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GOMA28

Author:GOMA28
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マイ・ボディガード

Man On Fire006

Man On Fire
2004
アメリカ、イギリス

トニー・スコット 監督
ブライアン・ヘルゲランド 脚本
A・J・クィネル『燃える男』原作

デンゼル・ワシントン、、、ジョン・クリーシー(元対テロ暗殺部隊員)
ダコタ・ファニング、、、ピタ・ラモス(ラモス夫妻の9歳の娘)
クリストファー・ウォーケン、、、ポール・レイバーン(クリーシーの友人)
ラダ・ミッチェル、、、リサ・ラモス(ピタの母)
マーク・アンソニー、、、サムエル・ラモス(ピタの父、会社社長)
ジャンカルロ・ジャンニーニ、、、ミゲル・マンサーノ(連邦捜査局の長官)
レイチェル・ティコティン、、、マリアナ・ゲレロ(新聞記者)
ミッキー・ローク、、、ジョーダン・カルフス(サムエルの顧問弁護士)
ロベルト・ソーサ、、、ダニエル・サンチェス(誘拐グループのボス「ボイス」)
ヘスス・オチョア、、、ヴィクター・フエンテス(連邦司法警察の誘拐対策部の警部補、汚職警官グループのボス)
ゲロ・カミロ、、、アウレリオ・サンチェス(ダニエルの弟)
マリオ・サラゴサ、、、ホルヘ・ゴンザレス(汚職警官の一人。誘拐実行犯)


A・J・クィネルの小説『燃える男』の2作目の映画化だそうだ。
デンゼル・ワシントン&ダコタ・ファニングの取り合わせはとてもオシャレ。
この2人は、どちらも永遠に不滅、だと思う(笑。
キャストについては文句なし。

Man On Fire001

誘拐が組織化したビジネスに発展しているメキシコの状況が窺える。
裕福な家族はボディガードを雇うのは常識とは。
当然、誘拐保険ビジネスも成立する(それにより両者を支え合う構造となろう)。
突然妙な車が目の前に止まったらもうおしまい。
警官も犯人組織の一員だったり、仲介者による身代金の略奪すらある。
誘拐された人の生還率は少ないという。
(年間に8700人が誘拐され6000人以上が帰らぬ人となるらしい)。

Man On Fire004

この作品、映像効果の是非にかかっていると思われる。
何かミュージックPV風の画面切り替えや文字の挿入が頻繁に行われ、それによりリアルさや自然な速度が疎外される。
テンポ良いように思えてとても人工的なリズムが。
この凝り方は劇画タッチの流れとなるか。
アメコミ風の質感を覚えるような、、、それを狙ったのか。
超人的な強さと派手(荒唐無稽)な闘いを繰り広げるジョン・クリーシーというヒーローを際立たせる演出であろうが。
クラブ一つ爆破、指詰め、拷問と尋問、お尻爆弾等々、、、タフでクールなハードボイルドとも謂うべきか。
カメラワークも含めもう少しスタンダードな演出で見せる映画でも充分面白いものになったはず。

Man On Fire002

監督の映画は「デジャヴ」、「 エネミー・オブ・アメリカ」(どちらもかなり面白かった)しか観ていない為、何とも言えないが、やはり演出それ自体が浮き出てしまい気になるのはやり過ぎかな、と思う。
デンゼル・ワシントンとは、何度も組んで映画を作っているようであり(「デジャヴ」等)、2人のタッグ映画ももう少し観てみたい。
『サブウェイ123 激突』、『アンストッパブル』とか、、、

Man On Fire005

しかし、、、(自分を生き返らせてくれて)こころ通わせるまでになったピタが殺されたという前提での後半への怒涛の復讐劇となるのだが、こちらにとっては、彼女は何らかの形で生きていることが分かってしまっており、何だかあのド派手な展開にはちょっと違和感はある。
但し、そこは無法地帯であるという前提に立てば、独りでこいつら始末するしかないという流れとなるのは分かるところ。

Man On Fire007

目まぐるしい展開から一転、最後のシーンがやけに静謐であり、物悲しい雰囲気がよく出ていた。
(緩急は確かに凄い)。
何だかとても大人しい敵のボス一行が意外な気もしたが、ヒーローの死に際と少女との別れを大事に見せたい演出~配慮はよく分かる。
ピタが元気で敵のボスも逮捕時に殺され、スッキリとしたエンディングになった。
ダコタ・ファニングの天才は再認識。
ついでに言えば、クリストファーウォーケンが微妙な立ち位置。何だかよく分からぬまま、、、。
ミッキーロークもいたな、、、いた。

Man On Fire003

観終わってみて『マイ・ボディーガード』か、、、まあピタにとってはそうなんだろうけど、、、。
燃える男じゃ情けないけど、、、と悩ましいところ。


デンゼル・ワシントン&ダコタ・ファニングの映画がつまらぬはずは、ない(笑。
トニー・スコット監督には、まだまだ沢山撮って欲しかった。




TVにて





アラバマ物語

To Kill a Mockingbird001

To Kill a Mockingbird
1962
アメリカ

ロバート・マリガン 監督
ホートン・フート 脚本
ハーパー・リー 原作
ヘンリー・バムステッド、アレクサンダー・ゴリッツェン、オリバー・エマート 美術

グレゴリー・ペック、、、アティカス・フィンチ(弁護士)
メアリー・バダム、、、スカウト (フィンチ弁護士の娘)
フィリップ・アルフォード、、、ジェム(フィンチ弁護士の息子、スカウトの兄)
ジョン・メグナ、、、ディル(フィンチ兄妹の友達、トルーマン・カポーティがモデル)
ブロック・ピータース、、、トム・ロビンソン(女性暴行容疑で起訴された黒人)
ロバート・デュヴァル、、、ブー・ラドレー(アーサー・ラドリー、“ブー”という綽名の謎の青年)
フランク・オーヴァートン、、、ヘック・テイト (町の保安官)
エステル・エヴァンス、、、キャルパニア (フィンチ家の黒人家政婦)
ローズマリー・マーフィ、、、モーディ・アトキンソン (フィンチ家の向かいに住んでいる女性)
ジェームズ・アンダーソン、、、ボブ・ユーエル(メイエラの粗暴な父、フィンチ家に敵意を持つ)
コリン・ウィルコックス、、、メイエラ・バイオレット・ユーエル(トムに暴行されたと訴える女性)


1930年代、アメリカ南部アラバマ州の田舎町が舞台。
何とヘンリー・バムステッド、アレクサンダー・ゴリッツェン、オリバー・エマートの3人が原作者ハーパー・リーの故郷そっくりのセットをハリウッドスタジオに作ってしまったという。
セットとは思えなかった。金掛けてるね~。

To Kill a Mockingbird002

キャストも素晴らしい。特にトム・ロビンソン役のブロック・ピータース。
幼い娘(原作者)スカウトの視線から描かれる。
融通は利かないが、とても利発で活発であり父の自慢の娘である。
父は何故かファーストネームで子供たちから名を呼ばれている、とても信頼される存在だ。
妻を亡くし男手一本で二人の子供を育て上げてきた有能な弁護士であり射撃の名人でもある。
兄のジェム は冒険好きの好奇心旺盛な男子であるが、そこそこ妹思いで、頼れるところもある。
面白いのは夏休みだけやって来る金持ちボンボンの典型的な顔をしたディルである。何とトルーマン・カポーティらしい。
「おとーさんは飛行機乗ってるんだぞーっ」と、貧しい人相手に自慢する子供である。カポーティなんだ。

父アティカス弁護士が、レイプの罪で濡れ衣を着せられた黒人男性の弁護を引き受け陪審員全員が白人という環境で孤軍奮闘する。その為子供たちも、学校などで友達から心無い虐めを受けるなど、フィンチ一家が村人全体から殺気の籠った目で見られるようになってしまう。父はそれまで人徳を買われ人々から篤い信頼を得ていたにも関わらず。
この裁判を巡って余りにはっきりと浮かび上がる白人優位、黒人差別の問題。更に“ブー”なる家族からも隠された人物に象徴される村全体の抱える闇がオカルティックに描かれてゆく。

To Kill a Mockingbird003

スカウトとジェムの動き~探検を通し、この共同体にとり都合の悪いものを排除または隠蔽して何事もない日常を見せかけようとする不穏な空気が絶妙に表現されている。
特に面白かったのは、村の夜更けの気配である。“ブー”の閉じ込められている家の周辺を中心に何かの予兆を知らせるような風、肘掛椅子の揺れ、木々の騒めき、不気味な鳥の鳴き声等、、、ゾクゾクする雰囲気が伝わる。
そして古木の幹に出来る空洞~穴に定期的にアイテムが入っており、それがフィンチ兄妹の生活の出来事にリンクしていること。
これは子供こころに充分神秘的で神聖な絵本の世界みたいなギフトになったはず。このことは彼らの秘密であり世界の深い豊かな層との接点であり、誰がこれをそっと忍ばせてくれるのかという良き超越者の存在をも示唆したことであろう。
木の穴は彼等に向け発信された恩寵~オブジェを受け取るポストに他ならない。
しかしその穴も村人によって塞がれてしまう。

To Kill a Mockingbird004


裁判で明らかとなることは、レイプされたと叫んでいる女性は、村~白人優位社会の暗黙の掟を破り、いつも家仕事を頼めば無料でやってくれる黒人男性に自分から言い寄りそれを断られたところを偶然父に目撃されたことで、その事態の収拾を迫られる。
父には殺すと殴られ、彼女としては何時も世話になって来た黒人男性に全ての罪を被せ自分の前から消し去るしかなかった事である。
トムは左腕が全く利かず、メイエラの父は左利きであり、彼女の顔の傷は父による可能性が高く、事件後病院にも連れて行かなかったことも疑いを残した。
裁判では弁護士アティカスの弁護が冴えトム・ロビンソンが明らかに冤罪であることは明白なのだが、起訴通りの有罪が下される。
トムはアティカスから上告を約束されるが、護送中に逃走し警官に撃たれ死亡する。

To Kill a Mockingbird005

そしてトムの遺族の悲しむ中、丁度重なったハロウィンの祭りからの帰りに森でフィンチ家の子供二人が何者かに襲われる。
兄は腕を酷く骨折する重傷を負うが、妹が襲われそうになった時、誰かが助けに入ってくれた。
襲った犯人は再三フィンチ家に嫌がらせをして来たボブ・ユーエルであったが、保安官により彼は胸に包丁を刺さって死亡が確認された。
兄妹を救い、気を失った兄を運んでくれた人こそずっと姿を隠されていた“ブー”ことアーサー・ラドリーであった。
彼は2人をずっと知っており彼らの生活ぶりや行動も察知していた。
スカウトは彼の出現を心から喜び、恐らく友人となったであろう、、、。
保安官は、父が息子の正当防衛を証明する事に腐心していることを察し、ボブはアーサーに刺されて死んだと言い、彼を裁判に引き出し衆目のもとに晒すことは罪であるとし、ボブの事故死として片つけることを告げた。
スカウトも「ものまね鳥を殺すこと」は罪だと父から聞いた噺を思い出して、それに同意するのだった。


絶妙の質感の「映画」であった。
見応え充分。
グレゴリー・ペックは実に良い役だった。


TVにて












アダムスファミリー

The Addams Family001

The Addams Family
1991
アメリカ

バリー・ソネンフェルド監督
キャロライン・トンプソン、ラリー・ウィルソン脚本
チャールズ・アダムス原作
マーク・シャイマン音楽
M.C.ハマー主題歌

ラウル・ジュリア、、、ゴメズ・アダムス(家長、モーティシアの夫)
アンジェリカ・ヒューストン、、、モーティシア・アダムス(魔女、夫人)
クリスティーナ・リッチ、、、ウェンズデー・アダムス(長女)
ジミー・ワークマン、、、パグズリー・アダムス(長男)
ジュディス・マリナ、、、グラニー・アダムス(夫人の母)
クリストファー・ロイド、、、フェスター・アダムス/ゴードン・クレイブン(ゴメズの兄、25年前失踪/アビゲイルの息子)
エリザベス・ウィルソン、、、アビゲイル・クレイブン/Dr.グレタ・ピンダーシュロス(高利貸し/精神科医)
ダン・ヘダヤ、、、タリー・アルフォード(顧問弁護士)
ダナ・アイヴィ、、、マーガレット・アルフォード(弁護士の妻)
カレル・ストルイケン、、、ラーチ(執事)
クリストファー・ハート(手だけ)、、、ハンド(The Thing、ゴメズの幼馴染み)
ジョン・フランクリン、、、カズン・イット(ゴメズのいとこ、全身髪の毛)
モーリーン・スー・レヴィン、、、フローラ・アモール(結合双生児の双子)
ダーリーン・レヴィン、、、ファウナ・アモール(結合双生児の双子)



「アダムスファミリー2」は随分前に観て、まだ印象に残っているが、最初に出た「アダムスファミリー」も観てみた。

The Addams Family002

偽物と思われていたフェスターは実は本物で、バミューダ・トライアングルで記憶を失っている間にアビゲイルの養子となっていたという荒唐無稽にも程があるナンセンスぶりが脱力感を誘う。
ゴードンがフェスターに瓜二つなのは当然であった。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のドクであるクリストファー・ロイドがまさかの?フェスター。芸達者。
ゴシック美術や演出のなかにブラックユーモアとナンセンスを詰め込む。
ゴメズとモーティシアが危機的状況になると燃えるところも如何にも。
グラニーの薬を煎じている雰囲気がまさに魔女であり
ウェンズデーとパグズリーの日々の遊びもこの上なく物騒。電気椅子遊びには笑える。
ウェンズデーのキツイ一言で大概締まる(目力も強い)。
フェスターは存在自体がコミカルホラー。
ラーチのオルガン演奏も雰囲気を盛り上げていた。
ハンド(The Thing)が違和感ないくらいにそれぞれのキャラが際立っている(笑。
(働き者のハンドがいないとこの一家きつくなるだろうな)。

The Addams Family005

クリスティーナ・リッチが大活躍する”2”の方がダイナミックで多彩な内容ではあるが、これも充分イケる。
ウェンズデーとパグズリーの姉弟のステージでのスプラッターな劇発表は一般家庭が唖然として氷ついているところがよい。
ゴメズとゴードン(フェスター)のナイフ投げの妙技は見どころである。
そしてアダムス家のゴシックホラー部屋が実に興味深い。
種棚の本は書かれた項目の実際の現象が起きる~文字を読む必要のない本というのも凄い。
特に金庫室に繋がる小部屋で間違った鎖を引くと頭を掴まれてダストシュートから外に放り出されるところは愉快。
金のかかったゴージャスな趣味の館であることは確か。

噺は、この金持ちの憎めないが不気味なファミリーから金貨をたらふく盗んでやろうと顧問弁護士のアルフォードと高利貸しのアビゲイルが結託する。
そこでアビゲイルはかつてバミューダトライアングルで拾った子供ゴードンがフェスター・アダムスそっくりなのを利用し金を盗んでとんずらしようというドタバタ劇となる。
クリスティーナ・リッチは”2”でも子供であったが、ここでは更に幼い子であるにも関わらずしっかり役を理解し熟しているところは感心。ファミリーの中で一番冷静沈着である。行動はハンドが素早い。この2人はファミリーの要かも。
そしてゴードンが自ら開いた暴風の本で雷に当たりフェスターだったことを思い出す(このコケるような展開)。
アルフォードとアビゲイルが放り出されてスポッと棺桶に治まりウェンズデーとパグズリーに埋葬されてしまう。
「まだ生きてる?」パグズリーに対して「それ、重要?」ウェンズデーで決めたね。

The Addams Family003

ゴメズは何で隣の判事の豪邸(の窓に)目掛けてティーショットを打つのか。
フェスターの失踪について詳しいことが分からない。もしバミューダトライアングルに探検に行ったというなら、そこを探しに行く手があったはずだが(彼等ならそこに行っても平気で帰って来れそうだが。その冒険譚だけで映画一本作れるし)。
ちょっと気になったところはその辺か、、、。別に気にする程の事柄でもない。


楽しい映画であることに間違いない。
「アダムスファミリー2」に出て来る赤ちゃんを授かったというところで終わる。
(これがまた飛んでもない赤ん坊であるが)。

The Addams Family004




TVにて





チャールズ・アダムス原作本







ユリシーズ

Ulisse001.jpg

Ulisse
1954
イタリア・フランス・アメリカ

マリオ・カメリーニ 監督
ホメーロス『オデュッセイア』原作


カーク・ダグラス、、、ユリシーズ(イタカ国王、智将)
シルヴァーナ・マンガーノ、、、ペネロペ・キルケ―(ユリシーズの妻・魔女)
アンソニー・クイン、、、アンティノオス(アンチヌス王)
ロッサナ・ポデスタ、、、ナウシカアー(スケリア島の王女)
シルヴィー、、、エウリュクレイア(侍女頭)
フランコ・インテルレンギ、、、テレマコス(ユリシーズの息子)
エレナ・ザレスキ、、、カサンドラ(悲劇の予言者)


色々出て来て面白い。ギリシャ神話が題材だと何でも出来そうな自由度を感じる。
ユリシーズは、トロイを木馬作戦(コンピュータウイルスでお馴染み)により陥落させるが、還る途上海神ポセイドンの怒りにより海が荒れ、見知らぬ国~島に一人だけ漂着した。
海辺で気を失っているところをこのスケリア島王女ナウシカアーに助けられ、国王にももてなされる。
しかし彼は自分が何者でどこから来て、これまで何をして来たのか、すっかり忘れていた。所謂記憶喪失である。

Ulisse004.jpg

その間、戦争が終結しているのにいつまでも戻らぬ夫を待つペネロペの元に、いい加減に次の国王を立てろという沢山の求婚者が押し寄せて来ていた。妃のペネロペと息子のテレマコス、エウリュクレイアたち身内で何とか騙しながら彼らを交わしていたが、もうどうにもならない状況に追い込まれていた。彼らはペネロペの美貌と資産目当てであった。
結局、求婚者たちで争わせて勝ち残った者がペネロペと結婚する流れとなる。

ユリシーズは自分が誰であるか思い出そうとするが、どうにも思い出せぬまま、スケリア島で楽しく暮らす。
根が楽天家で、好奇心旺盛な冒険好きとあって、催しには何にでも首を突っ込む。
島に馴染み、活躍が目立ち充分有名人となり、姫の結婚相手に目されるまでになる。
やはりユリシーズとしての本領は知らず発揮されてしまうのだ。
ペネロペは。夫の帰りを待ちつつも、引き延ばしが効かず周辺の悪徳王たちに押し切られ再婚の日取りを決めることとなり、一方スケリア島では、ナウシカアー王女の相手は自分が誰だか分らぬ異邦人~ユリシーズと決まった。


ナウシカアー王女婚礼の準備まで進んだところで、自分が流れ着き姫に助けられた浜辺で荒海を眺めているうちに彼に記憶が戻って来る。凄いタイミングだ。
その回想がとっても面白い冒険譚として次々に描かれてゆく。
この映画の見どころとなる。

Ulisse003.jpg

トロイの闘いをありありと思い出すユリシーズ。
トロイの木馬作戦は、大成功であったが、トロイを守護していたポセイドンの呪いを受ける羽目になってしまう。
イタカに帰還する途上激しい暴風雨に襲われ、略奪した財宝を全て海に捨てることとなる。
そして食料を求めて、何とか見知らぬ島に上陸するが、そこには一つ目の巨人が住んでいた(笑。
巨人のねぐらに忍び込み腹一杯食べたが、食料を大量に盗んで帰ろうとした矢先、戻って来た巨人に見つかってしまう。
ポセイドンの息子ポリュペモスと名乗る巨人である。
「この野郎~お前ら皆喰っちまうぞ~」というノリの巨人に対し、知略の将ユリシーズは、彼にワインを呑ませご機嫌を窺う。
こりゃ美味いと気に入った為、どんどんその場でワインを作っては次々と呑ませ巨人を酔わせてゆく。
葡萄を踏み潰すだけだと葡萄ジュースにしかならないはずだが、ここでは直ぐにワインとなるのだ、流石は古代ギリシャ。

Ulisse002.jpg

その隙に先をとがらせておいた大木を皆で担ぎ、巨人の一つ目目掛けて刺してしまう。
この映画は全ての場面でそうだが、その具体的な瞬間は見せない(昔の映画の自己規制か)、今のスプラッター優先時代の映画ならその刺激的場面をどや顔で「うぎゃ~っ」と見せつけるものだが。
そして「や~いだ」と羊やチーズや戦利品を担いで船に持ち帰る。

セイレンの島に近づいたことに気づき、ユリシーズは自分を柱にきつく縛り付けさせ、他のクルーたちには耳栓をして櫂以外に眼をやるなと警告してその海域を突破させる。ユリシーズだけはセイレンの声をしっかり聴いてしまうのだが(聴きたくて聴いたのだが)、彼の妻や息子が必死に彼を呼ぶ声なのだ。彼女らの島に連れ込もうとする魔物の声であり体の自由が利かない為に逃れられた恐ろしい体験であった(それにしても彼の好奇心は凄い)。

Ulisse006.jpg

そして次に辿り着いた島は、ペネロペそっくりの魔女キルケ―の支配する魔界であった。
時間の流れが異なり数時間いたつもりで、もう半年経過しているような浦島太郎状態に嵌ってしまう。
他の仲間は来た早々、豚に変えられていたし(直ぐに人に戻してもらえたが)、ペネロペそっくりということもありユリシーズもすっかり気を許して過ごしていた。
根が楽天家である。キルケ―の誘惑にずっと乗りっぱなしであった。
しかし乗組員たちがもう帰る気満々で漸く彼も帰還を決意する。だがキルケ―は今夜は海が荒れ船は転覆すると警告する。
ユリシーズは、そんじゃあ、と出航を伸ばすが他の者たちは痺れを切らして船出してしまい、案の定船は沈んで皆死んでしまう。
彼は悔やみ、ここを直ぐに発つとキルケ―に伝えると、永遠の命を与えるから留まれとさらに誘惑される。
彼女は死者を次々に訪れさせ、死んだ者の絶望を語って聴かせる。だがそのなかについ先ごろ亡くなった彼の母も現れる。
そして妻や息子が待っている。直ぐ帰れと彼に謂うのだ。狼狽えるキルケ―。想定外の登場であった。
ユリシーズは自分はひととして人生を全うしたいとそれを断り、毅然として帰路につく。

そこまでを思い出し、ユリシーズはナウシカアーと王に詫び用意されたイタカに向けた船に乗る。
乞食に身をやつしそっと城に戻って見ると悪辣な輩で一杯のどうしょもない惨状となっていた。
ユリシーズは息子に出逢い、明日に迫った妻の婚礼の時にこの国を奪還すると誓う。

Ulisse005.jpg

翌日妻の仕掛けた競技は何と、ユリシーズにしか張れない弓を張らせ穴を幾つも通して的に命中させるというもの。
これには流石に強者共も皆お手上げ。
ここでユリシーズが正体を明かして大暴れ。
一人で次々に求婚者を薙倒し、妻との感動の再会となり、ハッピーエンド。

とても面白い冒険活劇であった。
シルヴァーナ・マンガーノは、「にがい米」の頃が懐かしく思える。
ロッサナ・ポデスタ主演の「トロイのヘレン」も観てみたい。


TVにて












追憶

The Way We Were001

The Way We Were
1973
アメリカ

シドニー・ポラック 監督
アーサー・ローレンツ 脚本

マーヴィン・ハムリッシュ 音楽
バーブラ・ストライサンド主題歌「追憶」

バーブラ・ストライサンド、、、ケイティ・モロスキー(青年共産同盟の委員長)
ロバート・レッドフォード、、、ハベル・ガードナー(小説家、脚本家)
ブラッドフォード・ディルマン、、、J・J(ハベルの親友、富豪)
ロイス・チャイルズ、、、キャロル(J・Jと結婚するも別れる、上流階級)
パトリック・オニール、、、ジョージ
ジェームズ・ウッズ、、、フランキー


この映画もテーマが随所に流れるが、センスが良くとても効果的であった。
なんせネスカフェのCMソングで馴染みも深い。
歌はバーブラ・ストライサンドである。文句なし。(先日観た「慕情」とは比べ物にならない)。
役はウザい(イタイ)政治活動家であるが。
こういう気質~性向はこの人の本質で、変わるものではないことが分かる。
理想論としは正しいが、主義に生きるところが限界となる。しかも方法論もなく猪突猛進でいいカモになってしまう。
主義は兎角硬直化し暴力的な軋轢を生む。主義に振り回されるのは辛い。

The Way We Were005

またロバート・レッドフォードがピタリの良い役である。
現実をしっかり認識していて、小説~脚本?もその上で書いていた。
考えがヒト~個に寄り添っている。
とは言え、このふたりのコンビは非常に強力。
ただ最初からぶつかり合ってばかりで破局は見えている。

娘の出産後の別れというのは、とっても切ない、、、。
このラブロマンスはとっても滲みた。
役者が良いこともあり、、、ホントに役者が良い。
この作品には共感するし納得できる。

The Way We Were002

レストランと印刷所の掛け持ちバイトで大学に通い、反政府運動に邁進する洒落っ気のない女子が、金持ちでオールマイティのイケメン人気者に恋をするということは、充分にあり得る。同じ運動の同志と結ばれるばかりが能ではない。
やはり人は自分と異質のものに憧れるものだ。
そして何より、短編小説で自分の書いた渾身の作を押し退けてハベルの書いた小説が高く評価されたことで、もう参ってしまう。
よく分る。

The Way We Were004

だが、主義主張に拘らず、人間そのものに寄り添おうとするハベルと主義を貫くために常に闘志を燃やすケイティはベクトルの向きが異なる。個に対する多様な関りを大切にしてゆく方向性と全体に働きかけある方向に煽動しようとする方向性には隔たりがある。
二人で話そうにも、片や淡々と語り、片や演説となってしまう。
これはどうしても齟齬を生む。だがお互いに深い所では尊重し合い惹かれ合ってもいる。
多くの場合、ぴったり合うよりこうした関係に近いものではなかろうか。
だから共感できる。

この辺の苦しさやるせなさが、ストーリー、演出、演技、カメラワーク、音楽の絶妙な絡みでよく表現されていた。
やはり別れることになり、お互いに結婚もする。
数年後また偶然、出逢ったところで、娘の事を訪ねるハベルに、ケイティは素晴らしい自慢の娘に育ったことを伝え、彼は安堵する。
今度、夫婦で遊びに来ないかというケイティに対し、それは出来ないと言うハベル。
(ケイティは相変わらず政治運動を街頭で続けていた。原爆反対運動であった)。
そして今度こそ、別れてゆく二人、、、もう逢うことはないだろうな、と感じる。

The Way We Were003

とても切なく味わい深い映画であった。
コーヒーのCMにはピッタリの主題歌でもある。



Tvにて












慕情

Love Is a Many-Splendored Thing001

Love Is a Many-Splendored Thing
1955
アメリカ

ヘンリー・キング 監督
ジョン・パトリック 脚本
ハン・スーイン『慕情』原作
アルフレッド・ニューマン音楽 主題歌「慕情」


ジェニファー・ジョーンズ、、、ハン・スーイン(父親が中国人、母親がイギリス人のハーフ、香港の医師)
ウィリアム・ホールデン、、、マーク・エリオット(特派員、ハンの恋人)
イソベル・エルソム、、、アデライン・パーマー=ジョーンズ(病院の理事夫人)
ジョージャ・カートライト、、、スザンヌ(ハンの女学校時代の友人、イギリス人と中国人のハーフ)
トリン・サッチャー、、、ハンフリー・パーマー=ジョーンズ(病院の理事、スザンヌの愛人)
マーレイ・マシソン、、、ジョン・キース医師(ハンの上司)
ヴァージニア・グレッグ、、、アン・リチャーズ(ハンの友人)
リチャード・ロー、、、ロバート・ハン(ハンの友人)
ソー・ヨン、、、ノラ・ハン(ロバートの妻、ハンの友人)
カム・トン、、、セン医師(ハンの同僚、中国共産党員)
キャンディス・リー、、、オー・ノー(ハンに助けられた孤児)


大変長く感じた映画。
キャッチーだが薄っぺらいテーマがアレンジを変えて何度となくBGMで垂れ流される。
これでもか、というくらいに。
(坂本龍一がどれほど素晴らしい作曲家か実感)。
うんざり。ともかく退屈。退屈。本当に長い映画であった。
後で102分の映画だと知り、驚く。これほど長い102分はない。

だが恐らくこのラブストーリーに酔いしれ、素敵だわ~と、うっとりする人も少なくないのだろうな~とは思った。
わたしは無理。到底無理。無理。あり得ない。

Love Is a Many-Splendored Thing002

1949年、第二次大戦直後の香港が舞台。
ハーフということがかなり社会的に引っ掛かるらしい。
医師であるハン・スーインもハーフであることからかなり自身の生活に制約を設けていた。
殊更、品行方正にしていないと周りの目が厳しいような時世なのだ。
ヒロインのハンは、自分のアイデンティティは中国に置いているようであった。いつか中国に帰り国で医者の仕事をするつもり。
中国国民党の将校だった夫を戦争で亡くし、その後は独り身でずっと医療に身を捧げて来た。
恋愛はもうしない覚悟で医療活動一筋に生きて来たがプレイボーイの特派員マークが猛アタックを掛けてくる。
最初はただの友達として付き合っていたが、暇を作っては色々な所での逢瀬を繰り返すうちにお互いに燃え上がってしまう(この流れはよく分かるが)。
この駆け引きの尺が丁寧というか何と言うか、兎も角、長い。長い。
このやり取りの中で、友人の家にふたりで海から泳いで遊びに行くという場面は、なかなか素敵だった。
怪しい占いも面白かったが、、、。

Love Is a Many-Splendored Thing003

そして何だかんだとやってるうちに、結婚しましょう、ということになる。
ハンは叔父に許しを請う。
すると親戚一同、翡翠をハンに形見として授ける。面白い風習だ。
しかしマークはシンガポールに妻がおり、大急ぎで妻との離婚の噺を進めにゆくが、上手くいかない。
(こっちを先にやっとけ)。
ハンもマークとの噂が広がり、忙しい時にデートをしていて院長から睨まれており、ハーフであることがどうやら決定的な作用を及ぼしていたらしく、病院を辞めさせられる。
この時期、中国は中国共産党が政権政党となる。ハンにとっては夫の仇が中国を支配した形となる。穏やかではない。
同僚の医者は中国に帰って働くことをハンに勧める。
だが彼女は、では何故こんなに沢山の難民が中国から香港へと押し寄せて来るのかと反発する。
そんな時にマークは、朝鮮戦争の取材を命じられ直ぐに現地に飛ぶことになった。

そこでこちらの想定通り、マークは取材中に戦闘に巻き込まれ亡くなってしまう。
ハン・スーイン、お気の毒に、、、である。


いや~苦手な分野の映画であった。
音楽もチープで嫌という程聴かされるともうクタクタになる。
ちょっと休もうかな、、、、。





TVにて













私の殺した男

The Man I Killed002

The Man I Killed
アメリカ
1932

エルンスト・ルビッチ 監督
レジノルド・バークレー 脚本


フィリップ・ホームズ、、、ポール(フランス軍の青年兵士、ウォルターを戦場で殺す)
ライオネル・バリモア、、、ホルダリアン医師(ウォルターの父)
ナンシー・キャロル、、、エルザ(ウォルターの婚約者)
ルイズ・カーター 、、、ホルダリアン夫人
トム・ダグラス 、、、ウォルター(20歳のドイツ兵士)
ルシアン・リトルフィールド 、、、シュルツ(エルザに言い寄る権力者)


エルンスト・ルビッチ監督も初めてだ。
この人は名匠として名を馳せており、観たいと思っていた監督の作品である。
全く古さを感じさせない瑞々しい魅力ある映画であった。
噺自体はともするとお伽噺的な現実感の希薄なものになる危険性を孕むが、そういったところは微塵もなく、しかし重々しいさからも解かれた絶妙な作品となっていた。
最後のシューマンのトロイメライには胸に込上げるものがあった。フランスものをやらなかったことは、良く分かる。

一次大戦でフランス軍のポールは敵兵であるウォルターを塹壕で殺してしまう。
しかし戦後、彼は敵を殺したのではなく、人を殺した罪に懊悩するようになる。
ポールは彼の手記を読んでしまい、名前と住所、恋人に宛てた手紙も読んでいた。
一個の人格を殺めた罪悪感は募るばかり。
彼はかつてオーケストラで第一バイオリンを弾いており、音楽で世界を美しくしたいという願いをもっていたが、音楽は止まってしまい、聴こえるのは声だけになったという。
教会で司祭は彼に罪の赦しを与えるが、それは彼にとり気休めにもならなかった。
そこで彼はドイツのウォルターの家に赴き両親に跪いて詫びることを決意する。

The Man I Killed001

これは飛んでも無い決意だとは思うが、本人の意志は固かった。
普通、こんなことして生きて帰れると思うか、、、。
最愛の息子を殺した犯人を前に、冷静でいられる親がいるはずない。
つまり、一般論として客観的、歴史的視点で相手を見ることなど出来ようか。
死んで10年経つとかならまだ多少戦争自体を対象化し総括に入っていれば何とか噺をする場は持てるかも知れないが。
余りにも無謀だ。司祭もそれなら行きなさいだと。やはりただの職業人である。

ドイツの地で、ウォルターの墓に花を手向け、いよいよ彼はホルダリアン家を訪ねることに、、、。
観ているこちらもドキドキする。
ただ、何度か花をもって祈っている姿を墓守やウォルターの婚約者にも見られていたことから、両親は彼が国を隔てた息子の友人であると勘違いしてしまう。
最初はフランス人であることで激しい怒りを露わにしていたホルダリアン医師であったが、態度が変わり、今度は息子の事を何でも教えてくれということで、彼は両親と婚約者に挟まり身動きできなくなって、彼等に噺を合わせざるを得なくなってしまう。

これはこれでシンドイ。
しかし殊の外重苦しく辛い内容なのに、然程重圧感を覚えず、噺がテンポよく進んでゆく。
軽やかと言っていいほど、、、。
恐らくここがこの監督の手法~思惑なのだと思う。
ここで濃密で重厚な進展となると耐え難いものになる。
コミカルな周囲の動き~外野の動きで見事に調整されていた。

しかし流石に相手を和ませるために適当に合わせている訳にも行かなくなってくる。
確かに最初あった頃より両親も婚約者の彼女も見るからに明るくなっていた。
だがポールとしては騙しているという罪悪感に耐えられない。
何度もホルダリアン家に出入りしているうちに親密さばかりが増し、そこを打開することが出来なくなってしまったのだ。
そして、エルザに意を決して伝えたかった事を伝える。そして本国に帰ると(自殺も考えていた)。
当然、然るべき反応~怒りはあったが、彼が両親にも伝えると言うと、それを遮りわたしがまず話すという。
彼女に任せると、何と彼がここに永住することに決めたと告げるのだ。
両親は心の底から喜ぶ。エルザは彼に、ウォルターを二度も殺さないで、と諭す。

The Man I Killed003

父はウォルターの遺品であるバイオリンを上機嫌で彼に手渡す。
息子もバイオリンを弾いていたのだ。
バイオリンを弾くときポールも穏やかな表情に変わる。
そして部屋に流れた曲は”トロイメライ”であった。

「おお我が息子よ」と父が洩らすのも無理はない。
時間が戻ったかのようだ。
バイオリンの調べに合わせエルザがピアノ伴奏をする。
音楽が再び美しく流れ始めた、、、。
もうこの流れに身を任せるしかない。
この家族の幸せそうな顔を見るにつけ、、、


だが、彼等はヒトラーが台頭して二次世界大戦に突入して行くときどうするのだろう。
(一次大戦の悲劇に対する反省も学習も虚しく)。
早めに中立国家にでも亡命してもらいたいものだが。
エルザの機転ならそれも乗り越えてしまうと思う。



AmazonPrimeにて






邦題のニュアンスはおかしい。変だ。



いとこ同志

Les Cousins001

Les Cousins
フランス
1959

クロード・シャブロル 監督・脚本・製作


ジェラール・ブラン、、、シャルル(田舎から来た受験生)
ジャン=クロード・ブリアリ、、、ポール(シャルルの従兄、受験生)
ジュリエット・メニエル、、、フローランス(シャルル、ポールとの三角関係の相手)
クロード・セルヴァル、、、クロヴィス(ポールの親友)
ステファーヌ・オードラン、、、フランソワーズ(ポールの情婦)
ギイ・ドゥコンブル、、、書店の主人
ジャンヌ・ペレ、、、家政婦


クロード・シャブロル監督のものは初めて観た。
ちょっとヴィスコンティを思わせるものを感じたが、甘味で華美で壮麗なものの凋落とか大業なものではない。
無軌道な退廃性や衝動はあっても路線が違う。描き方自体が違う。
意外さや新しさや衝撃こそなかったが、リアリティが張り詰めていた。

Les Cousins002

田舎から大都会パリの従兄のところに受験で出て来たシャルル。
大人しくて内向的な我慢強い青年であり親近感は覚えるが、マザコンであるところは閉口する(直ぐに母さんである)。
これに対し金持ちで遊び人のポールは、シャルルのことを大切に迎えているように見え、自分の欲望に忠実なだけ。
それを合理化する適当な理屈は並べるが~呑み会で詩を朗読したりワーグナーのレコードをかけて趣味はひけらかすが、空っぽであることは明白。一言で謂えばいい加減な輩である。

要領よく立ち回り、取り敢えず欲しいものは全て手に入れる人間なんて幾らでもいる。
試験については、ズルをして受かっている分、実力が伴わないことでつけは来るはずだが。
あの真面目なのか冗談か分からぬ表情でひょいと口車に乗せてしまう手際は大したもの。
詐欺師にはうってつけだ。ピストルコレクションなどもこれ見よがしに壁にズラリ。
一方、真面目に正直にコツコツ頑張っても上手くいかないことなんて幾らでもある。
お節介な人間にどうでもよいアドバイスを偉そうにされたり、思わせぶりの女に振り回されたり、、、
特に田舎から出て来て都会のリベラルな層の羽目外しに圧倒されたり融通が利かなかったりすると余計に殻に籠ってしまう。
勉強は元々好きでも、単に逃げこむ場にもなってしまうと、かなり勉強自体もキツクなってしまわないか。

Les Cousins003

わたし自身どちらかといえば、シャルルのタイプの人間の為、彼の気持ちはかなり分かる。
だが試験に一回しくじったくらいでくよくよするな、である。
(初めての失恋やカルチャーショックや人間不信もここで一気に重なったとは言え)。
あの女とは最初から破局は見え見えで、ある意味、自分の欲望から横取りしたポールの謂う通りであろう。
だが、何も恋破れたシャルルのいる空間でポールもフローランスと同棲するというのはどういう神経なのか。
シャルルは順番を待つみたいなことを言って3人で一緒にいる(わたしはてっきりそこを出て行くものと思っていたが)。
どれほど窮屈でストレスフルな環境に耐えようとしたのか。

やはりマザコンである限界が不幸を招いた。
マザコンがこの世で活き活き生きられる場所などあろうはずもない。
素朴で愚直なところが禍したのではない。マザコンが禍したのだ。
映画の主題とは、もしかしたら関係ないか、、、。

映画自体、田舎から出て来たマザコン坊やのシャルルが徐々に鬱屈して追い詰められてゆく息苦しさが淡々と乾いた調子で描かれてゆく。無駄のないそぎ落とされたタイトなスタイルの描写で進む。
描き方はとても卓越していて、所謂ヌーベルバーグ。
これ以降の映画への影響も大きかったことは想像できる。

Les Cousins005

書店のオヤジが君は勉強家で感心だからバルザックの本で欲しいものはどれでもただでやるからもってけ、と謂われて持ち帰ったあとで、また返しに行く青年である。色々と融通が利かない。
わたしだったら、ガッポリもらってラッキーなだけだが。「セラフィタ」だけは何としても貰う(笑
受験失敗が何より響く。そこまで行く過程でボディブローはかなりもらってはいたが。
全く勉強してないポールが合格。科は違うだろうが自分は不合格(試験前日だけは外にホテルを借りるべきでは)。
女も取られ受験でも敗れ、何と運の無い、と抱え込む。ここで気晴らししたり怒りまくったりはせずに。
いきなり、ロシアンルーレットへ、、、。
ポールの寝ているうちに、彼のコレクションのピストルに弾を一つ詰め。
彼のこめかみに向け、引き金を引く。だが奴は運がよい。
てっきり自分のこめかみにもと思ったが、椅子の上にそっと置くのだ。
ひとり机に向って何やらしたためている風であったが、母さんに手紙か、、、。

朝となり、呑気に起き出したポールが、おいどうしたんだという調子でまたペラペラ調子のよい減らず口を叩き、、、
何故だか椅子に置いてあるピストルを手に取り、いつものようにシャルルに向ける。
「おい、撃つな!」とシャルルが叫んだ瞬間、彼は床にどさっと倒れ息絶える。
呆然として言葉もなく立ち尽くすポール。部屋のブザーが鳴る。
やはりシャルルの運の無さは特別であったが、代わりにポールに引き金を引かせたというのも皮肉なモノ。
ポールの運も尽きた。

マザコンとはかくも恐ろしいもの。



TVにて












翼よ! あれが巴里の灯だ

The Spirit of003

The Spirit of St. Louis
1957
アメリカ

ビリー・ワイルダー 監督
チャールズ・レデラー、ウェンデル・メイズ、ビリー・ワイルダー 脚本
チャールズ・リンドバーグ『The Spirit of St. Louis』(ピューリッツァー賞受賞)原作

ジェームズ・スチュワート、、、チャールズ・リンドバーグ
マーレイ・ハミルトン、、、ハーラン・A・「バド」・ガーニー(親友)
バートレット・ロビンソン、、、ベンジャミン・フランク・マホニー(ライアン社社長)
マーク・コネリー、、、ハスマン神父(飛行機操縦の教え子)
パトリシア・スミス、、、鏡の少女
アーサー・スペース、、、ドナルド・A・ホール(ライアン社主任技師)
チャールズ・ワッツ、、、O・W・シュルツ(サスペンダーのセールスマン)


やはり飛行機の冒険映画は気持ちがよい。いやこれは挑戦か。
チャールズ・リンドバーグの大西洋横断飛行を描く。
彼自身が資金集めに奔走し、機体の注文でひと悶着あったが、信頼できる機体の製造工場(ライアン航空会社)を選び、競争相手を横目に睨みながらフル回転で完成に向けて奮闘する。この挑戦には懸賞金が掛けられていたのだ。
”セントルイス魂号”がメカニックの腕は確かだが見た目は冴えない工場で特注で組み立てられてゆく過程にワクワクする。
飛行機野郎も皆気持ちよい。
特に単葉プロペラ機ときている。
あのプロペラ回してエンジンかけるの何とも言えないではないか。
チャールズは軽さを追求し余計と思われるモノを徹底して捨ててゆく。
代わりに燃料を可能な限り積み込む。その為前が見えなくなり潜望鏡で覗くことに。
特殊な飛行機が出来上がって行く。

The Spirit of002

深い空と星々の煌めき、太陽の輝き。そして広い海。大洋に出るとどこまで飛んでも海。心細くもなろうというもの。
濃霧の中を突っ切るのもお先真っ暗でハラハラするが、陸地が見えて来た時はこちらもホッとする。
この臨場感、ジェームズ・スチュワートの演技によるところは大きい。
(途中まで一緒だった蠅もなかなかの相棒ぶりであった)。
飛行中の回想も(思考能力の低下から生じたような感もあるが)面白いものであった。
回想もなければ、あの孤独の時間は精神的にキツイ。
そして何とも言えない感動を覚えたのが苦難の末、眼下に浮かび上がる巴里の灯だ。
あんなにも綺麗なものか。
まさしく「翼よ! あれが巴里の灯だ」であった。邦題バッチリ。

The Spirit of005

緊張感の絶えない見応えのある映画であった。
出だしから好天を待たずにグチョグチョの悪路を滑走して飛び立つのだ。不吉な気持ちを抱く関係者も少なくなかったはず。
しかも出発前にライバルのベテラン飛行士たちが失敗して墜落しているのだ。
彼の場合、何より睡魔との闘いが壮絶を極めた。
三日間寝ないで臨むニューヨークのルーズベルト飛行場からパリのル・ブルジェ空港までの横断飛行だ。
せめて前夜のホテルで眠れれば良かったものを、、、周りが気が利かない連中で気の毒である。
前人未到の冒険に挑む寄る辺なさと睡眠不足による思考能力の低下に終始苦しむことになる。

The Spirit of001

大西洋上でコトっと眠ってしまい危うく海上に墜落しかけた時に離陸時に女性から貰ったコンパクトの光(陽光の反射)でスレスレのところで機体を立てなおすところなど、演出ではなく本人が自伝に書いているのなら、さぞや肝を冷やしたことだろう。
それから終盤、暗算の得意な彼が計算が出来なくなってしまう。
更に几帳面な彼が燃料バルブの切り替えを間違ってしまう。
睡眠不足は如何に危険なことかが良く分かる。
更に機体への着氷というアクシデントに(想定出来る範囲であろうが当時は難しかったか)見舞われ不安と闘うことに。
(海上には氷山が浮かんでいるのである)。
最後に巴里の空港に着陸しようとした時、誰よりも腕自慢の彼が着陸の仕方が分からなくなってパニックになる。
疲労混迷は何より大きい(意識障害にも近いものを感じた)。

The Spirit of004

着陸した時はもう押し寄せて来たパリっ子に担ぎ上げられても茫然自失という感じで、ほとんど彼の気持ちが窺えなかった。
そして格納庫に移された愛機を労わるような仕草が少し見られるのだが、、、
偉業をやり遂げた充足と歓びより、脱力感が襲ってきたのだろう。
何より休みたいはず。
パリで20万人に出迎えられ、本国では400万人からパレードで讃えられたと彼の語りが入り、、、やけに呆気ない終わり方であった。
尻切れトンボ感がかなりした。


だが、終盤まで申し分ない流れでともかく、気持ち良かった。





TVにて















美しき小さな浜辺

UN SI JOLIE PETITE PLAGE001

UN SI JOLIE PETITE PLAGE
1948
フランス

イヴ・アレグレ監督
ジャック・シギュール脚本

ジェラール・フィリップ、、、ピエール
ジャン・セルヴェ、、、フレッド
マドレーヌ・ロバンソン、、、マルト
ジュリアン・カレット、、、コマース
アンドレ・ヴァルミー、、、ジョルジュ
モナ・ドール



孤児がテーマのよう。
暗い闇からして夜は更けたか。
ピエールが長旅の末、海辺の村に辿り着く。
重いシャンソンがひとつだけ開いている安ホテルに鳴り渡る。
ピエールのこころを搔き乱すシャンソン。
虐げられた孤児が下働きをしている。
雨が絶え間なく降り続く。誰も傘はささない。下働きが夜の雨の中で井戸から水を汲む。
田舎特有の人々の視線。
(痴呆老人がひとり激しくピエールに反応するが誰も気に留めない)。

うら寂しい海辺に独り降りる。
秘密のみすぼらしい要塞~隠れ家が。懐かしそうなピエールの表情。
すると窓から彼を覗き込む少年。どうやらホテルの孤児のものらしい。
親し気に話しかけるピエールに彼はそっぽを向く。
ピエールの素性も自ずと浮き上がって来る。
(彼も孤児であった)。
時を告げるチャイムが頻りに鳴る。

UN SI JOLIE PETITE PLAGE003

殺人事件がこの田舎にも新聞に載って舞い込んでいる。
しきりに事件を気にするピエールはどうやらその当事者らしい。
彼を追って来た怪しい男。
その男はピエールの過去から全てお見通しのようだ。
そして狙いは殺された女の宝石であった。
(しかしピエールは女から逃れる~殺すことが目的であり金品などに一切興味は無かった)。
双方とも女が邪魔であったことが分かるが、男はピエールを警察に通報して立ち去る。

その土地はピエールの故郷であったようだ。
(余所者ではなかった。それで老人が騒いだのだ)。
メイドのマルトの尽力で彼を逃がす計画が立てられる。
新たな人生をベルギーで送る決心をする、かに見えたが、、、
(向うの人は靴を履いたままベッドに入り眠る)。
友の寝姿を見て、ピエールは、ひとり隠れ家から姿を消す。
ご婦人が珍しく二人傘をさしていたが、その横を自転車で紳士が入り去る。勿論傘なしで。

彼はホテルの孤児を見つけ、新聞を賑わしている犯人が自分だと言うことを告げる。
そして自分の辛い過去を明かし腕時計を与え、自分のような過ちをしないよう諭して去って行く。
海辺の要塞は、ピエールがかつて作ったものであった。

UN SI JOLIE PETITE PLAGE002

ピエールは去り際に要塞を訪れたようであったが、隠し持っていたピストルを捨て、すでに何処かに消えていた。
彼を探す孤児。
彼が無事に逃亡出来ることを祈るマルト。
誰もいない海辺が拡がる。




ジェラール・フィリップの哀愁に尽きる映画であった。
(アランドロンに繊細さをプラスしたような人である)。



AmazonPrimeにて










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忘れられた人々

LOS OLVIDADOS004

LOS OLVIDADOS
1950年
メキシコ

ルイス・ブニュエル 監督
ルイス・ブニュエル、ルイス・アルコリサ 脚本

ロベルト・コボ、、、ハイボ(不良の親玉)
エステラ・インダ、、、ペドロの母
アルフォンソ・メヒア、、ペドロ(不良)
ミゲル・インクラン、、、カルメロ(盲目の大道芸人)
アルマ・デリア・フエンテス 、、、メーチェ(オヒートスを匿う美少女)
マリオ・ラミレス 、、、オヒートス(大道芸人の助手)


これは、幻想的な場面は、ペドロとハイボが鶏肉を奪い合う夢の光景にはあれど、全体に大変リアルな物語であった。
実際にあったことであり、登場人物も実在の人であるというナレーションも導入部で入る。
ダリと組んで作った映画『アンダルシアの犬』とは随分違う印象だ。
そうでなくてもおよそブニュエルらしくない映画と感じながら観てゆくが、最後にはやはりこの監督だと思う。

LOS OLVIDADOS001

感化院の院長とハイボに逆恨みされ殺された青年が人格的にとてもまともな人であったが、それ以外に出て来る人間は、かなり酷い~極めて酷い人間ばかりである。
これでは、「問題の解決は社会の進歩に委ねられている」と冒頭に断るしかあるまい。
この救いのない閉じた悪夢の循環。
「未来は現在にしばられ、子どもたちの権利が回復するのは先の噺だ」。どれくらい先なのかは、分からない。

ともかく酷い。
酷い有様である。

感化院から脱走し、自分を売ったと思い込んでいる真面目な青年を職場から呼び出し、騙し討ちにし殺してしまうハイボ。
彼が殺人犯だと知りながら「やっちまったことは仕方ねえ」と言って隠れ家を提供するメーチェの兄。
ハイボを慕い彼の命令通りに従い、障碍者を襲って金を巻き上げる(普通の)少年たち。障碍者の無くてはならない装具や商売道具さえ奪い壊してしまう。しかしその障碍者自体も盲目のカルメロなどかなりの曲者として描き出されている。少なくとも彼らは同情など寄せ付けない。
息子を愛せない母親。息子を探しには行くが、躯となって運ばれる息子と道すがらすれ違うだけ。
ハイボに小屋を貸していた父娘は彼が殺したペドロの遺体を見て、共犯と疑われるから何処かに捨てようと袋に入れて台車でサッサと運んでゆく。彼を探している母とすれ違っても自分たちの保身しか頭にない彼らは声すらかけない。
自分に少しでも反抗する相手をいとも簡単に殺してしまうハイボ。

LOS OLVIDADOS002

最初に何やらルイス・ブニュエルらしからぬ?社会派ドラマ風のナレーションなど入れて始まったが、乾ききった無機質で緻密な描写がテンポよく続くなか漸くこの監督らしさに気づく(描かぬところはバッサリ描かず省略)。
少年たちが残酷極まりない凶行を躊躇いなく行う姿は、まさにその現実を克明に描き切ったシュルレアリスム以外の何ものでもなかった。
ヘタな狙った奇妙なシュルレアリスムより遥かに強度の高いものであった。
カフカの描写にも匹敵するほどの。
但しこの監督らしさはしっかりメーチェの太腿の描写に出ており何やらホッとする。
ハイボはこの娘を強引に自分の物にしようとしたが、それには上手くゆかずペドロの母とは関係をもったようだ。

ハイボとは、如何なる存在なのか。
ここに籠められた意味など探る作品ではないのだが。
ペドロ~ペトロと受け取れば十二弟子の筆頭使徒に当たる。その辺から解釈しようとする向きもあるカモ。
しかしそちらの読みに誘うような仕掛けは意地悪くしているような気もする。

LOS OLVIDADOS003

打ち捨てられた少年ギャングの出て来る映画はかなりあるが、似て非なるものである。
これほど容赦なく彼らを突き離して描いた映画は他にあるまい。




AmazonPrimeにて










凶弾

THE BLUE LAMP001

THE BLUE LAMP
1948
イギリス

ベイジル・ディアデン  監督
T・E・B・クラーク 脚本


ジャック・ワーナー
ペギー・エヴァンス
ダーク・ボガード
テシー・オシェア
ジミー・ハンリー
グリニス・ジョンズ
ベティ・アン・デイヴィス
ロバート・フレミング
バーナード・リー


戦後のロンドンの情景がモノクロ絵葉書的に映し出される。
長閑で危なっかしい雰囲気である。
ベテランで信頼も篤いが引退を決めていた老警官が、それを5年先に延ばすことを同僚からも勧められ、もうゆっくり休みなさいという奥さんを説得して働くことにした。皆がそれを歓迎しているが、最初から不吉な影を引く。
その不安感が長閑な警察書や同僚とののんびりした付き合いの光景が続く中で微妙な基調となっている。

ここで特に感じたのは、クライムドラマと謂っても独特のドキュメンタリータッチで、とても臨場感のあること。
警官同士の日常会話ひとつとっても現実の一場面のようなリアリティ~生々しさが窺えるのだ。
この質感が見終わってからも印象に残るところ。
妙に大袈裟な劇的表現がなく、淡々としながらもノイズやささくれた空気がしっかり捉えられている。

中盤を越えてやはり想像通り、定年を引き延ばした誰からも信頼されている老警官がチンピラ強盗に撃たれる。
昔のロンドンだからか、市民も警官射殺犯に対して怒りを抱く。
ダークボガード扮する一般社会からは落ちこぼれ、闇社会からは素人扱いされ厄介者として爪弾きされた青年が寄る辺なく逃げ回る。心細さと不安がはっきりと伝わって来るものだ。
誰からも慕われていた警官の無念を晴らす気持ちが警官たちの団結を強める。

クラシックカーのカーチェイスは見応え充分でここまでやってくれれば言うことなし。
コーナーリングなどかなり苦しそうだが逞しい走りを見せている。
「ドッグレース」は、ここで初めて観た。
競馬と同様に皆相当にエキサイトしているではないか。
迫力充分であった。特にスタッフ同士の腕を使った信号の送り合いは、不気味な暗号のようで危機感をいや増しに増すのだ。
チンピラはここで追い込まれ、囲い込まれてゆく。最後は全方向から沢山の死んだ警官の友人たちが迫って来る。
逃げ場のない絶望感が極まる。
古い映画だが、最後まで緊張感が途切れない。
(予定調和ではあるが、分かっていても惹き付けるものがある)。

こうしたクライム物の草分け的フィルムであろうか。
よく出来ている。
キャストもダーク・ボガードのいつも何かに追い立てられているような切羽詰まった無軌道な青年が、とんでもないことをやらかしてしまう、そんな心境~心情をよく表現していた。
カフェで紅茶を必ず彼~犯人が注文していたのも、ロンドンだからか。


今の映画(クライムサスペンス)に確かな影響を与えた作品であると思われる。




AmazonPrimeにて






鬼滅の刃 『竈門炭治郎 立志編』および劇場版『無限列車編』

kimetsu001.jpg


外崎春雄 監督
ufotable 脚本
吾峠呼世晴『鬼滅の刃』原作
梶浦由記、椎名豪音楽
主題歌 LiSA「炎」


漢字読みが凄いのと主題歌がいつもどこかで鳴っておりメディアミックス化が未だに広がり進んでいることでずっと気にかかっていた。デパート、コンビニなどで鬼滅の刃タイアップ商品を見ない日はない(BGM含め)。
何より去年から娘たちがしきりに話題に挙げていたアニメだ。
わたしは、アニメ本も毎週のテレビも見ていないのだが、特別編集されたTV版『竈門炭治郎 立志編』と劇場アニメ『無限列車編』は観た。
時代が大正というのも趣深い。当時の街並みが何ともオカルティックで郷愁を誘う魅力に充ちている。
どのキャラクターもビビットで噺も豊かで重厚であり大変面白い。ただし、先にも記したが何という名前だ。漢字も飛んでもない当て字だったりして、あり得ないような名前が並んでいる。特異だが覚えるのが大変。キャラクタ同様、個性的を超えている。
しかし今後も勿論、注目したい。
『遊郭編』も愉しみだ。
当然凄まじいことになるだろう『無限城編』も。しかしこれを観るのはキツイだろうな。準主役級がどんどん死んでしまうのだから。
因みに、わたしは冨岡 義勇のファン。

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敢えて内容は記さない。動画で見て伝わるのもであり、そのアニメーション、エフェクト、演出の見事さを味わうものである。
しかし内容的に漢字で知らないと判り難いものことがあるのは確か。
主人公として動くのは、竈門 炭治郎 (かまど たんじろう)、その妹竈門 禰豆子 (かまど ねずこ)、我妻 善逸(あがつま ぜんいつ)、嘴平 伊之助(はしびら いのすけ)である。「鬼殺隊」の新人であり(禰豆子は飽くまでも兄の補佐)、彼らの活躍と成長そして炭治郎が鬼と化した禰豆子を人に戻すまでの物語として展開して行く。
鬼の大将は鬼舞辻󠄀 無惨(きぶつじ むざん)である。もう名前からして恐ろしい。
彼の血によって鬼が生み出されているようで、血が濃いほど(血を沢山もらったものほど)強い。
「十二鬼月」という最凶の部隊を抱えており、上弦が6体、下弦が6体いるようだが、下弦は壱以外、無惨に粛清されたみたいである(いや、累は冨岡 義勇の水の呼吸十一の型で倒されている)。

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「血鬼術」をはじめ、文字を見ないと何だか今一つ分からない(イメージしにくい)語彙~概念が多い。
異能の力を有する鬼が使う特殊な術を「血鬼術」という。
これらが世界観を形成する重要な要素となるもので、その辺は押さえて鑑賞するとスッとはいってくるもの。
まずは「呼吸」であろう。呼吸であって尋常な意味での呼吸ではない。「水の呼吸」、「炎の呼吸」、「風の呼吸」、「雷の呼吸」、「岩の呼吸」の型~流派があり「育手」~師範(鬼殺隊引退者)によってその呼吸の技が決まるらしい。
ともかく呼吸次第でここまで出来れば凄いとしか言えない。何より「呼吸」が肝心なのだ。
そして「全集中」である。常に全集中の状態が常駐出来ないと駄目らしい。疲れそうだがこれを会得すると疲れない(凄い体力を得られるようだ)。
「鬼殺隊」が彼らの属する(政府非公認)組織である。産屋敷 耀哉という当主に支えられている。 無くてはならぬ組織だ。
「柱」はその中で特に秀でた戦士で指導的立場にある人、でよいか(我が道を行く的なバラバラ度が凄いが)。産屋敷 耀哉が見事にまとめていた。
「隠」は組織の戦士の後方支援、医療などに当たる者たちである。

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「継子」は柱に認められた者が弟子となることを指す。一時、竈門 炭治郎たちも煉󠄁獄 杏寿郎の継子になる勢いであった。
「日輪刀」は、鬼を斬ることが出来る唯一の刀だそうだ。他の鋼の刀では鬼は倒せないという。
「藤」は、鬼の嫌がる植物。鬼除けとなる。
「鎹鴉」(かすがいがらす)であるが、戦士ひとりに一羽専属となり指令を伝えに来る。何故か我妻 善逸だけ雀である。異様に頭がよい。
「稀血」とは、特に鬼にとって栄養価の高い血であり、一人で百人分人を食べたくらいの効果があるそう。この血の人間は狙われる。
「ヒノカミ神楽」は、竈門 炭治郎の家系に伝承される神楽であり、これが彼の「水の呼吸」と絡んで火の呼吸として発動すると強力な威力を発揮する(つまり彼は二種類の呼吸法をもっているのか)。
因みに炭治郎の妹である竈門 禰豆子は、鬼の血を傷口に浴び、鬼と化してしまったが、絶対に人間を喰らわず、睡眠によって衰弱から身を守っているようだ。鬼でありながら兄を守り、「鬼殺隊」のひとりとして人を救う活躍が、彼等の尊敬する煉󠄁獄 杏寿郎にも認められている。

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これから次の編に進むと新たな専門語彙がまたわんさか出て来るはず。

産屋敷 耀哉という当主も凄い。声が確かに良い。話し方も安らぐ。

「上弦の参」猗窩座は、単なる戦闘馬鹿か。しかしひたすら武芸の力を高めることのみに目的を絞っているところなど、「北斗の拳」の羅王みたいだ。まあこういう人~鬼も出て来ることはあり得る。だから闘った優秀な剣士には、鬼になって長い修練を積みより強くなることを勧めていた。人では確かに生存時間が短すぎるか。大怪我をしたらそれまでだし。鬼なら首を落とされなければ、どんなに切り刻まれてもたちどころに修復してしまう。死なないでいつまでも修練が積める。その相手が欲しいのだろう。
格闘家など鬼という存在~立ち位置に憧れる者も出て来るかも知れない。

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『無限列車編』で初めて柱から犠牲者が出てしまうが、この後になるとその比ではないらしい。
わたしは、余り痛ましいものを見たくないが、ここまで観てしまうと引き返せない。最後の映画まで観ることにしよう。
まずはTV版『遊郭編』見逃さないようにしたい。


『無限列車編』は、2020年の年間興行収入世界第1位を記録したというが、諸外国で何がそれほど心を掴んだのか、、、。
ヒットするのは充分に分かるが。




TVによる





色々と観たが、、、

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実は、『ずっと「ツイン・ピークス」を観ていた』とき、ブログ用に他にも短めでちょっと気になるモノを観ていたことはすでに書いておいた。
どれもとても記事にはできなかったが、取り敢えず備忘録として何を見たかだけ記しておきたい。

「ゴブリンスレイヤー GOBLIN'S CROWN」と「マードレス」と「海辺のポーリーヌ」だ。
どれも随分違うタイプの映画である。

「ゴブリンスレイヤー」は、やはりTVシリーズやアニメ本などが前提となっていることが分かる。本作だけ観ると、ゴブリンをスレイヤーたちが倒してゆくという戦闘場面だけがひたすら続く、戦闘ゲームの一場面みたいなモノであった。
それなりの世界観は窺えたが、特に興味を惹くものでもなく、オリジナルのアニメやTVを観たいという気には到底なれない。
今後観ることは、ない。

「マードレス」は、ヒスパニックの出産を抑える非人道的な政府の秘密裏の政策(悪行)の事実を訴える映画だったのか。
だとすれば、インテリのヒロインが実際に科学的な調査もせずギャーギャー農薬がどうのと騒いでみたり、呪いがどうのとたっぷり煽ってテレサの幽霊を出したりして三文映画にしてしまっては、到底まともなメッセージは届くまい。
そもそも監督は一体何をやろうとしていたのか。
非常にシビアな人権問題を安っぽいホラーエンターテイメントに飾りたて売ろうと考えたのか。
この監督何か勘違いしている。このテーマは真直ぐにドキュメンタリータッチでストイックに描き切るべき。

「海辺のポーリーヌ」は、一番退屈だった。
もう出て来る4人プラス1か、その人物たちがどうでもよい恋愛感をダラダラ・クドクド・ネチネチやってるだけ。
最初から最後まで、それだけ。
ラブコメディで面白い映画は沢山あるが、これは面白味は微塵もない。
笑えるわけではなく、真面目に恋愛感を各自が披露して得意になっているだけ。
どうでもよい。
わたしの知ったことではない、という感じ。
恋愛なんて人それぞれよ、を言いたい訳か。謂われるまでもない。わざわざ伝えるようなことか。

ということで、「ツイン・ピークス」のみに集中しておくべきであったとつくづく思った次第。
その間、アップが出来ない日が続いた。
これが理由(爆。


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オリーヴの下に平和はない

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Non c'e pace tra gli ulivi
1950
イタリア

ジュゼッペ・デ・サンティス 監督
リベロ・デ・リベロ 、ジュゼッペ・デ・サンティス 、カルロ・リッツァーニ 、ジャンニ・プッチーニ 脚本
ジャンニ・プッチーニ 、ジュゼッペ・デ・サンティス 原作


ラフ・ヴァローネ、、、フランチェスコ(復員した青年)
ルチア・ボゼー、、、ルチア(フランチェスコの元恋人)
フォルコ・ルリ、、、ボンフィリオ(村のボス、フランチェスコの羊を皆強奪する)
マリア・グラツィア・フランチャ、、、マリア(フランチェスコの妹)


「にがい米」のジュゼッペ・デ・サンティス 監督とラフ・ヴァローネのコンビの作品。
ラフ・ヴァローネは、こちらの方がずっとヒーローであり見栄えがする。
水田ではなく、乾いた岩だらけの広大な土地でのロケーションだ。


まさに丘陵地帯であり地理的にも歴史的にも過酷な土地の過酷な人生がしっかり垣間見える。
貧しい土地における搾取と隷属の厳しい関係。
諦観漂う暗い空気の中から、召集前の混乱に乗じて盗まれた家の財産である羊を村のボスから取り戻すフランチェスコ。
しかし村の誰も羊が彼の所有物であったことを知りながら、証言では嘘をつく。
保身と生活~金の為だ。恋人も両親がボスにした借金を帳消しにしてもらう為、嘘の証言を強いられる。オマケにその男に嫁がせることに。
裁判で彼には有罪の判決が下る。

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フランチェスコは深く孤立感に苛まれる。
戦争に駆り出され、その間に財産をどさくさに紛れて奪われ、復員後それをやっととり返したと思ったら、誰もが権力者に身を委ねておりそっぽを向いて彼を見放す。事前の根回し~圧力・脅しなど当然。
彼は今度は犯罪者として逮捕され、服役となってしまう。一番こたえたのは恋人の裏切りであった。

富める者~村のボスが更に富を膨らまし貧しい者が徹底的に搾取される構造の中で、支配・被支配関係が強固なものとなってゆく。
村人ひとりで裁判など勝てるはずもない状況であった。
しかし彼が牢獄に入ってからもボスであるボンフィリオの暴挙は留まることを知らない。
フランチェスコは脱獄してボンフィリオを止める決心をする。

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この噺、勧善懲悪の内容ではあるが、、、
一人が正義を唱えて闘っても、まず権力(利害)関係を打ち破って勝つことなど出来ない。
では壁をどうやって打ち壊すかの問題であるが、権力者が益々図に乗り暴走したところである線を超えてしまったところ、、、。
集団意識の相転換が起こる。

搾取され力を奪われ従順であった村人がある時、コロっと態度を一変する。
もうやってらんね~ぜ、というレベルになったら、自分に近い境遇の者を皆で守ろうと動き出す。
基本、主体的とは言い難いが、これ以上は譲れなくなれば集団で立ち上がることになるのだ。
恋人が決死の謝罪をする(笑。そして大いに彼の為に働く。

ここではその形で一気にフランチェスコに追い風が吹く。
それに乗じて彼はボンフィリオを追い詰めてゆく。
今度は誰もがボンフィリオにそっぽを向く。
村人がフランチェスコの動きを手助けして行く。

追い詰められた権力者は自滅して果てることに。
フランチェスコの裁判のやり直しも決まる。
一度、良い方向の流れに乗るとそのまま行くものだ。
周りは皆彼の味方となっていた。


爽快感のある噺であったが、妹のマリアがボンフィリオに凌辱され殺害されたことは、気の毒としか言えない。
この犠牲まで払う前にどうにかならなかったのかと思うが、親が手をこまねいていて動かなかったことが大きい。




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にがい米

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Riso amaro
1949
イタリア

ジュゼッペ・デ・サンティス 監督
コッラード・アルヴァーロ、ジュゼッペ・デ・サンティス、カルロ・リッツァーニ、カルロ・ムッソ、イヴォ・ペリッリ、ジャンニ・プッチーニ脚本


ヴィットリオ・ガスマン、、、ウォルター
ラフ・ヴァローネ、、、マルコ
シルヴァーナ・マンガーノ、、、シルヴァーナ
ドリス・ダウリング、、、フランチェスカ

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北イタリアの田植えのシーズンとは、こうなのか、、、カルチャーショックでもあった。
ストイックな日本の田植えとは、随分違う光景が広がる。少なくとも長閑な田園風景という感じではない。
カメラワークも演出もこの光景作り~世界観を巧みに造形している。
ダンスも入りカーニバルみたいな活気と連帯感そしてカオスもありダイナミックなものなのだ。
しかも何故か出稼ぎで集まるのは女性のみ。男は何してるの?
確かに広大な水田に出稼ぎで集まった逞しい女性たちが一斉に行う田植えは壮観ですらある。
それぞれ自分の職を持ちながらも40日間の仕事を求めて各地からやってくる困窮を極める社会情勢も充分窺えるもの。
(戦後の敗戦国である厳しさは大きい)。
更に精米した米粒の山の上を普通の靴でズカズカ歩き回ると言うのも、何とも、、、である(日本では無いはず)。

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ドラマは、そこに盗みを働いて警察に追われている男女が紛れ込んでくることから始まる。
毎年集まる女たちの中で一番人気の若い娘シルヴァーナにそのギャングの男は接触した。
彼女らは働いた分を米で現物支給されることになっているが、シルヴァーナはそれより金品と将来を約束された豊かな生活を求めていた。まだ幼いところもあり、そこに付け込まれ彼女は男の誘惑にコロッと乗ってしまうのだ。
シルヴァーナはそれまで堅物の軍曹マルコと付き合っていたが、そのいかさま師に惹かれ、言いなりになってゆく。
しかしそれは一緒に働いて来た他の女たち全員を裏切ることであった。

マルコの企ては、大事な米を最終日のパーティーの最中に盗んでしまおうというもので、シルヴァーナも仲間になり手を貸すことに。
物語は男女4人の間の愛憎劇としても展開してゆく。
当初、ウォルターとフランチェスカが盗みのコンビであったが、ウォルターはシルヴァーナと組み、フランチェスカは女たちと共に暮らし労働することで考えが変わりマルコに共感を深めてゆく。
コンビが入れ替わった状況で、さらに諍いは深まる。フランチェスカは元相棒の悪巧みを知り、それを全力で阻止しようとする。

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シルヴァーナにとっては、マルコから貰った盗品の宝石のネックレスが新たな人生を象徴するものでもあった。
この絆が彼女の今後の人生を約束するかのような。
しかし、仲間の女たちを裏切り収穫に支障を来すほど水田に水を放出することまでして盗みに加担したにも関わらず、そのネックレスは模造品で価値などないものであった。
彼女は単に騙されて利用されていたことを知る。
呆然とするシルヴァーナ。

それでもフランチェスカは彼女を諭し、こちら側に戻るよう説得する。
だが、シルヴァーナは、自分のやってしまったことの重大さに慄き、ただ茫然と櫓の上へ上へと昇ってゆくばかり、、、
最後に、にがい米の意味がしみじみ分かる。
とても厳かなラストシーンには胸が締め付けられた。

ヴィットリオ・デ・シーカ監督の「自転車泥棒」も同じ年に発表された作品だ。
ともに何とやるせない気持ちにさせる映画だろう。

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本作は、シルヴァーナ・マンガーノ18歳、初主演映画だという。
始めはグラマラスな女優でデビューし、後にヴィスコンティやパゾリーニ監督で貴婦人を演じる女優となる。
(「ルートヴィヒ 」では、ニーチェにその高貴さを絶賛されたコジマ・フォン・ビューローになっている)。
確かに違う人みたいだ。
(どちらも良いが(笑)。


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アンナ

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Anna
1951
イタリア、フランス

アルベルト・ラットゥアーダ 監督
ジュゼッペ・ベルト、フランコ・ブルサーティ、イーヴォ・ペリッリ、ディーノ・リージ、ロドルフォ・ソネゴ 脚本

シルヴァーナ・マンガーノ 、、、Anna
ラフ・ヴァローネ 、、、Andrea
ヴィットリオ・ガスマン 、、、Vittorio
ガビ・モルレ 、、、The Mother Superior
ジャック・デュメニル 、、、Professor Ferri
パトリツィア・マンガノ 、、、Luisa Anna's Sister
ナターシャ・マンガノ 、、、Licia Andrea's Sister
ティナ・ラッタンツィ 、、、Andrea's mother


脚本家がやけに多い作品であるが、回想と現実の繋がりもよく、まとまりはあった。
アンナが何故、ナイトクラブで働いているのか、その経緯は分からないが自分の境遇に随分不満を抱いている様子は窺える。
店のすかしたバーテンダーがどうやら彼女の情夫らしい。それがかなりのネックになっていることも分かる(腐れ縁のよう)。
堅気の実直な男がアンナに熱を上げ結婚を望んでおり、彼女も彼に好意を抱くが素直にそれを受け容れられずにいる。
こういう人は、深い外傷経験を抱えている場合が少なくない。

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アンナが本当に安らかで豊かな生を送るのなら、罪の意識を払拭するしかない。
ナイトクラブの人気ダンサーであったことに何か後ろめたさでもあるのか。縁を切りたくても出来ない情夫が問題であるのか。
しかしシスターになろうと病院で人のために働こうと、それは逃げでしかない。
まずは心を拘束しているものを外す作業が必要だ。
いつも傷つけられ嫌いで仕方ないのに関わってしまう情夫は、恐らく幼少年期における親(父)との関係の再現かも知れない。
その男自体は不快で拒絶していても、かつての親に似た対象であり、その慣れ親しんだ無意識的な関係性~感触を意に反して選択してしまう。
こう言ったパタン~傾向は実はよく観られるものだ。親(父)のような人間とは関わりたくないと頭で思っていても知らずそのような男と関わってしまうことを繰り返すケースである。
意識より慣れ親しんだ感覚を無意識的に選択してしまう強迫的反復と、さらに内在する信仰心とのぶつかり合いの為、苦悩は大きな重圧ともなろう。

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真面目で頼り甲斐のある農夫と恋に落ち、彼の家族にも受け入れられ漸く平穏な生活を手にしたと思った矢先に、元情夫が彼女を強引に取り戻しにやって来る。この件は実に災難であったが、充分想定出来る範囲でもある(対策を練っておくべきだった)。
将来の夫との揉み合いで、元情夫は自分の銃の暴発により死んでしまう。
実質邪魔は無くなった訳だが、彼氏は自分が殺人者となってしまったことに傷つき嘆き彼女を責め、アンナは罪の意識から、シスターとなり、病院で働く事を選ぶことに。

信仰に縋り、人の世話で忙殺される場所へ。しかしこれは単なる逃げであり、思考停止を自らに課した行為、行動に過ぎない。

最近映画で観たフランス女性と比べ内省的でしっかりした淑やかな感じも持つが、内在化された罪の意識や考えが行動を歪め制限している。
信仰に身を捧げ人の為に身を粉にして働くことで、自分の生を全うしていると思い込もうとしている。
だか、当然葛藤により穏やかな気持ちになれない。こころにとって健康的ではないからだ。
例のフランス女性たちの方が遥かに解放されて健康的で自立している。

このアンナの生き方は、ダダやシュルレアリスムの芸術家から徹底的に批判された対象である。古くはニーチェの辛辣な批判に始まるが。
真に自立し解放されるには、全ての価値や意味からの解放が前提となる。

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折角、事故で担ぎ込まれたアンドレアに再開し心が大きく揺らぐ。
親身に寝ないで看病し彼は重症から回復し、変わらぬ愛を彼女に告げる。
だがアンナはそれに応えられない。
この時彼は「君のその修道服は鎧だ。生きることを恐れている。自分を裏切るな」と余りに的確な(ニーチェのような)指摘をする。
しかし彼女は結局、悩んだ末、シスターとして病院に残ることを選ぶ。
病院に次々に急患が運び込まれてきたとき、彼女は患者のところに駆け込み、彼はそれを見て悟る。
確かにここでは彼女の評価はとても高く、誰からもその熱心な働きぶりから必要とされている。
条件的に必要とされているのだが。
果たしてそこに救いがあるのか。解放がなされるのか、、、更なる深みに嵌り込まないのか、、、。

これから先も見ず知らずの助けを求める人々に無償の愛を注ぐ、、、又は自己欺瞞の世界に閉じ籠って、完結となる。

家族の肖像」、「ルードウィヒ/神々の黄昏」、「バラバ」、「デューン/砂の惑星」など大作、名作に重要な役柄で出ている女優だが、気品はあっても何か重い。

「どうしてもっと自分に素直に生きれないの~」今井美樹の歌を最近耳にしたが、とっても良い曲だと思う。
実はこれが容易に出来なくて皆苦しんでいる。




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イヴの総て

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All About Eve
1950年
アメリカ

ジョセフ・L・マンキーウィッツ 監督・脚本
女優エリザベート・ベルクナーをモデルとしたメアリー・オルの小説 "The Wisdom of Eve" 原作


ベティ・デイヴィス、、、マーゴ・チャニング(大女優)
アン・バクスター、、、イヴ・ハリントン(新進舞台女優)
グレゴリー・ラトフ、、、マックス・フェビアン(プロデューサー)
ジョージ・サンダース、、、アディソン・ドゥイット(映画評論家)
ゲイリー・メリル、、、ビル・シンプソン(演出家)
マリリン・モンロー、、、カズウェル(ハリウッド新進女優)
ヒュー・マーロウ、、、ロイド・リチャーズ(劇作家)
セレステ・ホルム、、、カレン・リチャーズ(ロイドの妻)
セルマ・リッター、、、バーディ(メイド)
バーバラ・ベイツ、、、フィービー(謎の女子高生)


緊張感の半端ではないビビットな見応え充分な作品であった。
ある意味、心理劇とも謂えよう。
イヴの純粋で誠実~慇懃無礼~冷徹で傲慢へと変化する軸に従い揺れ動く関わる人間の心情にこちらも共鳴してしまう。
「ミュージカル」の代名詞でもあるブロードウェイの裏側の雰囲気が、ピリピリ伝わってくる怖い劇でもある。
しかもこれは、実際のモデルがいて、それを元に映画にしたものだ。
まあ、野心の凄まじさ、、、こうした欲動は何処から湧いて来るのか。
特に見た目が真面目で可憐な女性となると、よりインパクトは強い。
タフな娘だと感心するばかり、、、あのベティ・デイヴィスを向うに回してである、、、?!

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ベティ・デイヴィスとアン・バクスターの最初から最後までの大きな起伏のある駆け引き~バトルは圧巻であった。
(結局、ベティ・デイヴィス演じる大女優マーゴ・チャニングを踏み台にしてのし上がるイヴ・ハリントンである(怖)。
またその泥沼劇の中で、超然とした新進女優マリリン・モンローの姿は一際目を惹くものであった(しかもすでにモンローウォークもしているし)。この人もまた別格であることをはっきりと示している。栴檀は双葉より芳し。

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まあ、どのキャストもアクの強いこと、、、。脇ではあるがバーディ(セルマ・リッター)などアクの塊みたい。
そして名優揃いだ。誰もが狂気を陰に秘めており。中でもベティ・デイヴィスの人間の深みは大したもの。
オスカーを巡っても実際、ひと悶着あったようで、ベティ・デイヴィスとアン・バクスターの票の取り合いとなり結局ふたりとも受賞を逃しているが、映画とシームレスな争いが(裏でも)行われていたように見えてしまう。
1970年にはミュージカル『アプローズ』として公開され、ローレン・バコールが初演でマーゴ役を務めるが、その1年後にはアン・バクスターに替わっていたというから、何やら戦慄を覚える(笑。
アン・バクスターって、まさにこの映画の役を地でゆくような(イヴ・ハリントンみたいな)ヒトであったのか、どうか(怖。
(「私は告白する」でしか他には見ていなかったことに気づく)。フランク・ロイド・ライトを祖父に持つ女優だ。

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演出(特に衣装を効果的に扱う)もセリフも切れがあり、とてもよく練られていた(無駄や破れ目が全く感じられない)。
噺は演劇界最高の賞であるセイラ・シドンス賞の授賞式で、例外的に若いイヴ・ハリントンが受賞したという発表から始まる。
それを見詰める複雑な渋い表情の、豪華な面々~彼らの知るイヴとは一体どういう女性なのか、がタップリ明かされてゆく、という映画。
その視座は特定の誰かを通してではなく、超越的な視座~視聴者席(ここ)から俯瞰できる。
そして最後にこの会場に戻り、そつのない立派な(優等生)スピーチで自らの受賞を締めくくるイヴ・ハリントン。
まさに計算と策略と幸運によって齎された栄光であった。

その内容~経緯の2時間20分をここでいい加減に記すことは出来ない。
こんなに面白いものそのまま見なければ勿体ないではないか。
(常にネタバレし放題の文を書いて来て、ここで謂うのもなんであるが)。
今回は一切封印である。

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とは言え、物語はここで終わらない(やはりちょっとは、言っておきたい(拝)。
何と、、、高校生には見えないのだが、素朴に見えて野心の滲み出ているフィービーというのがイヴのファンですと言って控えのホテルの部屋に忍び込んで来たのだ(これでは息も付けない)。
芸能界は直ぐに次世代が迫りくるもの、と言っても早すぎるが。
自分が頂点の賞を獲得してトップに立ったと思いほっと安堵した矢先、直ぐにその地位を狙うかつての自分のような女が現れるのだ。この娘も充分に怪しい。
彼女もまた、イヴに取り入って(イヴがマーゴに対してしたように)徹底的に全てを真似て自分のものとし、乗り越えて行こうという魂胆か。
しかしイヴも当然、自分と似た匂いに警戒しているはず(マーゴたちはその点で甘かった)。

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ひとつ疑問なのが、頭の良いイヴであれば、マーゴたち権威を敵に回して、この先上手くやって行ける策を巡らしているのかということである。どう見ても賞を一つ取ったからと言って、この先の険しさは生半可なものではないはず。

余程のメンタルがなければ、こんな世界で生きてゆく事は到底出来ないな、とつくづく思わされた映画でもある。
しかし考えてみるに、イヴのあんな変な帽子を平気で被っていられる神経が、これを可能にするのかも。





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パリのランデブー

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Les Rendez-Vouz de Paris
1994
フランス

エリック・ロメール 監督・脚本

クララ・ベラール
アントワーヌ・バズラー
セルジュ・レンコ
オーロール・ローシェル
ミカエル・クラフト
ベネディクト・ロワイアン


木と市長と文化会館 または七つの偶然」、「緑の光線」のエリック・ロメール監督の作品。

まさにデート~束の間の逢瀬。
その場の雰囲気を楽しむ。
確かに愉しめる場所である。パリは。そういう感じに浸れるものだ。
お互いに演じ合う。
騙しもする。
が、女の方が上手。

改めて何処かの場所で会う約束はしない。
飽くまでも今ここでの雰囲気が全て。
現状が維持されていることで、辛うじて成り立つ逸脱~遊び~眩暈。
フラジャイルな場を愉しむ。スリルを愉しむかのように繰り返す。
これがパリのランデブー
と言われているような、、、(笑。


3話で構成された物語。所謂オムニバス。
軽やかで、なかなか面白い。

Les Rendez002

例えば二話目~
ちゃんと一緒に暮らす彼氏がいながら、週に何度か公園とかでロケーションを愉しみながら彼氏と違うタイプの男性とデートを重ねる女性。
物凄く好みに煩く、我儘であるが、可愛らしさも充分あって、その男の方は何とか距離を詰めたい一心でアプローチする。
どちらも若いが男性は大学で文学を教えていて、女性は数学を教えているらしい。
女性の彼氏も将来を嘱望されている学者みたいだ。
女性はもう彼氏には愛はないとか騙って、ずっとその男を振り回しているが、彼氏が2日間旅行に行くことを利用してその扱いやすい男と旅行を試みる。男は調子に乗って、この際彼氏と別れて僕と一緒になろうみたいな事を切り出してみた。
すると女性の方は血相変えて、「彼がいなければあなたなんて必要ないの」と怒り、旅行の途中なのにサッサと帰って行ってしまう。
危うい現状の維持の上で辛うじて成り立つ関係だったのね。
これがパリのランデブーなのか、と思った。

Les Rendez003

ついでに極めて簡単に3話目。
画家のところに友人からパリの案内を頼まれた女性が訪ねて来る。
彼は彼女をピカソ美術館に案内すると、とてもピンと来る女性が絵を詳しく観ていた。
同伴女性に仕事を続けるから、感想は今夜聞かせてとほっぽり、気に入ったその女性を追い駆け言い寄る。
まず可能性は、ない。直ぐにジュネーヴに発つのだ。
彼女は夫と新婚旅行の途中、彼の出版する美術書の監修を担当しており、ピカソの絵の校正刷りの色を確かめに来たと謂う。
それにしてはよくも図々しく自分のアトリエまで連れて来て、言い寄ったものだとこちらがちょっと疲れた(笑。
画家は絵を描きながら、(先ほどの束の間のやりとりが)役に立ったとか嘯いていたが、ホントか。

Les Rendez001

ついでに1話目もほんの一言、
真面目で勉強好きだがモテモテ学生の彼女がいながら他の女性と遊び回っている男がフラれる噺。
それが愉快。ともかく目立つ女性で出逢う男がすぐに声をかけて来る。
その度に適当に断るが買い物中に男に声をかけられた後、財布が無くなった。その男が怪しい。
その男には、彼氏がよく行くらしい(彼女を狙っている別の男から聞いた)カフェで会いましょうという約束もしておいた。
お金が抜き取られた財布を拾った女子学生が彼女の部屋を訪ね届けてくれる。カードや学生証などは無事だったのだ。
その彼女が何と例のカフェで最近付き合い始めた彼氏と逢うと言うので一緒に行こうということになる。
(モテモテ女子にとっては二つ確かめたいことがあったこともあり同伴する)。
もう察しはつくが自分の彼氏がその彼女と逢うところでもあった。
ドンピシャで鉢合わせとなり、彼氏は言い訳で混乱。彼女も親切な女性も呆れて帰って行った後に、例の声をかけて来た男性がそこに現れる。ホントのスリであれば来ることは無かっただろう。
だが後の祭り。



出て来る女性は誰もが確かにチャーミングである。というか、彼女らの存在でもっているようなもの。
またとても素人っぽく、如何にも日常の一齣的な臨場感に溢れていた。

Les Rendez005


パリの雰囲気が味わえ、心地よい映画である。



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痴人の愛

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Of Human Bondage
1934
アメリカ

ジョン・クロムウェル 監督
サマセット・モーム『人間の絆』原作
レスター・コーエン 脚本

ベティ・デイヴィス、、、ミルドレッド・ロジャース
レスリー・ハワード、、、フィリップ・ケリー
フランシス・ディー、、、サリー
ケイ・ジョンソン、、、ノラ
レジナルド・デニー、、、ハリー・グリフィス


サマセット・モームの自伝的小説の映画化であるが、、、
養父、ここでは叔父か。
この「親」との桎梏が全く抜け落ちていた。気前よく送金してくれる良い叔父さんみたいに描かれている。
全く違うのだが。この親(ホントの親とはとっくに死別している)との確執が如何程のものであったか、これが重要なのだが。
ここにフィリップ(ひいてはモーム)の人生の苦悩が始まるのだが。
それからフィリップは画家を目指し(モームの場合は勿論作家だが)散々苦難を味わい、友人や師匠との関りなど大きなウエイトを持つ部分が、ここはあっさり導入部で「君には才能無い、他に好きな道を選びなさい」と先生に諭されて医学を目指すという、実にあっさりした始まりである。

Of Human Bondage002

本作は飽くまでも女性との関りの部分にのみ焦点を当てて描くのが目的であったようだ。
それで邦題も「痴人の愛」となったか。しかしこれでは大半の人が谷崎潤一郎の同名小説を想いうかべる事だろう。
だが内容的に言ってもそれに相応しい題名かも知れない。
だから敢えて『人間の絆』とは付けられなかったのだろう。
何故、フィリップがあのような形でしか女性と関係を切り結べなかったのか、この噺の流れの中からは全く掴めない。
ただ、強かで酷い女に執拗に振り回される優柔不断な男というくらいの関係が描かれるだけか。

Of Human Bondage003

だが、役者が凄かった。
ベティ・デイヴィスとレスリー・ハワードである。
この限られた部分においての異様な動と静というか、何とも形容し難い狂気の対比。
この2人の怪演でこの映画そのもののクオリティは、極めて高いものとなっていると謂えよう。
サマセット・モームの『人間の絆』は取り敢えずこっちに置いといて、という感じで、、、。
ひとつの映画として観ると息もつかせぬグイグイ惹きこむ強度充分である。

Of Human Bondage005

要は、モームが示した「絆」というのが、言葉本来の意味である「しがらみ、呪縛、束縛」であり、最近使われている「支え合いや助け合い」の意味ではないという点は肝心なところ。
本作でもl強烈に描かれているミルドレッドとフィリップとの関係は、呪縛に他ならない。
まさに呪われた関係だ。
この部分は、原作を裏切らない(フォーカスしているだけあって)。
そして泥沼に何度も落ちながら、呪縛を振り払ってゆく過程が、描かれてゆく。

Of Human Bondage006

差別にも苦しめられた足の病いから解かれ、自分を強迫的~衝動的に翻弄する女からも(彼女の死によって)解かれ、叔父の死によって「親」からも解放された上に、中断していた医学の道も遺産も転がり込み、無事に卒業し医者となる。
そして彼を待っていた女性と安堵して結ばれることとなった。
これは連続的な解放の先の着地点と言ってもよい。
ミルドレッドも漸く死によって、どうにもならない人生から解放されたのだ。


ここでどれだけ、人生の無常~生と死の無意味さが浮き出ていたか、である。
その認識によって彼はこれまでの呪縛を無化して新たな生を掴んだのだ。
『人間の絆』のテーマが、この愛憎劇で表出されていたか、、、。
二人の究極の演技で~特にベティ・デイヴィスの目によって、それは充分に達せられていた、と思う。



Of Human Bondage004

キムカーンズの「ベティ・デイヴィスの瞳」を、また聴いてみたくなってしまった(笑。




AmazonPrimeにて









ウィンナー・ワルツ

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Vienna Waltzes
1934
イギリス

アルフレッド・ヒッチコック 監督
ガイ・ボルトン、アルマ・レヴィル 脚本
アルフレッド・マリア・ウィルナー舞台劇”Walzer aus Wien”原作

ジェシー・マシューズ、、、レジ・エベゼダー(シャニーの恋人)
エドマンド・グウェン、、、ヨハン・シュトラウス1世
エスモンド・ナイト、、、ヨハン”シャニー”シュトラウス2世
フェイ・コンプトン、、、ヘルガ・フォン・シュタール伯爵夫人
フランク・ヴォスパー、、、グスタフ伯爵
ロバート・ヘイル、、、エベゼダー(パティシエ、レジの父カフェオーナー)
マーカス・バロン、、、アントン・ドレクスラー(音楽出版者、伯爵夫人の協力者)
ヒンドル・エドガー、、、レオポルド(パン職人、レジを片思い)


19世紀のウィーンが舞台。イギリス時代のヒッチコックの「楽聖映画」でありラブコメディである。
ヨハン”シャニー”シュトラウス2世がじたばたしながら何とか”美しく青きドナウ”を世に出すまでの御話。
所謂、作品を父の妨害や恋人の嫉妬に苦しめられながらもヘルガ・フォン・シュタール伯爵夫人の機知と策略で発表までこぎつけるもの。恋人とは結ばれたいが音楽は捨てられない。
史実とは違えど、シュトラウス父・子の不仲と三角関係も面白可笑しく描く。
これを観るに、つくづく芸術家にとってのパトロンの大切さも思い知るものだ。
ヒッチコックならではの職人芸が随所に光る。
緻密に練り込まれているコミカルな演出が見事。
彼が如何に人を愉しませるかをよく心得ているエンターテイメントの巨匠であることを再認識する。
この後のサスペンス~スリラー映画に流れようが、その姿勢は不変。と言うか本作は特に王道を行っている(笑。

Vienna Waltzes002

それぞれのキャストも実に嵌っていた。
やはりヘルガ・フォン・シュタール伯爵夫人の存在は大きい(これ程の人物がいるだろうか)。
土壇場で危機を救うレジーの機転も実に上手い。
実際のところシュトラウス父子のドロドロはかなり凄いものであったようで、それを脱臭してソフトに洗練して描いていたようだがその手際も良い。
二人の女性、二つの道などの設定も分かり易く、着地点もズバリで予定調和の妙味もある。
ラストの誇らしげなヨハン・シュトラウス1世のサインで綺麗にまとめられた。
安心して楽しめるというのもこの巨匠の映画ならでは(サスペンス~スリラーになってからも安心してハラハラできる)。
毒々しい最近の様々な映画を観慣れていると、このような作品が清涼剤に思えてくる。
ワルツに乗って観終わった、というところが後味良し。
(何と言うか変わった形式のドロドログチョグチョしたものが多すぎ、それが普通になっているところは気になる)。
この時期のヒッチコック映画を選んで他の作品も観てみたくなった。


ヒッチコックその人が出ていたかどうか、観終わったいま、分からない(笑。
2001年宇宙の旅』でも”美しく青きドナウ”が流れていた。









これからもシンプルにまとめたい(笑。

リリー

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LILI
1953
アメリカ


チャールズ・ウォルターズ 監督
ポール・ギャリコ 『7つの人形の恋物語』原作
ヘレン・ドイッチュ 脚本
ブロニスラウ・ケイパー 音楽

レスリー・キャロン、、、リリー
メル・ファーラー、、、ポール(人形遣い、元バレエダンサー)
ジャン=ピエール・オーモン、、、マーク(花形マジシャン)
ザ・ザ・ガボール、、、ロザリー(マークの助手、恋人)
カート・カズナー、、、ジャコー(ポールの親友、人形遣い)
アマンダ・ブレイク、、、ピーチ


とても練られた演出で心地よく観ることが出来た。
身寄りをなくし寄る辺ない少女と戦傷でバレエの道を断たれた男の人形劇を通しての心の通い合いを描く。
何とも言えないハリウッドのスタジオセットも粋である。

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人形とのやり取りから少女は、自分にとり本当に大切で必要なものを見出す物語~ミュージカル。
人形たちは、バレエを断念し鬱屈した人生を送ってきたポールの豊かで純粋な詩的な心情を唯一素直に表出できるガジェットであった。
彼の日常のぶっきら棒で硬直した姿からは窺い知れない本当の気持ちが素直に溢れ出てくる。
(この辺、よく分かる)。
少女リリーはその彼の操る人形との対話を通して自分をしっかり見出してゆくのだが、、、。

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フランスのある田舎町で旅回りのカーニバル一座に転がり込んだ16歳の少女は、最初に拾ってくれたお気楽で気の良いプライボーイのマジシャンに惹かれ恋をする。
しかし彼の世話してくれた給仕の仕事は直ぐにクビとなり、彼女は行く当てもなく、自殺を図ろうとする。
そこで、彼女を優しく諭し人形劇に誘ったのが人形を通して自分の心を語るポールであった。
人形たちをそれぞれ大好きになるリリーであったが、それをすべて演じているのがポールであることは何故か頭にない。
(人形にそのまま生きた人格として馴染んでしまったのか。何歳だ?)
ポールの気持ちには気づかず、マイペースなプレイボーイのマークのことばかり気にしている。
ポールは、いつになっても自分のこころを受け止めないことと、彼女のことを何とも思わぬマークにずっと囚われている彼女に業を煮やす。

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リリーを人形と対話する少女として劇に入れたことで、寂れていた人形劇のコーナーは大盛況となり、何とパリから来た有名スカウトマンにパリでの仕事を約束される。
しかしこのとき肝心のリリーは、人形劇から去ることを決心していた。皮肉なものである。
リリーは、マークとロザリーも一流ホテルに呼ばれ一座から旅立つとき、彼ら二人が結婚していたことを知る。
落胆したリリーも一人鞄を下げてトボトボ一座を去ってゆくのだが、、、

ここで道すがら幻想的な人形とリリーのミュージカルシーンとなる。
リリーの脳裏で、これまでのすべてのやり取りから整理され総合されて得られた認識がイメージの奔流として現れたものといえようか。
そこで、これまで自分を癒してくれていたのがポールその人であったことに思い当たり、彼のもとに彼女は一目散に走って帰ってゆく、、、。
めでたしめでたし、である。
悪人は一人も出てこない。その大人たちとのかかわりを通して自分を見出してゆく孤独な少女であった。
とても可愛らしくロマンチックな御話である。

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ミュージカルであるとはいえ、歌と踊りに充ちた物語ではなく、歌は「ハイリリー ハイロー」しかなく、踊りというほどの踊りもない。
終盤、リリーが一座を去ってゆくときに幻想的な等身大の人形たちとのそれらしい歌と踊りがやんわりとあるにはある。
だが、もう少し派手で立体感のある踊りが入ってもよかったのでは、、、幻想なのだし。

またポールがどこで彼女にあれほどゾッコンとなったのか?
その辺が妙でもある。
彼はまず彼女を自殺から救おうとした大人であったはず。そして寄る辺ない彼女を自分の人形劇で使ってみた。
そして彼のもとで人形と語らう中で、彼の心根が好きになってゆくリリーという設定の方が流れとして自然であろうに。
リリーは彼が人形を操っていることに思いも及ばず、マークのことばかり追いかけ、ポールの方がやきもきするってちょっと変。
大体、人形の言葉がポールの言葉として捉えられない16歳とは、少しやばくないか。
ポールにしても相手は子供であり、恋の相手というよりは危なっかしい娘の保護者の気持ちなのではなかったか。
どうもこの辺、しっくりこない点ではあった。

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だがキャストもよく、全体に仄々して可愛らしく、観て損はない良い映画である。




AmazonPrimeにて





画質が悪いと評判。AmazonPrimeで観た方が良いかも。




ずっと「ツイン・ピークス」を観ていた

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Twin Peaks
1990年 - 1991年、2017年、
アメリカ

デヴィッド・リンチ 監督・脚本
マーク・フロスト 脚本

カイル・マクラクラン、、、デイル・バーソロミュー・クーパー
マイケル・オントキーン、、、ハリー・S・トルーマン
デイヴィッド・リンチ 、、、ゴードン・コール
マイケル・ホース、、、トミー・“ホーク”・ヒル
ハリー・ゴアス、、、アンディ・ブレナン
キミー・ロバートソン、、、ルーシー・モラン
ミゲル・フェラー 、、、アルバート・ローゼンフィールド
シェリル・リー 、、、ローラ・パーマー/マデリーン・“マディ”・ファーガソン
レイ・ワイズ、、、リーランド・パーマー
グレイス・ザブリスキー、、、セーラ・ジュディス・パーマー
ドン・S・デイヴィス、、、ガーランド・ブリッグス
ララ・フリン・ボイル、、、ドナ・マリー・ヘイワード
ウォーレン・フロスト、、、ウィル・ヘイワード
エヴェレット・マッギル、、、エド・ハーリー
ウェンディ・ロビー、、、ネイディーン・ハーリー
シェリリン・フェン、、、オードリー・ホーン
リチャード・ベイマー、、、ベンジャミン・“ベン”・ホーン
デイヴィッド・パトリック・ケリー、、、ジェレミー・“ジェリー”・ホーン
ジョアン・チェン、、、ジョスリン・“ジョシー”・パッカード
パイパー・ローリー、、、キャサリン・マーテル
ジャック・ナンス、、、ピーター・“ピート”・マーテル
ペギー・リプトン 、、、ノーマ・ジェニングス
クリス・マルケイ、、、ヘンリー・“ハンク”・ジェニングス
ヘザー・グラハム、、、アニー・ブラックバーン
メッチェン・アミック、、、シェリー・マッコーリー・ジョンソン
エリック・ダ・レー 、、、レオ・アベル・ジョンソン
キャサリン・E・コールソン、、、マーガレット・ランターマン(ログ・レディ)
他にもいっぱいいるが、ここまで、あくまで最初のシリーズのもの、、、キャスト書いてるうちに死にそうになった。

ジャック・ナンスって『イレイザーヘッド』の主役ではないか。
「ツイン・ピークス」並みの怪死を遂げた人でもある。
キャサリン・E・コウルソンは彼の元妻だそうだ。

強烈な個性のぶつかり合いである。
O君の一言が全てを言いえている。「出てくる人がみんな変」。
全くである。
変じゃない人が一人もいないというのも、すごい物語だ。
複雑に多元的に交錯する物語だが、しっかり緊張のバランスが取れ調和を実現している。
牧歌的な異次元狂気の世界が耽美的に進展してゆく、、、堪らない。

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ここのところ何をしていたのかというと、、、
このツイン・ピークスを始めからずっと見直していたのだ。
リミテッド・イベント・シリーズ(オリジナル・シリーズの25年後の噺)まで、すべて。
体調も良くないのに大変な苦行を自らに課してしまっていた(笑。
面白いことこの上ないが。

おかげで他のことが何も出来なかったではないか。
他人のせいみたいに言っているが、見始めると止められない。
TV版に加え映画『ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間』も併せて観た。
以前観た時と同様、感想を書くのは無理だが。
やはり音楽(センス)が良いことだけは強調しておきたい。
ただ、ローラ・パーマーは死後の物語だけでよかったな。
彼女の生前の物語は重くてしんどい。
思春期の生き難さは、何処でも同じ。

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長い時間かけて観ていて、時折違う映画を気晴らしに観たりしていた。
それらは、どれも詰まらなかった。
ブログも書かねばと思って観たのだが見事空振りであった。
これを書くのはきついし、、、体力がない。

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ホワイト・テールとブルー・パインの両山に挟まれた地形にあるワシントン州の田舎町を舞台とする。
所謂霊山か。
村特有の闇があるのは分かるが、赤い部屋の異空間~異次元の待合室みたいな場所が何とも言えない。
クーパーのよく訪れる場であるが。
ああしたズレというか襞みたいな場所にはとても惹きつけられる。

村自体は殺人事件ばかりが起こる物騒なところで、薬の取引も頻繁にあり、高校生まで乱れている。
しかしFBI捜査官クーパーはその土地の木々や動物、ノーマの作る絶品パイにコーヒーがいたく気に入り、そこに住みたいという気持ちすら持つに至る。住めば都とはよく言ったもの。

わたしはこの地球には住みたくない。
あの赤い部屋に訪問してみたい。
だが、そうするまでもなく、移動はしているはず。
知らずのうちに自らの波長に合わせて。

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そのうちに、断片的に細かく述べてみたい物語である。




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ノクターン

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Nocturne
2020
アメリカ

ズー・クアーク 監督・脚本


シドニー・スウィーニー、、、ジュリエット(双子の妹)
マディソン・イズマン、、、ヴィヴィアン(双子の姉)
ブランドン・キーナー、、、デヴィッド(父)
ジャック・コリモン、、、マックス(姉の恋人)
イヴァン・ショー、、、ヘンリー・キャスク(ヴィヴィアンのピアノの教師)
ジョン・ロスマン、、、ロジャー(元ピアノの担任)
エイジア・ジャクソン、、、アビゲイル
ロドニー・トゥ、、、ウィルキンス


双子の娘の物語、、、。
うちがまさにそれである為、見るにも身構えてしまう(笑。
観ること自体がキツイ。
もう二人にはホントに苦労している。
先日も大ゲンカして医者に連れて行ったばかり、、、。
この双子の姉妹という関係性、一筋縄ではいかない。
良くても嫌でもずっと一緒なのだ(確かにうんざりするかも)。

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姉ヴィヴィアンと妹ジュリエットの間にも確執がある。
片や明朗快活で享楽的、欲しいものは皆手に入れるタイプの姉。
内向的で歪な自我が育ち被害妄想的な気質もあるヒロインである妹。
持っている才能自体に大きな差があるわけではないが、成果を賞(賛)~合格として手にするのはいつも姉の方である。
(姉だけジュリアードに合格しており、妹は浪人である)。
妹は常に影の存在に甘んじ、微妙な慰めなど受け鬱屈してゆく。
どちらも野心家でエゴイスティックな性格であることには変わらない。

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偶然ジュリエットは「栄光を手に入れる6つの手順」というノートを拾う。拾ったもの勝ちで持ち主には返さない。
卒業式の発表会のソリストであったが、目前に自殺したモイラの残したものだ。
「悪魔のトリル」という楽譜とともに6つの手順が絵入りで示されていた。
1.悪魔を呼ぶ呪文、2.自信を持つ、3.大勝利、4.結合、5.穢れの浄化であり最後のページは破られている。
これは貴重な音楽理論かもと、それを手にしたジュリエットは自分の運命の大きな転機と思い込む。
この暗示自体は良い方向に転ぶ可能性は秘めているのだが、、、
光(悪魔の出現?)が要所要所で誘うように射してくる。

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等々、道具立てはあるものの、、、
6.犠牲のページをちょっと憑依したような感じで絵とともにジュリエットが自分で描いてしまうというのも、何とも、、、。
この無意識は明らかに自己破滅を望むものではないか。
つまりいずれにせよ自己実現~野望の達成を望んでいないのか。
モイラ同様、屋上から飛び降りて死ぬというもの。
本当は何を願っていたのか。

日本でも「デスノート」というのは流行ったが、これもノートの通りに事が運んでゆく。
しかしこのノートと現実との相関関係がいまひとつあやふやに描かれているところもよい。
悪魔も強い夕日みたいな光である。
その黒っぽい本に触発された少女の思い込みで物事が進展してゆくのか、悪魔と契約を交わしてしまった結果なのか、幻視や悪夢も絡み尋常でない精神状態になってゆくことだけは確かなのだ。
ジュリエットの周囲に対する常軌を逸した言動は酷くなるばかりで、このまま良い方向に進むとは到底思えなくなる。
内面的にも転落するばかりなのだ。

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怪我をした姉の代わりにソリストとして晴れの舞台に立ったにもかかわらず、、、。
何故、あのような事態となったのか。
最後の彼女が転落死している傍らを誰も気づくことなく過ぎてゆく映像は、何を意味するのか。
本当は卒業演奏をまっとうに成し終えたが、それで特に持て囃されるでもなく誰にとっても何者でもない存在として終わったことのメタファーか。
彼女の心が死んでしまったということか。

何にしても姉は常に何かを手にし、妹は日陰の存在でしかない不条理。
確かにどうにもならないこのような関係性はある。
何でノクターンなんだろう。

キャストが素晴らしく、誰も如何にもという感じで嵌っており、それだけでも楽しめる暗い映画であった。


AmazonPrimeにて。








呪われた老人の館

the MANOR001

the MANOR
2021
アメリカ


アクセル・キャロリン 監督・脚本

バーバラ・ハーシー,、、、ジュディス・オルブライト(元バレリーナ、70歳)
ブルース・デイヴィソン,、、、シニアローランド(施設の友人)
ニコラス・アレクサンダー、、、ジョシュ・オルブライト(孫)
シエラ・ペイトン、、、リーゼル(ジュディス担当の看護人)


ジュディスは70歳のバースデーパーティーの最中、脳卒中で倒れる。
結局、家族に迷惑がかからぬよう、ゴールデン・サン・マナーという老人養護施設に入ることに。
孫は止めるが娘が積極的にことを進め、ジュディスはそれに同意する形で。

そこは、とても年老いて生気のない老人たちで一杯であったが、なかに妙に元気な老人グループがあり、彼女はその仲間に入る。
ここで人生の終焉を迎える虚しさはあるにせよ、もうかつてのようにバレエが出来る訳でもない。
通常は、バレエに代わる何か創造的な表現手段を模索しそれに専念するか、バレエへの拘りが捨てられなければ、後進の指導やその関係の仕事に携わるなど晩年の集大成に向かうものだと思うが。

特に目標もないまま、施設の管理体制に違和感を持ちながら環境に馴染もうとするジュディス。
だが、深夜やって来る化け物の影に怯え、施設利用者の死亡に不信感を抱くようになる。
ルームメイトも恐怖に慄きながら或る晩、ジュディスに死者の(これまでとこの先の)リストを手渡し亡くなってしまう。
ジュディスの名もすぐ先に記されていた。
いよいよ募る疑問と不安を訴えても誰もが認知症のせいだと相手にせず、施設側は薬を与え、拘束までするに及ぶ。
(脱走を企てたことからも警戒され)。
唯一の理解者であった孫さえ距離を置くようになるが、、、
ジュディスの必死の訴えで、ローランドが実際に歳を取ってないことを写真から確認し、彼も異常な事態に気づく。
そして死亡者たちは寿命ではなく、定期的に何者かに殺されていることが分かり、孫と共に真相を調べ始める。

すると「グルート」を祭る邪教による火の祭りを目撃することに。
例の元気な三人組が施設長や関係者ともグルになって行っているのだ。
そのカルトグループが老人の生気を奪い自分たちの若さを保っていたことが分かる。
奪っておいた髪の毛を捧げることでその老人の命を受け継ぐ形となるが、ジュディスは自分の髪とローランドの髪を入れ替えておく。
それによってローランドがまんまと生贄となる。
残った老婆二人は、ジュディスとその孫に、自分たちのグループに入り永遠の生命を謳歌しようと巧みに諭す。
ジュディスにとっては、唯一の自分の味方である孫とずっと若さを保ちながら暮らせればこれほど楽しいことはない、と悟ってしまう。
最終的にあっさり、仲間になり施設で楽しく生活することになった。
孫も施設の職員となり、何もかも丸く収まる。
時折、面会に来る娘はそのうち事態の異常さに気づくであろうが、、、彼等にとっては小さいことか(笑。

この映画は何と言ってもこういう終結があるのか、と驚かされるところにある。
ある意味、大どんでん返しでもある。
ヒロインは孫と共に、それまでこの異常な環境からの脱出しか考えてこなかったのだ。
この人間~自然の摂理を否定した環境に拒絶反応を示していたのに。

老いと認知症による衰えなどの(社会的には負の)問題に対するとんでもないブレークスルーと取れる。
脳卒中を患う70歳の高齢となれば、ごく普通に運営されているシステムのまやかしや不条理を暴いたにせよ、大方周りからはおかしくなった、妄想だ、いよいよ認知症だと疎外され孤立することになってしまう可能性は高い。
この孤独や虚しさからの逃避としてこのような選択に走ることは分かるには分かる。
(このような人間の止め方はあろう)。

しかし「死」とは何か、「老い」の意味も含め、やはり考察を深めておくことは誰もの課題である。
余りに哲学が無さ過ぎる。






AmazonPrimeにて









”Bon voyage.”

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