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GOMA28

Author:GOMA28
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幼な子われらに生まれ

sun001.jpg

2017年

三島有紀子 監督
荒井晴彦 脚本
重松清 「幼な子われらに生まれ」原作
田中拓人 音楽

浅野忠信、、、田中信
田中麗奈、、、田中奈苗(信の現在の妻)
南沙良、、、田中薫(奈苗の連れ子)
鎌田らい樹、、、沙織(信と友佳の実娘)
新井美羽、、、田中恵理子(奈苗の連れ子)
水澤紳吾,、、、信の上司
池田成志、、、信の同僚
宮藤官九郎、、、沢田(奈苗の元夫、薫・恵理子の実父)
寺島しのぶ、、、友佳(信の元妻、沙織の実母)


映画自体は邦画のなかでは、最もよく出来た部類だと思う。
が、この内容に沿って何かを書く気にはならない。
物語の永久反復~回帰するこの閉じた構造に、救いは、無い。


家族という制度自体が解体している。
それにしがみつくことで苦悩が生まれる。
苦悩を永続するための装置に過ぎない。
すでに内実もなく意味も失った枠に囚われる必要はない。

背負っているものを降ろす。
身軽に、軽やかになる。
手放す。
自分に許す。
虚しい希望を捨て、離れること。
真に自分の為にのみ生きること。

何に対しても、無理に関わる意味など一切ない。
自らの周波数を上げ、同調するものとだけ関わればよい。
本来、存在とは、進化とは、そうしたものだ。

何も前提としない。
あらゆる制度、コードから解かれる。
そもそも何で「いい人」なんかでいたいのかい。
そんなことに努力する力や時を本当の事の為に使うべき。


まずは自分の周波数を上げる。
(多くのものから不可視になること)。


sunset.jpg




藍色少年少女

Indigo Children005

Indigo Children
2016

倉田健次 監督・脚本
加藤久貴 音楽
柳田ありす、結城貴史 製作

遠藤史人、、、星野テツオ
三宅花乃、、、蒼井シチカ(福島の子)
広澤草、、、ミチル(ガラス工芸家、テツオの母替わり)
結城貴史、、、テツオの父
野田幸子、、、リンコ(テツオの母、事故で亡くなる、工芸家)
牧 雨泉、、、星野フミコ(テツオの妹)
前川正行、、、タヌマ マサカズ(芸術家)
市川遥、、、田端シュウ(テツオの宿敵、不良)
大塚宙、、、ヒロキ(いじめられっ子、テツオの友人)

、、、以下、テツオの学校の友達 「ふじのキッズシアター」の子役、、、
牧雨泉
佐優憲
後藤麦輔
倉田妃良良
早川小桜
後藤タイ
田中満ちる
神谷慧仁


神奈川県の藤野町(現・相模原市緑区)を舞台にしているとは、驚き。
あそこでやったんかい。異国情緒(何処かの離島感)たっぷりなので、どこなんだと思っていたら(爆。
柳田ありすという人の主催する「ふじのキッズシアター」の子役たちで演じられているとか、、、。

Indigo Children006

モノクロである。
主人公テツオは、(当時)外での遊びを制限されていた被災した福島の子供たちを、保養活動として迎える緑の多いフジノの町の少年である。
今年の夏休みも子供たちはバスに乗ってやって来た。
今年の企画でテツオは、福島の子供たちに演劇を見てもらうことになり、福島から来たシチカという少女と共に主役を任される。
「幸せの青い鳥」を舞台で演じることになったがどう演じてよいか分からず「かーちゃん」のミチルに相談する。彼女の勧めでテツオとシチカは、芝居の役作りも兼ねて青い鳥を町中回って探し始めることにした。
青い鳥を探すふたりがいつしか周囲の大人たちの心を動かし、それぞれが自分のやるべきことに気づいてゆく。

Indigo Children003

とてもテツオと仮想母のミチルとの関係がシュールであった。
確かに亡くなった実母リンコに雰囲気が似ているが、、、。
こういうこともあるかも知れぬが、ひとつの奇跡である。
母が東京に向かうバスに乗って帰らぬ人となり、同じ道端で自動車事故を起こしたミチルがその母の帰還だと受け取ったテツオ。
ミチルも大きなこころの傷を負った女性であり、ふたりはそのまま互いの役割を受け容れる。あくまでも一時の共犯関係を結ぶ。その内テツオはその関係が永続することを望むようになるが、そこはミチルが大人の分別を見せる。

Indigo Children004

テツオもシチカもその他の少年もよく走る。
大きな喪失によるトラウマを背負いながらも、全力で今できることを精一杯やろうとする。
子どもならではのパワーを見せつける。
トラウマなど要らないが、こうしたパワーを引き出す場というものは、子どもにとってかけがいのないものだ。
(哀しみや外傷経験は決して必須のものではない)。
このような場所はとても貴重だと思える。
柳田ありすの「ふじのキッズシアター」自体がこのような、子ども本来の力を活き活きと蘇らせる場として機能しているのなら素晴らしいことだ。

Indigo Children007

テツオの妹フミコはトトロのメイみたいな子だ。父の禁止した亡き母の部屋に忍び込み、彼女の日記を探し出し独りずっと読み続けて来た彼女こそ、現実を正面から果敢に見つめていた子であった。こういう子は強い。
タヌマ マサカズは、子どもとほぼ同一視線でものを観る事の出来る芸術家として登場している。こういう大人は必要だ。
ヒロキはテツオに救われるのをずっと待っていた。テツオの代役が務まるよう台本まで暗記して。
この気持ちは分かる気がする。自分独りでは動けないが誰かが手を差し伸べてくれたら直ぐにでも行動しようと待ち構える姿は。
ミチルは、“ 私や君が思ってるよりずっと、この世界は愛に満ちてるんだ”というヒトだ。
謎めいているがとても切なく優しい。母を亡くしたばかりのテツオが縋りつくのもよく分かる。彼女もそれに精一杯応える。

テツオはシチカが帰る最終日に早朝から自転車に乗り、自分の周囲の人々の救済にあたって行く。
彼の一押しで、大人たちもそれぞれ真摯に自分の現実に向き合ってゆく。
そう、テーマが魂の救済なのだ。
その日にミチルもテツオのもとから去って行く、、、。

Indigo Children001

こういう救済力をもった少年~お地蔵さんみたいなヒトは~いそうでいない。
恐らくテツオみたいな少年でなければ、タヌマ マサカズみたいな芸術家ではなかろうか。
さもなくば、ミチルのような工芸家。
大人はもう子供にはなれない。
しかし傷ついた少年期の傷を癒すには其の地層に共振し続ける魂がなければならない。

Indigo Children002

廃車置き場っていいなあと思う。子供の想像を膨らませるのにうってつけだ。



「ふじのキッズシアター」という共同体には可能性を感じる。



AmazonPrimeにて




映画を観る気がなくなっても観れる映画はあるにはある。
AmazonPrimeならではの作品だ。







何が彼女をさうさせたか

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1930年


鈴木重吉 監督・脚本
藤森成吉 原作
ギュンター・A・ブーフバルト 音楽

高津慶子、、、中村すみ子
藤間林太郎、、、琵琶師・長谷川旭光
小島洋々、、、阪本佐平
牧英勝、、、養育院人事院・原
浜田格、、、曲芸団長・小川鉄蔵
浅野節、、、すみ子の伯父・山田勘太
大野三郎、、、山下巡査部長
中村翫暁、、、質屋の主人
片岡好右衛門、、、玉井老人
海野龍人、、、市川新太郎(すみ子の恋人)
二條玉子、、、県会議員・秋山秀子
園千枝子、、、山田の女房・お定
尾崎静子、、、天使園主・矢沢梅子


「傾向映画」(社会主義思想の映画)として知られ、1930年度のキネマ旬報ベストテンで第1位にランクインし大ヒットした映画だという。
帝国キネマ長瀬撮影所が火災でフィルムも焼失したとみられ幻の名作扱いであったようだが、、、
モスクワの国立ゴス・フィルモフォンドで発見される(誰かが持ち込んだらしい)。
しかし残念なことに、、、
冒頭のクレジット部、すみ子が電車にはねられそうになる最初のエピソード、詐欺師の子分(猿)となるエピソードのほとんど、教会への放火へ至るラストが欠落している。特にラスト部分の欠落は余りに大きすぎる。
始めと終わりの肝心な部分は皆字幕で補う形となった。
これはポーランド映画の検閲で削除された部分を字幕で補ったSF「シルバー・グローブ/銀の惑星」と同様だ。
確かに想像力で補えるものでもあるが、出来たら観たい(残。まだ何処かにこのコピーで完全版が眠っていないものだろうか。

このサイレント映画にびっしりと曲をつけたものが本作。精一杯の修正であったようだ。画質的にはまだかなり荒れている。
サイレント映画に音がびっしり埋め込まれているのは、他の作品にもかなりみられる。
(場合によっては、やり過ぎに感じることもあるのだが)。


噺はこれでもかというほど、次々に不幸に見舞われ翻弄されるヒロインの生涯を描く。
世界恐慌の押し寄せるただでさえ不穏で大変な時期だ。共産党の弾圧と軍部の台頭。いよいよ戦争へと雪崩れ込んでゆく縁。
貧困を生む社会構造と搾取と不正による弊害によるものであるか。
その辺を問うという映画は大方詰まらぬものになりがちだが、この映画は物語としてよく出来ており、カメラワークも演出も今のものと遜色なく、映画作品として魅せるものである。
平板でお説教がましい映画とは明らかに一線を画す。

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薄幸の少女、中村すみ子を演じる高津慶子が愛らしく瑞々しい。
彼女の存在が映画そのものを活き活きとした彩あるものにしている。
「何が彼女をさうさせたか」
最後に彼女は教会に火を点けるが、度重なる悪意に耐えかね精神が崩壊してしまった結果と謂えるか。

最初に拾ってくれた車力の玉井老人だけが良い人であったような(後で出て来る新太郎も良い人とは謂えるが、頼りない)。
(それに後で分かるが、老人は彼女の財布に内緒で銀貨まで入れておいてくれた)。
ここで食べた食事が一番美味しかったのではないか。彼女も笑顔でたらふく食べていた。
その後、彼女の食事風景でこれ以上の幸せそうな場面を見ていない。
最初で終わった。

玉井老人と別れた後は、転げ落ちてゆくばかり。これほど人の社会~制度とは残酷なのだと言わんばかりだ。
父が学校に行かせてくれるということで、着いた伯父の山田の家では子だくさんで、新しい子など受け入れようもない状況。
父からの金だけ巻き上げ子守と雑用を押し付けられるだけ。その上、曲芸団に売り飛ばされてしまう。そこでまた更に過酷な生活を強いられる。叔父の家から何とか持ち出した父の手紙を団員に読んでもらうと、父は自殺したことを知る。彼女は余りに労働条件の悪い曲芸団から逃げ出すことにする。団員は皆彼女同様、孤児であった。仲良くなった新太郎と共に逃げるが途中で逸れてしまう。
その後、騙されて詐欺師の手下~猿にさせられたり(この部分が消失により無くなっている)、養護施設に預けられたり、秋山という名前の県会議員の女中をさせられ、そこで侮辱を受け怒るとまた養護施設に戻され酷い生活を続けることに。

ずっと騙され搾取されてきた彼女であったが、琵琶師の長谷川のもとで女中をしていたとき、偶然新太郎に遭う。
彼は劇団員となっていた。直ぐにそこを飛び出し、彼と一緒に暮らし始める。当初は楽しい新婚気分で過ごしていたがそれも長続きしなかった。
彼が解雇され、どん底生活に戻る。そしてついに心中を図るも、すみ子一人が海から救助され助かってしまう。
そのまま天使園というキリスト教施設に預けられるが、そこでも悪魔のような女にそそのかされ外に手紙を書いたと謂う廉で皆の見守る中での告白を強要される。それを嫌がりその夜、教会に火を放つ。
園主の梅子は金を持ち出し他の者たちを置き去りにして逃げてしまう。
ここの一番大きなシーンが全て消失しており、字幕で想像することになる。
すみ子の狂態と燃え落ちる教会、逃げ惑う人々、、、やがて警察に逮捕される彼女。
「みんな天国へ、みんな天国へ」と炎を前にして叫ぶすみ子。

、、、ということらしい、、、。

naniga001.jpg

夜に狂気と燃え盛る炎。
陰惨だが格調のある光景が想像できるが、よく出来た映画だけにそのものを確認したい気持ちはやまやまである。

完全版がどこからか発見されないものか。



AmazonPrimeにて




最初の人間

Le premier homme001

LE PREMIER HOMME
2011
フランス・イタリア・アルジェリア

ジャンニ・アメリオ 監督・脚本
アルベール・カミュ 原作


ジャック・ガンブラン(少年時代:ジャン・ブノワ)、、、ジャック・コルムリ(作家)
カトリーヌ・ソラ(若い頃:マヤ・サンサ)、、、カトリーヌ・ソラ(母)
ドニ・ポダリデス、、、ベルナール(担任)
ウラ・ボーゲ
ニコラ・ジロー
ニノ・ジグレット
アブデルカリム・ベンハウンチャ
ジャン=ポール・ボネール
ジャン=フランソワ・ステヴナン、、、農夫


カミュ未完の遺作の自伝的小説の映画。とても内省的で静謐な流れ。
初老の著名な作家が父の墓を訪れ彼が25で戦死したことを知り愕然とするところから始まる。
少年期の回想に浸ったかと思うといつの間にか現在に切り替わっているこの辺の錯綜は、如何にも心象風景の映像化であった。
(特に少年ジャックがドナのノブに手をかけ部屋に入ると現在の初老の彼が歩き出すところなどハッとした)。

Le premier homme002

フランス領アルジェリアという場所は何であるのか、父のこと、自分がどのようにして生まれたのかルーツを洗い直そうとしたカミユ自身を描く。愛する故郷にあって、彼は何故これほどまでに非難を受けるのか、、、。
原理原則の闘いに及ぶと、自分たちに身贔屓しない者は敵となる。
(この辺ではサルトルは上手く立ち回ったと思う)。

「異邦人」からほぼ年代順に読んだ覚えがあるが、最初に読んだ「異邦人」の印象がまだ一番残っている。
(一頃、カフカの「変身」とカミユの「異邦人」はどちらも枕元にあった文庫本だ)。
確か母は耳が不自由だったはず。あったかなあこの映画に。この点と父の不在がカミユにとりとても大きかった。
極貧であり、母はとても控え目な文盲。子供のように幼い叔父と家の主としての祖母。
息子は頭脳明晰の目立つ子で、母はいつも物静かに一歩引いて愛情深く彼を見つめていた。しかし実権は祖母が握る。
幸い先生が大変熱心に彼の将来を心配してくれ、学業の支援をしてくれた。彼は実質父の替わりでもある。
「神を信じるも、神を信じないも好きにしなさい。」理想的な父だ。
あの傲慢で意固地な祖母がいなければもっと楽に生きられたであろうが。
(少年が肉のお使いで金を読み物の為にちょろまかしたときのおどろおどろしい神への懺悔~告白には寒気がする)。

Le premier homme005

「いつか被害者と殺人者だけの国になる。無実なのは死んだ者だけ。」というフランス領アルジェリアの現状。
その傾向はますます酷くなってゆく。街中での突然の爆音に驚いて降りて行くと、無残に破壊されたバスと黒こげの死体が。
カミユ自身の生地でありアイデンティティの基盤である。
母はずっとそこを動かずひっそりと暮らしている。
彼女は、その地を離れるつもりはないと言う。パリでは暮らせないと。
何故ならそこにはアラブ人がいないから。
しかし母は息子には諭す「頭のいい子の義務は、この街から出て行くことよ。」

カミユ自身、自分はアラブ人という認識がある。
しかし彼らがテロを続けるなら、彼らの敵になる覚悟であった。
幼馴染のアラブ人の息子が証拠も不十分なまま疑いをかけられ断頭台で処刑されてしまう。
時の人であるジャックは奔走し大臣に掛け合う。大統領も動かした。しかし肝心の当人が再捜査を拒絶したのだ。
彼はラジオの講演で最後の結びに言う。「私は正義を信じる。アラブ人よ、私が君たちを守ろう。母を敵としない限りは。もし母を傷つけたら私は君たちの敵だ」彼の最終的な意志表明か。
カミユはある時期からこの対立抗争問題にはほとんど触れなくなったはず。

Le premier homme003

カミユの小説にあからさまにはなくても(異邦人にはあからさまにあるが)常に背景輻射としてあるものは、「太陽」と「海」である。
極貧のなかで過ごした少年時代の恩寵とも謂える要素~環境であろう。
太陽の光と海の飛沫を浴びサッカーに興じる少年時代。
これが彼の苦痛をかなりの面で浄化したはず。
こんな地であれば、「フランス人とアラブ人との共存」だって出来るものだと自然に思えたのではないか。
この感覚は分かる。わたしも人間環境は最悪であったが、幼い頃の綺麗な川と木々は今でも想い起すことが出来る。
そこには負の要素はまるでなく、爽やかな摂理しか存在しない。

ここには女性関係は描かれていないが、原作はどうだったかその辺は想い起せない。
「アルベール・カミュ」という文字通りの自伝映画では、嫌という程女性関係ばかりが取沙汰されていた。
この映画にはうんざりして感想書く気にもならなかった(これを観て暫く映画を観るのをやめようと思った)。
実際、奥さんは鬱症状に悩み(カミユ共々)大変苦しんだようだ。

息子が講演中、会場が危険な程に酷く荒れたことが新聞一面に出ていた。
大きく写されている息子の写真を見て”JACQUES CORMERY”と、字の書けぬ老いた母が一文字一文字ぎこちなく書き写す場面には胸が締め付けられた。
(ある意味、此の親にして此の子あり、である)。

Le premier homme004

最後のシーンは、どういう事態であったのか。
あのさっぱりした白い部屋で、母の諦観をも思わせる面持ち。
もしや、息子はもういないのか、、、カミユの予言、、、ではないか
大変気になる終わり方であった。


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EXIT

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EXIT
2019
韓国

イ・サングン 監督・脚本

チョ・ジョンソク、、、ヨンナム
イム・ユナ(少女時代)、、、ウィジュ
コ・ドゥシム、、、ヒョンオク(ヨンナムの母)
パク・インファン、、、チャンス(ヨンナムの父)
キム・ジヨン、、、ジョンヒョン(ヨンナムの姉)
カン・ギヨン、、、ク店長
キム・ジョング、、、2番目の叔父
キム・ビョンスン、、、3番目の叔父
ファン・ヒョウン、、、2番目の姉
イ・ボンリョン、、、3番目の姉
チョン・ミンソン、、、1番目の姉の夫
パク・ソンイル、、、3番目の姉の夫
ペ・ユラム、、、ヨンミン
ユ・スビン、、、ヨンス
シン・セフィ、、、ヨンへ


韓国エンターテイメント映画の面白さが詰まっていた(笑。
テーマがシンプルに絞り込まれており、テンポよくストレスなく観られる、
テロ犯が毒ガスを突然振り撒くが特にややこしい設定や要素を挟まない。何も考える必要が無いところが良い。
ただ、迫り来る毒ガスから逃げる噺。所謂サバイバル・パニック映画だ。
逃げるのが大学時代山岳サークルにいた先輩と後輩の男女であった為、最後には甘酸っぱい恋愛ムードに落ち着く。
鉄板枠の中でどれだけ面白く見せるかが監督の腕の見せ所といったタイプ。

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実際、スリリングな上にコミカルで一気に観られる(シンドイ映画は度々止めるが)。
主演のふたりが出来過ぎのヒーロー・ヒロインではなく、庶民的なちょっと惚けたところもあるふたりで仄々している。
それが噺をリアルだが必要以上にシリアスに重くしない。
ポップコーン食べながらジュースを飲んで見られる(この点、ホラーはいきなりゲロ吐いたりするから嫌いだ)。
勿論高いビルの壁面を危なっかしくもグイグイ登ったり、クライミングの腕は流石である。
イム・ユナ(少女時代)はこの役を演じ賞を一杯取ったそうだ。

EXIT004.jpg

それにしても韓国の家族のお祝いって厄介だな、とつくづく思う。
おばあちゃんが60になったからとか、その度に親族皆で集まり過剰なサービスで盛大にお祝いなど、観ているだけで辟易する。
その高層ビル会場で災難に遭遇するというのも(主人公にとっては願ってもない出逢いもあったが)何とも言えない。
屋上にヘリが助けに来なければそれでアウトなのだ。
何とか協力してヘリを自分たちのビルの屋上に呼び寄せるも定員オーバーで、主演二人は残ることに、、、
(そこからがこの映画の本格的な見せ所となる)。
もうひとつ韓国らしいのは、一般市民が次々にドローンを飛ばしネット上でふたりの逃走劇を配信したり、それにコメントを寄せ盛り上がったり、最初にそれをスクープした男が大手放送局に独占放送権を売りつけたりその辺も如何にも今を反映している。
しかしドローンの一つに、離れたクレーン塔に行くためにロープを繋いでくれと頼み、それを理解した操縦者が高度なテクでその通りやってくれるところなど、特筆もののお見事シーンがある。ここには唸ったものだ(笑。
(わたしもかねてからドローンで遊びたいと思っており、刺激になった。ぴかぴか光る夜のドローンは神秘的な昆虫みたいである)。

EXIT002.jpg

ともかく、凡庸な主演ふたりが、泣き言を言いながらも何とか生き残りをかけて何度も何度もトライするところは自然と共感するものである。
特に、漸くヘリで助けられると思った矢先、自分たちのいる前のビルで学習塾に閉じ籠められた子供たちを発見し、泣く泣くヘリをそちらに誘導した後、またもや取り残された自分たちの現状を嘆き、耐え切れずべそをかくところなどハリウッドのタフな主人公と違うところだ。
スーパーマンはそれはそれで面白いが、こういう所謂普通のひとの右往左往しながらの頑張りもとても共感できた。
全体的に基調の軽さが良い。
終わり方がスッキリしていて気が利いている。

EXIT001.jpg










暫くは映画は観ない

Moonwalker002.jpg


何にしても物語である。
それに嫌気がさす。
日々物語を不可避的に生きてしまってるのに、その上詰まらぬ物語を何でまた観なければならぬのか。
別にわたしの日常~物語に何らかの作用(相殺作用)など起こるべくもなく、、、。
(注:面白く感じる物語もあったりする。が、面白いのは寧ろ解体された物語である)。
別に誰に観てくれと頼まれたわけではない。自分で勝手に映画を観るのをルーチンにしていたに過ぎない。
観た後、感想を書いてもわたしの場合、映画にお構いなく好き勝手なことを書いているだけだ。
そのくせ、ほとんどすべての作品についてネタバラシもする(笑。
映画評として見る人は、ほぼいないとは思うが、たまたまそのつもりで来た人にとっては悲惨体験であろう。

moon001.jpg

わたしの場合、別に映画というものが好きで観ているわけではない。
但し、SF映画は特別で、好んで見てしまう対象である。例外的に体質に合うのだと思う。
それからSF的な幻想性を持った映像美の映画も好む。タルコフスキーに小津安二郎、、、。
(スターウォーズとかはSFとは思ってない)。
それでも敢えて映画全般を観てしまうのは、、、
映画作品の多くが、自分が言いたいことを誘発してくれる触媒の役目を果たしてくれるからである。
それにかこつけて自分の事が話せるからだ。
つまりブログ記事になるのだ。それが無ければ実質ここまで続かない。
何もない所からいきなり書くというのも書き出しにくい、取っ掛かりが欲しいのだ。

StrawberryMoon002.jpg

映画はわたしにとっては、そんなものだ。
映画愛好家や映画作りに励んでいる人にとっては風上にも置けないといったところか、、、。
何にしてもどうでもよい。
わたしが好きなのは、拘るのは(自分でも描いている)「絵」である。
こういう場では、発表しないけど。




恐竜が教えてくれたこと

My Extraordinary Summer with Tess001

My Extraordinary Summer with Tess
2020年
オランダ、ドイツ

ステフェン・ワウテルロウト 監督
ラウラ・ファンダイク 脚本
アンナ・ウォルツ 原作
フランシスカ・ヘンケ 音楽
主題歌『恐竜が教えてくれたこと』(歌:ソンニ・ファンウッテレン&ヨセフィーン・アレンセン)

ソンニ・ファンウッテレン、、、サム(11歳の少年)
ヨセフィーン・アレンセン、、、テス(島の12歳の少女)
ハンス・ダーヘレット、、、ヒレ(海辺に住む孤独な老人)
ユリアン・ラス、、、ヨーレ(サムの兄)
ティーボ・ヘリッツマ、、、サムの父
スーザン・ボーハールト、、、サムの母
ヨハネス・キーナスト、、、ヒューホ(テスの実の父)
ジェニファー・ホフマン、、、テスの母
リッシ・ファンフレウテン、、、グリル屋の娘
テレンス・シュルールス、、、エリーセ(ヒューホの彼女)


オランダ北部のテルスヘリング島が舞台。
サム一家は、7日間のバケーションを愉しむ為に島に来たのだが、彼は皆が死に独り残された時のことを考え、独りで過ごす訓練を自主的に始める。家族との思い出を作りに来た場所なのだが。
しかも、島で初日に出逢った不思議な少女に夢中になり、彼女との時間を優先する(これは分かるが)。
それでお父さんをやきもきさせる。これも分かる(笑。
綺麗な海とビーチ、そこでのバーベキューという定番。それで家族の絆を深めようという父。
島は長閑で休むには丁度良い。日本にはこうした習慣がないが、長期休暇は真似しても良いのでは。
音楽が優し気にフィットしていてゆったりと流れる。

My Extraordinary Summer with Tess003

その少女テスは、サムを誘い一方的に何かを手伝わせたかと思うと、彼を独り置き去りにして消えたりする。
とても自分勝手な事をするが、サムは余計に彼女が気になってしまう。
(気を引くために意識的にやるのなら、かなりの悪女だが)。
テスには秘密があった。

My Extraordinary Summer with Tess006

テスは、父は死んだと母に聞かされていたが、母がしまっていたハガキを元に父に関する情報をフェイスブックで調べ、母の管理するコテージに籤で当たったと偽り彼らを招待していた。(だから出逢いの挙動が不審なのだ)。
自分は12年前、母とヒューホが恋人同士で旅行に行っていた時の子だと彼女は確信していた。
父の不在にずっと囚われて生きて来た娘であった。
片やサムは自分が家族の中で一番年下だから、最後に一人ぼっちになるというイメージに囚われ、一人で生きる訓練をしている。
自分が結婚して新しい家族~子供や孫が出来ることとか考えないのか、、、。
ともかく、孤独と生死について考え始めたふたりの良いタイミングの出逢いであると謂えるか。

My Extraordinary Summer with Tess002

サム一家にせよヒューホのカップルにせよ、休暇で島に来ている。
帰る日はどんどん近づく。焦りと困惑。
何にしても、あなたわたしのパパでしょ、と全くその意識のない籤か何かに当たって舞い上がり恋人と島にバカンスに訪れた男性に、本人から切り出すのは難しい、というかナイーブな事柄過ぎる。
その話をサムの協力でする場を何度か設け、最後のチャンスに思い切って言おうとしたところで、近くの席で赤ん坊が泣きわめきこちらの噺も途切れる。
その時ヒューホは、子供がいなくて良かった、と思わず洩らしてしまう。
それを聞いた途端、テスは席を立ち、走り去ってゆく。
後を追うサム。残されたヒューホたちには何が起きたのか分からない。

My Extraordinary Summer with Tess005

そして路地で泣いているテスを見つけたサムは、自分が代わりに聞いてみようかと提案する。
だが、そんなことしたら殺すと強くそのおせっかいを遮られる。
ここからがこの物語の急展開~ジャンプとなるところ。
サムが最後の恐竜は淋しくなかったかとか思いながら海の浅瀬に入って行ったら、何とあるところで足が抜けなくなった。
干潮から満潮に移る時にこのように嵌ると死を覚悟することになるか。(しかし足が抜けなくなる水底というのは、わたしも知らなかった)。ここに海辺に独り暮らすアウトサイダーのヒレがその様子に気づき、彼を救出してくれる。
まさに九死に一生を得たといったところ。

この見た目の怖い老人、サムの質問にも自分の想い出噺も丁寧にしてくれる。
そして死んだ妻の噺をして、今のうちに想い出をたくさん作っておくんだ、手遅れになる前に、とサムに諭す。
これが胸にストンと落ちた彼は、そうだテスには父との想い出がないんだ、と思い当たる。
そして自分も独りの訓練ではなく、皆との想い出を沢山作ろうと戻って行く。
荷物をまとめ帰って行くヒューホとエリーセの車を先回りして止めたサムは、テスの秘密の身の上を彼らに語って聞かせた。
ここでしらばっくれないのがヒューホである。更にエリーセもテスのところに行きましょう、と。二人が人格者で良かった。
と謂うより、この物語に出て来る人は、皆良い人ばかり。
(実は、テスの思い違いの場合もわたしは考えていたのだが)。

My Extraordinary Summer with Tess004

サムは休暇中ほとんど家族をほったらかしで、過ごしており、流石に最後には、お父さんも怒るが、ぼくにはお父さんがいてくれて良かった~と胸に飛び込んでくれ、お父さんも何だか分からぬが良かった良かったと、、、機嫌を直す。
家族のバケーションは結果的にちゃんと役目を果たしたことになる。
サムのもとにテスがやって来て、ヒューホがパパになってくれるの、と満面の笑み。
(殺しに来たのではなかった)。

最後は、テスが皆を誘ってパーティーの大団円。何と孤独の老賢者ヒレもサムに誘われ快く参加している。
サムの掘った砂浜の穴に躓き骨折した兄も、グリル屋の娘と恋仲になり、サムもテスととても良い雰囲気に、、、。
この辺は余りに出来過ぎだが、、、一番淋しい思いをしたのは、エリーセだと思うが、その部分は敢えて描かれていない。



My Extraordinary Summer with Tess007
作曲家 フランシスカ・ヘンケ

演出が音楽も含め効果的であった。
もう一回観てみたい気にさせる映画である。



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デッド・ドント・ダイ

The Dead Dont Die001

The Dead Don't Die
2019年
アメリカ

ジム・ジャームッシュ 監督・脚本


ビル・マーレイ、、、クリフ・ロバートソン(警察署長)
アダム・ドライバー、、、ロナルド・ピーターソン(ロニー巡査)
ティルダ・スウィントン 、、、ゼルダ・ウィンストン:(葬儀屋を継いだ外国人女性、異星人?)
クロエ・セヴィニー、、、ミネルヴァ・モリソン(ミンディ巡査)
スティーヴ・ブシェミ、、、フランク・ミラー:(農夫)
ダニー・グローヴァー、、、ハンク・トンプソン(クリフの親友)
ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ、、、ボビー・ウィギンス(ゾンビ映画マニア)
ロージー・ペレス、、、ポージー・フアレス(ダイナーで働く女性)
イギー・ポップ、、、コーヒー・ゾンビ(ダイナーに現れたゾンビ)
サラ・ドライバー、、、コーヒー・ゾンビ(ダイナーに現れたゾンビ)
RZA、、、ディーン(配達人)
キャロル・ケイン、、、マロリー・オブライエン
セレーナ・ゴメス、、、ゾーイ(遊びに来た女子)
トム・ウェイツ、、、ボブ(世捨て人、森に住む)
オースティン・バトラー、、、ジャック(ゾーイと遊びに来た青年)
エスター・バリント 、、、ファーン(ダイナーで働く女性)


”The Dead Don't Die”なんて映画、題を見ただけで観る気も起きなかったが、監督がジム・ジャームッシュと知りこれは観るしかないと思い、襟を正して観た。
とは言え、ジム・ジャームッシュの作品は元々背筋を伸ばし襟を正して観るタイプの映画ではない(笑。
ジャージーなちょっと気怠いレイドバックした大人の映画だ。
ここでは、特に力を抜いて遊んでいる感じがありあり。かなり特異なゾンビコメディであった。
だが充分、不安で不気味でもある。

The Dead Dont Die007

よくまあ、これだけ豪華俳優陣で固めたものだと思うが、イギー・ポップとトム・ウェイツは特にウケる。
トム・ウェイツについてはほぼ最後まで誰だか分らなかった(爆。逆にイギー・ポップ先生はノーメイクでもゾンビになれるのね、流石。
ふたりとも歌も聴きたかったが、そこまでは無理か。セレーナ・ゴメスの歌でもよいから、、、も無理か(笑。
ジム・ジャームッシュってミュージシャンを役者に使うの好きだな。でも上手く使う。
大御所のビル・マーレイが、ゾンビが抜け出た穴に躓いてひっくり返るが、あれは台本なのかアドリブなのか、随分引きずった(笑。
あんなドリフのコントみたいなのを挟むのが、どうにも気になってしまった。
極地で飛んでもない工事をしたお陰で、地軸が傾き異様に昼が長くなり異常事態のひとつとして墓からゾンビが湧き出て来るという発想も、悪い冗談でごり押ししている感じが何とも言えない、、、宙吊り感たっぷり。

The Dead Dont Die008

通常、ゾーイみたいな役の子は、じたばたして逃げまくり、充分ハラハラさせて最後に内蔵喰われて終わりみたいな流れかと思っていたが、あっさりゾンビ化したモーテルの主人に食い殺されてしまった。
やけに出番が少なかったというか、有名どころがかなり出ていて、適当な尺配分であったものか。
ロニー巡査に死んで転がってるところを無慈悲に首を切られ、無造作に放られていたが、、、この辺のハードボイルドタッチも面白い。
こういうシーンは、この後何度となく出て来る。生前親しかった仲間をゾンビとして葬る。
無常観と諦観も充分に漂わせていた。
ハンクや同僚のミンディ巡査まで頭を粉砕するのだ。
面白いなかにしっかり悲痛さも充ちている。

The Dead Dont Die003

デレク・ジャーマン監督の映画によく出る才女ティルダ・スウィントンがここで飛び切りすっ飛んだ役で出ているが、この人だと自然に感じるから不思議。
日本刀の殺陣がまた決まっていたが、UFOが何しに来て、何でこの人が吸い込まれて宇宙の果てに去って行ったのか、呆気に取られて見守るばかり、、、やっぱり異星人だったのね、、、。あの仏像は、変だったが。
スマートに乗りながら、ゾンビの首を撥ねて颯爽と墓地に行く。
もしかして警官たちを助けるのかと思いきや、、、
警察署のパソコンで何か交信みたいなのをしていたが、あれでUFOを呼んだのか。
彼女は地球を見限ったかの如く涼しい顔でUFOの中へスーッと入って行く(このシーンはお決まりの形だ)。
ともかくティルダ・スウィントンの超然とした佇まい、素敵だった。

The Dead Dont Die002

ゾンビはゆっくり動くから一体づつ対処していけば何とかなるが、多勢に取り囲まれたらおしまい。
更に生前の習慣をトレースする自動的運動。
首を撥ねる、頭部を粉砕することで、ゾンビは止まる、、、等々。
(街から家畜やペットがいなくなったのは、ゾンビ来襲を察知したからなのか)。
ゾンビの基本をしっかり押さえたうえでの面白映画であった。
ジム・ジャームッシュの基調とする世界に、たまたまゾンビが現れても結構マッチするところが分かる。
アダム・ドライバー(ロナルド・ピーターソン)なんか、台本読んだら最悪の結末だった、などと早くから劇中で言っている。
役者でありながら、ビル・マーレイと二人でメタレベルの噺をしてしまって、特に問題ないところが懐が深いと言うか、、、
そういえばアダム・ドライバーは、やはり早くからこの猟奇殺人はゾンビが犯人だと断言していたが、これも台本で知っていたからか。
唐突にUFOまで出て来てしまっても物語が解体しないのだから、基調の強固さというか柔軟性に恐れ入る。

The Dead Dont Die005

そう基調が恐ろしく荒涼としてるのだ。
何でも横断して行く場所なのかも、、、。
殆ど黄泉の国みたい。
そこではUFOでもゾンビでも何でも交差してゆく、、、。
それから伏線も何も知ったことではない、というのもよい。
あの少年院の脱走トリオがちょっと気になったが、、、。

The Dead Dont Die006

そしてこういう状況下でもっとも強いのは、(人間であれば)トム・ウェイツ演じるようなアウトサイダーなのだ。
普段は何かあると馬鹿から直ぐに胡散臭いと罪を擦り付けられたりするが、、、。
非常時には、この立場しか救われない。
境界にあって絶えず観察する立場。
(ただし、物欲に駆られ利己的な生活を送って来た代償だ、みたいな理屈は詰まらないから言わない方が良い)。
ゾンビの暴れ振りを双眼鏡で眺めながらトム・ウェイツが鶏肉を美味そうに食い溌溂としていた(笑。
森にせよ、この境界上の襞みたいな場所に最近とみに惹かれる。




文句なしの迷作いや名作。




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ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー

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Booksmart
2019
アメリカ

オリヴィア・ワイルド監督
エミリー・ハルパーン、サラ・ハスキンス、スザンナ・フォーゲル、ケイティ・シルバーマン脚本


ケイトリン・デヴァー、、、エイミー・アンツラー(モリーの親友、社会活動家を目指す)
ビーニー・フェルドスタイン、、、モリー・デヴィッドソン(うざい生徒会長)
ジェシカ・ウィリアムズ、、、ファイン先生(担任)
ジェイソン・サダイキス、、、ジョーダン・ブラウン校長
リサ・クドロー、、、シャーメイン・アンツラー(演劇部)
ウィル・フォーテ、、、ダグ・アンツラー(演劇部)
ヴィクトリア・ルエスガ、、、ライアン(エイミーの片思いの相手)
メイソン・グッディング、、、ニック・ハウランド(生徒会副会長、人気者)
スカイラー・ギソンド、、、ジャレッド(富豪、ジジの相棒で彼女の運転手)
ダイアナ・シルヴァーズ、、、ホープ(エイミーの新しい恋人)
モリー・ゴードン、、、アナベル(トリプルA)
ビリー・ロード、、、ジジ(ジャレッドの彼女、神出鬼没)
エドゥアルド・フランコ、、、テオ(クラスメイト)
ニコ・ヒラガ、、、タナー(クラスメイト)
マイク・オブライエン、、、ピザ屋の店員パット


女子会に集まった女子が噺が盛り上がったついでによってたかって脚本書いて、そのお友達の女子が監督やったという感じ(笑。
全て女子目線で、インテリだが遊んでこなかったヒロイン二人が卒業式前日に羽目を外し濃い経験を経てサッパリして、何やら元気に高校を卒業する噺。
ロックのサウンドもぴったり合って、山あり谷ありで緩急もつき、小気味よいリズムで流れて行く。

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やたらと一杯生徒たちが出てくるため、誰が誰だかよく分からない。
モリーとエイミーは、何時も一緒で、がり勉一筋で高校時代遊んでこなかった。
目標もしっかり持っておりモリーは合衆国最年少の裁判長、エイミーも社会活動に専念することに。大学初年からアフリカで奉仕活動を行うことになっている。
大学はどちらも一流大学に受かっていて周りを見下していたが、実は遊び惚けていた連中も同様に一流大学に合格していた。
(ここはわたしもビックリ。遊びまくってきた感じのセクシーギャルがモリーと同じイエール大学なのだ)。
そのことに酷く驚き、「勉強を馬鹿にしてきたくせに~」(モリー)に対し「勉強以外も楽しんできただけよ」(トリプルA)と返され自己解体(爆死。

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それで勉強以外の楽しみを知ろうというのがパーティーに出るというのも、、、何とも短絡的だが、それで高校時代に遊んでこなかったのを取り返そうということになり意気込んでパーティーの支度。このスウィッチの切り替えの軽さが良いと謂えば良いが。
しかし肝心の会場が分からず、クラスメイトにメールしても学校関係のメンドクサイ用事だと思われ名前だけ見て無視される。
手掛かりを元に、会場(ニックの叔父さんの家)を探してゆくが、目的の人気者開催の盛大なパーティーまで行き着かない。
妙なパーティーを幾つか回り道しながらアイフォンでニックの会場中継を確認して色々コメントしたり、、、。あくまでもニックのパーティーに拘る。
別に卒業式前日に頑張らなくても大学に行ってから適度に遊べばどうかとも思うが、彼女らとしては高校の仲間と何か良い思い出を残したかったところが大きいのだろう。

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ジャレッド主催の超豪華お客なしの船上パーティーで、ジジにドラッグ漬けのイチゴを食べされたり。
彼女が海に飛び込んだ隙に抜け出して逃げる。
校長のリフト(タクシー)に乗って次のパーティー会場に行くというのも傑作だが。
連れていかれたのは演劇部のパーティー会場。そこでも何故かジジがいて役者をやってた。
イチゴの効き目がここにきて現れ、二人とも人形になる幻覚を見る。やり取りも含め面白い。新しさを感じる。
薬が切れて抜け出すと、リサーチして場所を本格的に探る。そしてピザを大量に注文していたことからそのピザ屋に届け先を聴く。

何故それを聴くのに強盗の真似をして脅すのかサッパリ分からないが、ピザ屋の店員パットが良い人で、住所だけでなく防犯の心得まで親切に教えてくれる。
しかし携帯のバッテリーが切れ途方に暮れていると、大好きな担任が偶然車でピザ屋に現れる。
彼女は今の時間の大切さを諭し、二十歳以降に遊びに目覚めると大変よと忠告し、大いに愉しんでらっしゃいと会場までご丁寧に送ってくれるのだ。
出てくる人は皆、理解のあるエイミーの両親をはじめ良い人ばかり、、、恵まれてるとしか言えない。これが良いとは限らないが、うちの周囲の糞意地の悪い他者より遥かにマシ。

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最初は特別ゲスト扱いで歓迎されいい感じで打ち解けていったが、次第に会場の人々の関係性がはっきり表れてくる。
パーティーとはそうしたものだ。他者に出逢ってしまう。でもそれこそが肝心なこと。実体験が知識を更新してゆく。
ふたりのそれぞれの思惑も潰え、互いに相手に当たる。「臆病者!」に対し「自分勝手!」モリーとエイミーとの間で大ゲンカ。
お目当ての相手は他に好きな相手がおり、エイミーはそれでも新しい彼女を作りかけたがへまをして台無しとなる。
モーリーはへこたれて先に帰っていたが、、、やがて会場は騒然となり、、、。
パーティーのバカ騒ぎが通報されたのか、警察がやってきて皆卒業を控えている身でもあり戦々恐々で身を隠すが、エイミーは自分が囮となり他の人々を逃がす。おかげで彼女は収監されモーリーは翌朝、面会に行くことに。
ふたりとも一皮剝けている。友情を再確認して卒業式に一緒に行こうと。
保釈金は富豪が出してくれたのか(いや、指名手配犯を教えて取引したか、、、彼こそ道徳のヒトピザ屋の店員パットであったが、、、ホントであればかなりブラック)、ジャレッドのカスタムカーで暴走しながらモリーとエイミーは少し遅れて式に駆け付ける。
盛大な拍手。皆和気あいあい。おまけにエイミーは新彼女ともよりを戻す。
ハッピーエンドときた。

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わたしは青春ドタバタコメディは、ホラーより苦手だが、これは何だかすっきり爽やかで、嫌みの無い軽やかさが心地よかった。
計算も細かく丁寧な作りであった(セリフは下ネタばかりであったが愛嬌のあるヒロインが言っていると気にならない)。
監督の手腕はかなりのものだ。この監督の次回作にも期待したい。
女優さんでもある。

Olivia Wilde
オリヴィア・ワイルド監督



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ラスト・ディール 美術商と名前を失くした肖像

Tumma Kristus001

Tumma Kristus
2018年
フィンランド

クラウス・ハロ 監督
アナ・ヘイナマー 脚本

ヘイッキ・ノウシアイネン、、、オラヴィ(老画商)
ピルヨ・ロンカ、、、レア(娘)
アモス・ブロテルス、、、オットー(孫)
ステファン・サウク、、、アルバート
ペルッティ・スベホルム、、、パトゥー
ヤーコブ・オールマン、、、ディック
クリストファー・モラー、、、レッペ


オラヴィという老画商がなんとも味わい深い雰囲気を醸していた。
フィンランドの名優だと思う。この俳優を観ているだけで深いドラマを感じる。
親(父)~子(娘)~孫(男子)の間の絆の修復を一枚の絵を絡めて描く。

Tumma Kristus002

老画商オラヴィは、最後の大きな取引をして(娘に勧められていた通り)店を畳もうと思っていた。
そこへ孫のオットーが職業体験にやって来る。詐欺まがいの事件を起こし引受先がない為、祖父の画廊に転がり込んできたのだ。
この孫は頭は効くが素行は悪く、最初のうちは、かなりぶつかり合う。
だが、魅惑的な絵の素性を探るミステリアスなサスペンスに乗っかると思いの他集中力を発揮する少年なのだ。

オークションハウスに友人に誘われ行った会場で、オラヴィは数ある絵の中から一枚の作品に強烈に惹き付けられる。
作者名(サイン)も無く絵の名もどこの美術館から来たものかも分らぬ絵として地味に置かれていたものだ。
ぶっきら棒に見たまんまの「男の肖像」という名が取り敢えず付けられていたが。

Tumma Kristus005

長い画商の経験からオラヴィは飛んでもない掘り出し物との遭遇を感じるのだった。
その重厚な宗教性を帯びる作風と精緻な描写からイリヤ・レーピンのものだと推察する。
「フィンランドの画家ではここまで描けない」オラヴィは畏怖の念を込めて呟く。
親友の画商は、リスキーだから関わるなと忠告するが、彼はその絵が頭から離れない。
オラヴィは、結局二日後のオークションで落札する。
孫と必死にその絵の素性を探り、作者と画題と所蔵されていた美術館を膨大な図録から調べ上げ確信を持った。
1万ユーロで落札したが、売れば10万ユーロは軽く超えるものだ。

絵の鑑定をネット上から信頼できる美術館に孫を通してしてもらう。
その絵はやはりイリヤ・レーピンの「キリスト」であった。聖画であるため、画家個人のサインも控えられていたのだ。
返事は充分納得できるものであった。

Tumma Kristus003

だが、その絵の落札価格1万ユーロは彼の手持ち資金では到底足りず、孫の大学資金にとシングルマザーの娘が必死で独りで貯めたものを彼女に内緒で孫におろしてもらい流用した。この辺では孫は完全に悪オヤジ側である。彼の審美眼と信念に引き寄せられて助手になっている(笑。
これを知った娘は、これまで自分には何もしてこなかったうえのこの仕打ちとは、と激怒して絶縁を突き付けて来る。
それも当然だ。自分の審美眼に触れる絵の収集を何よりも最優先にする日々を送って来たのだろう。
挙句の果てにこれである。怒られて当然、なんてものではない。

彼も金を得る為、一番の顧客に直ぐに連絡して絵を見せるが、その男には金はあるが審美眼があるわけではなかった。
一度は、オラヴィの勧めに乗り、12万ユーロで購入を決めるが、用事を済ませてから寄ると言いその場を離れる。
サインがなく出所も心配なことから、彼はオークションを主催した画廊を訪ねたのだ。
そこで吹き込まれた情報から購入を見送ることに、、、。ここの主人は、その絵の真価を観抜けなかったことでオラヴィを陥れたのだ。
同時にその絵の信憑性が疑われ当分買い手も付かない状況にオラヴィは追い込まれてしまう。

Tumma Kristus004

失意と落胆で憔悴したオラヴィは店を畳み、友人に受け渡す。
絵も処分するが、レーピンの絵は孫に譲渡するように遺言に記して彼は亡くなった。

腕白な孫は能力は高く、一度祖父と調べ事など始めると思いの他、積極的に働き、確実な成果をあげる。
孫の職業体験のシートに「最高」の評価を与えてくれと遺言にも添えられていたが、きっと素晴らしい絵を託された孫も優れた審美眼をもつ画商になるのではないか。

オラヴィという画商、絵に魅せられた男の生き様とか言えば聞こえは良いが、家族を蔑ろにして来たことは窺える。
娘の積年の恨みは相当なもののようだが、、、。
子供を独りで育て上げた今、老境を迎えた父と改めてやり直そうとしていた。
その矢先、父は亡くなってしまう。
彼の最後に見出した名画が孫を頼りがいのある男に成長させ、三人の絆は修復されたと謂えようか。


Tumma Kristus006

オンネリとアンネリ、、、」シリーズや「レニングラード・カウボーイズ、、、」、アキ・カウリスマキ監督の「愛しのタチアナ」と「ル・アーヴルの靴みがき」等、、、どんよりと黄昏て美しいフィンランド映画が、また楽しみになった。






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消された女

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Insane
2017年
韓国

イ・チョルハ 監督・脚本

カン・イェウォン、、、カン・スア
イ・サンユン、、、ナ・ナムス
チェ・ジノ、、、ジャン院長

何だかミスリードの為のストーリーが全編に渡り、最後に何でと言う感じのどんでん返しであったが、、、
その目で思い返すと、何で病院から脱走してきた姿で義父を殺したのかとか、、、協力者の看護師との関係も(手帳の件も含め)よく分からないところが幾つも現れる。
そもそも火事で何とか助かったにせよ、その看護師は酷い重体のままどこでどうやって生きて来たのか、、、
(火事にしても何ともタイミング良いが、不自然な火事である)。
そしてどうやって彼はタイミングよくあの廃病院で発見されるように戻って来たのか、、その辺のトリックは裏をしっかり分かるようにシーンとして描いてもらわないと。
最後に尋ねて来たのは、ベッドから消えたその看護師ではないかと思われるが、彼とのやり取りでその陰謀の仕掛けも分かるはずで、そこはちゃんと描くべきだ。こちらに任せるというレベルの話ではない。何というかこれだけのひっくり返しをするなら、正解の納得できるものが必要だ。またそれまでの流れでその裏の流れに矛盾があったら台無しと言える。

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これまで韓国映画には、キム・ギドク監督「春夏秋冬そして春」やポン・ジュノ監督「パラサイト 半地下の家族」、チョン・ビョンギル監督「悪女」等々、圧倒的な力作を魅せられてきており、韓国映画に期待するところは、かなりある。
だが、この映画は実際の事件を元にして制作されたとは言うが、どうもリアリティを感じないのだ。
実際の出来事の重みや強度がない。

韓国映画独特の即物的な残虐さはあるが、そのインパクトが説得力には繋がらない。
特に最後のどんでん返しを経て見終わり、これまでの噺の流れ~展開は何だったんだと思うと妙に空しくなる。
(勿論、有名TVプロジューサーを騙して目的を達するための力の入った作り話であったのだが)。
丁寧に思い返す気も無くなるが、えっそれではあれは何で、、、というところが自ずと出てきてしまう。

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それらについていちいち書く気にはならない。
細かいことは、不問に付してもあれだけ延々とヒロインが強制入院させられ精神病院で酷い目に遭わされるシーンを見せつけられて、実はそこに入れられていたのは母です、、、というところで、しっくりこない。
どうにも、ああそうだったのか、、、には落ち着かないのだ。

やらんとしていることは分かるのだが、、、。

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金目当てで精神科に強制入院させられ殺された母の無念を晴らし、義父への復讐を遂げる目的で事を運んだが、結局義父も癒着して悪事を働いていた精神科の院長も罪は問われず、ただ自分が殺人罪で収監されてしまった娘の復讐の話である。実話が、元になっていると言う(この母と入れ替わった部分もそうなのか?)

やらせが発覚し落ち目になった有名プロデューサーに狙いを付け、そこに事件性を匂わせ探究心を擽る謎の手帳を送り付け、事の真相をオーバーな演技で勿体ぶって少しずつ伝えていく。
彼女としては母の立場に自分が入れ替わり、その悪どい奸計と母を苛んだ過酷な実情を世間にセンセーショナルに知らしめ、警視総監も見込まれていた人格者として扱われていた義父と金の為には何でもやる精神病院長との癒着とその犠牲となった多くの人々との関係を改めてマスメディアを通して人心に訴え煽り、亡くなってはいるが義父と院長の名誉を地に落とす為、再捜査を本格的にやり直させる事である。自分の無罪もとりつけて豪邸にも戻りたい。

まんまとプロジューサーもはまり、(証拠不十分で)彼女の無罪を勝ち得たが、実は彼女の策略であり、実際は義父を殺していたことを彼も悟るが、やらせで一度責任を被せられ干されたばかりである。
今回の事件のスクープで這い上がったばかりなのだ。
これはもうそのまま、多くの人々と共に彼女の無罪放免を喜んで終わるとしよう。
というところか(笑。
(何故、彼女は別れ際、彼に自分の策略をばらすような、精神病院ではボールペンは使わない、なんてこと伝えたのか。ばらしたところで、もう彼は動けないことを知ってちょっと種明かしをしたのか)。

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あまり感想を書きたいと思える作品ではなかった。その映画にかこつけて自分の考えを強く訴えたいと思うような込み上げてくるものも無かった。
闇と陰謀の渦巻く世界というものはあるだろうし、それが不可視のままであり続けることもあるだろう。
このような形で世間の前に晒されることもあろう。それでもまだ真実は隠されている。
そんなものだと思う。
ただ、面白さは微妙である。映画として気になる部分も多い。

この作品で、健康な人間を身内が勝手に精神病院に強制入院させられることに対する法律が改正されたという。
そういった意味での価値はあったようだ。









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家へ帰ろう

El último traje005

El último traje
2018年

スペイン・アルゼンチン

パブロ・ソラルス 監督・脚本
フェデリコ・フシド 音楽


ミゲル・アンヘル・ソラ、、、ブルスティン・アブラハム(88歳の仕立て屋)
マルティン・ピロヤンスキー、、、レオナルド(機内で出遭った青年)
アンヘラ・モリーナ、、、マリア(マドリードのホテル女主人)
ユリア・ベアホルト、、、イングリッド(ドイツ人の文化人類学者)
オルガ・ボラズ、、、ゴーシャ(ワルシャワの看護師)


「最後のスーツ」という原題らしいが、邦題でも良いと思う。
最後のシーンで思わず呑み込まれた。号泣とまではいかないが、やられた(涙。

ホロコーストを生き残ったユダヤ人である主人公が、戦後命を救ってくれたポーランドの友人に自分が仕立てた最後のスーツを届けようと、アルゼンチンからドイツの地を踏まず長旅の果てにたどり着く噺。アルゼンチン人でポーランド生まれのユダヤ人なのだ。
彼は「ポーランド」と言葉で喋りたくないため紙に書いて相手に知らせたり、どうしてもドイツの地を踏まずにポーランドまで行きたいと駅で駄々をこねたり、その当事者でなければ実感として受け取りにくい、その気持ちがじわじわと伝わってくる映画であった。

El último traje002

主人公のアブラハム、なかなか癖の強い爺さんであり、ユダヤ人だけあって金の交渉や取引についても一筋縄ではない。
余りに酷い悲痛な経験をして深いトラウマを抱え込んでいる分、かなり頑固でもある。
「これは聞いた話ではない。自分の見たことだ。」これ以上に説得力を持つものはない。
未だに当時の悪夢に悩まされる(PTSDが窺える)。
戦争で負った傷からか右足が壊死しているようで、医者からも切断を勧められたりしている。
そんななか、子供たちが親の財産分けをして、家も取り上げて引き継ぎ、彼は施設に入れられることになってしまった。
家族の和気あいあいの集合写真を撮ったが、それがなんだというのか。

彼は施設に送られる前日、一人でスーツと旅行鞄を持って出かけてゆく。
仕立て屋と言うだけあってオシャレだが、何しろ片足がほとんど利かない為、大変移動にも苦労し疲れる。
行く先々で(彼ならではの)問題にぶつかり途方に暮れる。
そしてホテルでは有り金全てを盗まれ一文無しになってしまう。

El último traje001

だが、不思議に決まって誰かが彼の困惑を目にとめ、親切に手を差し伸べる。
彼は頑固にそれを拒否したり思いっきり我儘で応えるが、、、
そこまで付き合うかというところまで、付き合ってくれる人が現れる。
家族は冷たかったが、世間には彼を放っておけないという人が必ずいるのだ。
恐らくそういうものなのだろう。

この爺さん、固くなで性格も良いとは言えず、かなり勝手ではあるが、憎めない味のある可愛らしさも感じる爺さんなのだ。
だから世話を焼き始めた人は深入りしてしまう(笑。
(わたしの周辺にいる小憎らしいだけの爺とは、その辺の訳が違う)。
飛行機で出遭ったロック青年は、車で何度も爺さんの行きたいところ(金借りに娘の家)に送ってくれる。
(金の工面をしてあげた礼もあるが)。
ホテルの冷たい女主人も彼の面倒を知らずのうちに見ることに。
青年と一緒に列車に乗るところまでご丁寧にふたりで見送りに行く。

El último traje003

ドイツ人の文化人類学者の女性は、彼から散々敵視され突っぱねられたにも関わらず、彼ならではの要求に柔軟に応えてくれる。
最後は彼も打ち解けてはいたが、彼女の知性によるところが大きい。
大変魅力的な女性であった。彼にとってはドイツと名がつけば何でも排除対象であったが、実際はそうもいかない。
彼女のお陰であと少しまで進むこととなった。
しかし列車の中で疲労(気苦労)と脚の影響もあり、ナチス将校たちの高圧的で不気味な幻影を見て恐れ倒れてしまう。
幻視はかなり危ない。

El último traje006

病院で目を覚ますと、もう少しで死ぬところだったと聞かされる。
そして事情を話すと担当看護婦は快く、結構遠い友人の住む家(元は彼の家)まで車で送ってくれるという。
70年ぶりの実家への帰還でもある。片道切符で来たのだ。人生締めくくりの場所として選んだのだろう。
不思議なのは、世話を焼いてくれる人ばかりではなく、それを当然のように受け取る爺さんの方でもある。
この関係性が面白い。恐らく日本人ならもっと感激して丁寧にお礼を言ったりするものと思えるが、、、。

El último traje004

この女性に車椅子で案内された場所こそ、最初に映されたあの戦後の街角の現在の姿であった。
ここから静かな期待と不安の充満した時が流れ始める。彼はしきりに怖がる。
「逢えないことも、逢えることも怖い。」
しかし、その家には友人はおらず、周囲の人も何も知らない。
途方に暮れて辺りを見回していると、、、何とも車椅子の自分の視座より少し低い半地下の窓に70年経った友人の顔があるではないか。
彼は徐にミシンを動かそうとしているところであった。
友人を凝視するアブラハム。
彼の目もこちらに注がれる。
このタイミングと両役者の表情。ここは実にベタなシーンだが、演出が冴えていればストレートに感動する。

El último traje007

友人と抱き合うアブラハム。
「さあ、家に帰ろう。」

音楽が実に良かった。演出にぴったりであった。
この監督の作品はまた観たい。


AmazonPrimeにて











シン・エヴァンゲリオン劇場版

EVANGELION2021 005


EVANGELION:3.0+1.0 THRICE UPON A TIME
2021

庵野秀明、、、総監督・脚本・原案
鶴巻和哉、、、監督
中山勝一、、、監督
前田真宏、、、監督
鷺巣詩郎、、、音楽
宇多田ヒカル「One Last Kiss」、「Beautiful World (Da Capo Version)」主題歌


緒方恵美、、、碇シンジ
林原めぐみ、、、アヤナミレイ
宮村優子、、、式波・アスカ・ラングレー
坂本真綾、、、真希波・マリ・イラストリアス
三石琴乃、、、葛城ミサト
山口由里子、、、赤木リツコ
石田彰、、、渚カヲル
立木文彦、、、碇ゲンドウ
清川元夢、、、冬月コウゾウ
山寺宏一、、、加持リョウジ
神木隆之介、、、碇シンジ(ラストシーン)


それにしても巨大なコンテンツの締めくくりであった。

EVANGELION2021 002

「これまでの全てのカオスにけりをつけます!」
前半から後半への急展開が強烈だった。
内省から覚醒へ。
L結界に入ってからの戦闘のクオリティには目を見張る。
シュールな戦いだ。既視感は無い。
色彩共々インパクトは充分。

EVANGELION2021 004

そしてこの戦いが独自の視点で興味深いのは、ある目的を遂げようとする行動に対しそれに伴う思わぬ付随する副作用(副次的エネルギー)によって飛んでもない災厄を呼ぶという構造である。
問題を未然に防ごうという決断~行為が災厄を引き起こすトリガーとなるケースは実にリアリティを感じるところ。
碇シンジが苦しみ悶え、ドラマの生まれる装置として機能する。

書き換え後の世界~ネオンジェネシス~は、「君の名は。」のラストみたいで、清々しい。
世界をそのまま受け容れようと、真っ直ぐ前を見て、真っ直ぐ手を伸ばす。
ただ。その相手が、真希波・マリ・イラストリアスというポット出のキャラというのがちょっとしっくりこない。
(常においしい立ち位置にいるなとは思っていたが)。
寧ろアスカではないのか、、、と言いたい。
アスカもカヲルもレイも他人となっていたようだ。マリとシンジしか記憶を受け継いでいないのか、、、。
いや、カヲルとレイが仲良しになってるのか、、、だが普通の学生同士の付き合いのようだ。

EVANGELION2021 008

それにしても仮称アヤナミレイの個体が可哀そうでならない。
涼宮ハルヒ」の長門有希とともにわたしの贔屓キャラである。
やはり環境に適応するための基本的な調整は必要なのだ。
オリジナルがどうであろうが、固有時の問題である。
あの姿にケンジは、再びエヴァに乗り父の暴走を止める決意をする。
それから土の匂いか。
ここはもっとも説得力が感じられる部分だ。
(エヴァを必要としない世界に書き換えるんだ。これこそ神の領域~このような超越性が発揮出来れば、もう何でもありだがそう出来るのならやりたいのはやまやま。こちらの意識パタンを変えれば世界も再編されるレベルはあるが、物理的変革がないとどうにもならないレベルははっきりある)。

EVANGELION2021 007

碇ゲンドウの目的は初号機に同化していた妻ゆいとの再会であるというが、、、よく分からないところ。
人類を単一の浄化された魂だけのレベル~世界にしようとしていたはずだが、矛盾しないか。
結局、アディショナルインパクトにより世界を書き換えようとしたが、それでゆいに逢える訳でないことを悟り、全てのエヴァを処分して13号機もろとも消える。大人でもエヴァに乗れたのはネブカドネザルの鍵によって人ではなくなったためか。
しかしそもそも、他者~妻と逢いたいということと、全ての人類をLCL化して単一の魂にしてしまうこととは、全く矛盾している。
一つになったら逢うも逢わないもない。逢うとは他者の存在を前提とする。そもそも浄化って何?
それに一であり全てでありとかいう言い方~考えを振り回す輩が結構いるが、実に気持ち悪い。
個が無ければ世界などない。

EVANGELION2021 006

終盤、それぞれの回想のなかでひどく個人的な内省が再び展開される。
大きな戦いと同期されるように、マクロとミクロの対応関係のようで緊張感あるタイミングはよいが、、、。

幼少時に形成された心的パタンに悩まされる人は少なくない。
シンジやアスカがそうだという前に、誰よりゲンドウであった。
彼が思いの外、チョロい奴だということが判明する。裸の王様とはこのことか。
シンジを恐れA.T.フィールドで防御するのは分かる。
シンジは、ここまで散々他者により鍛え上げられて生きて来た叩き上げの男である。
只管他者を拒み自我を守ってきた男がシンジに勝てるはずがない。
葛城ミサトが死をかけて生成したガイウスの槍を受け取る。

EVANGELION2021 003

この物語によく出てくる相補性だが、当然排他的観測を前提とする。
他者とは、排他的観測そのものを指す。
ゲンドウはそれに耐えられなかった。これは科学者としてはあるまじき姿勢である。
物理を否定している。その挙句の果てに単一の魂による存在の要請など戯言に等しい。
ピアノもカヲルみたいに連弾で愉しむ発想もなかったのね。
シンジなら排他的自我の間に調和を見出して行けるはず。

EVANGELION2021 001

今回、アスカもレイと同類の戦闘員であったことが分かる。綾波に対し式波シリーズである。
初期ロットはちゃんと動いてるか?と仮称レイを気遣っていたが、彼女は初めから調整済みであったのか。

父から引き継いだアディショナルインパクト進行中の演出は流石だ。
あの赤い海辺でシンジの座っている情景が、絵コンテそのままになっていたり、終わり間際のレイとの秘めやかな対話の場所が撮影スタジオそのままになっている状況は、今まさに世界が書き換わってゆくところを粋に表現しているのが分かる。
その後には、記憶には全く残っていない大事な会話であり場所である。
(こんな場所が自分にもあったような幻想を抱く)。


宇多田ヒカル「One Last Kiss」、「Beautiful World (Da Capo Version)」の主題歌は、まさに宇多田節であった。
また、車で聴きたい。





AmazonPrimeにて




ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q

EVANGELION035.jpg

EVANGELION:3.0 YOU CAN (NOT) REDO.
2012

庵野秀明、、、総監督・脚本・原作
鷺巣詩郎、、、音楽
宇多田ヒカル、、、主題歌「桜流し」

緒方恵美、、、碇シンジ
林原めぐみ、、、アヤナミレイ
宮村優子、、、式波・アスカ・ラングレー
坂本真綾、、、真希波・マリ・イラストリアス
三石琴乃、、、葛城ミサト
山口由里子、、、赤木リツコ
石田彰、、、渚カヲル
立木文彦、、、碇ゲンドウ
清川元夢、、、冬月コウゾウ
長沢美樹、、、伊吹マヤ
子安武人、、、青葉シゲル
優希比呂、、、日向マコト
麦人、、、キール
大塚明夫、、、高雄コウジ
沢城みゆき、、、鈴原サクラ
大原さやか、、、長良スミレ

EVANGELION031.jpg

これは、生きづらさの物語である。

歪で欠けている者に対する愛着。
コアな趣味とトラウマに対する執拗な拘り。
ディテールの飽くなき追及。
我慢できないメカオタク。
これらの綯交ぜとなったアマルガムの質量が全て創造エネルギーに変換される。
実際これは凄い。
めくるめく光景を現出する。

EVANGELION030.jpg

庵野秀明監督は作品至上主義である。
自分の命より作品の方が重い。
自分がやりたいことを全て注ぎ込むにせよ、それだけでは足りない。
自己実現が問題ではないのだ。目標でもない。
ほとんどの作家~監督がそこで充足してしまうだろう。
だが彼は不服を唱える。この生きづらさは自己を超えた先の場所に昇華されるはず。
補完計画が発動する。

様々な方法で、「普通」と感じてしまう凡庸さ~物語性を排除して行く。
自分がやる前に一度他者(勿論自分が一目置くその道のエキスパート)に任せる。
しかし「普通」と感じてしまうところには徹底してダメだしする。他者に任せた意味がない。
この段においては、もはや自分の想い(ストーリーとか筋道)に即しているかどうかではなく、感覚的にこれが「新しい」か「面白いか」で判断する。そして自分の外へと出てゆく。
試写をスタッフ全員で観て、それぞれの意見を聴く。
自分の思想は原作にあり、それは行き渡っているとはいえ、理解、把握状況はまちまちである。
全く新しい形で思わぬ具現化を狙いたいのだ。その先に届くためにも。

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それを受けて台本を場合によってはゼロから書き直す。
アニメーションは、試写の段階なら何とかなるが、ここは実写と違い実に作業上大変なところ。
(実写の方がやり直し撮り直しは遥かに容易だが、表現の自由度~自在性からアニメを選択しているのか)。

手法の一つは、シーンを多角的に撮り貯め、徹底的にアングル操作で構築してゆく。
そう、観たこともない角度である。まさに多様で多角的な追撃。
そこに新たな光景~隙間が見出されるのだ。

説明では追い付かない。
今決められない。
やってみて分かることに賭ける。
だから時間はかかる。
常に難産。多くの死産の上での。

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物語の内容が生きづらさを表現しているだけでなく、必然的に、この作り手たちの生きづらさもそのまま具現化されてゆく。
多くの苦悩の断片を集積した中から有機的に分節化された何者かが頭をもたげる。
この苦悩の表象は悪夢と同等の質量を持つ。

真っ赤な荒涼とした廃墟のなかを廃人のようなシンジの肩を抱えてアスカが救援場所に向け歩みを進める。
その後を、仮称アヤナミレイが虚ろな表情のままついてゆく。
シュルレアリストの絵画にもこのような悪夢の光景はあったが、更に救いがない。


完全な鬱から彼はどのようにして解かれ、この生きづらさから異なる場所に展出出来るのか、、、。

EVANGELION036.jpg



そして、始めたものは終わらせなければならない。
(恐ろしい宿命。しかし誰もが死ぬのだ。誰もの問題に他ならない)。



AmazonPrimeにて












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小さな情景展 大盛況のうちに終わる

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ちょっと遅ればせながら、、、佐橋君の絵画展が大盛況のうちに終わったことをご報告。
8/27~8/29 平塚市 八幡山の洋館にて。
(娘たちが2学期学校初日であり、わたしもつられて一緒に起きたので、これを書くことにした(笑)。

現在の状況下で足を運ばれた方々には感謝したい。
コロナ禍における対策(入場・時間制限や消毒等)をしっかり講じたうえで、人の入りは予想をかなり上回るものであった。
懐かしい人々が一堂に会して、彼もとても嬉しかったそうだ。
わたしが招いた新しい仲間もおり、某大先生も仕上げに向かう大きな仕事と重ならなければ来られたところだった。
今回の彼の展示会を、待ちに待った人々が多かったことがよく分かる(新旧のファンはかなりいるし)。
かく謂うわたしは一身上の都合で会場には足を運べなかったが、彼の絵は生でいつでも見られる為、わたしとしては問題はない。
ただ、そこに集う人で、逢いたかった人は何人もいる。
(まだ、一度も逢ったこともないブロ友さんもいた。うちの娘がお菓子を頂いた。有難い繋がりである)。

わたしは少々長めの「解説パネル」と各絵画のキャプションを書かせてもらったが、殆どの人がよく読んでくれたとのこと。
特に「解説パネル」のあの部分では皆が決まって笑っていたという。
(わたし的に言えば、掴みはOKか(笑)。
佐橋君からも、絵と文との調和で更にその世界が深まったという趣旨の言葉を頂き、ホッとした。
(但し、直前で急に3点ほど追加したそうで、2点は以前わたしがこのブログで紹介していたもの~S君の仕事~からのチョイスであった為、そこの文を使ったそうだが、後一点のわたしの知らない最新の絵については彼自身の文で展示されたそうだ。ジオラマも3点ほど飾られ、凝っていて面白くうちの娘たちも大変喜んでいたそうだ)。

また次もやる、と急にやる気満々になってしまったので、来年もこのような絵画展が開かれる可能性はある。
ストックは多い為、絵画の点数には問題ない。今回出していないわたしのお気に入りの絵もまだあるし内容的には楽しみだ。
しかも発展形であるジオラマもかなりある。
次回はもしかしたらジオラマ展?と尋ねると、いえ絵画があくまでも主です、とのこと。
すると今回と構成的には同様のものとなるか。
(こういった展示会も彼特有の反復作業の一環に組み込まれてゆくのかも)。

そして何と言ってもBGMのピアノの生演奏である。
わたしと佐橋君の共通の友人の作曲家O君によるもので、ここでしか今のところ聴けないものである。
うちの妻が全曲録音していた為、LINEで欲しい人にも送っていた(笑。まだ、作曲家当人が著作権をかけていない為、うちわで普通に聴いてしまっている(笑。正式にレコーディングしたところでCDでなければ聴けなくなるはず。
プロトタイプとして聴いている。エンジニア次第でまた素晴らしいレコードになると思う。
ただ、今回の美味しかったところは、一日目にO君の友人の現代音楽の作曲家であるK君が自作の曲を生演奏してくれたことである。つまり曲と演奏者の異なるBGMが二日間に渡り聴けたことになる。
予めプログラムにあったのは、二日目のO君のものだけであったが、一日目の飛び入りにも佐橋君自身感動したそうだ(音源欲しい)。
初日に来てしまった人も充分愉しめたものである。

やはりそういったところが、ライブ空間の醍醐味だと思う。
コロナ禍において充分な注意は必要だが、ひとが集まるところには(想定外の)創造的なハプニングは度々起こる。
それが大きな芸術的感動や気づきを呼ぶことは少なくない。
新たな創造(創造的関係)の重大なきっかけとなることもある。
学校も始まったが、ひとの集まる場の重要性~価値は思いの他大きいものだ。
最大限の対策をもって、こういった機会を工夫し保障してゆくことは疎かにしてほしくない。


とてもゴージャスな花束を頂いたが、今もその香りで部屋が一杯である。
夏の暑さに爽やかな香りは効く。
一緒にその曲も流している。
この心地よさ、、、長生き出来そう(爆。


piano.jpg




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