽くしてきたかのように思われたそれは、霊界とこの世界を繋ぐ窓にその娘が使えるために母に偽装した魔物なのだった(娘は幼少時に難病で何度も死にかかった為、霊界に繋がりやすい体質となっていたという)。
向こうはかなり組織化された集団なのか、、、。悪霊軍団なのか、、、。

そして色々と呪いの仕掛けを突き止めたり、天井から降りてこようとする悪霊を止めたりするのだが、結局相手は何者なのか、まだはっきりしないうちに、この映画~序章か~がストンと終わる。
NEOの「これは大変な戦いになるぞ~」という声とともに。
(タレント女子はこの先どうするのか~失踪した子も含め~ロケ番組はどういう形で放送するのか、続編で分かるはず)。

直ぐ殺されてしまった霊能者はそれらしくてよかったし、NEOはいうことなしだが、女優陣がいま一つ存在感が弱かった。
とはいえ、面白い。続編は必ず観る。
AmazonPrimeにて

マッド・ハウス

1BR
デヴィッド・マーモー 監督・脚本
ニコール・ブライドン・ブルーム、、、サラ(服飾デザイナー志望)
ジャイルズ・マッシー、、、ブライアン(マンション住人)
テイラー・ニコルズ、、、ジェリー(マンション管理人)
ナオミ・グロスマン、、、ジャニス(ジェリーの妻)
トラウマを抱え柵から解放されるため新たな生活を始めたいと思って独り外に出たときなど、とかくつけ込まれる隙が生まれ易い。

洗脳というか、情報操作は様々なレベルである。
国レベルでは、実際の福島の放射能汚染は、公表値の3倍以上であるとか、色々とある(事故直後の海外の科学者の調査はその後どうなったか)。また各層の共同体においてそれぞれ固有の操作は存在する(町内会レベルまで様々)。
背景の理念は結構、他愛もないものから極めて低俗な劣情絡みのものまで。大体が愚にもつかないものが多い。
洗脳は提示されたデータを丸呑みしていけば完了となるかと言えば、それほど体系化されたしっかりしたものがあるわけでもない。
何というか、部分的~局所的な操作・改竄が図られ一部の利益が保証されるレベル。
強い政府~強大な権力が望まれかつてのファシスト党とかナチスに同等なものが現れれば、まさに全体主義~洗脳がいきわたってしまうだろうが。
現在のような福祉社会において、政府の介入が強まれば構造的にそれに移行してしまうことに警鐘は鳴らされてはいる。
(今何かと強い政府とか強力なリーダーシップなどを望む声も聞かれる。この意識こそ大変危険。いくらムッソリーニやヒトラーが煽っても人々がそれを望まなければ何も生まれない)。

この映画の舞台となるLAの見た目の良いマンションは、笑顔でフレンドリーな雰囲気、平等、協力、相互扶助、などが目に付く、住人同士の交流が盛んな共同体である。やれバーベキュー、パーティーだとか、、、これだけでわたしは辟易してすぐに出てゆくが。
マンション自体はとても魅力的な物件であり、広い中庭やプール、室内も品の良い作りでサラも直ぐに気に入った。
しかし彼女の弱み、内緒でペットを持ち込んだことを突いた姿なき脅迫が始まる。
住民は適度な距離感を大切に生活しているように見えながら、プライバシーも何もない監視体制が敷かれていたのだ。
そして神経を参らせる為の就寝時の不可解な騒音。これで神経が疲弊する。
疲労混迷を誘い思考力を弱め意識を混乱させてゆく。そのため大事なことを忘れてしまうなどしてさらに落ち込んでしまう。
そして突然、監禁されあからさまな虐待~体力消耗のプログラムが実施される。
(体に負荷をかける体勢で壁に手を突かせそこでランプの点灯中ずっと耐える罰を加え、ランプが消える前に体勢を崩したかどで彼女は釘を毛の甲から壁に打ち付けられ動けなくされる。これは見ている方も痛い)。

これで行くところまで行ったところで、よくやったと救済措置を施し、安堵させて仲間へと懐柔してゆく。
飴と鞭である。鞭がいささか強すぎるが。この間に彼女の外の社会との接点は全て彼らによって断ち切られ、最早居場所はこの共同体以外にない状況に置かれていた。
ここで殺されては元も子もないというところから彼女も共同体の一員となることに同意する。
(ペットの猫が彼女の部屋のオーブンで焼き殺されている)。
大方強制的に取り込む際は、こういったやり方が定番なのだろう。
そしてこの一連の虐待行為は間違った価値観を正す矯正行為だととくとくと説明を受ける。
住人誰もがそれを納得している様子。すすんでそれを受け入れている者がほとんどであることが分かる。
サラは、まずは自己保身の必要性から共同体の一員となると同意するが噓発見器でそれを暴かれてしまう。だが、努力して一員となる(「共同体の力」を必死で読む)意思を示す彼女に、彼らは責任ある仕事を任せる。確かに重要な仕事の一端を担わせることは上手いやり方になる。
監視役となり今度は住民の些細な問題を自分が摘発する立場に組み入れられてしまう。

怖いのは、このマンション管理人がグルなのではなく、もっと上の組織がこのマンションの世界を管理しているということであり、「共同体の力」(基本理念は、無私無欲、開放、需要、監視の4項目、、、実に気色悪い)を著わしたチャールズ・D・エラビー博士なる人物の思想が継承され維持されて来たという事実である。これが実現されれば世界から貧困や不平等や争いがなくなるとか説かれている。
つまり誰がリーダーなのか、ではすでにない、ということだ。
現時点のリーダーのカリスマ性で維持されているものなら、彼を殺せば解散となる可能性は高いが、その次元ではなくなっている。
その思想が、自動機械として作動し続けるシステムとなっていた。
現在このマンションをもっている大手不動産会社が、全ての物件でこの実験を行っている様子である。

彼女は、何とか夫と決められた男性の自己犠牲によりマンションからは脱出できたが、外の夜景にはその不動産会社の看板があちこちで光っていた。そしてカメラが作動し警報が夜空に鳴り響く。
彼女は、その会社名CDEは「共同体の力」を提唱した博士の略称であることに気づく。
沢山のカメラが監視し警報の鳴り響く夜の街路を、サラは悲壮な決意で駆け抜けてゆく。
何といってもヒロインが凄い女優であった。
やはり出て来るね~。凄い人が。
この女優は今後、要注意としたい。
AmazonPrimeにて
ビッグ・バグズ・パニック

Infestation
2009
アメリカ
カイル・ランキン監督・脚本
クリス・マークエット、、、クーパー(ぐうたら青年)
ブルック・ネヴィン、、、サラ(心理学専攻の学生、クーパーの上司の娘)
レイ・ワイズ、、、イーサン(クーパーの父、退役軍人)
キンジー・パッカード、、、シンディ(お天気キャスター)
E・クインシー・スローン、、、ヒューゴ(聾唖の青年、アルバートの息子)
ウェスリー・トンプソン、、、アルバート(清掃業者)
リンダ・パーク、、、リーチー(指圧専攻の学生、虫について詳しく調べる)
デボラ・ゲフナー、、、モーリン(サラの母、クーパーの上司)
ジム・コディ・ウィリアムズ、、、ジェド(虫に寄生された人間を監禁している)
昨日同様、巨大昆虫パニック映画。
しかもここでもレイ・ワイズが癖のある退役軍人で大活躍。
主人公がぽっちゃりしたまるで緊張感なし。(但し昨日の主人公はお人よしだが仕事熱心。こっちは仕事さぼりの常習犯)。
無暗に良いテンポ。これで軽みがかるが、ぐいぐい乗せてゆくスピード感はなかなかのもの。
やはり主人公とツンデレ美女が最後にはよい仲になる。
ともかく、鉄板、定石の流れ、、、。
感覚的にかなり似た作品を続けて観てしまうこととなった、、、。
確かにこの作品も疲れた時には観易いとはいえ、虫が苦手だといまひとつ、、、なのだが。

VFXに不自然さはなく質感もよく、動きも自然でインパクトもあり支障はない。
荒唐無稽な設定と展開だが、昨日の映画「メガ・スパイダー」みたいにとりあえずの科学的説明も設定の根拠も示さない。
ただ不条理な状況だけを小気味よく畳みかけて来るのみ。
潔い。
このシンプルさが功を奏している。
登場人物たちも皆シンプル。
言うことなし。しかし人間と虫のハイブリッド形態は、その手のSF映画の廉価版みたいで今一つ感があった。
(例によって卵を体内に産み付けられた人間がそれになる。ここでは頼りにしていたアルバートとイーサンである。シンディの兄もいた)。

ただし今回は何故か冴えない主人公に我儘なキャピキャピお天気キャスターがやたらと仕掛けてくる。
しかしクーパーは最初からサラに一目惚れでぞっこんなのだ。
クーパーはモテて悪い気はしないが,サラの手前、シンディを拒み続ける。
(このシンディ何やら企んでいるのかと勘ぐっていたが、単に自己中の我儘娘に過ぎなかった)。
ここの捻じれ関係が、ひとつにクーパーを強くし自立に向かわせ、もう一方でこの一向に危機を呼びこむ。
シンディがクーパーとサラの仲を妬み、自暴自棄となってぎゃ~ぎゃ~騒いだため大量の昆虫が押し寄せ、サラは巣に運ばれて行ってしまう。
巣からは赤い煙が立ち上っているため、分かりやすいのだが、容易に近づくことは出来ない。

ここで昨日の映画にはなかった父子の葛藤場面がかなり濃厚に描かれる。
息子は彼にとっていつまでも半端モノで一人前とは言えない。しかし息子はここでしっかり自立した姿を見せ自信を得たい。
癖のある権威をもった父役は、レイ・ワイズにはうってつけ。
子供に厳しいが愛情深く、危機を愉しむ退役軍人でなかなか粋な戦いぶりを見せる。
彼も息子が無謀にもサラを助けに昆虫の巣に向かった為、加勢に来たのだがその途上虫に背中を刺されていた。
(つまり卵を産み付けられているため、人でいられるタイムリミットがある)。
つまり彼はダイナマイトを持ち、片道切符で息子の救出に来ていたのだ。
そして息子を認めて壮絶な最期を遂げる。

虫の巣での戦いではこれまでから見ると息子~クーパーは、かなり頑張った。
卵を凄い勢いで産む女王虫の爆破に成功し、巣全体も破壊される。
そこから逃げ帰ったクーパーとサラとヒューゴの三人に久々に安息の時が訪れた。
クーパーはサラに僕たちって恋人同士だよね、そうだよね、という感じでカッコ悪く確認するがサラも否定はしない。
そんな時に、聾唖のヒューゴが「あれを見ろ!」と叫ぶ。
最後に彼らは何を観たのか、、、続編作ることになってるらしいから、またクワガタみたいなのが飛んで来たのでしょうな。

続編あるなら義理で観るかも、、、ついでに昨日の映画の続編も義理で、、、(爆。
AmazonPrimeにて
MEGA SPIDER メガ・スパイダー

BIG ASS SPIDER!
2013
アメリカ
マイク・メンデス監督
グレゴリー・ギエラス脚本
グレッグ・グランバーグ、、、アレックス(害虫駆除業者)
ロンバルド・ボイアー、、、ホセ(病院の警備員、アレックスの相棒)
レイ・ワイズ、、、ブラッグストン少佐
クレア・クレイマー、、、カーリー中尉
パトリック・ボーショー、、、ルーカス(遺伝子学者)
ツイン・ピークスのリーランド・パーマーを演じているレイ・ワイズがいた。
軍のお偉いさん役はよく似合う。
反面、主人公のアレックスときたら、何というか丸いまろやか路線のお気楽タイプで、どんな場面でも緊張感はまるでない。
なかなかムーディーなオープニングに、これはやらかすな、と思ったらその通り。
コミカルなモンスターパニック映画であった。
疲れた時の気休めにうってつけの作品。
病院で蜘蛛退治を頼まれたら軍が秘密裏にやってきて大事に巻き込まれてゆく。
主人公コンビも軽いノリでドンドン深みにはまり、、、。
テンポよくBGMも愉しいあっという間に最後まで雪崩れ込む疲れない映画。

こういう能天気な娯楽ものもないと、キツくなってしまう。
VFXはしっかりしており臨場感はある。
特にホラーテイストの見せ場は要所要所に置かれ結構ショッキング(笑である。
蜘蛛が隠れながら人を捕食して大きくなり脱皮してゆく地下迷路の様子など結構怖くてワクワク。
しかし主人公コンビがやたらと軽いため、お化け屋敷的な展開。

公園で呑気に遊んでいる人々が次々に襲われてゆくシーンはよく出来ていた。
(演出上のサービスなのか、ビキニ姿でバレーなど愉しむグラマラスな美女がたくさんいたりしてその後の悲惨さを増す)。
アレックスの昆虫の生態に関する知識をもとに彼らも何の装備もなしに軍とほぼ同じ行動をとる。
彼の考案した殺虫剤は、特に有効に使われる場面がなかったのは残念。
しかし猪突猛進で蜘蛛に挑みかかってゆく。
軍には煙たがられるが、アレックスはすでにチャーミングなカーリー中尉にぞっこんで彼女を助けようと軍のなかに割り込んでゆくのだ。
そして実際、彼女の危機を救ったりしている。
だが、軍~特にブラッグストン少佐からは相変わらず邪魔者扱いであった。

ついにヒロインが蜘蛛の糸にぐるぐる巻きにされ、これで終わりと思っていたら、軍のカメラでまだ生存していることが分かる。
全体指揮を執る少佐は、中尉を助けに行けない。
ビルの屋上で暴れている巨大蜘蛛の爆撃が近づくなか、アレックスに彼女の救助が託される。
高層ビルはかなりの惨状だが、ちゃんと10階までエレベーターは動いた。
(エレベーター内でコンビでノリノリのリズムを口ずさんで行くところが、如何にも彼ららしい)。
わたしが一番心配したところだが、行きも帰りも大丈夫だった。
気がかりだったのは中尉が背負っていた爆薬だがあれはどうなったのか、、、使わずじまいであったようだ。

何でも遺伝子学者が言うには、火星から飛来した隕石に含まれていた遺伝子の研究を進める過程で、食物~トマトの巨大化に成功する。食糧難に役立つ画期的発見であったがその際、トマトに蜘蛛が紛れ込んでいて蜘蛛が巨大化してしまったという。
その蜘蛛に襲われた人間が病院に運ばれ、その建物と周囲を閉鎖するが蜘蛛は地下に潜り込み外で大暴れとなる。
よくある政府の秘密の研究のミスから飛んでもない化け物が生まれてそれが人々を襲うパニック映画。
ただしこの作品はそれにゴーストバスターズがプラスされるというもの。
知識はあるが、頼りになるのかならないのかいまいち分からない一般人が軍に同期して動いてゆき、、、
その司令官から重要な人命救助の役を頼まれる。

最後はコンビであれこれ考え、アレックスが決断した蜘蛛の弱点である出糸突起に攻撃を加え、一気に粉砕しようというもの。
巨大蜘蛛の後ろに回り込み、軍から託されたバズーカで決めた。
少佐はお前こそプロ中のプロだとアレックスを持ち上げ、大喜び。
カーリー中尉ともよい仲となり、お気楽ハッピーエンドであった。
終りに少佐から電話が来て、ゴキブリに詳しいか、というもの、、、
続編は、コックローチで来るのか、、、もう観ないけど。
これ一つで充分(笑。
AmazonPrimeにて

ばるぼら

Tezuka's Barbara
2020
手塚眞 監督
黒沢久子 脚本
手塚治虫 原作
橋本一子 音楽
クリストファー・ドイル、蔡高比 撮影
稲垣吾郎、、、美倉洋介(大衆小説作家)
二階堂ふみ、、、ばるぼら(ミステリアスな少女)
渋川清彦、、、四谷弘行(純文学作家)
石橋静河、、、甲斐加奈子(美倉担当の編集者)
美波、、、里見志賀子(権八郎の娘、美倉の彼女)
大谷亮介、、、里見権八郎(代議士)
片山萌美、、、須形まなめ(ブティックの店員~マネキン)
ISSAY、、、紫藤一成
渡辺えり、、、ムネーモシュネー(ばるぼらの母)
話題の手塚治虫原作の映画がもうアマプラで観られるというのは、ありがたい。

原作を見ていないため、この映画世界のみブレずに観ることが出来た。
これは映画を観るには良い事かも知れない。
原作アニメを堪能した後だと、違いにばかりに注目してしまい、鑑賞がままならなくなる。
音楽と映像が趣味よくマッチして、幻想的な美しい流れに自然に入り込めた。
売れっ子大衆小説作家の美倉は、ベルレーヌの詩を酔っぱらって口ずさむばるぼらと出逢う。
都会の排泄物みたいな女と例える美倉のいうようにとても汚い姿で酒を吞んでグデグデになっていたが、彼女といると何やら調子が良くなり、これまでと違うものを作りたくなってくるのだった。
要するに彼のミューズが現れたということか。
(わたしもミューズは欲しい)。

面白かったのは、ブティックの店員が美倉を誘ってきたとき、その美しい女は彼の自意識~本当は気にしていることを嘲笑うかのようにペラペラ喋るのだ。
わたし先生の本が大好きです。全く頭を使わなくてもスラスラ読め、後には何も残らないところがいいわ、などとズバリ的を得たことをグサリと言う。真実は人を傷つけるである。その女から逃れようとするが、どうにも逃げようがないところに、ばるぼらが忽然と現れ~ブティックの試着室である、いくら何でもそんなところにと思うが、この子ならそれほど不自然に感じない~その女を容赦なく叩きのめすと、何とそれはマネキンではないか、、、このシュールな変容には驚く。そしてこういう映画なのか、と嬉しくもなる。この幻想の描写は見事。
同様に、夕食会の際、席を外した里見代議士の娘が部屋の外で待ち伏せしていて、美倉に凄い勢いで抱き着いてくる。
ここでも高級料亭の庭にどうやって忍び込んだのか、ばるぼらが植木の陰から飛び出てきて、志賀子をやはり情け容赦なくスコップ?で叩きのめす。流石に有力後援者の令嬢であり止めようとするが、「先生何やってるの、しっかりして」と言われよく見てみるとそれは犬ではないか、、、。目を丸くしてフリーズの美倉(笑。
この辺の無意識の露呈のような幻覚は面白いが、これほど現実と混濁し始めたら危険でもある。
そもそもばるぼらと出逢ったこと自体が、それなのかも知れない。

しかし浮足立ってふらふらし出だした美倉を現実に引き戻し、元の堅実な仕事をさせようとする真面目で彼のことを真剣に考え支えようとする甲斐を疎ましく思うようになる。
彼女もばるぼらの存在には気づいており、その関係や最近の生活ぶりを危惧する。
するとばるぼらは人形を使いそれに針を刺すことで、代議士の命を奪い、献身的な世話を焼く甲斐を事故で大怪我をさせてしまう。
オカルトである。彼女の母がかなりコアなカルト教団?を率いるカリスマ的教祖みたいだ。
どんどん仲が深まるばるぼらと美倉であったが(思い切った奇麗なヌードシーンがたっぷりと流れる)、結婚を決意する。
強面の母もそれを認めたが、結婚式などあり得ない儀式になっていた。

だが、ここで代議士の娘が父の葬儀にも参加しなかった美倉を恨み、その結婚式を警察に知らせ、彼は麻薬吸引の現行犯逮捕されてしまう。
それでも美倉を見捨てず、仕事が軒並み打ち切られた彼のために新たな仕事を取って来たのが怪我から回復して退院したばかりの甲斐であったが、彼は逃げ出し、ばるぼらと逃避行してしまう。
ふたりは完全に孤立してしまった。
もう誰からも救いの手は期待できない美倉と母の追っ手に恐怖するばるぼらである。
果たして逃げおおせるか。どこまで遠くに行けるかと思っていたが、これも呪いであろうか、ばるぼらの頭部の怪我であっけなく2人の満ち足りた生活はほんの一時で終了となる。

美倉は独り生き残ってどうなるんだろう、、、
もう夢も希望も残っていないはずだが。現実ではそうだろうが、彼には創作がある。
ばるぼらの話を書くと言っていた。これは純文学として成功するかも、、、。
AmazonPrimeにて
村の秘密

Wenn du wüsstest, wie schön es hier ist
2015
オーストリア
アンドレアス・プロハスカ 監督
ゲアハート・リーブマン
ジーモン・ハッツル
イネス・ホンセル
マヌエル・セフチュク
フリッツ・エッグ
村で少女が殺害される。
「ツイン・ピークス」だとローラ・パーマーに当たる少女か。
何か出だしの不穏さが似ているが、、、。
村は一家族みたいな共同体になっていて、その中で皆窒息寸前といったところ。
(人類皆兄弟とか言ってた人がいたな)。
誰もが本心では外に出たがっている。
しかし反面、共依存関係が成立していて、お互いに傷を舐め合うような関係性に誰もが甘んじている様子。
(不平を言いながらもお互いを必要としあうって、なんだろう、、、)。
何かこういう閉塞した村ってどこもそうだな、、、とつくづく感じるところ。
ここで、いつものように内内で事件を不慮の事故で片付けようとする暗黙の力学が作動する。
警察の立ち位置はこうした環境では極めて微妙でナイーブなものとなる。
彼らにとり、いや誰にとっても、何より大事なのは共同体そのものを保持することなのだ。
それぞれの公の秘密、性癖、既得権に触れてはならない。
間違っても真相を暴いたり、正義を追求することではないのだ。
警官はとっても大変な立場となる(こういうところの警官にだけはなりたくないとつくづく感じた)。
ここでも彼らは、どうやって八方美人に事件を収めようかと躍起になる。
ところが大変なことになる。
外から切れ者刑事が事件解決に派遣されて来たのだ(この村は信用がないのか)。
もうこの刑事ときたら真相究明の手を緩めず、タブーなど関係ない。
村の権力者や村人の団結、相互依存などお構いなくズケズケと遠慮なしに抉ってゆく。
怪しい奴は遠慮なく尋問してゆくからここの警官はハラハラドキドキ、怯えながら出頭をお願いしたりして、間に挟まり一番辛い役回りとなる。
案の定、覆面した村人に夜道でボコボコにされる始末。
「お前はどっちの味方だ~」、「友達を裏切るのか~」である。
村は怖い。だからと言ってそのままの権力構造を維持してゆくと、こんな事件が続発しては闇に葬られていってしまう。
やはり警官だけは文脈からメタ存在でないと、結局は共同体も腐りきってしまうはず。
法律的には、当然三権分立であっても、この司法権がローカルな場でどれだけ中立にしっかり作動するかである。
というか、ここは一体どんな村なんだ。
しかし主人公の右往左往する警官の父は、怪しい仏教徒でやりたい放題の超然とした生活を愉しんでいる。
こういう場では、宗教を使い変人として生きるのも知恵なのかもしれない。
で、やはり捜査をまっとうに進めてゆくと、他所から来た刑事もびっくりするような真相が出てくる。
そしてボコボコにされた警官も覚醒して、意外な(しかしやはりねという)犯人にまで行きつく。
(ローラパーマーと一緒か)。
ここで、切れ者刑事は初めてこの警官を評価する「やくやった」と。
だが、警官はリックを背負い当のない旅に出てゆくという。
何か分かる気がする。
とても渋いが景色も美しいよい映画であった。
AmazonPrimeにて
海底から来た女

1959
蔵原惟繕 監督
石原慎太郎 原作
石原慎太郎、蔵原弓弧 脚本
筑波久子、、、少女(シャチの化身)
川地民夫、、、敏夫(夏のバケーションのお坊ちゃま)
内田良平、、、堤(作家)
武藤章生、、、ガンちゃん(兄弟の友人)
草薙幸二郎、、、勝造
本間文子、、、婆や
水谷貞雄、、、克彦(敏夫の兄)
浜村純、、、藤作
BGMというか、効果音がこの時期よく使われていた”ひゅ~っ”という音で思わず笑ってしまった。
使い回されているのか(デフォルトフォーマットとして)、特定の効果音の人がそれを多用していたのか。
怪奇ものによく使われるが、これはSFにカテゴライズされていた映画である。
とはいえ全くサイエンス要素はなく、ファンタジー映画として観たい。
(いや、太陽族の青春映画なのか?)

石原慎太郎の原作・脚本というので、三島由紀夫が主演で出た「空っ風野郎」みたいに注目してしまった。
チャーミングでセクシーな女性が唐突に海から現れ、漁港の町に夏のバケーション?で来ていた坊ちゃまと恋仲になる物語。
(この女優は初めて見たが、奇麗なだけでなくイタリア女優みたいな野性味もあり存在感は凄い)。
しかし漁師の長が言うには、その魅惑的な娘は、昔漁港を荒らしまくり何とか仕留めたシャチの相方であると、、、。
ちょうど、二人がボートで出逢ったころ、この漁港で漁師が遭難した。
俄かに漁港に不穏な空気が充満する。
しかしいきなり荒唐無稽な話をされて戸惑うお坊ちゃま。

彼はその娘と度々ボートや部屋で密会し、お互いに惹かれあっていたのだ。
ただの迷信だ、あんないい娘が化け物の化身だなんて、と突っぱねるお坊ちゃまだが。
百歩譲って例えシャチだとしてもこの変身技術は大したものであり、皆で寄ってたかって殺すのは忍びないとわたしも思う。
彼女が漁師たちに復讐に現れたのだと、彼らは口をそろえて訴え、このままだと漁が出来ずとんだことになる、という彼らの言分もわかる。すでに犠牲者も出ていることだし。

しかし幻想的な出逢いといい、話術もお坊ちゃまを自分のペースにすぐに乗せ翻弄するあたり、その容姿ともどもただモノではない。完全に上手である。大したシャチだ。シャチであるためか人の姿であっても水中での泳ぎが素晴らしい。特撮ではなくホントに泳いでいる。
ボートを大事にするところは、やはり石原慎太郎だ。太陽族だ。
しかしこういうロマンティックな噺も作るのね。
堤という作家が面白い立ち位置である。
慎太郎とは随分タイプの違うナヨっとした作家であるが、敏夫に彼女を信じろ、君は選ばれた人間なんだ。君が観た彼女が正しい、と彼を励ますところは、共感した。わたしもそういう自分の現実を丸ごと認めてくれる励ましは一番嬉しいものだ。

部屋で逢う時など、魚臭くはないのだろうか、心配してしまったが。
一緒に魚を捕りに行こうと誘うのだから、お坊ちゃまを襲う気は最初からなく、やはりお互いに惹かれあっていたことは分かる。
もし漁師たちに殺されず、二人で逃げ延びていたら、どうなっていたのか、、、
結構、幸せに暮らしましたとさ、となりそう。
とてもいい感じのファンタジーであった。
最後は悲しい現実であったが、、、。

拾い物であった。観て損はない映画。
AmazonPrimeにて
ANNA

ANИA
2019
アメリカ
リュック・ベッソン監督・脚本・製作
サッシャ・ルス、、、アナ(モデル、二重スパイ)
ルーク・エヴァンス、、、アレクセイ・チェンコフ(KGB職員、アナのカレ)
キリアン・マーフィ、、、レナード・ミラー(CIA職員、アナのカレ)
ヘレン・ミレン、、、オルガ(KGB新長官)
エリック・ゴードン、、、ワシリエフ(KGB長官)
アレクサンドル・ペトロフ、、、ペーチャ(アナの元カレ)
レラ・アボヴァ、、、モード(アナを慕うモデル)

この映画は、リュック・ベッソンの十八番のジャンルであり、彼の独壇場と言えよう。
一部の隙も無い作り込みようで、見応えは申し分ない。傑作としか言いようがない。
これまでに見た、このタイプの映画でも(ほとんどリュック・ベッソンの作品になるが)一番観易く、入り込み易かった。
「Leon」、「ニキータ」、「ジャンヌダルク」、「フィフス・エレメント」、 「LUCY ルーシー」、「ヴァレリアン 千の惑星の救世主」のタフで美しいヒロインもののどれにも引けを取らない圧倒的な作品であった。

サッシャ・ルス~アナは飛び切りの美女でアクションも凄く、モデルの仕事の裏で、二重スパイとして暗躍して~暴れまわり、もう何人殺したかわからぬほど。しかし彼女の望みはただ一つ。自由になること、である。果たしてそれが叶うのか、、、という映画。
その他のキャストがまた実に良い。
皆成りきっていた。であるため見所の連続である。アクションもいうことなし(これはサッシャ・ルスが凄い仕上がり様)。
特に魅力的であったのは、KGBの上司オルガ役のヘレン・ミレン。
まさにいぶし銀の演技である。こんな味の出せる女優、他にいるだろうか。
最後にKGBの長官となるが、ホントに様になっていること。

ともかく、この映画、脇を固める面々が何れも決まっている。
ルーク・エヴァンス~アレクセイ・チェンコフはロシアのバリバリのKGBの工作員?でアナのカレ氏である。
キリアン・マーフィ~レナード・ミラーはアメリカCIAの切れ者がバッチリであり、アナのカレ氏にもなってしまう。
わたしが注目している俳優アレクサンドル・ペトロフはアナの元カレでアレクセイに撃ち殺されてしまうが、今後ブレイク必至の性格俳優かも。「アトラクション 侵略」でもヒロインの元カレで撃ち殺されていたが、このパタンが続かないことを祈る(笑。
それからレラ・アボヴァである。アナを慕うモデルのモード役であるが、これまた個性的な美女であり、リュック・ベッソン作品に一度このような重要な脇役で出た後は、次回ヒロインに抜擢され大ブレイクというパタンが多い。
今回のサッシャ・ルスも間違いないが、、、これまでも、、、
ナタリー・ポートマンしかり、ミラ・ジョヴォヴィッチしかり、スカーレット・ヨハンソンしかり、カーラ・デルヴィーニュしかり、、、。
リュック・ベッソンの映画のヒロインとなれば、もう約束されたようなもの、かも。
(日本でいえば、「仮面ライダー」になった俳優はその後、軒並み大ブレイクしているように、、、)。

内容は面白い構成で、ある事態が起きると、必ずその原因~発端となった時点まで遡ってその状況が描かれるというもの。
だから常に謎のままで進むのではなく、理由を確認しながらシーンを次々とテンポよく味わって行ける。
このパタンで一切スピード感が削がれたり薄っぺらくなったりもしない濃密で稠密な時間が楽しめるしっかりとした構成・脚本になっているのだ。
登場人物の心理的な変化も豊かに描かれていることで充分に感情移入もできることが観易さにも繋がっていた。
アナなど名家に生まれながら両親を事故で亡くし孤児同然のところを元カレに拾われ犯罪・薬塗れの悲惨な生活に甘んじていたが、海軍に仕官希望を出したところで、KGBに拾い上げられ凄まじいスパルタ訓練の末、一流の殺し屋件、表の顔はスーパーモデルで活躍するようになる。しかし外見は劇的に変貌を遂げてゆくが内面的には常に自立と自由と求めもがいていた。その心の隙にCIAのやり手が巧みに入り込んでくる。二重スパイをしてKGB現長官を殺害すれば君の自由は保障しようと来た。それにアナは乗る。
この間に単なる上司と部下であったアレクセイとアンの関係が恋人関係になり、彼女をKGB長官殺害に利用しようとしていたCIAのレナードも彼女に惹かれて恋人になってしまう。更に冷酷非道で高圧的であったKGBの為なら何でも厭わぬオルガがまるで自分の娘のような目で彼女を見るようになり最終的には彼女を例外的処置で完全に自由の身にしてしまう。
この過程が実に説得力をもって描かれ自然に納得できるものであった。

スーパーモデルというだけあり、ファッションの七変化にも圧倒的なパワーを感じてしまった。
ただひとつ、アナを慕うモードがひとり取り残されて、ちょっと可哀そうに思うが、、、。
サッシャ・ルスは、この先ブレイクは間違いなしだと思うが、リュック・ベッソン監督の次なる映画のヒロインは恐らくレラ・アボヴァかも。
AmazonPrimeにて

ブルー・ガーディニア

THE BLUE GARDENIA
1953
アメリカ
フリッツ・ラング監督
ヴェラ・キャスパリー原案
チャールズ・ホフマン脚本
アン・バクスター、、、ノラ・ラーキン(電話局交換手)
リチャード・コンテ、、、ケイシー・メイヨ(新聞記者)
アン・サザーン、、、クリスタル・カーペンター(ノラの同居人、電話局交換手)
レイモンド・バー、、、ハリー・プレブル(プレイボーイの美人画専門画家)
ジェフ・ドネル、、、サリー・エリス(ノラの同居人、電話局交換手)
ジョージ・リーヴス、、、サム・ハインズ(警部)
ナット・キング・コール、、、(ピアニスト)
「暗黒街の弾痕」、「熱い夜の疼き」、「メトロポリス」くらいしか観ていない。ボックスがあるが高価で買う余裕がない。
やはり圧倒的に、わたしにとってラングは「メトロポリス」だ。そのうちに記事は改めて書きたい。

「イヴの総て」のアン・バクスター主演。
泥酔して誘われたプレイボーイの部屋から逃げ帰ってみたら、あくる朝その男の死体が発見される。
記憶がないまま戻った自分が殺してきてしまったものか?
とっても不安で心配になり、取り乱す。
そういう御話。
記憶をなくすほど呑む人には他人事ではなかろう。
「犯人に告ぐ」という新聞記事はネットワーク時代にこそ威力を発揮しそう。
集客力で。ケイシー・メイヨというやり手の記者が新聞に犯人宛の手紙を掲載する。
わたしが協力しようという犯人側に立った巧みな呼びかけだ、
過去にハリー・プレブルと何らかの関係があった女性たちからの電話が鳴りやまないのには笑う。
現場に残されたパンプスから、足のサイズを聴いて却下というのもシンデレラみたいで面白い。

主人公が誕生日に恋人にフラれ、やけになって気もない男の誘いに乗り、入ったクラブが「ブルー・ガーディニア」という店であり、そこで同じ名前の曲をピアノで弾き語りするのが、ナット・キング・コールであった。
彼のファンならこの場面、こたえられないでしょうな。
酒を呑まされるうちに自分からも進んで呑んで、結局呑み過ぎで訳が分からなくなる。
これで犯罪に巻き込まれることに、、、。
状況証拠からどうみても酔った勢いで火かき棒を振り自分が殺してしまったように思えて来る。しかしはっきりした根拠はない。
クラブで買ってもらった「青いガーディニア」という造花を男の部屋に残して逃げ帰ったノラ。
ノラ本人は心理的に追い詰められて挙動不審でパニックになっているが、ルームシェアメイトの姉御肌のクリスタルはどっしりと構えて冷静であり、小説好きのサリーは、心配はしてくれるがノラの苛立ちに現実感が持てないようだ。(この温度差にまた苛立つ悪循環が窺える)。
「青いガーディニア」というコードネームみたいな呼び名で事件が有名になって広がって行く。

結局、ノラもその新聞記者を頼って行き、逢ったところで第三者のバーテンダーに通報されて警察に捕まる。
嵌められたという感じで思いきりノラが落ち込むが、、、
とは言え、この映画、演出上シリアスにならぬように作られており、ここがラングのねらい目なのか。
軽みとユーモアがちりばめられている。
ハリー・プレブルが殺されたときにかかっていた『トリスタンとイゾルデ』(ワーグナー)のレコードが鍵となり急転直下で真犯人に迫り解決へと繋がる、、、ここが実に忙しい。まるで尺が決まっているからここで決めようとばかりのハッピーエンド。
直ぐに疑いが晴れて無罪放免のノラを挟み、ニコニコ顔の女性三人である。
ノラが部屋にいた時は、ナット・キング・コールの「ブルー・ガーディニア」がかかっていた。
しかしハリーが殺されたときに朝までかかっていたレコードは「トリスタンとイゾルデ」であった現場検証の時の記憶がメイヨによみがえる。ハリーは何故、レコードをかけ替えたのか。ノラに次いで訪問者が来た可能性があろう。
その通り、ハリーに結婚を迫るその女性は、落ちていたハンカチーフから別の女の気配を悟り激情する。
そのレコードをハリーに売ったレコード屋の店員ローズこそが嫉妬に狂ったハリー殺しの真犯人であった。
(ふたりの最初に出逢った記念の曲であったという。こうした念のこもったモノは重いし、下手に利用するものではない)。
ローズは最初に出て来たハリーに食ってかかていた女性である。伏線と言えばそうだが、ちょっと雑な感じがする。
もう少し終盤もつれた方がリアリティがあって面白くなると思うが、、、。
AmazonPrimeにて
幻の女

Phantom Lady
1944
アメリカ
ロバート・シオドマク 監督
バーナード・C・ショーンフェルド脚本
ウィリアム・アイリッシュ『幻の女』原作
ウディ・ブレデル撮影
フランチョット・トーン、、、ジャック・マーロウ(ブラジル帰りの芸術家)
エラ・レインズ、、、キャロル・リッチマン/カンザス(スコットの秘書)
アラン・カーティス、、、スコット・ヘンダーソン(キャロルの上司。ジャックの親友。)
トーマス・ゴメス、、、バージェス警部
フェイ・ヘルム、、、アン・テリー(幻の女)
アウロラ、、、エステラ・モンテイロ(歌手)
エリシャ・クック・Jr 、、、クリフ・ミルバーン(ドラマー)
昨日に続きロバート・シオドマク監督の作品。「螺旋階段」より前のものである。
撮影にかなり惹かれた。アングルや引きやアップにしろ、室内においては美術とも相まって彫像の影なども含め演出効果として効いていた。
噺の方は、妻を殺された夫にアリバイを証明するものが見つけられず、陪審員は彼を犯人とし死刑の判決が出る。
しかし彼をよく知る秘書は、それは冤罪だとして懸命に目撃者を当たり、真犯人に迫る。
事件に関わった刑事バージェスも、個人的推理から犯人は他にいるとして、警察としてではなくキャロルに協力する。

素人のキャロルが、犯行の行われた時間帯に上司のスコットの同伴者である女性の目撃者を当たってゆくのだが、皆口止めされていて口を割らない。扮装を相手に合わせて七変化して接触を図るなど、なかなか出来るものではないが、余程上司に入れ込んでいることが分かるというモノ。
そして追及を続けると、口止めされた者たちも殺されてしまう。
ひとつまたひとつと手掛かりが無くなって行く。
上司のスコットの死刑が執行されるまでに何とか真犯人に繋がる証拠を見つけ出し再審請求を取り付けなければならない。
という、カウントダウンも入りスリリングさを増す。

スコットは妻の殺された晩、たまたまバーで隣りあった女性と一時ショーなどを観て楽しむ。
本来なら妻を同伴して見るはずだったが、その時喧嘩をして彼女は家を出なかったのだ。
妻はその後、スコットのネクタイで絞殺されてしまう。
同時刻、スコットが付き合って貰った女性の特徴は、ゴージャスだが変わった帽子を被っていたということくらい。
名前も聞いておらず、まさに幻の女である。
バーの歌手が同じ帽子を被っていて、一点ものとして買ったはずなのにと、帽子を睨みつけ怒りを露わにしていた。
カウンターのバーテンダーやバンドのドラマーなど接触した人間は幾人かはいたのだが。
(しかし犯人がこれらの人間を短時間に調べ上げて先回りして口止めできるものだろうか。そして危ないと分かると手際よく殺害するなど。大変手間がかかるのだが)。
ドラマーがやたらと気色悪かった。この生々しさはこの役者特有のものか、、、。

兎も角、犯人は途中からハッキリ分かってしまうが、劇中でも帽子のコピー元とそれを買った幻の夫人が分かりこれで上司が救えるとホッとした矢先に戦利品の帽子が無くなる。部屋には自分の他に信頼しきっていた相手しかいない。
彼は、あっさり向うから種明かしをしてくる。机の引き出しからは証拠品も見つかる。
思ってもみなかった事実に驚き、身の危険に慌てふためくキャロル。
でももう遅い、君を殺しても誰も僕を怪しまない、とか言ってキャロルに迫って来ると、丁度よいタイミングでバージェス警部が飛び込んでくる。
ここはちょっとあんまりだ、とは思ったが、ハッピーエンドに向け急展開となるのだ。
男はそれまで驚異の強気でいたのに、次の瞬間呆気なく窓を突き破って転落死である。
(もう少し粘ると思っていたのだが)。
死んでしまって、裁判は大丈夫なのか、証拠品はあるにせよ、、、心配になったが、次の場面ではスコットはバリバリ会社で仕事をしており、彼女に向けた録音機の指示で仕事内容に加え愛の告白もしている。
この急ピッチのハッピーエンドは忙しかった(笑。

どしてもヒッチコックと比べたくなってしまうのだが、、、向うの方がずっと出来は良いのは否めない。
ジャック・マーロウの手に拘る様や自己イメージに対する病的な葛藤などもう少し描かれていたらどうであろうか。
AmazonPrimeにて

螺旋階段

The Spiral Staircase
1946
アメリカ
ロバート・シオドマク 監督
メル・ディネリ 脚本
エセル・リナ・ホワイト 原作
ドロシー・マクガイア、、、ヘレン(ウォーレン家女中)
エセル・バリモア、、、ウォーレン夫人
ジョージ・ブレント、、、ウォーレン教授
ケント・スミス、、、パリー医師
ロンダ・フレミング、、、ブランチ(教授秘書)
ゴードン・オリヴァー、、、スティーヴン・ウォーレン(ヨーロッパ帰りの教授の弟)
エルザ・ランチェスター、、、オーツ夫人(女中)
20世紀初頭、ニューイングランドのある町が舞台。
身体に障害を持つ若い女性ばかりが狙われ殺害される事件が発生する。
ウォーレン家にも口がきけなくなったヘレンが女中で働いていた。
幼い頃、家が火事になり目の前で両親の焼死する姿を見てショックで声が出せなくなったのだ。
ウォーレン家の人々は彼女を気遣い、特に病で寝ているウォーレン夫人は今夜のうちに家を出るように諭した。
(つまりこの家が危ないということを意味する)。

明暗のコントラストが強いところに豪雨である。風で蝋燭の灯が消されると真っ暗となる。
序盤から、ウォーレン家の邸宅内が舞台空間に絞られる。
怪しい物音、閉めたはずの扉が開いており、まだあるはずの病人の薬が切れている、、、。
(外からの侵入も考えられた)。
何度も地下室に繋がる螺旋階段を降りては登る。
この辺が、外の嵐や効果音も相まって不気味度を増す。
しかも狙われる女性ヘレンが声を出せない。つまり追いかけられても叫んで助けを呼べないし、信頼する彼氏の医者に電話番号渡されても電話できないし。それによる追い詰められ方はかなりの緊迫感を呼ぶではないか。
この静謐に張り詰めた緊張はかなりのもので、設定と演出はなかなかのもの。

さて一体誰が連続身体障害者殺人犯なのか。
と謂うところも気になるが、この不穏な雰囲気の充満して行く様が結構ワクワク愉しめる。
そして絞殺される女性に狙いを定める時の犯人の目がクローズアップされ、今度は、犯人の目に映る~鏡に映る女性の姿に障害の部分が白くぼやけて映るのだ。
もしや犯人は障害を観抜く超能力者なのか、、、と思いたくなる映像である(笑。ホントのところどうなのか。
兎も角、夫人の察する通り、この屋敷内にギラツク猟奇の瞳を持つ犯人が潜んでいるのは確かなようだ。
そして突飛な外部からの侵入者でなければ、登場人物も少なく、限られて来る。
大概そうだが、如何にも怪しそうな人物は犯人ではないのが定石。
(必ずこうしたミスリード人物は目立つように配置されているもの)。
すると消去法で行くと、やっぱりあそこかなあ、と山を張っているとそこに落ち着く(笑。

二番目に良いものポイ人物がそれであった。
一番良い人はこれは動きようがない。これが崩れたら物語が成り立たない(いや、そういう場合もあったかなあ)。
この人、酒が強く狩りが大好きで剛健な父に認められたくて、弱い女性を手に掛けていたという。
(どういうこっちゃ?)
「この世には、障害を持つ者に生きる場所はないから殺してやるんだ」まるでヒトラーの優生思想みたいなことを述べる。
それで自らの強さを亡き父に誇って見せようということらしい。
(意味判らん)。
やはりこうした意味判らん男が意味不明なことをするのだ。
螺旋階段で、この男に追いかけられ声も上げられないヘレンを救ったのは、頼りにしている医者ではなく、病に臥せっていたウォーレン夫人であった。気丈に銃を取り、狙いすまして何発も撃ち込む。
犯人は勿論絶命。
その惨劇を見てヘレンは声を取り戻す。
そしてその声で往診に行った彼氏の医者に電話する。

ドイツの名医にかかりに行く前に治ってしまった。
そして連続殺人犯もしとめられた。
めでたしめでたし、、、充分怖い目にあったが、、、、。
やはり真っ暗な螺旋階段を蝋燭ひとつ持って下るのは嫌だ、わたしは、、、。
コンパクトなヒッチコックという感じであった。
「暗くなるまで待って」にも似た味わいをもった映画である。
AmazonPrimeにて

カオス

CHAOS
2000
中田秀夫 監督
斎藤久志 脚本
歌野晶午 原作
川井憲次 音楽
萩原聖人、、、黒田五郎(便利屋)
中谷美紀、、、津島さと美(モデル)
光石研、、、小宮山隆幸(社長)
國村隼、、、浜口警部
田中哲司、、、三浦刑事
夏生ゆうな、、、相馬るみ(モデル)
『リング』、『リング2』の監督の作品である。
ホラー要素は無いが、サスペンスとして楽しめるものとなっている。

音と画像がとても良くマッチしていた。
現在の流れに、過去の流れが絡みながら徐々に明かされてゆく真相というスタイルをとって進む。
ヒロインの中谷美紀の魅力が遺憾なく発揮される。
コンテクストにちょっとそぐわない彼女の表情やら笑いなどが、噺を多義的に意味深くミステリアスにしてゆくところは上手いというか魅力となっている。
基本、それだけで最後まで一気に持って行かれる映画になっていた(笑。
こういう映画も良いのでは、、、噺自体は荒唐無稽だが似たような事件が起きてもおかしいくはないかな。
ただ、小宮山社長の奥さんと津島さと美を見間違う事って、無いと思う。
特に仕事~狂言誘拐で身近にずっと一緒にいて顔もよく観て来たのに、死んだ社長夫人を彼女だと思い込むって無いな~。
黒田の顔認識能力を疑う。

後、最後に何故、さと美が崖を飛び降りるのか、分からない。
こう持ってゆけば、スタイリッシュに(ヌーヴェル・ヴァーグ風に)終われるというところか。
まあ、社長が警察に挙げられてしまえば、直ぐにさと美と何でも屋の元にやって来るだろうが、さと美については大した犯罪でもないし、何でも屋もお金を騙し取っただけで、やり直しは効く。
兎も角、さと美はどういう意識だったのかが分からない。
いや、あそこがトリックだったら凄い女だ。
そんなことが出来たら、その後デカい成功を掴んでいたりして、、、。
いずれにせよ、そこまでは、中谷美紀の演技とBGMで充分に魅せていた。
ちゃんと面白く、愉しめる映画に成っていた。
演出も彼女絡みで工夫されていた。
刃物に映る彼女の目や水に濡れて笑う姿とかフェテッシュな魅せ方もそのシーンを印象付けている。

「カオス」なのか、はたしてこれは。
中谷美紀ファンにとっては必見。
映画としても見て損はない。
AmazonPrimeにて
グレイトフルデッド

GREATFUL DEAD
2014
内田英治 監督
内田英治、平谷悦郎 脚本
HeatBeat「Paradise」主題歌
瀧内公美、、、冴島ナミ(孤独ウォッチャーを名乗る)
笹野高史、、、塩見三十郎(元タレントの老人)
キム・コッピ、、、スヨン(教会ボランティア)
矢部太郎、、、村佐古(公園で鳩に餌をやる殺人狂)
酒井若菜、、、冴島明日香(ナミの姉、普通の主婦)
木下ほうか、、、塩見清直(三十郎の息子)
渡辺奈緒子、、、北野敦子(洋一の愛人)
泉政行、、、柳道彦(教会ボランティア)
赤間麻里子、、、冴島響子(ナミの母)
松田賢二、、、冴島洋一(ナミの父)
毒親の元に生まれた子供が長じてどのような人になって行くかの御話かと思いきや、、、。
ナミの場合、単に変な人止まりで終わってしまった。
最初は、変な人であっても変わって行くというものではなく、死ぬまでそのままというか。
(親の残した財産があって働く必要がなかったというのが大きいか。就職でもしていれば他者との関りのなかで多少は何かが刺激され影響を受け、変化もするだろう)。
ブラックコメディを描こうとしたのか、、、
孤独な人間(弱者)を観察して楽しむなどというフィールドワークめいた骨の折れる仕事をやる情熱があるだろうか。
はたして。そこが疑問である。他者にこんなに拘るかな、、、いや似た者を見つけてマウントしたいのか。
それにしても奇妙なバイタリティに違和感を覚える。
姉は常に「普通が一番大事なのよ」と口癖のようにナミに言って聞かせる人ではあったが。
そういう変な人は普通にいる。多数派の村人だ(最近流行りの同調圧力を掛けてくる人々とか)。

孤独な人間と言っても強靭な芸術家とか事業家など幾らでもいるが、ここでは今にも死にそうな弱者が好みということから、老人が必然的に選ばれがちとなる。公園で見つけた鳩に餌をやっていた若い青年も孤独には違いないが、彼は狂気の殺人マニア?でもあった。実に簡単に人を殺してしまう。その点において孤独ではある。
ナミの趣味からはちょっと逸脱するが、こいつは使えるということで助手みたいに雇う。

何故か?一人住まいの死にそうな老人を見つけ、まさにこれが好みの孤独っちだとばかりに、その老人宅が窓越しに観察できる空きビルの屋上にテントを張って望遠鏡で観察して楽しんでいたら、何とそこに教会ボランティアが現れ聖書を一緒に読み始めたではないか、、、。
悪い予感が的中して、老人は宗教に救われたかのように見る見る元気になって行く。
この光景は、家族の事を顧みず海外の恵まれない子供たちへのボランティアに明け暮れ家を出て行った母や、それ以降魂の抜けたように衰えてしまった母の事しか頭に無かった父のところにやって来た聖書を持った愛人を想い起させた。
深いトラウマが蘇る。ナミはそうした救済は断じて認められなかった。それによって自分は孤独に放置されたのだ。
老人は今や孤独ですらない。神がついている、というより若くて優しい教会ボランティアの女性が付きっ切りで聖書の解説をしてくれる。
そりゃ、元気になるわな。

この経緯に激怒したナミは、何と殺人鬼の鳩男を従え、老人宅を出た教会ボランティアに襲い掛かる。
(確かに毒親の子供は、自我がしっかり形成されておらず、その不確かな感覚から自分に対しても外界に対しても否定的で攻撃性があり、不安定で衝動的で刹那的な面はある)。
とは言え、殺人にまで及ぶかと謂えばこれはまた別の資質であろう(残虐性は確かに弱い者虐めから延長して来るものではある)。何とも言い難いが一方的に自分の趣味が踏み躙られたといって、善意のボランティアをいとも容易く殺してしまうとは。この時点で、終わっている。タガが外れて狂気の世界にドップリである。毒親の元に生まれたからどうのという問題ではなくなる。
ここからはもうホラーの世界に突入であり、こういう映画だったの?という感じでその後の展開に付き合う。

この流れは予想できないモノではなかったが、いざこうなると、なんだかな~である。
もう男性ボランティアはボコボコに殺すは、女性の方にも暴力を振るうは、老人宅に押し入り老人を縛りやりたい放題の暴挙。
しかも彼を訪ねて来た息子も殺してしまう。此処まで行くと歯止めが利かない。
血迷って自分に襲い掛かって来た鳩男も殺してしまい、、、老人に夕食を作ってあげるわねと買い物に出てゆく。
その隙に、充分生気と闘士を取り戻した老人は、「これは戦争だ」と言って息子の血染めの鉢巻をして箒と包丁から手製の槍を作りナミと対峙する。この時、ナミを止めに入った姉は刺される。何とも、、、相当な重傷だ。

老人を翻弄しながら逃げてゆくナミ。やはり若さには勝てない。だが戦争モードの老人は不屈の精神で向ってゆく。
ナミはある場所まで来て手を広げて老人を誘う。
そこを死に場所と決めていたのだ。
老人に刺され倒れると後ろのシートが降りて、ボランティアの口を塞がれた女性の乗っている車が現れた。
(何というナミの演出)。
慌てて女性を助け出す老人。彼女は怪我はしていたが生きていた(ナミは殺していなかった)。
老人は彼女を抱きかかえてナミの死を確認して帰って行く。
こういう修羅場はいつどこで起きてもおかしくはない。
それだけは確かだ。
ジェリー・ガルシアのアメリカのサイケデリックロックバンド「グレイトフル・デッド」とは何の関係もない。
懐かしい、、、。また聴いてみたくなった。
AmazonPrimeにて
アトラクション 侵略

INVASION
ロシア
2020
フョードル・ボンダルチュク 監督
オレグ・マロヴィチュコ、アンドレイ・ゾロタレフ 脚本
イリーナ・スターシェンバウム、、、ユリア(ロシア軍の司令官の娘、大学生)
リナル・ムハメトフ、、、ヘイコン(ユリアの異星人の彼氏)
アレクサンドル・ペトロフ、、、チョーマ(ユリアの元カレ)
オレグ・メンシコフ、、、レベデフ中将(ユリアの父)
ユーリー・ボリソフ、、、グーグル(ユリアの友人、大学生)
前作『アトラクション 制圧』の内容はほとんど覚えていない。
VFXがやたらと壮大で迫力があってその部分だけ印象には残っている。
ユリアはまだ高校生で、父は大佐であった。
前作から3年後、唯一宇宙人と接触した人物として、彼女は軍の研究対象となってずっと監視もされている。
実験にもかけられる。ちょっとアイソレーションタンクを連想するが、あちらは感覚遮断から入る。これは何やら色々な刺激を純粋に与えその反応を見ようとするもののよう。そこにチョーマが現れて激しい水の動揺。

兎も角、この映画は水である。
CGの水の表現は元々難しいものであったが、もう自由自在だねこれは、、、。
どんな表現も出来そう。
この映画は、水。
水から何でも生成してしまう異星人との攻防となる。
(ということは、水資源のない所では彼らは無力か)。
終始、水との関りで展開し流れてゆく。

この異星人というかAiラーは、地球のAi関係は全て乗っ取り可能。
デジタル機器も全て思いのまま。
全てハッキングして自分に都合よく改変して戻せる。つまり乗っ取ってしまう。
悉くこれが出来れば、もうお手上げである。
情報網~インフラを押さえたらそれは征服を意味する。
ユリアは貰ったブレスレットにより何やら水を操る力を得て、このAI宇宙船の驚異となったらしい。
それで全てのデジタル情報を操り、ユリアを追い詰め、地球人に彼女を殺害させようとする。
彼女をビル爆破のテロ犯に情報改竄で仕立て上げ、携帯やパソコンを見ていた全ての人から狙われ追い詰められることに。
ヘイコンもソールという自分の宇宙船からAi搭載車と都市の信号を意のままに操っていたが。

それへの対抗策として、政府は全てのデジタル電子機器を使用禁止とし、アナログ回線と印刷物で対抗する。
こういうのもありか。
そして上空と下から水が攻めて来る表現などこれまでには無かった。
レーザー光線とミサイルによる攻防とは、異なる。
この攻撃、かなり不気味で不安を募り恐怖と絶望を与える。
水はわれわれに取り無くてはならないものだが、恐怖の意識も根深い。
そして、冒頭のスティーヴン・ホーキングの言葉の引用「愛がなければ宇宙に価値はない」だったか、、。
ヘイコンが自分の世界を選ぶか、恋人の生きる地球を救うか、にかかって来る。
彼はすでに地球に仕事と家と家庭菜園ももっている親地球派であった。
しかしよく考えてから、地球人に味方することを決心する。
母船ラーに突っ込む特攻隊みたいな覚悟で臨むが、その前に何とか逃げ延びたユリアがブレスレットの力で母船を水の上に押し上げてしまう。つまりそれは気体~空気の発生による浮上か。
水のプロテクトを失い船体が顕わになったところで、ロシア空軍ジェットのミサイルを喰らって、あえなくお陀仏。

一応、父レベデフ中将は娘の葬式をしっかりやり、娘は異星人ヘイコンと共にカムチャッカに避難していた。
そしてこの先、彼女が絶対に見つからない場所に移住すると言う。
ユリアが湖に手を入れると巨大な宇宙船が鯨みたいに水中から現れる。
続きがあるぞ、、、ということみたい。
エンドロールの曲が良かった。
死んでしまったが、チョーマ役の俳優がとても良い味を出していた。注目したい。
VFX(水の表現)と共にメカの造形は流石であった。

この映画の最初の頃に連想したアイソレーションタンクがずっと気にかかっていた。
これに入り感覚遮断しアルタードステイツ状態となると、自分の幼年期いや胎児にまで遡った記憶にも出逢えるという。
これ以外にないかも、、、。
とりあえず、わたしが今、一番興味があるものが、アイソレーションタンクだ。
これをぜひ使ってみたい。
AmazonPrimeにて
タバコ・ロード

Tobacco Road
1941
アメリカ
ジョン・フォード監督
ナナリー・ジョンソン脚本
アースキン・コールドウェル『タバコ・ロード』原作
ジャック・カークランド原作戯曲
デヴィッド・バトルフ音楽
チャールズ・グレープウィン、、、ジーター・レスター(農夫、夫)
マージョリー・ランボー、、、シスター・ベッシー・ライス(妻)
ジーン・ティアニー、、、エリー・メイ・レスター(何番目かの娘)
ウィリアム・トレイシー、、、デュード・レスター(一番下の息子)
エリザベス・パターソン、、、エイダ・レスター(未亡人でピーボディー家に戻って来るが、デュードと再婚)
ダナ・アンドリュース、、、ティム・ハーモン大尉(元地主の息子)
スリム・サマーヴィル、、、ヘンリー・ピーボディー(隣人、エイダの父)
ウォード・ボンド、、、ラヴ・ベンジーー(娘パールの婿)
グラント・ミッチェル、、、ジョージ・ペイン(銀行家)
ラッセル・シンプソン、、、警察署長
ジョン・フォード監督の(度を越した)コメディ映画である。
30年代初頭のジョージア州の貧農一家がこれまた凄い描かれよう。
かつては綿とタバコの豊作が続き(100年も)栄えた大規模農園であったそうだ。
しかし少なくともここ7年は全くの不作であるとのこと。
見る影もなく寂れた廃園にこのレスター家だけは残り、かつての夢を追い続けている、、、とは謂うが。
ドリフのコントを観ている感じ。いや天才バカボンの方か。
貧農と謂っても度を越した貧農であり、13歳の娘パールの婿が訪ねて来た時に持っていたカブを強奪し親子で貪り喰ってしまうような獣のような家族である。パールはしょっちゅう家出を繰り返しているようで、婿がその相談に来たところであったが、、、。
(ラヴも話によると嫁にDVを繰り返しているらしい)。

17人か18人の子どもがいたはずだが、今やエリー・メイとデュードを残し、皆外に出て行ってしまった。
5,6人は土の下に埋まっているそうだ。
名前はほとんど忘れているらしい。
何処で何をしているか分からないが、探すのも億劫だが、かなりの孫が生まれているはずだということ。
成功している子供がいたら、そこに転がり込む手もあろうに。
(嫌がられなければの噺だが)。
(信心深いかどうかはともかく)賛美歌を歌い続けるエイダと乱暴者の直ぐに切れまくるデュードが何で彼女と共に直ぐに唄い出すのか、意味が分からない。車の警笛が大好きなのは分かるが、、、。
新車を買ってやるというのにつられて自分より二倍以上歳上のエイダと結婚して伝道師になるというのも、ノリで生きているのか。
しかしこの2人酷く粗暴で衝動的で獣のようだが、讃美歌をよく唄う。彼らが唄い始めると周りの人々も次々に歌に加わってハーモニーも美しい合唱となる。どういうつもりだ。これもWASPの土地柄だからか。
確かにこの家族、悪事を働いている割に、直ぐに神に祈る。讃美歌を唄う。
自分勝手なお願いばかりしているが、神に縋ることは忘れていない。

見ていて痛々しいのは、土地は今や銀行の手にあり、立ち退きを免れここに住み続けるには土地代100ドルを支払うように宣告されることではなく、買ったばかりの新車が粗暴極まりないデュードとエイダのコンビによってボロボロにされてゆく事だ。
乗って走る度に、ポンコツと化して行く。警笛とエンジンだけ大丈夫なら後はどうでもよいらしい。
わたしにとって、観るに堪えない光景だ。どういう神経なのか。
その車にドカドカ薪を放り込み、オーガスタ に売りに行くが誰も買ってくれない。
(ここでは大都会は何でもオーガスタなのだ)。
そこでジーターは後ろのトランクにある予備タイヤを売り飛ばし、3人でホテルに泊まろうと提案する。
(何もそんなことに金を使っている場合か、と思ったら魂胆があった)。
直ぐに乗る新婚カップルもどうかと思うがホテルの雰囲気を愉しみ二人が寝込むと、、、新車のキーを盗みホテルから抜け出したジーターは、、、
ポンコツ車をまたもや強奪して土地代100ドルにしようとする、全く懲りない輩である。
警察署長に売り飛ばそうとして捕まり、デュードが大爆発(当たり前だが)。
「お前らを税金で泊めてやるつもりなどない。タバコロードの奴らはとっとと帰れー」と怒鳴られ、3人で車で帰って行く。ほぼドリフの舞台を観ている感じ。

車はもう廃車寸前。
タバコロードにはピッタリか。
そこへまたもややって来た娘婿のラヴ。
カブを強奪した仕返しに来たと思い狼狽えるジーター。
しかし娘婿は、またもやパールがオーガスタに行くと言って家出した。何とかしてくれ~と泣きついて来たのだった。
そこで義父は気の利いた打開策を提示する。
じゃあ、パールは諦めてエリー・メイを嫁にしろ。
ラヴは13歳よりだいぶ年上なのを気にしていたが渋々承諾。
おい、エリー・メイ、顔洗ってラヴのとこへ嫁に行け。それに応えて娘は嬉々として顔を洗ってその家へと走って行く。
30年代初頭のアメリカ(確かに大恐慌時代)の貧農はこんな感じであったのか、、、ギャグを遥かに越えた、、、
と謂うより、ギャグでしか描けなかったほど悲惨な時代であったのか。これを真面目に正面から描くと『怒りの葡萄』だろうか。
車はラヴによってひっくり返されお陀仏、、、。
とうとう金策が失敗に終わり(当たり前だが)レスター夫婦はトボトボ歩いて救貧農場行という彼らに取り夢も希望もない終着点に向かう。
ところがその途上で、かつての大地主の息子であるティム・ハーモン大尉に拾われる。
ピッカピカの車に乗せられ着いたところは何と元の自分の家。
これではわたしらは警察に捕まってしまうというと、彼は半額を銀行に収めて来たという。
更に種と肥料代も出してくれ、これで成果を挙げろと二人を励ますのだった。
ああやっぱり神はいた、と感激し豊作の為のこれからの構想を色々と練るが、体は動く気配はなく、、、
ボロボロに朽ち果てた玄関先でウトウト眠り始めるのだった、、、。

恐らく払ってもらった50ドルはドブに捨てたも同然だろう。
まあ、飛んでもないドタバタコメディであった(ジョン・フォード監督はこういうのも撮るんだ。何とも言えない)。
行き着くところまで行ってしまった、笑うに笑えぬ物語ではあったが、役者のやけくそみたいな弾け具合が凄かった。
TVにて
(TV録画ストックのコンテンツがまだ100は軽くある。アマプラの観れない時はメディアから観ようと思う)。

ギルバート・グレイプ

What's Eating Gilbert Grape
1993
アメリカ
ラッセ・ハルストレム監督
ピーター・ヘッジズ脚本
スヴェン・ニクヴィスト撮影
アラン・パーカー、ビョルン・イスファルト音楽
ジョニー・デップ、、、ギルバート・グレイプ(グレイプ家の次男、一家の大黒柱、小売店店員)
ジュリエット・ルイス、、、ベッキー(ギルバートの彼女、各地を放浪している)
メアリー・スティーンバージェン、、、ベティ・カーヴァー(ケン・カーヴァーの妻、ギルバートと不倫)
レオナルド・ディカプリオ、、、アーニー・グレイプ(グレイプ家の三男、知的障害)
ダーレン・ケイツ、、、ボニー・グレイプ(ギルバートの母、肥満で動けない)
ローラ・ハリントン、、、エイミー・グレイプ(ギルバートの姉、母替わり)
メアリー・ケイト・シェルハート、、、エレン・グレイプ(ギルバートの妹、ブラバンでトランペット担当)
ジョン・C・ライリー、、、タッカー(ギルバートの親友)
クリスピン・グローヴァー、、、ボビー・マクバーニー(ギルバートの親友)
ケヴィン・タイ、、、ケン・カーヴァー(カーヴァー保険会社経営)
ペネロープ・ブランニング、、、ベッキーの祖母(トレーラーでベッキーと移動しながら暮らす)
まず度肝を抜かれたのは、レオナルド・ディカプリオである。
ジョニー・デップとの共演、兄弟役とは言え、凄い役だ。
最初のうちは気づかなかったくらい(笑。
暫く見てから、ビックリした。その誰だか分らぬくらいの弾けっぷりには、、、。
ジョニーも素のイケメンぶりを見せており、ある意味、貴重。

母は、まさにギルバート曰く、「陸に打ち上げられた鯨」である。
夫が地下室である日突然、首を吊って自殺してしまってから、ショックで動けずただ食べ続けて来た為、ギルバートは店で残業して母の食費を稼いでいる始末。
知的障害から身の回りの介護・支援が必要で、直ぐに街の給水塔の天辺に登ってしまい警察沙汰となるアーニーの世話でも手一杯。
(かくれんぼも好きで、しょっちゅう隠れては自分を探させようとするなど、忙しい身では付き合いきれない)。
つまり彼も一家の切り盛りでがんじがらめの為、身動きできない。長男のように家を出て独立など不可能な状況である。
姉も食事の世話を一手に引き受けているが、アーニーの誕生日用に丹精込めて作ったケーキを彼が着き飛ばしてダメにしてしまうなどといったことばかり、心労は絶えない。
妹は、家族の事は大事に思ってはいるが反抗期もあってか、かなり好戦的な言動も目立ち、家庭内のいざこざの元を作ることも。
まあ、最後は全てギルバートに返って来るか、、、。
深いトラウマという精神的障害と知的障害の家族を抱え、自分も地下室には入れない母程ではないにせよ、しこりは抱え持っている。
二人の姉妹にしても、街の住人たちが母の姿を好奇の目で見ること~笑いものにしていること~に大きな抵抗を抱えている。
独りでは抱えきれない。八方塞がりの宙吊り状態。こういうの分る。
そんななか、ギルバートは、保険会社を経営するカーヴァー氏の妻に言い寄られ戸惑いつつも(スーパーに客を取られている)小売店のお得意さんという弱みもあり配達で呼び出される度、そこそこ付き合っていた。
この付き合いは、何とも言えないもので、お互い発展する見込みはないが気晴らしにはなるか。
何もない片田舎の街で、どうにも動けない同志でのリフレッシュは必要であろう。
そして親友、特にタッカーはあり得ない程良い人で、ギルバートとグレイプ家の心配を親身にしてくれる貴重な友人だ。
このタッカーの存在は、グレイプ家にとり大きい。ボビーも冷静な親友ではあるが、何処に行くにも仕事用の霊柩車で来るところが難点。

この停滞した閉塞感で息の詰まる街へ一陣の風が吹いて来る。
一つは新しいハンバーガー大手が進出して来たのだ。
そこにここぞとばかりに乗ったのは、親友のタッカーでありハンバーガー店に就職を決め活き活きしていた(笑。
もう一つギルバートにおいては、ベティ・カーヴァーが夫の事故死で多額の保険金が入り、他の州に引っ越すことになり別れることに。
(街の人は皆、彼女が夫を殺害したと噂を立てていたが、真相は分からない)。
その代わりにトレーラーで移動してきたベッキーという自由に旅行しながら暮らす型に嵌らない不思議な少女と出逢い恋仲になる。
外部からの風を取り込み、ギルバートも今の生活を対象化して考え始めるのは良い機会となった。
アーニーも彼女には直ぐに打ち解け仲良くなる。
(だが、彼女らは一つの場所には定住しない。これは別れを前提とする定め)。

いよいよグレイプ家も行き詰まりを迎える。
アーニーや母を子供たちだけで観てゆく事自体に限界が生じてしまうのだ。
アーニーがまた給水塔の天辺まで登ってしまったことで、警告通り警察に拘置されてしまった。
それを無理を押して母が警察に抗議をしに行き、彼を取り戻す。何故か周りは好奇の輩が取り巻いている。
その後もアーニーの挙動を止めることは出来ず、ずっと彼を庇い続けて来たギルバートがついに切れて彼を殴ってしまう。
この辺で、一家は行くところまでは行きどうにもならなくなる。
母は何度も動くことになって心臓に負担が来たか、自ら無理をして二階まで行きベッドに入ってギルバートに礼を言い大いに労う。
その後、安らかに眠っているように見えたが、アーニーによって母の死が確認される。
最後の、子どもたち全員で家具を外に出し、もう母親を世間の笑い物にはしない、と言って家ごと燃やし火葬してしまう光景は、何とも美しかった。
一年後であろうか、約束していたのかベッキーのトレーラーがギルバートとアーニーを迎えに来る。
漸く解放された気持ちのギルバートとアーニーがそれに飛び乗り、思い切り弾けていた(その先どうなるのか分からないが)。

「ショコラ」、「ヒプノティスト―催眠―」の名匠ラッセ・ハルストレム監督であり、やはりスウェーデン人のイングマール・ベルイマンの映画のほとんどの撮影を受け持つスヴェン・ニクヴィストが撮影監督と言うこともあり、アメリカ映画臭さがしなかった(ハンバーガーチェーンはやはりアメリカだが)。
まあ、一番意外であったのは、レオナルド・ディカプリオであり、例の賞にノミネートはされたようだ。彼はこれを含め5回はその賞を取っていてもおかしくない俳優であると思うが、取ったのはこれまでたったの一つ。ハリウッドはやはり変である。
間違いなしの名作。
TVにて

道化師の夜

GYCKLARNAS AFFON
1953
スウェーデン
イングマール・ベルイマン 監督・脚本
スベン・ニクビスト/ヒルディング・ブラド撮影
カール・ビルゲル・ブロムダール音楽
オーケ・グレンベルイ、、、アルベルト(サーカス座長)
ハリエット・アンデルセン、、、アンナ(サーカス団員女曲馬師)
アンデルス・エク、、、フロスト(サーカス団員ピエロ)
ギュールドン・ブロスト、、、アルマ(フロストの妻)
ハッセ・エクマン、、、フランス(劇団員、アンナの浮気相手)
グンナール・ビョルンストランド、、、シェーベルイ(劇団長)
アノニカ・トレトウ、、、アグダ(アルベルトの妻、店長)
久々に観るイングマール・ベルイマン 監督の作品。
圧倒的な傑作である「野いちご」、「処女の泉」、「魔術師」、「叫びとささやき」、「 仮面 ペルソナ」等を観て来たが、それらより前の作品である。
上に挙げた作品ほどの完成度には届かない感はあったが、充分なインパクトはあった。
勿論、観て損はない。

うら寂しいサーカス団が馬に惹かれてトボトボ移動する夜明けの光景、、、。
アルベルトは妻子持ちだが、若い綺麗な娘と恋仲になりサーカス巡業をしている。
フロストとアルマの冒頭のエピソードからして尋常ではない悲惨で異様な日常の情景が浮かび上がる。
効果音~音響も充分に不安を煽る。
大雨にやられ、回虫や虱やノミに悩まされる臭いワゴンで移動を続ける生活。
なかなか上手くは行かない。
悲惨な日常と反対の世界を、アルベルトはアメリカに描き、その地でサーカスをやることに憧れている。
独特のアメリカ幻想を抱いているようだ。

3年ぶりに彼は妻の元を訪れるが、、、
邪険にはされず食事を出され、金まで貸そうかと察してくる。
しかし流石にプライドが許さない。
だがあなたが出て行き、惨めさや虱やノミから解放され罵られることもなく、感謝している、とまで言われる。
二人はサーカスで出逢ったが、妻はサーカスが嫌いだったのだ。
今、妻は店も順調で充たされてると言い、夫は空虚のままだと返す。
そしてアルベルトは、もう歳でサーカスはきついからと元のさやに納まりたいことを伝えるが、妻が頑として受け付けない。
心の平穏を乱されるのはごめんだわ、ときっぱり断られる。

一方アンナは、アルベルトが妻に逢いに行き、一日中帰らぬことに業を煮やし、衣装を借りに行った劇団で言い寄られた俳優に逢いに行ってしまったのだ。サーカスを抜け出したいと言ってその男に身を任せてしまう。
帰ったアルベルトは、アンナの様子から気づき詰問するが、、、。
結局アンナは白状する。
絶望に打ちひしがれるアルベルトは、何とか耐えてサーカスを開くが、そこに客としてフランスが勝ち誇った顔でやって来ていた。
彼女を揶揄うヤジを飛ばし、、、どうにも収まらず、結局フランスとの決闘の運びとなる。
しかしもう老いているアルベルトは、一方的にやられてしまう。

サーカスや舞台の音が劇そのものの効果~演出にもなっている。
(結構、音にはビックリする)。
効果音・BGMが独特である。
街並みと共にとてもエキゾチック。
ことばを失ったかのような俳優の顔の大写し~狂気の面にも圧倒される。
哀愁に充ちた終盤。
アルベルトは自殺しようとするが、果たせずサーカス団の熊を撃ち殺し、その夜再出発することになる。
結局、サーカスから抜けたくとも抜けられない、いや何処にも出て行けないアルベルトとアンナは、一緒に次の巡業先へと移動して行く。

神が絡んでは来ないが、ベルイマン独特の出口のない絶望がしっかりと味わえた。
AmazonPrimeにて

大空港

Airport
1970
アメリカ
ジョージ・シートン 監督・脚本
アーサー・ヘイリー『大空港』原作
アルフレッド・ニューマン 音楽
バート・ランカスター、、、メル・ベイカースフェルド空港長
ディーン・マーティン、、、バーン・デマレスト機長
ジーン・セバーグ、、、タニア・リビングストン(トランスグローバル航空の地上勤社員)
ジャクリーン・ビセット、、、グエン・メイフェン(トランスグローバルの客室乗務員)
ジョージ・ケネディ、、、ジョー・パトローニ(トランス・ワールド航空ベテラン整備士)
ヘレン・ヘイズ、、、クォンセット夫人(無賃搭乗常習犯の老女)
ヴァン・ヘフリン、、、D・O・ゲレロ(失業中の土木技術者)
モーリン・ステイプルトン、、、イネーズ・ゲレロ(ゲレロ夫人)
バリー・ネルソン、、、アンソン・ハリス機長
ダナ・ウィンター、、、シンディ・ベイカースフェルド
ロイド・ノーラン、、、ハリー・スタンディッシュ(リンカーン空港のベテラン税関職員)
バーバラ・ヘイル、、、サラ・デマレスト
後にエアポートシリーズとなる4作品の第一作目ということ。
CG技術のない時代に、実物と模型そして無線交信や電話のシーンにワイプを多用するなどして緊迫感とリアリティを追求し見事成功している。
大雪に見舞われたシカゴのリンカーン国際空港に着陸したトランスグローバル航空ボーイング707旅客機が着陸時に誘導路を脱輪し、メイン滑走路を塞いでしまう。
物語は、この飛行機をベテラン整備士ジョー・パトローニを中心にして何とかメイン滑走路から引き釣り出すまでの時間に、乗務員や乗客に絡む数々の人生模様が描かれてゆくものである。まさにグランホテル形式に。
無論、グローバル2便の機内に乗り込んだ爆弾犯を巡ってのパニックもしっかり描かれる。

トランスグローバル航空ボーイング707旅客機をメイン滑走路から出すための除雪作業が基調としてずっと続く上に、人間関係を濃密に描きあげているところが映画を重厚にしている。
吹雪の激しい夜の出来事である。そこでかなり細かい航空業界の内幕~政治も語られる。
とてもハードな仕事の続くなか付近住民との確執や(デモや訴訟問題も絡み)複雑な利害関係も伝わって来るものだ。
そこに大変個人的な恋愛(ほぼすべて不倫)関係も描かれてゆく。

リンカーン空港長のメル・ベイカースフェルドは、激務に追われ家庭を顧みる余裕がなく、家庭は崩壊寸前のところにいる。
同じ空港内に勤務するトランスグローバル航空の地上勤社員、ターニャ・リヴィングストンと共に仕事をすることが多く、親密な仲もなっている。しかし彼女は昇進による転勤を控えており複雑な心境である。
トランスグローバル航空のパイロット、ヴァーノン・デマレストは、ボーイング707の機長でメルの姉のサラの夫でもある。女の噂の絶えぬことからメルとは仲が悪く、この日も滑走路の閉鎖を巡り二人は口論となる。
彼は、現在トランスグローバルの客室乗務員グエン・メイフェンと恋仲になっており、何と彼女はヴァーノンの子供を身篭ったことを伝えてしまう。自分の中に新たな生命が宿ったことで考えが変わり子供を出産する決心をする。ヴァーノンは動揺を隠せない。だが彼女の為に出来るだけのことはしようと思う。

トランス・ワールド航空のベテラン整備士ジョー・パトローニは、帰宅しくつろいでいたところをメルに呼び戻され、グローバル45便のメイン滑走路からの移動作業に協力することになったが、その方針を巡って45便機長と対立する。
結局、撤去作業は、メルから全幅の信頼を寄せられているパトローニに一任される。
失業中の掘削技術者、D・O・ゲレーロは、精神を病み仕事が長続きせず、自らに巨額の生命保険をかけ、仕事場から持ち出したダイナマイトをアタッシュケースに仕込みグローバル2便707機に乗り込む。
夫の様子が気になり飛行場まで妻イネーズが駆け付けるが、すでに搭乗した後であった。
彼はバスでミルウォーキーへ行くと言って出掛けたのだが、ポストにローマ行きの航空券の余計に受領してしまった差額を返却する旨の封筒が入っており、夫の異変に血相を変えて駆け付けて来たのだ。彼女は夫の職場からダイナマイトが紛失したことと絡め非常に不安を持っていた。彼女の悪い予感は的中してしまう。

リンカーン空港の税関職員、ハリー・スタンディッシュは、多くの密輸犯を見破ってきた経験と勘からゲレーロの挙動不審にただ事ではないものを感じ取っていた。彼はその件をいち早くターニャに告げる。
無賃搭乗常習犯の老女、エイダ・クォンセットは、トランスグローバル機内でまた犯行が発覚し、リンカーン空港でターニャに引き渡される。
彼女は詐欺の方法を社員のターニャ相手に得意になって喋ってしまうのだ。面白半分でやっているようなところも見受けられる。
厳重注意を受けても何とも思わないタフな老女である。仮病を使って脱走し、グローバル2便の機内に紛れ込み座席についたエイダの隣には、爆弾入りのアタッシュケースを抱えたゲレーロが座っていた。
この辺が面白い。まさかいくら何でも、であるがそこがわくわく物語ならではのポイントでもある。
現在ではこのような無賃搭乗や爆弾持ち込みは不可能であろうが、この時期の状況がここからも伝わって来るようだ。

簡単に書いたがそれぞれの人物像が錯綜して描かれ、ターニャから連絡を受けたグローバル2便707機の機長やスタッフ(主にグエン)は、元の飛行場へと気づかれないように帰還を始め、同時に爆弾犯人の押さえ込みに慎重に取り掛かる。
無賃搭乗常習犯の老女、エイダに罪を問わない事と引き換えに一芝居をうってもらい爆弾アタッシュケースを奪う作戦に出たが、あと一息のところでゲレロはトイレに逃げ込み、そこで自爆してしまう。その爆発で近くにいたグエンは重傷を負う。
機体に穴が開き、大きな亀裂も走り、操作系にも支障が起き、旅客機は乗客のパニックに対応しつつ何とかシカゴのリンカーン国際空港上空に辿り着く。
ジョー・パトローニの英断により、障害物を外に出し。旅客機をメイン滑走路に着陸させる。
このあたりの緊張感はかなりのもの。やはり本物の撮影の力は凄い。
結局、不倫組が本気になって終わったような、、、。
こうした事件を経て決心できることがあるのだ。きっと。
クォンセット夫人は協力のご褒美にファーストクラスの搭乗券を貰うが、券で乗るのは面白くないわと言っていた。
やはり、、、。
TVにて

マチルダ

Matilda
1996
アメリカ
ダニー・デヴィート監督
ニコラス・カザン、ロビン・スウィコード脚本
ロアルド・ダール『マチルダは小さな大天才』原作
マーラ・ウィルソン、、、マチルダ・ワームウッド(ワームウッド家長女)
ダニー・デヴィート、、、ハリー・ワームウッド(ワームウッド家父)/ナレーター
リー・パールマン、、、ジニア・ワームウッド(ワームウッド家母)
エンベス・デイヴィッツ、、、ミス・ハニー(ジェニファー・ハニー、クランチェムホール小学校1年生担任)
パム・フェリス、、、アガサ・トランチブル校長
キアミ・ダバエル、、、ラベンダー(マチルダのクラスメイト)
まず、あのような親元で生まれてしまうと、子どもは精神的にも肉体的にも育つことは出来ない。
発達障害や愛着障害など障害をもった子供になるかその前に死んでしまうものだ。
あんなふうにブレない自我と主体性を持った五体満足な子供に育つことはまず、無い。
あり得ない。
誰か他者で、しっかりした養育者が間に入り幼年期の彼女の面倒を親身にみていたというなら別だが、そのような様子は全く物語になかった。
オマケに父親は中古車を不法な詐欺販売して金を儲け母はビンゴ大会で毎日フィーバーしている始末。

まあ、登場人物にリアリティの感じられる人はまるでいないことからも、絵空事の物語として楽しめればよいといったものであろう。
登場人物誰もが単純化・誇張されたギャグ漫画のキャラなのだ。
それを前提として観ることにする。
そうは言っても、育児をどう捉えているのか、、、。
マチルダが親からネグレクトと虐待(主に言葉による)そして兄弟からも虐めを受けつつ、本好きの秀才(原作者的には天才か)にひとりでに育っており、幼少時から自分から進んで何でもやってしまう。こんな風に利発な子供がいつの間にか育てば、子育て程、楽なものはなかろう、、、。
飛んでもない噺だ。怒りすら覚えるが、まあ荒唐無稽な絵空事を観始めたのだから、そこはこれに乗っかって行くとしよう、ということに。

すると何と後半からマチルダは超能力が使えることが分かる。
成程、この少女は人間ではなかったのか、と納得。
まともな人間なら、とっくに(初めから)潰れているはず。
校長が子供たちを恫喝し押さえ込み傍若無人に暴れ回る学校で、マチルダがその存在感を示しだす。
超能力(念動力)を使い、物を意のままに操り、これまた人間離れした力自慢のアガサ・トランチブル校長を翻弄する。
まさに子供騙しの攻防がドタバタ始まるが、コメディの面白さがあるかと謂えば、無い。
あのアダムスファミリーのような面白味は微塵もないのだ。
単にグロテスクなわざとらしさで笑えるような噺ではない。

またそんな異常な舞台にひとり妙にまともな感じのマチルダの担任がいる。
何でこの人があの校長の下でずっと先生をやっているのか(出来ているのか)、意味不明なのだ。
普通、続かないはずだ。校長が亡き父の後、家に乗り込んで来た親戚であったとしても、関係なく。
このミス・ハニーも相当暴力的に抑圧されて育って来たはずだが、そのような歪みの見られないヒトである、、、。
(それから、終盤に霊の真似事で校長がミス・ハニーの父を殺したみたいな仄めかしがあったが、あれはなんであるのか。真実なら殺人罪であるし、憶測で謂えることではないのだが)。
兎も角、霊的な脅しが効くのは何やら疚しいことを隠しているのか、アガサ校長はマチルダの父から買った詐欺ポンコツ中古車に乗って何処かに逃げてゆき戻ることは無かった。
学校はミス・ハニーが校長を引き継ぎ、誰が出資しているのか分からぬが、生徒に人気の学校の為、中等部も増設された。
更にガムに引っ越し、そこでボートを売って儲けると言っているワームウッド家は、絶対にここを離れないと主張するマチルダの意を酌み、ミス・ハニーとの養子縁組を承諾する。
ナレーションがこの父役の役者であるが、両親は初めてマチルダの役に立つことをしました、と述べる。ここだけはニンマリした。
最後は、ミス・ハニーとマチルダが楽しい生活を活き活きと送っている様子が映され、、、。
二人とも幸せな家庭を手に入れました、で結ばれる。
何とも、、、皆、この映画をどういう顔して観ているのか、、、

キャストは皆わざとらしい演技を強要されていた(恐らく)。
ちゃんと育てられたマチルダが本が好きで、どんどん秀才になって何をかするという物語ならもっとすんなり入ってゆけたのだが。
マチルダという少女自身は決して悪くは無かった、、、ミス・ハニーにしても、、、。
(Leonのマチルダからは遠く及ばないが)。
TVにて
白痴

L' IDIOT
1945
フランス
ジョルジュ・ランパン 監督
フョードル・ドストエフスキー 原作
シャルル・スパーク 脚本
ジェラール・フィリップ、、、ムイシュキン公爵
エドウィジュ・フィエール、、、ナスターシャ
シルヴィー、、、アグラーヤ
高校の時、買って読み始めたが、訳の文体がとても素晴らしく、そちらにひたすら心酔した覚えがある。
内容はほとんど覚えていない。覚えていないのはどうしてだろう。途中で放り出したのかも知れない。
ナスターシャについて行けなくなったのか(いや寧ろムイシュキン公爵だろうか)。
ともかく、かなりの長編である。
トルストイに、これはダイヤモンドだと言わしめた、ある意味ドストエフスキーの最高傑作でもある。
どう1時間半の尺にまとめたものか、、、最低4時間くらいは必要かと思っていたが(黒澤版も当初は4時間25分であったという)。
何やらスッキリまとまっていたような、、、。
ジェラール・フィリップの初の主役とか。憂いを含む翳りをもった表情の「美しき小さな浜辺」からみると、打って変わりあっけらかんとした明るさだ。
黒澤明監督のものよりは、(原節子がナスターシャで、森雅之と三船敏郎のコンビもよかったが)まだフランス版の方が近い気はする。
設定・雰囲気からしても。
しかしナスターシャの Femme fataleぶりは原節子の方が上に思えた。
禍々しさと重苦しさと狂気は黒澤版の方が感じる。
ここで内容について書いても全く意味はない。
原作が映画としてどれ程、具現化されていたかも、原作をしっかり読み直さないと分からない。
ともかく、映画である。映画として鑑賞したものについて想ったことを記するにとどめる。
ムイシュキン公爵はスイスでの療養を終えペテルブルグの将軍の家にやって来るのだが、、、
白痴と呼ばれるだけあり、とても自由で柵もない、大変健康的な人生を送っている。
とても軽い。当然だ。何者にも囚われていないのだから。
白痴 呼ばわりされても何とも思っておらず、、、
空気も読まず、何でも思った通りに発言しケロッとしている。
財産家で基本、生活に何の不安もない為、金にも縛られないし、良い生き方だ。自分でもわたしは幸福な人間で、、、と述べている。
わたしも見習いたいが、、、とても無理(笑。
日本版の方で結構、書いてしまっている為、フランス版で特に気づいた点と謂えば、、、公爵のジェラール・フィリップの存在がともかく際立っていたこと。ナスターシャは、そこそこに感じたが、人物造形はしっかり出来ていたと思う。
ドストエフスキーの意図通り、ムイシュキン公爵が、どんな人間にも(心の底では)好意を持たれる善人としての造形されていた。
ドストエフスキーの登場人物は、饒舌で激昂する(誇張された)人格が印象的である。
ロゴ―ジンとナスターシャは、どちらも強烈な個性である。
このふたりに挟まれ公爵もよりニュートラルに際立つ。
実験的にも、こんなムイシュキンみたいな人が忽然と現れたら周囲にどのような波紋が生まれるかが、しっかり描かれていた。
その点において、ドストエフスキーも文句は言わないとは思う。
(ただ、些か短くまとめ過ぎた感はあるが)。
AmazonPrimeにて

スティング

The Sting
1973
アメリカ
ジョージ・ロイ・ヒル監督
デヴィッド・S・ウォード脚本
マーヴィン・ハムリッシュ音楽
スコット・ジョプリン『ジ・エンターテイナー』主題曲(ピアノ演奏)
ポール・ニューマン、、、ヘンリー・ゴンドーフ(伝説的詐欺師)
ロバート・レッドフォード、、、ジョニー・フッカー(ルーサーの仇を取ろうとする若い詐欺師)
ロバート・ショウ、、、ドイル・ロネガン(ニューヨークとシカゴを牛耳るギャングのボス)
チャールズ・ダーニング、、、スナイダー(悪徳警官)
ハロルド・グールド、、、キッド・ツイスト(ゴンドーフの旧友の詐欺師)
レイ・ウォルストン、、、J.J.(ゴンドーフの旧友の詐欺師)
ジョン・ヘフマン、、、エディ・ニールズ(ゴンドーフの旧友の詐欺師)
アイリーン・ブレナン、、、ビリー(ゴンドーフの友人、娼館の主)
ジャック・ケホー、、、エリー・キッド(フッカーの親友、詐欺仲間)
ロバート・アール・ジョーンズ、、、ルーサー・コールマン(ゴンドーフの旧友、フッカーの詐欺師匠)
ディミトラ・アーリス、、、ロレッタ・サリーノ(ロネガン配下の最強の殺し屋)
映画というものの面白さをこれでもかと言うほど教えてくれる作品。
プロット1~7まであり、どれも如何に騙すかハラハラワクワクで観入ってしまう。
「明日に向かって撃て」の監督と主演の二人がまた組んで作った作品が面白くない訳ないと納得。
このテーマ曲も余りに有名。

シカゴで詐欺で身を立てる面々をスリリングにコミカルに描く。
1.仕掛人
ルーサーとフッカーの詐欺の師弟コンビが大物ギャングのドイル・ロネガンに渡る闇金を(それと知らず)騙し取ってしまう。
そしてフッカーは分け前を全部すってしまい、足を洗って堅気になるつもりのルーサーはロネガンの手の者に殺されてしまう。
フッカーはその場からすぐさま身を隠し逃げ出してゆく。
そして、詐欺師仲間のルーサー弔い合戦が派手に始まることになる。
2.仕掛け
伝説の詐欺師ヘンリー・ゴンドーフをルーサーから生前紹介されていたフッカーは、彼のもとを訪ね、教えを請い師のフッカーの仇討ちの協力を頼む。亡きルーサーのためなら一肌脱ごうということでゴンドーフだけでなく、たくさんの腕に覚えのある詐欺師たちが集結してくる。特に電信の技術・経験のあるものが選ばれることに。
ゴンドーフをリーダーに偽競馬賭博場を皆で作り、ロネガンをおびき寄せ大金を巻き上げる計画を立てる。

3.釣り針
まずロネガンと懇意になる為、彼の移動中の列車で行われるポーカーに賭博場経営者ゴンドーフが参加し、華麗な詐欺テクニックでやはり詐欺で勝とうとするロネガンを打ち負かす。その後、金を受け取りに行った従業員フッカーは、ボスに不服を持っており、賭博場を乗っ取りたい為、負けた分の金を返すことと引き換えにロネガンに助力を願い出る。
4.筋書
直ぐにそれを信じるロネガンではなかったが、必ず勝てる仕組みを教えることで興味を示す。
電報局にいるフッカーの仲間から勝馬情報を横流ししてもらったところで直ぐに賭けるというものであった。
お試しにフッカーの言う通りの馬に賭けると見事的中するのだった。
しかしロネガンは念の為、電報局に行き中継ぎの仲間に実際に会って確かめたいと言う。
5.有線
これにはちょっと慌てるが、実際の電報局に仲間を内装工事員として送り込み、塗装作業中として職員を締め出してしまう。
この隙にロネガンと「電報局の仲間」が顔を合わせ話が通ると疑り深い彼も納得して信用するのだった。
ついにロネガンは詐欺師グループの術中に落ち、この次に大金を巻き上げる準備が整う。

6.締め出し
こんな大事な時に、悪徳警官スナイダーがフッカーのもとにやって来る(これまでも度々襲ってきたが)。
彼は以前詐欺を見逃す代わりに2000ドル支払えと脅したときにフッカーから贋金を掴まされずっと恨み追い続けてきたのだ。
今回はその背後にはFBIが付いており、詐欺の大物ゴンドーフを今度こそ捕まえるということで、フッカーが協力しなければルーサーの残された家族を逮捕すると脅してきた。
フッカーとしては、従う返事をするしかなかった。
更に彼はロネガンの組織の殺し屋からも例の件で何かと命を狙われていた。
行きつけのカフェで新顔のウェイトレスに殺し屋から逃げる手助けをしてもらい彼女と親しくなる。
7.本番
何とも気持ちの冴えないフッカーが偽競馬賭博場に向かう途上で例のウェイトレスに出逢う。
彼が挨拶しようとした矢先に背後から銃声が轟きその女性が倒れる。
フッカーを尾行してきた男はゴンドーフの仲間で、その女性こそ最強の殺し屋ロレッタ・サリーノであった。
まさに九死に一生を得たというもの。彼に用心棒も付けていてくれたのだ。ゴンドーフとは、なんとできる男か。
賭博場には完全に信用しきったギャングのボス、ロネガンが飛んでもない大金を持って現れていた。
そして自信をもって馬券を買う。そこへ以前会った電報局員が顔を出し、大丈夫かと念を押すと、言われた馬を単勝で勝ったと告げる。血相を変え電報局員が単勝ではなく複勝だ。その馬は二着だと言う。大慌てのロネガンが金を引き戻そうとした時に、FBIと悪徳スナイダーが皆逮捕だと叫び飛び込んでくる。FBIがフッカーに労いの言葉をかけたことで、ゴンドーフは裏切りと察しフッカーを撃ち殺す。そしてFBIはゴンドーフを撃ち殺す。その様を観て慄くロネガンは俺の金が~と叫びつつスナイダーに抱えられ警察に向かう。
それを確認し笑みを零しながら起き上がるゴンドーフとフッカー。FBIもゴンドーフの仲間であった。
皆で分け前を取り、偽競馬賭博場を解体する。しかしフッカーは分け前は取らない。仇討ちが出来たことで充分であった。
「いらないよ、またすっちまうから」
二人で並んで去ってゆく、、、。

面白いことこの上ない作品であった。
ゴンドーフが余りに凄すぎ、フッカーは逃げるのは上手いが頼りなく、とても危なっかしい男であった。
(敵の殺し屋をひっかけて彼女にしようなどと、惚けた男で命が幾つあっても足りない奴で、ゴンドーフなしでは生存不可能であったことは確か)。
この取り合わせで魅せる映画であった。名コンビである。
TVにて

スパイゲーム

Spy Game
2001
アメリカ
トニー・スコット 監督
マイケル・フロスト・ベックナー、デイヴィッド・アラタ 脚本
マイケル・フロスト・ベックナー 原作
ロバート・レッドフォード、、、ネイサン・ミュアー(CIA工作員、ビショップの師)
ブラッド・ピット、、、トム・ビショップ(CIA工作員)
キャサリン・マコーマック、、、エリザベス・ハドレー
スティーヴン・ディレイン、、、チャールズ・ハーカー(CIA局員)
ラリー・ブリッグマン、、、トロイ・フォルガーCIA作戦本部副部長
マリアンヌ・ジャン=バプティスト、、、グラディス・ジェニップ(ミュアーの秘書)
オミッド・ジャリリ、、、ベイルートのタクシー運転手・ドーメ
文句なしの大傑作!
この一言でいいかも。
回想シーンとCIAの会議室での探り合いと騙し合いのシーンがほとんどなのに、この緊張感と重厚さ。
これは、脚本、演出がよくなければどうにもならない。(勿論、演者もだが)。
その点、トニー・スコットの映像演出(超細かく素早いカット割りだけでなく空撮)は緊迫感も増しピタリと嵌っていた。
会話のやり取りだけで充分ハラハラさせる内容となっていた。
この充分練り上げられた2点が見応えを保証している。

ベテランCIA諜報員ミュアーは、後1日で退職が控えていた。
丁度そんな折、かつてその才能を見出し、手塩にかけて育てあげた工作員であるビショップが蘇州刑務所でスパイ容疑で拷問され厳しい取り調べを受けており、処刑まで24時間という情報が入る。
CIA当局は、国際関係を鑑み、ビショップを見殺しにするつもりであることが分かった。
そこで、ミュアーとCIA幹部との頭脳戦が始まる。
この物語の見所は、何と言ってもワシントンに居ながら、中国に囚われている友を助けるまでの攻防戦である。
ミュアーは、場所を変えながら電話、ファックス、メール、書類の偽造、改竄、送金等を通して、ビショップを助け出してしまう。
(リゾートマンションのパンフの使いまわしはお見事)。
勿論、盗聴や通信記録を取られながらもそれを出し抜いて成功させるのだ。
ミュアーの事前準備も凄いが秘書がなかなかの切れ者でもあった。
この映画を通し、工作員が実際には、アセット(現地協力者)によって諜報活動、工作活動を進めてゆくことを知った。
(スパイが表に出て何をかするはずもないが、娯楽映画では、平気で表のヒーローみたいにしゃしゃり出て大活躍だ)。
スパイ映画でこうした部分を鮮明に見せるものは、これまで観た記憶はない。
従って、上からの命令で際どい所でアセットの切り捨ても行わなければならなくなる。
ここでネイサン、ビショップの強い信頼関係に罅が入る事態にもなった。
しかしアセットも実はこちらと関係しながら他国とも接しており、有利な関係を天秤にかけていたりする事をネイサンから明かされ、実際にそのケースにも遭遇する。

こういった最前線は、一筋縄ではいかない。
この映画は、関係性のかなり深いところまで追っていることが分かる。
ベイルートで慈善事業を行っていたエリザベス・ハドレーも現地の有力組織間のフィクサーを行い資金調達に向けていた。
このエリザベスと仕事上接触しているうちにビショップは恋仲になってしまう。
ビショップが蘇州刑務所で医者に化けて潜入したのは、このエリザベス救出の為であった。
エリザベスはスパイとして、中国に捕らえられたアメリカ外交官と交換されていたことを彼が知ったことによる。
ネイサンは退職後の為にためていた28.2万ドルを全てつぎ込み、ビショップの捕らえられた刑務所周辺の地区を停電にする。
同時に、ビショップとエリザベス奪還作戦を承認するCIAの書類を偽造して軍に送り停電の30分間で決行させるのだった。
作戦は見事成功し、2人は救出される。
作戦名は「デイナー・アウト作戦」であった。

その作戦名をパイロットが無線で伝えると、拷問でボロボロのビショップがもう一度言ってくれと聞き返す。
「デイナー・アウト作戦」という作戦名を聞いてビショップが感涙にむせぶところで、こちらもむせんでしまった(不覚。
ベイルート滞在中ネイサンのバースデーに携帯酒ボトルをプレゼントしたビショップが外交で使われる「デイナー・アウト作戦」さ、と伝える。
ネイサンは「そうか、よく覚えておこう」と嬉しそうな表情で返す。
それにしても全財産はたいたお返しプレゼントは渋い。
単独行動をあれほど禁止していたネイサンが独りでビショップを助け出したのだ。
国より個を取ったネイサンにはただただ拍手。

ポルシェ912に乗って颯爽と去って行く初老のロバート・レッドフォードのカッコよさ。
彼がカッコよいのか、ポルシェ912なのか、いやその取り合わせがカッコ良いのだ。
下手をするとトニーは、リドリーを超えていたのかも。.
TVにて

フライトプラン

Flightplan
2005
アメリカ
ロベルト・シュヴェンケ 監督
ピーター・A・ダウリング、ビリー・レイ 脚本
ジョディ・フォスター、、、カイル・プラット (航空機設計士)
ピーター・サースガード、、、ジーン・カーソン (偽航空保安官)
ショーン・ビーン、、、マーカス・リッチ機長
ケイト・ビーハン、、、ステファニー (フライトアテンダント)
エリカ・クリステンセン、、、フィオナ (フライトアテンダント)
ジュディス・スコット、、、エステラ (フライトアテンダント)
マイケル・アービー、、、オバイド (アラブ系乗客)
アサフ・コーエン、、、アハメド (アラブ系乗客)
マーリーン・ローストン、、、ジュリア・プラット (カイルの娘、6歳)
マシュー・ボマー、、、エリック
グレタ・スカッキ、、、セラピスト
ジュディ・フォスターは女優で最初にファンになった人である。次がナタリー・ポートマン、それからダコタ・ファニングであった。
皆、紛れもない天才である。子役から圧倒的存在感~オーラを放ちまくっていた。エル・ファニングも申し分ないけど、、、。このダコタ姉妹は、フランソワーズ・ドルレアックとカトリーヌ・ドヌーヴ姉妹にも並ぶ史上最強姉妹だ。(フランソワーズ・ドルレアックが25歳没とは余りに惨いが。フィルムにその美がずっと残るだけでも、、、(悲)。
ジュディ・フォスターも勿論、永遠に不滅の女優である。
終始、飛行機という込み入った閉鎖空間にあって周りは全て実質敵となるシチュエーション。
夫を失い傷心の帰郷なのに、危うく身代金目的の飛行機爆破テロ犯人に仕立て上げられそうになる噺だ。
見事な心理戦サスペンスドラマに成立させているのは主演女優の力量によるところが大きい。
映像の色調がとても落ち着いていて綺麗であった。

仕事先のベルリン滞在中に夫を亡くし、棺と共にニューヨーク・ロングアイランドの自宅に娘と共に帰る飛行機の中での壮絶な物語。
いくら何でも娘と一緒に(自分の設計した)飛行機に搭乗したにも関わらず、娘が飛行中の機内で忽然と姿を消したからと言って、あなたは娘さんと一緒に搭乗してません、乗客名簿に娘さんの名はありません、果ては娘の死亡報告まで病院から届いて来るなど、無茶苦茶謂われてああそうだったんですか、なんてことがある分けないだろ(怒。
第一、視聴者であるわれわれがちゃんと娘と二人連れの姿を見てしまっているのだ(ここを見せないとわれわれにとっても疑心暗鬼の流れが生まれるかもだが)。
しかし混乱と不安と疲労に加え多勢に無勢~たった独りの攻防では相当に参って来る。
(こういう時に日頃の偏見なども表に噴出して来るものだ。ここではアラブ人をさしたる根拠もなく疑う。危険な流れである)。
一体、誰が何の目的で、、、そして娘はどこにいるの?その不安は途轍もない質量をもつ。
娘の消えた理由も何処にいるのかも全く掴めぬ理不尽な事態に、現実感覚も大いに揺らいでしまう、、、。
そこに付け入るように心理カウンセラーのお出ましで、人は酷い精神的ショックを受けたとき、現実を否定し安易な妄想に逃避したくなるもの、だとか暗示をかけるように迫って来る。

心も折れそうになり向うの術中に嵌りかけるが、娘がシートに座った時に窓に指で描いたハートマークがそのまま浮かび上がっているのだった。これはわたしもポイントだと思って覚えていたもの。
そこでしっかり気持ちを立て直す。
やはり物的証拠~物質的根拠はとても肝心である。
それが無ければ、これ程のアウェイ環境で神経が衰弱していては太刀打ち出来まい。
機内については細部まで熟知している事だけが彼女の唯一のアドヴァンテージであるが、それが土壇場で効いて来る。
はっきり確信を持ったカイル女史は、もう一直線に突き進む。ともかくカッコよい。
警官に化けたテロ犯の他にアテンダントでグルがひとりいたのが大きい(更に病院関係者にも仲間が潜んでいた)が、目の前の犯人2人を特定し、機内の迷路を巧みに潜って有利に事を運ぶ。

この一連の流れは充分ドキドキ出来るもので、カイル・プラットの一挙手一投足に釘付けとなる。
終盤、犯人がかなり(幾つかの面で)失速し、カイルが優勢になるが、これまでずっとやられっぱなしであった分、爽快感を愉しめるというもの。犯人(たち)がここへ来ておまぬけなのだが、それでよい。
やはりジョディ・フォスターだけあって、感情移入は自然に出来る。
とは言え、何でカイル・プラット一家が狙われたのか、たまたま爆弾を飛行機に積む為の棺が必要だと言っても、、、死体安置所から盗むとか他で済ませばよいものを。わざわざそのために殺人とは、これだってリスクは大きい。
そもそも爆弾を運ぶのに棺以外に無いのか?棺桶はチェックが入らないのか(X線やらないみたい)。
その上、娘を誘拐・設置した爆弾付近に眠らせておいて、母親をパニックに追いやり、彼女を爆破テロ犯に仕立て上げて金を送金させたらとんずらというのも、どうにも回りくどい。
犯人の女が爆破を予告し危険なため送金を済ませ、臨時着陸させて乗客を首尾よく降ろし、飛行機爆破(これは犯人側の証拠隠滅)という流れに持ってゆけるかどうか。
途中であまりに迷惑な為、取り押さえられ正気を失った危険人物が「犯人」として機能しなくなったらどうするのか。
つまり送金前に拘束され緊急着陸して乗客を降ろし爆弾のありかを尋問するなどに進んだら、、、送金も何も必要ないし。
こういう第三者を利用する犯罪は危ういと思うが。
それを巧みにコントロールする役をジーン・カーソンが受け持つと言うことか。グルのアテンダントと組んで。

結局、この最新鋭巨大旅客機の設計者をカモに選んでしまったことで、失敗することとなる。
一般人であれば、この線でも上手く行ったかも知れない。やはり人選ミスだ。
それから可愛い女の子を見たよ、というのがやはり同年代の女子一人というのもどうか(子供の証言は相手にされない)。
そんなはずはないと思うが、それでかなり事態も変わって来る。~誘拐の線がしっかり残れば、爆破する脅しなど彼女がかけるはずもない。犯人には出来ない。グルではない乗務員とか見ていてもおかしくはないと思うが、、、。
際どい不条理の世界である(爆。
凛々しいジョディ・フォスターが見られたことで、充分であった。
子役は、実際いるのかいないのか分からないくらいの存在感であった(笑。
TVにて

ダニー・ザ・ドッグ

Unleashed/Danny the Dog
アメリカ、フランス、イギリス
2005
ルイ・レテリエ 監督
リュック・ベッソン 脚本・製作
ジェット・リー、、、ダニー(バートに闘犬として育てられた青年)
モーガン・フリーマン、、、サム(盲目のピアノ調律師)
ボブ・ホスキンス、、、バート(取り立て屋、ダニーの飼い主)
ケリー・コンドン、、、ヴィクトリア(ピアニスト、サムの養女)
黒人俳優でデンゼル・ワシントンの他に贔屓の俳優がこのモーガン・フリーマンである。圧倒的な雰囲気を持つ人である。見るからに只者ではないオーラを放ちまくっている。その他にはフォレスト・ウィテカー、ローレンス・フィッシュバーン、マハーシャラ・アリ、サミュエル・L・ジャクソンが特にお気に入り。皆、曲者ばかりだが(笑。

物語は、とっても悪い奴に幼い頃攫われ闘犬として育てられた青年の自分を取り戻すまでの噺である。
ジェット・リーが主演でもカンフー娯楽映画ではない。
首輪をしている時は無気力で生気のない青年だが、一度それを外されると本能的に闘志丸出しで相手を叩きのめす。
闘う機械であり、言葉はほとんど発せず自閉し、人間らしさは見受けられない。
幼い頃の養育環境によっては、このような歪に制御された人間を生むこともあり得る。
(戦争用に実験される余地はあるかも)。
ダニーというかジェット・リーは龍雅なカンフー使いではなく、がむしゃらなラフファイトを披露。
兎も角、幼い頃から仕込まれたやたらと喧嘩の強い闘犬の役である。その分、格闘家の洗練された動きは見られない。
そしてその飼い主の飛んでもない悪辣な取り立て屋のバートがこれまた不死身と来ている。
殴られ撃たれ追突され、これで漸く死んだか、とこちらもホッとしている間に、直ぐにガッ八ハと不敵な面構えで現れる。
こいつ大丈夫か、じゃなくて何者かと不安になってくる、、、。
長生きするタイプの質の悪いオヤジであることは確か。
(役者を褒めるべきだろう)。

前半はやたらとダニーがショーで闘犬として強敵を倒したり、金の取り立てで相手をボコボコにしてバートが儲けた(取り立てた)札束握って悦に入っている場面がほとんど。
ダニーに人らしさは無く、首輪を外されたら自動的に闘うマシンである。
その強さは無敵だが。
やや単調な流れでもある。
中盤からは、盲目のピアノ調律師サムと出逢い、ダニーが元々持っている音楽への興味・才能が表に溢れ出し、彼と共にピアノの調律の仕事を手伝う過程で人間らしさを取り戻してゆく。会話もたどたどしいが可能となり、言葉も覚えてゆく。
怪我をしてから彼の家に住む事になり、朗らかで人懐こい性格の養女ヴィクトリアのお陰で、その年代の誰もがする経験を積んで行くようになる。サムからはピアノの他に料理を学ぶ。直ぐにマスターする。
これですっかり表情に明るさが窺えるようになり、ココミュニケーションにも支障が無くなってゆく。

しかしこのままの生活はバートがいる限り続かない。
彼は連れ戻され(戻らないとその家庭を破壊すると脅され)、バートのもとで前のように働かされることに。
その際、母親の事をバートに聞きただし、手掛かりとなる写真を入手してサムの家に逃げ帰る。
写真から母はバートの謂うような情婦ではなく、音楽大学のピアノ科の学生であることが分かり、使っているピアノからその大学もサムによって特定された。教授から母の名と特に優秀な成績の学生であったことを聞かされる。
そして母の演奏する写真から譜面が確認でき、モーツァルトのソナタであることが分かった。
ヴィクトリアがその曲を弾いたとき、それまで(自己防衛の為)封印してきたダニーの記憶が横溢する。
優秀なピアニストである母を殺し自分を攫った者は、他ならぬ幼い孤児を拾って育ててやったといつも恩着せがましく話しているバートその人であったのだ。
ダニーは自分の居所を突き止め金蔓として連れ戻しに来たバートたちと最後の一戦を交わす。
そして手強い手下を倒した末バートを組み伏せるが、変わらぬ自己中心な強引で厚顔無恥な騙りでダニーを絡めとろうとする。だが、もうダニーはこの男が何者かは知っていた。そして息の根を止めんと一撃を入れようとした時、サムが止めに入り、代わりに彼がバートのお喋りを鉢の一撃で止めた。
ちょっと最後に心配になったのは、バートを植木鉢で倒した後(失神させた後)、まだ彼の手下が最低4人ほどは下にいたはずだが、連中はどうしたのか。銃を持ってるクレイジーな奴もいたはずだが、、、。いつ部屋に上がって来るかと思っていたら、、、
次の瞬間、ヴィクトリアのカーネギーホールでのピアノリサイタル場面に飛んでいたので、まあ連中は適当に始末したんだな、と思った。
心配と謂えば、バート一行を狙い撃ちした彼らを恨むギャングたちもこれからどうするのか。
ダニー絡みの因縁である。

ステージでヴィクトリアがダニーの為に弾くモーツァルトのソナタに涙するところで、彼が人の喜怒哀楽をしっかり取り戻したことが分かる。
これから先のサムたち三人の未来は明るいと思える良い噺であった。
TVにて

サブウェイ123 激突

The Taking of Pelham 123
2009
アメリカ
トニー・スコット 監督
ブライアン・ヘルゲランド、デヴィッド・コープ 脚本
ジョン・ゴーディ『サブウェイ・パニック』原作
デンゼル・ワシントン、、、ウォルター・ガーバー(地下鉄職員)
ジョン・トラヴォルタ、、、ライダー(地下鉄テロのボス)
ジョン・タートゥーロ、、、カモネッティ警部補
ルイス・ガスマン、、、レイモス(地下鉄テロ犯)
マイケル・リスポリ、、、ガーバーの上司ジョンソン
ジェームズ・ガンドルフィーニ、、、ニューヨーク市長
この原作で、3回目の映画化だという。
現金を運ぶ時、交通規制が出来ないのならヘリでやるべきでは、と思ったらガーバーが運ぶときは余裕でヘリで到着だった(笑。
なら最初、警察が運ぶときの必死のパトカーとバイクの交通事故しまくりのパニック状況、何なのよ。
パトカーが激突して横転したり、バイクがはじき飛ばされたりの迫力シーンが撮りたかったのね。
サービス精神はよく分かる。この監督は楽しませることを忘れない。

傑作というか怪作「デジャヴ」よりは、「タイムリミット」や「マイ・ボディガード」に近い撮り方に思える(カメラワークと編集において)。
それにしても「デジャヴ」はまさにこの監督の撮り方にピタリマッチした内容で、不自然さが微塵もない(逆手にとる)所が見事であった。ついでに昨夜、もう一度観なおしてしまった(笑。
今回のデンゼルは、優秀な地下鉄職員であり、歳相応の温厚な市井の人である。
地下鉄路線には非常に詳しく、話術は上手いが、銃を撃つタイプの人間では全くない。
仕事は正確で真面目だが、日本企業から列車を選定・導入する際に賄賂は貰ってしまっていた(娘二人の大学の費用である。分かる、とっても)。
そこがこの人の弱みとなっている。
だから、そんなこと僕の仕事じゃありません、とか容易に断れない。

さてこの映画、なかなかの緊張感の持続が保たれる。
地下鉄ジャック犯人のライダーとたまたまその日に管制主任を担当したことで、ガーバーはネゴシエイターみたいな役をやらざるを得なくなる。
その上、ライダーはガーバーのことを痛く気に入ってしまう。
その道の専門家であるカモネッティ警部補が来て交代してもガーバーを出せという。
そして延々と二人の間の緊迫した駆け引きが続く。
更にそれに平行して速度を上げながら運転手不在で激走する乗客18人を乗せた先頭車両。
この辺は演出的にも上手い。
車内で彼女とパソコンチャットしていた青年の床に放り出されたノートカメラからもう少し色々な状況を掴んで行動に結び付けばもっと面白かったかも知れないが、もう一人の犯人の顔が割れただけであった。ちょっと物足りなかったかも。

周囲の人間も徐々にガーバーを見直し、彼に敬意を持つようになる。
専門家のカモネッティも彼を評価する。大したものだと。
しかしいくら何でも普通の市民であるガーバーに要求された1000万ドルを渡しに行かせるとは、酷なものだ。
警察もただ犯人の謂う通りに動くだけなのか。
狙撃手のズボンにネズミが入ったショックで誤射してしまい犯人をひとり射殺するあたりは、多分そう来るだろうなと待っているとドンピシャリというコントみたいで面白かった。
警察はここでも役立たずであることを証明してしまう。

一つだけ警察が頑張ったところは、金の分け前を持って堂々と逃げる犯人2人をパトカーっで取り囲み、ハチの巣にしたところか。
だが肝心のライダーは取り逃がし、何と一般市民のガーバーがピストルを持ってカーチェイスで彼を追い詰めてゆくのだ。
だが、いつものようなシャープな追い詰め方ではなく、如何にも普通のおじさんがその職務に対する誠実さの延長で頑張っている感じをしっかり演じている。役柄からかわざと太って臨んでいるようだ。流石だ。
最後はライダーと線路脇で対峙し堂々と渡り合い彼を射殺する。
(ライダー自身、語りあううちに最期はガーバーに止めてもらおうとしていたことが分かる)。
ライダーという男は、ガーバーがやり取りするうちに分析してみせた、カトリックでウォール街でかつてバリバリ働いていた男で、今はニューヨークに深い恨みをもつ男であった。
彼は逃げる途中の車の中で株取引で(金が値上がりし)大儲けして満足そうであったが、、、。
確信をもちながらも複雑に揺れ動く心境を見事に表していた。
この映画、何と言ってもデンゼル・ワシントンとジョン・トラヴォルタの豪華W主演である。
これについては大成功であろう。
更にジョン・タートゥーロとニューヨーク市長の小太りのジェームズ・ガンドルフィーニがこれまた実に良い味を出していた。
如何にも現実にいそうな二人である。
(市長のうさん臭さはとても説得力があった)。
ガーバーは奥さんに頼まれた通り、牛乳を買って家に帰って行く。
(夫に、絶対死なないで戻って来て、とか言うより、あなた牛乳忘れないで買ってくるのよ、の方が説得力を感じる。上手い)。

というところで、デンゼル・ワシントンはどんな役でも熟さるぞということがしっかり分かる映画でもあった。
TVにて

中古でとてもお買い得